今日はレースの話は禁止よトレーナー!   作:お牝馬異常愛者

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今日はレースの話は禁止よトレーナー!

背中が冷たいコンクリートの壁に押し付けられている。

 

目前には理知的な青紫の瞳。 ハイライトが強く輝くその瞳が至近距離からこちらを射抜いていた。

 

鼻先が触れ合うほどの距離。

ふわりと淡い栗色の髪からミルクティーのような甘い香りが漂い夕暮れの路地裏の冷たい空気を塗り替えていく。

 

「んっ……」

 

柔らかい感触が唇を塞いでいた。

 

押し付けるようなそれでいて確かめるような口付け。

彼女の左手がトレーナーの胸元を軽く押さえ僅かな逃げ道すらも塞いでいる。

繋がった唇の隙間から熱い吐息が漏れた。

 

(またやっちまった……)

 

トレーナーは目を閉じ為されるがままにその温もりを受け入れるしかなかった。

 

彼女――アーモンドアイの体温が服越しに伝わってくる。 常に完璧を体現する彼女の高鳴る鼓動さえも。

 

やがてゆっくりと唇が離れる。

銀色の微かな糸が引いては消え冷たい外気が火照った唇を撫でた。

 

「ふふっ」

 

吐息を絡ませるような余裕を含んだ笑い声。

アーモンドアイはほんの少しだけ頬を朱色に染めながら長く美しいまつ毛を伏せた。

 

そして獲物を追い詰めるようなどこか甘い視線でトレーナーを見上げる。

 

「ルール違反よ、トレーナー。……これで今日三回目じゃないかしら」

 

「……ごめん。つい癖で」

 

なぜこんな人目につかない路地裏で担当ウマ娘と唇を重ねているのか。

理由は今日の休日の外出に際して設けられた『特別な契約』にあった。

 

『今日はレースの話は禁止よ。お互いにね』

 

合流してすぐアーモンドアイはそう宣言した。

 

いつかの温泉旅行でも似たような取り決めをしたことがある。

彼女もトレーナーも根底にあるのは勝利への渇望であり放っておけば四六時中トレーニング理論やライバルの動向について語り合ってしまう。

 

それも悪くはない。

だがたまには息を抜いて時間を過ごしたいという彼女なりの要求だった。

 

そしてそのルールには続きがあった。

 

『もし破ったら……ペナルティを用意するわ。そうね口を塞がせてもらうわよ。物理的に』

 

冗談だと思っていた。

しかしアーモンドアイは有言実行の女だった。

 

先ほど大通りにあるスポーツショップのショーウィンドウの前を通りかかった時のことだ。

そこに飾られていた新作のウマ娘用シューズを見た瞬間トレーナーの口は勝手に動いていた。

 

『あのソールの形状次のレースの条件に合いそうだな。お前の脚質なら――』

 

言い終わる前に腕を引かれた。

驚く間もなく路地裏に引きずり込まれそして今に至る。

 

トレーナーが謝ろうと口を開くとアーモンドアイはそれを制止した。

 

「謝罪は求めていないわ。ただルールはルールだもの。徹底的に守ってもらうだけよ」

 

「俺ばかりペナルティを受けている気がするんだが」

 

「あらそれはあなたの隙が多いからよ。わたしは完璧にこなしているわ」

 

得意げに微笑む彼女の頭頂部で大きな白いリボンが夕日を浴びて揺れる。

ピクリと動いたウマ耳は隠しきれない喜びと高揚を伝えていた。

 

「さあ行くわよ」

 

路地裏を抜け再びオレンジ色に染まり始めた大通りへ出る。

夕暮れの町中は学生や買い物客で賑わっていた。

 

アーモンドアイは自然な所作でトレーナーの右側に並んだ。

その歩みは迷いがなく一定のリズムを刻んでいる。

 

彼女の左手がそっとトレーナーの右手に触れた。

指先が絡み合い冷たい外気の中で互いの熱を確かめ合うように握り込まれる。

 

「次はどこへ行くのかしら。カフェで一息つくのもいいけれど……」

 

「アイの好きなようにしていいぞ。今日は付き合うって決めてるからな」

 

「そう。なら……」

 

アーモンドアイは人差し指を頬に添え少し考える素振りを見せた。

その何気ない仕草でさえ計算されたように美しい。

 

「少し先にある雑貨屋に行きたいわ。可愛い……その…お皿が新しく入荷したと聞いたの」

 

(お皿、ね)

 

おそらく彼女が溺愛しているあのカッパのキャラクター「キューまる」の限定グッズだろう。 普段の堂々とした姿からは想像もつかないほど彼女はその愛らしいキャラクターに熱を上げている。

 

「いいよ。行こう」

 

トレーナーが微笑み返すとアーモンドアイは嬉しそうに目を細め繋いだ手に少しだけ力を込めた。

 

そのまま大通りを歩いていると広場の大型ビジョンが目に入った。

トゥインクル・シリーズの過去の名レースがダイジェスト映像として流されている。

 

大歓声がスピーカーから響き画面の中では何人ものウマ娘たちがターフを駆け抜けていた。

 

(いかん見ないようにしないと)

 

トレーナーは意識的に視線を外し雑貨屋のある方向へ顔を向けた。

これ以上ペナルティを受けるわけにはいかない。

 

しかし隣を歩くアーモンドアイの足取りがふっと遅くなった。

繋いだ手から伝わる力が抜け彼女の視線がビジョンに釘付けになっている。

 

「……あのペース配分少し早すぎるわね」

 

無意識の呟きだった。

 

「第三コーナーでの仕掛けは悪くないけれどあそこで外を回りすぎると最後の直線でスタミナが……」

 

熱を帯びた真剣な声音。

彼女の青紫の瞳は画面の中で繰り広げられる勝負の行方に完全に奪われていた。

 

「……あっ」

 

言葉の途中でアーモンドアイの肩がビクッと跳ねた。

ピンと立っていたウマ耳が瞬時にペタンと伏せられる。

 

彼女は弾かれたようにトレーナーの方を向き繋いでいなかった方の手で慌てて自分の口を塞いだ。

見開かれた瞳。

その表情は先ほどまでの余裕が嘘のように崩れ動揺に満ちていた。

 

(言ったな)

 

沈黙が落ちる。

雑踏の音は遠ざかりトレーナーとアーモンドアイの間にだけ奇妙な空白が生まれた。

 

「……今、なんて言った?」

 

トレーナーが静かに問いかける。

アーモンドアイは口を塞いだままフルフルと首を横に振った。

 

「んんっなにも言ってないわ」

 

くぐもった声。

強がってはいるが背後に垂れた淡い栗色の尻尾が焦ったようにバタバタと左右に揺れている。

 

「レースの話したよな。『最後の直線でスタミナが』って」

 

「……気のせいじゃないかしら。わたしはただ……その……夕食のスタミナ定食の話を……」

 

苦しい言い訳だった。

完璧を自負する彼女がこれほど分かりやすく狼狽えるのは珍しい。

 

トレーナーは繋いでいた彼女の手を少し強めに引いた。

 

「……っ!」

 

アーモンドアイが短い悲鳴を漏らす。

今度はトレーナーが主導権を握りすぐそばにあった建物の隙間――薄暗い物補へと彼女を連れ込んだ。

 

「ちょ、ちょっと、あなた……!」

 

背中が壁に触れアーモンドアイはビクッと体を震わせた。

逃げ場はない。

 

トレーナーは彼女の正面に立ち退路を断つように壁に手をついた。

見上げる彼女の瞳は青紫の宝石のように潤んでいる。

 

「ルールはルールだろ?」

 

トレーナーの言葉にアーモンドアイは息を呑んだ。

 

「……っ、それはそうだけれど……」

 

口元を覆っていた手がゆっくりと下りる。

彼女はギュッと目を閉じ覚悟を決めたように少しだけ顎を上げた。

 

(可愛いな)

 

その無防備な姿にトレーナーの胸の奥で甘い熱が弾けた。

トレーナーはゆっくりと顔を近づけ震える彼女の唇を塞いだ。

 

先ほどまでの彼女から押し付けられるようなキスとは違う。

優しくしかし確実に逃がさないような口付け。

 

唇が触れ合った瞬間アーモンドアイの体が跳ねて喉の奥から微かな声が漏れた。

 

「んぅっ……」

 

彼女の両手が迷うように中空を彷徨いなりてトレーナーのジャケットの裾をきつく握りしめる。

冷たい空気の中で二人の息が混ざり合う。

 

体温が伝わり重なり合った場所から熱が広がっていく。

彼女の鼓動が先ほどよりもずっと早く強く脈打っているのがわかった。

 

トレーナーが少しだけ角度を変えより深く唇を合わせるとアーモンドアイは抵抗するどころかすがるように背伸びをした。

伏せられていたウマ耳が微かに震え背後の尻尾が感情を抑えきれないように揺らいいでいる。

 

思考が熱に溶けていく。

ただのペナルティだったはずのキスはとうにその意味を失っていた。

 

どれくらいの時間が経っただろうか。

肺の酸素が限界に近づきトレーナーは名残惜しさを感じながらゆっくりと顔を離した。

 

「はぁっ……、んっ……」

 

アーモンドアイは壁に寄りかかったまま荒い息を吐いていた。

白かった頬は首筋まで真っ赤に染まり理知的だった瞳は隠しきれない熱情に潤んでいる。

 

完璧な女王の鎧が剥がれ落ちたただの恋する少女の顔。

 

彼女はジャケットの裾を握っていた手を離しトレーナーの胸板に軽く押し当てた。

だがそれは突き放すためではなくむしろ体重を預けるような仕草だった。

 

アーモンドアイは視線を伏せて言った。

 

「……もっとして」

 

その言葉は先ほどのキスでは満足できなかったという降伏宣言だった。 罰ゲームという名目は互いの熱をぶつけ合うためのただの口実過ぎなかった。

 

トレーナーが再び顔を近づけると今度はアーモンドアイの方から迎えにきた。

彼女の両腕がトレーナーの首に回される。

 

「んっ……、ふあ……っ」

 

今度はより深く熱く。

互いの体温を分け合うように何度も何度も唇を重ねる。

 

路地裏の奥。

オレンジ色の光が完全に落ち夕闇が二人を包み込んでいく。

彼女のミルクティーのような髪の匂いが思考を完全に麻痺させていた。

 

「……あ、なたっ……んっ……」

 

途切れ途切れにこぼれる甘い声。

 

しばらくして、唇を離したわずかな瞬間に彼女が微かに笑う。

 

「ふふっ……、これじゃあどっちがペナルティを受けているのかわからないわね……」

 

その瞳にはトレーナーへの絶対的な信頼と独占欲がはっきりと浮かんでいた。

 

「……ずっとわたしのことだけを見てなさい」

 

「言われなくても」

 

再び重なる唇。

 

雑貨屋の限定グッズのことも大型ビジョンに映るレースのことも完全に頭から消え去っていた。

 

この日のデートがその後も何かと理由をつけては口付けを繰り返すだけの甘く熱い時間に塗り替えられたのは言うまでもないことだった。

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