ご注文は終わらない日常ですか?   作:ツカッチ

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プロキシのみなさん、うさぎのみなさん、こんにちは。

チノちゃんがお兄ちゃんと修行をするお話です。


第七羽 レンズ越しの未来、カップの中の日常

 ラビットハウスの二軒隣にあるビデオ屋『ランダムプレイ』。その店主であるアキラさんは、どこか不思議な雰囲気を持った人です。物腰が柔らかくて、いつも穏やかな笑みを絶やさない人。

 けれど最近、私はある「確信」を抱き始めていました。

 

 アキラさんは、未来を予知する能力を持っているのではないか――と。

 

 例えば、ある日のこと。

 アキラさんとリンさんが揃ってラビットハウスにいらっしゃった時のことです。その日、通路側の席には小さなお子さんを連れたお客さんが座っていました。

 いつものカウンター席へと二人が歩き出した、その一瞬。

 

 ふいに、お子さんが伸ばした小さな手が、テーブルの端のコーヒーカップを弾きました。

 傾き、重力に従って落下していく磁器のカップ。

 ですが、それが床に叩きつけられるよりも先に――流れるような動作で伸ばされたアキラさんの手が、まるですり替わるようにカップを受け止めていたのです。

 

「危なかった……。お怪我はありませんか?」

 

 何事もなかったかのように微笑むその姿は、いつも通りのアキラさん。けれど、私はある違和感を覚えました。

 彼の反応は、「速すぎる」。まるで、落ちる場所を最初から知っていたかのように。

 

 別の日には、こんなこともありました。

 ココアさんは、その日もいつも通り元気に接客をしていました。明るい声、忙しく動き回る足取り。少なくとも私には、普段通りのココアさんに見えていたのですが。

 

「ココア、少し休んだ方がいい。」

 

 アキラさんは、注文を取ろうとしたココアさんの肩をそっと、けれど、しっかりと押さえました。

 

「えっ? 私、元気だよ?」

 

 きょとんとして笑うココアさん。ですが、それから数分と経たないうちに、彼女は糸が切れたようにふらつき、その場に膝をついてしまったのです。

 結局、ココアさんは知らず知らずのうちに風邪をひいていたことが分かり、そのまま二階で休むことになりました。

 

 どうして、本人さえ気づかない「少し先の未来」の不調が、彼には分かったのでしょうか。

 

 そして極めつけは、買い出しの帰り道のことです。

 偶然出会ったアキラさんと、お喋りをしながら石畳の道を歩いていた時のこと。

 

「チノ、こっちへ。」

 

「……?」

 

 不意に、隣を歩いていたアキラさんの手が私の肩に触れました。抗えないほど確かな力で、私の体を引き寄せるように反対側へと移動させます。

 その、直後でした。

 

 ――ガゴッ! バシャッ!

 

 さっきまで私が歩いていた場所に、大きなジョウロが落ちてきました。

 

「ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

 

 慌てた声に上を見ると、ベランダで花に水をやろうとしていた女性が顔を青くしていました。

 

 もし、アキラさんが私を守ってくれなかったら。

 冷たい水どころか、重いジョウロがまともに当たっていたはずです。

 

(やっぱり……。アキラさんは、未来が見えているのでしょうか?)

 

 漫画やアニメの中でしか見たことがない能力。そうでなければ、説明がつかないことが多すぎます。

 

 穏やかに笑って、私の荷物を持ってくれるアキラさんの横顔を見つめながら。私は、彼の瞳の奥にある「秘密」が気になって仕方がありませんでした。

 

 

 

 カウンターに置いたノートパソコンで、新作映画のレビューと在庫の確認を交互に進める。店の奥でイアスとトワが古いビデオテープの整理に没頭している心地よい騒音を感じながら、僕は少しだけ手を止めて、ガラス越しの街並みを眺めていた。

 

 そんな時、入り口のカウベルが控えめな音を立てた。

 

「お邪魔します。」

 

 来店したのは、チノだった。

 いつもの制服姿ではなく、白いワンピースでの登場だ。

 

『『ンナー!(いらっしゃいませ!)』』

 

「いらっしゃい、チノ。アニメのビデオを借りに来たのかい?」

 

「……単刀直入に聞いてもいいですか。」

 

 手をぎゅっと握りしめ、彼女は真剣なトーンで言った。今日はどこか決意を秘めたような、まっすぐな視線を僕に向けている。

 

「どうすれば……アキラさんのような『未来予知』が使えるようになりますか?」

 

「………?」

 

 思わず、思考が止まった。

 

 今、この子はなんて言ったんだ? ……未来予知?

 僕が苦笑いを浮かべながら顔を向けるけど、チノは真面目そのものの表情で僕を見ていた。冗談で言っている雰囲気は微塵もない。

 

「私は、アキラさんが未来を予知した場面を何度も見ました。」

 

「えっ……?」

 

「お子さんがカップを落とすよりも先に、手が動いていたこと。ココアさんが倒れる前に、休むように言ったこと。それから、私にジョウロが当たりそうになった時も……」

 

 チノは指を折って、僕自身ですら無意識に近い精度でこなしていた「日常の些細な出来事」を数え上げていく。

 彼女の瞳は、決して冗談や思い込みで言っているのではない。確信に満ちた色をしていた。

 

「……どうして急に、そんなことを?」

 

 ようやく絞り出した俺の問いに、チノは少しだけ視線を伏せて言った。

 

「私も未来予知が使えたら、と思ったんです。そうすれば、ココアさんが何かアクシデントを起こしてしまうより先に、止めることができるかもしれませんから。」

 

 伏せられた彼女の睫毛が、かすかに揺れる。

 その言葉の裏にあるのは、いつも騒がしい「自称お姉ちゃん」への、彼女なりの不器用な優しさだった。

 

 なんだ、そういうことか。

 僕は心の中で小さく息をつき、困ったように頬を掻く。

 

 彼女が言う「未来予知」は、プロキシ業で培った「観察」の結果に過ぎない。けれど、こんなに純粋で必死な瞳で「未来予知」だと言い切られてしまうと、それを否定する言葉が喉に詰まってしまう。

 

「つまり……ココアを守るための力が欲しい、ということだね。」

 

「違います。ココアさんがカップやお皿を割ったり、変なことをしないようにするためです。」

 

 否定のスピードが早すぎて思わず頬が緩んでしまう。本心を突かれた恥ずかしさを、「備品の管理」「ココアの行動」という名目にすり替えようとする彼女の必死さが、なんだか可笑しくて。

 するとチノはムッとした表情で、ジト目気味に僕を見つめてきた。

 

「……アキラさん、今笑いましたね。」

 

「いや、ごめん。……ふふ、備品は大事だもんね。」

 

 慌てて口元を隠したけれど、一度緩んだ表情を戻すのは難しい。すると、チノは不満げに頬を膨らませた。

 

「でも……そうだね。未来が見えたら、きっとココアは今よりずっと安全に過ごせるようになるだろうし、お皿の寿命も延びるかもしれない。」

 

 僕は改めて、彼女の瞳を見つめた。

 未来予知なんて魔法のような力はないけれど。彼女がそれほどまでに「誰かを気にかけている」という事実は、どんな予知能力よりも尊いものに思えた。

 

「――いいよ。僕でよければ、その『コツ』を教えてあげよう。」

 

 その代わり、未来予知なんて大層な名前じゃないけれど。

 心の中でそう付け加えて、僕はカウンターに置いていたノートパソコンを閉じ、スリープ状態にした。

 

 チノがパッと顔を輝かせる。その純粋な期待感に、少しだけ胸が痛むけれど――。

 

「イアス、トワ。少しの間、店番を頼んだよ。」

 

『ンナナ!(わかった!)』

『ワタンナ!(いってらっしゃい!)』

 

 仲良くビデオの整理をする2体に声をかけ、早速外出の準備に取り掛かる。

 

「さぁ、出発だ。」

 

「出発って、どこへ……?」

 

 唐突な僕の言葉に、チノはきょとんとして首を傾げた。

 

「どこへでもさ。」

 

 僕は壁に掛けていた薄手のコートを手に取り、入り口の扉へと歩き出す。ドアに手をかけ、チノの方へ体を向ける。

 

「僕が普段、どうやって『未来予知』をしているのか……その種明かしをしてあげる。」

 

 カラン、というカウベルの音とともに外へ出る。

 六分街の午後の日差しは、やけに眩しかった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 チノは僕の隣に並び、まるで未知の冒険に挑む騎士のような、真剣な面持ちで石畳を踏みしめていた。

 

「あの、アキラさん。どこか特別な場所へ行くんですか? 瞑想をしたり、精神を研ぎ澄ませたりするための……」

 

「はは、そんなに大げさなものじゃないよ。修行の場は、この街すべてだ。」

 

 僕は立ち止まり、賑わう六分街の通りを指差した。

 

「いいかい、チノ。予知の第一歩は、視界に映るすべての『動き』を読むことから始まるんだ。」

 

「動きを……読む?」

 

「そう。例えば、あそこのニューススタンドの前にいる男の人を見てごらん。」

 

 僕はさりげなく、新聞を広げている男性を示した。チノは目を凝らし、じっと彼を見つめる。

 

「彼は次に、右に曲がって歩き出すよ。それも、かなり急ぎ足でね。」

 

 僕がそう言った数秒後。男性は不意に腕時計を確認すると、新聞を雑に畳んで、僕が言った通り右側の路地へと早歩きで消えていった。

 

「……! 当たりました。どうして分かったんですか? やっぱり、数秒先の景色が見えて……」

 

「それじゃあ種明かしだ。」

 

「彼が新聞を読みながら、何度も時計を気にしていたこと。それから、右足のつま先がずっと右側の路地に向いていたこと。……それだけ分かれば、次に彼がどう動くかは、本人が意識するよりも前に答えが出ているんだ。」

 

 チノは驚いたように目を見開いた。彼女にとっては魔法のように見えた現象も、分解してみれば「よく見ること」の積み重ねに過ぎない。

 

「視界に入るものすべてに、次の行動の『予兆』があるんだよ。」

 

 その言葉で、チノはようやく「未来予知」の本質を理解したようだった。僕は彼女に微笑み、

 

「さぁ、次はチノの番だ。あそこでアイスを食べている女の子、次はどんな動きをすると思う?」

 

 僕は試すように笑いかけ、彼女の横顔を見つめた。

 チノちゃんは「ううっ」と緊張したように肩を揺らしながら、今度は自分の力で「未来」を見つけようと、じっと女の子を観察し始めた。

 

 

 

 

 

 六分街の片隅、街路樹の木陰にあるベンチ。

 そこに腰を下ろしたチノは、魂が抜けたように真っ白になっていた。

 

「……うう、頭が、パンパンです……」

 

 わずか一時間ほどの「観察修行」。けれど、行き交う人々の視線、重心の移動、指先の微かな震え……それらすべてを拾い上げようとした彼女の脳は、すっかりオーバーヒートしていた。

 

「お疲れ様。頑張ったね、チノ。」

 

 僕は苦笑しながら、近くの自動販売機で買ってきた冷たいリンゴジュースを彼女の頬にペタリと当てる。

 

「ひゃっ!? ……あ、ありがとうございます。」

 

 驚いて飛び起きたチノは、受け取ったボトルを両手で大事そうに抱え、早速キャップを開けた。

 

「……アキラさん。私、今までアキラさんは未来予知ができると思っていました。でも、こんなに大変なことを一瞬でやっていたんですね。」

 

 ごくごくとジュースを流し、一息ついて彼女は話す。

 僕は隣に座り、街の喧騒を眺めながら言葉を繋いだ。

 

「何かを観察することが昔からの癖でね。自然と身についてしまったんだ。」

 

 半分は本当だが、半分は嘘だ。

 この癖が決定的なものになったのは、プロキシとして活動するようになってからのこと。

 

 ホロウは何が起きるかわからない場所。次は何が起きるかを考え続けていたら、いつの間にか日常の景色さえ、データのように読み解くようになっていた。

 

 僕は缶コーヒーを一口飲み、チノに声をかける。

 

「せっかくだから、答え合わせをしようか。チノが『未来予知』だと思った、あの3つの出来事を。」

 

 チノがジュースを飲む手を止め、耳を澄ませた。

 

「まず、カップを拾った時。幼い子供は自由に行動するものだけど、あの子は特に身振りが大きかった。腕がカップに当たるのは必然だったし、加えてカップがテーブルの端ギリギリにあったから、すぐに予測できたのさ。」

 

「なるほど……。では、ココアさんの風邪は。」

 

「それはもっと単純さ。相手を知れば知るほど、普段の様子と異変があった時の差に敏感になる。あの時のココアは頬が少し赤かったのと、無理に元気を出そうとして声のトーンが半音ほど高かったんだ。」

 

 僕は人差し指を立てて、最後に残った「ジョウロ」の件について口を開く。

 

「ジョウロの件に関しては……偶然も重なっていた。上の階の女性が水やりをしていたから、チノに水が掛かる可能性を考えて、僕の反対側へ移動させたんだ。」

 

「まさか、ジョウロそのものが降ってくるとは思わなかったけどね。あの時は、この癖に心から感謝したよ。」

 

 一つ一つ、メッキが剥がれるように明かされていく真実。

 チノは驚いたように目を見開き、それから、自分の小さな手を見つめた。

 

「全部、アキラさんが私やみんなをちゃんと見ていてくれたから、できたことだったんですね。」

 

「そうだね。未来予知なんて名前はついているけれど、その正体は『観察眼』なんだ。」

 

「チノは既に、ココアやリゼたちのことをよく理解している。あとは、その細かな変化を見逃さないことだよ。」

 

「頑張ります。」

 

 リンゴジュースを最後の一口まで飲み干して、彼女は再び、街ゆく人々の方へと視線を向けた。すると――。

 

「おや、ココアだ。」

 

 通りの少し離れた場所を、ココアがのんびりと歩いていた。鼻歌でも歌っていそうな、平和そのものの姿。

 ふと、あることを思いつき、僕はチノに質問してみた。

 

「チノ。この後、ココアは何をすると思う?」

 

 チノは少しの間僕を見た後、真剣な眼差しでココアを観察し始めた。

 ココアがこちらに気づき、その顔がパッと明るくなる。その瞬間、チノはにこりと柔らかく笑い――。

 

「――私に向かって、飛びついてきます。」

 

 確信を込めて、そう言い切った。

 その、次の瞬間だった。

 

「チノちゃーん! アキラさーん!」

 

 予言通り――いや、予言以上の勢いで駆け寄ってきたココアが、チノをぎゅっと抱きしめた。驚き、笑い合う二人を眺めながら、僕は冷たくなったコーヒーを飲み干す。

 

 どうやら僕が教えられることは、もうないようだ。

 

 

 




ティッピーの書きどころがわからない件。
次回はリゼちゃん回です。
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