救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
本日の俺は喫茶店を開く予定がなかった。
ゆったりと学園内を歩きながら、荒ぶる心臓を抑えることに終止する。
これだけ説明すると、まるで呑気に散歩でも楽しんでいるようだけれども、実態はまったく別。
断頭台へ向かう死刑囚を彷彿させる気持ちだ。
なぜそんなにも気を重くしているのか。
理由は簡単で。
学園長モルガナに呼び出しを食らったからである。
「はあ……」
実に憂鬱だ。本当に憂鬱だ。呼び出しの心当たりがない。俺なにかやらかしたっけ。いやそんなことないよな。
自分の行動を振り返ってみても思い当たる節はなかった。忘れているだけだと言われればそれまでだが、俺が呼び出しされるほどのことを行なうとは信じられない。
要するに学園長室に足を運ぶのがめちゃくちゃ嫌なので、俺は散歩のふりをして、訪問を先に先にと伸ばしているのだった。
時間を指定されているので、別にこんなことをしていてもなんら意味はないのだが。単なる現実逃避だ。
──中庭に植えられた薔薇が風に揺れる。
色とりどりの花弁が散り、蝶が舞って。
自然はこんなにも穏やかで、豊かなのに、どうして人間はこうも忙しなく、些末事に心を悩ませているのだろうか。
もっとこう……雄大な木々のように、落ち着いた静寂な精神を持ちたいものだ。
呼び出し食らった奴が考えることじゃないけど。
ベンチに座りながら溜息をついた。
いつまでもこうして居たいけどなあ、さすがに学園長を待たせすぎるわけにもいかないよなあ。
今の俺の立場はあくまでも敷地を借りさせていただいている身分だし、変に追い出されて喫茶店ができなくなるのも。
……ん~?
そういえば、俺はどうして学園で喫茶店をやってるんだっけ。
確か、元々は王都の路地裏のほうに店を構えてたよな?
──あ、思い出した。なんか爆破事件が起きたんだっけ。ガス栓でも閉め忘れたのかしら。俺ったらうっかりさん。
諸悪の根源を見つけ出したことで気分がよくなった俺は、このまま気分が盛り下がる前に学園長室へ突貫せんと立ち上がった。
「あ、あの」
そこに。
誰かが話しかけてきた。
「ん?」
振り返ると、夜の闇を溶かしたような黒髪の少女が居た。
こちらの様子を窺うように、上目遣いを向けて。
おどおどした態度も相まって、なんだか俺が悪いことでもしてしまったような気分にさせられる。
「て、店長さんですよね」
「俺をその名前で呼ぶということは……」
「は、はい! 小牟田式子で──」
「いつか店に来てくれたのかな」
「え」
彼女は愕然としたような表情で硬直する。
どうしたのだろう。もしかして知り合いだったとか?
だとしたら申し訳ない事をした。
「あ、あの……喫茶店で喧嘩しちゃって……店長さんが『危ないから今日は帰りな』って言ってくれて……それきり連絡も付かなくなって、まだ謝れてなかったので……その、そしたら……たまたま、ここで顔をお見掛けした……ので……」
たどたどしい喋り方だった。
上手く言葉が見つからないのを無理やり絞り出している、みたいな。
叱られるのを恐れる子供のような、それでいて叱られるのを期待しているような矛盾した雰囲気。
彼女は見た目に反して仕草が子供っぽいし、意外と実年齢と外見との間に乖離があるのかもしれない。
「ああ、そんなことがあったのか。ごめんね、覚えてなくて」
「え……覚えて、ない……?」
彼女が驚いたように何か呟いた。
と同時に俺も驚きを覚えた。
なぜなら時計が十三時を指し示していたから。
呼び出しを受けた時間である。
ただでさえ召喚の理由が判らないというのに、遅刻して印象まで悪くしては、いよいよ救いようがない。
喫茶店がやれるかどうか以前に、命の保証がなくなってしまう。
「俺はちょっと用事があるから、ここで失礼するよ」
「ま──」
ゆえに俺は焦って走り出した。
背中に彼女の声を受けた気もするが無視。本当に心苦しく思う。今度喫茶店に顔を見せてくれたら、その時は精いっぱいのサービスをするから。
まあ……それまで覚えていられるか、という新しい問題が生じるが。
日記にでも書いておけばいいだろう。