救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
「思い出した」
俺は目を開けると同時、見覚えのある天井に言及する間もなく、過去に置き去ってきたはずの頭痛に襲われていた。いわゆる幻痛である。
頭蓋骨の奥の奥、おそらく脳みそが収まっている場所に熱を覚える。
やたらと重い上半身をベッドから起こし、俺は盛大に溜息をついた。胸に詰まった二酸化炭素をすべて吐き出すつもりで。
なんというか、このまま二度寝に興じたい心地だ。
「駄目だよなあ、許されないよなあ」
頭を振って眠気と幻痛を追い出す。
しばらく掠れた視界でぼんやりしていると、次第に思考が明瞭さを取り戻していった。
……思い出したくない過去もセットで。
「うわあ、俺やらかしすぎだろ」
掌で顔を覆う。想起するは魔法の代償で失った過去。
本来なら代償でなくしてしまった記憶は戻らないはずだが、どういうわけか今の自分はその記憶を取り戻していた。
原因に心当たりはない。あるのはただ、『やらかした』という確信のみ。
「式子とか……めちゃくちゃ落ち込んでたし」
何日も前の邂逅。記憶を失った俺と、喫茶店を喧嘩で吹き飛ばした小牟田式子の二度目の初めまして。
式子は全身全霊で謝罪を伝えようとしていたが、こちらに謝られる節が思い当たらないどころか、そもそも相手の記憶すらなかったものだから、冷酷無比このうえない対応をしてしまった。
別れ際の式子の顔が鮮明に思い出せる。……我ながら最低だ。いくら記憶がなかろうが、そこは世界最強の魔女のご都合主義的なあれでなんとかしてくれてもいいものを。
「それに──ここ数日の記憶がぽっかりと抜けてる」
カレンダーに視線をやる。表示されている日付は、記憶と数日の乖離があった。
このカレンダーはかつての仲間が贈ってくれた最高品質の物である。早々誤りが出るとも思えない。
ということは、誤っているのは自分の記録なのだろう。つまり、数日間の記憶が欠落している。
それが代償で失った過去を取り戻すことに起因するのかは判らないが、いずれにせよ、何か重要なことが起きたのは間違いあるまい。
ベッドから完全に抜け出し、吐息を押し出した。さらに頭がすっきりしてくる。
周囲の光景からして、ここは喫茶店のバックスペース。俺の部屋。荒らされたような形跡はなし。
魔力の残滓からして誰かしらは侵入したようだが、物にも者にも被害が及んでいないため、おそらくは俺を想ってのこと。
だとすると下手人は式子あたりだろうか──。
と顎に手を添えれば。
噂をすれば影、ということだろうか。
木製の扉が静かに開け放たれた。
「──あ、店長さん」
「式子」
「……っ! あの、もしかして、思い出して?」
「ずいぶん酷いことを言ってしまったね」
「店長さん!!」
闇そのまま溶かしたような黒髪の少女、小牟田式子が、扉を閉めることもそのままに飛び込んできた。
起き抜けに勢いのある目覚ましだ。俺は苦笑して、体当たりとも表現できる彼女の抱擁を受け入れる。
脚を緩めて衝撃を床に逃がせば、式子はぐりぐりと頭を胸に押し付けてきて、涙混じりの鼻声で言った。
「ご、ごめんなさい……! 私、ずっと謝りたくて! でも、謝ろうとしたら、店長さん私のこと忘れてて! もう二度とそんな機会が訪れないんじゃないかと思ったら、もう、怖くって!」
「ごめんね。心労をかけちゃったね。実は盛大に転んだ折、したたかに頭を打ち付けて短期的な記憶喪失になってたんだ。式子たちのことは思い出したから、もう大丈夫だよ」
まったくの嘘である。転んだ程度で記憶を失っていたら、世界最強の魔女など名乗れるはずがない。
しかし本当のことを伝えるわけにもいかないから、慟哭する式子を抱いた俺は、口から出まかせを吐いていた。
◇
しばらく時間が経って。
ようやく落ち着いたと見える式子は、鼻を鳴らしながらも「……大丈夫です。ご心配をかけてすみませんでした」と離れていった。腕の中から熱がなくなる。
「じゃあ、質問してもいいかな」
「はい」
「俺はどうしてこの部屋に? 記憶を取り戻した弊害かもしれないんだけど、ここ数日の足取りが思い出せなくてね」
「えっと……」
式子は眉を曇らせた。
「その……私も詳細は覚えていないんです」
「覚えていない?」
「はい。学園長いわく、私は王都の端のほうで倒れていたそうで。店長さんも一緒に発見されたらしいです」
「倒れていた……それはまた、きな臭いことだ」
まず式子と一緒というのが怪しい。
次に世界最強の魔女が倒れていたというのが怪しい。
小牟田式子はこの世界の主人公だ。古明地葵はこの世界で最強の魔女だ。その二人が同時に同じ場所で倒れている──しかも両者ともにその時の記憶を欠落しているなど、とても穏やかな想像はできない。
何かの陰謀を感じた。
俺は顔をしかめ、式子に続きを促す。
「ごめんなさい。私もこれ以上は知らないんです。店長さんを抱えて喫茶店まで運んだのはいいんですけど、学園長からは何も教えてもらえなかったので。というか、学園長も記憶がなかったみたいなんですよね」
「モルガナも?」
「学園長の言うことには、『気が付いたら私もここに居た。前後の記憶がない。魔力の残滓もないから魔法を使われたわけでもなさそうだ。あるいは、元世界最強の魔女である私の感知能力すら欺く魔女が居たか』とかなんとかで」
式子は小さく謝罪してきた。
頼りにならなくてごめんなさい──と。
「別に謝ることじゃないよ。というか感謝しないといけないくらいだ。無様に転がってた俺を喫茶店まで運んでくれたんでしょ? 重かっただろうに、本当にありがとう」
「い、いえ! 店長さんは重くなかったですよ! それに、私はもう魔法を使ったことがありますから、身体能力には自信があるんです」
ふふん、と腕を曲げて上腕を叩く式子。
その振る舞いからはおよそ彼女の屈強さを読み取ることはできないが、魔法の後遺症による身体能力上昇は確かだ。
魔法を使った人間は人間を辞める。使えば使うほど、人間という生き物の範疇から逸脱していく。
式子は一度使用したらしいから、彼女の言うとおり、俺を運ぶのに支障は一切なかったのだろう。
まあ、かといって申し訳なさが消えるわけでもなく。
俺は頭を掻いて、
「だとしてもだよ。──本当にありがとう」
式子は、今度こそ大人しく感謝を受け入れてくれた。
◇
モルガナと認識の擦り合わせを行なった。
というか、行なわされた。
普段どおりに喫茶店でごろごろと時間を無為に過ごしていたら、からんからんと扉に括り付けた鈴が鳴って、お客様に対応しようとしたらモルガナが居た。
「やあ。君が意識を取り戻したと聞いてね。私と君の認識の擦り合わせをしたいから、少し時間を貰ってもいいかな?」
「……はあ」
この時点で嫌な予感はしていたのだ。
──なんか、この人やたら親しげだな、とか。
そうして互いに持っている情報を交換したらあらびっくり。
彼女は俺の正体──世界最強の魔女、古明地葵であることを知っていた。
どうも正体を知るに至ったきっかけは忘却しているようだが、そんなことは単なる些事だった。
「私と君の話を繋ぎ合わせると……君はここ数日、私はそれよりも短い記憶を失っていることになる」
「魔女の誘拐事件があったんですよね? 俺たちはそれを解決しに王都の端へ、つまり犯人の居城へ向かった」
「……敬語はやめてくれ。むず痒い」
モルガナは不快そうに言う。
「じゃあ敬語は外す。……モルガナは誘拐犯の拠点に殴り込んだところまでは覚えているが、そこで何があったか覚えていない。つまり事件終盤の記憶がないと」
「ああ。地下に飛び込んだと思ったら、気が付けば暗い空の下。葵と式子くんが近くに転がっていたというわけさ」
「状況からして誘拐犯が何かをしたのは間違いない」
「それも──この世界の実力者ワンツーを相手取ってね」
信じられないことだ。
俺は記憶がないからいまいち実感できないが、モルガナの言葉を全面的に受け入れれば、誘拐犯は少なくとも世界最強の魔女よりも強いことになる。
……いや、違うか。
誘拐犯は『世界最強の魔女を陥れる手段』を持っている、のほうが確率としては妥当だろう。
こんなでも俺は相当な修羅場を潜り抜けてきた自信がある。運がよかった自覚もある。ほとんど投身自殺のような生き方をしてきたのだ。簡単に実力で並ばれるほど柔な鍛え方をしてきたつもりはない。
モルガナも同じ結論に至ったようだ。鼻筋に皺を寄せて、深刻そうに溜息をつく。
「私たち二人と対峙して、どういう手段を取ったかは判らないが、勝利を収めるような相手か。惜しいな。魔女を攫うなんて犯罪者でなければ、人類のために甚大な恩恵をもたらしただろうに」
静かな時間が流れた。
喫茶店には俺たちの他に誰も居ない。
アルバイトとして働いている式子も、珠姫も居な──。
──違和感。
なんだ? 何に引っ掛かったんだ?
虚空に視線を彷徨わせて、思考に深く没入する。
さっき俺がぼんやりと考えたこと。
そこに不自然な何かがあったはずだ。
「葵? どうしたんだい」
「ごめん。少し集中する」
感覚的になんらかの認識阻害が掛けられている。魔物と戦っていたときに何度か覚えのある感じだ。気持ち悪い。魔法によるものか。俺の耐性を貫通するほどの魔法とは、どれだけの使い手によるものなのだ。魔物の魔法ならともかく、魔女の魔法が利く可能性は限りなく低いのに。
脳の片隅で思考が白熱する。
それを無視して、記憶の奥底、深く深くに潜っていく。
「──思い出した」
やがて辿り着いた疑問。
先ほど引っ掛かった違和感。
俺は、それを素直に口に出した。
「モルガナ。君は学園のすべての生徒を覚えていると聞いた」
「学園長として最低限の義務というやつさ」
「じゃあ一つ質問がある。──大牟田珠姫はどこに居る?」
大牟田珠姫。
何度かその名前を舌の上で反芻し、モルガナは首を傾げる。
「──すまない。私はその『オオムタタマキ』なる人物を知らない。もしや学園の生徒なのか?」