救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
気分が悪い。胸がむかむかする。
発散しようのない苛立ちを、迫りくる魔物に注ぎ込む。
うさぎの耳が角になったような化け物が、耳障りな断末魔を上げて息絶えた。
それを踏みつけにし、新たな敵を相手取る。
「────」
もはや何度魔法を使ったか判らない。
普通の魔女であればとうに事切れているであろう。
代償というのはそれだけ重いものだ。
たった一回でも万感の思いを要するそれを、俺は連発していた。
「あ、ぐ、ぐぅ……!?」
背後から苦しそうな悲鳴が聞こえる。
ちらりと振り返れば、嶺岸明日香が顔を苦悶に染めていた。
常より無表情な彼女があれだけの感情を表に出しているのだ。その身に降りかかる辛さがどれほどのものなのか、察するに余りある。
「…………」
地面に転がる嶺岸明日香を、膝枕する歯車。そうして、慈しむように、淑やかに頭を撫でる。
お母様と敬する相手の手が触れる瞬間だけは、まるで痛みを忘れたかのように、嶺岸明日香の形相が和らいだ。
ただ、それでも。
彼女の苦痛の原因が、俺であることには変わりない。
「【
また魔法を使う。
いつもなら身体の中から『何か』が持っていかれる感覚があるのに、今回は、今回も何も感じない。
代わりに嶺岸明日香が呻吟した。
灼熱の砂漠に爪を突き立てるような、思わず耳を塞ぎたくなってしまう声だった。
『祈りは音ではない。沈黙が発音した母音である。神殿の柱は互いを支えていない。倒れる未来を分担しているだけだ。香は煙を焚いている。炎は灰を信じている。信じる者ほど疑われる。疑われる者ほど存在しない。量子力学。存在しない者だけが証言できる』
それでも魔物は尽きない。
ことごとくを焼き尽くして、破壊して、引き裂いても。
次から次へと、馬鹿の一つ覚えみたいに襲いくる。
奴らの血で鈍ってしまった鉈を放り投げ、地面に落ちていたナイフを拾う。なかなかの切れ味だ。
芋虫めいた外見の魔物を一刀のもとに切り伏せ、俺はそう思った。
──これだけの魔物が迫ってくるのだから、歯車や嶺岸明日香も危ないのではないだろうか。
普通はそんな危惧を抱くだろう。俺もした。
だが、不思議なことに、魔物どもは二人を認識していないかのように、まったく敵意を向けないのだ。
まるで『殺すべき人間ではない』とでも言うかのように。
雨の只中にあっても、歯車は悠然と微笑む。
「魔法を使えば使うほど、魔女は魔物に近づいていきます。ほとんどは途中で耐え切れず命を落としてしまいますが、時たまに、生き残ってしまう例もあるのです。それが私と明日香ですね」
「へえ、じゃあ二人は、人間より、も……っ! 魔物に、近いわけだ!」
ナイフを振るいながら言葉を紡ぐ。
懐から拳銃を抜き、零距離で炸裂させた。
「はい。彼らにとってみれば、私たちは仲間みたいなものなのでしょう。だから襲われることはありません」
「守らなくていいのは、助かる、けどね!」
弾が切れた。
鼬の最後っ屁よろしく、鉄の塊と化した拳銃を魔物の眼球に抉り込む。
そいつはつんざくような悲鳴を上げた。耳障りだ。
喉を掻っ切る。それで沈黙した。
──これでは切りがないな。
俺は溜息をつく。
いくら魔物を殺したのか判らず、奴らの死骸で山が形成されてしまったが、なお敵影は尽きない。むしろ増えているのでは、とさえ思う。
すぐに結果を出せと言うつもりはないけれど、ここまで成果が目に見えないと奮起もしづらいものだ。まあ、世界の命運がかかっているのだから、やる気うんぬん抜かしている場合ではないのだが。
辟易して、目の前の魔物に靴底を叩き込んだ。分厚い皮越しに、内蔵めいた柔らかいものを潰したような感覚。
不快なものを覚えつつ、俺は歯車たちの元へ移動する。
「対処法は? ないと言われたら絶望するしかないんだけど」
「明確な対処法があれば、私のほうが知りたいですね」
「なるほど。慟哭する準備しようかな」
歯車はあっさりと『ない』と言った。それはもしかすると、迫りくる魔物どもより絶望的だったかもしれない。
額を掌で覆いつつ、一瞬だけ攻撃の雨がやんだのをこれ幸いと口の端を裂いた魔物を踏み潰す。薄気味悪い体液が噴出した。中枢神経──魔物にそんなものがあるか判らないけれど──が破壊されたにもかかわらず、力なく地面に投げ出された脚がぴくぴく跳ねた。
「ただ、ひょっとすると通用するかもしれない方法があります」
歯車はわざとらしく人差し指を立てる。注目を自分に集めるように、ややもすると苛立ちすら起こり得るゆっくりさで。
そんな方法があるなら可及的速やかにご教授願いたいのだが、催促すると彼女はへそを曲げてしまって、口を噤んでしまうかもしれない。
世界の滅亡が迫る状況で子供みたいな癇癪は起こさないと思うが、一応、念のため、伺うような口調で、
「それはいったいどんな?」
「魂を集めるのです。ただの魂じゃありません。魔女の魂です」
また胡散臭いことを言い出すものだ。
俺は横隔膜が痙攣するのを感じた。
「魔女の魂?」
「はい。私は貴方を『世界を救える英雄』として造りました。であるならば、世界を救い得る能力を与えると思いませんか?」
「思いはするけど、具体的な能力に思い当たりはしないかな」
そんな都合のいい能力が初めから備わっているなら、ここまで人類が追い詰められたりはしなかったろう。
角を構えて突っ込んできた魔物に拳をぶつけ、血飛沫へと変貌させながら、俺は肩をすくめてみせた。
「貴方には、魂を蒐集する器としての在り方があります」
「悍ましい能力を与えてくれたものだね、お母さん」
「褒められても何も出ませんよ。さて、魂を蒐集する器である貴方は、死んだ魔女の魂をその身に収められます」
歯車は俺の胸のあたりを指で突く。すると、暗闇が蝋燭の光で浮かび上がるように、ぼんやりした熱が起こった。しかも二つだ。
「嫌な予感がするんだけど、まさかこれが」
「そのとおり。浅村瑞佳さんと飛塚繭子さんです。詳しく言うなら、浅村瑞佳さんと飛塚繭子さんだったもの、ですが」
途端に吐き気が倍加した。
自分の中に二人が居ると思うと、脚が
「貴方は人類史上最も魔法を使った存在です。しかし、妙だとは思いませんか。どうして古明地葵だけが、それほどの魔法に耐えられたのか」
運がよかった? 確かにその可能性もあるかもしれません。ですが、正面から受け止めるには都合のよすぎる仮説ですね。
歯車はつつつ、と自身の前腕を指先でなぞる。
「答えはこうです。『古明地葵は魔女の魂を燃料にして魔法を使える』。代償に捧げているのが他人の魂なものですから、戦闘不能になるような致命的な喪失は体験せずに済んだのです」
だとすると、あれか。
俺が世界最強だなんだと調子に乗っていた背景には。
犠牲になった何十もの魔女の魂が。
胃の中身がすべて飛び出しそうになった。ぐつぐつ煮詰まった臓腑がでろでろに溶けだして、新鮮な空気を求め喘いでいた。
口元を押さえる。膝を折る。両目に浮かんだ涙が鬱陶しい。
取り返しのつかない隙にも、長年の癖として身体に沈殿した反撃が、襲い掛かってくる魔物を殺し尽くした。
「後悔することはありませんよ。過去を恥じることもありません。どうせ一度でも魔法を使った魔女の魂は、死後、魔物もどきと化してしまうのですから。ある意味では救いとも表現できますね」
歯車は微笑を湛える。殉教しゆく信者を労わるような、どこまでも包み込んでくれる表情だった。
だからといって、どうということもないが。
俺が胸に覚えるものが変わるわけでもない。
ただ、言い訳がましい憤懣がまろび出るだけだった。
「……魔女の魂を集めて、それで、どうする」
「端的に言えば、『いっぱい集めたパワーで一撃必殺を放とう!』作戦ですね」
胸の前でガッツポーズをする歯車。
「魔法とは神の奇蹟です。人の身では収まりきらない奇蹟も、多くの魂を集めて祈願すれば、あるいは届き得るかもしれません」
解りやすい方法ではあった。実に単純だ。要するに、威力が足りないなら一つの矢を束ねてしまおう、ということだろう。小学生でも理解できる簡単な論理。
だが、問題は、あくまで『かもしれない』に留まることだった。
魂を束ねたところで確実に現状を打開できるわけではない。そうなったらいいな、と妄想めいた未来を口にしているだけ。
歯車もそれを自覚しているのか、口振りに自信がなかった。
「もちろん確実な方法ではありません。確率を考えるのも馬鹿らしくなるくらい、可能性の低い方策です。ですが、何もしなければ、このまま世界が滅んでしまうのも間違いないでしょう」
「……何もせず滅びを座して待つか、もしかすると世界を救えるかもしれない宝くじを買うかどうか、ってことか」
「はい。貴方はどちらを選びますか? 古明地葵」
歯車はまっすぐにこちらを眺めている。隠し事は──そういうふうに振る舞っているだけかもしれないが──ないと言わんばかりに。完全に、選択肢を俺に委ねているのだ。
動悸がした。双肩に世界が載っていた。背負っているものを思えば、すでに口の中がすえた臭いに染まっていた。
ゆらりと立ち上がり、血の脂でずいぶん鈍ったナイフを振りかぶる。落とす。魔物の首が落ちた。どしゃり、と血塊が地面を汚す。
「選択肢なんて、あってないようなものだろ」
「はい。私としては、少しでも世界を救える可能性の高いほうを選んでほしいと思っています」
「伝えていないことは?」
「ないと思います。私はこれで抜けていますから、引き出しを全部ひっくり返したら現れるかもしれませんが」
歯車はにっこりと笑った。
俺は引き攣った笑みを返した。
「じゃあ、やる。魔女の魂を集めて、一撃必殺とやらに挑戦する」
「ありがとうございます。私もこれが最後の挑戦ですから、貴方には最善を尽くしていただきたいです」
──なので。
膝枕したままの嶺岸明日香の髪を、指先で一房掬う。
「手始めに、この子の魂を蒐集してください。もう長くありません。苦しみが続かないように、貴方の手で、楽にしてあげてください」
見下ろした。嶺岸明日香は苦悶の表情を浮かべている。時折肩を跳ねさせ、呼吸の具合はとぎれとぎれ。露出している皮膚はびっしりと汗に覆われて、そこに血も混じっているものだから、体液の濡らしていないところはない。畢竟、今際の際ということだろう。
俺は口腔が乾くのを感じた。乾ききった。今から自分がすることを想像し、嫌悪に身が引き裂かれそうだった。
だが、そんな楽な道を選ぶわけにはいかない。可能性があるなら、それがどれだけ辛く苦しい道だろうと、掴み取らなくてはならない。
震える手でナイフを動かし、彼女の顔のど真んなか目掛け、振りかぶる。
「──ぁり、が」
最期の声は呆気なかった。魔物の絶叫に搔き消された。その無情さを責め立てるように、俺は周囲の魔物を一掃した。
一転して、静寂が辺りを支配する。
「…………」
もう動かなくなった白髪の少女の亡骸を抱え、依然として微笑する歯車の胸に押し付ける。お母様なんだろう。だったら、そうするのが道理だと思った。
刹那、歯車の双眸に複雑な色がよぎる。詳細は判らない。俺には彼女を理解することができなかった。だから、考えるのをやめた。
「──明日香の魂は、無事に貴方の中に収まりました」
しばらくの沈黙の後。
歯車は、ぽつぽつと呟いた。
「そうか」
「このまま、駆け抜けてください」
「分かった」
「……私の番は、最後でもいいですか? 命に執着しているわけではありません。自分でもびっくりなのですが、なぜか、この子と、もっと一緒に居たいのです」
顔を伏せ、歯車は告解するように言う。黒髪が彼女の顔を覆い隠して、表情は見えなかった。
俺は小さく頷いた。親子水入らずの時だ。それを少しくらい延長しても、罰は当たらないと思った。
「じゃあ、俺は行くから」
「……はい」
そして、もう振り返らなかった。
次の魔女の元を目指して歩き出す。
──その先に何が待っているか、痛いほどに理解して。