救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
ノエリの元に辿り着いたとき、すでに彼女は虫の息だった。
褐色の髪を血で汚し、ポニーテールを成していたゴムは切れてしまったのか、放射状に地面へ髪が広がっていた。
魔物を殺しながら歩み寄る。その足音を聞いたのだろう、ノエリは掠れる双眸を向けてきた。
「……ぁ、店長、さん。よか、った、です。生きてた、んですね」
「これでも世界最強の魔女だからね」
「や、っぱり。そうなんじゃないかって、思ってたんです」
吐息交じりの声。そうしたくて出しているのではなく、喉に穴が開いているために勝手にそうなっているだけの声。
舌を震わせ、ノエリは血を吐く。ついに力を込めることも難しくなったのか、あるいは俺が傍に来たことで安心したのか、右手の銃を取り落とした。
後者だと嬉しいな──とか思いつつ、彼女に負担を掛けないよう口元に耳を持っていく。
「わ、わたし、もう、駄目みたいです」
「魔法とかは」
「解るんです。もう、駄目です。魔法を使っても、きっと……代償で、死んでしまいますから」
ノエリは諦めていた。否。痛感していた、のほうが適切だろう。彼女は自身の死期を悟っていた。もう何をしても無駄だと。何をしても、むしろ死の訪れを早めるだけなのだと。
俺は言葉に窮する。ノエリにどんな言葉を投げ掛けてあげればいいのか、まったく判らなかった。
だから、顔をしかめて黙りこくる。
ぜえはあ、と大袈裟に胸を上下させる彼女を眺めて、彼女から切り出してくれるのを待った。
「……てん、ちょう……さん」
「うん」
「何か、あるん、ですよね。この状況を……なんとか、できる。そんな、すてきな解決策が」
「ない──って言ったら」
訊くと、ノエリは笑う。
「信じませんよ。……だって、店長さん、ひどく辛そう、ですから。きっと、わたしの命とか、そういうのが、必要……なんですよね」
「────」
「だったら、使ってください。わたしのいのち、使って、ください」
ごぽり。
血を吐いた。
全身の血液をすべて排出しているんじゃないか。
そう思うくらい、血を吐いた。
ノエリは胃液と血液の混ざった赤褐色の汁を掌で受け止め、苦笑を浮かべて、まぶたを閉じる。
もう疲れた。目も開けていられない。そう言わんばかりの仕草で。
「お願い、します。店長さん、まだ、そこに居ますよね」
「まだそこに? ──まさか目が」
「あはは。はい。目、見えなくなっちゃいました。凄いですね、これ。ボーッとします。あたまが重いです。眉間から、ずーんと沈み込むかんじがします」
徐々に呂律が回らなくなっていく。命の灯火が小さくなっていく。
先程まで元気に存在していた筈のノエリという生命が、掌から水が零れ落ちていくように、掻き消える。
それを否定したくて、俺は彼女の身体を抱き留めた。
「あったかい。……てんちょうさんの、においも、します」
「抱きしめてるからね。セクハラとか気にするなら離れるけど」
「はなれないで、ください。さむいのは、嫌、です。くらくて、さむいんです。店長さんがいなくなったら、きっとわたし、ないちゃいます」
ノエリは身動ぎする。こちらの胸に額を押し付けて、まるで自身の存在を擦りつけるように、ぐりぐりと体重を掛けてきた。驚くほど軽かった。
「わたしが、いしきのあるうちに。どうか、おねがいします。てんちょうさん」
魔物が襲ってくる。
小石を投擲する。
破裂する。
魔物が迫りくる。
弾の入っていない銃で殴りつける。
撲殺する。
地面を割って魔物が現れる。
靴底を味わわせる。
陥没する。
ノエリは、もう呼吸を忘れたようだった。心臓は動いている。だが、動かなくなるのも時間の問題だろう。
脊椎に熱した鉄棒を突き込まれたかのような心地だった。俺も彼女みたいに呼吸を忘れた。いっそ、このまま空気を取り入れないで死んでしまおうか──とすら思う。
「てんちょう、さん。へんなこと、かんがえないで……ください、ね」
それを感じ取ったのか。
責めるように、ノエリは唇を尖らせた。
「おねがい、します。──げんかいが、ちかい、みたいです」
「ノエリ……」
「さいごは、まものじゃ、なくて。てんちょうさんの、て……で」
それきり、彼女は喋らなくなった。もう喋る気力もないのか。あるいは死んでしまったのだろうか。確認する勇気はなかった。いや、認めたくないだけだ。目の前に横たわる事実を否定したくて、俺は動けないのだ。
手首に指を添える。拍動を感じた。
──よかった。ノエリはまだ死んでない。生きている。
しかしそれは、俺に圧し掛かる十字架と同義だった。
「俺に、やれって言うんだな」
返事はない。刹那を重ねるごとに彼女が小さくなる。
俺は息を詰めて、ただ一発、引き金を引いた。
──ぱん。
火薬の炸裂する音は、人がひとり死んだとは到底信じられないほど、軽くて呆気ないものだった。
ノエリの身体から真実力が抜ける。彼女の頬は僅かに緩んでいるように見えた。血に濡れた顔を拭ってやって、俺は立ち上がる。
「辛い役目を任せてしまったね」
「別にいいさ。魔女を愛する学園長じゃ、とどめを刺せなかっただろうし」
振り返ると、そこにはモルガナが居た。透き通るような白髪は土汚れとどす黒い血に塗れ、全身の至るところに裂傷がある。左手の骨が折れているのか、肘から先が変な方向に曲がっていた。青を通り越して紫に変色している。武器もアサルトライフルのキャリングハンドルに指を引っ掛けているだけで、まともな物がない。混戦の合間に取り落としたのだろうか。
額からの出血で視界が塞がっているらしいモルガナは、自嘲するように口の端を歪める。そしてノエリに視線を落とした。
「愛している、か。彼女らを守れなかった私にも、そう言ってくれるのかい」
「君の身体を見れば判る。どれほどモルガナが尽力したか。どれほど魔女たちを守ろうと奮戦したか。たとえ実らなかったとしても、努力を笑うものは居ないよ」
「そうか……葵は優しいな」
モルガナはついにアサルトライフルを手放す。緊張の糸が途切れてしまったのか、顔面から地面に倒れ込む。
健闘した偉大な魔女に土を味わわせるわけにもいかず、俺は彼女を真正面から抱き留めた。小学生並みの体躯だ、やはり軽い。それに、出血量が甚大なのも影響しているだろう。およそ正常な人間の体重としては、過剰に軽すぎた。
「葵には……迷惑をかけてばかりだ」
「むしろ俺の台詞だけどね。モルガナには散々助けられた。魔法の代償で、ずいぶんと悲しい想いもさせたみたいだし」
「なんだ、思い出したのかい」
意外そうに目を丸くするモルガナ。
その奥には、驚きと共に安堵があるように見えた。
「君の罪を背負うと言った。俺は、君のすべてを背負って逝くよ」
「……抱え込み過ぎじゃないか? 葵は気が付いていないようだが、これで私は、結構重たい女なんだぜ?」
「軽いさ。軽すぎる。
告げれば、彼女は皮肉げに苦笑する。
「嬉しいのか嬉しくないのか、判断に困ることを言うね。……だが、君らしい。古明地葵はそうでなければ」
──では、頼んでもいいかな。
モルガナは光を失いつつある双眸を向けてきた。
「私をノエリくんと、多くの魔女たちと同じ場所へ連れて行ってくれ。そして、葵の役に立たせてくれ。世界を……救ってくれ」
ずいぶんと強欲なお願いだ。傲慢と言ってもいい。ひとりの人間程度には到底叶えられない願いで、たぶんそれは、ひとりの人間ではない古明地葵にしか叶えられない奇蹟だった。
俺は目を伏せる。
銃弾は残り一発。モルガナを送るには事欠くまい。
だが、それは。
「葵」
「……ん」
呼び掛けは短かった。
けれども、覚悟を決めるには十分だった。
「モルガナ」
「ああ」
「さようなら」
「『またね』、のほうが希望があっていいんじゃないか?」
「じゃあ、それで。……またね」
「ああ。また」
──ぱん。