救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
ダンジョンまでの道のりは熾烈なものだった。
そりゃあそうだ。考えてみれば、魔物どもは結界の穴から入り込んできているのだから。その根源に近づいていけば、敵の数が増えるのも当然。
俺たちは何人かの犠牲を出しながらも、なんとか、ダンジョンがあった場所にまで辿り着くことができた。
「学園長……」
「ああ」
向こうでは、一人の女性を中心にして、何重にもなった魔女たちが、円心状に集まっている。キャンプファイヤーを彷彿とさせる格好だ。まあ、これから行なわれることは、そんな楽しい事ではないのだが。
そこに、こちらに近づいてくる影が一つあった。
見覚えのある彼女は片手を上げると、
「古明地葵。あるいは世界最強の魔女と呼んだほうがいいかな」
「その呼び方は好きじゃないんだ。──それに、先代の最強様にそのあだ名を使われると、どうにも意味深なものを感じる」
「誓って変な意味合いはないのだが……」
学園長モルガナは苦笑した。
透き通るような白髪が揺れる。
「ここまで護衛を引き受けてくれてありがとう」
「人類存亡の危機だ。手を挙げない奴は居ないさ」
「いや……ダンジョンまでの道程は危険に満ちていた。確定的な死と不確定的な死。この場合では前者と後者にほとんど違いはないのだが、目に見えている可能性をこそ、人間は重視するものだからな。私たちと道を共にしてくれるのは、非常に勇気ある行動だよ」
難しい言い回しだった。難し過ぎて上手く理解できないくらいには。
されど俺は「すべて承知しているとも」みたいな雰囲気を醸し出して、強キャラムーブ全開で頷いたのであった。
「──いつまでもお喋りに興じていたいが、時間が経てば経つほど魔物の数は増える。手早く仕事に取り掛かるとしようか」
モルガナは嘆息する。
鬱々とした眼差しを結界の穴に向け、そっと瞼を瞑り。
「数千年ぶりの儀式を始めよう」
瞬間、向こうに集まっていた魔女たちの肩が跳ねた。
数千年ぶりの儀式──つまるところ、ダンジョンの復活。
事ここに至って何をするか知らない人間は居ないだろう。
今から彼女たちは、これからの人類のために、礎となるのだ。
常軌を逸した苦痛と共に。
「古明地葵。君は私を軽蔑するかな。魔女を育て率いるべき立場に居る私が、何十人もの魔女の命を捧げる。自分だけはのうのうと生き続けて」
「いや」
短く言い切る。
「立派なものだ。君の顔を見ていれば、モルガナは自分可愛さで己を犠牲にしなかったのだ──と思う者は居ないだろう」
モルガナは血が噴き出るほどに唇を噛みしめていた。
指先が白くなるほど拳を握りしめ、爪は掌を突き破り、赤い雫が伝っている。
双眸は空虚なほど落ち窪み、尋常でないほど隈が濃い。
これで彼女を責め立てる者が居たとするならば、おそらく彼の者は目が見えないか、人間らしい情緒を解していないかのどちらかだろう。
俺はモルガナを批判するつもりなど毛頭なかった。
「…………」
てっきり吊るし上げられるとでも思っていたのか、モルガナは呆然と目を見開く。何度か言葉を発そうとして──徒労に終わる。ぱくぱくと動かされた口は息を漏らすだけであり、意味ある音を綴ることはなかった。
「そうか──」
彼女は柔らかく微笑んで。
「ありがとう。君がそう言ってくれるだけで、幾分か楽になった。……いや、楽になっては駄目か。私はこれから、決して消えない十字架を背負わなければならないのだから」
そう言って歩き去っていくモルガナ。
責任感と自己否定に満ちた後ろ姿だった。
俺は彼女を放っておけず、思わず、その背中に声を投げかける。
「この罪はモルガナ一人で背負うべきものじゃない。人類が、みんなで背負うべき原罪だろう」
「……人間は罪の意識に耐えられない生き物だ。何か後ろめたいことがあれば、一人を槍玉に挙げて、これで許されたと言い訳する。今回は私の役目だったというだけの話さ」
モルガナは振り返らなかった。
振り返らないまま、魔物溢れる空を仰ぎ、寂しそうに囁く。
「そうやって人類は続いてきたんだよ」
離れていく。
彼女は独り、暗闇に向かう。
俺は何かをモルガナに伝えようとして、上手く言葉が纏まらず、纏まらないまま、拙い思いを口にした。
「なら──せめて、私だけでも背負おう」
「何を……」
「人類の罪を背負うには、モルガナの肩は小さすぎる」
「確かに私の身体は小柄だと自覚しているが……」
彼女は残念そうに肩を落とした。
モルガナの体躯は、それこそ小学生を想起させるほど小さい。
言ってしまえば非常に幼いのだ。
精神は尋常でないほど成熟しているが。
「君が背負いきるには、人類の罪は大きすぎる。いずれ潰れよう」
「だが……それが私の責務で……」
「何も罪の意識を持つなと言っているわけじゃない。私が半分持つと言っているんだ」
俺はモルガナに歩み寄った。
彼女の背中に手を置いて、呟く。
「かつて世界最強だった君なら分かるだろう。この世界で一番というのは、そういう立場なんだ」
「……ああ。よく理解しているとも」
モルガナはゆっくりと振り返った。
その相貌はずいぶん酷い。
化粧は崩れ、目は充血し、血色は最悪。
しかし瞳だけは涙に濡れていた。
「私と背負ってくれるのか?」
「君が嫌でないと言うのなら」
「嫌なわけがないだろう。……正直な話、何十人もの魔女を数千年の地獄に送ることは、私には耐えがたい苦痛だったんだ。目覚めながら悪夢を見ているような気分だった。これからは、まともな眠りに就くことはできまいと覚悟していた」
彼女は全身を震わせ、脚の力を失ったようにふらつくと、俺の胸に飛び込んできた。
「──ありがとう」
かくして、ダンジョンは復活した。