救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
そこは地獄だった。
先程まで学園祭を楽しんでいた筈の人間たちは、皆すでに物言わぬ骸と成り果てている。
地面にぶち撒けられた血が乾く暇もない。
薄い布が折り重なるように、死体が積み重なっていった。
『箱舟には世界が乗っていた。動物は後から世界に乗せられた。鳩は枝ではなく季節を咥えて帰った。虹は契約ではなく、契約が虹色に屈折したまやかしである。四十日は四十一日目を隠すために存在する。隠された日は最もよく見える。目を閉じて見届けよ』
生物を冒涜するような見た目の、最も近い喩えをするなら蜘蛛の脚がすべて人間のそれになったような化け物が、息のあった生存者の腹に穴を開ける。
再び石畳が赤に染まった。
空の青はなく、地はおどろおどろしい赤。
地獄絵図とはこのことを云うのだろう。
「た、たすけ」
『天使の翼は重力を信仰している。ゆえに天使は飛ぶたびに落下している。落下とは上昇の反対ではない。上昇は落下を神格化しただけである。鐘は鳴る前から余韻を持つ。余韻だけが現在を知っている。洗礼は乾いた水で行なわれる。乾くほど深く濡れる。悔い改めよ』
ぴぎゃ。
男の断末魔だった。
肺を震わせ、力いっぱい叫ぼうとしていた声は、声帯ごと喉が捻じ切られることで遮られてしまった。
後に残されたのは、子供の無邪気さでバラバラにされた昆虫めいた死体。
その有り様は、死体というよりも、死骸と表現したほうが差し障りなく思われるほど凄惨だった。
「まったく、僕たちはとっくのとうに引退した身なんだけどね」
丸眼鏡を掛けた黒髪の魔女が唇を尖らせる。実に不満げな表情だ。路傍に転がる死体を一瞥して、再び魔物と相対する。
飛塚繭子は前線から退いて久しいが、その一挙手一投足に隙はなく、歴戦の風格を纏っていた。
「ぼやいてないで手と足を動かしてよ、繭子」
金髪の魔女、浅村瑞佳が頬に汗を流す。彼女もまたブランクが長いはずだが、鋭い双眸に衰えは感じない。
蛇の頭を象の鼻に挿げ替えたような魔物を両断し、まだ生暖かい、血に塗れた、上半身を喰われた人間の死体を脇に抱える。
彼──あるいは彼女──の死を悼んでやりたいのは山々だが、悠長に合掌もしていられないのが現状だ。
周囲を見渡せば、数えるのが億劫になるほどの魔物の群れ。
「まるで雨だね。降ってくるのが魔物というあたりが厭らしい」
「傘である私たちが頑張らないと、みんな死んじゃうよ」
「本格的に魔女になる前の学生らも奮戦はしているらしいが──」
繭子は溜息をつきながら辺りに視線をやる。
血。死体。死体。瓦礫。死体。死体。死体。
両手の指では足りないほどの死体があった。
それも、普通の人間ではなく魔女の死体だ。
教育を受けきれていない不完全な卵たちの。
「駄目みたいだね。僕たちはダンジョンでそれなりに経験があるからまだ持ちこたえているが、実戦経験に乏しい彼女らでは荷が重いだろう」
「でも見捨てるわけにはいかないでしょ?」
「……瑞佳は眩しいな。ヒーローみたいだ」
「世界最強の魔女の背中をずっと傍で見てきたからね。葵に落胆されるような弱気は漏らせないよ」
瑞佳の左腕はすでになかった。魔法の代償で失ったわけでもなく、ただ魔物に持っていかれただけだ。
出血死を避けるために、服の裾を千切って固く縛ってはいるものの、それもいつまで保つか。
おそらく先は長くないだろう。
本人も、迫りくる死の気配を敏感に悟っていた。
「片手がないのによく豪語するものだ。僕だったら存分に泣き喚いた挙句、すたこらさっさと逃げる自信があるね」
「繭子だって身体の半分ぐちゃぐちゃなんだから似たり寄ったりじゃない? 立ってるのも辛いでしょ」
「さっき魔法を使ったら痛覚を持っていかれてね。幸いにも痛みはないんだ」
瑞佳を揶揄する繭子だったが、彼女の片目は潰れていた。額から顎にかけてを鋭い爪で引き裂かれたのか、肉が露出していて痛々しい。
しかし、本人は「痛みがないから楽なものだ」と飄々と嘯く。歴戦の魔女という連中は往々にしてイカレているものだ。些細なことで精神を摩耗させる者に、死と隣り合わせの毎日は送れない。
「まぁなんでもいいけど。とにかく、戦えるんだね?」
「戦わなくていいなら戦いたくない」
「それは誰だって同じだよ。でも誰かが貧乏くじを引かなくちゃ。世界ってのはそういうふうに出来てるんだから」
「世知辛いことだ。来世があるなら、僕は明るい世界で順風満帆な人生を送ってみたいね」
繭子は地面に落ちていた拳銃を拾う。
大量の魔女が死んだということは、使い手の居なくなった大量の武器があるということだ。
弾の数を心配する必要はあるまい。
「葵は?」
「彼もきっとどこかで戦っているだろう。死にゆく人を見捨てられる性格じゃないからね、葵は」
「最期に一目会っておきたかったんだけど」
「僕じゃ不満かい」
「繭子の顔はいつも見てるじゃん」
それはそうだが、正面切って肩をすくめられると納得がいかないよ。
繭子は残った左目でジトッとした視線を向ける。
対する瑞佳は鼻を鳴らし、残った右腕で狙撃銃を拾った。
「まさか片手でスナイパーライフルを?」
「もう後のことを考える必要もなくなったし。それに、魔法の後遺症で身体能力も上がってるからね。反動くらい抑え込めるでしょ」
「君がいいなら文句はないが……難儀な性格をしているよ、本当に」
降参だ、と軽口を叩きながら両手を上げる繭子。
それと同時に撃鉄を落とす。
空から襲い掛からんとしていた魔物の頭に穴があいた。
けれど、滾々と現れる敵の数に翳りはなく。
「はあ──それにしても、最期に見る光景がこれか。なんというか、風情がないというか」
「でも私が一緒だよ?」
「余計に酷いね」
「なんでっ!?」
片手で長身の銃を扱いながら瑞佳が吠える。
発砲の反動で跳ね上がった銃身を元の位置に戻すこともなく、剣のように振り下ろし、地を這い隙を伺っていた魔物の身体を両断した。
繭子は思わずといった様子で口笛を吹く。
「刃物でもないのによくやるよ。その特技を活かせば、おもしろ人間として一世を風靡できたかもしれないね」
「興味ないし。ていうか余裕だね? 周りは魔物でうじゃうじゃだけど」
「人間、追い詰められたら逆に余裕が出るものさ。現実逃避とも言う」
二人は背中を合わせて魔物たちと対峙した。
もはや逃げ場はなく、完全に囲まれている。
絶望的な状況にもかかわらず、繭子と瑞佳は軽い調子で言った。
「じゃ、また次の世界で」
「今度は幸せになろうね」
そして彼女らは同時に、
「【
◇
俺がそこに辿り着いたとき、すべては終わっていた。
うず高く積まれた魔物の死骸が山を成し、噎せ返りそうな錆臭さが、赤い池から漂う。
──その中央、二人寄り添うように。
繭子と瑞佳が静かに息絶えていた。
「彼女らは最期まで立派に戦ったようですね。魔女の先達として喜ばしい事です」
シスター服を纏った女、歯車が両手を合わせる。
空もそこに浮かぶ太陽もなくなってしまったが、血だまりに反射する鈍い光が歯車を照らして、猟奇的に神聖な光景だった。
俺は二人の目蓋を閉じさせてやり、周囲を囲む魔物どもを睥睨する。
「魔力の濃度からして、繭子たちは魔法を連発したみたいだね」
「それにしては遺体がずいぶんと綺麗です。致命的な部分は持っていかれなかったのでしょうね。奇蹟というやつでしょうか」
「……人間の遺志がもたらした結果、と考えたほうが精神的にいいさ」
二人の傍らに落ちていた銃を拾う。
まだ彼女らの熱が残っているみたいだった。
ほんのりと、温かい。
「では、明日香。役目を果たしてください」
「──うん。分かった」
歯車が嶺岸明日香に呼び掛けると、白髪を揺らしながら、彼女がゆったりと傍に歩き寄ってきた。
「じゃあ、使って?」
「……本当にいいんだね」
「それが私の生まれた理由だから」
嶺岸明日香は無表情に頷く。
それが純粋無垢な子供の表情に見えて、俺は。
「明日香も私と魂を共有する魔女です。より具体的に言えば、私の魂を模倣して造った人造人間。魂の在り方だけを見れば、葵と同じ存在と表現できますからね」
歯車は追悼を終えたらしい。立ち上がって、膝に付いた埃を払っている。
「つまり、葵の魔法の代償を肩代わりさせられる」
「……身代わりみたいで嫌なんだけど」
「『みたい』というか、そのものですよ。雛人形のようなものです。雛人形は呪いを肩代わりさせて川に流す。明日香には魔法の代償を肩代わりさせられる。ほら、ほとんど同じでしょう」
簡単に言ってくれる。
たとえ相手が人工的に作られた存在だとしても、魂があり、人間らしく会話ができるのだから、道具か何かのように消費できるはずがないのに。
俺は歯噛みした。
歯噛みして、言葉を呑み込む。
効率だけを考えるなら、確かにこの方法が一番なのだ。世界最強の魔女である俺の戦力を削ることなく、強力な魔法を連発できる。
ただ、そこに生まれる犠牲に目を瞑れば。
「どうしたの? 使って?」
嶺岸明日香が両手を伸ばしてきた。
儚い、幽霊みたいな顔で。
「────」
俺は一瞬息をすることを忘れて。
そして、
「【
魔物どもとの戦いを始めた。