救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる   作:音塚雪見

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崩落のダンジョンパニック
第1話


 結論から言うと、俺は世界観を間違えていた。

 

 

「……?」

 

 

 目の前で首を傾げる少女を眺める。

 透き通るような白髪に、陶磁器を想起させる肌が印象的な少女だ。

 まだ幼いながらも、将来の美貌を確信させる顔立ち。

 街を歩けば間違いなく声を掛けられるだろう──その少女に。

 

 

 俺は、見覚えがあった。

 

 

「ど、どうしたんですか? (あおい)さん」

「いや……なんでもない」

 

 

 誤魔化すように掌を向けて、現実逃避がてら天井を見つめる。

 ごつごつとした岩肌。壁に掛けられたランプ。

 空気の流入が少ない洞窟内でランプを使うとなると、酸素の消費が気になるところだが、青く光るあれは魔石を燃料にしているため、特段の問題はない。

 

 

「はあ……」

 

 

 指先で仮面の感触を確かめつつ、そっとため息をついた。

 

 

 目の前に居る少女。

 先程、魔物の群れから助けたばかりで……名前は、嶺岸(みねぎし)明日香(あすか)とか云ったか。

 白さ際立つ外見に、その名前。

 ……うん。

 

 

 ──やっぱり『魔女あるいは』のラスボスじゃねーか!!

 

 

 俺は慟哭したい気持ちだった。

 衆目がなければ、絶対、地団太を踏んでいた。

 それくらいの衝撃だった。

 

 

「や、やっぱり何か……? 私に問題でもあったでしょうか……」

「気にしなくていい。どうも調子が悪いようでな。君がどうこうという話じゃない」

 

 

 明日香はおろおろと狼狽える。

『魔女あるいは』のラスボスである嶺岸明日香には、感情が高ぶると魔力暴走を起こす──という設定があるから、俺は必死に彼女を宥めた。

 こんな場所でしょうもない死に方をするつもりはないぞ。死んでも死にきれん。

 いや二度目の人生なんだから、文句を言う筋合いはないかもしれないが。

 

 

 ──そう。

 俺、古明地(こめいじ)葵は転生者である。

 今の今まで世界観を間違えていた転生者である。

 

 

 前世の死因だとか、どんな人間だったか……などはつまらない話なので省略するとして、この世界には、ファンタジーよろしく魔法が存在する。

 しかし諸手を挙げて喜べないのは、魔法が女性にしか使えないうえ、一度でも使用すれば、とんでもない代償を支払う必要があるからだ。

 

 

 代償には様々な種類がある。

 単純に……失明や記憶喪失など、自身が被害を受けるものもあれば。

 家族や親しい人間が命を落とすなど、周りに被害を及ぼすものもある。

 魔法と銘打った呪いみたいなものだ。マジ終わってる。

 

 

 そんな世界に転生した俺は、どういうわけか男なのに魔法が使えた。

 もちろん代償が怖いから、使用したのは数えるほどだが。

 

 

 んで、男だてらに魔法使いとなった俺は、己を主人公だと錯覚した。

 仕方がないだろう。普通はできないことが自分には──自分だけにはできるのだ。

 加えて転生者という経緯もある。

 以上の事情を考慮すれば、自身を世界の中心に定めるのは必定だったのだ。

 

 

 あれやこれやと語ったが、要するに、馬鹿な男の馬鹿な思い込みである。

 けれども幸運なことに──あるいは不運だったのか──俺には才能があった。

 魔物渦巻くダンジョンに潜って、敵をバッサバッサと薙ぎ払い、世界最強の魔女と呼ばれるくらいには、才能を宿してしまっていた。

 

 

 そう。

 魔女である。

 

 

 女にしか魔法が使えないという触れ込みなのに、女ではない俺が堂々と魔法を行使していては、まず間違いなく実験だとか、悍ましい目に遭うだろう。

 なので性別を隠してダンジョンに潜っていたのだ。

 顔と声を誤魔化せる仮面を被りながら。

 

 

 ──けど、それもこれまでだな……。

 

 

 この世界は俺に都合のいい死後ワールドだと思っていた。

 だが違う。

 鬱ゲーと名高い『魔女あるいは』の世界だと判明したのだ。

 アホ面を晒して(晒してないけど)魔女だなんだと浮かれている場合じゃない。

 

 

「……?」

 

 

 相変わらず目の前では、嶺岸明日香が首を傾げている。

 未来のラスボスだ。彼女の機嫌を損ねれば、如何な俺でも、命を落とすかもしれない。

 

 

 そして『魔女あるいは』の登場人物には、俺を殺し得る存在が掃いて捨てるほど居る。

 畢竟するに、イキってたら死亡エンドまっしぐらだ。

 恐ろしすぎて呼吸もままならない。

 

 

 ゆえに俺はある決断を下した。

 迷いはなかった。

 決断を下してからは間髪入れず、俺の周りを取り囲むパーティーメンバーたちに、よく通る声で宣言した。

 

 

「もう引退するわ」

「は?」

 

 

     ◇

 

 

『世界最強の魔女、古明地葵に迫る!』

 

 

 とかなんとか、くだらない文字が躍る雑誌を放り投げた。

 机のほうへ適当に投擲したのだが、どうやら無事に着陸したらしい。

 ぱたん、と乾いた音が店内に響く。

 

 

「ちょっと店長、物を投げないでくださいよ」

「悪い悪い。ついうっかり」

「まったく癖が悪いんだから──」

 

 

 エプロンを着た少女が嘆息した。

 闇をそのまま溶かしたような黒髪の彼女──小牟田(こむた)式子(しきこ)は雑誌を拾い上げると、「古明地葵の話題じゃないですか」と眉をひそめる。

 

 

「世界最強の魔女様にはファンも多いんですから、その話が載った雑誌を適当に扱うと、祟られますよ」

「ファンだあ?」

「知らないんですか? 数年前に突如として引退しましたけど、やっぱり実力は確かなので、いまだに根強い人気があるんですよ」

 

 

 それに世界を滅ぼし得る魔物を何度も討伐してましたからね。救世主というか、とにかく英雄として捉えていた人も結構多いんです。

 と式子はぺらぺら雑誌を捲った。

 

 

「ふうん」

 

 

 俺は曖昧な息を返す。

 魔女時代のことは黒歴史として避けてきたから、まさかそんな状況になっているとは思いもよらなかった。さっさと忘れてくれればいいのに。

 人の噂も七十五日と云うし。

 

 

「店長。お客さんも居ませんし、私この雑誌読んでてもいいですか?」

「いいぞ」

「やったあ」

 

 

 気の抜けた声を発しながら、式子は客用の椅子に腰を下ろした。

 机に頬を預けて視線は雑誌。アルバイトとして働いているとは到底信じられない格好だ。

 まあ、それを許可したのは俺なのだが。

 給仕するべき相手も居ないし、別にいいだろう。

 

 

「にしても暇だな……」

 

 

 店内を見渡す。

 かなりこだわって内装を作ったから、雰囲気はいいのだけれど。

 致命的に立地が悪かった。

 ただでさえ細い通りの、路地裏。

 そこに店を構えてしまえば、どれだけ味がよかろうが雰囲気がよかろうが、そもそも誰も訪れないのだから、繁盛するはずもなかった。

 

 

 魔女を引退した後、趣味がてら喫茶店を開いただけだから、忙しくないのは結構だ。

 暇なのはいただけないが──ダンジョンに潜ってた頃はゆっくりする時間もなかった。

 今はこうして、日がなコーヒーの香りに包まれながら、ぼうと過ごす日々である。

 

 

「まさか小牟田式子がバイトしにくるとは思ってもみなかったけどな」

 

 

 ぽつりと呟いた。

 小牟田式子。

『魔女あるいは』の主人公。

 

 

 膨大な魔力量を誇る、作品内でも屈指のチートキャラ。

 しかし調子に乗って魔法を使いまくると、相応に代償も重く、すぐにバッドエンドに直行する。

 鬱ゲーの名に相応しく、そのスチルはプレイヤーの心を曇らせることで有名だ。

 俺も何回もあの一枚絵に苦しめられた。

 

 

『魔女あるいは』とは、滅びの確定している救いのない世界で、どれだけ人類は足掻けるか──がテーマのゲームである。

 何度も鬱ゲー鬱ゲーと連呼しているように、当然、主人公の小牟田式子にも重たい過去がある。

 

 

 そしてこのゲーム、選択肢が相当シビアで、一つでも間違えると即世界滅亡だとか人類滅亡だとか、とにかく難易度設定が理不尽なのだ。初見クリアできる人間は存在しないだろう。

 俺もあまりにクリアできないもので、攻略サイトと睨めっこしつつハッピーエンドに辿り着いた……という苦い記憶がある。

 プレイは己の力で──が信条だったのだが、それを破らされたのは初めてだった。

 

 

 だからこそ俺は魔女を引退したのだ。

 

 

 選択肢を誤ればバッドエンド。

 理不尽な展開。

 そこに古明地葵という不確定要素が入り込めばどうなるだろう。

 

 

 俺の存在だけで流れが大きく変わるということはないだろうが、大きく変わらなくとも、些細な変化で滅びてしまう繊細さを、この世界は持ち合わせている。

 メンヘラかよ。世界とかスケールのデカい話してるんだから、もっと寛大になってくれよ。

 

 

 なんて文句は誰も聞いてくれない。

 そりゃそうだ。俺しか辿るかもしれない未来を知らないのだから。

 ──俺だけが、未来を知っている。

 

 

「バイトしにきてくれたのは、監視って意味では、まあ都合がいいのかね」

 

 

 カウンターに頬杖をついて式子を眺める。

 熱心に雑誌を読み進める姿からは想像もできないが。

 彼女の選択次第で、この世界は存亡を左右されるのだ。

 

 

 ……俺は正しい選択肢を識っている。

 進むべき道を理解している。

 導くべき未来を視ている。

 

 

 本当は秘密裏に式子の判断を誘導するつもりだったのだが、こうして近くに居てくれれば、進行具合などを管理しやすい。

 

 

「どうしたんですか? 店長。そんなに私のことをじっと見て……ハッ!」

「違う違う。妙な勘違いはやめてくれ」

「私の美貌にくらりと来たんじゃないんですか」

「美貌ねえ」

 

 

 確かに小牟田式子の外見は非常に整っているのだが、しかし、実年齢は驚異の三歳ほどだ。

 研究室で産まれた彼女に「そういう目」を向けるほど腐っちゃいない。

 なので、俺は鼻を鳴らすことで以て式子への返答とした。

 

 

「はっ」

「如何な店長といえど、ここまでの侮辱、決して許せるものではありませんよ……!」

()るのかい黎明の魔女。一般人相手に」

「──どうしてその名前を」

 

 

 式子は頬を染める。

 黎明の魔女なんて二つ名、年頃(と同じくらいの精神年齢をした)な彼女には少し恥ずかしいのかもしれない。

 ちょっと揶揄ってやるか……くらいの気持ちで、俺は指差した。

 

 

「いま君が読んでる雑誌に載ってたぞ。なんでも、『新進気鋭の魔女! 巷で噂の三人に取材をしてみました!』とかインタビュー記事が……」

「焚書坑儒! 焚書坑儒!」

 

 

 ばたん! と勢いよく閉じられた雑誌。

 続けざまに懐より杖を抜き出すと、式子は魔力を練り始めて──。

 

 

「待て待て待て待て! 魔法はまずい! こんなくだらないことで魔法なんて使うな!」

「店長は解らないでしょう!? 黎明だのなんだの、こっぱずかしい二つ名を付けられる魔女の気持ちが!」

「…………」

 

 

 実は理解(わか)る。

 めちゃくちゃよく分かる。

 俺だって千の嘘を宿す仮面の魔道卿(パラドックス・マギ)とか呼ばれてたし。

 今じゃ世界最強の魔女だけど。

 

 

 されど素直に喋るわけにもいかず、俺はもごもごと曖昧に口を噤んだ。

 その間に式子は雑誌をゴミ箱に放り込んでいた。SDGs。

 

 

「……二つ名の良し悪しはさておいて、凄いじゃないか。確か学園でも上位三人にしか付与されないんだろ? 努力の賜物だ」

「人にひけらかすものでもないですけどね」

 

 

 彼女は謙虚に笑う。

 居心地が悪いのか、髪を一房摘まんで。

 

 

「二つ名くらい手に入れられないと……私が生まれてきた理由が、判らなくなっちゃいますから」

「ふうん」

 

 

 人によっては式子の態度を慇懃無礼と評するかもしれない。

 しかし彼女の境遇を知っていると、その振る舞いにも納得できるのだ。

 魔物を殺すためだけに生み出され、世界の滅亡を先延ばしにする──魔女というよりも、生贄としての役割を求められた、小牟田式子を知っていれば。

 もちろん理解を示すことはできないけれど。

 

 

「難儀なものだね」

「はい。難儀です」

 

 

 俺たちのやり取りはここでひとまず終幕を見せた。

 後は普段どおり、お客さんの居ない店内でぼうと過ごすだけ。

 式子は誰かを待つように窓を見つめて、時折スマホに視線を落とす。

 俺は端から客など来るまい、と貫禄の読書タイム。

 

 

 ところが今日は違った。

 

 

「あっ」という式子の声に視線を上げると、からんからん、扉に付けている鈴が激しく鳴った。

 総来店数が片手では数え切れなくなったことを祝福しようか。

 ──あるいは、剣呑な空気に溜息でも吐き出そうか。

 

 

「知り合い?」

「そう、ですね……知り合いと言えば、知り合いです」

 

 

 尋ねると、苦々しく答える式子。

 彼女の眼差しは、扉を背に腕組みをする少女に注がれていた。

 

 

「あたしは大牟田(おおむた)珠姫(たまき)。そこな黎明の魔女のライバルよ」

「ライバル違う……」

「なら憎たらしい妹的な存在。とにかく、あたしたちはお互いに嫌いあってるの」

「って言ってるけど?」

「まあ、その、部分的に合ってます……」

 

 

 しぶしぶ、という擬音が実に似合う様子で、式子は肩を落とした。

 

 

「大牟田珠姫……」

 

 

 まったく聞き覚えのある名前だ。

 そして、なるほど。そうか。

 始まってしまうのか。

 ゲーム本編──『魔女あるいは』が。

 

 

 大牟田珠姫は苗字からも察せられるように、小牟田式子と同じ研究室で生み出された少女だ。式子を完成系の人工魔女だとすれば、珠姫はプロトタイプだろうか。膨大な魔力を持つものの、操作能力に難があり、失敗作の烙印を押された少女。

 

 

 そんな境遇のせいだろう。珠姫は式子に並々ならぬ憎しみを向けており、事あるごとに彼女と張り合おうとする。いわゆるライバルキャラだ。

 

 

 まあ喧嘩するほど仲がいいとも云うし、二人が和解すると、それはもう凄まじく親密になるのだが……最初は殺人も厭わぬ恨みようだ。

 今も珠姫は、視線だけで人を殺せそうな目を式子に向けている。

 

 

「…………」

 

 

 白い髪を二つに結わえる姿は、見た目だけなら深窓の令嬢。

 おそらく黙ってさえいれば誰もが美少女だと断ずる外見である。

 が、しかし、一度でも口を開けば喧々囂々、倫理観を母親の腹の中に置いてきたのかと疑ってしまう暴言が飛び出す。

 彼女は母親から生まれてなどいないが。デザイナーベビー。

 

 

『魔女あるいは』の冒頭は、主人公である式子と、ライバルである珠姫が衝突するところから始まる。

 もちろん舞台はこの喫茶店などではなく、学園である。

 ゲームの展開をできる限り変えないように、という思惑で表舞台から引退したのに、早速変わってしまったぞ。

 ……いやまあ、式子の様子を直接監視できる立場も手に入ったんだし、プラマイゼロか。またはちょっとプラスだろう。ガバはスパイス。

 

 

 俺は無理やり自分を納得させ、火花を散らせる二人の間に割って入った。

 

 

「喧嘩はよしてくれないか、お嬢さん方」

「あ、すみません……式子を前にすると、つい周りが見えなくなって」

「せっかくお客さんが来てくれたんだし、コーヒーでも出そう。お腹は空いてるかな?」

「……実は、お昼ご飯まだで」

「じゃあ適当に何か作るよ」

 

 

 久しぶりに腕を振るう時が来たな。

 なんて息巻いていると、式子に袖を摘ままれた。

 

 

「店長。あんな奴お客さんじゃないですよ。害虫です、害虫。ゴキブリと同義です。バルサン焚いて悪霊退散しましょう」

「ちょっとアンタ。人のことをゴキブリ呼ばわりするとはいい度胸じゃない」

「……執拗に人の周りをうろちょろする鬱陶しさを考慮すれば、ゴキブリじゃなくて鼠が適当かもしれませんね」

「小牟田式子ォ!!」

 

 

 おお。本当にこんな会話するんだ。

 ゲームで見たとおりのやり取りに、俺は少し感動していた。

 

 

「うちは鼠でも差別せずに提供するよ」

「ちょっと! 式子のホラを真に受けないでくださいよ!」

「店長。それは嘘をつくタイプの鼠です」

「まず鼠は言葉を喋らない!」

 

 

 自身の髪束を掴んで絶叫する珠姫。

 彼女は懐から杖を抜き出すと、魔力を練り始めて──。

 

 

「待て待て待て待て! 魔法なんて使うな! 最近の魔女はこんな喧嘩っ早いのしか居ないのか!?」

「式子……アンタさえ居なければあたしは……!!」

「受けて立つよ。珠姫との因縁はここで終わらせる」

「終わらせるな! こんなところで魔女同士が戦えば、因縁以前に喫茶店が終わる!」

 

 

 魔女時代に稼いだ資金の大半を費やして開店したのだ。こんな馬鹿馬鹿しい小競り合いが原因で失いたくない。

 俺は全力で二人を止めた。

 

 

「ふう……いいか。絶対に魔法なんか使うんじゃないぞ」

「…………」

「…………」

「返事は」

「はーい」

「はい」

 

 

 二人は不承不承、という感じで口を開く。

 

 

「俺は料理作ってくるけど、カウンターから見てるからな。喧嘩とかするなよ」

「一か八か、〇・二秒の魔法攻撃──」

「魔力の起こりが発生した時点で俺は皿を投げつけるぞ」

「委細承知」

「大丈夫かなマジで……」

 

 

 彼女らの仲が険悪なのは知っていたが、まさかここまでとは。

 俺は現役時代さながらの魔力感知を張り巡らせ、カウンターに赴いた。

 

 

     ◇

 

 

 核ミサイルを突きつけ合っているような緊張感は依然として維持されているが、料理が完成するまで戦争は勃発せず、無事にコーヒータイムと相成った。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 式子と珠姫は睨み合っている。

 睨み合いながら、コーヒーを啜る。

 

 

「あ、これ美味しい……」

 

 

 ぽつりと珠姫が呟いた。

 嬉しい言葉だ。大枚はたいて購入した豆を使っているから、自信はそれなりにあったけれど──やはりお客さんにお褒めいただくのは違うぜ。

 俺はニヨニヨと笑った。

 

 

「じゃあ、次はこのナポリタンを──」

 

 

 珠姫は湯気の立ち上るナポリタンに、そっとフォークを差し入れる。

 大樹に絡まる蔦のようになった麺を、静かに口に運んで。

 

 

「なにこれまっっっっっっず!!!!!」

 

 

 盛大に吐き出した。

 口直しと言わんばかりにコーヒーを嚥下する。

 

 

「えっ、えっ、えっ!? 何!? テロでも発生したの!?」

「自信あったんだけどなあ」

「見た目は完璧だったのに! 味が致命的に駄目!」

「味見しなかったのが敗因かな」

「味見しないで客に料理を提供するのはあり得ないのでは!?」

 

 

 珠姫は力強く肩を震わせた。

 

 

 うーん。

 まあ、確かに。

 味見しないのはあり得ないよな。

 俺は頬を掻く。

 

 

「アンタもアンタよ! 式子、どうして平然と食事を進めてるわけ!?」

「ああ……私は味覚を『持ってかれた』から」

 

 

 空気が凍った。

 いや、違うか。

 固まったのは珠姫だけだ。

 

 

 俺は表向き驚いたふりをしているが、ずっと前から知っていた。

 式子は淡々と説明する。

 

 

「少し前にね、異常な強さの魔物と戦うことになったの。そこで魔法を使った。代償に味覚を失った。……まあ運がいいよね。心臓が動かなくなるとか、脚が動かなくなるとか、戦闘に支障をきたす代償じゃなかったから。今もこうして普通に生活できてるし」

 

 

 それに身体能力がぐーんと上がったんだよ。

 と式子は二の腕を膨らませてみせた。

 

 

 ──魔力は、魔法を使えば使うほど、使用者の身体に馴染む。

 だから上位の魔女は人類の枠を大きく超えた身体能力をしているし、聞いた話によると、戦闘力向上のために魔法をバンバン使う者も居るらしい。

 賭け金は自分の命。報酬は虚無的な強さ。

 実にくだらないチキンレースだ。

 強くなるのが先か、死ぬのが先か。

 

 

「代償」を知った珠姫は二、三歩たたらを踏むと、震えた声で言った。

 

 

「ご、ごめんなさい……あたし、知らなくて……」

「別にいいよ。珠姫がそんな殊勝な態度だと、変な感じがする」

「でも……式子はもう魔法を使ったのに、あたしはまだ──」

「劣等感を理由に魔法なんて使わないでね」

 

 

 ぴしゃりと。

 式子は釘を刺した。

 

 

「私は必要に迫られて魔法を使った。死ぬかもしれない状況に追い込まれて、仕方なく、使ったの。命の瀬戸際でもないのにリスクを冒す必要はない」

 

 

 彼女の言葉には重みがあった。

 自分の意志で、自分の命を賭け金にした者特有の。

 しかし緊迫した空気は長く続かず、式子は「にへら」と笑い、珠姫の肩に手を回した。

 

 

「だけど……ええ? まさかあの珠姫が、私に謝罪をするなんてねえ」

「なっ!」

「存外可愛いところもあるものだよ、まったく。大牟田珠姫がゆるキャラに見えてきた」

「誰がゆるキャラよ! 離しなさい! ……力が、力が強いっ!」

「魔法の後遺症だぜ」

 

 

 二人はわちゃわちゃと騒ぎ始める。

 ゲームでは中盤のあたりに起こる和解イベントだ。

 食事を一緒に取ると発生するイベントで、まさか始まって早々に起こるとは想定外だ。

 

 

 ──?

 俺は自分の思考に違和感を抱いた。

 

 

 そもそも、どうして俺は珠姫に料理を提供しようとした?

 原作から大きく乖離する要因だと理解していただろう。

 それなのに……なぜ。

 

 

 銀の皿に取り残されたナポリタンを口に放り込む。

 相変わらず味がしない。

 当の昔に『持っていかれて』、それ以降、味見なんてしてこなかった。

 

 

 俺は自身の行動に強い猜疑心を向ける。

 普段の古明地葵なら、世界最強の魔女であれば、こんなヘマはしなかった。決してミスをせず、確実に要素だけを積み上げて勝利する。それが古明地葵の生き方だったはずだ。

 にもかかわらず、最近の俺はどうにもおかしい。

 具体的には式子がアルバイトの面接を受けに来た頃からだろうか。ゲームの流れを変えたくないのであれば、適当に落とせばいいものを、監視が楽だからなんだと言い訳を付けて、結局採用してしまった。

 

 

 これはおかしい。

 甚だおかしい。

 異常だ。

 今まで違和感を抱かなかったのも併せて、異常である。

 

 

「何者かによる精神操作──」

 

 

 可能性として思い当たるのはそれくらいだろうか。

 俺はこれでも世界最強だ。駒として運用するには、これ以上ない標的。

 しかし疑問も残る。自他ともに認める最強なのだ、同様に洗脳だとかの耐性も尋常でなく、古明地葵を超える魔力量を持つ魔女とかでないと、まず不可能であろう。

 

 

 ……いや。

 ゲームの登場人物であれば。

『魔女あるいは』に跳梁跋扈するチート共の仕業だとすると。

 遺憾ながら、納得できる。

 

 

 確かに俺は世界最強の魔女と呼ばれているし、奴らと直接戦っても勝利することはできると思う。けれども、警戒をしていない状態で絡め手を用いられると、どうだろう。知らず知らずのうちに、行動指針を歪められるくらいはするかもしれない。

 

 

「……? 店長、どうかしましたか」

「ああ、いや……なんでもない」

 

 

 式子の心配げな問いかけに、ちょっとした片頭痛だ、と返す。

 

 

「二人の百合百合しい雰囲気に当てられたのかな」

「百合百合しい!?」

「俺はバックヤードで休んでるから、満足いくまでイチャついててくれ」

「ちょっと待ってください! あたしと式子はそんな関係じゃ!」

「そういう関係の人はそういう台詞を吐くもんだよな」

「んんん悪魔の証明! 仕掛けられた時点で敗北必死のレッテル貼り!」

 

 

 地団太を踏む珠姫。

 案外、彼女は子供っぽいところがあるのかもしれない。

 ……そりゃそうか。

 大牟田珠姫はこの世界に産み落とされてから五年くらいしか経ってないもんな。

 子供っぽいというか子供そのものだ。

 

 

 俺は苦笑して、二人をその場に残し、バックヤードに避難した。

 

 

     ◇

 

 

「ねえ……葵はまだ見つからないわけ?」

「この国に存在する監視カメラすべてに常時アクセスしてるんだけどね……なかなか」

「あんな体格のいい女なんて珍しいでしょ。何度も『実は男なんじゃない?』って疑ったくらいなんだから」

「それが全然カメラに映らないんだよ。性別を無視すれば、限りなく似た人物は居るんだが」

「でも男なんでしょ? じゃあ別人だよ。魔法は女にしか使えないんだから」

 

 

 暗闇の室内にて。

 いくつもの画面がぼんやりと光を放っている。

 この国──アストラディア連合王国に存在する監視カメラの映像が、すべて閲覧可能なのにもかかわらず、古明地葵という魔女は見つからない。

 

 

「ともすると、すでに別の国に行っているのやも」

「結界を越えて? いくら葵でも無理だよ。結界の外は八百万の魔物で覆われてるんだから」

「いや──彼女が全力で移動に集中して、後先考えず魔法を連発すればあるいは」

「葵はそんな分の悪い賭けをするタイプじゃないけどなあ」

 

 

 古明地葵の元パーティーメンバーであった浅村(あさむら)瑞佳(みずか)は、意気消沈した様子で天井を見上げると、ついに隠しきれない疲労を溜息にして吐き出した。

 艶やかな金髪はくすみ、双眸の下には深い隈が居座っている。

 

 

「葵……いったいどこに居るの」

 

 

 古明地葵。

 世界最強の魔女。

 突如としてダンジョンの魔物討伐を引退すると宣言し、そのまま姿をくらませてしまった──瑞佳にとってとてもとても大事な相手。

 彼女と連絡が取れなくなって早数年、瑞佳は、そろそろ限界が近づいていた。

 

 

「瑞佳……そんなに無理をするものじゃない。君、最近は魔物の討伐数も増えてきたのに、葵を捜索するために国中を飛び回っているんだろう? 睡眠時間はどうした。集中の欠如は命を落とす要因になるぞ。君の信奉する古明地葵殿であれば、まず間違いなくそう言うと思うけどね」

 

 

 分厚い丸眼鏡をした魔女──飛塚(とびつか)繭子(まゆこ)が苦言を呈した。

 彼女も彼女であまり寝られていないのだろう、目の下には酷い隈があるが、言うことだけは立派である。

 

 

「繭子だって限界ギリギリなんでしょ。十数秒に一度、意識が落ちてるし」

「ええ? 本当かい」

「証明してあげようか? ……いち、に、さん、し──ほら落ちた」

「……はっ! まさか自分がここまで追い詰められているとはね」

 

 

 恥ずかしがるように後頭部を掻く繭子。

 別に恥ずかしがるところではないと思うが、強い魔女には変人が多い。

 彼女もそのうちの一人ということだ。

 

 

「はあ……まったく。葵も分からない人だよねえ。あんなに熱心に魔物を倒していたというのに、突如として引退するなんて言い出すんだから。あの時の瑞佳の慌てようといったら、他に類を見ないほどだったよ」

「繭子だって狂ったように騒いでたじゃん」

「瑞佳には負けるよ。僕は貞淑な乙女で有名なんだ」

「貞淑な乙女は何日も缶詰めになって画面と睨めっこしないものだよ。お風呂くらい入りな」

「ああ……そういえば、そういう概念も存在したね。懐かしい」

「概念から忘却してた!?」

 

 

 二人は空元気に振る舞う。

 しかし、限界は近い。

 精神的支柱であった古明地葵が姿を消したのだ、さもありなん。

 

 

 ──彼女らの感情は、音信不通の数年でずいぶんと積もり積もった。

 どれくらい積もり積もったかというと、葵と再会しようものなら、二度と自分の前から姿を消せないように監禁を躊躇わないくらいに。

 元は純粋な友愛とかその他諸々のはずだったのだが、今ではすっかり濁り切ってしまった。

 まあ説明もろくにせず居なくなったどこぞの男──もとい魔女のせいである。

 是非もなし。

 

 

「……? なんか寒気がしたな……」

 

 

 舞台は変わって喫茶店。

 バックヤードに移動した葵は、やにわに襲ってきた寒気に肩を震わせた。

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