救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
ダンジョンが復活したからといって、すぐに事態が解決するわけではない。
新たに魔物が入ってこなくなっただけで、すでに侵入済みの奴らをすべて倒すには、やはり莫大な犠牲を払う必要があった。
学園に通う魔女たちは、この事件を経て、かつての七割にまで数を減らしたらしい。
今も、王都だけに限定されることなく、アストラディア連合王国では、散っていった魔女たちを偲んで、黙祷が捧げられている。
「…………」
俺も心に重たいものを感じながら、幸運にも、ほとんど被害がなかった喫茶店を開ける準備をしていた。
「店長? いつにも増して酷い顔ですね。やっぱり先日の事件が尾を引いてますか」
そこに掛けられる声があった。
まったくデリカシーのない発言であり、とても従業員が店長に投げる言葉だとは思えない。
俺は意識して表情を整えつつ、変に沈んでしまった空気を立て直そうと、いっそ軽薄とも取れる声色を作った。
「『いつにも増して酷い顔』だあ? どうやら、俺に君の給料をどうこうする裁量があると忘れているようだな」
「ちょっ! 冗談じゃないですか冗談! ジョークですよジョーク! やだなあ遊び心を解さないんだから」
これまた失礼な物言いである。
エプロンを着た少女──小牟田式子は、遅すぎるおもねりで以て胡麻をすってきた。
彼女が動くたびに、闇をそのまま溶かしたような黒髪が揺れる。
そこに「ふふん」と鼻が鳴らされた。
声の主に視線を向けると、大牟田珠姫が腕を組んで、自慢げな表情を浮かべている。
「この分だと、アンタと同じ職場で働くのも今日までね」
彼女の双眸は実に清々しい。
伴うのが煽り文句でなければ、あるいは意味の分からない外国語であれば、何かラブロマンス映画のワンシーンと間違えたかもしれない。
「かっちーん」
さすがに正面から煽られたのは我慢ならないのか、式子は分かりやすく言葉で怒りを表現する。
「どうも自分の程度ってものが理解できてないみたいだね。珠姫が今、誰に挑発的な物言いをしているのか……身体で分からせてあげようか?」
「あらあら。立派なのは殺意に剥いた目と舌回しだけ? 聞いたところによると、先日のダンジョンパニックでは全然戦ってなかったらしいじゃない。あたしなんて十は魔物を殺したわよ?」
ぴしーん。
空気が凍る様を目の当たりにした。
俺はそそくさと彼女らから離れる。
「私は市民の避難誘導を──」
「魔女の本懐は魔物を滅ぼすことで──」
「いやそれは──」
「でもでも──」
喧々諤々。
諸説紛々。
二人の意見はいつまでも平行線だった。
まったく交わりそうにない。
ついに彼女らもその結論に達したのか、疲れたように溜息をつくと、ほとんど同時に杖を抜き放った。
瞬間、辺りの魔力が胎動を始める。
「おいおいおい待て待て待て──!」
いつぞや見た光景に口の端が歪む。背中に汗が伝う。
どうにかして二人を止めようとするも、ヒートアップした式子と珠姫の耳に、俺の言葉は届かなかった。
何か物でも投げて集中を阻害しようとしても、運悪く、周りには、投擲に向くアイテムが転がっていない。
──駄目なのか? もう、終わりなのか?
目の前が真っ暗になるような絶望。
自分の力が通用しない憤り。
まさか世界最強の魔女と呼ばれるに至って、まだそんなものが存在するとはな。できれば一生知りたくなかった事実だぜ。
「クソ……ッ」
身体に魔力を流し、運動能力を強化して彼女らの仲裁をすれば? なるほど確かに可能だろう。俺が本気を出せば、彼我の距離など皆無に等しい。
しかし、それはイコール世界最強の魔女の正体がバレる、だ。
今まで必死こいて隠してきたのに、こんなくだらない諍いが理由で露見するなど、恥ずかしくて通りが歩けなくなってしまう。
喫茶店が吹き飛んでも勘弁願いたい事態だった。
「ここまでか」
俺はついに諦めて瞼を閉じた。
せめて醜い現実を認識しないように。
自分が認めなければ、認めがたい現実など、存在しないのと同義なのだから。
この思想の類義語は現実逃避である。
……ソフィアが残していた書置きによって、二人がアルバイトを続けられるようになったのに、まさか、記念すべき復帰初日から壊滅の危機に瀕するなんて。
暗闇の向こうで魔力が迸るのを感じる。
すでに手遅れだ。一周回って笑えてきた。
人間は簡単に──特に子供は──振り上げた拳を下げることはできない。
俺は心が洗われたような気持ちになった。あるいは、真っ白なペンキで心を塗り潰して、現実逃避に励んでいるだけか。
可能性としては後者のほうが高い。
「ここで珠姫との因縁を終わらせる──!」
「アンタを倒して二つ名を手に入れてやる──!」
そして、喫茶店は更地となった。