救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
小牟田式子の様子は明らかにおかしかった。
いつも朗らかな表情を浮かべている彼女が、まるで道端に吐き捨てられたガムでも眺めるように、ひどく冷淡な視線をノエリに向けているのだ。
およそ正常な状態ではない。
状況が状況なだけに、最悪の可能性を考えずにはいられなかった。
闇落ちだとか、裏切りだとか、様々な表現方法はあるが、結局のところ指し示している事実は一つだ。
──仲間だった存在が敵になる。
ないし、限りなく敵に近い中立になる。
いずれにせよ、その相手に寄せる思いが強ければ強いほど、心に走る衝撃と罅は大きくなるものだ。
小牟田式子に妄執的とも形容できるライバル心を向けていたノエリは、やはり相応の衝撃を覚えていた。
思考に空白が差し込まれ、舌が音を紡がずに空回りする。
「ノエリ」
「──っ!」
そこに投げかけられる呼び掛け。
振り返ると、古明地葵が静かにこちらを見つめていた。
穏やかな湖のように凪いだ双眸で、一切の動揺が現れない姿に、ノエリは次第に冷静さを取り戻していく。
やがて大きく深呼吸すると、彼女は自分のするべき事を思い出した。
「行かなくちゃ」
小牟田式子の隣を抜けて、学園長の邪魔をしないようにする。
嶺岸明日香とか云うらしい少女は、その見た目の幼さに反して熟達し過ぎた実力だった。
元世界最強の魔女であるモルガナと対等に戦えている。
異常だ。底が知れない。
ノエリは覚悟を決め、鍛えた足腰に力を込めた。
「うあああああああああ!」
これで、攻撃されるのだろうか。
小牟田式子がノエリを敵と見做して、躊躇せず攻撃を。
考えたくなかった。
だが、とにかく、彼女は行動するしかないのだ。
地面を蹴りつけて加速する。
モルガナや嶺岸明日香ほどの超高速ではないが、人間の範疇では十分に常軌を逸した速度。
上半身を倒し、床すれすれに顔を寄せ、ひたすらに走る。
すべては小牟田式子の隣を駆け抜けるために。
弾丸のごとき速度で──もちろん比喩表現ではあるが──距離を詰めてくるノエリにも顔色ひとつ変えず、式子は懐からハンドガンを取り出した。
構え、撃つ。
やはり式子に躊躇はなかった。
「…………」
──薄々察してはいたことだが。
実際に攻撃されると、なんだか辛いものがある。
眉間を貫かんと飛来する弾丸。
それにノエリは唇を歪め、眉を寄せた。
膝を石畳に接着させて滑る。プロテクターをつけておいてよかった。
リンボーダンスを彷彿とさせる倒れ込みに、頭を狙った銃弾は外れた。
「ちょっとは焦ってもいいんだよ!」
「────」
しかし式子は攻撃の手を緩めず、間髪入れず自弾を発砲する。撃鉄を起こし、引き金を引く。
あまりに人間味のない反応に、さすがのノエリも声を上げた。それに対する返答は無言。予想どおり。
式子は銃による攻撃が通用しないと見るや否や、腿の鞘に収めていたナイフを抜き放ち、接近戦を仕掛けてきた。
「──っ!」
銃身で刃を受け止め、ノエリは苦悶の息を漏らす。
一撃で銃が駄目になった。式子は既に魔法を使った経験があるため、ノエリと比べて身体能力が高い。鍔迫り合いも長くは持たない。踏み込みの勢いもあって、刃は銃身の半ばほどまで埋まっていた。
「らああああ!」
正面から戦ってはいけない。
ノエリは的確に状況を把握した。
裂帛の声で筋肉を躍動させ、ほとんど蹴りつけるような動きで、強引に鍔迫り合いから脱する。
ごろごろと地面を転がり、跳ね起きた。
見れば、銃身に呑み込まれたナイフを用済みと判断したか、武器を投げ捨てた式子が無表情に迫ってくる。
「────」
驚きも、憎悪も、何もかもがない双眸。
ノエリは一度目を細めた。
細めて、見開いた。
「……包帯の人!」
「その言い方は如何なものかね」
口腔内で文句を噛み殺し、包帯の人呼ばわりされた古明地葵が駆ける。
確かに式子の速度も尋常ならざるが、それに相対するは、自他ともに認める世界最強の魔女だ。
葵は大ぶりの鉈を片手に抜き、迫る式子へ振った。無造作に。
「──が」
しかし無造作だからといって稚拙なわけではない。むしろ逆だ。恐ろしいくらいに洗練された攻撃。
潰された刃が式子の腹を抉る。肺が圧迫され、中身をすべて吐き出した。
一閃の衝撃に吹き飛ばされ、くの字に身体を折り曲げた式子は、受け身を取る余裕もなく壁に叩きつけられる。
式子が起き上がらないうちに、葵はノエリへと指を向けた。
彼女はすぐに意図を掴み、
「……あ、今のうちに逃げろってことですか?」
「────」
「分かりました。何度もありがとうございます」
ノエリは深く腰を折り、顔を引き締めると、今度こそ無事に部屋から逃げ出した。
◇
──小牟田式子。
話に聞いてはいたが、彼女の正体はいったい何なのだろう。
俺は顎に手を添えながら考える。
ノエリの反応からして、彼女と仲がよかったことは間違いあるまい。
どうにも直接話をしたり──みたいな関係ではなかったようだが、少なくとも攻撃されるほど恨みは買っていなかった様子。
つまり、今の小牟田式子の状態は異常なのだ。
「これはどうかな?」
「児戯に等しい」
「まあフェイントだからね。本命はこれさ」
「……魔法」
「一応は元世界最強の魔女だ。私にもプライドがある」
現在もモルガナと嶺岸明日香の戦いは続いている。どうも二人の実力は拮抗しているようだ。お互いに千日手。
──ゆえに、モルガナは切り札を出した。
魔法の前兆に空気が震える。
嶺岸明日香は首を傾げた。
「代償が怖くないの?」
「兵は拙速を尊ぶと云うからね。我が身可愛さで躊躇などしていられないさ」
「そう。じゃあ私も」
対抗するように白髪の少女も杖を取り出す。
モルガナも嶺岸明日香も白の髪をしているものだから、お互いに向き合い、杖を向け合っていると、まるで姉妹のようだ。
──彼女らに魔法を使わせるわけにはいかない。
俺は考察を途中で打ち切り、モルガナに協力しようと地面を蹴った。
「あらあら、修羅場ね」
そこに響く銀鈴の声。
唐突に、予兆もなく現れた女。
俺は目を見開いて、
「お前は──」
軽さを感じさせる黒髪に、ふわりと閉じられた瞼。いっそ不健康なほどに白い肌。それらしすぎてわざとらしさまで彷彿とさせる、シスター服を纏った女だった。
見覚えはまったくない。
「誰だ」
「名前、名前……そうですね。では、私のことは『歯車』とでも呼んでください」
歯車を名乗った女は、たおやかに微笑んだ。