『ZOIDS -RED ZERO- ―紅き獣と帝国の亡霊―』 作:からし明太子
朝の風は、砂漠のそれとは少し違っていた。
赤茶けた大地の裂け目を縫うように、細い川が流れている。夜の冷気をまだ少しだけ引きずった空気は涼しく、水面は昇り始めた陽を受けてきらきらと光っていた。川岸には申し訳程度の草が生え、石と砂ばかりの景色の中では、それだけでも十分に「生きている場所」に見える。
もっとも、その穏やかさが長く続く保証など、この世界のどこにもないのだが。
『あたしはぁ、荒野の運び屋さーん♪』
赤いグスタフの操縦席から、朝っぱらから景気のいい歌声が響いてくる。
その声に、荷台で寝転がっていたバンが顔をしかめた。
「いてててて……急にグスタフを止めたり、歌ったり、一体どうしたんだよ、ムンベイ……」
「何よ、その言い方」
操縦席から身を乗り出したムンベイが、呆れたように眉を上げる。
「フィーネが飛び出して行っちゃったのよ。あの子、よっぽどバンのイビキがうるさかったんじゃない?」
「何言ってんだ! ムンベイの歌のせいだろ!」
「失礼ねぇ。あたしの歌は元気が出るの」
「出すぎて眠れねぇんだよ!」
朝からよく通る二人のやり取りに、カレンはライガーゼロの背で小さく息をついた。
ムンベイが同行してから、旅の空気は確かに変わった。
赤いグスタフは頼もしい。荷台があるだけでも、バンやフィーネ、それにジークが身体を休める余裕ができる。シールドライガーとライガーゼロが自力で歩けるとはいえ、長距離移動で人間の疲労まで面倒を見るとなれば、こういう存在はありがたかった。
ありがたいのだが。
うるさい。
いや、騒がしいと言うべきか。
もっとも、その騒がしさを嫌いだとは思っていない自分に気づいて、カレンは少しだけ苦笑する。
「フィーネ?」
バンが荷台から身を起こした。
少し先、川辺の草地でしゃがみ込んでいるフィーネの姿が見えた。小さな両手を膝の上に置き、何かをじっと見ている。
バンが近づいて覗き込む。
「何やってるんだ?」
フィーネは足元を指差した。
そこには一匹のバッタがいた。乾いた草の色に似た、細く小さな虫だ。
「よかったわね、踏み潰されなくて」
フィーネがそう言って微笑む。
バンは目をぱちぱちさせた。
「……バッタを助けたのか?」
「そう」
「わざわざそんな事しなくても、バッタなんか勝手に逃げていくのに」
「そうなの?」
「そうだよ」
フィーネは少し考えてから、バッタを見つめたままぽつりと言った。
「でもあのバッタ、戦おうとしていたわ」
「は?」
「大きい相手なのに、逃げなかった」
バンは首を傾げる。
「そんなこと、絶対ないって」
「どうして?」
「どうしてって……グスタフを相手に敵うわけないじゃないか」
フィーネはそこでようやく顔を上げた。
「そんな事、やってみないと分からない……って、バンはよく言うわ」
「う」
思わぬところから自分の台詞を返されて、バンが言葉に詰まる。
少し離れた場所からそのやり取りを見ていたカレンは、思わず目を細めた。
フィーネは記憶を失っているくせに、時々妙なほど本質を突くことを言う。
そして、バンの無鉄砲さを笑うでもなく、否定するでもなく、ただ自然に受け止めている。
それが、バンにとって案外大きいのだろう。
その時だった。
ライガーゼロがぴくりと耳を立てた。
『グル……』
「ゼロ?」
カレンが顔を上げる。
次の瞬間、川の向こう側から重い駆動音が響いてきた。
「どうしたんだ? ジーク……うえっ!?」
バンの声が裏返る。
「な、何なの!?」
フィーネも目を見開く。
姿を現したのは、巨大な影だった。
重装甲の大型ゾイド、ゴルドス。
しかも一体ではない。後方に複数の機影を従え、隊列を整えながら川辺へ進み出てくる。整った足並み、配置、間合いの取り方。野良でも盗賊でもない。明らかに正規軍の動きだった。
「共和国軍……!」
カレンが低く呟く。
ゴルドスのコックピットハッチが開き、一人の男が姿を見せた。
壮年に差しかかった年頃。落ち着いた顔立ち。無駄のない軍服の着こなし。派手さは無いが、現場の空気を知っている軍人の目をしている。
「積み荷を調べろ」
男が短く命じる。
「はっ!」
周囲の兵士が動く。
「おっと、動くな。無駄な抵抗はするもんじゃない」
別の兵士が銃口を向けてくる。
ムンベイが口元を引きつらせた。
「随分と大袈裟な強盗だね。ゴルドスで人の晩飯を狙うなんてさ」
「笑えん冗談だ」
男は静かに答えた。
「俺は共和国軍レッドリバー戦線、第一中隊隊長、ロブ・ハーマン大尉だ」
その名に、ムンベイがほんの僅かに目を細める。
カレンもその立ち姿を見て理解した。
ただの堅物ではない。現場で何度も修羅場を越えてきた人間の雰囲気がある。
同時に、ハーマンの方も一行のゾイドを一瞥した際、僅かに視線を止めていた。
白いシールドライガー。
赤いグスタフ。
そして――赤いライガー。
共和国軍の配備データにも、確認済みの帝国軍機にも存在しない未確認のライガータイプ。
軽く目を留めただけだったが、それだけでも十分に異質だった。
「そのお偉い大尉さんが、アタシ達に何の用だい?」
ムンベイが挑発気味に言うと、ハーマンは表情一つ変えなかった。
「この先の遺跡で派手な爆発があった」
一拍。
「折角のスリーパーガイサックが、木っ端みじんにされてしまった」
その言葉に、バンの顔が歪む。
「お前たちが、あのガイサックを!?」
「ん? それがどうかしたか?」
「どうかしたか、だと!? よくもよくも! おかげでこっちは死にそうな目に遭ったんだぞ!」
バンは食ってかかるが、カレンは横目でハーマンを見た。
男は怒っているようには見えなかった。
むしろ、何かを確かめている目だった。
「やめなさい、バン」
カレンが小さく制する。
だがハーマンはさらに言葉を重ねた。
「調査の結果、スリーパーガイサックを全滅させた爆薬は帝国軍の物と判明した。……まさかとは思うが、お前たちの仕業じゃないだろうな?」
その瞬間、場の空気が硬くなる。
状況だけ見れば、疑われても仕方がない。
前話でムンベイが運んでいたのは帝国軍向けの爆薬だった。そして、それは確かにガイサックの群れを吹き飛ばすのに使われた。
「だったらどうするのさ?」
ムンベイが先に口を開く。
「身柄を拘束させてもらう」
ハーマンは淡々と言った。
「帝国軍のスパイ、もしくは破壊工作員としてな」
「……!」
バンが声を上げかける。
だが、その前に兵士たちが一斉に銃を構えた。
「ハーマン大尉、こいつら未確認のライガータイプとシールドライガーを輸送していました!」
「登録ナンバーは?」
「所属不明です。どこかの部隊から盗んだものかも」
「盗んだんじゃない!」
バンが怒鳴る。
「あのシールドライガーは、遺跡でポンコツだったんだ!」
ハーマンの眉が、ほんの僅かに動いた。
「遺跡でポンコツだっただと? ……ふん、馬鹿も休み休み言え」
「嘘じゃない!」
その時、ハーマンはほんの少しだけ口元を歪めた。
「じゃあ、その野生ゾイドが――オーガノイドにでもなってシールドライガーを復活させたのかな?」
軽い皮肉のつもりだったのかもしれない。
だが、その場にいた全員が一瞬止まった。
「そうです」
フィーネが真顔で答えたからだ。
「……あぁ!?」
バンが素っ頓狂な声を上げる。
「まさか、本当なのか!?」
ハーマンの目が変わる。
その瞬間、バンの腕の中にいたジークがびくりと反応した。
「逃げろジーク!」
バンが叫ぶ。
兵士が飛びかかる。
バンは咄嗟に身を挺してジークを庇った。
「早く行け!」
ジークはひと声鳴き、兵士たちの隙間を縫って一気に逃げ出す。
「そのゾイドを捕まえろ!」
ハーマンが命じる。
兵士たちが一斉に追おうとするが、ジークはあまりにも小さく、素早かった。岩陰へ飛び込み、そのまま視界から消える。
ハーマンはその背中を見送りながら、ゆっくりとバンを見下ろした。
「ほう……自分の身を挺してゾイドを逃がしたか」
その声には怒りより、別の興味が混じっていた。
ただの密輸人やガキではない。そう判断したのだろう。
「……連れて行け」
こうして、バンたちは共和国軍基地に拘束された。
◇ ◇ ◇
共和国軍の前線基地は、川沿いの岩場を削るようにして築かれていた。
土嚢と鉄骨、簡易格納庫、監視塔、通信アンテナ。仮設ではあるが、戦線を支えるに十分な規模だ。整備兵が走り回り、兵士が短く指示を交わす。そこには盗賊や村の世界とは違う、“国家の戦争”の匂いが満ちていた。
「……嫌な感じ」
ムンベイがぽつりと吐く。
「同感ね」
カレンも短く返した。
バン、フィーネ、カレン、ムンベイは一室にまとめて拘束されることになった。牢と言っても石壁で囲われた臨時収容室だが、鉄格子と見張りが付いている。
「くそっ! 出せ! 俺たちが何したって言うんだ!」
バンが鉄格子を掴んで吠える。
「煩いぞ。全く、どこへ行っても付き纏ってくる奴らだぜ……」
隣の牢から、聞き覚えのある声がした。
「付き纏ってるのはお前の方だろ?」
バンが振り返る。
そこにいたのは、やはりアーバインだった。
「まあ、そうとも言うか」
アーバインは悪びれもなく肩をすくめる。
「アーバイン、アンタ何だってこんな所にいるの?」
ムンベイが呆れたように聞く。
「コマンドウルフの弾薬が切れちまってなぁ、ちょいと借りようとしたらこの様だ。やっぱりプロの兵隊さんを舐めちゃいけねぇ」
「返す気なんかなかったくせに」
カレンが冷たく言う。
アーバインは答えず、代わりに目を細めた。
「それより、あのオーガノイドはどうした? シールドライガーと一緒に取られちまったか?」
「ジークは逃がした……」
バンが低く答える。
「逃がしたか……」
アーバインは僅かに口元を上げた。
「ま、お前にしちゃ上等だな」
そのぶっきらぼうな言い方に、バンは少しだけ眉を寄せた。
だが今は言い返すより、別のことの方が気にかかったからだ。
◇◇◇
そのやり取りの最中、別室ではハーマンが副官と話していた。
ハーマンの傍らにいた若い士官は、派手さこそないが、軍人らしく整った身なりと落ち着いた物腰が印象的だった。年若く見えるが、軽さより先に目につくのは、几帳面さと生真面目さ。前に出て武功を立てるより、状況を整え、指揮官を補佐し、部隊全体を滞りなく動かすことに長けた人間――そんな空気を纏っている。
オコーネル中尉。
ロブ・ハーマン大尉の副官であり、長く付き従ってきた腹心でもあった。
「例のシールドライガーですが、二十年以上前に登録を抹消されています」
「つまり、あの小僧は本当のことを言っていたという事か……」
ハーマンは戦略マップの上で指を止めた。
「あのゾイドが本当にオーガノイドなら、我が軍に相当な戦力増強が可能です。何としても捕獲を」
オコーネルの声は落ち着いている。
感情で煽るのではなく、事実と可能性を整理して差し出す。副官として極めて真っ当な補佐だった。
「今は無理だ」
ハーマンは短く切り捨てる。
「そんな事に、この戦線の戦力を割く訳にはいかん」
マップの向こうには、レッドリバーを挟んで帝国軍の陣があった。今はまだ大規模戦闘こそ起きていないが、空気は明らかに張りつめている。
「帝国軍に何か動きが?」
オコーネルが問う。
「いや別に……」
ハーマンは言葉を濁し、それから静かに続けた。
「ただな、少し悪い予感がする」
オコーネルは即座に地図へ視線を戻す。
ハーマンの“勘”は、付き合いの長い彼からすれば軽視できないものなのだろう。軽率に否定せず、即座に配置と補給の確認へ意識を切り替えていた。
◇ ◇ ◇
その不穏さは、牢の中にも伝わっていた。
「アーバイン、ここの奴等少し様子が変だと思わない?」
ムンベイが低く訊く。
「あぁ、妙に緊迫してるな」
アーバインが答える。
「この間のアタシの仕事も随分急ぎだったんだ」
「お前の仕事って言うと、帝国か」
「本当はレッドリバーの向こうに運ぶ筈だったんだけどねぇ」
「と言う事は此処が戦場になるな」
「たぶんね」
フィーネが首を傾げる。
「何で此処が戦場になるの?」
バンが言う。
「敵が攻めてくるからだろ?」
アーバインが鼻を鳴らす。
「フン、そんなんじゃ無いぜ。戦争してないと兵隊さんは仕方無いのさ。皆、戦いたくてうずうずしてんだ」
「それも違うわ」
ムンベイが肩をすくめる。
「戦争は金になるのよ。久しぶりに大儲けできそうだもの」
カレンは黙ってそれを聞いていた。
守りたいから戦う。
戦いたいから戦う。
豊かさを欲するから戦う。
どれも間違いとは言い切れない。
そしてどれも、綺麗事だけでは片づけられない。
フィーネはそういうものを、こうして少しずつ知っていくのだろう。
◇ ◇ ◇
ハーマンが再び牢の前に現れたのは、その日の夕方だった。
「小僧、お前の疑いは晴れた。あのシールドライガーはお前の物と認めよう」
「だったら早く出せよ!」
「いいや駄目だ」
ハーマンはあっさり言う。
「お前は俺の部下に刃向かった。もう少し此処で頭を冷やして貰わんとなぁ」
「チッ、あぁそうかい!」
バンが悔しそうに顔を背ける。
だがハーマンはそこで少しだけ表情を和らげた。
「だがな小僧。お前は中々見どころがある。その気があるなら此処から出して俺の下で働かせてやっても良い」
「ヘッ、冗談じゃないぜ。俺には色々やる事があるんだ」
即答だった。
ムンベイが横から口を挟む。
「大尉さん? アタシなら雇われてやってもいいんだけどぉ?」
「女、お前の冗談は何時も笑えん」
ハーマンは溜め息まじりに言う。
横ではオコーネルが軽く眉を寄せていたが、口を挟まない。上官と捕虜の会話に割って入るより、全体の流れを見ているのだろう。
「……ま、気が変わったらそこの看守に声をかけろ」
ハーマンが立ち去ろうとした、その時だった。
「どうした!? 一体何の騒ぎだ!?」
外から兵士の慌てた声が響く。
「例のゾイドが現れました! シールドライガーで基地の中を暴れ回っています!」
「何!?」
ハーマンが振り返る。
外では金属音と怒号が入り混じっていた。
ジークだ。
逃げ延びたジークがシールドライガーを奪還し、単騎で基地へ襲撃を仕掛けていたのだ。
「総員戦闘配備! プテラスの起動準備を急がせろ!」
ハーマンが命じる。
「……持ち主を助けに来たのか。意外に義理堅いゾイドだな」
その言葉に、バンの目が大きく見開いた。
「ジーク……!」
その一方で、隣の牢ではアーバインがすでに動いていた。
「何やってんだ? アーバイン」
「危ないから下がってろ」
アイパッチの裏から取り出した起爆信管と靴底に隠していた爆薬。アーバインは迷いなくそれを鉄格子の鍵部分へ仕掛ける。
小さな爆発。
鍵が吹き飛ぶ。
「なっ……!」
「今の内だ、行くぞ」
「おい! 三人はどうするんだよ!?」
「もう爆弾は無い。“後で”助けに来る」
「ふざけんなアーバイン! 三人を置いて行けって言うのか!?」
バンが掴みかかりそうになるのを、ムンベイが制した。
「アタシ達ならここで大人しく留守番してるさ」
「バン、ジークに会ったらよろしくね」
フィーネも落ち着いている。
カレンは少しだけ目を細め、バンへ短く言った。
「行きなさい。ここで全員がもたついたら、本当に逃げ道が無くなるわ」
バンは歯を食いしばり、それでも強く頷いた。
「……必ず助けに来るからな! それまで待ってろよ!」
「はいはい、期待しないで待ってるよー」
ムンベイが軽く手を振る。
バンはアーバインと共に牢を飛び出した。
◇ ◇ ◇
「ジーク!」
基地の一角で、バンはついにジークとシールドライガーに再会した。
ジークは嬉しそうにひと鳴きし、シールドライガーの装甲は月明かりの中で白く光っている。
「助けに来てくれたのか!」
バンがコックピットへ飛び乗る。
「んじゃな、バン! 無事に逃げ出せよ!」
アーバインはコマンドウルフを奪還しながらそう言った。
「待てよ! 一緒に行くんじゃないのか!?」
「状況が状況だ。俺は俺で動く」
そう言いかけたその時、基地奥から轟音が響いた。
「な、何だ!?」
共和国軍のゴルドスが、いきなり主砲を撃ち込んできたのだ。
「ふざけんな! 基地ん中で主砲ぶっ放すか普通!」
バンが叫ぶ。
アーバインも思わず顔をしかめる。
だが共和国兵士も焦っていたのだろう。ここでシールドライガーとオーガノイドを逃がせば、戦力的にも情報的にも痛手になる。
「今のはワザと外した! 次は命中させる、大人しく投降しろ!」
拡声器越しに兵士の声が響く。
「ヘッ! 生憎と、俺の相棒は大人しくするのが大嫌いでね!」
バンが吠え返し、シールドライガーは一気に加速した。
アーバインのコマンドウルフも横へ走る。
ゴルドスでは、その機動に追いつけない。
だがハーマンもそこで終わる男ではない。
「プテラス隊、追撃しろ!」
やがて夜明け前の空に、三機の飛行ゾイドが現れた。
「プテラス!? 三機もか!」
バンが顔をしかめる。
「奴等、本気の追撃部隊を編成しやがったな!」
空を飛ぶプテラスは、レドラーほどの格闘性能はない。だが上空からの射撃支援には優れる。地上のゾイドを追い込むには十分な厄介さだ。
「こっちに武装があれば……!」
バンが叫びながら、ミサイルスイッチへ手を伸ばす。
反応がない。
「ミサイルが無い!?」
「馬鹿野郎!」
アーバインが怒鳴る。
「捕虜の武装は取り外すってのは常識だろうが! やっぱりお前は何も分かってなかったド素人って訳だ!」
「だったらお前はどうなんだよ!?」
「俺のコマンドウルフは最初から弾切れだ!」
「じゃあどうすんだ!?」
「逃げる!」
「逃げる!?」
「そうだ! 逃げて逃げて逃げまくって、どこかで弾薬を補給したらそこで反撃する!」
アーバインの言い分は現実的だった。
だがバンの性格は、それを良しとしない。
「くぅぅっ……情けねえ!」
「他に手は無い! じゃあな!」
アーバインが別方向へ離脱する。
バンはそれを睨みつけ、そして空を見上げた。
ハーマンのプテラス隊が頭上を旋回する。
「無駄な抵抗は止めろ! お前たちに逃げ道は無い! 命までは取らん、大人しく投降しろ!」
「冗談じゃねえ!」
バンが吠える。
「行くぜ、ジーク!」
目の前には、切り立った渓谷の壁。
左右から迫る岩壁。普通なら袋小路だ。
だが、バンは違った。
シールドライガーが左の壁を蹴る。
反対側へ飛ぶ。さらに蹴り返す。
「何!? シールドライガーであんな動きが!?」
ハーマンが目を見張る。
ジグザグに、壁から壁へ。
三角飛びのように高度を上げていく。
通常のライガーでは不可能だ。
だがジークと合体した今のシールドライガーなら、不可能ではなかった。
「うぉぉおおおおっ!」
最後の跳躍。
白い獣が、空飛ぶプテラスへ飛び掛かる。
「まさか!」
激突。
一機目のプテラスが大きく傾き、そのまま二機目を巻き込んで落下していく。
「やった! 肉弾戦に持ち込んだぜ!」
バンが叫ぶ。
「プテラスを二機も!?」
ハーマンの声に、悔しさより先に驚嘆が混じる。
しかし、まだ終わりではない。
残る一機――ハーマンのプテラスは距離を取り直し、上空から再び狙いを定める。
「もうその手は食わん! 大人しく投降しろ!」
バンが歯を食いしばる。
「届かない……!」
その時、通信が割り込んだ。
「よく聞け、バン!」
「アーバイン!?」
「俺に考えがある。もう一度跳べ!」
「考えって何だよ!?」
「いいから黙って跳べ!」
バンは一瞬だけ迷い、それでも操縦桿を握り直した。
「……分かったよ! 行け、ジーク!」
シールドライガーが再び跳ぶ。
そしてその直下を、黒いコマンドウルフが疾走してくる。
「バン! コマンドウルフを踏み台にしろ! 今だ、もう一度ジャンプしろ!」
「解った!」
シールドライガーは跳躍したコマンドウルフの背を足場にして、さらに高く跳び上がった。
「貰った!」
「何!?」
完全に虚を突かれたハーマンのプテラスへ、白い獣がもう一度肉迫する。
激しい衝撃。
バランスを崩したプテラスへ、バンは躊躇なくもう一度食らいついた。
「終わりだぁぁぁっ!」
翼を裂かれ、機体は制御を失う。
渓谷の岩壁に激突し、火花を散らしてプテラスは沈黙した。
これで三機。
追撃プテラス隊は全機撃墜された。
「くっ……俺としたことが!」
ハーマンは呻いた。
その視界の端で、別の異変が映った。
河向こうの地平線。
土煙を上げて迫ってくる、大部隊。
「……あれは帝国軍!」
ハーマンの顔色が変わる。
「ついに動き出したか!」
こうなれば、悠長にバンたちを追っている場合ではない。
ハーマンは即座に撤退を決断した。
「全軍、基地へ帰投! 防衛線を構築しろ!」
バンは荒い息をつきながら、ようやくシールドライガーを止めた。
「サンキューな、アーバイン!」
「ふ、貴様に礼など言われる覚えは無い」
アーバインはぶっきらぼうに返す。
「あーそうかいっ……まあ良いや! あの隊長が基地に戻らないうちに、フィーネとムンベイとカレンを助けに行こう!」
「いや、すまんが俺は此処までだ。後はお前に任す」
「あぁ? なんでだよ?」
「大人の事情ってやつだ。気にするな」
アーバインはそう言うと、コマンドウルフを翻した。
「じゃあな、バン。あばよ」
「お、おい!」
呼び止めても、アーバインは振り返らなかった。
だが、その離脱が本当に薄情だからではない事を、バンも少しずつ理解し始めていた。
帝国軍の大部隊が動き出した以上、ここはもう本格的な戦場になる。
悠長に付き合えば、さすがのアーバインでも危険だ。
バンは少しだけ悔しそうに唇を噛み、それからシールドライガーの首元を叩いた。
「行こう、ジーク」
◇ ◇ ◇
その頃、基地では、帝国軍接近の報で場の空気が一変していた。
兵士達が走り、怒号が飛び交い、緊急展開の命令が続く。
その混乱の中で、別の騒ぎが起きていた。
「放せ! 何をする!」
低く、しかし取り乱しきらない声が響く。
ムンベイに腕を取られていたのは、若い共和国軍将校だった。
派手さはないが整った顔立ちに、軍人らしく隙のない身なり。年若く見えるが、軽さよりも先に目につくのは、几帳面さと生真面目さだった。現場で前に出て武功を立てるというより、状況を整え、指揮官を補佐し、部隊全体を滞りなく動かすことに長けた人間――そんな空気を纏っている。
オコーネル中尉。
ロブ・ハーマン大尉の副官であり、長く行動を共にしてきた腹心でもある。
普段は直情的になりがちなハーマンを穏やかに支え、補足し、時には先回りして面倒事を処理する。裏方の軍人としては極めて優秀な男だ。
もっとも、その分だけ上と下の板挟みになりやすい、中間管理職らしい苦労も背負い込んでいるのだろう。
「暴れないでよ、中尉さん」
ムンベイが軽く言う。
オコーネルは顔をしかめたが、無闇に暴れることはしなかった。自分が人質に取られている状況で、兵達を余計に混乱させるべきではないと理解しているからだろう。
「……君たち、自分が何をしているのか分かっているのか」
声音はあくまで抑えられていた。
感情任せに怒鳴るのではなく、まず状況を見極めようとする。そのあたりにも、彼らしさが出ていた。
「分かってるわよ。交渉でしょ?」
ムンベイがにやりと笑う。
その横ではカレンが兵士達を牽制する位置に立ち、フィーネは何故か妙に落ち着いた顔でその様子を見ていた。
そこへ、ハーマンが戻ってくる。
「何の騒ぎだ……オコーネル!?」
流石のハーマンも、副官を人質に取られて顔色を変えた。
オコーネルは情けない悲鳴ひとつ上げず、ただ短く言った。
「大尉、自分のことは構いません。部隊の統制を優先してください」
その声音は真面目で、抑制されていて、いかにも彼らしかった。
「何言ってんのよ。構われなかったら困るのはこっちなんだけど」
ムンベイが呆れたように返す。
「アンタ達、帝国と一丁やり合うんでしょ? だったら良い方法があるわよぉ?」
「一体何の事だ?」
「とぼけても無駄よ。悪い事言わないから、アタシ達と契約しない?」
ハーマンはムンベイを睨む。
「本当に帝国軍に勝てるのか? 敵は我が軍の三倍以上の戦力の大部隊なんだぞ?」
「まあ、なんとかなるんじゃない?」
「何を気楽な! このままでは我が軍は全滅してしまうんだぞ!」
ムンベイは肩をすくめた。
「そんな事、やってみないと分からないわ。ここはひとつアタシ達を信用して頂戴。ダメだったらお代は頂きませんから」
オコーネルが短く口を開く。
「大尉、時間がありません。現状で戦力差は圧倒的です」
その一言は、ムンベイの肩を持つためではなく、純粋に状況を整理したものだった。
ハーマンの感情が先走らないよう、最低限の現実を示している。いかにも副官らしい補佐だ。
「お前たちは一体何者なんだ……?」
ハーマンが問う。
ムンベイはにやっと笑い、胸を張った。
「へへ……アタシはぁ、荒野の運び屋さ~♪」
その横で、フィーネがぽつりと言った。
「ムンベイ」
「なんだい?」
「バッタみたいね」
「バッタ?」
「あのグスタフに立ち向かおうとしたバッタのこと?」
ムンベイは一瞬きょとんとし、それから可笑しそうに笑った。
「……そうだね。そうかもしれない」
巨大な相手に敵うわけがない。
そう言われても、それでも挑む。
気づけばムンベイの中にも、バンの我武者羅さが少しずつ移っていたのかもしれない。
その時、外から白い獣の咆哮が響いた。
「バン……!」
フィーネが顔を輝かせる。
カレンは口元を僅かに上げた。
「遅いわよ」
その声には、呆れと安堵が半分ずつ混じっていた。
シールドライガーが戻ってきたのだ。
ジークと共に。
戦場が、いよいよ本当に動き出す。
共和国軍、帝国軍、バンたち、そしてムンベイ。
それぞれの思惑が、このレッドリバー戦線でぶつかろうとしていた。
――とべ、ジーク。
それは空を飛ぶという意味だけではない。
閉じ込められた場所を破り、追い詰められた状況を跳ね返し、まだ見ぬ先へ向かうための、小さくて確かな力の名だった。