渋谷駅は今日も人が多かった。
いや、多いなんてもんじゃない。
連絡通路の手すりにもたれながら下を見れば、スクランブル交差点は人、人、人。信号が変わるたびに人の波が動き出し、まるで巨大な生き物みたいにうねっている。
「……結構うまいこと言ったな」
思わず呟く。
時間はまだ約束の十五分前だった。
暇だったので下を眺めているが、結局考えることは昨日の話ばかりだ。
若葉さんの自殺に双葉ちゃんの引きこもり。
昨日は母さんに話さないと決めた。でも、いつかは伝えなきゃいけない気もする。
もし母さんが知らなかったら。
もし知っていて黙っていたのだとしたら。
どっちにしても、あまり気分の良い話じゃない。
小さくため息を吐きながら交差点へ視線を戻した、その時だった。
「早いな」
「うわっ!?」
心臓が跳ねる。いつの間にか隣に雨宮が立っている。
「いたの!?」
「今来た」
嘘だ〜。
絶対嘘だ。
全く気配を感じなかった。これが怪盗ってやつなのか……
「いやいや、絶対さっきからいたでしょ」
「今来た」
「目を逸らして言うなよ」
雨宮の口元が僅かに動く。
……コイツ、笑ってやがる。
そのまま二人で手すりにもたれた。
会話が途切れる。
気まずいというほどじゃないけど、何を話せばいいか分からない。
そんな空気だった。
「考え事か?」
雨宮の言葉に俺は少し驚く。
「やっぱそういうのって分かるもんなの?」
「なんの事だ?」
「ここまで来てしらばっくれるか!?」
一瞬真顔だったから本気で分からないのかと思った。
「冗談だ」
「タチ悪いな……」
肩の力が少し抜ける。
「あー……まあ、その通りなんだけどさ」
言いながら視線を下へ向ける。
さっきまでより、少しだけ空気が真面目になった気がする。
「昨日のことか?」
「……そうだね」
雨宮の質問に少し時間をおいて答える。
「そのさ……ちょっと俺の話を聞いてくれないか」
雨宮は何も言わずに頷いた。
「ありがとう」
一度息を吐く。
「昨日も少し話したけど、俺と双葉ちゃんっていうか……うちと一色家は結構長い付き合いだったんだ」
視線を交差点へ向ける。
「母さんと若葉さんなんて毎週みたいに会ってたし、たまに惣治郎さんもいた。俺、小さい頃はよくコーヒー作ってもらったんだよ」
そこでふと思い出す。
「そういや雨宮って、惣治郎さんにコーヒー教わってる?」
雨宮が頷く。
「あー、やっぱり」
なんとなく納得した。
「前に飲ませてもらった時、どっかで飲んだ味だと思ったんだよな」
少し笑ってから、また言葉を探す。
「……まあ、とにかく仲良かったんだよ」
それが一番言いたかった。
「だから急に連絡が取れなくなった時も意味が分からなかった。最後はあのメッセージだろ」
胸の奥が少し痛む。
「ショックだったよ」
しばらく黙る。
「何より母さんの顔がさ……」
そこで言葉が止まる。
あの日の表情が頭をよぎった。
「……ごめん」
「大丈夫だ」
雨宮が静かに返す。
「ありがとう」
情けなくて少し笑う。
「自分から話を聞いてくれって言ったくせに、この有様だ」
「そんなことはない」
即答だった。
その返事に思わず笑ってしまう。
「かっこいいな、お前」
雨宮は何も言わない。
だからこそ、少しだけ話しやすかった。
「……昨日の話は衝撃だった」
自然と声が低くなる。
「若葉さんが自殺してたなんて信じられない。双葉ちゃんは引きこもってるし、今は惣治郎さんが引き取ってる」
頭を掻く。
「正直、頭がパンクしそうだった」
そしてもう一つ。
「でもさ」
視線を雨宮へ向ける。
「昨日、新島先輩が言っただろ」
『本当に、その人から送られてきたものなの?』
「あの時は意味が分からなかった。でも今は分かる気がする」
ゆっくり言葉を選ぶ。
「若葉さんが母さんにあんなこと言うとは思えない」
「……」
「双葉ちゃんを置いて死ぬとも思えない」
雨宮は黙って聞いている。
「もちろん証拠なんてない。でも、連絡が途絶えた時期と若葉さんが亡くなった時期。偶然とは思えないんだ」
拳を握る。
「何かある」
「……」
「でも俺には何も出来ない」
小さく笑う。
「だからさ」
一度息を吸う。
目の前にいるのは、クラスメイトの雨宮蓮だ。無口で、何を考えているかよく分からなくて。よくカバンに猫を入れている。
でも──。
人の心を盗み、悪人を改心させてきた男でもある。
今、この場で話をする相手は、ただの雨宮蓮じゃない。
怪盗団を率いるリーダーだ。
「なぁ──怪盗団のリーダー」
雨宮の目がわずかに見開かれる。
「取引だ」
「今回だけでいい」
「俺を、お前たちの改心に協力させてくれ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「俺を、お前たちの改心に協力させてくれ」
言った。
言ってしまった。
数秒前の俺をぶん殴りたい。
勢いって怖い。
「……」
雨宮は何も言わない。
ただ、じっとこっちを見ていた。
その沈黙が妙に長く感じる。
「……今すぐ答えなくていい」
耐えきれずに俺が先に口を開いた。
「その、ほら。急に言われても困るだろうし」
雨宮はまだ何も言わない。
というか。
なんかカバン見てないか?
視線を辿る。
雨宮の足元。置かれた鞄。
そして。微妙に揺れる鞄。
……。
あの猫、中にいるな?
しかも絶対なんか話してるだろ。雨宮が時々小さく頷いてるし。
いや何その状況。
怖いんだけど。
とりあえず見なかったことにして、再び交差点へ視線を向ける。
その時だった。
「……ちょっ」
かすかに声が聞こえた。
人混みの音に紛れそうな小さな声。
振り返る。
柱の陰。
なんか見覚えのある金髪が見えた。
「……」
さらによく見る。
金髪の横から茶髪が見えた。
そして青い髪も見えた。
最後に見慣れた黒髪も。
「何してんの?」
思わず聞いた。
柱の陰から四人がぞろぞろ出てくる。
「いやぁ……」
坂本くんが視線を逸らした。
「えーっと……」
高巻さんも気まずそうに笑う。
新島先輩は額を押さえていた。
喜多川くんだけ妙に堂々としている。
「……聞いてたんですか?」
「ごめんなさい」
真っ先に謝ったのは新島先輩だった。
「盗み聞きするつもりじゃなかったの」
「ここに来た時に、佐藤くんとリーダーが話してるのが見えて」
高巻さんが続ける。
「なんかそのまま入るのもなぁ……って」
「なるほど……ちなみに、どこから?」
嫌な予感しかしない。
「昨日の話を振り返ってる辺りから?」
「ほぼ最初からじゃねぇか!」
終わった。
俺の心が終わった。
でも待て。
冷静になれ。
あの辺はまだ大丈夫だ。
問題はその後だ。
「……じゃあさ」
恐る恐る聞く。
「泣いてたのは」
「……見てないわ」
新島先輩が答えた。
「聞いてない」
高巻さんも続く。
「知らねぇ」
坂本くんも言う。
「認識していないな」
喜多川くん。
全員目を逸らしていた。
絶対見てる。絶対見てるだろ。
「……」
このまま電車に飛び乗ってお家に帰ろうかな。
「でもよ!」
坂本くんが勢いよく肩を組んできた。
「お前、かっこいいじゃねぇか!」
「ぐえっ」
肩に体重がかかる。
「急に何!?」
「さっきのだよ!」
坂本くんは満面の笑みだった。
「『怪盗団のリーダー』!」
ものすごく声真似してきた。
やめろ。
「やめろ!」
「いやマジで! 聞いてるこっちが恥ずかしかった!」
「褒めるか貶すか、どっちだよ!」
高巻さんまで笑い始める。
やめてくれ……本当にやめてくれ。
「だが」
喜多川くんが静かに口を開く。
「先程の覚悟と決意は本物だった」
珍しく真面目な顔だった。
「目を見張るものがあったよ」
その言葉に、少しだけ空気が落ち着く。
新島先輩も小さく頷いた。
雨宮は相変わらず無言だったが、その表情は少しだけ柔らかくなっていた。
「でも」
新島先輩が静かに口を開いた。
その一言で、少し和らいでいた空気が引き締まる。
「佐藤くんの覚悟は分かったわ」
真っ直ぐ俺を見る。
「でも、それと怪盗団に協力してもらうかどうかは別問題よ」
「……ですよね」
即答だった。いや、まぁ分かってた。
昨日今日知り合ったような相手を、「はい今日から仲間です」なんて言う組織じゃないことくらい。
「悪い意味じゃないの」
新島先輩は続ける。
「私たちだって命懸けでやってる。だから簡単には頷けないのよ」
「そこは俺も同意見だ」
喜多川くんも頷く。
「覚悟があることと、怪盗団として活動することは別の話だからな」
「けどよぉ」
坂本が腕を組む。
「コイツが本気なのも事実だぜ」
「私もそう思う」
高巻さんも頷いた。
「だから余計に、中途半端なことはしたくない」
自然と全員の視線が雨宮へ集まる。
雨宮は少しだけ考えてから口を開いた。
「……一つ、試そう」
「試す?」
思わず聞き返す。
「ある場所へ行く」
「ある場所?」
何のことだ?
雨宮は答えず、新島先輩たちを見る。
「異論は?」
少しだけ沈黙が流れた。
最初に口を開いたのは──
「ニャー」
猫だった。
「……?」
なんで今鳴いた?
雨宮は足元へ視線を向け、小さく頷く。
やっぱりカバンに猫入れてるよね?
「私も賛成よ」
新島先輩が言う。
「まずは見てもらった方が早いわ」
「確かにな」
喜多川くんも頷く。
「百聞は一見にしかず、だ」
「えっと……」
完全に置いていかれてるんだけど。
「何の話?」
全員が俺を見る。
数秒。
沈黙。
「あ」
坂本くんが頭を掻いた。
「そういやコイツ、何も知らねぇじゃん」
「説明不足だったわね」
新島先輩がため息をつく。
「佐藤くん」
「はい」
「これから、私たちが見ている”もう一つの世界”を見せる」
「……は?」
意味が分からなかった。
もう一つの世界?
何それ。
宗教の勧誘?
俺が困惑していると、雨宮が短く言った。
「信じなくていい」
「え?」
「見れば分かる」
その言葉だけは、不思議なくらい自信に満ちていた。
Cat is at Shibuya Station.