救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
「えへへ、葵~」
瑞佳が俺の腕を抱きながら、だらしない声を上げる。脳みそが溶けているのか、表情も筋肉の不在を確信させるほど緩んでいた。
繭子と瑞佳と不意の遭遇を果たしてから一時間。なんとか二人を説き伏せ、はいさよならとなれば話は早かったのだが、そうもいかず、俺たちは一緒に学園祭を回ることになった。
もともと共に回っていたノエリは不満たらたらだ。「何なんですかこの人たちは。店長さんに馴れ馴れしくしちゃって」とか、たこ焼きをぱくつきながら不貞腐れている。
「というか、店長さん。『葵』って名前だったんですね」
「……そう呼ばれることもあるね」
「昔の知り合いの方にそう呼ばれているんですから、そんな偽名みたいな感じ出しても無駄ですよ。……はあ。私たちそれなりの付き合いなのに、名前を知る機会がこんな偶然に満ちたものだなんて。私は悲しいですよ」
苗字こそ死守したものの、繭子や瑞佳がしきりに『葵、葵』と呼び掛けてくるものだから、ノエリにも名前がバレてしまった。
名前だけならありふれたものだし、世界最強の魔女と俺を結び付けるには情報が少なすぎると思うが──警戒に越したことはない。二人にも厳重注意し、なるたけ苗字を口に出さないようお願いしよう。
先程の修羅場を共にしたからか、並び歩くノエリと繭子はある程度仲を深めたようだ。腕を組んで歩くこちらを時たま睨みつけながら、気合の入った学園祭の装飾を楽しんでいる。
憂鬱だ。溜息をつく。
何も気にすることなく学園祭を満喫できると思っていたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。運命か。運命なのか。だとしたら俺は運命を恨むぜ。ついでに神様的なあれにも文句を垂れておこう。
そんなふうに俺が現実逃避をしていると、逃がさんとばかりに腕を組む瑞佳が、ノエリのほうをちらりと見て耳打ちしてきた。
「……それにしても、まさか葵が男だったとはね。東奔西走しても見つからないはずだよ」
「俺としては瑞佳の反応が意外なんだけど。もっと狂乱するかと」
「私のイメージどうなってるわけ? ……まあ、いいや。葵と一緒に居られるんだし」
瑞佳はさらに腕の力を強める。
「私だって驚いてるよ。必死に隠してるけど。だって魔法は女にしか使えないって何千年も云われてきたんだよ? なのに世界最強の魔女が男ってさ。驚くなってほうが無理な話」
「秘密にしてたのは、謝る」
「別にいいよ。私だって葵の立場だったら同じことしてただろうし。もしかしたら人類史上初めてかもしれない『男の魔女』。あるいは『魔法使い』と表現したほうがいいのかな。そんな存在が居たら、誰もがこぞって調べたがる。普通の生活は望むべくもないね」
目を伏せて眉を寄せる瑞佳。
彼女の睫毛の長さが妙に印象に残った。
「でも……私たちにくらいは教えてもらいたかったかな。葵の抱える秘密がいくら大きなものでも、私たちなら一緒に背負えたし」
「瑞佳──」
「……ま、湿っぽい話は終わりにしよう! せっかく楽しい学園祭なんだからさ、俯いてちゃ損だもんね!」
瑞佳は向日葵のような笑みを浮かべた。こちらの腕を引っ張って、「さっきパンフレットで面白そうな出店見つけたんだ!」と歯を見せる。
「ちょっとちょっと繭子さん。貴女の連れどうなってるんですか。めちゃくちゃ泥棒猫ムーブかましてるんですけど」
「まあ、あの子もいろいろ苦労していたからね。それはそれとして僕も思うところがあるのは違いないけれど」
「放っておくといつまでも二人きりの世界に籠られちゃいますよ。私たちがなんとかするしかないんです」
「戦友の邪魔をするのは心苦しいが……僕も一人の女だからね」
背後からはノエリと繭子の話が聞こえてくる。本当に仲良くなったようだ。魔女現役の時はずいぶん人見知りが激しかった繭子だが、歳を重ねて成長したらしい。子供の成長を喜ぶ親のごとき気持ち。
「瑞佳。あんまり先を行き過ぎると、二人とはぐれちゃうよ」
「はぐれたほうが二人きりの時間を満喫できるから。わざと」
「おっと。話が変わってきたな」
先程までの純粋無垢な笑みはどこへ行ったのか、瑞佳は妖艶に微笑む。
それを後ろの二人も認識してしまったようで、「なっ! あの泥棒猫こっち見て舌出してきましたよ!」「瑞佳……君とは心からの親友だと思っていたんだけどね」とか逼迫した声が耳を打った。
「瑞佳? 繭子たちが視線だけで人が殺せそうなくらい殺気立ってるんだけど」
「上等だよ。なにせこっちには世界最強の魔女が付いてるんだから」
「勝手に俺を仲間にしないでほしい。理不尽な戦いに巻き込まれるのは魔女時代だけで十分だよ」
瑞佳は勝ち気に拳を握った。
◇
どことも知れぬ世界。
見渡す限りの白が広がっており、あるいは、息も詰まるほどの狭苦しい黒がただそこに在る。
人間の下等な認識能力では『ここ』が何なのかすらも判らない。
そんな世界に、一人の女が居た。
「……やっぱり時期は変わらない、か。英雄が現れれば、世界の道筋も変わるかと思ったのだけれど。最初から決まっていた終幕は動かせない」
軽さを感じさせる黒髪に、ふわりと閉じられた瞼。いっそ不健康なほどに白く染まった肌。それらしすぎて作為的な印象すら抱く、シスター服のニンゲンだ。
歯車と自称するその女は、何が在るのか何も無いのか判別つかない空間に、まるで日光浴でもしているかのような調子で居た。
道もなければ上下もない世界で、淡々と歩いている。辺りの様子をつぶさに観察しながら。
「終末を抱えた世界。何度繰り返しても変わらない結末。終わる世界に対して最も有効なカードを切っても、全体の流れは変わらない」
鼻歌のようにひとりごちる。歯車は止まらない。破けつつある世界──人間たちは『結界』と呼ぶそれを、彼女はたった一人で修復していた。
だが、そんな尽力も誰の知るところでなく、また意味もないものだった。崩壊を先延ばしにするだけで、根本的な解決になっていない。否。根本的な解決なんてものは、そもそも存在しないのではないか。
歯車は珍しく弱っていた。学園祭が目印。学園祭が始まったら、もうまもなく世界の終わりがやってくる。
普段は毅然としている彼女も、さすがに最後が迫ると気が滅入る。古明地葵という英雄を造ったのに、今のところは何も変わらない。いや、そういえばノエリとかいう娘が生き延びているのか。ほとんど誤差のようなものだが、少しでも前進があっと思わねば心が保たない。
ルーティーンと化した作業を終わらせ、歯車は溜息をついた。
結界は元の状態に戻したものの、これから加速度的に悪化する。大して効果はないだろう。
「今度失敗したら……もう、諦めようかなあ」
歯車の声は誰も居ない空間に吸い込まれていった。
◇
ノエリ、繭子、瑞佳との三人と連れ立って学園祭を回っていた俺。
元々の予定とはだいぶ変わってしまったが、これはこれで楽しいから問題ないか、と思っていたのだけれど。
「古明地葵をはっけ──」
「いったん向こうでお話ししようか」
「むぐう」と抵抗する嶺岸明日香を連行する。
一切の躊躇なくセクハラまがいの蛮行に出たことで、背後からとんでもない目線を向けられている。
しかし、俺は名誉を捨ててでも彼女をどうにかしなければならなかった。
配慮とか思慮とかの類に欠ける嶺岸明日香を放っておけば、まず間違いなく秘密が晒されてしまうだろうから。
無人の物陰に到着し、嶺岸明日香を解放する。
彼女は途中からされるがままになっていたが、「ようやく終わったか」とでも言いたげな顔でこちらを見上げてきた。
「何?」
「いや『何?』じゃなくてさ。いきなり人の名前を暴露するのはやめてほしいなってことなんだけど」
「円滑なコミュニケーションのためには、相手の名前を用いるのが一般的。古明地葵は、私と円滑なコミュニケーションを行ないたくない?」
首を傾げて問うてくる嶺岸明日香。
感情としては彼女の主張を否定したいところだけれど、あまりに理路整然として穴がないものだから、理性が納得してしまう。
「別にそういうわけじゃないんだけど……ほら、俺の名前って結構有名だから」
「身バレしたくない芸能人めいたことを言う」
「ある意味ではそんな感じだからね」
俺は首をすくめた。
自分を差して「芸能人」と評するのはいささか恥ずかしいが、事実、有名度合いでは似たようなものだ。
「ほら、今日は楽しい学園祭でしょ。変に騒ぎになって満喫できなくなったら損だとは思わない?」
「どちらにせよ学園祭は楽しめなくなる」
「──? いったいどういう……」
ぱきん。