「……佐倉かどうかは分かんないけど」
気づけば、口に出していた。
「双葉って子なら、知ってるよ」
一瞬、空気が固まった。
「……は?」
坂本くんが間の抜けた声を出す。
「おい待て、今なんつった?」
「いや、そのままですけど……双葉って子なら知って──」
「いやそこじゃねぇって! “なんで知ってんのか”を聞いてんだよ!」
食い気味に詰められる。怖い怖い。
視線が一斉に集まる。さっきより明らかに重い。……あれ、これやらかした?
「……詳しく聞かせてもらえる?」
新島先輩がこちらを真っ直ぐ見ながら静かに言う。
「えーっと……小さい頃から、何回か会ったことがあって。母親同士が知り合いで、その繋がりです」
「母親同士……?」
「はい。学生時代からの友達って母が言ってました。……でも、二年くらい前から急に会わなくなって。気づいたら連絡も取れなくなってました」
「急に?」
「はい」
頷きながら、記憶を探る。
「連絡が取れなくなってから少したった頃に── 一度だけ、向こうから母に連絡が来ました」
「それは、何て?」
「……『もう二度と連絡してこないで』って。一文だけ」
理由も説明も無い、たったそれだけの文章だった。
母さんは、画面を見つめたまましばらく黙って、それから何事も無かったみたいにスマホを置いた。
あの時の表情は、今までも、多分これからも忘れることはないと思う。
◇
店の中が静かになる。
「……それ」
最初に口を開いたのは、新島先輩だった。さっきと同じ、落ち着いた声。でも今度は、少しだけ低い。
「本当に、その人から送られてきたものなの?」
「……え?」
一瞬、意味が分からなかった。
「えっと……母のスマホに直接来てたはずですけど……」
「“はず”?」
「いや、俺が見たわけじゃないんで……母からそう聞いてるだけで」
言いながら、少しだけ不安になる。
「……そう」
新島先輩が小さく頷く。
「そのメッセージが来たあと、何か他に変わったことは?」
「変わったこと……ですか」
少し考える。
「……特に、何も。普通に、そのまま連絡取らなくなっただけです」
「そう」
新島先輩は短く返して、少しだけ視線を落とす。
その横で。
「……なんかさ、それ」
坂本くんがぼそっと呟く。
「普通じゃなくねぇか?」
「だよね……」
高巻さんも小さく同意する。
え、やっぱそう?
俺的には「まあそういうこともあるのかな」くらいの認識だったんだけど。
椅子の上で猫が「ニャア」と鳴いた。
やけに場違いなその声が、張り詰めた空気を少しだけ揺らす。
「……」
新島先輩が一度だけ目を伏せて、それから顔を上げた。
「……その子、今どこにいるか分かる?」
さっきまでより、明らかに一歩踏み込んだ質問。
「えっと……いや、そこまでは」
正直に首を振る。
「その、連絡が途切れてからは、本当に何も──」
言いかけた、その時。
カラン、と入口のベルが鳴った。
「……あ?」
どこかで聞き覚えのある、低い声。
「お前ら、まだ居たのかよ」
入口の方を向くと、オシャレな帽子を着こなすイケおじが立っていた。
……んァ?
「ちょっと用があって戻ってきたんだが……」
言いながら店の中を見回して、ぴたりと視線が止まる。
俺の方で。
「……あ?」
数秒の沈黙。
どこかで見た顔を思い出そうとしてるみたいな、そんな表情。
あれ? やっぱりそうだ。
小さい頃、何度か見たことがある。
双葉ちゃんのお母さんと話してた──
「「……あ!」」
「お前……」
知ってるイケおじが目を細める。
「もしかして、あいつの──」
「若葉さんの……彼氏、でしたっけ?」
「確か名前は……惣治郎さんだ!!」
一瞬、間が空く。
「は?」
「え?」
「……あ?」
全員の視線が一斉に集まる。
やばい、なんか変なこと言ったか?
「ちょ、ちょっと待って。それって本当!?」
高巻さんが一歩前に出る。
「え、いや……小さい頃に、そんな感じで一緒にいた記憶があって……」
「そんな感じってなんだよ!?」
坂本のツッコミが入る。
「いや、俺も曖昧なんですけど……」
困って視線を逸らす。
すると。
「……だから、違ぇっての」
ため息混じりに、惣治郎さんが口を開いた。
「彼氏じゃねぇよ。ただの、知り合いだ」
きっぱりと否定されてしまった。どうやら俺の記憶違いだったようだ……
「……つまり」
少し時間が経って、場の空気を引き戻すみたいに、新島先輩が静かに口を開いた。
「その“若葉”という人と、佐藤くんのお母さんは昔からの知り合い」
「そして、その人はマスターとも面識がある」
新島先輩の視線が、俺と惣治郎さんの間を行き来する。
「そして、さっきの反応から佐藤くんとマスターは面識があった。ですよね?」
「……ああ。昔、少しな」
短い肯定。
でも、それで十分だった。
「……なるほど」
新島先輩が一度だけ頷く。
全部の情報が繋がった、そんな顔だ。
「──私たちが探しているのは、“佐倉双葉”という人物です」
空気が、また一段階重くなる。
「そして今の話を聞く限り、その“双葉”は、佐藤くんが話していた“若葉さんの娘”と一致する可能性が高い」
視線が、ゆっくりと惣治郎さんに向けられる。
「何か、関係がありますよね」
一拍。
「……マスター」
さらに一歩、踏み込む。
「──いえ。佐倉惣治郎さん」
名前をはっきりと呼ぶ。
その瞬間、場の空気が張り詰めた。
「その子について、何か知っていることがあるのでは?」
「……」
惣治郎さんは、すぐには答えなかった。
少しだけ視線を逸らして、面倒くさそうに頭を掻く。
「……お前ら」
低い声。
「どこまで知ってる?」
逆に聞き返してくる。
「断片的な情報だけです」
新島先輩は即答した。
「ですが、“普通ではない状況にある”という認識はしています」
「……はぁ」
大きく、ため息。
観念した、って感じのやつだ。
「……ガキに話すような内容じゃねぇんだがな」
ぼそっと呟いてから、こっちを見る。
正確には──全員を。
「まあいい」
短く言い切る。
「どうせ首突っ込む気なんだろ、お前ら」
「……」
否定する人はいなかった。
「だったら、中途半端に隠しても意味ねぇか」
少しだけ間を置いて、
「──あいつは今、引きこもってる」
静かに、でもはっきりと告げられる。
「もう、だいぶ長いことな」
◇
薄暗い部屋だった。
カーテンは隙間なく閉じられ、外界の気配は一切入り込まない。昼か夜かを判断する術すら、ここにはない。
壁際に並ぶ複数のモニターだけが、無機質な光を放っている。
その一つ。
黒い画面の上で、細い波形がわずかに震えていた。
音声の記録。
拾っているのは、誰かの“会話”。
『──あいつは今、引きこもってる』
スピーカーから流れたのは、低い男の声だった。
『お前が私を殺した』
ノイズが、わずかに混じる。
まるで、その言葉自体を――どこかが拒んでいるみたいに。
Cat sitting on a chair