救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる   作:音塚雪見

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第7話

 こぽこぽこぽ、とコーヒーの注がれる音。

 挽いたばかりの豆の豊潤な匂いが鼻腔をくすぐる。

 舌を湿らせる程度口に含むと、僅かな酸味と、洗練された苦みが口内を満たした。

 ……いや、俺の味覚はとうに失われていて、完全なる想像なのだけれど。

 

 

 どれだけ高級な豆を挽こうと、どれだけ煩雑な手順を踏もうとも、魔法の代償に味覚を失ってしまった俺にとっては、まったく意味のない事だ。この行動に意味はない。

 

 

 しかし──味が感じられないから、という理由で効率ばかりを求めた食事をしていると、いつしか人間性までなくしてしまい、いよいよ後戻りできなくなる。そんな予感がするのだ。だってそれは、数々の魔女が辿ってきた末路なのだから。

 

 

 俺はコーヒーの匂いと熱だけを楽しんだ。

 案外、それだけでも趣がある。

 視力を失った人間は聴力が研ぎ澄まされると云うけれど、まさしく。

 

 

「店長。なに黄昏てるんですか?」

「お客さんが来ないなって」

「いつものことじゃないですか。閑古鳥」

「いつものことになったら不味いんだけどねえ」

「不味い不味いと言うわりに焦ってないせいですよ」

 

 

 正論をぐさぐさ差してくる小牟田式子。

 エプロンを着た、夜の闇をそのまま溶かしたような髪をしている少女だ。

 人が訪れるよりも犬猫が訪れる回数のほうが多いこの喫茶店にとって、過剰戦力とも表現可能なアルバイトである。今のところ、彼女が仕事を果たしたことはない。

 

 

 大牟田珠姫のダンジョン来訪から数日が経過した現在。

 まるで変わったことは起きず、ただ、日常が続いていた。

 滅亡を目前とした世界とは信じられないな。

 

 

「ところで店長」

「ん」

「あれ、止めないんですか?」

 

 

 式子は首を傾げる。

 彼女の視線の先を追うと、そこには。

 

 

「世界最強の魔女……やっぱり格好いい~! あたしも最強になりたーい」

 

 

 席に座りながら、上半身を机に預け、雑誌を読みふけっているアルバイトの姿があった。

 とても勤務中の態度だとは思えない。

 まあこなすべき仕事もないから、支障はないのだが。

 

 

「数日前からずっとあんな調子じゃないですか。いい加減、鬱陶しいです。何があったのか知りませんけど、やたら『古明地葵に会ったの』って自慢してくるんですよ。一度や二度ならまだしも、五度六度七度八度と。もう鬱陶しくて仕方がありません。そろそろ夢にまで出てきそうです。あの自信に満ちた腹立たしい顔が」

 

 

 式子は本当に嫌そうに溜息をついた。

 心なしか、黒髪が萎れている。

 

 

「別に注意するほどのことでもないかなと」

「いいんですか? 仕事中ですよ」

「それを言うなら式子だってスマホを弄ったり、ゲームで遊んだりしているだろう」

「藪蛇でしたかあ」

 

 

 目を逸らし、へたくそな口笛で誤魔化そうとする式子。

 ぴゅーぴゅーと掠れた音が店内に響く。

 

 

「……ま、そうだな。気になっては来ていたし」

 

 

「世界最強の魔女は本当に格好良くてえ!」とか「もう一度会いたい……!」とかお褒めいただくのは嬉しいのだけれども。

 銃弾のごとき言葉を受け止め続けるのは、さすがに恥ずかしかった。居心地が悪すぎるというか。騙しているようで気まずくなるのだ。

 俺はカウンターから出て、珠姫の元へ足を向ける。

 

 

「珠姫?」

「えへへ……ん、なんですか」

「まあその、なんだ──最近どうなんだ」

「娘との関わり方が分からない父親みたいな言動」

 

 

 珠姫は雑誌から視線を外した。

 

 

「調子はいいですよ。前にも言いましたけど、古明地葵さんと出会ってから、モチベーションが高くって。先生にも褒めてもらいました。このまま上手くいけば、あたしも二つ名が貰えるかもしれないそうで」

 

 

 心底嬉しそうに微笑む彼女。

 あまりにも純粋な表情に、俺は毒気を抜かれてしまった。

 珠姫の成長に繋がっているのなら、ダンジョンに足を運んだ甲斐があったなと。

 ……元パーティーメンバーに遭遇するとは思ってもみなかったけれど。

 

 

「それで? どうして話しかけてきたんですか?」

「ああ──あちらのお客さんからな」

「式子が?」

「自慢ばっかしてくるのが面倒くさい。注意して来てくれと」

「なるほど」

 

 

 得心が行きました。

 みたいな仕草で口角を緩める珠姫。

 彼女は「よいしょ」と立ち上がると、式子のもとへ移動する。

 

 

「なんだ、そういうことなら先に言いなさいよ」

「……ようやく理解してくれた? 自慢話に付き合わされるのって、結構疲れ──」

「あたしが古明地葵さんに会ったのが羨ましくて仕方がないんでしょう。まったく、素直じゃないんだから。興味なさげなふりをして、実は興味津々なんじゃない」

「使用してる言語が異なるのかな……」

 

 

 式子は首を捻った。

 辟易とした格好で、こちらに助けを求める眼差しを向けてくる。

 

 

「…………」

 

 

 しかし俺は彼女の救援要請を無情に無視した。

 なぜなら面倒くさそうだから。

 珠姫は割合思い込みが激しい傾向にある。一度そうだと認識してしまえば、改善するのは非常に難しい。ほとんど不可能と言っていいだろう。もし本気で変えようとするならば、それこそ魔法の代償で味覚を失っているとか、衝撃的な事実を持ち出すしかない。

 

 

 放っておけば実害はあまりないのだから、悲しいことだけれど、式子には生贄になってもらおう。人身御供。最大多数の最大幸福。南無阿弥陀仏。合掌でもしとこ。

 

 

「薄情者ー!」

「いい? まず葵さんの何が凄いって……」

 

 

 式子の怨嗟の声は華麗にスルーした。

 なんてことないふうに、本を開く。

 どうも大牟田珠姫先生による「世界最強の魔女講座」が始まっているようだが、本人が聞くのもあれなため、努めて聴覚の機能を落とし。

 意外なところで代償のメリットが。

 

 

 ──そんなこんなで、平穏な日常が過ぎていく。

 誰が命を落とすこともなく、血が流れることもない。

 刺激的なことは少ないが確かに幸せだと断言できる日常。

 

 

 ──俺は解っていたのだ。

 本当はそんな日々、あり得るはずがないと。

 安穏とした時間など薄っぺらい嘘で。

 薄皮一枚剥がせば、ぐじゅぐじゅに化膿した傷口が露呈する世界なのだと。

 

 

 からんからん。

 扉に掛けられた鈴が鳴った。来客の証である。

 

 

 もはや喧嘩の様相すら見えてきたお喋りをやめ、式子と珠姫の二人は、物珍しさに目を丸くした。

 そして自分たちの役割を思い出したのだろう。エプロンの袖を摘まみ、人受けのいい笑顔を浮かべ、久々のお客さんに相対する。

 

 

「いらっしゃいませ──」

 

 

 言い終わるか、終わらないかくらい。

「かひゅっ」と息を呑む音がした。

 二人は双眸を見開いていた。わなわなと、肩を震わせて。

 血色も悪い。急激に体調を崩したのか。

 ──いや違う。原因は、喫茶店に現れた異物。

 

 

「ずいぶんと、辺鄙なところにある店なのね」

 

 

 女は値踏みするように店内を見回した。

 見回して、まるで退屈だとでも言うように、息を吐く。

 その際に俺とも目が合ったが、人間らしい機微が感じられなかった。

 限りなく人間に近い見た目をしたロボットが立っているような。

 現実感の薄い、気持ち悪い光景。

 

 

 俺はその女のことを識っていた。

 実際に会ったことはない。

 けれども、知識として。

 ゲームに登場するキャラクターとして。

 

 

「お、お母さん……」

「二人が同じ店でアルバイトを始めたと言うから、さぞかしいい影響を与えてくれる場所だと思ったのだけれど。これじゃあ時間を浪費しているだけね」

 

 

 ソフィア。

 その女の名前だった。

 研究者にして、元魔女にして、式子と珠姫の母親。

 ──人造人間の開発者を母親とするなら、の話であるが。

 

 

「アルバイト……アルバイトね。はあ。私が貴女たちに与えた役割はなんだったかしら。人類の守護者よ。人間の代わりに魔物を殺して、魔女の代わりに代償を背負う。それ以外のことはすべて無意味。無駄。非効率的。私が貴女たちに期待したのは、人間の真似事をして、人生を謳歌する偽物じゃない。貴女たちは人間じゃない。世界を維持するための歯車なのだから」

 

 

 色のない顔だ。

 冷淡な口調。

 彼女には、およそ人間らしい感情というものが存在しない。

 魔法の代償として、その類の物は『持っていかれた』から。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 式子と珠姫は黙っている。

 知られたくなかったことを知られてしまった、とでも言うように。

 二人の出生については──まあバレたくなかっただろう。

 自分たちが人間ではないと、それらしく作られただけの、肉の器だと。

 

 

 実際、俺が彼女たちの事情を知っているのは反則に近い。前世の記憶なんていうチート由来だ。もし俺にそんなものが備わっていなくて、もしこの場面で二人の秘密に触れたなら。もしかすると、いや間違いなく、二人を拒絶していただろう。それは仕方のないことだ。人間の本能である。ホモ・サピエンスに似た近縁種との間に、決して子孫を創らないための、遺伝子に刻まれた本能なのだ。

 

 

 人間に似た存在を拒絶するのは人類の本能。

 確かに事実ではある。

 事実ではあるが、許容するには重たい事実である。

 当人──二人にとっては、認めたくないことだろう。

 

 

 だからこそ式子と珠姫は俯いているのだ。

 隠しておきたかった事実がいきなり暴露されて。

 理解が追いついていないのかもしれない。

 

 

 二人の様子を確認して、ソフィアは首を傾げた。

 

 

「いきなりで悪いけれど、店主さん。そういうことだから、二人は辞めさせるわ」

「本当にいきなりですね。礼儀もない」

「申し訳ないわ。でも呑み込んでほしい」

 

 

 ──行くわよ。

 彼女の呼びかけに、二人は応えた。

 そもそも断るという発想がないのだろう。

 だって、小牟田式子と大牟田珠姫は、そういう形に造られたのだから。

 

 

「はあ……」

 

 

 静かになった店内で。

 俺は天井を仰いで、溜息をついた。

 

 

 あの場面。

 俺に彼女らを止める手段はなかった。

 ソフィアの行動は強引だけれども、法律的には問題がないのだから。

 古明地葵は違法性のない事態に干渉することができない。

 そういうことになっている。

 

 

「ゲームにもあったな、こういう展開」

 

 

 あの後はどうなったんだっけ?

 ……どうでもいいか。なんか、やる気がなくなった。

 今はもう何も考えたくない。疲れた。

 

 

 そうして俺は店を閉め、バックヤードで眠りについた。

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