君がため 惜しからざりし 命さへ
長くもがなと 思ひけるかな
――― 藤原 義孝 ―――
心の底から一切の淀みなく言い切ることができる、私の本当の想い。
貴方様は、気付いてくださるでしょうか。
……いいえ、気付いて下さらなくとも構わないのです。
私は貴方様のお側にいたい。
私の想いは、ただそれだけなのですから。
あの日は、暖かな日差しが心地よい春の日でした。
体の調子はとても良く、私は外出することにいたしました。
お気に入りの薄桃色の桜の
しかし久しぶりの外出でしたので、心なしか
私は薬の服用を失念してしまっていたのです。
春の暖かな日差しの下で、私は苦しさのあまりしゃがみこんでしまいました。
一つ息を吐くことも苦しい。私は視界が霞んでゆくなか、鉛を括り付けたように重い足を引き摺るようにして桜の幹に寄り掛かりました。
胸が押し潰されるような圧迫感と体に力が入らなくなるような虚脱感が私を襲いました。
誰かに助けを求めようとしました。ですが不幸なことに私の周りには人の影はなく、助けを求めることはできませんでした。
……このままでいれば、楽になれるかもしれない。
震える膝をつき、激しく上下する肩を搔き抱くようにして、私はおぼろげに両親の事を思いだしました。
意識は朦朧とし目を空けていることすら難しくなった私は、ゆっくりと地面に伏してゆきました。
これで楽になれる。
私は少し穏やかな心持で意識を手放し、泥土に沈むような感覚に身を委ねました。
気が付くと、そこは見慣れた私の病室の天井でした。
私の人生の中で青空よりも見ている時間の長い白く無機質なそれには、一か所だけ塗装の剥げた所があるのです。
次に目に入ったものは、私の両親。
酷く泣き腫らしたのでしょうか、二人とも目の下が赤くなっていました。
どうやら私は、無事に逝き損ねたのでした。
話を聞くところによると、赤い帽子を被った少年が私を助けて下さったようなです。
彼は私と共に救急車に乗り、病院についたところで名前も言わずに私の様態だけを告げて去ってしまったとのことでした。
ぼんやりとした頭で今にも切れてしまいそうな蜘蛛の糸を掴むことができたことに安堵し、ほんの少しだけ、不満でした。
帽子の殿方は、どうして私を助けたのでしょう。
私の素性を知っていて、見返りを求めたから?
私の
彼の行動を考えればどれも的外れとしか思えない選択肢ばかりが浮かんでは消えていく。
彼は……一体、何を理由に私を助けたのでしょう。
彼の素性を頭の中で夢物語でも紡ぐように想像していくと、とある行動理由を思いつきました。
純粋な正義感
自分で思いついておいてなんですが、あまりにも突拍子もない発想に苦笑を禁じえませんでした。
もしその空想が事実であれば、どんなに素晴らしいことでしょうか。
もしも、その彼が私の想像通りの殿方であったならば、私のような女性でも大切にして下さるのでしょうか。
その日から、私の味気ない日常にほんの少しの違いが生まれました。
病院の寝台で起床し、検査を受け、少し前までは唯一の楽しみであった遊戯王の
味気ない病院食を摂り、行くことすら儘ならない学校の生真面目な学級委員長が持ってきた課題に取り組む。
そして全てが終わったとき、再び目覚めるかもわからない寝床に就く。
そんな閉鎖的な私の人生の一端に、新しい習慣が加わったのです。
助けて下さった赤い帽子の殿方の事について想像することです。
始まりは、手持無沙汰だった夜の寝床の中からでした。
会うこともないであろう彼の事を、ただ思いつくままに作り上げていく。
私の味気ない生活の中でも恐ろしい程不毛で、意味のない時間。
そんな時間であっても、私はとても楽しかった。
彼の事について考える時間は、次第に増えていきました。
味気ない食事も心なしか美味しく感じられ、山札の構築もより楽しんで行えるような気がしました。
もしかしたら、彼と
……心の底では、理解していたのです。
しかし、そんな妄想でもあったとしても、私には楽しい日々だったのです。
私の真っ白だった日常を、鮮やかに彩ってくれるような気がしていたのです。
それは、唐突でした。
病状が落ち着いて自宅での生活へと戻り、久しぶりに登校生活が始まったころでした。
私達の町で、遊戯王のトォナメントが行われるそうなのです。
なんでも優勝した者には、世界大会への出場資格が与えられるとかなんとか。
私の通う
しかし、ここで問題が起こりました。
この大会はたっぐでゅえるの大会。出場資格を得るには二人組を組む必要があったのです。
私にとって、それはとても難しいことでした。
長期療養の為に、私は同級生より一つ歳が上なのです。
……とどのつまり、お恥ずかしい話ですが、留年していたのです。
尚且つ、私は学校に通うことが珍しかったために学友がほとんどいなかったのです。
数少ない学友の女生徒の皆様は他の学友と出場することになってしまい、私は一人となってしまいました。
私は心の底で、この大会の出場を辞退するつもりでいました。
教師の方々は私の事情を察してくださっていたのか、無理に出場をする必要はないとの言葉添えをしてくださるとのことでした。
私は別段、悲しくは感じませんでした。
私が組んだ山札の子達を使ってあげることは心苦しかったのは確かでしたが、この山札を誰かの為に使う気にはなれなかったのです。
この山札は、他ならぬ彼の為に組んだのですから。
学業を終えた後、私は職員室へと向かっていました。大会出場の辞退を教師の皆様に伝える為に。
ふと窓の外へと目を向けると、夕方の焼けつくような日の光の向こう側に、薄暗い夜の闇が迫っていました。
真っ赤な夕焼けで染められた校庭は、次第に闇の
何故か心苦しくなった私は、窓の光景から目を背けました。
視界に、何かを捕らえました。
最初は見間違いかと思いました。真っ赤な夕焼けの中に私の願望を見たのだと。そう思いました。
逆光に視界を奪われながら、手をかざして良く目を凝らしました。
見間違いではなかったのです。
真っ赤な夕焼けに包まれた校庭に、話にだけ聞いていた真っ赤な帽子が見えたのです。
私は思わず駆け出していました。
不思議なことに、いつもの私では考えもつかないような気力が私を満たしていきました。
もしかしたら、別の人なのかもしれない。私の勘違いなのかもしれない。そんなことは気にならなくなっていました。
全力で走ることなんて、もう幾年もしていなかったのに。不思議と足が勝手に動いたのです。
外履きに履き替えることさえ忘れて、私は外へ飛び出しました。
校庭に目を向けると、彼の後ろ姿が校門を出ていくところが見えました。
私はスカァトを翻して、校門めがけて駆け寄りました。
息がどうしようもなく苦しくなることも気にならず、むしろ心地よささえ感じつつ、私は校庭を駆けました。
校門をくぐり周りを見渡すと、彼の後ろ姿が見えました。
残り少ない体力を振り絞り、彼の傍まで駆けより何とか彼の袖を掴みました。
息が切れ、袖を掴んでいない方の手を膝について呼吸を整えつつ、彼の顔に目を向けました。
不思議そうな顔をして、此方をみる彼の顔は子供のような幼さと大人のような頼もしさを持った、美しくも凛々しい御顔をしていました。
彼の顔は、姿は、私の想像していた物とは全く異なっていました。
しかし、そのことに対する失望も喪失感など、どうでもよくなりました。
一抹の不安を胸に残しながら、私は彼に尋ねました。
私を助けて下さったのは、貴方様ですか?
このような方法で呼び止めておきながら、このような突拍子もない質問を投げかけてしまったことに後悔など覚えることさえ忘れ、私は彼の様子を伺いました。
数瞬の間、彼は驚き呆けたような顔をして、次の瞬間、あっと声を漏らしました。
それが私と貴方様の、本当の出会い。
今思い出してみても、どうしようもなく滑稽な出会いでした。
もっと、ちゃんとした場で貴方様とお会いしたかったと、今でも後悔しております。
それから、私達の関係は急速に近まりました。
私は彼とトォナメントに出場することとなりました。
私の申し出を彼は嫌がることなく、受け入れて下さったのです。
彼と一緒の決闘は私が今まで感じたことのない充足感と、喜びを与えてくださいました。
私の過ちも彼は気にした様子もなく、勝利への足場としてしまうのです。
お互いに山札を見せ合い、構築を練り合い、トォナメント優勝を目指してお互いを切磋琢磨し合いました。
学友の皆様も、私たちの特訓に付き合ってくださいました。
驚いたことに、彼は私の学友ともそれなりの交友を深めていたそうです。
私の心に、ちくりと細く鋭いものが滑りこんだような気がしました。
心なしに私の髪に触れてみる。私の学友の一人……といっても、彼女は私の事を良くは思っていないようですが、彼女の長い髪を見るとほんの少し羨ましいと思ってしまいました。
私の目から見ても、彼女は美しい。いや、妖艶と言った方が正しいかもしれない。
殿方はあのような女性を好むと学友の誰かがおっしゃっていました。
……彼も、あのような女性を好むのでしょうか。
自分のおかっぱに切りそろえられた髪を手櫛で
彼は、喜んでくれるでしょうか。
女性は殿方に寄り添い、尽くすもの。
少しでも彼のお役に立つために試行錯誤の日々が始まりました。
慣れない炊事などで失敗も多く、箸よりも重いものを持てない私には辛いことも数多くありましたが、彼は嫌がることなく私を受け入れてくださいました。
ただ、彼のお世話をするために合鍵を作ったり、丑三つ時に屋敷を出て早めに家に着いてしまったので、お側で寝顔を朝まで見つめていたときは、少し怒られてしまいましたが。
そんな何気ない日常は私の体に少し影響を与え始めました。
なんだか妙に熱っぽいのです。それに、不思議な動悸が多くなりました。
これはいったい何なのでしょう。
それからは、目まぐるしく毎日が過ぎ去って行きました。
トォナメントを順調に勝ち抜き、私達は激戦の末に優勝を掴みとることができました。
両親も学友の皆様も祝福してくださいましたが、私達は世界大会への準備に追いやられるようになりました。
毎日が今までになかった程の速さで過ぎ去って行き、彼と過ごす一日の時間は次第に増えていきました。
朝早くに彼の家を訪ね、彼の寝顔を見ながら朝まで過ごすことが私の日課になりました。何度も繰り返す内に彼も慣れたと言っていました。彼の寝顔はとても可愛らしく、比護欲を掻き立てられるのです。
しかし起きている時の彼は、寝ている時とは一転してとても頼もしい人です。後ろ向きな考えの多い私を前向きに手を引いてくれる人。
私の中で彼の存在が大きくなっていくのが、はっきりと分かりました。
そして、いよいよ世界大会が始まりました。
世界中の
しかし、私と彼との連携も短期間で驚くほど強固になりました。
私が彼を信頼し、彼が私を信頼して下さる……はっきりとそれが感じられるようになっていったのです。
どのような危機に直面しても、私たちの信頼は強さを発揮しました。
そして危機を乗り越えた。
厳しい連戦を続けついに決勝戦への出場が決まりました。
しかし、私は悲しかった。
決勝戦での優勝、確かにとても甘美な響きです。私でさえも本当に優勝を求めてしまうほどに。
けれど大会で優勝してしまったら、彼との関係はどうなってしまうのでしょうか。
本来は大会の出場のための関係でした。大会が終わってしまえば、今までのような毎日は過ごすことができなくなる。それに気が付いてしまったとき、私はとても恐ろしくなったのです。
彼が私との関係を断ってしまうのではないかという考えが、心の奥底で焦げ付くように残っていました。
しかし決闘に於いては、そのような余念は敗北への切っ掛けとなります。
決闘の最中では、忘れることができたのです。
そして世界大会の決勝戦。
それはもう、凄まじい戦いでした。繊細かつ大胆な戦法をとるチィム・ファイブディイズを相手に私たちは圧倒され続けました。
しかし、私の残したモンスタァをきっかけに、彼が大立ち回りを披露し、辛くも勝利を収めることができたのです。
本当に凄い戦いでした、私と彼が本当のパァトナァになれた。そんな気がしたのです。
決勝戦の後、学友や家族達との祝勝会での楽しい時間が終わり、私と彼は彼の家に向かいました。
恐らく、これが最後になるであろう彼への自宅への訪問。私は少し、悲しみを覚えずにはいられませんでした。
彼は熱が冷めやらずといった様子で、決闘の最中のことについて話し続けました。私も優勝したことの嬉しさから、彼との話が弾み遅くまで語り明かしました。
やがて逢魔が時。
私は彼への想いを打ち明けたのです。
貴方様と、ずっと一緒にいたい。本当のパァトナァになりたい、と。
彼は一瞬呆けたような顔をして、すぐに恥ずかしくも困ったような顔になってしまいました。
断られるかもしれない。そう思った私の両手を、彼はそっと握ってくださいました。
私の手とは比べ物にならない、逞しくも繊細そうな手。
彼は私の頬に手を添え、俯いていた私を自分へと向き直らせました。
そして、ゆっくりと頷きました。
私は熱っぽさと胸の動悸からくらくらとしてしまい、彼の胸元へと倒れこんでしまいました。これは病気などではない、もっと別のものでした。
倒れこんだ私を、彼は何も言わずにそっと抱きしめました。
ずっとこうして欲しかった。お話でも、添い寝でも、決闘でもない。こうして彼に、私の想いを、受け止めて欲しかった。
彼の背中へ、そっと腕を回し、力強く抱きしめる。彼の体が、温かさが、彼の想いが、私の細い腕を通して伝わってくるような気がして、私は彼に絡みつくように彼の体に自分の体を寄せた。
彼は私の体を労わってか、強くは抱きしめてくれなかった。
私はそれが不満だった。彼の優しさは痛い程わかる。しかし、お互いの気持ちが確かめ合えたのだから、どうして遠慮するのだろう。私は彼の耳元に口をよせ、思いの丈を囁いた。
私は、貴方様をお慕い申し上げています。貴方様が私めの体を心配して、優しく抱いてくださっていることは重々承知です。しかし、貴方様が私を本当に想って下さるのなら、私の事を、もっと強く搔き抱いてください。貴方様に壊されてしまうほど、私を強く抱きしめて欲しいのです。
一瞬動揺したようでしたが、すぐに彼は私の背中に回した腕を力を込めはじめました。
彼の腕の力で圧迫され、ほんの少し、息が苦しい。しかし、想像を絶するほど、心地よい気分でした。
彼の腕が、指が、私の肌に食い込むように、私を喰らうような獣の本能に従うかのような熱く猛々しい抱擁に私は魅了されてしまっていました。
彼の首元に顔を埋め大きく息を吸い込むと、私の鼻腔いっぱいに、彼の匂いが満ちてゆく。
彼で、私が満たされてゆくような錯覚に陥り、顔が、胸がどうしようもなく昂ってしまう。彼にはこのようなはしたない私を、見てほしくはないのに。やめることができなかった。何度も何度も、肺を、気道を彼の匂いを満たした。彼で私を満たす度に、私が彼の体へと回していた腕に力を込もっていった。
彼も、私と同じように私の首筋へと鼻先を押し付け、めいっぱい息を吸い込んできた。私の肌、汗、髪の匂いで彼が満たされてゆくのだと思うと、さらに胸が高鳴った。彼も高ぶりを隠せないようで、私へと回していた腕の力が強くなっていきました。
私は体に回していた腕を、彼の体を添うように、蛇がうねるようにな手付きでゆっくりと彼の腕に回していきました。彼がくすぐったそうに体を揺すらせている姿は、とても愛おしかった。
彼の首元を包み込むようにして腕を回すと、彼の顔が正面にくるかたちになりました。彼の顔、何度も見てきたはずなのに、今日はまた違った印象を私に与えました。
私は恥ずかしくなって、そっと目を閉じました。すると、唇に柔らかいものが押し付けられるような感覚を感じました。ほんの少し、荒れているのでしょうか。ざらざらとした感触でしたが、そんなことはどうでもよくなっていました。
私もグッと唇を押し付けるようにして頭を前へ前へと突き出しました。一分程続け、息が苦しくなるとそっと唇を離しました。
恥ずかしさのあまり、目を空けることなく、私は空気を吸い込むために唇を半開きにしていました。そこにぬるりと、熱くざらついたものが滑りこんできました。
私は苦しさも忘れ、貪り喰うかのように口の中を蹂躙する侵入者に対して、私は舌の動きを持って応えました。お互いに吸い付くと、脳内がぐちゃぐちゃに掻き回されるような錯覚に陥り、意識が飛びそうになりながらも、お互いの存在がそれを許すわけがありません。甘噛むようにして刺激を与えれば、再びお互いを貪り合った。
このまま、彼と一つになってしまいたい。体だけではない。彼の心と一つに鳴れれば、どれほど幸せなのだろう。
しかし、それは悲しいことです。心まで一つになってしまえば、お互いを愛することができない。
別々の存在だから、この体という干渉物を押しのけ、そしてやっとお互いの心に触れる為に、私たちはこの体を持って少しでも一つになろうとする行為を行おうとする。
一つになろうとする行動に快感を覚えるのだ。
ずっとこうしていたい。彼と、ずっとこうして、一つになるために。彼の一部になりたい。私の一部になって欲しい。
私たちは、ずっとお互いを確かめ続けた。
ずっといっしょにいよう。そうお互いの心に、刻みつけながら。
あの後、彼に私の屋敷に移り住むように提案し、彼はそれを承諾なされました。
それから今日まで、とても幸せな毎日が続いています。
朝いっしょに目を覚まし、山札の構築に論議と試行錯誤を繰り返し、食事をして、学校にも通っている。
私はこれから彼に迷惑をいっぱいかけるでしょう。
私は体は弱く、もしかしたら、彼よりも早く逝ってしまうかもしれない。
しかし彼は、こんな私でも大切だと言ってくれた。
こんな私でも愛して下さると、言ってくれた。
きっとこれから先、幾つもの困難が私たちに迫ることでしょう。
けれど、彼と一緒ならきっと乗り越えられる。そう信じられる。
私は、明日へ、未来へ、希望へ向かって進み続けることができる。
そしてこれからも、彼との……いいえ、貴方様との日々が、どうか幸せに続きますように。
それが私の、本当の願いです。
紫の ひともとゆえに 武蔵野の
草はみながら あはれとぞ見る
――― よみ人しらず ―――