救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
からんからん、とドアに括りつけた鈴が鳴った。
学園に出店してから数週間が経過したが、今までにここを訪れてくれたのは驚異の一名だけなので、そちらに視線を向けなくても誰が来たのか判る。
俺はコーヒーカップを拭きながら僅かに顔を上げた。
予想どおりの見慣れた顔がある。
「…………」
所在なさげに茶髪を揺らす影。
彼女をこのまま放置したらどんな反応をするのだろう──と悪戯心が首をもたげるも、変な対応をして貴重なお客さんを失うのはつらい。
変なことを考えずに応対しようと決め、俺はゆったり口を開いた。
「いらっしゃい」
「……ああ、よろしくです」
「その反応は合ってるの?」
想像していたのとはずいぶん異なる切り返しをされたものだから、俺は若干困惑する。
彼女──ノエリは上の空だった。多量のカフェインを摂取して思考が鈍くなっているみたいに、ぼんやりと佇んでいる。
こちらの疑問にも一拍置いて、
「何か間違ってましたか?」
「間違ってたというよりも……心ここに在らずというか」
そう。焦点が合っていないのだ。
喫茶店に足を運んでなお、扉の前に留まっているのとか。
いつもならすぐに定位置の席に移動するのに、虚ろとした態度とか。
心ここに在らずとはこのことである。
──もしやノエリに何かあったのだろうか。
俺は普段とはあまりに違いすぎる振る舞いをする彼女を心配して、久しぶりに実家に帰ってきた子供を介抱する親のように、もはや鬱陶しがられる勢いで席に案内した。
「大丈夫かい? 今日はサービスでオムライスとかナポリタンとか色々作ってあげるからね……」
「ありがとうござ──ちょっと待ってください。サービスでオムライスとかナポリタンとか作ってくれるんですか?」
「うん」
「拷問の間違いではなくて?」
なんともまあ失礼なことを言う奴だ。心配して損した。
俺は憤りのままにハラハラした気持ちを投げ捨てる。
「拷問とはなんたる言い草」
「だって店長さんの料理の腕、壊滅的じゃないですか」
「たまには大当たりが出るって説明したでしょ」
「いまだに大当たりが出てないから信用できないんですよ」
そりゃあ確かに今まで成功した事例はないけれど。
趨勢が彼女に傾いたことを肌で感じ取り、俺は一歩後ずさった。
まずい。このままではこちらが負けてしまう。いったいなんの戦いをしているのかは知らんけど。
「まず俺の腕前については置いておこう。些事だからな」
「言うに事欠いて些事と申しましたか。一応喫茶店を経営しているんですから、お客さんが寄り付かない原因である料理の腕は、可能な限り猛省すべきだと思うんですけど」
「反省してお客さんが増えるならいくらでもするけどな。今のところ、料理の評判関係なく誰も来てられないんだ。念のために確認しておくが、ノエリがうちの悪評を流してるわけじゃないんだよな?」
雑談がてらに質問すると、彼女は「閑古鳥を私の責任にしないでくださいよ」と肩を竦めた。
「わざわざ悪評をばら撒くはずないじゃないですか。私になんのメリットがあるんです。当代きってのいい子ちゃんな私がそんなことをし始めたら、まず間違いなく悪魔に取り憑かれているので、お祓いをしていただいて構いませんよ」
ふふん、と胸を張るノエリ。
いつもの調子が戻ってきたみたいだ。
俺は苦笑を深めて、
「で、どうしたんだ?」
「……そうですね」
ノエリは静かに呟いた。メニュー表の角を指の腹で撫でて、ほう……と行き場のない息を吐く。
「以前、小牟田式子のことについてお話ししたじゃないですか」
「ああ……学園の有名人だな」
「はい。その小牟田式子なんですけど」
そこで彼女は躊躇した。言葉を探すように視線を宙に彷徨わせる。身体は声を発そうとしているのに、脳が発すべき音を見つけられていない──そんな印象を受ける姿だった。口の中で赤い舌がチロチロと動いている。
「──失踪したみたいなんです」
「え?」
静かに切り出された言葉。
それがあんまりにも予想外の内容だったから、俺は理解が追いつかず、間の抜けた返事をしてしまった。
ノエリは眉間に皺を寄せて繰り返す。
「小牟田式子が、姿を消したんです。忽然と、跡形もなく。書置きすら残さないままに」