救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
ソフィアを横抱きしたまま宙へ躍り出る。
地盤を貫いた衝撃で人間大の岩が降る地獄。
俺は一度の被弾すらせず、無事に地表まで生還した。
「…………」
呆然としているソフィアを地面に降ろす。
彼女はぱくぱくと口を開き、閉じ──しかし言葉は発さない。
否。発せないのだろう。
双眸が混乱に染まっていた。
「貴方、その、魔力は」
「古明地葵。あるいは世界最強の魔女。それが答えでいいかな」
「……計り知れないわね」
眉間に皺を寄せるソフィア。
地面を見つめ、瞼を閉じる。
「──なるほど。世界最強の魔女か。学園長がどういう思惑で男を寄こしたのかと思っていたけれど、そう。確かに古明地葵なら、彼女とも付き合いがあるでしょうし、力不足でもないわね。納得できるわ」
それにしたって正体が男だとは考えもしなかったけれど。
ソフィアは大きく息を吐いた。
「…………」
俺は目を逸らす。
気まずかった。
彼女を納得させるために嘘八百を並べ立てたわけだが、無実の学園長に濡れ衣を着せるのは、どうにも収まりが悪い。
ゆえに俺は頬を掻きながら、「えーと」と口を開く。
「実は学園長の話は嘘なんだよね」
「え?」
ソフィアは目を丸くした。
彼女は魔法を使った影響で人間らしい感情を失ったと聞いていたのだが、今までの様子を見る限り、結構それらしい反応はできるんだな。
「俺は俺自身の意志で以て、君の研究室に辿り着いた。……いや、自分自身の意志かも判らないが。だって散歩をしてたら、いつの間にか侵入してしまっていたんだから」
「つまり完全なる偶然だと?」
「ああ。この期に及んで嘘をつく必要はないだろう?」
俺は肩を竦める。
……さっき話したのはまったくの真実なのだが、冷静に俯瞰してみると、全然信じられない展開だ。なんだよ散歩してたら偶然辿り着いてましたって。
いや、そう表現するしかないのだけれど、だからといって、信用できるかは別の話。
ソフィアも間違いなく疑うだろう──と予想していたのだが。
「……そうね」
僅かな沈黙ののち、彼女は視線を上げた。
その双眸に疑念は満ちていない。
「偶然。あるいは運命。この世界で起きる出来事をどう形容するかは各人の自由だけれど、世界最強の魔女ともなれば、私が全力を尽くして隠した研究室を、散歩ついでに見つけるくらい簡単なのかもしれないわね。それくらいできないと、それほどの運がないと、何回も魔法なんて使えないでしょうし」
はあ──と溜息をつくソフィア。
「でも納得はしづらいわね。それとも、呑み込みづらいと言ったほうがいいかしら。これでも十数年の労力を懸けた秘密基地だったのに」
「その節は……本当に申し訳なく思って」
「別に気にしてないわ。貴方も悪意があってしたわけじゃないでしょうし」
だいいち、もし世界最強の魔女が悪意を持っていたら、今頃……私なんて血の池に沈んでいたでしょう。
と彼女は物騒なことをのたまった。
……え? 俺ってばそんなイメージなの?
愛と平和を信奉する博愛の魔女なのに。
俺は自分の評判について本気で考える必要がありそうだ。
なんだか途端に気が重くなり、額を押さえて天を仰ぐ。
吹き抜けるような青空が──とはいっても結界に投影された「それらしい」紛い物でしかないが──広がっていた。雲一つない。
「……あれは」
そして。
淀みない青空の一部に。
穴が開いていた。
「ダンジョンが……消えた?」
結界の穴を塞いでいた塔が。
敵の侵入を防いでいたダンジョンが。
すっかり、跡形もなく、消滅していた。
──その光景を目の当たりにして思い出す。
『魔女あるいは』でもあった展開。
小牟田式子と大牟田珠姫の創造主であるソフィアによって、彼女ら二人の人間性が奪われ、魔物を殺す機械そのものに変貌させられて起きるイベント。
ダンジョンの崩壊。
崩落のダンジョンパニック。
以前も語ったことだが……ダンジョンの正体は、如何にもゲーム的な響きにもかかわらず、その実態は決して明るいものではない。
その正体は結界に開いた穴。
遥か昔、甚大な強さを持った魔物が開けた穴を、無理やり魔法で覆った場所。
見た目こそ塔のような建造物であるが、魔法によって創られたということもあり、傷ついた箇所を自動で修復する──解釈の仕方によっては生きた魔物の巣だ。
結界の穴からは常に魔物が侵入してきている。
その穴を塞ぐダンジョンが消滅したらどうなるのか。
答えは、今まさに、繰り広げられていた。
「ああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「助け……助けてええええ!!」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいい!?」
「お母さん!!!!」
「貴方だけでも……逃げ──!」
「ぎゃああああああああああああ!?」
王都中から悲鳴が聞こえてくる。
潰れ、嬲られ、血の啜られる音。
人間が殺されていく音。
──人類壊滅へのカウントダウン。
「そんな……こんな、ことって……」
隣に立っていたソフィアが茫然自失と呟いた。
もはや俺の正体なんてどうでもいい。
目の前の光景が。信じがたい現実が。
人々の苦しみが濁流となって鼓膜を揺らす。
──ダンジョンは魔法によって作り出されたものだ。
ただし、それだけでは完全に理解したとは言い難い。
そもそも魔法は永続性を持たない。
瞬間的で、刹那的な、束の間の奇跡。
使用者の願いを代償で以て叶える悪魔の力なのだ。
魔法が継続するのは十数秒がいいところで、結界に穴が開いてから数千年も蓋をしていられるわけがない。
要するに、ダンジョンは矛盾した存在である。
──しかし。
使用者が、魔女が常に魔法を使い続けていたら?
ダンジョンが生み出されてからこっち、常に代償を支払い続けていたら?
魔女の存在は人類の罪の象徴である。
が、あるいはダンジョンのほうが罪深いかもしれない。
「ダンジョンの地下にはかつて魔女だった物が埋まっている」
「何を……」
「人類を守るため、魔物の侵入を防ぐため、人柱になった魔女たち。人柱にさせられた被害者たち。人身御供。もはや人間とも魔女とも呼べる存在ではないが……彼女らは永遠の苦しみに苛まれていた」
死ぬこともできず。
身じろぐことすらままならず。
数千年の時を、暗い棺の中で過ごして。
かつて魔女だった物の献身によって、ダンジョンは成り立っていた。
「だが、ついに終わった。魔女たちは苦しみから解放された。代償を支払いきった。ゆえに、苦しみの結果である魔法は解除され、ダンジョンは消滅した」
悲鳴が聞こえる。
血しぶきが空を汚す。
結界の穴からは続々と魔物が入ってきていた。
数え切れないほどの、おびただしい悪魔どもが。
「ソフィア」
「行くのね?」
「ああ。俺は世界最強の魔女だからな」
「じゃあ私も行くわ」
「え?」
思わず振り返る。
彼女は魔法の代償で心不全になっていたはずだ。
魔物との戦闘なんて、およそ不可能である。
「言ったでしょう? 死ぬのは怖くない。怖いと感じる情緒すら失った。……確かに激しい運動はできなくなったけれど、今この瞬間に集中すれば、魔物だって殺せるわ。おそらく死ぬことになるでしょうけど」
立派な覚悟だった。
お手本のような魔女。
人類を庇護し、自らを省みない魔女。
俺は躊躇して──やがてその躊躇すらソフィアの想いを踏みにじるものだと悟り、首を振って彼女と真正面から向き合った。
「俺は君を尊敬するよ」
「あら。世界最強の魔女に尊敬されるなんて、私もまだまだ捨てたものじゃないわね」
「戦いが終わった後、もし二人とも生きていたら話をしよう」
「貴方が命を落とすところなんて想像できないけれど……そうね。喫茶店にお邪魔するわ」
「辺鄙な場所にあって申し訳ないが」
謙遜がてら肩を竦めると、ソフィアは唇を尖らせた。
「意地悪な言い方。気にしてたの?」
「いいや。事実だからな」
あの店が人通りの少ない路地裏にあって、辺鄙と形容されるのは間違いない事実だ。むしろそれを狙って、あの場所に店を開いたのだから。気にするわけもない。気にするわけもないが……。
「お客さんは少ないが、コーヒーには自信があるんだ」
「……こんなことになるなら、式子たちを迎えに行ったとき、コーヒーの一杯でも注文していればよかったかしら」
「この先いくらでも飲めるだろ」
「──そうね。そうなるといいわね」
ソフィアはかぶりを振って苦笑した。
「じゃあ、行きましょう」
「ああ」
俺たちは魔物どもを殺すために駆け出した。
……まあ、戦いを始める前に仮面とか取ってこなくちゃだけど。