──見れば分かる。
雨宮にそう言われた俺は、怪盗団の面々に連れられて渋谷駅前広場の地下通路の入口までやって来ていた。
目の前にあるのは、地下へ続く階段。
行き交う人々。
見慣れた渋谷の風景。
以上。
「……なんでここ?」
思わず隣の坂本を見る。
てっきり、どこか怪しいビルの地下とか、秘密基地とか、そういう場所へ連れていかれるものだと思っていた。
「まぁまぁ」
坂本くんがニヤッと笑う。
「見てなって」
「いや、見るって何を──」
その横で、雨宮がスマホを取り出した。
「……?」
画面を何度か操作する。
何してんだ?
地図?
電車の時間?
いや、このタイミングで?
そんなことを考えていた、その時だった。
──世界が、歪んだ。
「……え?」
視界が揺れる。
周囲の音が遠ざかっていく。
行き交っていた人々も、駅の喧騒も、何もかもがぐにゃりと歪んで──。
一瞬、目を閉じる。
そして、次に目を開けた時。
「…………は?」
そこは、さっきまでいた渋谷駅ではなかった。
いや。
駅、ではある。
目の前には地下へと続く階段があるし、造りだってさっきまでいた場所とどこか似ている。
でも――明らかに違う。
人がいない。
あれだけ騒がしかった渋谷から、人の気配が綺麗さっぱり消えている。
辺りは薄暗く、壁も床も不気味な雰囲気に変わっていた。階段の先に広がっているのは、見慣れた地下鉄なんかじゃない。
「…………」
何これ。
何ここ。
いや待って。
さっきまで俺、渋谷にいたよね?
夢?
幻覚?
もしかして誘拐された?
「佐藤?」
後ろから声をかけられた。
「あ、新島先輩。ちょっと聞きたいんですけど、ここって──」
振り返る。
「…………誰?」
「え?」
知らない人がいた。
いや、一人じゃない。
何人もいる。
黒いロングコートに白い仮面をつけた男。
いかにも海賊みたいな格好をした金髪。
赤いボディスーツを着た、猫耳みたいな仮面の女。
和装っぽい怪しい服に、狐のお面をつけた男。
そして、世紀末。
「…………」
誰?
本当に誰?
俺は無言で一歩後ずさった。
「え、ちょ、待って」
声は知っている。
今の声、新島先輩だ。
ということは。
「……新島先輩?」
「ええ」
世紀末が頷いた。
「…………」
もう一度見る。
世紀末だ。
「……坂本?」
「おう!」
海賊が答えた。
「高巻さん?」
「うん」
赤い人が答える。
「喜多川くん?」
「ああ」
狐が答えた。
最後に、黒いコートの男を見る。
「……雨宮?」
「そうだ」
「…………」
頭が追いつかない。
何その格好。
なんで着替えてんの?
いつ着替えたの?
ていうか新島先輩、その格好は何?
「お前ら……」
なんとか声を絞り出す。
「何そのコスプレ?」
「コスプレじゃねぇ!」
坂本くんから即座にツッコミが飛んできた。
「じゃあ何だよ!?」
「それは後で説明するわ」
「また後で!?」
俺、今日ずっと説明を後回しにされてない?
「とりあえず落ち着いて」
「これが落ち着いていられ──」
ふと。
視界の端で、何かが動いた。
「…………」
雨宮の足元。
そこに、何かいる。
黒と白。
やたらとデカい頭。
短い手足。
二本足で立っている。
黄色いスカーフまで巻いている。
「…………」
なんだ、アレ。
俺は目を擦った。
もう一度見る。
いる。
幻覚じゃない。
なんかいる。
しかも、こっち見てる。
「…………」
向こうも首を傾げた。
俺も首を傾げる。
……猫?
いや。
猫っぽい何か。
というか、どこかで見たような――。
「おい、どうした?」
そいつが口を開いた。
「…………」
え?
今、誰が喋った?
「おい?」
「…………ば」
「ば?」
「化け猫ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
「誰が化け猫だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「喋ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ダメだ。
もう無理。
渋谷にいた。
なんか変な場所に来た。
友達が全員コスプレしてた。
化け猫がいた。
しかも喋った。
ここ数十秒で処理していい情報量じゃない。
「…………うっ」
視界がぐらりと揺れた。
「お、おい佐藤!?」
「ちょっと、大丈夫!?」
誰かの声が聞こえる。
いや、待って。
ちょっと待ってくれ。
「……五分」
「は?」
「五分だけ……時間ください……」
その場にしゃがみ込んで、両手で頭を抱える。
「情報を……整理させて……」
頭上から坂本くんの笑い声が聞こえてきた。
「お前、さっきまであんなカッコつけてたのによ!」
「うるせぇ!」
誰のせいだと思ってんだ!!
◇
「……よし」
深呼吸だ。
吸って〜、吐いて〜。
もう一回。
吸って〜、吐いて〜。
「……よし」
「二回言ったな」
「……気のせいだよ」
しゃがみ込んだまま顔だけ上げると、坂本がまだニヤニヤしていた。
腹立つなコイツ。
とはいえ、さっきよりはだいぶマシだ。少なくとも、今すぐ現実逃避したい気持ちは収まった。
俺はゆっくり立ち上がると、改めて周囲を見渡した。
不気味な駅。
謎のコスプレ集団。
そして──。
「……」
「……」
謎の二頭身猫。
「なんだよ」
喋った。
やっぱり喋った。
「……とりあえず、一個ずつ聞いていい?」
「その方がいいわね」
新島先輩が頷く。
「じゃあ、まず」
俺は目の前の謎生物を指差した。
「アナタ、何デスカ?」
「片言になってる……」
高巻さんからツッコミが入る。
「ワガハイはモルガナだ!」
「いや、名前じゃなくて」
「む?」
「そのー、種族?」
「…………」
謎生物が黙った。
なんで?
「……分からん」
「分からないの!?」
いきなり躓いた。
「仕方ないだろ! ワガハイだって自分が何者なのか調べてる途中なんだ!」
「自分探し中なの!?」
「そういう言い方するな!」
モルガナとやらがムッとした顔で腕を組む。
なんだろう。
見た目のインパクトが強すぎてさっきは化け猫としか思えなかったけど、こうして話してみると結構普通だな。
いや、喋る二頭身猫を普通と判定していいのかは知らないけど。
「でも、待てよ」
もう一度じっくり見る。
黒い体に白い顔。
青い目。
どこか見覚えがある。
「もしかして……お前、雨宮がいつも鞄に入れてる猫?」
「だから猫じゃない!」
「いや、今まで完全に猫だったじゃん」
「現実じゃあの姿になるんだよ」
「現実じゃ?」
聞き慣れない言い回しに引っかかった。
ということは。
「……ここは、現実じゃないの?」
「そういうことだ」
答えたのは雨宮だった。
さらっととんでもないこと言うな。
「じゃあ何? 死後の世界?」
「違うわ」
新島先輩が即座に否定した。
「ここは認知世界。人の認知によって形作られた、現実とは別の世界よ」
「……認知世界」
初めて聞く言葉を口の中で転がす。
人の認知によって作られた世界。
なるほど。
「分からん」
「でしょうね」
即答された。
「簡単に言うとな」
モルガナが前に出る。
「人間が世界をどう見て、どう思ってるか。それが形になって現れる世界なんだ」
「……つまり?」
「例えば、ある場所を『自分の城だ』って本気で思い込んでる奴がいるとするだろ?」
「うん」
「そいつの歪んだ認知が強ければ、その場所が本当に城として存在することがある」
「…………」
俺はモルガナを見る。
次に雨宮たちを見る。
もう一度モルガナを見る。
「そんなファンタジーな話だったの?」
「だから見せた方が早いって言っただろ?」
坂本が笑う。
いや、確かにこれは口で説明されても信じなかったわ。
「じゃあ、ここも誰かが『渋谷駅って不気味だなぁ』とか思った結果?」
「少し違う」
喜多川くんが口を開いた。
「ここは特定の一人によって生み出された場所ではない」
「というと?」
「ここは『メメントス』」
新島先輩が周囲へ視線を向ける。
「大衆全体のパレスよ」
パレス……。
…………。
「……?」
「ごめんなさい、まずパレスからだったわね」
「お願いします」
知らない単語の説明に知らない単語を使わないでほしい。
「パレスってのはな」
モルガナが説明を引き継ぐ。
「歪んだ欲望を持つ人間の心が、認知世界に作り出す場所だ」
「歪んだ欲望……」
「そうだ。自分の欲望を満たすためなら、他人がどうなっても構わない。そんな歪みが大きくなった奴の心には、パレスが生まれることがある」
「……なるほど」
なんとなく分かってきた。
「で、そういう個人のパレスとは違って、ここは大勢の人間の認知が集まってできている」
「それがメメントス?」
「そういうことだ」
モルガナが得意げに胸を張る。
俺は改めて周囲を見る。
人のいない駅。
地下へと続いていく、不気味な階段。
これが、大勢の人間の心によって作られた場所。
「……人間って、こんな不気味なもん頭の中に飼ってんの?」
「言い方はともかく……否定はできないわね」
新島先輩が少し困ったように答えた。
「なるほどなぁ……」
分かったような。
分かってないような。
まあ、さっきよりはマシだ。
「じゃあ次」
俺は手を挙げた。
「なんでコイツの声が聞こえるの?」
「コイツ言うな!」
モルガナが抗議してくる。
「だって昨日までニャーニャー鳴いてただけだろ?」
「ワガハイは昨日もちゃんと喋ってた!」
「嘘つけ。ニャーしか言ってなかったぞ」
「それはお前にそう聞こえてただけだ!」
「……どういうこと?」
首を傾げると、モルガナは自分を指差した。
「今のお前は、認知世界で喋るワガハイを見てるだろ?」
「見てるね」
「つまり、お前の認知の中で『モルガナは人間の言葉を喋る』ってことを理解したわけだ」
「……あ」
なんとなく察した。
「じゃあ、現実に戻っても?」
「恐らくワガハイの声が聞こえるようになってる」
「…………」
「なんだその顔は」
「いや……」
俺はモルガナを見下ろした。
「今後ずっと?」
「そうだ」
「……マジかぁ」
「なんで嫌そうなんだよ!」
「いや、だって今まで普通の猫だと思ってた奴が、今後ずっと喋りかけてくるんだろ?」
「光栄に思え!」
「無理あるって!」
坂本と高巻さんが笑っている。
雨宮を見ると、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
お前も笑ってんじゃねぇ。
「……まあいいや。次」
今度は全員を順番に見る。
「その格好は?」
「まだコスプレだと思ってんのか?」
坂本が呆れた顔をする。
「じゃあ何なんだよ。特に新島先輩」
「なんで私だけ名指しなの?」
「いや……」
見る。
黒いライダースーツ。
肩には棘。
首にはスカーフ。
顔には鉄仮面。
「一人だけ世紀末感がすごいんで」
「……佐藤くん?」
「すみません」
怖い。
世紀末先輩怖い。
「これは怪盗服だ」
雨宮が自分のコートを軽くつまむ。
「怪盗服?」
「反逆の意思が形になったものだ」
「……反逆」
改めて全員を見る。
なるほど。
海賊。
猫。
狐。
世紀末。
……反逆?
「個性強すぎない?」
「うるせぇな!」
「心が『これなら戦える』って認識した姿なのよ」
高巻さんが苦笑しながら補足する。
「へぇ……」
そこで、ふと自分の体を見る。
上。
下。
靴。
「……俺、普通だけど」
「そりゃそうだ」
モルガナがあっさり答えた。
「お前はまだペルソナに覚醒してないからな」
「ペルソナ?」
「…………」
全員が止まった。
「……また知らない単語出てきた」
あ、いつぞやに雨宮と高巻さんが俺のバ先で話してた気がする。
「説明すること多すぎんだろ……」
坂本くんが頭を抱える。
「仕方ないでしょ。佐藤くんは本当に何も知らないんだから」
「なんか俺が悪いみたいになってません?」
「気のせいよ」
本当かなぁ。
「ペルソナっていうのは……そうね」
新島先輩が少し考える。
「自分の中にある、もう一人の自分。認知世界で戦うための力、と考えてもらえればいいわ」
「もう一人の自分……」
「私たちは全員、その力を持っている」
「だから、こんな場所で活動できるってこと?」
「そうだ」
雨宮が頷く。
なるほど。
認知世界。
パレス。
メメントス。
怪盗服。
ペルソナ。
……。
「情報量多くない?」
「だから五分待っただろ」
「五分で足りるか!」
思わず坂本にツッコむ。
だけど。
少しずつ、繋がってきた。
今までニュースやネットでしか知らなかった怪盗団。
悪人の心を盗み、改心させる謎の集団。
俺はてっきり、「心を盗む」なんてのは単なるキャッチコピーみたいなものだと思っていた。
「……じゃあさ」
自然と声が真面目になる。
「お前らが言ってた『心を盗む』って……」
「ああ」
モルガナが頷く。
「比喩じゃない」
その言葉に、思わず息を呑んだ。
「パレスの奥には、その持ち主の歪んだ欲望の核──『オタカラ』がある」
「オタカラ……」
「それを盗めば、現実の本人から歪んだ欲望が消える。自分が何をしてきたのかを自覚して、罪と向き合うようになる」
「それが……改心」
「そういうことだ」
今までバラバラだったものが、頭の中で一気に繋がった。
鴨志田。
斑目。
金城。
世間を騒がせた突然の告白と改心。
その裏で。
こいつらは──。
「……マジで、お前らがやったんだな」
思わず口から漏れた。
今までも知っていた。
雨宮たち自身から、怪盗団だと聞いていた。
それでも、どこか現実感がなかったんだと思う。
でも今は違う。
この場所を見て。
こいつらの姿を見て。
モルガナと話して。
ようやく実感した。
こいつらは本当に、人の心を盗んでいたんだ。
その事実を飲み込もうとしていると、新島先輩が俺の方を向いた。
「……佐藤くん」
「はい」
「ここまで見てもらったのは、私たちが何をしているのか知ってもらうためよ」
さっきまでの説明とは違う、少し硬い声だった。
「その上で、もう一度聞かせて」
一拍置いて、新島先輩は真っ直ぐ俺を見る。
「それでも、私たちに協力したいと思う?」
「…………」
答えようとして、口が止まった。
少し前なら、迷わず「はい」と言っていたと思う。
実際、そのつもりで雨宮に取引まで持ちかけた。
でも――今は違う。
認知世界。
パレス。
オタカラ。
人の心に入り込んで、その人間を形作っている欲望そのものを盗む。
……いや。
冷静に考えろ、俺。
それ、やってること滅茶苦茶怖くない?
相手が悪人だからいい、なんて単純な話じゃない。こいつらのしていることは、警察に突き出すとか、証拠を集めて告発するとか、そういう現実にある手段とは根本から違う。
人間の心を直接変える。
そんなものに高校生が手を出している。
常識的に考えれば、答えなんて決まっている。
関わるな。
今すぐ現実に戻って、今日見たこと全部忘れて、普通の高校生活に戻れ。
頭の中で、そんな警告音が鳴っていた。
「……」
なのに。
脳裏に浮かんだのは、昨日の惣治郎さんだった。
『ああ、自殺だ』
そして、小さい頃の若葉さんと双葉ちゃん。
母さんの、あの日の顔。
『もう二度と連絡してこないで』
本当に若葉さんが送ったのかも分からない、あの一文。
何かある。
そう思ってしまった。
ここで「やっぱり怖いからやめます」と帰ったところで、多分俺はずっと気にする。
一色家に何があったのか。
若葉さんは本当に自殺したのか。
あのメッセージは何だったのか。
そして――双葉ちゃんに、何が起きているのか。
それを何も知らないまま、見て見ぬふりをする。
……それは、それで嫌だった。
それに。
ちらりと雨宮を見る。
ついさっき、大層カッコつけて言ったばかりだ。
『俺を、お前たちの改心に協力させてくれ』
ここで撤回したら、坂本に一生イジられる気がする。
いや、それはどうでもいい。
……多分。
「…………はぁ」
長く息を吐いた。
「正直に言います」
みんなが俺を見る。
「めちゃくちゃ怖いです」
坂本が少し意外そうな顔をした。
「お前らが何やってるのか知って……むしろさっきより怖くなりました。人の心に入って、欲望を盗んで、本人を改心させるって……普通に考えたら『やめとけ』って話だと思う」
誰も反論しなかった。
新島先輩も、ただ静かに聞いている。
「だから……ちょっと迷いました」
自分でも認める。
本当に、一瞬だけ。
「でも」
もう一度、雨宮たちを見る。
「それでも俺は、知りたい」
若葉さんに何があったのか。
双葉ちゃんに何が起きたのか。
母さんたちの間に何があったのか。
「何も知らないまま、『俺には関係ありません』って帰る方が、今の俺には無理です」
それに――。
これは口には出さなかった。
せっかくもらった、二回目の人生だ。
前と同じように常識だけ守って、安全なところから眺めて終わるのも……なんか違う気がする。
少しくらい。
本当に、少しくらいなら。
こんな滅茶苦茶な青春に首を突っ込むのも、悪くないだろ。
「だから、答えは変えません」
今度は迷わず言えた。
「今回の件、俺にも手伝わせてください」
Is that a cat?