救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
風が頬を殴りつける。夜の闇に冷やされた空気が肺を凍らせる。
そんな錯覚に襲われながら、俺とモルガナは走っていた。
彼女は僅かな疲労を顔に浮かべ、それでもなお我慢できないという様子で、問いかけてくる。
「──葵?」
「どうした」
「その包帯は……」
モルガナが指差したのは、俺の顔に巻かれた包帯だ。ミイラを彷彿とさせる白い布が、顔のすべてを覆い隠すようにぐるぐると巻かれている。
誰かに見られれば不審者の謗りを免れられない格好だが、世界最強の魔女の正体を隠すためにも、致し方のない犠牲だった。
喫茶店に足を運んでいる余裕はなく、仮面を取りに行く時間もない。かなり不格好な姿だけれども、モルガナには我慢してもらうしかなかった。
「そろそろだ」
馬鹿な話をしていても、俺たちは元の目的を忘れていなかった。魔力の残滓が濃い。犯人の拠点に近づいている証拠だ。
モルガナはさっきまでの呆れた表情を消し、代わりに元世界最強の魔女としての雰囲気を纏う。
戦意が魔力となって迸り、彼女の身体を白い雷光が隠しているようだ。
俺たちは王都の中心にある学園から離れるように移動してきた。つまり、このあたりは王都の端に位置する。
周囲には礫が転がっている。以前のダンジョン崩壊の災禍の跡だ。
いかな王都といえど、人材が無制限にあるわけではない。時間も資金も労働力も限られた中では、全てを直せるわけではない。
以前はこのあたりにも人が住んでいたのだろう。ところが、今ではその息遣いも見られなかった。
「葵、それで? 犯人はどこに居るんだ」
「待ってくれ──魔力の残滓がより濃い場所を探す」
月光に白髪を晒したモルガナが尋ねてくる。
俺は目を瞑り、空間に意識を集中した。目に見えないものを見ようとする。こめかみに僅かな痛痒が走り──暴く。
「見つけた」
呟くと、目を開いた。
巧妙に偽造されているが、積み上がった瓦礫の隙間、その影に地下へ続く階段がある。
モルガナに視線を送り、彼女もまた頷いた。犯人の拠点に突入する覚悟は既に決まっているようだ。
「だいぶ鈍っている身体だが、それなりの戦果は約束しよう」
「心強いことで。俺のほうが置いていかれそうだな」
「世界最強の魔女ともあろう者がなんたる弱音だ。あまりにも自信がないようだったら、私が復権してもいいが」
片目を閉じて冗談を言うモルガナ。
冗談めかした口調ではあるが、もし俺が本当に弱音を吐くのであれば、彼女は真実、世界最強の魔女に返り咲くだろう。
そう確信してしまうほど、モルガナには包容力があった。
「そこまで『世界最強の魔女』っていう称号にこだわってるわけじゃないけど、だからといってモルガナに頼りっぱなしになるのは癪だね」
男の子のプライドを発揮して、彼女の提案を断る。
せっかく格好つけられそうな場面なのだ。そんな情けない姿を見せるのは御免被りたかった。
俺はモルガナの手を引いて、地下へ続く階段を下り始めた。
◇
石造りの壁が続く。地下ゆえに空気の循環が不十分なのだろう、埃の匂いが充満していた。
光源は壁に吊るされたカンテラのみ。動力源はどうやら魔石。ダンジョンでもないのに魔石だなどと、きな臭い雰囲気がプンプンする。
モルガナもこの場所に違和感を覚えていたらしい。
不快そうに顔を顰めると、自らの肩を掻き抱いた。
「まるでダンジョンのような空気だ。淀んで、人間の住む場所ではない。よもや誘拐犯の正体は魔物じゃないだろうな」
「だとしたらびっくり仰天だ。これまでの行動から察するに、相手には知能がある。あるいは知性。知性を持った魔物なんて、災害以外の何者でもないよ」
ただでさえ悪辣な生態を以て魔女を散々殺してきた敵だ。
それが思考するようになったら、一体どれだけの被害が出るか予想できたものではない。
モルガナも同意してくれる。
「私も軽口のつもりで言った。……軽口であってほしいの間違いかもしれないが」
「まあなんにせよ、この奥に行けば判ることだよ」
敵が人間なのか魔物なのか。後者の可能性はあまり考えたくないが、この石造りの通路の奥に行けば真相が待っているだろう。
進めば進むほどに、学園にあった魔力の残滓が近づいていた。──確実に転移先はここだ。
「モルガナ、準備を」
「言われるまでもない。──今この瞬間に戦いが始まったとしても、問題なく対応できるさ」
「頼もしいね」
引き締められた横顔、モルガナの潤いのある唇が僅かに緩んだのを見て、つられるように俺も笑った。
「じゃあ行こう」
「ああ」
通路の奥の扉。
俺たちは地面を蹴りつけ、勢いそのままに扉を破る。
粉砕した扉の残骸が宙を舞った。
──紙吹雪の中に居るような錯覚。
それを消して、周囲の状況を即座に把握する。
「──ッ!」
石造りなのはここも変わらず、唯一違うのは、石台に縛り付けられたノエリの姿があるということだった。
褐色の瞳に涙を浮かべ、彼女は視線だけで救いを求めてくる。
今すぐにでも助けに行きたい。しかし、それができない理由があった。
俺はノエリから視線を外すと、部屋の中央にぼんやりと立つ、人間味の薄い白髪の少女と相対する。
「…………」
目の前で首を傾げる少女を眺める。
透き通るような白髪に、陶磁器を想起させる肌が印象的な少女だ。
まだ幼いながらも、将来の美貌を確信させる顔立ち。
街を歩けば間違いなく声を掛けられるだろう──その少女に。
俺は、見覚えがなかった。
にもかかわらず、胸のうちにある魂とでも呼ぶべきものが、彼女に猛烈に反応している。
「……貴方たちは?」
少女が首を傾げた。
まるで鈴を転がしたような声。
詩人であれば銀鈴とでも形容したかもしれない声に、しかし俺は敵意を喉に満たして答える。
「こめい──むぐっ」
「学園長のモルガナだよ。そこに縛り付けられてる生徒を助けに来たんだ。……包帯ぐるぐるで、不審者然とした
モルガナに襟元を引っ張られた。喉仏が圧迫され声が出なくなる。
いったい何を……と目を向けると、彼女は「しーっ」と言わんばかりに唇の前に人差し指を立てていた。そして理解する。
ここで馬鹿正直に「古明地葵だ」と答えてしまえば、縛り付けられてはいるものの、意識までは奪われていないノエリに名乗りを聞かれる。──彼女にも覚えがあるだろう、俺の声で。
流石にそうなれば誤魔化せない。
人の口に戸は立てられぬと云うように、古明地葵の正体が広まってしまうかもしれないのだ。
もちろんノエリが他人の秘密を喋るような人間だとは思っていないが、酔いや自白剤など様々な可能性が考えられる以上、秘密を知る者はできる限り少ないほうがいいだろう。
だからモルガナは、感情の昂るままに返答しようとしていた俺を、多少強引な方法とはいえ止めてくれたのだ。
感謝混じりに彼女を見つめると、自然な仕草でウインクしてくれるモルガナ。いい女の模範解答みたいな人物だ。恋愛の教科書に載せるべきだろう。
そんなふうに落ち着きと余裕を取り戻し──俺は白髪の少女に目を戻した。
「それで? 我々は名乗ったぞ。君の名前を教えてくれはしないかな」
「包帯の人は名前が分からない」
「……いや、まあ、彼女については『そういうもの』として扱ってくれ。色々と面倒なことが多いんだ」
「そう」
少女は小さく呟く。
こちらの名前を把握していても、把握していなくとも問題ない。
そう考えているのが、振る舞いだけでも読み取れた。
「私の名前は
「どうかな。私たちは案外、君の想定を超えてめちゃくちゃ強いかもしれないぜ」
指を鳴らしたモルガナに、明日香は鼻を鳴らす。
「お母様の言いつけだから。恨まないでね」
「こっちの台詞さ」
開幕の合図はなかった。
お互いに、ほとんど同時のタイミングで地面を蹴る。
──誰も知り得ない地下の奥深くで、元世界最強の魔女と、怪しげな少女の戦いが始まった。