前回は千夜だったので、今回は……
その日は、久しぶりに予定のない休日だった。
だからと言って何もしないわけにもいかず、僕は夕飯の買い出しついでに、足りなくなっていた調味料を補充するため、ルミナモールへと足を運んでいた。
休日とはいえ、時間帯が良かったのか店内は比較的空いている。
人の流れも穏やかで、どこか落ち着いた空気が流れていた。
こういう日は、嫌いじゃない。
特に急ぐ理由もない僕は、店内をゆっくりと見て回りながら、必要なものを一つずつカゴに入れていく。
野菜コーナーを抜け、調味料売り場でいくつか補充を済ませる。
さて、あとはメインになる食材――そう考えて、僕は精肉コーナーへと足を向けた。
冷蔵ケースの前に立ち、並べられた肉のパックを何気なく眺める。
その時だった。
「……高い……いや、でも……」
小さく、しかし妙に真剣な声が耳に入る。
視線を横に向けると、そこには――
金髪の少女が1人、腕を組みながら肉のパックを睨みつけていた。
制服ではなく私服姿。けれど、その横顔には見覚えがある。
「……シャロ?」
「ひぃぃ!?」
シャロは悲鳴に近い声をあげて数歩後ずさった。
驚かせるつもりは微塵もなかったんだけどな……。
「ア、アキラさん……!?」
「やっぱりシャロだ。久しぶりだね。」
そう言って小さく手を振る。
その少女はやはり、シャロ(
「お、驚かさないでください!」
「それに関しては本当にすまない。」
驚きで心拍数が上がっているのか、顔を赤くするシャロ。
声は抑えていたとは言え、驚かせてたのならこちらに非がある。
「ところで、シャロも夕飯の買い出しかい?」
「えっ、あ、はい。」
どこか歯切れの悪い返事をしながら、シャロは買い物かごを僕から隠すかなように、自分の後ろに回した。その言い方は僕の勘違いかもしれないが……なぜか、そう感じた。
その行動が何を意味するのか。そこまで考えたところで、やめた。
他人の行動を読み取ろうとしてしまうのは僕の悪い癖だ。仕事とは関係ない場所で、ましてや高校生の女の子に仕掛けるようなことじゃない。
「邪魔して悪かったね。肉を選んだらすぐに行くよ。」
シャロは何か言いたげだったけど、視線を精肉に移す。
僕が欲しいのは牛ひき肉で、冷蔵ケースの中にはいくつかのパックが並んでいた。
同じ牛ひき肉でも、微妙に内容が違う。
200グラムで320ディニー。
350グラムで490ディニー。
500グラムで660ディニー。
ふむ、これなら断然――
「これが安いね。」
僕は350グラムのパックをいくつか手に取った。
「え……。」
「またね、シャロ。」
そう言って僕はシャロに小さく手を振る。
彼女はどこかポカンとした様子で僕を見ていた。
そして、彼女に背を向けた、その時――
「ア、アキラさん!」
シャロが、僕を呼び止めた。
「どうして、そっちの方が安いって思ったんですか……?」
足を止めて振り返る。
そしてシャロの方へ歩み寄り、3つのパックに視線を落とした。
「単純に、グラムあたりの値段だよ。」
200グラムで320ディニーだと、1グラムあたりは1.6ディニー。350グラムの方は490ディニーだから、1.4ディニーになる。
簡単に説明すると、シャロは少しだけ考え込んだ。
「……で、でも、複数買うのなら、500グラムの方が安くないですか?」
彼女は500グラムのパックを指差す。
500グラムで660ディニーなら、1グラムあたり1.32ディニーで、これが最も安い。シャロが言うように、350グラムを複数買うのと500グラムを1つだけ買うのでは値段も大きく異なる。
「そうだね。」
「だったら――」
「でも、少し多すぎるんだよね。」
「多すぎる……?」
僕の言葉に、シャロは首を傾げた。
「僕はいつも、冷蔵庫のスペースを確保するために一度で使い切れる量を選んでいるんだ。」
「………。」
シャロは、少しだけ目を見開いた。
「シャロはいつも、量が多いものを優先的に選んでいるのかい?」
「はい。毎回少量を買うより、多めに買って使わない分を冷凍しておいた方が、結果的に無駄が出ないので。」
「なるほど……。」
シャロの考えに、思わず小さく頷く。
僕は一度に使う量とスペースを理由にグラム理論で考えていたけど、案外、そっちの方が合理的なのかもしれない。
この話は、聞くだけでも大きな価値がある。
「……ねぇ、シャロ。もし良ければだけど……シャロの考え、もう少し聞かせてもらってもいいかい?」
「えっ?」
シャロは、文字通り目を丸くして僕を見た。
「僕はあまり冷凍保存を前提に考えたことがなくてね。せっかくだし、参考にさせてもらえたらと思って。」
そう言うと、シャロは一瞬だけ言葉に詰まった。
それから、ほんの少しだけ視線を逸らし――
「……私からも、お願いします。」
小さく、けれどはっきりとした声でそう言った。
「いつもは大きいパックの値段を見て選んでいたんです。でも、アキラさんのグラムで考える方法を聞いて、びっくりして……。」
言葉を探すように、少しだけ間を置く。
「少し、気になっちゃって。」
その言葉に、思わず小さく笑みがこぼれた。
「じゃあ、一緒に行こうか。」
「はいっ。」
シャロは小さく頷いた。
さっきまでの距離が、ほんの少しだけ縮まった気がした。
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それから僕たちは、店内をゆっくりと見て回った。
調味料売り場では、無駄なく使い切る工夫を教えてもらい。
野菜コーナーでは、日持ちを考えた選び方を聞く。
反対に、僕のやり方もいくつか伝えながら――気づけば、買い物かごの中身はすっかり増えていた。
「今日は勉強になったよ。」
「こちらこそ、すごくためになりました。」
互いに礼を言い合いながら、僕たちはルミナモールを後にする。
外の空気に触れたところで、ふと気になって口を開いた。
「そう言えば、シャロは地下鉄でここまで来たのかい?」
「はい。」
短く返ってきた答えに、僕は小さく頷く。
――少しだけ考えてから、ポケットに手を入れた。
「今日は色々と教えてもらったし……良ければ家まで送っていこうか。」
「え……。」
車のキーを取り出しながらそう言うと、シャロは一瞬だけ言葉を失った。
迷うように視線を揺らし、それから小さく俯く。
「……その……」
少しだけ間を置いて――
「お願い、します。」
ほんのりと頬を染めながら、そう答えた。
助手席に座るシャロは、どこか緊張しているようだった。
視線は前を向いたまま、ほとんど動かない。
無理もないか、と小さく思う。
僕とシャロは出会ってまだ日が浅い。今回の買い物で仲が深まったとは言え、『異性の大人と並んで車に乗る』なんて機会はそう多くないはずだ。
それでも乗ってくれたと言うことは、ある程度の信頼関係はあるらしい。
「それじゃあ……甘兎庵のお店までお願いしてもいいですか?」
「家の前じゃなくていいのかい?」
「はい。甘兎庵まで送ってくれたら、後は歩いて帰れるので……。」
それもそうか。例え僕との間に信頼があっても、それはまだ微弱。教えないのは当然のことだ。
「わかったよ。」
短く答え、ハンドルを切る。
それきり、車内には再び静けさが戻った。
流れていく景色と、一定のリズムを刻むエンジン音。
さっきまでの賑やかな店内とは違って、少しだけ落ち着かない空気が続く。
――数分経った頃だった。
「……アキラさん。」
少しだけためらうような声。
「1つ、お願いがあって……。」
「なんだい?」
短く返すと、シャロは少しだけ視線を落とした。
「その……さっきの話なんですけど。」
指先をぎゅっと握る。
「私が、節約を気にしていることは……ココアたちには言わないでください。」
思っていたよりも、ずっと小さな声だった。
「みんな、私がお嬢様学校に通ってるから……お金持ちだって思ってて。」
そこまで言って、言葉が止まる。
続きを飲み込むように、シャロは口をつぐんだ。
彼女の顔は見えない。ただ、僕が思っている以上に溜め込んでいるのはすぐにわかった。
少し間を置いて、彼女に伝えた。
「約束するよ。」
短く、それだけを伝える。
それ以上は聞かない。
きっと、それが今の彼女にとって一番いい距離だ。
車内に、再び静けさが戻る。
――けれど今度は、さっきほど重たいものではなかった。
「……あの。」
少しだけ間を置いて、シャロがもう一度口を開いた。
「もし、その……」
言葉を選ぶように視線を落としながら、
「他にも何か節約の方法があったら……教えてもらえませんか?」
――その言葉は、やけにスッと胸に入っていった。
僕は、すぐには答えなかった。
ハンドルを握ったままゆっくりと息を吐く。
視線の先には、いつもと変わらない街並みが広がっている。
けれど、ほんの少しだけ――
隣にいる彼女との距離が、さっきよりも近く感じられた。
秘密を打ち明け、そしてこうして言葉を重ねてくる。それはきっと、ただの遠慮や社交辞令ではない。
……ならば、こちらも同じだけ応えよう。
自然と、口元がわずかに緩んだ。
「もちろん。これは、2人だけの約束だ。」
「……はいっ。」
そう答えるシャロの声は柔らかかった。
オレンジ色の空の下を、僕たちは進む。
その車内は、穏やかな静けさに包まれていた。
プロキシ兄妹がシャロと出会ったのは、シャロのバイト先であるフルール・ド・ラパンです。新しいビデオを仕入れた帰り道に見つけた喫茶店で、ココアたちも偶々そこにいた感じです。
リンちゃんは同じ女性なので(ココアと似たような性格もあり)、割と早くに打ち解けました。しかしアキラは異性で年も離れていることもあり、少し距離がありました。
今回の交流をきっかけに、仲良くなれるといいですね。