救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる   作:音塚雪見

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第9話

 薄暗い部屋の中、獣のような荒い息が響いていた。

 木製の台座に転がされ、手足を拘束された少年が、目に涙を浮かべながら喉を蠢かせる。

 光源は僅かに揺れる蝋燭だけ。現代的な蛍光灯も何もなく、前時代的な揺らめきが少年を包み込む。

 

 

「んん、んああ……っ!」

 

 

 少年は猿轡を強く嚙んだ。歯ぐきから血が滲みそうなほど、噛みしめる。

 けれども、人体の中で最も硬い組織である歯が欠けてしまいそうなほど、少年が力の限り力を込めても、猿轡が外れることはなかった。

 

 

 飲み込むことを忘れられた唾液が唇の端から垂れる。もはや少年の顔は様々な体液によって酷い有様だ。汗に涙に唾液に──至るところから流れる血に。

 生命の灯火が、無情にも蝋燭に照らされた。

 あまりに救いのないその光景は、あるいは芸術家によって生み出された地獄の体現だと説明されたほうが、まだ理解ができる。

 

 

 だって、そんな状況がまったく意味がないものだなんて、普通の人間には及び付かないのだから。

 凄惨な現場には、凄惨な現場を作り出す誰かの存在が必要だ。

 理解のできない殺人鬼だって、理解できないなりに、己が美学に従って行動する。行動すると思いたい。

 理由もなしに人が人を殺すなんて、あり得ないと否定したいのだ。

 普通の人間であれば。

 

 

 しかし、ここに居るのは普通の人間ではなかった。正常に生きてきた人間が正常に解釈できる範疇の存在ではない。人間を人間たらしめる精神性を、その男は有してしなかった。

 

 

 ただ、暇潰しに。

 自分の快楽のためだけに。

 そうしたらそうなる。

 普通に考えれば分かることを、男は検証していた。

 

 

「なあ、少年。僕は真理を知りたいんだよ。分かるだろう? 誰だって小さい頃は、自分の周りに満ち溢れる謎を解き明かしたいと望んでいたはずなんだ。いつしか謎を謎のままにして、理解できないことに蓋をして、遠ざけることに慣れただけで。本当はこの世界のすべてを知りたいと願っているはずなんだ。だって人間は探求心を抱えて生まれてきた生き物なんだから」

 

 

 軽薄な声である。

 耳障りで、不愉快で、己に酔っている声だ。

 世界の中心は自分で──自分以外の存在をさして重要だと思っていない、自己が破綻した者特有の、万能感に酔った浅はかな声。

 男は拘束された少年につかつか近づくと、一振りの鉈を見せつけた。

 

 

「どうだい、この鉈……綺麗なものだろう。あのねえ、これは何人もの血を吸ってきた曰く付きなんだよ。魂だとか幽霊だとかがこの世界に存在するのなら、きっととんでもない恨みを抱えているだろうねえ、この鉈は」

「んんんんんん! んんんんんん!」

「うるさいなあ! 僕が話してるんだから邪魔するなよ!!」

 

 

 急激に頭に血を上らせた男は、少年が固定された台座を蹴りつける。木製のそれは呆気なく砕け、生贄のように乗せられていた少年は、重力に引かれ地面に叩きつけられた。ぐしゃり、と鼻の折れる音が響く。

 

 

「ふう……ふう……。……僕が話してるんだからさあ、邪魔をしないでほしいんだよね。僕の話って結構価値があるんだよ? 雑誌の記者が尋ねに来たこともあるんだ。その時はあんまり喋りたい気分じゃなかったからさあ、耳障りな蠅には黙ってもらったんだけど。……ああそうだよ。ちょうど君と同じ格好だった。少しお腹を開いた程度でピーピーうるさく喚くものだからさあ、猿轡を嚙ませて、最期まで泣きわめいてたんだあ」

 

 

 男の目は何も映していなかった。

 病的なまでの妄執に取り憑かれ、自分以外のすべてが彼の前に等しく意味がない。

 痛みに支配され、全身から血を流し、地面に転がる少年の姿ですら、男にとっては些事だった。

 爪先で少年の腹を突きながら、男は首を傾げる。

 

 

「ほら……昔から男の子の声って特別だろう。穢れなき、まるで神様に祝福されたみたいな綺麗な声だ。成長するごとに輝きを失って、最後にはくだらないドブ水みたいなのに成り果てるけど」

「………………」

「僕が話しかけてるんだから、無視してんじゃねえよ!」

「ぐっ!? んんんんんんんんんん!!」

 

 

 男は少年の腹を蹴り飛ばした。

 一切の躊躇なき蹴りだった。

 圧倒的な体重差は、少年の臓腑を破裂させる。

 少年は猿轡を赤く滲ませ、喉から血の塊を吐き出した。

 

 

「僕はさ……失われる輝きを、この世界に留めておきたいんだ。成長が原因でなくなってしまうのなら、成長する前にホルマリン漬けにしてしまえばいい。そう思って実験したんだけどね、ほら、声って生きてないと意味がないだろう? いざ保存した声を堪能しようと思っても、ホルマリン漬けにした男の子は喋れないんだ。あの時はさすがの僕も堪えたなあ。声楽隊の男の子だったからさあ、凄く綺麗な声をしていたんだよ。それが世界から永遠に失われたんだ。悲しかったなあ」

 

 

 痛みに咳き込んでいる少年。

 その姿をろくに見ようともしない男。

 酷く歪な光景だった。

 

 

「……はー、なんかもういいや。飽きた。飽きちゃった。君も……もういいよ。お疲れ様」

 

 

 男は鉈を構える。向かう先は少年の首元。狙いは正確に、確実に、少年の首に定められていた。

 目を見開いた少年は必死に逃げようとする。両手両足が拘束されていてなお、芋虫のように這って逃げ出そうと。

 されど男は戸惑いなく鉈を振り下ろした。ざく、と鈍い音がする。勢いよく振るわれた鉈は威力を発揮し、少年を物言わぬ骸に化した。切断面からは噴水のごとく血が噴き出し、辺りを真っ赤に染める。

 

 

 血溜まりを踏みつけにして、男は気分悪そうに顔を顰めた。

 足を持ち上げ、汚れた裾を眺める。

 

 

「あーあーあー。このズボン高かったんだけどなあ。まったく最期まで他人の迷惑を考えられない奴は駄目だよなあ。救いようがないよ。だから子供は嫌いなんだ。常識がない奴は迷惑ばっかりかけるんだから、大人しく家に引き籠ってればいいのに」

 

 

 はあ、と溜息をついて男は部屋を後にした。

 少年の亡骸はそのままに。

 もう彼の意識から少年の存在は抹消されていた。

 最初からなかったことにされていた。

 

 

「ああ……子供はもう何人も実験に付き合ってもらったけど、やっぱり魔女が相手じゃないと意味がないよなあ。魔女の中身はどうなってるんだろうなあ。人間と違って魔法が使えるんだから、魔女にしかない内臓とかがあるのかなあ。気になるなあ」

 

 

 男は血の滴る鉈を握りながら、頬を上気させる。

 異常に歪んだ頬を撫でて目を細め、どこまでも自分に都合のいい妄想に浸る。

 

 

「もう我慢できないなあ……魔女の子に付き合ってもらいたいなあ……」

 

 

 彼はとある扉の前で足を止めた。

 首を傾げ、唇をけたたましく震わせ、ドアノブに手を伸ばす。

 部屋の中には数え切れない枚数の写真が貼り付けられていた。壁一面に、床にも天井にも、ありとあらゆるところに、同じ人物の写真が貼られている。

 ストーカーとも形容できない狂気。異常。奇行。

 男は常軌を逸した表情で写真に舌を這わせた。

 

 

「ああああああああ……モルガナモルガナモルガナあ……僕の愛しのモルガナああああああああ……もう我慢しなくてもいいよねえ……だって僕はずいぶんと禁欲的な生活を送ってきたんだから……もういよいよ限界だよモルガナあああ」

 

 

 一枚の写真を手に取り、うっとりと頬擦りする。

 娘を愛する父親が子にするように、優しい優しい接吻を落とした。

 

 

「決めた……会いに行くよモルガナ」

 

 

 男は突然表情を消すと、手に持っていた鉈を壁に投げつける。鈍い音で飛翔したそれは壁に突き刺さり、写真の山の一部を破損させた。

 先程まで愛を囁いていた相手が──たとえ紛い物にしても──無残に引き裂かれたというのに、男は気にする様子が一切なかった。むしろ、首から上がなくなった写真を目の当たりにして、絶頂したように息を荒くする。

 

 

「待っててねえ……いま会いに行くからねえ……」

 

 

 男はその場を後にした。

 残されたのは、血の池に沈む少年の死体だけだった。

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