支笏湖で砂金を取ることはいいが、肝心の鑑別が問題だった。2人にはもちろんそんな知識がない。だから、まずは腕のいい砂金掘り師を探すことにした。
砂金掘り師を探すには、砂金の取れる川に行くのがいちばんだろう。それで、2人は雨竜町を訪れていた。
「ここで1日に50円稼いだ男がいると聞いたことがある。本人に会えたらいちばんだね」
「50円も!? へぇ〜夢があるなあ。お、早速砂金取ってる奴がいるじゃねえか。……あ? あいつは……」
川沿いを歩いていると、川に入って腰を屈めている男を見つけた。箱のようなものを川につけて中を覗いている。川の中に集中しているらしく、周囲の様子には気付いていないようだ。その男が顔を上げて腰を伸ばした時に、房太郎は何かに気付いたかのように声を上げた。
「こいつは運が良いのか悪いのか……雪はここで待ってろ。あいつと話してくる」
そう言うと房太郎は背負っていた荷物を地面に置いて、ざぶざぶと川の中に入って行った。彼の言葉はいまいち飲み込めなかったが、雪は言われた通りそこで待っていた。
房太郎は砂金掘りの男に近付くと、いきなりその首根っこを掴んで引き寄せた。男が悲鳴を上げるのが聞こえた。房太郎は一言二言何か言ったように見えた。そして、首根っこを掴んだまま引き摺るようにして戻ってきた。男は逃れようとして暴れていた。
「雪、砂金の鑑別はこいつにやってもらうことになった」
「待ってください! まだやるなんて言ってませんよ! いきなりなんなんですか!」
「うるせえなあ。暴れたら殺すって言ったろ? あ、この女に手出しても殺すからな」
「
「こいつも脱獄囚なんだよ。事情知ってるしちょうどいいだろ?」
松田平太は、こうして2人の旅路に加わることになった。
房太郎が脅して連れて来たので、平太は初め同行を嫌がっていた。それを房太郎が引き摺るようにして、支笏湖へ出発した。雨竜町を出る頃には抵抗を諦めたのか、大人しく着いてくるようになった。
平太は奇妙な人間だった。風呂敷に包んだヒグマの毛皮を大事そうに持ち運んでいたのだが、それはまだいい。奇妙なのは、時々、突然何かに気付いたようにそのヒグマの毛皮を怖がるのだ。その度に、「ヒグマが近くにいる」「追いかけてくる」と言って怯えていた。さらに奇妙なのは、口調が頻繁に変わることだった。丁寧な敬語で話す時、高圧的に話す時、穏やかな老人のように語る時、女性のように話す時があった。そして口調が変わる度に、別の口調の時の記憶を失くしているらしい。まるで平太という1人の人間の中に複数の人間が同居していて、入れ替わり立ち替わりにその体を借りて現れているかのようだった。
雪はそんな症状を題材にしたイギリスの小説を思い出していた。精神医学に明るいわけではないが、そういう病気が存在していることは知っていた。夢遊病とかヒステリーとか呼ばれることもあって、原因や治療法は明らかにされていない。平太は不幸にも不治の病にかかったらしいとわかって、雪は彼を哀れに思った。
道中で雪は平太の話を注意深く聞いていた。どうやら彼の中には、「平太」の他に、「嵩さん」「次郎」「親父」「ノリ子」がいるらしかった。察するに「親父」は言葉通り平太の父親で、「嵩さん」と「次郎」は平太の兄、「ノリ子」は「嵩さん」の婚約者か妻で、平太の義姉だった。
「親父」と「平太」は親切だが、「嵩さん」と「次郎」は突然現れて自分を連れて行く房太郎と雪に不信を抱いているようだった。「ノリ子」は人懐こい年頃の娘といった様子で、房太郎にちょっかいをかけたり、雪には房太郎との関係を聞いてからかったりしていた。こんなに近くで症例を見れることなどないので、雪は積極的に話しかけて、会話の内容を書き留めていた。
「こいつは網走にいたときからおかしかったんだ。雪、あんまり近付くなよ。いつ凶暴になるかわからねえ」
雪が平太と話していると、房太郎は間に入るようにして忠告した。
「あら、女同士の話に割り込んでくるなんて野暮ねえ」
そのときは「ノリ子」と話していた。「ノリ子」は会話を遮られると、拗ねたようにそっぽを向いた。
房太郎は雪の肩を抱いて平太から離れると、彼に聞かれないように耳打ちした。
「前に話しただろ。こいつはただの人殺しじゃなくて、自分が殺した人間を食ってた奴だぞ。あんまり気を許すなよ」
「わかってるよ。貴重な機会だから、興味深くてさ」
雪は房太郎の肩越しに平太の様子を伺った。今度は「嵩さん」が出て来ているらしく、「ノリ子」と何か話していた。
「彼の別の人格は、たぶん家族だろ? でも今は存在している気配がない。たぶんどこかで失って、今は孤独なんだろう。そのせいで心が壊れてしまったんじゃないかな。人を殺して食ったのも……」
「……ふーん。やけにあいつに優しいんだな」
「あなたに似ているところがあったから」
「俺とあいつがぁ? どのへんが似てるんだよ?」
房太郎は心底嫌そうな顔をした。安心させるようにその胸に頭を預けて、寄り添った。
「家族を失うのは、辛いことだよ」
雪の言わんとすることがわかったのか、房太郎はそれから少しだけ平太への当たりが優しくなった。差があるのかわからないくらい、ほんの少しだけだったが。
ある夜、森で野宿をして火を囲んでいた時、平太はぽつぽつと自分の事を語り出した。ヒグマがずっと自分の周りにいて、家族をひとりひとり食い殺していく。最後には自分が食われて、平太自身がヒグマになる。ヒグマになると誰かを殺しにいく。人を殺すと自分の体はバラバラになって飛び散り、元に戻る。それを何度も何度も繰り返す。
「私は監房に閉じ込められておいた方がいい人間なんです。何度捨てても、この毛皮がいつのまにか近く戻って来ている。ウェンカムイが私を乗っ取ろうとしているんです。いつかあなた方も襲うかもしれない……」
「ウェンカムイって?」
房太郎は雪に尋ねた。
「アイヌの言葉だ。アイヌにとって貴重な食料である熊は
「ほんの出来心だった……ほんの少しだけ、家族に罰を与えてほしかっただけなんです。私がいくら必死になって砂金を集めてもすぐに散財してしまうのが、耐えられなかった。だからヒグマの食い残しを置いてみただけで……そしたら……みんなが……最後には私が罰を受けるんです……」
平太が持つ毛皮は、無論平太自身が大切に持ち歩いているのだった。誰も捨てたことなんてない。幻覚のヒグマに怯えているらしかった。平太が人を殺して、わざわざ食っているのも、ヒグマに取り憑かれたせいなのだとこのときわかった。
平太の様子からして、まだ家族は誰も食われていないようだった。襲い掛かられる前に、支笏湖で事を済ませなければならないと房太郎は思った。
雨竜町を発って数日歩き、支笏湖に辿り着いた。寒い季節だったが、小舟を平太に漕がせて湖に出た。
「まさか、砂金てここで取る気だったんですか? もっと暖かくなってからにしたらどうですか? 死にますよ?」
「誰かに先を越されるだろ」
「こんな水深じゃ潜水夫だって無理ですよ」
支笏湖は北海道でいちばん水深が深い。平太の言うことはもっともだった。だが、それも房太郎ならば問題がない。湖の真ん中あたりに着いたところで、房太郎は立ち上がった。
「ひとまず潜ってみる。35分過ぎたら縄を引き上げてくれ」
雪は足に結んだ房太郎の命綱を握っていた。房太郎は平太に聞こえないように彼女に耳打ちした。
「こいつがおかしくなったら、すぐに縄を引き上げるか湖に飛び込め。いいな?」
「うん。
「ああ」
房太郎は雪の髪に軽く口付けをしてから、服を脱いだ。北海道の冷たい空気が突き刺すように襲いかかるが、体が固まる前に腹の底まで息を吸い込んだ。限界まで空気を溜め込んでから、水の中に飛び込む。また痛いほどの冷たさが全身を襲った。だが水中は慣れている。得意の泳ぎで、どんどん潜っていった。
舟の上では雪が火鉢を温めていた。房太郎が上がってくるまでの間は平太と2人きりになる。ある意味では2人ではないのだが。
本を開いて暇を潰しながらも、雪は平太の様子を注意深く観察していた。
「35分って言ったか? 聞き間違いじゃないよな?」
これはたぶん「嵩さん」か「次郎」だった。
「本当にこんなところで砂金なんて取れるものかねえ。雪さん、あんたの旦那、本気なのかい?」
これは「親父」。息子よりも穏やかな口調になる。房太郎と雪を夫婦と認識しているらしかった。
「
「信じられねえなあ。ったくなんでこんなことに付き合わにゃならねえんだ」
これは「嵩さん」。いちばん口調が荒くて、2人に対する不信が強い。
「砂金を鑑別できるのはあなただけだから。鑑別が終わったらすぐに解放するよ」
「雪ちゃんてば、どうしてあんな男と一緒にいるの? あたし、あなた達の馴れ初めが知りたいわ」
これは「ノリ子」。女の口調なのでいちばんわかりやすい。雪のことを気に入っているのか、馴れ馴れしく話しかけてくることが多かった。「ノリ子」は特段害もなかったので、雪も女友達に対するような気やすさで相手していた。
「
「家臣なのぉ? 奥さんじゃないの?」
「……違うよ」
雪はまだ、「家族になろう」という房太郎の誘いを受け入れることができていなかった。話さなければならないことも、話せていない。すでに1年以上共に過ごしているのに。後ろめたさを感じているのは事実だったが、それ以上に、恐怖があった。秘密を打ち明けたとき、彼がどんな反応をするのか。なんとなくわかるから、怖くて、話すことができずにいた。
「え、30分を超えた!」
雪が押し黙っているうちに、時間が経っていたらしい。手元の懐中時計を見て、平太が声を上げた。これはたぶん平太本人だろう。
さすがに30分も水の中にいたのでは、体が凍えているはずだ。雪は命綱を握り直して、火鉢で温めていた毛布を用意した。
「さすがにもう死んでるでしょ。逃げちゃおうよ」
「そんなことないから、引き揚げる準備をして」
そうしているうちに、房太郎が水の中から顔を出した。彼を引き揚げて、すぐに毛布を被せた。やはり身体中が震えている。
「ああ〜さみぃさみぃ。さすがに見つからねえな」
房太郎は毛布を身体に巻き付けて、火鉢のそばにしゃがみ込んだ。
「
雪がそう言って両手を差し出すと、房太郎はその手を握って胸の中に引き込んだ。
「おお〜本当だ。あったけえ。水ん中にいると凍っちまいそうだぜ」
「見つかりそう?」
「全然何にも無ぇ。せめてどのあたりで沈んだのかわかればなあ……」
「本当に夫婦じゃないのぉ? そんなに仲良しなのに?」
これは「ノリ子」だ。二人羽織でもするかのようにくっついている2人を見て、不思議そうに首を傾げている。「夫婦」という言葉が気に入ったらしく、房太郎は上機嫌に笑った。
「今はそうじゃねえってだけだ。そのうち夫婦になる。今もほとんど夫婦みてえなもんだけどな」
「ふーん……? よくわかんないわ」
「お前にゃわかんなくていいんだよ。俺達2人の問題だもんなあ? 雪」
房太郎は雪の両手を包んで顔を擦り寄せた。豊かな髪が濡れていて冷たい。雪は房太郎の言葉には答えず、冷え切った手をさすってやった。
「ほら、次はどのへんに行くんだ? 早くしねえとすぐ日が暮れちまうぞ」
舟を漕ぎながら声をかけてきたのは、「嵩さん」だった。
もう少し舟を進めたところに止めさせて、房太郎は再び服を脱ぎ、湖に潜っていった。それを何度か繰り返しているうちに、あっという間に日が暮れた。
「今日はそろそろ終わりにしよう。これ以上は
最後の方には、房太郎は身体中震えて顔は真っ青になっていた。可哀想に思って、雪はぴったりとくっついて房太郎を温めながら舟を降りた。
「これを毎日続けるんですか? その前に海賊さんが死んでしまいますよ」
舟を片付けながら平太が言った。雪もそう思った。寒い冬の北海道で湖に潜り続けるのは正気の沙汰ではない。砂金を見つける前に房太郎が凍ってしまうのではないか。
「近くに温泉宿があった。そこへ行って温まろう」
「お、いいなあ。雪は俺と一緒に入ろうな」
房太郎の軽口を受け流し、一行は支笏湖近くにあった定山渓温泉を訪れた。
「ちゃんと温まってきてね。私は部屋で待ってるから」
「え〜? 雪も一緒に入ろうぜ」
房太郎を浴場に放り込み、雪は部屋で房太郎の服と外套を干していた。体が大きいので服も大きく、水を含むととても重くなる。特に外套は濡れていなくとも重いので、運ぶのも一苦労だった。白い毛皮つきの一品で、エディーからもらった上等なものだ。これを羽織った房太郎は華族のような品と貫禄が出て、ますます男前が上がると雪はひっそり思っていた。
外套からは房太郎の匂いがした。つい魔が差して、雪はそこに顔を埋めた。彼の匂いと温もりに包まれ、抱きしめられたときと同じ感覚を味わった。
彼に抱きしめられるのは好きだった。大きくて逞しい腕に抱かれていると、意味もなく安心する。軽口であっても、愛を囁かれるのは嬉しい。求められることが嬉しかった。その身体に、唇に、もっと触れたい。触れられたい。もっと近くで、溶け合ってひとつになるまで愛し合いたい。そんな虚しい空想さえ抱いている。
雪は房太郎を愛していた。きっと房太郎が雪を想うよりも強く。しかし、だからこそ、肉欲を持て余しながらも、それを超える恐怖が彼女を縛り付けていた。捨てられるのではないかという恐怖だ。彼女の秘密は、あるいは房太郎を失望させ、この旅を終わらせる可能性すら内包しているものだった。
溜息をついた。恋慕と恐怖と熱がぐちゃぐちゃに混ざり合って、自分でも元の感情が何かわからなくなっている。文字に書き起こせば少しは整理できるだろうか、と思ったそのとき、部屋の襖が開いて房太郎と平太が戻ってきた。
「いい湯だったぁ。雪も入って来いよ」
雪は慌てて外套を振り払ったが、房太郎は見逃さなかった。
「なんだよやっぱり一緒に入りたかったか? 言ってくれりゃよかったのに」
「違うよ……これは干してただけ」
「ふぅん? 俺の匂いが恋しかったんじゃねぇのか?」
あっという間に雪を壁際に追い詰めて、じりじりと顔を寄せて囁いてくる。雪が顔を真っ赤にするので、房太郎は楽しくて仕方がない。
「雪は俺の事大好きだもんな。今日も一緒に眠ろうな」
子供を甘やかすように頭をぽんぽん撫でて、房太郎は雪を腕の中に収めた。その顔は湯上がりの房太郎よりも熱くなっている。もはや言い逃れもできず、雪は彼の中で小さくなるしかなかった。
「ちょっと! 私がいる事忘れてませんか!?」
「うるせえな邪魔すんじゃねえよ。わかるだろどっか行ってろ」
「勝手に連れて来といて、勝手なこと言わないでよね!」
平太と「ノリ子」が口を出したので、雪は房太郎から解放された。房太郎は残念がって盛大に溜息を吐いたが、その日の晩はしっかりと布団の中で雪を抱いて眠った。
支笏湖の探索は数週間続いた。あるとき、房太郎はついに砂金を見つけた。湖の底に転覆した舟があって、沈んでいた砂金を一部引き揚げることができた。
房太郎が得意げに手のひらの中身を差し出した時は、雪も平太も寒さを忘れて歓声を上げたものだった。
「なあ雪、これ見てくれ。砂金と一緒に沈んでたんだ」
平太が小舟を片付けて少し離れている間に、房太郎は手のひらのものを見せてきた。それは、小さな金貨だった。角ばった四葉のような模様で、中央には十字が刻まれている。不思議なことに金が斑らだった。
「この交差するような模様、刺青に似てるね」
「俺もそう思う。これもたぶんのっぺらぼうが作ったんじゃねえかな」
「金の含有量が一定でないのは、各地の砂金をひとつにして作ったからではないか? そんなことしても価値が下がってしまうのに……のっぺらぼうはどうしてそんなことをしたんだろう」
「単に移動しやすくするためとは思えねえよな。……金塊に関して、俺達はまだわかっていないことが多すぎる」
「でも砂金を鑑別して産地がわかれば、きっとたくさんのことがわかるよ。お手柄だね、
平太はその場で砂金を鑑別し、アイヌが砂金を掘ったらしい川がわかった。平太は川ごとの砂金を標本にしており、そのおかげですぐに鑑別が済んだ。鑑別が終わるや否や房太郎が平太を解放したので、2人はすぐに平太と別れることになった。幸いにも、2人に同行している間に平太がヒグマ取り憑かれることはなかった。「嵩ニイが死んだ」「親父が喰われた」とうわ言のように言っていて、明らかに健康ではなかったのだが、房太郎がさっさと平太を追いやってしまったのでそれ以上はどうなったのかわからない。
雪としてはもう少し観察してみたかったのだが、次の目的地がわかってぐずぐずしている理由もなく、房太郎と共にアイヌの
平太が上げた川は、徳富川、沙流川、空知川、知内川の四つだった。
「どこから行こうか」
「いちばん近い沙流川から回ってみよう。あとはしらみ潰しだな」
「でもいきなり金塊の在処なんて聞いて、答えてくれるかな」
「そこはまた、雪先生のお名前を借りるさ。取材ってのがいい名目になるのはお前との旅でよくわかった。それと、金塊じゃなくてアイヌの殺人事件の取材ってことにしとこう。こっちのほうが警戒が薄れるはずだ」
「さすがは王様。しっかり働かせていただきます」
2人は南へ下り、沙流川周辺のアイヌコタンを訪れた。地域を絞ったとはいえ、集落はいくつかあるので、ここからは地道な作業になる。この地域の集落を全て周って、全ての長から話を聞き終えた頃には数ヶ月経っていた。
ところで、2人がコタンを周っている間に、北海道は俄かに騒がしくなっていた。春先に小樽で派手な銀行強盗事件が起こり、少し後には茨戸でヤクザ同士の抗争が起きた。一見すると何の繋がりもない事件だが、雪はどちらも土方歳三が関わっていると睨んでいた。
銀行から盗まれたものが、和泉守兼定だったからである。もはや伝説にも近しい、土方歳三の愛刀だ。わざわざこんなものを盗むのは、よほど過激な愛好家か本人しかいまい。
茨戸も、若山が賭場で刺青人皮を売っぱらったという証言がある。さらに雪は、文芸仲間のツテで、その抗争の最中に帯刀した老人がいたという情報を得ていた。土方歳三が一枚噛んでいて、刺青人皮を手に入れたのではないか。刺青人皮の奪い合いが、いよいよ本格化したのかもしれない。
新聞で情報を集めながら、2人はコタン来訪を続けていた。大きな動きがあったのは、秋頃、空知川周辺を周っているときだった。網走監獄で暴動が起こり、寄港中だった第七師団がそれを制圧。派手な戦闘になったらしく、監獄は半壊してほとんど機能していないようだ。
これが自分達と無関係でないことは、もちろん房太郎は勘づいていた。典獄の犬童と犬猿の仲である第七師団が、偶然に暴動のタイミングでそこにいたというのはできすぎている。暴動が起きたというのも嘘くさい話だ。外からの茶々入れがあったに決まっている。その茶々入れをしたのも、土方歳三以外に考えられない。のっぺらぼうに接触しようとしたのか? それは目論見通りにいったのか?
真実はわからないが、結果からわかることがある。網走監獄に近付くチャンスが来たということだった。
「監獄が機能しなくなったんなら、他所の監獄から囚人を補填するはずだ。貴重な労働員だからな。樺戸か空知あたりから、近々囚人が移送される」
「それが、どうかしたの?」
「移送元が樺戸なら大当たり。俺の側近がいるんだ。移送中に待ち伏せれば仲間に引き込めるぞ。移送でどこを通るかは見当がつく」
「驚いた。監獄内に仲間がいたのか。それは心強い味方になるね」
「だろ? お前の家臣でもあるんだから、ちゃんと紹介しねぇとな」
「どうして?」
「おいおい、お前は俺の正室だろ? なら俺の家臣はお前の家臣だろうが。忘れんなよ?」
雪が真面目に聞き返すと、房太郎は焦ったように雪の肩を抱いて言った。
「忘れてねえよな?」
「うん、ごめん、その話は忘れてないよ。『家臣』ってのが慣れなかっただけ」
「頼むぜ? 俺達の結婚式も近いんだからな」
樺戸、空知、網走監獄をつなぐ道で待ち伏せると、房太郎の読み通り移送中の囚人に遭遇した。房太郎が少し看守をのしてしまえば、あとは囚人達も暴れ出したので仲間を脱走させるのは簡単だった。
こうして、「海賊房太郎物語」の登場人物に権堂公二郎達4人の家臣が加わった。
房太郎がアイヌの金塊と刺青の暗号の話を聞かせると、彼らはにべもなく了解して房太郎の手足となった。雪のこともすぐに受け入れた。なぜそうも房太郎に忠誠を誓うのか、中でも房太郎にいちばん近い「家臣」らしい権堂と話してみると、こんな返答が返って来た。
「俺達ははみ出し者ですから。どんな理由であれ、働く場所をくれる海賊さんはありがたい存在なんですよ」
房太郎が「家臣」と認めた者は家族同然らしく、彼らがひもじい思いや痛ましい思いをすることのないよう気を配っていた。道中で彼らが危険な目に遭うことはなかったし、襲撃を受ければ相手が野鳥であろうと房太郎が手ずから報復した。彼は、まだ小さなこの「海賊房太郎王国」を、篤すぎるくらいの情を持って統治していた。だから「家臣」達は、房太郎が監獄を出て数年経った今でも「王様」に付き従うのだろうと雪は思った。
家臣を旅に加えて、アイヌ集落の来訪は続いた。
沙流川と空知川の集落を全て周り終えた頃には、こんな話がわかっていた。
アイヌの金塊は元々どこにあるかわからなかったらしく、それをとあるアイヌ7人が探していた。それが数年前に殺された男達である。のっぺらぼうはどうやらその中の1人なのではないかという話も上がって来た。そして少し前に、金塊の在処を知るキムシプという老人が目撃され、第七師団もその老人を追っていたらしい。のっぺらぼう達もキムシプと接触して、おそらく金塊を手に入れたのだが、仲間割れか何かで殺人が起こり、のっぺらぼうだけが生き残って監獄に入ることになった。
そしてそのキムシプの弟が、徳富川周辺の集落に住んでいるようだ。
いよいよ金塊が間近に迫り、海賊一行は逸る気を抑えながら徳富川流域に足を運んだ。
「金塊の在処を知ってる奴なら、それだけ警戒も強いだろう。手土産を用意しねぇとな」
目的地に辿り着く前に、房太郎達は雪だけ置いてどこかへ消えた。かと思えば、一晩空けると米俵を十俵前後持ち帰って来た。
雪はその米の出所を聞かなかった。聞かなくても予想ができた。わざわざ自分を置いて行ったから。雪に口出しされるのを嫌がったのだろう。だが雪は口出しする気はなかった。脱獄囚とこれだけ長期間旅をしているのだから、今さら犯罪を咎められる立場ではない。
「誰かを殺した?」
「殺してねぇよ。なんだ、それは気にすんのか?」
「あなたに業を背負って欲しくないだけ」
「やったことは必ず自分に返ってくるってやつか? だからそれ、今さらなんだよ」
「過去の分なら監獄で償ったよ。あなたに死んで欲しくないんだ。ただの迷信深い思い込みでも、そう思うのはいけないこと?」
権堂達が米俵を馬車に積んでいる間、雪は房太郎とそんな会話をした。自分の子供じみた我儘であることはわかっていたが、心配を捨てることはできなかった。房太郎にもそれがわかっていた。ただの安い正義感ではなく、自分の身を案じてそう言ってくれるのが嬉しかった。彼女の肩を抱いて、安心させるように頭を撫でた。
「俺は死なねぇよ。大丈夫だ。もうすぐ金塊を手に入れて、俺達の国を作るんだからな」
一行がキムシプの弟を見つけたのは春先のことだった。彼は当然、金塊のことを知らないふりをしていたが、目の前に俵が積まれていくと少しずつ口を割り始めた。
そうして、海賊房太郎は「函館のロシア領事館」という情報に辿り着いた。
運命の邂逅が、すぐそこに迫っていた。