救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
硬い椅子の感触を尻で味わう。
手と足は縄で縛られており、その緊縛具合も凄まじい。拘束されたのが俺ではなく、普通の人間だったなら、絶対に逃げ出せなかっただろう。
「…………」
しかも目の前には銃を構えたソフィア。
彼女の双眸には寸分の隙もない。
少しでも妙な動きをしたら撃つ。
冷たい眼差しがそう語っていた。
「──早く自分の正体を暴露したらどうかしら」
「質問も何もされていないのに?」
「地下深くで拘束され、眼前に銃を突きつけられて、まだふてぶてしい態度を取れるのは、結構な胆力だとは思うけれど。……命が惜しいのなら、そのへらへらした振る舞いを即刻改めることね」
ソフィアは銃口を額に押し付けてきた。
ぐり、と金属の鋭い冷たさ。
「……分かった。分かったから」
両手を上げて──はできないので、態度で屈服を示す。
拘束くらいは解けるけれど、ゼロ距離で鉛玉をぶち込まれたら……さすがに死ぬかもしれない。俺はまだ人間だから。鉄砲を弾ける防御力、なんて都合のいいものはない。
まあ引き金を引く事前動作を認識したら、反射的に逃げられはするだろうが。
……さてと。
どうしようか。
俺は困った。
正体を明かせ、とソフィアは言う。
前世の記憶を持った世界最強の魔女(男)です。よろしくお願いします。
絶対に信じられない。攻撃してくださいとお願いするようなものだろう。
しかしそれが真実なので、なおさら困った。
おそらく彼女は、俺が誰かに派遣されて研究室に侵入したと思っている。その誰かは──十中八九、ソフィアに敵対的な魔女。この命が軽視される世界においても、『人間を創る』行為は忌避されている。彼女を嫌う人間は多い。それこそ、こうして地下深くに姿を隠す必要があるくらいには。
ソフィアの脳裏に浮かんでいる名前は、魔女協会の上層部の奴らか、あるいは学園の教師陣。
……たぶんこの辺だけれども。
実際のところ、それと俺とはまったく関係がないのだ。
されど正直に説明したとて、信用されるはずもなく。
完全なる詰みの状態であった。
「この期に及んで、まだ渋ると?」
「別に渋ってるわけじゃあないんだが……」
「では早く言いなさい」
銃口が額にめり込む。痛い。
いや俺は痛覚を失ってしまっているから錯覚なのだが。
「ふう……」
ここまで来てしまったのならば仕方がない。覚悟を決めて嘘八百を並べ立てよう──と俺は舌を回す準備をした。
要はソフィアを納得させればいいのだ。何も真実を話す必要はない。精度百パーセントの嘘発見器とかトンデモアイテムを開発されていたらアウトだが、さすがにないだろう。
彼女が納得しそうな……例えば学園の長の名前でも出しておけば、ゲームでも犬猿の仲だったし、疑う余地なく信じてくれるはず。信じてくれ。
そんなこんなで。
勇気を振り絞り。
口を開こうとした。
──その瞬間。
「……これは」
大地が張り裂けんばかりに震えはじめた。
ソフィアは美しい眉を顰める。
「まさか貴方が?」
「魔女でもない男が、地震なんて起こせるはずないでしょう」
「それもそうね──しかしタイミングの悪い」
彼女に感情が残っていれば、間違いなく舌打ちでもしていただろうタイミングの悪さ、あるいは俺にとっては、タイミングのよさだった。
「地震なんて、数百年に一度起きるか起きないか程度の不確定要素。考慮に値しないと思って、地下深くに研究室を作ったのだけれど」
「ということは……耐震性とか?」
「雪の降らない地域で、積雪対策がされているとでも?」
「じゃあ生き埋めまっしぐらじゃねえか」
俺は丁寧な口調を放り投げて立ち上がる。
拘束はどさくさに紛れて解除した。
「私としては特段問題ありませんが」
「そりゃ他人の生き死になんて関係ないだろうけど」
この世界では命の価値が軽い。
何度も述べた言葉だが、その事実は、住人の感覚にも影響する。
要するに他人が──家族や友人でもない限り──生きようが死のうが、どうでもいいのだ。魔女が犠牲になって維持される世界において、知らない誰かを心配するなんて、偽善どころか、異端もいいところなのである。
ソフィアが冷淡というわけでもない。
普遍的な、ごくごく普通の感覚だ。
俺は赤くなった手首を擦りながら、首を傾げた。
「貴女も生き埋めになるのは御免では?」
「……そうね。世界最強の魔女でもあるまいし、生き埋めになって、生存できるとは思わないわ」
え俺ってば生き埋めになっても問題ないと思われてんの? そんなわけないだろ。普通に死ぬぞ。
「別に世界最強の魔女も生き残れないですけどね」
「知ったような口を利くのね」
「あいや予想ですけれども」
いかんいかん。口が滑った。
ひゅうひゅうと嘯いて目を逸らす。
変な勘違いをされたくなくて、余計なことを言ってしまった。
「とにかく逃げましょう」
「まあ、それが最善ね……ところでいつの間に拘束を?」
「縄の締め方が緩かったのか、なんか解けました」
「そんなわけ──雑談をしている暇はなさそうね」
ソフィアがこちらに疑いの眼差しを向けてきた途端。
揺れはさらに激しくなり、今にも研究室が崩落しそうになった。
もはや喋っている余裕はない。
俺たちは全力で──とはいっても一般人程度の身体能力に制限して──走り出す。
「式子と珠姫は?」
「あの子たちなら大丈夫よ。指示を受けなければ動けないロボットではないのだから。今頃はもう研究所の外に出ているでしょう」
「ふうん」
そう。
人工的な存在ではあるが、彼女らはあくまでも人間である。
外部からの入力に依存するロボットではなく。
自発的に行動し、意志を持つ人間なのだ。
「貴女……ソフィアさんと云いましたっけ」
「教えたことがあったかしら」
「話の流れで」
嘘だった。
完膚なきまでに。
しかし自信満々に告げたことで、どうやら彼女は信用してくれたらしい。
鼻を鳴らすことで以て続きを促してくる。
「その魔力の感じからして、魔女なんでしょう? どうして速く走らないんです。魔女ならもっと──」
「魔法の後遺症でね。心不全になったの。日常生活の範疇を超える運動をすると呼吸困難になって……最悪の場合、死ぬわ」
現在、俺たちは小走り程度の速度で走っていた。
心不全という説明だけでは詳細を知ることなどできないが、進行具合によっては、少し息が上がるくらいの運動でも……それこそ今の状態ですら、命に関わるのでは。
そんな心配が滲み出てしまったのだろう。ソフィアは「馬鹿にしないで」と眉を引き締めると、こちらを睨みつけてきた。
「死ぬのは怖くないわ。これでも魔女だったのだから。命への執着はダンジョンに棄ててきた。……それでも今、こうして走っているのは。ひとえに式子たちの未来を憂いているからよ」
ぴしり、と前方の天井に罅が入る。
蛍光灯が落下し、ちょうどソフィアが下敷きになりそうに。
俺は反射的に床を蹴りつけ、彼女の腰のあたりを掴み、抱き寄せた。
「これは……」
──蛍光灯から逃れられたのはいいが、もう駄目だな。
天井の罅が広がっていく。
もはや蛍光灯どころではない。
天井そのものが崩壊し、崩落し、地盤ごと襲い掛かってきた。
魔法の影響で向上した視力を利用し、落下物に潰されない隙間を探す。
「あそこなら」
荷物のようにソフィアを抱えた状態で、俺は壁の裂け目に滑り込んだ。
瞬間、背後で凄まじい音が鳴る。
振り返ると、そこには、裂け目の入り口を塞ぐように巨大な岩が鎮座していた。
とても一般人が動かせる重さではない。
「……一応お伺いしておくんだが、この状況を打破する手段は?」
「魔法を使えばなんとかなるかもしれないけれど。逆に言えば、魔法を使わないと、どうしようもないわね」
ソフィアは溜息をついた。
「隙間のサイズからして、酸素は一時間から三時間ほど持つかしら。酸素濃度が基準値を下回る前に、二酸化炭素濃度が限界に達するでしょうけど」
「その間に救助が来る可能性は?」
「研究所の存在は式子と珠姫しか知らないわ。あの子たちが私を助けるとも思えないし、まあ、ないでしょうね」
「詰みか」
「ええ」
俺は背中を壁に預けて座り込む。
……実際のところ、終わりではなかった。世界最強の魔女をしていた頃には、こんな窮地、腐るほど体験してきたから。
おそらく本気を出せば問題なく打開できるだろう。
しかしそれはソフィアに正体を知られるということで。
秘密を共有する人間は少なければ少ないほどいい。別にソフィアの口の軽さを疑うわけではないが、前提として彼女に俺の秘密を守る義理がない。
つまり、正体を明かしたが最後、古明地葵イコール俺という図式が広まる可能性が高いのだ。
──殺すか?
自然な選択肢として、そんな考えが湧く。
ソフィアさえ居なければ、こんな状況ピンチでもなんでもない。
物語の進行に彼女の存在は必要条件ではない。
彼女が居なくとも、ハッピーエンドには辿りつける。
「いや、駄目だ」
俺は自分の頬を叩いた。
あまりにも自分本位な考え方だ、それは。
他人の命を軽く見てはいけない。
彼ら彼女らはまだ一度目の人生なのだから。
魔法の後遺症で現実感を失っている俺にとって、それは最後の一線だった。決して超えてはならないルールだった。もし一度でも。一度でも破ってしまえば、きっと俺は踏みとどまれなくなる。目的を達成するためにありとあらゆる手段を用いることになる。他人を盾にして、都合のいい道具にして、魔物を殺して。最大多数の最大幸福を追求するだけの化け物になるだろう。
首を振って、瞼を固く閉じた。
二度と妙な考えが浮かばないように。
そんなことをしていると、突然の蛮行に困惑したのか、ソフィアは眉を顰め、
「貴方は被虐性欲の方なの?」
「違う」
「いきなり自傷行為に走るものだから」
「頭を冷やすのに必要だったんだよ」
まったくとんでもない勘違いをされるところだった。
あわや社会的評判損失の危機に、背中に冷たいものが伝う。
「ふう……」
気の抜けたやり取りをしていると、なんだか急に馬鹿らしくなった。
別に俺の正体がバレたっていいじゃないか。いやよくはないんだが。バレたとしても、捕らえられて実験体にされるとかは、かなり考えにくいのではないだろうか。
だって俺は最強だ。
自他ともに認める、世界最強の魔女なのだ。
俺ほどに人間を辞めかけた存在は居ない。
たとえ万の軍勢が差し向けられたとしても、最終的には自分が単騎勝つだろう。
だから正体が発覚しても問題ないのだ。
問題ない。そういうことにしておく。ひとまずは。
「……ソフィア」
「何かしら」
「これから君が見ることを、できれば誰にも言わないでほしい」
自分で言っておきながら、自分でも『守られまい』と確信してしまっている。要は現実逃避だ。現実逃避めいた強迫観念によって、俺はソフィアを助けようとしている。
「これから見ること、って──」
いったい何をするつもりだ。
疑念に満ちた眼差しを頂戴する。
俺は口を開かず、ただ肩を竦めるだけで答えた。
「…………」
天井を見上げる。
現在地点は、感覚的に地下二十七メートル。王都の外れのほうだから真上に建物はないだろう。確か人通りもないはずだ。
右手に魔力を集める。大地の層を打ち抜けるほどの魔力を練る。
「それは──」
ソフィアが驚いたように目を見開いた。
男なのに魔力を操っている。
そう言いたいのがありありと判る表情。
「ミスって生き埋めになりませんように」
俺は天井に拳を叩きつけた。