救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
アストラディア連合王国は立憲君主制を採用しているため、基本的に国の方針は議会によって定められるが、同時に、議会と同等の力を有する組織が存在する。
それが──魔女協会。
魔女たちが命を賭して人類を、ひいては世界を守っているために、当然の帰結として彼女らが権力を持つに至り、生まれた組織。
学園を卒業した者には自動的に会員資格が与えられ、国から豊潤なバックアップが成される。
魔物との戦いで後遺症を受け、まともに社会生活が送れない魔女が働かずとも生きていられる理由がこれだ。
国家の中枢に食い込んでいる魔女協会は絶大なる権力を持つ。
それこそ、国中の監視カメラの映像を閲覧できるほどに。
「……っ!」
暗闇の室内にて。
いくつもの画面がぼんやりと光を放っていた。
魔女協会の一室がモニター室になっているのは、ひとえに、突如として姿を消した世界最強の魔女、古明地葵を発見するためである。
しかし、国中の監視カメラが使えるという状態が何年も続いて、それでもいまだ、彼女を発見できていない。
──否。
見つけられなかったのは、過去の話だ。
分厚い丸眼鏡越しに、魔女協会理事、飛塚繭子は目を見開いた。
息を呑んで画面を凝視する。
モニターの先。
そこには、何年も夢にまで見た人物の姿が。
「葵……ッ!」
これは自分に都合のいい夢なのではなかろうか。
起きたらまた、憂鬱な現実が抱擁してくるのではなかろうか。
繭子は目の前の光景を疑い、自身の頬を抓った。
「痛い──」
魔法の後遺症で痛覚は鈍っているものの、確かに頬が引っ張られる感覚と、痒みに似た痛みが、彼女の脳内に伝わる。現実だ。画面の光景は現実だ。変わりない。古明地葵は生きていた。数年も消息が絶え、半ば諦めすら抱いていたが、間違いなく葵は生きているのだ!
繭子は興奮に眠気を忘れた。
とうに限界を超えている身体は、限界を忘れた。
椅子を蹴手繰るように立ち上がり、スマートフォンを取り出す。
慌てて連絡する先は志を同じくする仲間。
震える指先で画面をタップし、電話を。
『──何? 私も結構忙しいんだけど。くだらない用事で電話してきたんだったら、切るからね』
電話口から不機嫌そうな声が響く。
浅村瑞佳。
彼女もまた、古明地葵の元パーティーメンバーであった。
「これ以上ないくらい重要な用事さ。僕が断言しよう。もしこの電話を切れば、君は間違いなく、未来永劫の後悔に苛まれることになると」
『前置きはいいから。さっさとその〝重要な用事〟とやらに言及してよ。魔女協会理事の忙しさは、繭子だって理解してるでしょ』
「ああ、すまない……僕も興奮で頭がどうかしてるようだ」
繭子は首を振って息を吐き出す。
身体に籠る熱を冷ますように。
しかし心の奥底から滾々と湧いてきて、とても興奮を抑えられそうになかった。
声を震わせたまま、彼女は口を開く。
「結論から述べよう──古明地葵が見つかった」
『……どこで』
「王都からダンジョンに向かう北の経路だ」
『移動速度は』
「歩きだ。けれども速い。瑞佳の居場所次第では、取り逃すやも」
瑞佳は意外にも動揺が少なかった。
あるいはそれは、できる限り無駄を省くためだったのかもしれない。
『取り逃す? ……冗談でしょ』
スマホ越しに鼻を鳴らす音。
ああそうだ。
浅村瑞佳とは、こういう自信に溢れた魔女であった。
『私が葵に気付かないわけがない。葵が私に気付かないわけもない。たとえその場に居なくとも、葵の痕跡を辿って必ず会ってみせるよ』
ぴっ。
見ると、すでに電話は切られていた。
「はあ……」
繭子は溜息をつく。
まったく、せっかちなものだね。まあ──彼女が同じ立場だとすれば、きっと同じように振る舞うだろうから、責めるに責められないのだが。
せめて無事再会できることを祈るばかりだ。
繭子は椅子に腰を下ろし、ぎしりと背もたれを鳴らした。
──飛塚繭子は身体機能の大部分を失っている。
立ち上がったり、動き回ることこそ可能だけれど。
素早く移動したり、走ったりなど、およそ戦闘に不可欠な行動はできない。
だからこそ彼女は魔女を引退し、こうして頭脳労働に励むことになったのだ。
「頼むよ、瑞佳」
天井を仰いで呟く。
脳裏によぎるは幸せな過去。
魔女の人生は必ずといっていいほど悲惨なものだが、古明地葵と駆け抜けた数年間は、その事実を忘れられるほど楽しかった。楽しかったのだ。
可愛さ余って憎さ百倍とは云うけれど、それと同じように、彼女が居なくなった数年間は、地獄のように陰鬱で沈鬱で、苦しみに満ちていた。
「葵……どうして君は、突然姿を消したんだい?」
宙に呟く。
当然、答える者は居ない。
静寂が痛いほど響く。
飛塚繭子はしばし天井を見つめると、やがて苦笑し、瞼を閉じた。
◇
ダンジョンから外に出た。
すでに辺りは斜陽に染まっており、草原が橙色に落ちている。
魔力の満ちた空間ではなく、大気に満ちた空間だ。
人間の本来居るべき世界。
新鮮な空気が肺の中に収まると、全身の細胞が喜ぶように、自然と身体が震えた。
「その──本当にありがとうございました」
先生が頭を下げてくる。
居心地が悪いので、すぐに掌を向けた。
「感謝をされるほどの事でもない」
「ですが……」
「後進を育てるのは先達の義務だ。怠る者も多いがな。私の行動は人類のためを思えば当然の事であり、感謝されるほどの事ではない」
「……ふふ」
仕方がない人ですね。
みたいな顔をして、先生は肩を竦める。
いったいなぜ?? 俺は至極真っ当な発言をしたはずなのに……。
世界には理解が追いつかないことも多々あるものだ。
「分かりました。そういうことにしておきます。……では、報酬のお話もしたいので、連絡先など教えていただいても?」
「ああ、了解し──」
瞬間。
とんでもない速度でこちらに近づいてくる魔力を感知した。
「…………」
「古明地さん?」
「すまない、用事が出来た。私はこれで失礼する」
「古明地さん? ……古明地さん!?」
先生の驚愕を背中に受けながら、全力でその場から離れる。
あるいは魔物と戦っていた時よりも速度が出ているかもしれない。
それくらい俺は必死だった。必死に走った。
地面が陥没するかも──とかも気にせず。
ただひたすらに。
限界スレスレの速度でひた走る。
傍から見たら空を飛んでいると間違われるほどの脚の回転数。
あっという間に石壁が見えてきて、しかし真面目に検問を受けている余裕もなく、俺は下半身に力を込め、思い切り地面を蹴った。
ひゅおおおおおおお──。
甲高い風の音が鼓膜を揺らす。
石壁を越え、転がることで着地の衝撃を逃がし。
「……あそこの茂みでいいか」
俺は近くの茂みに身を潜めた。
そして仮面と、体格を隠せるマントを脱ぐ。
適当に纏めて鞄に詰め込み、「あてくし普通の通行人ですわよ」みたいな顔して茂みを出た時。
──爆音。陥没。大地の震動。
地盤が崩壊したのかと疑う衝撃に、俺は髪を揺らした。
土煙が辺りを見えなくする。
これに紛れて逃げられないかな……。
なんて思っていると。
手首を掴まれる感触がした。
視線を落とすと、白くて細い、陶磁器のような女性の腕。
心霊現象かな? にしては物理的に過ぎるけども。
「やっと……やっと見つけた。葵!」
涙を堪えるような言葉と共に、声の主が抱き着いてきた。
身体の柔らかさが直接伝わってくる。
だんだんと土煙が晴れていく。
声の主の顔が見えてくる。
──彼女は目を見開いて、困惑の表情を隠そうともしなかった。
「え……誰……?」
「俺の台詞ですけど」
彼女──浅村瑞佳は首を傾げる。
こんなはずじゃなかった
そんな思いが伝わってくるようだ。
「だって……私は、葵の魔力を感知して」
「おかしなことを言う人ですね。俺は男ですよ? 魔力なんてあるわけないじゃないですか」
「そ、そうなんだけど……」
瑞佳は混乱の宿る双眸を回す。
終いには倒れてしまいそうだ。
表情筋が取り繕えているのを確認しつつ、俺は手首を指差した。
「とりあえず、これ、放してもらっても?」
「あ──ごめんなさい」
結構強く握られていたのだろう。手首はすっかり赤くなっていた。開放感に腕をひらひらさせ、改めて、瑞佳に向き合う。
「人違いですか」
「人違い……ええ、うん。……きっと、そうなんでしょうね」
納得がいかない様子で囁く瑞佳。
「魔力感知をミスった?」とか首を捻ったり、「いやそんなはず……」とか頭を振ったりしている。
ひとまず古明地葵の正体が目の前の男である、という正解には辿り着いていないようだ。
よかった。もし事実が露呈してたら、羞恥心から割腹自殺を試みていたところだ。
意味のない死を迎えないでよかったぜ。
──浅村瑞佳は俺の元パーティーメンバーである。
かなりの苦楽を共にしてきた、正真正銘の仲間。
それなのになぜ、彼女に正体を明かさないかというと……。
【禁則処理】が【禁則処理】であり【禁則処理】が【禁則処理】される可能性があるからだ。
悲しい。でもこれが現実なのよね。
俺は多大なる申し訳なさを感じつつも、瑞佳に愛想笑いを向けた。
「もう行っても?」
「え、ええ……ごめんなさい。変な勘違いをしてしまって」
「構いません。人は勘違いをする生き物ですからね」
手を振って、その場を離れる。
背中にはいつまでも瑞佳の視線を感じていた。
感じていてなお、ことごとくを無視し、俺はその場を離れた。