救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる   作:音塚雪見

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第8話

 かすかな音だった。

 僅かな風に紛れるほどの、些細な音。

 しかし、あくまで致命的な音だと、頭ではなく身体──あるいは魂と呼ばれるところで理解した。

 

 

「どちらにせよ学園祭は楽しめなくなる。君はそう言ったね」

 

 

 俺は嶺岸明日香に相対する。

 何を考えているのか判らない無表情の彼女は、静かに首肯した。

 

 

「あの音が終わりを運んでくる。お母様が言ってた」

「終わり……? 具体的にどういう」

 

 

 ──ことだ。

 続けようとした言葉は、近づいてくる大量の魔力によって遮られた。

 

 

 窓に視線を向ける。

 遠く──空がない。

 

 

 鳥のような影があった。

 近づいてくる。

 否。

 鳥ではない。

 もっと凶悪なもの。

 あの形状はこの世のものではない。

 

 

 敵意だ。

 敵意を感じる。

 どこまでも底なしの敵意。

 それとも、殺意とでも表現したほうがいいだろうか。

 

 

「なん、で……魔物が」

 

 

 窓の向こう、混乱に沈む学園祭を尻目に。

 おびただしい数の魔物が、人間を殺戮せんと迫り来ていた。

 奴らから人類を守るはずの結界はなく。

 青々とした空の温かさも今は昔。

 夜よりも暗い、ひたすらに黒い空間が佇んでいた。

 

 

 魂が悟った。

 何が原因かは判らないが。

 結界が消滅したのだと。

 

 

「人類は魔物に滅ぼされる。それを防ぐために、数千年前の人類が多くの犠牲の果てに生み出した結界。でも、魔物だって馬鹿じゃない。ダンジョンが示すとおり、結界を破壊する手段は奴らだって持っている」

 

 

 嶺岸明日香は滔々と呟く。

 

 

「じゃあ、どうして魔物はすぐにでも侵攻を再開しなかったのか? ──それは、魔物たちが人類を試していたから」

「試して……?」

「お母様は言っていた」

 

 

 彼女が続けようとした瞬間。

 空間が罅割れるように白熱し、そこから、見知らぬシスター服の女が現れた。

 

 

「──魔物とは、あくまでも人間の言い出した呼称に過ぎません。その実態はとても残酷なものですけれど、喩えるなら、『神』が一番近いのかもしれません」

 

 

 まるで歌うような口振り。

 状況が状況でなければ、思わず聞き惚れてしまっていたかもしれない。

 

 

「魔女たちの使う魔法とは、すなわち神のもたらす奇跡。魔法を使えば使うほどに身が蝕まれ、魔女たちは神へ近づいていく。魔物を神だとすれば、それに変貌していく彼女らを、いったい、どのように呼べばいいのでしょう」

 

 

 シスター服の女は視線を向けてくる。

 首を傾げて、

 

 

「魔物になる女──そう呼ぶなら、確かに『魔女』なのでしょう。直截的で誤解がありませんが、しかし私は本質を捉えきれていないと思います。的を射ていないように感じるのです。ならば」

 

 

 一瞬の溜め。

 次に切り出す言葉を強調するための沈黙が、今はやけに長く感じた。

 

 

「魔女あるいは──巫女と。そう呼ぶのが、適切ではないでしょうか。魔物という神を奉る女たち。『奉る』と言うと如何にもな光景を想像してしまいますが、魔女は魔法を使うたびに、身体の一部を失っていく」

 

 

 言い換えれば。

 黒髪の女は、自らの頬を指先でなぞった。

 

 

「魔法を使うたびに、彼女らはとても大事なものを捧げている。ちょうど荒ぶる神を鎮めるため生贄を奉るように。その在り方は、かつての巫女に似ています。ほら、そう考えると、女性にしか魔法が使えないのも納得ではありませんか?」

 

 

 楚々とした笑みである。

 シスター服も相まって、なるほど聖職者然とした雰囲気を醸し出している。

 だが、しかし。

 いくらなんでも、不審な予感を拭い去ることはできなかった。

 

 

「昔から……ああ、神話の廃れた現代では通じない話ですが、『神と人間の間に生まれた子が英雄になる』という定番があるじゃないですか。あれは、その子が神の力を持っているから英雄になれるんです。力は、神から母体を経由して子に受け継がれる。つまり、女の中には、神の力に耐える素養を持つ者が居る。それが今で言う魔女なのかもしれませんね」

 

 

 狂乱に沈む周囲のことなんて素知らぬ顔で。

 そいつは、困ったように笑う。

 

 

「あまり睨まないでください。自分でも怪しすぎる登場をしたとは思いますが、これでも人類のために尽力してきたつもりなんですよ?」

「登場の仕方だけじゃなくて、発言の内容まで胡散臭いな。『人類のため』と言って、本当に人類のために動いていた奴を見たことがない」

「では、私がその一人目です。どうです、信じてくれました?」

 

 

 信じてくれますか、と訊かれても。

 洗脳でもされていない限り、ここで素直に頷ける者は居るまい。

 

 

 俺は腰を落とし、いつでもシスター服の女と戦闘を開始できる準備を整えた。

 校舎の外からは多くの人の悲鳴が聞こえてくる。結界が消えたことで、魔物を遮る壁はなくなった。女は神だなんだと戯言を吐いていたが、いずれにせよ、ただちに対処せねば尋常でない被害を出すだろう。

 

 

 外の人たちを助けるべく、脚が疼く。駆けろと。世界最強の魔女ならば、彼らを救えと身体が叫んでいる。

 

 

 しかし、俺はここを動くわけにはいかなかった。こんなにも怪しい登場をして、意味深な言動をする奴が、今回の件と無関係とは考えづらい。あるいは全ての黒幕かもしれないのだ。捕まえて情報を吐かせる必要がある。だから、俺は聞こえてくる厚い悲鳴を噛み殺して、女を睨み続けた。

 

 

 そこに。

 

 

「お母様は相変わらず雰囲気をつくるのが上手い」

「明日香?」

 

 

 嶺岸明日香が臆することなく一歩踏み出した。

 いや、それよりも。

 聞き捨てならないことを言ってやしなかったか──?

 

 

「ありがとうございます、明日香。貴女のおかげで移動するのが楽でした」

「アンカーにされたのは面白くないけど、最期に学園祭を楽しめたから許してあげる。それに私は親孝行な娘。お母様の言いつけは守る」

「ふふ。本当に孝行娘ですよ、貴女は」

 

 

 二人は気の知れた仲、とばかりに話している。

 

 

『魔女あるいは』のラスボスである嶺岸明日香。最近の彼女はどうにも掴みどころがなくて疑いきれずにいたが、あの様子を見るに、やはり何事か企んでいたらしい。シスター服の女はその共犯者だろう。

 

 

「ちょっと話に付いていけてないんだけど?」

 

 

 お母様、というフレーズに胸騒ぎがした。

 なぜかは判らない。

 ただ──あの二人をこのまま喋らせてはいけない。

 そう、思った。

 

 

「ごめんなさい、葵。貴方にも事情を説明できていればよかったのですが、不純物が混じっては英雄として大成できないと思って」

「また珍妙なことを。英雄? 誰が。もしかして俺?」

 

 

 名前を知られていることについてはもはや疑問すらない。

 この異常な立ち振る舞いをする女なら、それくらい容易だろう。

 

 

「滅亡の危機に瀕している世界を救うには、『英雄』が居なければなりません。しかしこの世界には英雄が居ない。だから貴方を造ったのです」

「は──造った?」

 

 

 どぐん、と。

 心臓が跳ねたような。

 あるいは。

 それは心臓ですらなく。

 

 

「ほら、ソフィアって居たでしょう。小牟田式子と大牟田珠姫を造った。あれは私の弟子だったのですよ。私が造った貴方と、ソフィアが造った式子たち。表現の仕方によっては、従兄弟と呼べるかもしれませんね」

 

 

 何か、ぼんやりとした記憶がある。

 今までのような──植え付けられていたものではなく。

 この世に生を受けた瞬間に見た、漠然とした光景。

 

 

「人は英雄譚を信じます。世界が英雄を必要とするとき、その英雄像は、人々の信仰によって規定される。であれば、世界を救う英雄は男でなければなりません。世界は人類の集合無意識によって形を決めますから。名にし負う英雄譚は、そのほとんどが男を主人公としているでしょう?」

「意味が……解らない……」

古明地(co-mage)葵。すなわち、私と魂を共有する魔法使い。まあ、名前についてはさして面白くもない駄洒落ですが。とにかく、意図したとおりに英雄らしく活躍してくれて、私は嬉しいですよ」

 

 

 女は笑う。

 澄み切った、湖面のような微笑。

 けれど俺は頭が真っ白になっていた。

 

 

「さあ、世界の危機ですよ古明地葵。英雄として、絡みに絡まりきった因果をすべて断ち切ってください。どうしようもないほど行き詰まった世界を、デウス・エクス・マキナのように。そのために、私は歯車となったのです」

 

 

 シスター服を翻し、そいつは、目を開いて。

 

 

「──機械仕掛けの神を動かし、世界をハッピーエンドに導くために」

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