私の王様   作:仁寺野瑛瑠

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刺青人皮争奪戦3 若山編

 

 2人は小樽の街で宿を取り、雪の傷を癒しながら脱獄囚の情報を探った。「小樽へ行け」というのっぺらぼうの伝言に従って、何人かの脱獄囚は同じ街にいるらしいことがわかった。「刺青のことを聞いてきた奴がいる」という話がちらほら聞こえてくるようになったのだ。朗報であったが、同時にそれは向こうもこちらを狙っているという凶報にもなり得るものだった。一度、房太郎は刺青の目撃情報を辿って脱獄囚を追ったことがあった。

 しかし辿り着いたのは、陸軍第七師団が刺青をひとつ手に入れているという情報だった。33人殺しの津山が殺されたらしかった。陸軍の手に渡った刺青人皮を奪うのは、現実的な手段じゃない。

 他の脱獄囚のみならず、陸軍までもが本格的に敵になっているならば、房太郎はそのまま小樽に留まる気になれなかった。刺青を探している人間は遅かれ早かれ小樽に集まる。そうなれば互いの命の奪い合いだ。そんな中に雪を置いておくのは危険すぎた。

 「小樽を出よう」と房太郎が告げると、雪は複雑そうな表情をした。

 

 「私、あなたのお荷物になってしまっている。私をどこかに置いていった方が、あなたは自由に動けるんじゃないかな」

 

 すると房太郎は鬼気迫る勢いで雪の両肩を掴み、悲痛な顔で訴えた。

 

「何言ってるんだよ。俺がお前のそばにいたいんだ。お前は俺と離れても平気なのか? 寂しくないのか?」

「寂しくないと言えば嘘になるけど、房太郎(ふさたろう)の負担になる方が嫌だよ」

「負担だなんて思ってない。お前が遠くに行く方が嫌だ。お前がいなきゃ意味がないだろ」

「でも……」

「お前の仕事のおかげで路銀を稼げてる。お前がいなかったら俺は強盗殺人犯に戻っちまうぞ。なあ雪、頼むからそんな寂しいこと言わないでくれよ。一緒にいてくれ。お前がいない毎日なんて嫌だ」

 

 房太郎は雪の腰にしがみついて、子供のように駄々をこねた。力が強いので、雪が無理やり引き剥がすことはできない。溜息を吐いて、仕方なくその頭を撫でた。

 

「わかったわかった。もう言わない。あなたと旅を続けるよ」

「そうか! わかってくれたならいいんだ」

 

 一度雪が折れると、房太郎はけろっとした顔で機嫌を直した。我儘を言えば押し通れると思っているのだろうか。雪は自分を頼ってくれるのも嬉しかったが、房太郎の調子の良さに呆れた。

 

「でも小樽を出てどこへ行くの? あてがないよ」

「そりゃ他の奴らだって同じだ。小樽以外に何も情報がねえ。あるいは、金塊なんざとっくに諦めて地元に戻ってる奴もいるかもな。二瓶みたいに。場所を変えて探れば何か見えてくるかもしれねえだろ? 北海道にいることに間違いはねえんだから、大丈夫さ」

「ちょっとお気楽すぎるように思えるけど」

「固く考えたってしょうがない。お前の悪い癖だぜ。人生、前向きにいりゃあなんとかなるんだ。そうだ、どうせなら雪が行きたい場所へ行こう。どっか行ってみたい場所はないのか?」

 

 房太郎は雪を元気付けるように、明るい調子で言っていた。その明るさは無謀で危ういものだったが、雪にとっては得難い、羨ましい特性だった。

 

「そうだね。その方が楽しそう。なら東の方に行きたいな。札幌の外には出たことがなかったんだ」

「いいぞその調子だ! ならひとまず夕張あたりを目指そう」

 

 2人はこうして小樽を発ち、気の向くままに旅をした。もちろん刺青人皮を探し求める旅だったが、2人が同じ時間を過ごすための旅でもあった。北海道の大地を並んで歩き、同じものを食べて、同じ景色を見て、同じ場所で眠った。

 雪が望んだ通り、まずは東に向かった。炭鉱の夕張を過ぎ、帯広を通って釧路まで行った。

 釧路の新聞社には雪の文芸仲間がいるらしく、そのツテで雪は詩や散文を寄稿することになった。それで、しばらく釧路に滞在した。房太郎はその間、「雪のヒモ」で通っていた。

 釧路にいる間に日露戦争が勃発し、新聞社は忙しくなった。雪にも仕事が舞い込んできたので、刺青探しは戦争終結までお預けになった。

 そんな中で、雪の読み聞かせも続いた。監獄に入った主人公は地獄を見るが、ある老人に出会って脱獄の準備を始めるのだった。監獄内での話は房太郎には馴染み深いもので、網走での生活を思い出させた。

 そんな生活が続いたある日、新聞社の記者が1人、出張から帰ってきた。その記者は苫小牧の競馬場で八百長があるという噂を辿っていたらしかった。その噂の裏にはヤクザがいるようなので、ひとまず切り上げてきたというのだ。

 その話を聞いて、房太郎はとある囚人を思い出した。

 

「なあ、そのヤクザってもしかして若山の親分じゃないか?」

 

 房太郎の予想は当たっていた。記者のおかげで脱獄囚の1人が札幌にいることがわかった。こうして2人は釧路を発ち、再び西へ向かうことにした。

 

「な! どうにかなるもんだ」

 

 房太郎は上機嫌に雪の手を引いていた。

 

「本当だね。あなたの言った通りになった」

「前向きでいれば運も向いてくるのさ」

「でもヤクザの親分なんてどうやって近付くの? ある意味第七師団よりも危険じゃない?」

「若山の親分に関しちゃ考えがあるんだ。心配ねえよ」

「網走で仲がよかったの?」

「まあ、ある意味な」

 

 若山が男色家であることは、雪には話していない。今回近付く方法もこれしか房太郎には思いついていないが、それでも話す気はなかった。雪にはショックだろうとか、そんなことを話したら雪は止めたがるだろうという言い訳が浮かんでいた。建前はそれだったが、心のどこかには、目を背けたい感情があった。それが、羞恥なのか、卑怯なのか、情けなさなのかは、房太郎自身にもよくわからなかった。

 

「雪、少し別行動を取ろう。若山に会うのは俺1人の方が都合がいい」

「それは構わないけど……珍しいね。私と離れるのは嫌だって、あんなに駄々をこねたのに」

「そりゃあ離れるのは嫌だぜ? でもほんの少しだけだ。刺青を手に入れたらすぐ合流する」

 

 雪は房太郎の真意を考えた。ヤクザの敵意を向けられないように、自分を遠ざけようとしている。あるいは、自分に隠れて殺しの手段を取ろうとしている。いずれにしても房太郎が不自然に隠し事をしたことがわかったので、雪は率直に疑問をぶつけた。

 

「何か、私に言えないことがあるの?」

「……ないよ。お前には安全な場所にいてほしいだけだ」

 

 房太郎はいつも通りに笑っていた。そう言われてしまうと、雪は言い返せる立場にない。房太郎はこういう言い回しが上手かった。嘘と本音を混ざり合わせた言い回しが。

 結局雪は房太郎の言葉に従って、故郷の町を散策して時間を潰すことにした。

 町の喫茶店で休んでいると、日高のとある牧場の主はアメリカ人らしいという話が聞こえてきた。なんでもそのアメリカ人は日本の珍しい品々に執着していて、陸軍の武器やアイヌの工芸品、衣類、珍しい本なんかを集めているらしい。

 珍しい本と聞いて、雪は見逃すわけにはいかなかった。アメリカ人が持つ本ならば、よっぽど貴重なものかもしれない。著名な古書の初版か、あるいは幻と謳われる文豪の遺作かもしれない。房太郎が戻ってきたら、その牧場に行ってみよう。

 ひとしきり散策を終えてからは、本を読んだり執筆を進めたりして時間を潰した。夜に宿近くの酒場で食事していると、1人の男に声をかけられた。

 

「あんた、昼間に長髪の大男と一緒にいたよね。知り合いかい?」

 

 男は頬を下に引っ張ったような面長で、頭に丸い帽子を被せていた。一見すると普通の中年だったが、目が落ち窪んで黒ずんでおり、どこか遠くを見ているように視線を彷徨わせている。雪に話しかけながらも、雪のことはまるで見ていなかった。その目つきがどこか不気味だったので、雪は警戒心を抱いた。

 

「どうしてそんなこと聞くんだい?」

 

 否定も肯定もせず、食後の茶を啜りながら答えると、その男は深く黒い目をさらに暗くした。かと思えば拳を握りしめて、わなわなと震え始めた。雪はますます不審感を抱き、横目で出口を確認した。

 

「親分があの男と浮気してるんだッ! 男娼のくせに女なんて連れやがってッ! 殺してやりたい!」

 

 急に男が大声を出したので、店内がしんと静まり返った。雪も言葉を奪われた。しかしそれは大声に驚いたのではなく、言葉の意味を理解するのが遅れたからだった。

 

「男娼って、何? 何の話をしているんだ」

「昼間あんたと一緒にいた男だよ! 今頃親分と……ああ……おやぶぅん……」

 

 男は雪の足元に膝をついて項垂れた。

 雪は事を理解するのに精一杯で、男の様子は目に入らなかった。

 男娼。親分。昼間一緒にいた。男娼。浮気。若山。接触。別行動を取った理由。房太郎の隠し事。

 ぐるぐると情報が頭を駆け巡ったあと、ひとつの結論を導き出して、やっと足元の男の肩を揺さぶった。

 

「長髪で長身の男だね? 顎に髭があって眉毛が太くて、指の間の皮膚が水かきみたいになってる?」

「そ、そこまでは知らない……昼間あんたと一緒にいたのは確かに見た」

「あんたの親分のところに案内して。私はその男娼の妻だ。親分との浮気を止められるかもしれない」

 

 男は顔を上げた。そこでやっと雪の顔を見たようだった。

 

「あいつ、世帯持ちだったのか! 許せないッ! 行こう奥さん! あんたの旦那こらしめてやろう!」

 

 雪は仲沢と名乗ったその男と共に、ヤクザの本拠地に向かった。

 一方で房太郎は、ヤクザの足取りを追って、夜になったら男娼のふりをして潜り込んだ。

 寝屋に入ると扉の裏で若山を待ち構えて、人が入ってくるなりその首を締めた。すぐに締め落として床に転がし、服を脱がせた。しかしその体に刺青がないことに気付いたところで、部屋の中にぞろぞろと人がなだれ込んできた。その中心には若山がいた。

 

「俺の刺青を狙って来たんだろう? 無駄足だったな」

「なんだよわかってたのか」

「お前の風貌を聞いてピンときた。お前みたいな男はそうそういねえからな」

 

 ヤクザに囲まれた房太郎は反撃の機会を奪われ、仕方なく部屋の中央に敷かれていた布団に腰を下ろした。両手を上げて、無抵抗をアピールする。

 

「ミイラ取りがミイラになっちまった」

 

 若山は房太郎をじっと見下ろして、「脱げ」と一言告げた。寝屋へ入る前に持ち物と服を取られ、男娼用の襦袢1枚しか着ていなかったので、房太郎は全裸になった。

 

「あんたも俺の刺青が欲しいんだろ? それなら写しを取るだけで勘弁しちゃくれねえか。俺もあんたを殺すつもりはなかったんだよ」

「殺気丸出しでよく言うぜ」

 

 若山はフンと鼻を鳴らした。親分がわずかに身動きを取るたびに、周りの子分達が腰の獲物に手を触れる。四方を囲まれていて、逃げ場は見つからなかった。さてどうやって逃げ出そうかと房太郎が頭を回していたとき、突然誰かが部屋の中に入って来た。

 

「おやぶぅん! そいつの奥さんだって人を連れてきたよ! そんな奴と浮気なんかしないでよぉ!」

 

 帽子を被った中年の男と、女が1人飛び込んできた。その女はよく見覚えのある顔をしていたので、房太郎は目を疑った。若山も同じだったらしく、ぎょっとして叫んでいた。

 

「あ!? お前、何してんだ! いねえと思ってたら!」

「親分の浮気現場なんて見たくないから外に出てたんだよぅ! そしたらこの人に会って……」

 

 雪は仲沢を押しのけて、部屋の中央に躍り出た。房太郎が身包みを剥がされてヤクザに囲まれているのを見つけると、息を呑んでその体を庇うように抱きしめた。

 

「お願いこの人を殺さないで」

 

 若山は仲沢を責め立てていたが、雪が必死な声で懇願するとその姿を見下ろした。

 雪は仲沢の後を追いかけて走ってきたせいで、髪は乱れて息は上がり、着物も着崩れていた。年若い女がヤクザの群れの中に飛び込んできて、夫を守ろうとしているらしい。逞しいが、無謀で儚くもある。それに絆されたからというわけではないが、若山は雪に向かって告げた。

 

「最初っから殺すつもりはねえよ。刺青にも興味がねえ」

「へえ? ずいぶん懐が大きいんだな。それで油断させたところを殺して皮を剥がそうってのか?」

「んな回りくどいことも考えちゃいねえよ。刺青の皮なんざ集めても意味がねえんだ」

「あ? どういう意味だよ」

 

 若山はどこか遠い目をした。

 

「暗号が解けねえからさ」

 

 どこかの海で溺れ死んで魚のエサになるかも知れねえし、山奥でヒグマに食われるかも知れない。あるいは……変な野郎がふざけて台無しにするかも知れない。

 若山はそう告げると、子分達を引き連れて部屋を出て行った。去り際、「嫁さんもらったんなら大人しく生きろ」と捨て台詞を吐き、仲沢は最後まで房太郎を恨めしく睨みつけていた。

 あとは好きにしろということらしい。取り残された2人は、きょとんとして顔を見合わせた。

 

「お前なんでここにいるんだよ?」

 

 雪はまだ息が上がっていた。房太郎の声を聞いてやっと呼吸が落ち着いてきて、脱力してその首元に顔を擦り寄せた。体は震えていた。房太郎は雪の華奢な背中を叩いて宥めすかした。

 

「心配になって、連れてきてもらったんだ。あのヤクザに……あなたが男娼で、若山と浮気してるとかわめいていて……私、本当に心配で……」

 

 雪は声も震えていた。房太郎はこんなに取り乱している雪を見たことがなかった。はだけた羽織を直してやりながら、頭を撫でた。

 

「助けに来てくれたのか。ほらもう大丈夫だ。なんとかなった」

「殺される寸前だっただろ!」

「でも親分、殺す気はなかったって言ってたぜ? よかったじゃねえか」

「結果がそうなっただけじゃないか!」

 

 雪は涙ぐんでいた。それに気付くと、顔を背けて目元を手で隠した。泣いている顔は見られたくないようだ。

 対照的に、房太郎はとても冷めた顔をしていた。この場に全く動じておらず、普段と様子が変わらない。雪はそれがいっそう悲しくて、込み上げてくるものが抑えられなかった。だが、ここでわめいても仕方がないと思えてしまう人間だった。涙と嗚咽を堪えて、声を絞り出した。

 

「とりあえず早く服を着て。帰ろう」

「そういや親分、殺す気がないならなんで俺を脱がせたんだろうな? てっきり皮を剥がされるんだと思ったぜ」

「色男の裸だけでも見ておきたかったんだろ」

「ええ〜? 雪、俺のこと色男だって思ってくれてたのかよ?」

 

 今度は房太郎が雪を抱きとめて頬擦りした。雪は彼の呑気な態度に苛立って、よっぽどその横っ面を引っ叩いてやろうかと思ったほどだった。

 

「せっかくだからここで少し休んでいこうか?」

「さっさと出て行け!!」

 

 房太郎がわざとらしく艶っぽい声で囁くと、部屋の外から怒鳴り声が飛んできた。2人は追い出されるようにして帰路に着くことになった。

 雪は不機嫌な態度だったが、房太郎の腕を掴んで離さなかった。房太郎は雪の仏頂面な横顔を見下ろして、さっきよりは真面目くさく声をかけた。

 

「俺に失望した? あんなことしてる奴だって知って」

 

 雪は房太郎の袖を掴む手にぎゅっと力を込めた。

 

「違う。失望じゃない。でも、なんというか……複雑な気分だよ。なんて言ったらいいのかな……」

 

 雪は言葉を探しているようだった。視線を宙に彷徨わせて、頭の中を探すように手を当てていた。

 

「想像してみて。私があなたに黙って娼婦になって、知らない女と裸で寝ていたらどう?」

 

 房太郎は言われた通りの光景を思い浮かべて、思ったことをそのまま口にした。

 

「その中に混ざりたいって思うかな」

 

 雪は顔をしかめた。房太郎は笑いながらその頭を撫でた。

 

「わかってるよ。お前の言いたい事はなんとなくわかる。俺の事、汚らわしいとか気持ち悪いとか思うんだろ?」

「違うよ。そんなんじゃない。男色家なんて古今東西いつの時代にだっているんだから。体を売る事も立派に金を稼ぐ手段だ。私が言いたいのは、あなたが私に黙ってそんな手段を取ったということだよ」

「言ったらお前止めてたろ?」

「当然」

「じゃあやっぱり、よくない方法だって思ってるんじゃないか」

「ヤクザの中に1人で飛び込むんだからよくないに決まってるだろ! 何をされるかわからない。殺されてもおかしくなかったんだ。それに……」

 

 雪はそこで言い淀んで、顔を背けた。相変わらず表情が晴れなくて、ずっと眉間にしわが寄っている。口でどう取り繕うとも、その態度を見れば明らかだった。房太郎は雪の言い訳を信じていなかった。口では薄ら笑いを浮かべても、房太郎の目は冷ややかだった。雪とはここまでかもしれないとすら思った。房太郎はどこへだって雪と共に行きたかったが、雪はもう自分の隣を歩きたがらないと思った。

 当の雪はといえば、顔を背けた先でまたその顔を覆って、深く息を吸い込んで、はあーっと吐いていた。

 

「言いにくいか? 俺のことは気にすんなよ。正直に言ってくれ」

「待って……言葉にするのが難しいんだ。私は今すごく動揺してる。ヤクザの親分に嫉妬する日が来ようなんて思わなかったから」

 

 予想だにしない言葉が返ってきた。房太郎は意味を理解することができず、薄ら笑いのまま硬直した。

 雪は顔を背けたままだった。手で隠していたが、よく見ると耳まで真っ赤になっていることがわかった。その赤面が、ここまで取り乱す理由を物語っていた。どうやら自分は意味のない勘違いをしていたらしいと悟った房太郎は、真っ赤に染まった雪の頬に手を当てた。熱かった。

 

「妬いたって?」

「……そうだよ。妬いてんの」

「おいおい、相手はオッサンだぜ?」

「だから複雑なんじゃないか。自分でも驚いてる。……でも腹が立つんだよ。房太郎(ふさたろう)が男前だからって、あんな……」

「俺って男前?」

「男前だよ」

 

 雪は火照った顔のまま房太郎を見上げて、はっきりと言った。淵の大きな目がまだ少し潤んでいて、普段より感情的だった。白い手を伸ばして、今度は彼女が房太郎の頬に触れた。

 

「目元が凛々しくて、睫毛が長くて、髪が綺麗で、背が高くて、逞しくて、手のひらが大きくて、口元にも色気があって……」

 

 房太郎と違って、雪は嘘を言わなかった。隠し事が多いが、そこが房太郎といちばん違うところだった。それを知っている房太郎は、自分が今小っ恥ずかしいほど褒められていることに気付いてしまった。

 どんなに口説き文句を吐いても全く靡かない雪が、逆にこっちを口説いているらしい。気があるような態度を取るのは初めてだったから、房太郎は舞い上がるような気分になった。純粋に、雪が自分を好意的に思ってくれているのが嬉しかった。

 

「お前がそんなに俺の事好きだったなんて、知らなかったよ」

 

 自分の頬を撫でる華奢な手を取って、手のひらで包んだ。

 

「好きじゃなかったら、1年も一緒にいないよ」

「嬉しいなあ。キスしてもいい?」

「それとこれとは別」

「ええ〜なんでだよぉ〜」

 

 ふいっと雪が顔を逸らしたので、房太郎は彼女の肩から腕を垂らして、捕まえるようにその体を包んだ。やっぱり雪は靡かない。

 

「俺の事好きなんだろぉ〜? いいじゃねえかちょっとくらい」

「だから、別なんだよ。私にとっては」

「じゃあなんで若山なんかに妬いたんだよ」

「それは……」

 

 雪は宙に視線を彷徨わせた。

 

「……わからない。自分でもよくわからないんだ。私にとって好意と性欲は別物なんだけれど、じゃあなんであの場面を見て妬ましく思ったんだろう。あなたと若山の間に愛情なんてないことはわかってるのに。身体の関係そのものを羨んでいるつもりはないんだ。じゃあ何が私は不快だったのだろう……」

 

 ぶつぶつと、ほとんど独り言のように語り始めた。思考をまとめるための癖なのか、たまに雪はこうなることがあった。房太郎は彼女の思考を全て理解しているわけではない。今回も結局彼女が何に思い悩んでいるのかわからなかった。彼女のように難しい事を考えるのは得意じゃない。

 

「あーあー、あんま深く考えんな! 要するに、俺がお前以外の誰かとよろしくするのは気に食わねえってことだろ? 普通のことだ。それだけ俺の事が好きなんだろ。それでいいじゃねえか」

「でも私、あなたとよろしくしたいとは思ってないよ? それなのにあなたの行動を制限したがるのって、すごく我儘じゃない?」

「あれ、お前さっきからそういう我儘言いたいんだと思ったけど、違った?」

 

 雪はショックを受けたようだった。

 

「私……面倒な女じゃないか」

「そういう女がかわいいんじゃねえか。お前の我儘聞けるなんて嬉しいね」

「本当に?」

「本当にだよ」

 

 2人は語り合いながら宿に帰った。部屋に戻って寝る支度をしている間中、雪はそわそわしていた。わざわざ布団をくっつけて、心配そうに聞いてきた。

 

「一緒に、眠ろうか?」

 

 さっきの会話を気にしているらしかった。機会があるなら是非にでもそうしたいのが房太郎の本音だった。だがそれよりも、わずかに緊張してこちらの様子を伺う雪の態度がいじらしくて、つい甘やかしたい気持ちが勝った。

 

「無理すんなよ。苦手なんだろ? そういうの」

「……まあ、得意とは言えないね」

「隣で寝てくれるだけで十分だ」

 

 雪はまだ落ち着かない様子だったが、大人しく布団に入った。房太郎も隣の布団に入った。2人はどことなく気まずくて、互いに背を向けていた。

 

「……なぁ、俺に抱かれるのは、そんなに怖いか?」

 

 沈黙に包まれた部屋の中で、房太郎が尋ねた。数秒間を置いて、雪の返事が返ってきた。

 

「そういうことにはあまり、いい思い出がないんだ」

 

 房太郎は雪を振り返った。驚いたからだ。てっきり生娘だから怖がっているのだろうと思っていた。つまり過去に、雪を抱いた男がいて、そいつはたぶん今もどこかで息をしているということか。しかもそいつは雪に何らかの辛い思い出を刻んで、房太郎との関係に踏み出せない呪いをかけたわけだ。

 房太郎は、顔もわからないその男の存在に激しく嫉妬した。

 

「その世界一の幸せ者は今どこにいるんだ?」

「さあね。別れてから会ってない。この札幌のどこかにいるんじゃないかな」

「道のどこかですれ違ってたかもしれねえってわけか」

 

 雪は、房太郎の声がやけに怒気を孕んでいることに気付いて、彼を振り返った。彼はいつの間にか起き上がっていて、黙って虚空を睨みつけていた。

 

「馬鹿なこと考えてないよね?」

 

 心配になって声をかけた。房太郎は雪に向かって薄ら微笑んだが、全く安心のできる顔ではなかった。

 

「今はもう何にもないんだよ。気にしたって仕方ないよ」

「そいつのおかげで俺がお前を抱けないんなら大いに関係あるだろ」

「……違う、違うんだよ」

 

 雪は泣きそうな声だった。俯いて、また言葉を探しているようだった。

 

「私、あなたに言わなければならないことがある」

 

 そう言って顔を上げた彼女は、悲痛な表情だった。そこには、「昔の男」という事情を超えた何かがあるように思われた。房太郎は黙って彼女の言葉を待った。しかし彼女は喉の奥がつっかえたかのように口をぱくぱくさせるばかりで、いくら待っても続きが出て来なかった。とうとう雪は崩れるように項垂れた。房太郎はその震える肩を抱きしめた。

 

「いいよ。話す気になったら話してくれ。俺がお前のそばにいたいのは変わらねえから。今日はもう眠ろう」

「……ありがとう」

 

 雪は房太郎の胸に体を預けて、か細い声で名前で呟いた。

 

「だけどさっきの話で傷ついたから今日はくっついて眠る」

 

 そう言って、房太郎は雪を抱いたまま布団に戻った。雪は抵抗しなかった。むしろ腕の中が心地よくて、ずっとそこにいたいとさえ思っていた。

 2人は朝まで抱き合っていた。

 

 刺青人皮争奪戦3-2 エディー編

 札幌での夜を明かした後は、2人は日高に向かうことにした。雪が聞いたアメリカ人牧場主の話して、行ってみたいと言ったのだ。雪の望みを拒む理由などない。房太郎はすぐに賛成した。

 札幌を出て南に向かい、苫小牧を通って日高に向かった。道中、2人はいつも通りに振る舞った。昨夜のことなど何もなかったかのように。だが2人の間の信頼と愛情は、確実に深まっているのだった。

 

「若山が言ってた事を考えてたんだけどさあ、一理あると思うんだよ」

「暗号が解けないって話?」

「ああ。考えてみりゃあ、全員の刺青がそっくり無事でいられるってわけでもねえんだよな。あいつも、無事じゃない刺青を見ちまったからあんなこと言ったんじゃねえか?」

「房太郎も、刺青集めは無駄だって思ったの?」

「まるっきり無駄じゃねえだろうが、望みが薄くなったのは事実だな。だから別の方法を考えたんだ」

「どんな?」

「のっぺらぼうは支笏湖で転覆して捕まったんだ。そのときに金塊を持ち出していて、その重みで沈んだんじゃねえかって思う。なら、湖を探せば少しは砂金が見つかるんじゃねえかな」

「ちょっと無謀なんじゃない? あなただからできる技だけど、そこで見つけた砂金なんて一粒あれば奇跡みたいなものだよ」

「そうだよなあ……」

 

 歩きながら、2人は今後のことを話し合った。昨夜のことはあまり思い出したくないことというのが2人の認識だったが、若山のあの発言だけは無視できなかった。だから房太郎はこう考えていたのだが、さすがに現実的ではなかった。

 結局、そのときはいい方法が思いつかず、あれこれ話し合っているうちに日高まで辿り着いた。さらに日高で話を聞いて、エディー・ダンというアメリカ人が経営する牧場を見つけた。

 エディーの屋敷は西洋風の豪邸で、中に入ると多様な調度品が飾られていた。美術品、動物の剥製、鉄道模型、アイヌの工芸品。家具も動物の毛皮がふんだんに使われていて、「物」に金をかける人間であることがすぐにわかった。

 突然の訪問であったが、エディーは2人を受け入れてくれた。彼は珍しい物が好きだと宣言して、女流作家である東雲雪を「珍しい」と言って気に入ったらしかった。

 

「あなたが珍しい本を持っていると聞いて来たんです。拝見することはできますか?」

「本?……ああ、あれのことかな。たぶん、作家が気にいるような物じゃないと思うがね。持ってこよう」

 

 そう言ってエディーが取り出してきた本は、たしかに珍しかった。装丁に人間の顔の皮膚が貼ってあったのだ。予想と違ったので、雪は肩透かしを喰らった気分でその本を見つめていた。

 

「たぶん、期待していたものではなかったろう?」

「ええ……はい……てっきり貴重な蔵書かと思いまして……」

 

 エディーは声を上げて笑った。

 

「だが面白くはあるだろう? 他にも面白い品を集めているから、まあゆっくりしていきなさい」

「雪ー! 見ろよこれ、面白い武器がたくさんあるぞ!」

 

 房太郎は言われるまでもなく屋敷の中を探索してはしゃいでいた。エディーの興味は陸軍、海軍の武器にも注がれているらしい。拳銃各種や機関銃まで保管してあって、房太郎はそれらをいたく気に入っていた。

 

「エディーさんあんた面白い趣味してるなあ! もっとないのか? 見せてくれよ!」

「わかるかね! 友達にもらった試作品があるんだが……」

 

 2人は意気投合して、エディーの収集品をあれやこれやと取り出しては見せびらかし、歓声を上げて盛り上がっていた。雪は2人ほど武器の収集に興味が湧くことはなかったが、房太郎が喜んでいるのを見るのは楽しかった。

 中でも房太郎はエディーの自動車を気に入って、運転の仕方を教わって長いこと乗り回していた。雪は上手く運転できなかったから、房太郎の隣に座って、彼が運転するのを眺めた。風に髪を靡かせて車を走らせる房太郎は、爽やかで開放感があって、魅力的だった。

 

「外の眺めより、俺の顔の方が好きか?」

「うん。かっこいいよ、房太郎(ふさたろう)

 

 房太郎は横目で雪を見た。彼女は牧場の風景には目もくれず、じっと房太郎を見つめていた。彼女のそんな視線を受けるのは、悪い気分ではない。

 

「雪は正直だな」

「そこが私のいいところだろ?」

「違いない」

 

 夜はエディーの屋敷でもてなしを受けた。房太郎のエディーの2人は、ずっと収集品の話で盛り上がっていた。2人の話を聞きながら、雪はアメリカから仕入れたらしい洋酒を飲んでいた。

 

「物には産みの親や生まれ故郷の顔が出るのだよ。素材や形にね。それが収集の面白さのひとつだ」

 

 酒が入って上機嫌になったエディーは雄弁に語っていた。その最中での発言が、雪は何か気になった。何かに繋がりそうな手がかりが見えた気がしたのだ。

 エディーが用意してくれた客室に入ってから、雪は房太郎に話してみた。

 

「ねえ、のっぺらぼうは金塊を運んでいる途中で捕まったんだよね。20貫。そんな大量の金塊を1人で運べるものか?」

「少しずつ時間をかけて運んだんだろ。泥棒すんのも根気がいるんだぜ?」

「それを運んでる途中で沈んだんだろ? それならまだ、残りはもとのアイヌの隠し場所にあるままなんじゃないか?」

「たしかに……その可能性はある。だけどその場所こそわかんねえだろ。のっぺらぼうみてえに暗号を残してくれてるわけじゃねえからな」

「ゴールドラッシュの時代は北海道のあちこちの川で砂金が取れたらしい。アイヌだって、そうやって各地から集めたものを隠したんだろう。……房太郎(ふさたろう)、やっぱり、支笏湖を探してみるというのはひとつの手かもしれない」

「どういうことだよ? 俺にもわかるように説明してくれ」

「砂金というのは、取れた川ごとに特徴があるらしい。手練れの砂金掘り師なら、砂金を見ただけで産地がわかるほどだという。なら支笏湖で砂金を見つけて鑑定してもらえば、アイヌが過去にどの川から砂金を集めたのかわかるんじゃないか?」

「おお……まぁその話はわかる。でもそれを結局どこに隠したのかがわからねえんじゃねえか。そのとき生きてたアイヌなんか、もう爺さんばかりだろ。生きてるとも限らねえ」

「それだよ。隠し場所を知ってるアイヌ、もう生きている人は少ないだろうけど、住む場所を変えているとは考えにくいんじゃないか? つまり砂金が取れた川の近くにまだいるかもしれない。砂金を鑑定すれば、彼らがどこに住んでいるかわかるかもしれない!」

 

 房太郎は、やっと雪が意図したことを理解した。その可能性は大いにあった。興奮して、房太郎は雪の両肩を強かに掴んだ。

 

「そのアイヌに金塊の隠し場所を聞き出せばいい! 支笏湖の砂金なんて、探せるのは俺くらいだ。これは俺達が他の連中を出し抜く唯一のチャンスだ! すごいぞ雪! お前は天才だ!」

「支笏湖の砂金を探すことの無謀さは、変わらないけどね。刺青に可能性がないのなら、方法はこれしかない」

「それなら行こう、雪! 支笏湖に!」

 

 2人は、こうして次の目標に辿り着いたのだった。

 

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