「でかっ!」
真実は教科書で散々見てきた東大寺の大仏に感動を覚える。
「はしゃぎすぎー」
「もう、ここでそんなに張り切ってたら金閣寺見たら気絶しちゃうよ?」
『彩葉言い過ぎ〜』
パシャパシャと写真を撮るその姿を微笑ましい目線で見守っているのは芦花と彩葉、そして首から紐でぶら下げた端末越しに映像を見ているヤチヨ。
三人はある意味では高校最大のイベント京都修学旅行に訪れていた。
その一日目は奈良の観光であり、本番は二日目の京都市内の自由観光になる。
「あ、鹿だ」
芦花の目の前に現れる一頭の鹿。
人がいる環境に慣れているのか恐れる事なく近づいてくる。
千年以上前から鹿は奈良や京都では縁起の良いものとして手厚く保護されてきた。結果として野生のはずなのに人や街中に小慣れてしまった。
「ひっ!」
『ひっ!』
そんな人に慣れた愛嬌溢れる鹿に対して彩葉とヤチヨはビビり散らかして後退りしてしまう。
「どうしたの彩葉?」
「ヤチヨから変な声が…」
二人は突然の反応に驚く。一体鹿の何を恐れているのかと。
「あ…」
彩葉は反射的な態度を取ってしまった事に気がついたのか顔を赤くしていた。
何度か鹿を見たことがあるというのに情けない姿を見せてしまったと。
「こ、これはね」
彩葉は恐る恐ると言った手つきで鹿の頭へと手を伸ばし撫でる。手から伝わる短い少し硬い毛の感触。
当然ながら鳴かれたり噛み付かれたりする事は無い。
「昔ヤチヨ…FUSHIが齧られそうになって…」
蘇る喰われそうになった記憶。鹿から必死に逃げて現地人に助けてもらった記憶。
そんな筈はないと分かっていながらもつい反射的な反応をしてしまう。
◎
『いやーこうして関西に来るのは久しぶりではしゃいじゃった!』
「へーヤチヨって奈良にいた事があるんだ」
八千年も生きていれば日本中どこにいてもおかしくはなく、真実は思った事を口にする。
『うん!宝物殿に忍び込んで以来!』
「うん、聞かなかった事にするね」
それを聞いた芦花は話題を切り替える事にする。
泊まることになる宿でのんびりしているいつもの三人組とヤチヨ。
特にヤチヨは正倉院から「もと光る竹」を取り返して以来の奈良に興奮気味だった。
「そういえばスマコンって使っていいよね?何かゲームでもする?」
真実はふと思った事を口にする。
いつも学校なら無断の使用は禁止されているが修学旅行ではそれも緩和されている。
理由の一つは京都の観光アプリと連携していれば現実拡張機能、つまりARのサポートでより充実した京都巡りが出来るからだ。学校はそれの使用を認めている。
「夕食後から就寝時間までならいいらしいよー、それ超えたら没収!」
芦花は髪を丁寧に乾かしてから美容液をゆっくり肌に馴染ませつつそう答える。
「……」
そして彩葉は疲れているのか夕食を食べて、風呂から上がるとあっという間に眠りについてしまった。
いくら朝が早かったとはいえ八時過ぎて寝るのは高校生としてはかなり早い。これは意図して早めに寝たのではなく体力が空になって眠りに落ちてしまっていた。
母親からのプレッシャー、高校に入ってからの無理なスケジュール、そしてヤチヨの記憶をインストールした代償の全てが彩葉の体を蝕んでいる。
『……』
改めてその異常な疲れやすさを目の当たりにするとヤチヨの胸は苦しくなる。
『彩葉は…』
今日に至るまでたくさんの人がかぐやの背中を押してきた。
そしてやっと再会出来たというのに。
(辛さを振り切って笑えない事もあるんだね)
いつかの誰かが伝えてくれた言葉。だが今は得意の貼り付けた笑顔もカラ元気も出る気がしない。
改めて彩葉のそのボロボロな体の状態を認識する。
あまりにも儚い。酒寄彩葉がかぐやと一緒にいてくれる時間はとても短い、短か過ぎる。
◎
『……』
紅葉は事務所で仕事で整理をしていたが、いつもであればあり得ないレベルのミスを連発してしまっていた。
それを見かねた同僚に気分転換をしろと無理矢理に午後半休にされ、上の空で帰り道の途についていた。
いつもであればそんな弱みなど見せないし、帰るなどあり得ないが今はそんな事は考えていられない。
『彩葉を傷つける人はいらない』
娘からの明確な拒絶の一言。
これまで彩葉は苦難を与えて突き放してもなんだかんだで後ろをついてくるものだと思い込んでいた。
どこかで自分は親で、相手は娘だから結局は戻ってくるとたかを括っていた。
だからこそ、その甘えと奢りに対して息子の一切の反論を許さない舌撃と、娘の明確な拒絶は酒寄紅葉を苦しめるに足るものだった。
(どうしたら…)
気がついた時には既に酒寄家という枠組みは崩壊してしまっていた。
それを本当に遅すぎるくらいだが察知したからこそ、朝日に弱みを見せてでも話し合いたいと思った。
彼女が求めてきた反発とそこから派生する自立の姿。
しかし今の子供達は自立とは違う道を選ぼうとしている。
それはまるで酒寄家や酒寄紅葉の存在という過去を恥と思い、無かった事にしようとするかのように。
『朝久さん…』
自身の夫であり、亡くなった最愛の人の名前を呟く。
酒寄という家も枠組みがなくなればその人が生きていた証もまた無くなるのだ。
これが酒寄紅葉のエンディングなのか。
実の親に捨てられても反骨心から下の兄弟たちを育てながら法学部に通い弁護士になりキャリアを積み続けた。
そして朝久という男性と出会い、結婚して子供を儲けて幸せな、自身が掴めなかった平穏で幸せな家庭を作れるのだと思っていた。
『何を間違えたの…』
しかし目の前にある現実は程遠い光景だった。
子供に対する態度が本人にとってどういうつもだったかなど関係ない。
目の前の結果こそが全てで何の言い訳も通用しないと。
これまでどんな壁が立ち塞がろうとも打ち破り乗り越えてきた。しかし初めて何をすれば解決するのか分からない現実に直面した。
『…?』
ここで携帯の着信が入る。
誰からの連絡だろうと彼女が画面を開くとそこには『彩葉』の文字が浮かんでいた。
『なっ…』
一番かかってくる可能性の低い相手からの連絡に思考が止まってしまう。
紅葉の頭を悩ませる相手から電話がかかって来て取るべき行動を考える。
朝日に勝手にコンタクトを取るなと忠告されたが相手からのコールは無効だろうと考える。
『彩葉を傷つける人はいらない』
そう告げた相手が今になって何を話そうとするのか。
(怖い)
そうしている間もコールの音は鳴り響いている。早くしろと急かすかのように鳴り響く。
『あ、出た。お母さん?』
『彩葉…』
重くのしかかる思いとは別に相手の声は何の気負いもないように感じた。
しかしそれは声色からそう感じただけ。今の紅葉に娘の心の機微を察する事が出来るだけの余裕などない。
『ちょっと相談したい事があるんだけど時間空いてる?今話すのが難しいなら空いてる時間を教えてもらえれば』
『時間空いてるわ』
即答だった。
あっさりと相手の話に食いついてしまう。
『そうなんだ?仕事中かなって思ってた』
彩葉のいっそ不気味なほどに普通の話し方。
相手が仕事中なのか考えられないのかみたいな小言が飛んでくると身構えていたため肩透かしを食らった気分になる。
つい先日のツクヨミでの出来事が丸ごと無かったかのような振る舞い。
『彩葉、私は』
何かを返さなくてはと思い言葉を紡ごうとする。しかし言葉を繋げることは叶わない。
『今度修学旅行で京都を回るんだけど三日目が京都駅周辺の散策で、出来たらその時顔合わせで会えない?』
それは一見すれば相手のスケジュールの確認作業なのだが言外に何が何でも時間を作れと告げていた。
紅葉はまだ予定を空けられるのか分からなかったが「分かった」と即答した。
◎
「すごいすごい!」
「本当に金色だ」
真実と芦花は初めて見る金閣寺に興奮。
イメージよりも輝いてはいないがやはり金色なのは間違いのない事実で携帯でひっきりなしに撮影する。
二日目の京都観光は順調なスケジュールで回っていた。
彩葉は久しぶりの京都特有の忙しなさもあり、多くの人の驚きの声が響く空間を肌で感じていた。
「二人とも写真撮ろうか?」
浮かれている二人に対してそのような提案をする。
しかしその提案を受けても頷かずに互いに顔を見合わせる。
「どうせなら」
彩葉のそばまで駆け寄り手を取る芦花。
「一緒に撮ろう!」
真実はそばにいた観光客の一人に撮影してもらうように頼む。
そして彩葉を真ん中に背景を金閣寺に腕を組む。
『はいチーズ!』
ヤチヨの少し古い掛け声と共に三人と彩葉のスマホに写るヤチヨとの集合写真が撮られる。
◎
『ここでよく人が落ちてた』
ヤチヨは清水寺の舞台を見て呟く。何かを噛み締めるような思い出しているようなそんな雰囲気。
「たしか死刑とか何だっけ?」
「違うよ」
彩葉は芦花の呟きに対して否定で重ねる。
「そうなの?」
「勿論それもあるけど、ここは処刑場じゃなくてお寺だよ」
清水寺はあくまでも宗教的な組織に属する施設でしかない。
「この舞台の高さは大体十メートルくらい。そして地面は柔らかい土だよ。敢えて頭から落とすとかしないと死なない」
彩葉はまるでその現場を見たかのようにそう語る。
過去に命を散らした人も確かにいて、その事実は心を軋ませてくる。
「じゃあ何で…」
「度胸試し。要は仏様の加護があるなら自分は助かるはずだって理論。いつの時代も変な人はいるってことだね」
まだ神聖な存在が強く信じられていた時代。
神や仏の力が信じられ、救われると思われていたからこそそのような無謀な事をする人がいた。
「かぐやは…」
必死に止めたが、殆どの人は聞く耳を持たなかったのだ。
「そんな事は忘れて写真撮ろう!」
彩葉は重くなった空気を振り切るようにそう提案した。
◎
修学旅行最終日、彩葉は待ち合わせ場所に指定している京都駅北口で母親である紅葉を待っていた。
「早く来すぎた」
別にそこまで会いたいとか焦がれているわけでもなかったが遅かったり、時間ギリギリだとあれこれ言ってきそうな為に早めに来たが流石に三十分前は早すぎた。
彼女は今更母親に怯えたり一歩引いたりする気はないが、無駄なやり取りを可能な限り避けたいためにこのような行動をとった。
(めんどくさいな…)
ぼんやりと空を眺めながらもう帰ろかななんて思考に入ってしまう。
昔は約束を破ったり遅刻するような怠惰な人間を彩葉は理解出来なかった。
しかし今ならば理解できる。単純にめんどくさいのだ、怠惰ではなくひたすらに億劫で仕方ないのだ。
「理解できる日が来るなんて…」
これまでそんな思考すら持たなかったのに随分と丸くなったものだと思う。
そして同時にあの母親には理解出来ないだろうなとも思う。
「早いのね」
ぼんやりと空を眺めていると声がかけられる。
「お母さん」
視線を声のした方へと向けるとそこには紅葉がいた。
しかし彩葉は一年半ぶりに見る親の顔を見ても何の感慨も湧かなかった。
(やっぱりそうなんだ)
やっと気がついた。
あの日、かぐやがいなくなってから数日後の夜。母親に自分から電話をかけて口論になった末にある程度の妥協を出させた日。
親に対して怖気付かずに言いたい事を言えたというのにどこか釈然としなかった。あそこまで親に認められることにこだわったというのに。
(私の中でのお母さんの位置はもう相当低いんだ。もういいんだ)
今の彼女の優先度はヤチヨにかぐや、そして芦花と真実と言った友人に比重が置かれている。
「どうする?ここで話す?それとも座れそうな喫茶店でも行く?」
そんな内心を極力表に出さずにそんな提案をする。