救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる   作:音塚雪見

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第2話

 ──どうする。

 俺は重心を若干落とし、即座に動ける体勢を作った。

 

 

 目の前の嶺岸明日香は依然としてこちらに指先を向けている。

 なんだあれは。攻撃の予兆か。魔女は基本的に杖を使って魔法を使うものだが、後遺症を度外視すれば身体を媒体に魔法を放てる。

 

 

 嶺岸明日香から敵意は感じられないものの、彼女に付随する記憶があまりにも悪すぎた。警戒を解くことはできない。

 俺は静かに拳を握り、魔力を集中させる。

 

 

「『古明地葵』を発見ってのは、どういうこと? まるで──というか俺を探していたとしか解釈できない発言だけど」

「事実、貴方を探していた。お母様が貴方を頼れって」

「は……?」

「私は学園に転校してきた。土地鑑がないから迷子。古明地葵に頼れば、あの人は優しいから助けてくれるって、お母様が」

 

 

 転校してきた? 誰が? 嶺岸明日香が?

 理解の追いつかない話に思考が停止する。

 まったく覚えのない展開だ。『魔女あるいは』の知識だけが俺の優越性だったというのに、これでは意味がないではないか。

 罠の可能性も考慮して警戒は解かないが、事情を知りたい。

 

 

「転校してきたって、それはまたずいぶんと唐突だね」

「そう? お母様は『伏線を敷くのは完了した。あとは回収するだけ』って言ってた。唐突じゃないと思う」

「……俺はそのお母様とやらを知らないから、唐突に感じられるんだよ」

 

 

 目の前で首を傾げる嶺岸明日香には、どこか掴みどころがなかった。

 透き通るような白髪を風に揺らし、陶磁器を想起させる肌が木漏れ日に映える。

 まったく美少女と形容して申し分ない相貌の少女だが、その不可思議な言動と寸分たがわぬ表情のせいで、機械か何かと相対している気分になる。

 

 

 俺は微妙な顔を作って肩を落とした。

 魔力を霧散させる。

 

 

「……まあ、いいや。とりあえず攻撃してくるつもりはないんだね?」

「どうして私が貴方に攻撃をするの? 意味がない。お母様からもそんなことをしろとは命令されてない」

「さっきからお母様お母様って。もしかして命令がないと動けないタイプ?」

「判らない。私には自由意志もあるけど、別にやりたいことがないから。ほとんどはお母様の言いつけどおりに動いてる」

 

 

 これはまた原作とは乖離した設定だ。勘弁してほしい。そもそも誰だよお母様。俺の知ってる嶺岸明日香には特定の親なんて居なかったはずだぞ。

 ──否。より詳細には、『居なかった』のではなく、描写されていなかったのほうが正確か。 

 だが、少なくとも本筋に絡んでくるほど存在感の大きな人物でもなかった。

 

 

「それじゃあ、土地鑑がないらしいけど頑張って」

 

 

 俺はすっかり戦意を失ってしまって、肩を落としたまま踵を返す。

 もう散歩しようという心地でもなかった。

 けれども。

 

 

「待って」

「……手首を掴んでくるとはなかなか強引だね。このまま握り潰すとかはやめてほしいんだけど」

「案内して?」

「は?」

「私は迷子の転校生。貴方は優しい土地鑑のある人。あとお母様が頼れって言ってた相手。貴方には学園を案内する義務があると思う」

 

 

 無表情のままに言う嶺岸明日香。

 もはや突飛な言動に反応する気もないが、彼女が当然とばかりに言い放ったことには文句がある。

 

 

「俺は君の父親じゃないんだよ? どうしてそこまで──」

「家族うんぬんの話だったら、そんなに差はない。私はお姉ちゃん」

「は?」

「私はお姉ちゃん」

 

 

 乱痴気騒ぎはやめてくれ。情報の洪水でこちらの許諾を無理やり押し流そうとしているのか?

 俺はよっぽどそう指摘してやろうかと思ったが、表情筋の働いていない嶺岸明日香を見て、ますます面倒な事態が起こりかねぬと危惧が生じ、余計な発言は慎むべきという結論に至った。

 

 

 口を噤み、彼女の指先に手を掛ける。

 指を一本一本外していき、手首を解放した。

 

 

「……まあ、案内することに否やはないけどさ。呼び掛けもなしに手を繋いでくるのはどうかと思うよ。年頃の乙女が見ず知らずの男相手にするには、ずいぶんと考えなしな行動じゃない?」

「? お姉ちゃんが弟にするには自然な行動だと思う」

「あ、それ公然の事実として扱うつもりなんだ。参ったな。こりゃ勝てないわ」

 

 

 嶺岸明日香は目をぱちくりさせた。まるで疑問を抱いていません、と言わんばかりの振る舞いだ。

 いや、事実、疑問なんて抱いていないのだろう。彼女とは短い付き合いだが理解した。嶺岸明日香に情緒を解する心はない。誤解を招きかねない表現を改めれば、嶺岸明日香は童女と変わらないのだ。

 見た目こそ少し大人びているものの、その中身は稚児さながら。

 

 

「まずは学園長室に行けってお母様が言ってた」

「ああ、それで掲示板の構内図を見てたんだ」

「案内して?」

「分かりましたよお姫様」

 

 

 文句もなかった。

 気勢が削がれた、のほうが適切だろうか。

 俺は苦笑して彼女と連れ立った。

 

 

     ◇

 

 

 学園長室。

 ノックをしてから入室すると、この部屋の主であるモルガナが硬直した。

 

 

「……ずいぶんと見覚えのある顔が横に居るが」

「そうなんだ? さっき掲示板のところで出会ったんだよ」

「古明地葵の姉。嶺岸明日香」

「こんなことを言っているが」

「自称姉ってだけね。血縁関係はないよ。苗字が違うことからも判るでしょ」

「──いや、すまない。私はアルム地方の出身でね。君たちのような、ミスト式の命名法則には疎いんだ」

 

 

 アストラディア連合王国は『連合』とその名にあるとおり、結界が張られた際、三つの国が一緒になって誕生した。三つの文化が共存し合い、ともすると乱雑と思われる風俗が成立しているのだ。

 

 

 モルガナが言及した命名法則もそのうちの一つである。かつてアルム王国と呼ばれていた地域では『モルガナ』とか『ノエリ』とかいう名前が付けられ、かつてミスト王国と呼ばれていた地域では『古明地葵』とか『小牟田式子』とかいう名前が付けられる。

 

 

 アルム地方ではそもそも苗字という概念が存在しないから、それによって血縁関係を感じ取れというのは無理な話だったかもしれない。

 俺はモルガナに頭を下げ、ついでとばかりに横に突っ立ったままの嶺岸明日香を突き出した。

 

 

「転校生を紹介するよ。嶺岸明日香ちゃんです」

「嶺岸明日香ちゃんです」

「……無表情にピースをされても、反応に困るのだが」

 

 

 モルガナはとても趣深い顔を作る。

 まばたきの回数が異常に多いことからも、現在、彼女の頭が超高速で回転していることが判った。

 彼女は思い切り鼻筋に皺を寄せ、

 

 

「それと……なんだ? 転校生? とか言ったかい?」

「本人いわくね」

「学園長である私が知り得ない転校生というのは、原理的にあり得ないはずなのだが」

「お母様から転校届を渡されている」

 

 

 嶺岸明日香が一枚の紙を取り出した。

 それを手渡されたモルガナは静かに視線を落とす。

 

 

「……確かに正式な書類だ。なぜか私の署名まである。一切記憶にない文面だが、筆跡からして私のそれに違いないだろう」

「偽造の線は?」

「私の魔力を感じる。魔力を偽造することはできないから、これはつまり、私が意識のないままに記したサインか、あるいは書いたうえで記憶を失ったかのどちらかの可能性が高い」

 

 

 モルガナは机に突っ伏した。威厳ある学園長、なる前評判からは想像もできないほど堕落した格好である。

 

 

「また面倒な相手を連れてきてくれたな、葵。君は厄介事を持ち込む天才なのかもしれない」

「褒められたって感謝しか出ないぞ」

「皮肉だよ、まったく」

 

 

 机に突っ伏した格好はそのままに、モルガナは目線だけを上げた。鋭い双眸はのたたーんと佇む嶺岸明日香に向けられている。

 並みの人間であればその眼差しだけで委縮してしまいそうなものだが、彼女は相変わらず何を考えているか判らない無表情で居た。

 やがて諦めたらしいモルガナは盛大に息を吐き、件の書類に判子を押す。

 

 

「……はい、事務手続きはこれですべて完了した。彼女は正式にこの学園の転入生ということになった」

「ありがとう。私も晴れて華のJK」

「別に高校生というわけでもないのだが……学園に入るのに年齢制限などはないし」

 

 

 律儀にツッコむモルガナ。

 しかし俺は慈母のごとき面持ちでそれを眺めていた。

 嶺岸明日香は放っておけば処理しきれないほどのボケをかましてくる。いちいち反応していると非常に疲労が溜まるのだ。

 だから俺はついにツッコまなくなったし、いずれモルガナもそうなるだろう。温かい眼差しは、先達として後輩を微笑ましく思う気持ちゆえだった。

 

 

「不愉快な視線だ」

「君の将来に幸あれ、モルガナ」

「本当に葵は何を言っているんだ?」

 

 

 モルガナは不思議そうに首を傾げた。

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