救いのない鬱ゲー世界で主人公御用達の喫茶店をやる 作:音塚雪見
今日は久しぶりに喫茶店を店休日にした。
趣味でやっているようなものだし、お客さんも来ないし、特段の問題はない。
陽射しでも浴びながら王都を散策しよう。
なんて思い立って店休日にしたのだ。
石畳の道路を踏みしめて散歩に興じる。
技術的には総アスファルトにすることも可能なのだけれど、景観的な理由で、王都の道は数千年前から変わらぬ素材で出来ている。
少し領域を外れれば急に近代的になるが。
「相変わらず不揃いだな」
通りに沿って歩き、建物を眺めて回った。
街並みは洗練されているのだが、どうにもちぐはぐな感覚が否めない。
石造り三階建ての家があると思えば、隣には木造の平屋作り。合理性だけを考えればまったく意味のない傾向であり、自然に文化が発達したのなら、およそ成立しえない並列。
それはこの国が「連合王国」なのが原因である。
アストラディア連合王国は「連合」とその名にあるとおり、結界が張られた際、三つの国が一緒になって誕生した。
三つの文化が共存し合い、ともすると、乱雑と形容せざるを得ない光景を生み出す。
この国で生まれ育った人間にとっては普通のことなのだろうが、違う世界の知識を持っている俺にとっては、結構面白い風俗だった。
ずっと暮らしている国で、見慣れているはずの光景なのに、こうして「散歩」と目的を持って観察してみると、いつもと感じ方が異なる。
まあ、路地裏に籠って外に出ないのが原因かもしれないが。
ネット通販で買い物は事足りるんだよな。
正直、店の外に出る必要がない。
引きこもりの常套句である。
「あれ、店主さん。珍しいね、アンタがここいらに来るなんて」
当てもなく放浪していると、通りの屋台から声を掛けられた。
見ると、浅黒く日に焼けた肌の、恰幅のいい男性が手を振っている。喫茶店を開いたときに、開店祝いとして来訪してくれたお客さんだ。
この世界は結界で区切られているため、限られた土地は価格が高騰しやすい。よって店を開ける人間は一握りであり、横の繋がりが強い傾向にあるのだ。
近所に新しく店が出来るとなると、少なくとも一度は訪れるのが暗黙の了解である。
……まあ、喫茶店が閑古鳥であることから、それ以降の消息はお察しだけれども。
俺は彼の元へ足を向けた。
「毎日路地裏の壁を眺めているのは、心の健康に悪いですから」
「違いない。人通りの多いこの道に店を出してる俺ですら、時折嫌になるくらいなんだ。その……日当たりの悪いあそこじゃあ、なおさらだろう」
ずいぶん言葉を選んだ様子の男性。
日当たりが悪い、なんて。
オブラートにオブラートを包んだような言葉だ。
俺は苦笑して頬を掻く。
「人間よりも鼠のほうが多い場所ですからね」
「飲食店ってのは、実のところ、味よりもイメージのほうが大事なんだ。清潔感さ。いくら味がよかろうとも、路地裏に位置するってだけでマイナスなんだぜ」
「いやあ……通りに居を構えようとすると、ほら、高いじゃないですか」
「何も土地ごと買えなんて話じゃない。俺みたいに間借りすればいいんだよ」
店を開ける人間は一握りだが、その土地を所有している人間はさらに一握りだ。基本的には彼のように、地主から土地を借りて店をやる。
確かに、俺は魔女時代に相当稼いだ。
一等地であろうと、数百年くらいなら借りられただろう。
しかし、わざわざ目立つ真似をするつもりもなく。
あえて路地裏の土地を買ったのである。
「あまり人が多いところが得意でないんです」
「ほおん? 店をやるには向いてねえ性格だな」
「はは……自覚はあります」
苦笑しつつ、俺は腕時計を──わざとらしさが出ないように──確認した。
「すみません。もう行かないと」
「手間ぁ取らせて悪かったな。詫びのしるしだ。取っとけ」
「っとと……ありがとうございます」
男性が何かを放り投げてきて、胸で抱きかかえると、それが人参であることが判った。
……人参? こういう時の定番は林檎とかじゃなかろうか。
まあ林檎は食べ歩きもできるし、売れ筋の商品なのだろう。見たところ在庫も少ないようだし、雑談の代金として渡すには貴重。諸々を考慮して人参を選択したのだ。おそらく。
露天商も大変だな──なんて思いながら散歩に戻る。
漫然とぶらぶら。橋を渡り、下水道に潜り、階段を上って。
人目に付かないよう巧妙に隠されていた通路なんかにも足を踏み入れてみた。
蜘蛛の巣くぐって下り道。
いつの間にか、俺は古ぼけた石畳の世界から、如何にも先端的な研究室らしき空間に辿り着いていた。病的なまでの白に囲まれている。アハ体験かな?
「ええ……」
思わず困惑の息を漏らしてしまった。
辺りを見渡す。
やはり研究室然とした光景である。
エポキシ樹脂床に、寒々しさを感じる蛍光灯。
一歩進むごとに音が壁を反射していく。
──まるで何かに導かれるようにして辿り着いたここ。
冷静になって考えてみると、俺の行動は不可解に過ぎたのではないだろうか。
滅多に喫茶店の外には出ないのに、今日に限っては散歩をしてみようだとか、普段なら絶対に近づかない道をあえて通ってみたりだとか。
さながら、ロイコクロリディウムに寄生されたカタツムリのように。
捕食者に襲われやすくするために、本来なら嫌うはずの場所に移動して。
以前、何者かに精神操作を受けている可能性を疑ったことを思い出した。
洗脳まがいのことをされているとすれば、自分の行動の不自然さに納得できる。
「……致命的な場面に陥って初めて、己のおかしさを自覚するとは」
それが洗脳の恐ろしさなのかもしれないが。
自分では決して気付けない異常。
自覚症状があるだけ、俺は軽度なケースかもしれない。
いつ誰に襲われても対応するため、重心を僅かに下げ、脚幅を最適化した。
息をすべて吐き出す。肺の中身を入れ替える。脳を戦闘モードに切り替える。
油断するな。敵はわざわざ俺をこの場に誘導したのだ。世界最強の座に胡坐をかいていると、足元を掬われるかもしれない。常に罠がないか観察しろ。
慢心が原因で命を落とす魔女を何人も見てきた。同じ轍を踏むな。目に見える危険を回避し、目に見えない危険も回避してきたからこそ、俺は今日この日まで生き残ってきたのだ。
「…………」
一秒、二秒、三秒。
沈黙を保って状況を静観する。
そのまま五分が経過した。
「変化なし」
時間を置いて油断させるつもりか?
はたまた前提が間違っていた?
敵なんか初めから存在せず、俺の不可解な行動は、単に偶然によるものだと?
じゃあこの研究室に辿り着いたのもまったくの偶然?
「さすがにあり得ない」
首を振って否定した。
いくらなんでも確率が低すぎる。
確率論的には人間が壁を貫通するのもあり得ない話ではないが、現実的に考えれば、まずあり得ない話だと一笑に付すことができる。世界は思考実験の遊び場ではないのだ。机上の空論は実現しない。当てもなく彷徨い歩いていたら、隠された研究室に辿り着きました? それが許されるなら、今頃世界は金鉱を掘り当てた人間でいっぱいだ。
俺は移動することにした。
来るかも判らない攻撃を警戒するのは問題ない。
ただ、ずっと同じ場所に留まっているのは、むしろ危険である。
「…………」
かつんかつん──。
足音が冷たく反響する。
研究室らしい、といえばらしい光景だ。
あまりに「それらし」過ぎて、人為的なものを感じざるを得ない。
「それに……見覚えがあるような」
何かが記憶の底に引っかかっている。
ような気がした。気のせいかもしれない。
しかし、足を進めるたび、既視感が強まっていく。
何百メートルか直線の廊下を歩いた頃、ついに曲がり角が現れた。
同時に魔力の反応も。
曲がり角の先に居る。
ついに現れたか。敵。
俺は壁に背を当てて、曲がり角の向こうの様子を窺った。相手にバレないよう慎重に。そうっと覗く。
「……式子?」
壁の向こうに居たのは小牟田式子だった。喋りかけているのは大牟田珠姫だろうか。
どうしてここに──と疑念を抱いた瞬間、俺の脳髄に電撃が走る。
思い出した。研究室。隠された通路。見覚えがあるはずだ。なぜならここはゲームで嫌になるほど見た背景。主人公の家とも呼べる場所じゃないか。
まあ一般的に「家」に付随するはずの熱はないのだけれど。
小牟田式子にとっての家は、単なる出身地としての意味合いしか持たない。
しかしそうか。ここはあの研究室か。
俺は警戒の度合いを幾分か下げた。
記憶が──描写が確かなら、罠の類はないはずだ。
侵入者の撃退能力がないから、誰にも見つからないよう隠されているのだ。
といっても油断はしない。
ダンジョンでは油断をした者から死んでいく。この文言は特殊な環境においてのみ通用するものではない。どこでも、この救いのない世界では普遍的に通用するものなのだ。
俺が生きている世界は命が軽すぎる。
「…………」
彼女らが居るのであれば、二人を回収したソフィアも居るはずだ。邂逅するのは避けたい。どんな変数が現れるか分かったものではないから。
俺は息を潜めた。
息を潜めて、壁の向こうを観察する。
「覗き見が趣味なのかしら」
「……驚いたな。気配には敏感なんだが」
「気配なんて曖昧なものは、言語化できないほどの音や匂い、熱などを指すのよ。それらをすべて遮断してしまえば、どれほど凄腕の狩人だとしても気付けない」
首元に冷たい物があてがわれた。
眼球だけを動かして確認すると、それは刃物だった。
加えて背中に何かを突きつけられている。
形状と硬さからして、ピストルか何かだろう。
「それに驚いたのは私のほうよ。誰も気付けない聖域。この研究室は、そうあれかしと造り出したもの。まさか魔女でもなんでもない男に露見するなんて」
「散歩をしていたら偶然辿り着いたんだ」
「嘘が下手なのね。死が怖くないのかしら」
ソフィアは嘲るように鼻を鳴らした。
ごそりと、銃の位置を調整する。
「もし『この女は人間に向かって攻撃するなどできまい』と高をくくっているのなら、ご愁傷さま。私は一切躊躇せず引き金を引くわ。温情はダンジョンに棄ててきたの」
確かにそうだろう。
彼女は間違いなくそうする。
魔法の代償で、およそ人間らしい感情を失ったソフィアであれば。
俺はおとなしく両手を上げた。
白旗である。降伏宣言。
もちろん世界最強の魔女──古明地葵であれば、たとえゼロ距離で銃を突きつけられていても、問題なく相手を制圧することができる。血の一滴すら流すまい。俺にとってこの状況は危機でもなんでもなかった。敵の正体が分かってしまえば怖くない。
ただ……下手に抵抗すると、事態がどうなるか読めなかった。
万が一、式子たちに「あの男を殺しなさい」とかなんとか命令されると、非常に面倒くさいことになる。
主人公が死んでしまえば、この世界は滅亡を回避することができない。
ハッピーエンドに至れないのだ。
ゆえに俺はおとなしくソフィアの指示に従い、後頭部に腕を組んで、背中に銃を突きつけられたまま移動した。
行き先は地獄か断頭台か。
いずれにせよ、お茶を出してくれたりはしないだろう。