「律さん。」
『…はい。』
いつも通りの対先生BB弾が飛び交う朝礼だが、教室の空気は暗く重いものだった。
殺せんせーが出席簿を閉じ、とある一点に視線を向ける。
「月乃君は
「………」
その言葉に速水も釣られて左隣の席を見ると、主のいない席が佇んでいるだけ。
あの日、烏間先生は『月乃君の意思を聞くべき』と記憶消去は施さず目覚めた後責任を持って白利の家へと送り届けたが、そこから白利は一度もE組に顔を出す事が無く今日で3日目。
「烏間先生、あの後月乃は…?」
「ご家族からの話を聞いた限り月乃君の様子はいつも通りらしい…が、学校に来るのを拒否していると。その代わり実家の食堂のお手伝いをしているそうだ。」
「………記憶の消去については?」
「一週間ほど時間が欲しいとだけ……」
烏間先生は悔しそうに目を伏せて拳を握りしめている、防衛省…それも同期の鷹岡がやらかしたことに責任を感じているのだろう。
或いは…白利の秘めていた闇に気づけずに力を与え続けてしまったことを。
「なぁ殺せんせー、『1部分』を縛りつけてるとかってこの前ビッチ先生に言われたけどさ…あまり俺の中で飲み込めてないんだ。今の月乃ってどういう状況なんだ…?」
「そうですね…杉野君の疑問にお答えするためにわかりやすく『コレ』を使って説明しましょう。」
殺せんせーがそう言うと、どこからともなく取り出して教卓に置いたのは綺麗に縦に積まれたジェンガだった。
「ジェンガ…?」
「この綺麗に積まれたジェンガが通常の精神状態としましょう。これから一本取ると『解離』、ドラマなどで不幸に見舞われた人が目眩を起こし気を失ったりすることがあるでしょう?それは正常な範囲での防衛反応で時間が経てばこの通り元に戻ります。」
取り除いた一本のジェンガを元の場所に挿し直すと元通りの綺麗な状態へ戻る。
「しかし防衛的適応も慢性的な場合は反作用や後遺症を伴い、複雑な症状を呈することがあります。状態が恒常化し、子供の内か、思春期か、あるいは成人してから、何かのきっかけでバーストしてコントロールを失い、別の形の苦痛を生じたり社会生活上の支障をきたしてしまう。これを『解離性障害』と言います。」
今度は複数本ジェンガを抜き取り元に戻さずそのまま教卓に置き、積まれたジェンガは虫食い状態になっている。
「そして、この抜かれたジェンガ…つまり切り離した自分の感情や記憶が裏で成長し、あたかもそれ自身がひとつの人格のようになってしまうのが『解離性同一性障害』です。」
抜き取られた一本のジェンガに赤一色の別のジェンガを乗せていき、虫食いとなったジェンガと同じ高さまで積み上がる。
「人によっては別人格の存在に気づくことはありますが、本来別人格が表出している間は主人格には記憶が残りません。これを『健忘』と言うのですが…」
殺せんせーはマッハで触手を動かすと教卓に乗っている2つの積まれたジェンガが混ぜられ、ところどころ歪んでいて中間ほどから枝分かれしている、まるで木のような形に積まれた。
「恐らく月乃君は逃げることを良しとしなかったのでしょう。切り離された人格を無理矢理自身に繋ぎ止めた…が、繋ぎ止めた位置はきっと元の場所では無かった。その結果、月乃白利という人間は枝分かれし皆さんの良く知る月乃白利とあの日見せた『復讐者の月乃白利』が生まれ、根底が繋がってたが故に人格などをコントロールできていたのだと思います。」
「「「………」」」
全員が言葉を発さずに教卓に置かれた歪んだジェンガを見つめる、そのジェンガは彼の受け続けた苦痛を体現しているかのようで目が離せなかった。
「…ねぇ殺せんせー、多重人格って治療できないの?」
「ご安心ください速水さん、多重人格は治療することができます。精神科医や臨床心理士などの助けを借りるのも大切ですが真に大切なのは身近な人たちの支えです。…特に月乃君は誰にも話せず10年間抱え続けて来たでしょうから。」
「そう…だよね、誰にも……支えるって具体的には?」
「別人格…『交代人格』と言うのですが、交代人格はその人が生き延びるために必要があって生まれ、すべての交代人格は何らかの役割を引き受けているのです。治療には交代人格が受け持つ、不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育て、交代人格間の記憶と感情を切り離している障壁を取り除いてあげることとされています。」
そこまで言うと殺せんせーは速水を見つめ、頭を下げた。
「どうか速水さん、あなたが月乃君の居場所を作ってはくれませんか?」
「私が…?」
「私は月乃君の居場所を守ることはできますが、彼の居場所を作ることはできません。私の用意した居場所には彼以外には誰もいない、ですが既にあるE組という居場所にいる皆さんなら彼の居場所を作ることができる。…それにただでさえ私は、意図してか意図せずかはわかりませんが彼が出した助けを求める声に気づけませんでした…ですので、彼に信頼されている速水さんに頼りたいのです。」
「それなら私よりも渚と赤羽の方が…」
E組で会ったばかりの自分よりも2年間関わって来た渚とカルマの方が良いのではと思い、白利の前の席の渚に顔を向けるが、
「ううん、僕は速水さんの方がいいと思う。」
「俺も渚君にさんせ〜い。」
2人が揃って否定し、むしろ自分を推薦していることに速水は困惑してしまう。
「僕達は付き合いが長すぎてダメなんじゃないかな、むしろ『弱いとこ見せてたまるか』ってなるかも。…それに2年関わってても月乃の別人格のこと知らなかったし。」
「そうだね、俺は授業フケてたから裏の月乃君見てないし。それにいつもの月乃君はさ、速水さんに相当心開いてそうだったから適任だと思うよ。もし不安なら千葉とか杉野とかも連れて行けば良いんじゃない?」
「2人もこう言っていることですし…どうでしょうか?本当に不甲斐ない先生で申し訳ございませんが…」
「殺せんせーも烏間先生も…それに月乃だって、誰も悪く無いでしょ…」
「速水の言う通りだ、悪いのは南雲を連れて来た鷹岡と月乃を虐待してた南雲だろ?殺せんせー達が謝ることじゃないし、なんでそんな大人に振り回されて月乃が割りを食わなきゃいけないんだよ…」
速水の言葉に賛同するように千葉も声をあげる。
少し深呼吸した後、速水は目は覚悟を帯びて殺せんせーへと視線を向けた。
「私、月乃に会いたい。それで…E組にいて良いって伝えたい。」
「…はい、よろしくお願いします速水さん。」
「速水さん、俺からもよろしく頼む。」
「はい…!」
こうして朝は話を進めて内容を固めていき…
放課後、速水の元に月乃の家へ向かうメンバーである千葉と杉野そしてスマホに律が集っていたところに殺せんせーがやって来た。
「速水さん、申し訳ないのですがこれを月乃君に渡してもらえますか?」
「いいけど…これは?」
殺せんせーが渡して来たのはクリアファイルに入れられた紙の束、速水が不思議そうに問いかけると。
「月乃君が休んでいた分の授業内容をまとめたプリントです、手ぶらで行くよりも会える確率は高くなるでしょう?」
「確かに、家の人に『クラスメイトです』って伝える時プリント持ってた方が自然か。」
『殺せんせーが好んで読んでいられる恋愛マンガと似たシチュエーションですね!』
「にゅやッ!?律さんそれはナイショですよ!?」
「急に締まらなくなったな…」
4人が話している中、速水の視界には教室の外で手招きをしているビッチ先生が映り、席を立ち廊下へと向かう。
「ビッチ先生どうしたの?」
「凛香にアドバイスを、と思って。」
ビッチ先生は速水の目を見つめながら言葉を続ける。
「月乃の多重人格を治すことじゃなくて、前向きに自分と向き合わせることを目指しなさい。復讐者以外の人格もあるんだろうけど…どの人格も否定せず、優しく接してあげて。たとえ気丈に振る舞ってたとしても、…きっと心はボロボロだから。」
「うん、ありがとうビッチ先生。月乃とちゃんと話し合って来る。」
「えぇ、精々頑張りなさい。」
『速水さん、千葉さん達がお呼びですよ。』
「わかったすぐ行く。」
踵を返して教室へ戻ろうとする速水を『待ちなさい』とビッチ先生が呼び止めた。
「凛香、アンタ月乃のことどう思ってるの?」
「…まだわからない、けどやっぱり月乃には
「そう…呼び止めて悪かったわね、行って来なさい。」
千葉達と合流し去ってゆく速水の背中を見送ると教室から殺せんせーが出て来てビッチ先生の横に立つ。
「ヌルフフフ、イリーナ先生は随分と月乃君と速水さんを目にかけていますね。」
「…まぁね、せっかく平和な国に生まれたんだから大人なんかに振り回されずに幸せになって欲しいじゃない。」
「えぇ…そうですね。」
ビッチ先生の目には『自身のようになって欲しく無い』という願いのようなものが含まれていた。
「着いたよ、ここが月乃の家…というか食堂。」
4人の視線の先にあるのは『天ノ川』と書かれた看板と扉にかけられた『営業中』の吊り看板。
「まさか速水が月乃の家知ってるとはな。」
「私の通学する時通る道だし、前にたまたまここで会って知ったの。」
「そうだったのか。家の仕事手伝ってるってことはこのまま入ればいいん…だよな?」
『そうですね。今は営業中のようですので一度入店して、もしいなかったらご家族にお話を通して月乃さんに会わせてもらうのはいかがでしょうか?』
「そうだね…じゃ、皆行くよ。」
全員が緊張した面持ちで速水は扉に手をかけて引き戸を開けると、店内にいた客の視線が注がれる。
「あら椚ヶ丘の学生さんなんて珍しい。ささ、こちらにどうぞ。」
速水達に気づいた白利の祖母『暦』が席に案内する。
「あの…今日は別の用があって…」
杉野が口を開きかけた時、
「お前ら…なんで…?」
奥からお盆を持ちエプロンを身につけた白利が姿を見せた。
「月乃!」
「…ちょっと待ってろ。」
お盆に載せてあった皿を別の客…常連達の座っている机に置いて、再び速水達と向かい合う。
「えーっと白利、この子達は…?」
「別に…ただの同じクラ『友達です。』…おい。」
「私達は月乃…白利君の友達です。数日間学校を休んでて心配だったので尋ねさせてもらいました。」
「「「ッ!?」」」
白利の言葉に割って入った速水の『友達』という単語に、暦やキッチンにいた十三、そして常連客達が揃って声にならない声をあげて速水達に外しかけた視線を再び向ける。
「は、はー君の友達ぃ!?」
「いつの間にこんなに友達が…グスッ…!」
「あんなに綺麗な女の子と友達だなんて…成長したのね…」
小さい頃から白利をよく知る常連達は口々に声を上げ、白利はそんな常連達を睨みつけていた。
そんな白利達を気にすることなく暦は口を開く。
「来てくれてありがとうね、お名前聞いても良いかな?」
「あ、私は速水凛香でこっちは千葉龍之介、杉野友人です。」
「凛香ちゃんに龍之介君、友人君ね。改めて今日は白利の為に来てくれてありがとうね。」
「白利、手伝いはいいから友達と話してこい。せっかくお前の為に来てくれたんだから。」
「……わかった、お前らこっちだ。」
十三の言葉に渋々ではあるが白利は従い、エプロンを取って速水達についてくるように促した。
そんな白利の背を追っていくとやがて普通の民家…食堂から繋がる月乃家の畳が敷かれた居間に辿り着いた。
「お邪魔しま〜す…」
「座布団使って良いから好きなところに座って待ってろ、お茶持ってくる。」
「うん、失礼します。」
「…良い家だな。」
居間の中央に置かれた長方形の机の片側に3人が座布団を敷いて座り、茶器を載せたお盆を持って来た白利が戻ってくると、
「面接か?」
と、ボヤキつつ3人の前に茶器を置き反対側へ座布団を敷いて腰を下ろした。
…ちなみに並び順は白利から見て左から杉野、千葉、速水である。
「とりあえず元気そうで良かったよ……その…なんで学校に来なかったんだ…?」
千葉が恐る恐る声を出すと、白利は視線をやや下に落として答える。
「あそこにはもう…俺の居場所は無いからな。」
『そんなことないです!!』
「律…いたのか…」
『もちろんです!携帯の電源も切りっぱなしで連絡もつかず律は御冠ですよ!………本当に心配したんですから…』
速水が手に持つスマホから律が顔を覗かせ白利の言葉に素早く反応し、その目尻からは涙をポロポロと流していた。
律に続いて千葉と杉野が声をあげる。
「月乃、律の言う通りE組にはお前の居場所はまだあるよ。皆…皆お前のことを待ってるんだ。」
「そうだぞ月乃、皆お前のこと心配してるんだぜ?殺せんせーも烏間先生もビッチ先生もだ。だから『もし』…ッ?」
「……もしE組に戻ったとして、そこにいるのは本当にお前達の知っている『E組の月乃白利』か?」
「「え…?」」
その言葉に思わずフリーズしてしまう千葉と杉野、2人には白利の言っていることがまるで理解できなかった。
その様子を察したのか、白利は言葉を続ける。
「だってそうだろ?お前達と教室にいたのは『殺意を隠し続けた月乃白利』で、今の俺は『裏で殺意を抱え続けている月乃白利』だ。そんな奴が同じ
『あははっ』と白利は笑顔を浮かべるがその笑顔はただ張り付いているだけのように見えて、
「俺はさ…自分がわからないんだよ。ずっと頭ン中で声が響くんだ…その声が全部
どこか痛々しく自棄になっているかようで、
「全部…嘘だったんだよ。お前達と過ごした日々全部が……復讐に塗れて、何者にもなれなくて、人として大切なモノが欠如してる……あっはは……人ですら無い、人間モドキじゃねぇか…俺は…」
既に傷だらけなのに、自らを否定し続けてその傷を広げてより強い痛みで上塗りするようで…そんな白利がとても見るに堪えなかった。
「月乃…俺さ、友達になった時とか球技大会の時のこと本当に嬉しかったんだ。月乃のおかげで俺は前を向けた、変化球っていう俺だけの武器を手に入れられた、球技大会で進藤にも勝てた。こんなに色んなもんくれたお前を嫌いになるわけないだろ?」
「杉野の言う通りだな。別に嘘つかれてたなんて思ってないし、復讐心に塗れた月乃を見てもやっぱり目の前にいるお前は友達の月乃白利だって思ってるよ。それに、復讐の為かも知れないが苦手な射撃だって諦めても誰も文句言わないのに練習重ねてさ…そういうところ本当にカッコいいって尊敬してんだ。」
『私の
それぞれが白利への想いを告げる。
白利のことをこんなにも大切に思っていると、だからそんな自分のことを否定しないでくれ、と。
「やめてくれ…俺には…優しくされる資格なんてない…」
だが、白利の拒絶…否、自己否定の壁はあまりに分厚くて。
「月乃。」
今まで言葉を発さずにただ白利を見つめ続けていた速水が口を開いた。
「少し、2人で話をしよ?」
速水の方を見た2人は無言で立ち上がると、食堂の方へと歩いていき律もまた速水のスマホから去っていった。
月乃白利の心に最も踏み込めるのは速水凛香であると理解していたから。
「…横、座るね。」
杉野達の姿が見えなくなったのを確認した後、速水は白利の隣に移動し膝を折り、白利の左手に自身の手を重ね合わせた。
「私達、ビッチ先生から聞いたの。月乃が多重人格かも知れない事、切り離された人格を纏めて縛りあげて精神が不安定かも知れない事…色々。」
「…すごい観察眼だなイリーナ先生、流石はプロの殺し屋か。」
「……どうして私を頼ってくれなかったの?」
「速水……ダメなんだよ…これは俺が背負ったものなんだ、誰かに頼るなんて…」
「それは押し付けられた物でしょ?月乃も月乃のお母さんも、南雲のせいで全部めちゃくちゃにされて…月乃がその責任を律儀に取らなくたって…!」
白利は少し逡巡した後、右手をゆっくりと持ち上げ少し力をかければ折れてしまいそうなくらい細い速水の二の腕を掴む。
「俺は嫌なんだよ…誰かの枷になるのが…!枷になったせいで母さんが死んだから…!!全部…全部俺が背負わないと…!!」
ギリギリと二の腕にかかる力が強くなっていく。
筋力がそこまで無いとはいえ男の膂力で掴まれれば痛むはずなのに、それでも速水は苦痛の表情は顔には出さず、
「月乃は優しいね。」
「…え?」
白利を受け止めた。
「…だけど今の私には月乃はお母さんへの責任感と罪悪感、誰かのことを慮れる優しさを全部背負ってやり遂げようとして…自分を苦しめてるように見える。」
「………」
「私は月乃の優しさに甘えすぎてた、あの日月乃は速水凛香を見てくれたのに私は月乃白利を見れてなかった。だからもう1人で苦しまずに背負わせてよ、…私は死なないから。」
「なんでだよ…なんで速水がそこまで…」
「私にとって月乃は大切な友達だから。」
速水は添えた手に力を込めて握り込み、白利の目をただまっすぐ見つめ続ける。
その瞳にも言葉にも嘘はなくて、全てを受け入れてくれそうで、
《お前は巻き込むのか?なんの関わりも無い速水を、自分の罪に。》
囁くその声は間違いなく白利の本心で、
速水凛香を信じたいこの思いもまた白利の本心だった。
「速水…聞いてくれないか…?」
月乃白利は語る、己の過去から現在へと繋がる記憶を。
【月乃白利の秘密】
多くのモノが欠けてしまっている