救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる   作:音塚雪見

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第12話

 夕暮れだった。

 王都は夜に向かっていた。

 斜陽の中、人々が談笑しながら家に帰る。

 ありふれた幸せな光景。

 そんな日常は唐突に破壊された。

 

 

「あああああああああああああああああああ!?」

 

 

 男が悲鳴を上げる。

 見れば、彼の右腕は肩から先がなくなっていた。

 剥き出しの白い骨と、生々しい肉片が飛び散る。

 迸った血が通りを染めた。

 

 

『法輪は七日で回り、安息日にのみ逆転する。ナザレの砂はガンジスに沈み、巡礼は同じ水を二度渡らない。香油は逆さに滴り、祝福は床を這う。額に触れた指は誰のものでもない。主よ、主よ、と呼ぶ声はすでに返事である。救済の蝶番。骨は祈りを記憶する。肉は忘却を実践する。どちらを選んでも、選ばれたことになる。悔い改めよ』

 

 

 意味のない言葉の羅列。

 人間を狂乱させるだけが目的の行動。

 魔物であった。

 人類の敵が──ダンジョンに閉じ込められているはずの魔物が、王都に居た。

 

 

『預言はすでに成就しているが、まだ書かれていない。経典は未来形で綴られ、過去形で朗読される。契約の箱。救世主は到来せず、菩薩は去らない。去らないことが到来であり、到来しないことが救済である。祈れ。祈りの回数が裁きの数である。ラクダが針の穴を通る』

 

 

 石畳の広場の中央、崩壊した噴水の縁にそれは座っている。一見すると彫像のような容貌だ。祈りのために置かれた、どこぞの宗教の聖人像を彷彿とさせる見た目。だが細部があまりにもちぐはぐだった。

 

 

 頭部は一つではない。

 まるでヤマタノオロチのように、人間の首が据わっている部分から、幾本もの頭が生えている。

 正面には柔らかな微笑を湛えた顔。その額には閉じたままの第三の眼。

 だが首筋の陰からは、横向きの顔が半ば埋もれるように覗き、口だけが独立して僅かに動く。

 唇は祈りの形を保ちながら、決して意味ある言葉を吐き出さない。

 

 

「きゃああああああああ!?」

「お母さんお母さんお母さんお母さん」

「なんで魔物が王都に居るんだよ魔女は何してんだよ!?」

「俺たちの税金で暮らしてるくせに無能がア!」

 

 

 魔物は存在するだけで害をもたらす。

 魔力に冒された人々は狂乱の様相を呈した。

 日常は一瞬にして地獄へと様変わりする。

 

 

 ダンジョンによって蓋がされた世界。魔女でない人間にとって、魔物とは教科書で見るばかりの存在であった。たとえ結界の外──世界の外に蔓延る敵であっても、生まれてからこの方、一度も見たことがないのであれば、もはや想像上の生き物に過ぎない。

 

 

「早く魔物を殺せよ魔女!?」

 

 

 アストラディア連合王国では、その想像上の生き物に対応するためとして、多額の税金が投入されている。魔法の後遺症で日常生活が送れなくなった魔女の援助や、そもそも魔女を育成する学園の運営などに。

 魔物の存在が差し迫った危機ではない住民にとって、そんな魔女に対するイメージは、大して仕事もしないくせに税金で快適な生活を送る奴ら……というものだった。

 

 

 要するに、人々は薄っすらと魔女を疎んでいるのだ。

 自分たちが彼女らの犠牲の上に生きているとは認識せず。

 ただ、大層な名前で敬われているだけだと思い込んで。

 

 

 アストラディア連合王国では「魔女は非常に高尚な存在だ」と幼い頃より教育が施されるが、自らを賢いと勘違いしている人々にとって、それは何かしらの陰謀を感じさせるものだったのだろう。

 平時は──ダンジョンでは常に生き死にが起きているとはいえ、ダンジョンの外では不可知なため──彼女らの有難味を実感できない。

 

 

 彼らは口々に恨み言を吐く。

 早く魔物を殺せと。

 魔法でもなんでも使えと。

 それが仕事なんだから、俺たちの壁になれと。

 

 

 人々を救うべく自ら戦場に赴こうとしていた魔女たちは、思わず二の足を踏んだ。

 

 

「あいつらを助けるために……私が、命を賭けなきゃいけないの?」

 

 

 マシンガンを胸に掻き抱く。

 指先が白くなるほどに力を込めて。

 彼女の脳内は葛藤で埋め尽くされていた。

 

 

 魔女として学園で教育を受けて、人々のため、人類を存亡させるために我が身を捧げる。自己犠牲的な役割に、むしろ彼女は誇らしさを感じていた。魔女として立派に戦おう。みんなを守るんだ。その覚悟は、守るべき人間を前にして揺らいでいた。

 

 

「お前え! 早く戦えよォ!?」

「わた、私は……」

「誰のおかげでいい生活ができてると思ってんだ!」

 

 

 王都の住民が唾を飛ばす。

 彼の瞳には怒りのみが宿っており、これから魔女を死地に向かわせようとしていることについて、良心の呵責の一切を抱いていない。

 どうすれば自分が助かるのかしか考えていなかった。

 

 

『聖水は五度の礼拝で蒸発し、灰となって額に塗られる。塗られた灰は川へ戻り、川は再び聖水と呼ばれる。円は角であり、角は赦しであり、赦しはまだ発生していない。発生していないものを口に入れるな、すでに噛んでいる。扉は外に向かって内側へ開く。内側は外側に残される。残されたものだけが通過している』

 

 

 ──あ。

 

 

 気が付けば、魔物が眼前に迫っていた。

 魔女はぽかんと口を開く。

 目の前に現れた「死」に彼女の身体は硬直した。

 銃を抱えた格好で、反撃することもできず、無残に殺される。

 そんな未来がありありと見え──。

 

 

「大丈夫?」

 

 

 魔物に何発もの銃弾が叩きこまれた。

 暴風のような暴力に斃れる魔物。

 鮮血吹きすさぶ修羅場に腰を抜かした魔女は、力なく地面に尻もちをつく。

 

 

「……? その、大丈夫?」

「──はっ!? 助けてくれてありがとう!」

「いきなり元気……」

 

 

 怪我はなさそうだ、と小牟田式子は苦笑した。

 魔女を立ち上がらせるために手を差し伸べる。

 

 

「立てそう?」

「……お恥ずかしながら、腰が抜けちゃって」

「じゃあ広場の端っこのほうに移動させ──」

 

 

 ぷちゅん。

 魔女は水風船のように潰れた。

 巨大な掌によって、トマトのように押し潰された。

 式子の頬に血糊がこびり付く。

 

 

「え」

『骨に布を着せ、布に骨を覚えさせよ。覚えたものを忘れよ、忘却は記録の別名である。東を食べ、西を吐け。南は祈り、北は欠席。欠席者だけが出席簿に残る』

 

 

 呆然と呟く式子の視界に映るは魔物。仏像を彷彿とさせるアルカイックスマイルを浮かべた、人面蛇の魔物が居た。その身体からは無数の腕が生えている。

 

 

 よく語られるように、人間は勝利を確信した時が最も隙になるのだ。

 どんなことがあっても油断してはいけない。

 魔女にとっての金科玉条は、まだ経験の浅い式子には身に付いていなかった。

 ゆえに起きた惨状。ゆえに死んだ魔女。

 目の前で失われた命に、式子は動揺を隠せない。

 

 

『血は円環であり、円環は断絶である。切るな。すでに切れている。繋ぐな。繋がっていない。私は言っていない。貴女が聞いた。聞かれた言葉が話者になる。話者は器で、器は空で満ちている。光は影の影である。影は光の証人である。証人は存在しない。ゆえに証言は完全である』

 

 

 魔物の掌が迫る。

 

 

「しまった──」

 

 

 式子は事ここに至って正気を取り戻した。

 アサルトライフルを構えるがもう間に合わない。

 死を確信した脳が世界をゆっくり捉え始める。走馬灯だ。もはや魔法を使っても助かるまい。

 ……まったく、なんという体たらく。

 彼女は自嘲気味に眼差しを上げた。ぼんやりと掌を眺める。

 

 

「情けないわね」

 

 

 そこに幾億もの鉛玉が叩き込まれた。

 まるで先程の焼き直し。

 式子が攻撃の発生源に目を向けると、はたして、会いたくなかった者の姿が。

 

 

「お母さん……」

「式子。貴女は魔物を殺すために生まれてきた。そういう役割を期待して造ったの。決して魔物に殺されるためじゃないわ」

「ごめんな、さい」

 

 

 はあ、と溜息が響く。

 ソフィアの失望が痛かった。

 式子は無意識に双眸を伏せ、石畳の罅割れを数えはじめる。

 

 

「でもまあ……あの魔女を助けようとしたのは立派だったわ」

「え?」

「結果的に詰めは甘かったけれど。貴女が油断さえしなければ、あの子はきっと助かった。貴女が身代わりになっていれば。……なんてのは少し厳しいかしら」

 

 

 ソフィアは肩を竦めた。

 

 

「とにかく、魔女として最低限の仕事は果たしたわ。貴女は。それは間違いない」

「お母さん……」

「だからさっさと気を引き締めなさい。魔物はまだまだ居るのよ。こうしている間にも、結界の穴からどんどん入り込んできている」

「──っ!」

 

 

 そうだ。

 彼女の言うとおりだ。

 式子は瞼を固く瞑った。

 

 

「……いい表情ね」

 

 

 瞼を開けた小牟田式子の瞳には、すでに恐怖とか後悔とかは宿っていなかった。

 ただ、己に課せられた義務を果たそうとする覚悟が。信念が。

 ソフィアはそれを確認すると、久方ぶりに握ったグリップを弄る。

 

 

「じゃあ戦いなさい。王都に迫りくる魔物を一匹でも多く殺しなさい。貴女にならそれができるはずよ」

「はいっ!!」

 

 

 叫んで、式子は疾風のごとく駆け出した。

 

 

「…………ごほ」

 

 

 そんな彼女の背中を目で追いながら。

 ソフィアは苦々しい顔で血を吐き出した。

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