救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
ばたん、と古明地葵が倒れた。
モルガナはその音を耳にし、驚愕に目を見張る。
──まさか葵が負けたのか。
世界最強の魔女が負けるほどの相手であれば、モルガナも勝つことはできないだろう。全滅だ。
モルガナの思考に隙間が生まれた。
相対する嶺岸明日香はその致命的な隙を見逃さない。杖を持っていないほうの手でハンドガンを抜く。
銃というのは実に人を殺すのに特化した道具だ。力を込めて斬る必要もなく、ただ、指先を動かすだけ。
人類の歴史の極致とも表現できる銃が、その威力を発揮しようとした。
火薬が炸裂し、凶弾がモルガナを殺す。
──その直前。
「まあまあ。お待ちなさい」
「……お母さま」
「学園長ちゃんには役割がありますからね。ここで殺してしまっては駄目です。世界が滅んでしまいますよ」
葵の倒れ伏した場所から一体いつの間に移動したのだろうか。歯車は嶺岸明日香の左腕を摘まんでいた。
ちょこんと、まるで迷子の子供が母親にするような仕草。
しかし実際の関係は真逆。
歯車を『お母さま』と呼ぶ嶺岸明日香は、立ち尽くすモルガナを一瞥して、銃口を下げる。
「分かった」
「ふふ。いい子です。聞き分けがいい子は好きですよ」
「お母様に逆らうと怖い」
「あら。ひどい言い草」
服の袖で口元を隠し、歯車が肩を揺らした。
「ご歓談に興じているところ悪いんだがね。私を害する気持ちがないと言うのならば、そこに転がっている友人を回収してもいいかな」
そこに差し込まれたモルガナの言葉。
否定されること前提で発したのだろう、彼女は表情こそ柔らかだが、左手のナイフを強く握りしめていた。
ところが、
「古明地葵のことですか? いいですよ」
ずいぶんと簡単に受け入れられてしまう。
呆気なく頷いた歯車に、モルガナは瞬きした。
「……そこまで途惑いなく受容されてしまうと、何か罠でもあるんじゃないかと勘繰ってしまうんだが?」
「心外です。私は人を騙すようなことはしませんよ」
唇を尖らせる歯車。
「宗教の廃れたこの世界でシスター服を着ているんだ。胡散臭い印象を与えるのは自覚しているだろう」
「人は見た目ではないと云いますからね。人間の心の広さを信じているのですよ」
「だとすると人間を高く見積もりすぎだ。外見から得られる情報は存外多い。それを判断基準にするのは避けられない」
現実的な答えを返したモルガナに、歯車はいかにもシスター然とした考えを提出した。
「判断基準にしたうえで、偏見を取り去っていただけると嬉しいんですけどね。私も説得するのが簡単になるので」
「……? 説得? 誰に対する説得だい」
聞き流そうとしたモルガナだが、違和感がよぎる。
尋ねると、歯車はぴょこぴょこ手を振った。
「おや。口が滑ってしまいました。忘れてください」
「無理なことを言う」
かといって、ここで追及したところで色好い解説が聞けるとも思えない。
せっかく穏便に事が済みそうな雰囲気なのに、相手の機嫌を損ねて戦闘が再開される可能性も高いだろう。
モルガナは首を竦めた。
そして、ゆっくりと葵に近づいて行く。
「今までの話の流れからして、君たちから攻撃を受けることはないと判断したのだが、どうだろう」
「少なくとも私に攻撃の意志はありませんよ」
「……そこのお嬢さんは?」
嶺岸明日香に水を向けると、
「私はお母様の言いつけを守ってるだけだから。お母様にやる気がないなら、私も何もしない」
「それは助かるね」
──本当に。
モルガナは葵の元に辿り着いた。
二人を警戒しつつ、葵の身体を抱き上げる。
「……私たちはここから無事に帰ることができるのかな。『拠点を知られたんだ。生きて帰れると思うなよ』とか言われると困るんだが」
想像に容易い未来だ。
まあ──歯車と嶺岸明日香、加えて部屋の隅で直立不動の小牟田式子を合わせた戦力に対し、荷物を抱えたモルガナが抵抗できるとも思えないので、わざわざ騙し討ちをする必要はないのだけれど。
「どうぞ安心してお帰りください。無防備な背中に鉛玉を食らわせる、なんて致しませんよ」
「……その恰好と、その胡散臭い風情で言われても、まったく信用ならないな」
「一応私も人間のつもりですから、疑い一辺倒では悲しくなってしまいます。世界の終わりまでは仲良くしましょう」
「だからそういう言い回しが原因だぞ」
モルガナは溜息をついた。
なんだか葵と喋っているみたいだ。変なタイミングでズレたことを口走るところとか特に。会話の主導権が掴めない。
腕の中でぐったりと眠る古明地葵の身体を見下ろして、モルガナは「もう一ついいかな」と疑問を持ちだした。
「葵はどういう状況なんだい。彼女は──」
「私は古明地葵の正体を知っているので、表現を取り繕わなくても大丈夫ですよ」
「……そうかい。それは楽で助かるね」
モルガナは苦い顔をする。
「──古明地葵は名実ともに世界最強の魔女だ。そんな彼を昏倒させられる方法なんて、およそ考えられないんだが」
「私以外には不可能な方法ですから。気にすることはありませんよ?」
「また無理な相談を」
世界最強に通用する手段であれば、それ以外の実力者、例えばモルガナにも効く可能性があるのだ。
気にするな──など、土台無理な話だった。
「本当に気にする必要はないんです」
歯車は苦笑する。
「古明地葵の──なんでしょう。スイッチ、とでも形容すべきでしょうか。それを押しただけですから。貴女には通用しない方法ですよ」
「スイッチ、か。まるで機械めいた手法だな」
「おや。芯を食った感想ですね。しかし、今はまだ『その時』ではないので、詳しくは教えられません」
口の前でばってんを作る歯車。
モルガナは鼻を鳴らして、
「勿体ぶることだ。展開を早くしないと、最近の読者は満足しないぞ?」
「小出しにするほうが最適な時もあるのですよ」
まったく怪しいことこの上ない。
こんな言動をしておいて『疑われて悲しい』など文句を漏らすのは、もはや厚かましい領域にあるだろう。
図々しく、遠慮がない。
「……念のために確認しておくんだが、気絶させただけだな? 記憶を消したりとかはしてないんだな?」
「してますね」
「さりげなく重大な事をしでかしてるじゃないか!」
「消したりというか、思い出させたのですが」
どうということもない、と言いたげに呟く歯車。
「古明地葵は魔法の代償で記憶の保持ができなくなっています」
「──記憶が」
「世界の救済のために必要な部分まで忘れていたので、思い出させました」
「……お手軽に言ってくれる。代償で消えた記憶の再生、か。まるで神の御業だな」
普通なら一笑に付す妄言である。
代償とは取り返しが付かないから代償なのだ。
救いようのない、人間の力では抗えない運命。
それが代償。
けれども──シスター服を纏い、意味深長な振る舞いを続ける歯車が言うと、なぜか説得力がある。
神の御業。
遥か昔に信仰が途絶えた世界でなお、人に奇跡を信じさせてしまう。
歯車には、そんな不可思議な信憑性があった。
「気になったことはそれで全部ですか?」
「……ああ、そうだな」
「では足元に気を付けてお帰りください。家に帰るまでが遠足と云いますからね。無事にみんなを助け出したのに、自分だけが帰らぬ人になるなんて、まったく笑えない話ですよ」
これまた意味深な発言である。
類義語としては『月夜ばかりと思うなよ』だろうか。
モルガナは呆れすら覚え、盛大に大きな溜息をついた。