酒寄彩葉は再生を目指す   作:高町廻ル

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夢のような世界

「ふわぁ〜」

 

 彩葉はベットの上で目が覚めた。

 まだまだ寝足りないのか二度寝をしそうになる。しかしそれをしてしまうと叱られる事間違いなしなので何とか布団をはぐり起きる。

 少しだけ手で髪を解いてから一階のリビングに向かう。

 

「おはよ〜…」

 

 少しだけだらしなさの残る朝の挨拶をしながら入ると既に父と母、そして兄と家族全員が揃っていた。

 

「彩葉!朝だからってだらしくしない!」

 

 母の紅葉はいつものだらしないその態度に声を上げて注意をする。

 もちろん言っている事は正しい、間違っている所など微塵もない。

 

「まぁまぁ紅葉さん、彩葉は朝が苦手なんだよ。それでもきちんと起きてこうして来てるでしょう。まずはみんなでいただきますをしよう」

 

 しかしここで小言がヒートアップする前に止める人物。つまり酒寄家の家長にあたる朝久が割って入る。

 

「…はぁ、そうね」

 

 実際だらしがないのはそうだが時間は守っている。やるべき事はしている。

 第三者にそれを指摘されてしまっては熱くなる自分がみっともないだけだった。

 

「彩葉命拾いしたな」

「べっつにぃ、計算通りだし」

 

 席に座る彩葉に対して半眼で指摘する朝日。

 それを受けても彩葉はしらーっとした態度で受け流す。

 これが酒寄家の日常だった。

 

「ん?」

 

 食事を摂りながらもふと彩葉はテレビ台に飾られている写真を見る。

 そこには誕生日に撮ったもの、学校の運動会での家族でお弁当を食べている時のもの、去年の文化祭の際に撮った写真も飾られている。

 家族写真が所狭しと置かれている。

 

「そこもいっぱいね」

 

 娘の視線に気がついた紅葉はいつもは険し目な眉を少しだけ柔らかくしてそう言った。

 

「そうだね。今度写真を飾る棚でも買おうか」

 

 朝久はそんな紅葉を見て楽しそうにそんな提案をする。

 

「…あれ?」

 

 彩葉はここまで流されていて気が付かなかったが食事に異変が起きている事に気がつく。

 

「どうしたのかしら?」

「いや、なんか…」

 

 紅葉から質問をされるがじわじわと襲って来る違和感が彩葉を捉えてしまう。

 

(味が…しない?)

 

 目の前には湯気が立つ朝食が置かれていて美味しそうなのに。

 

「今日は彩葉が好きな物にしたのだけれど…」

 

 紅葉は何か間違えたかと考え込んでいた。

 彩葉は相手にそんな深刻そうな顔をさせてはいけないと何とか言葉を紡ごうとする。

 

「い、いや!そんな事ないよ!私の好きな…」

 

 しかし言葉がそれ以上出てこない。出てくれない。

 

「あ、れ」

 

 考え込む。

 目の前にあるのは白米、味噌汁、卵焼き、そして魚の塩焼きととても美味しそうだった。

 好きといえば好きだが、自分はそんな事言っただろうか?そもそもいつ朝食を食べて好きだとアピールなんてしただろうかと。

 

(思い…出せない…)

 

 昨日か、それとももっと前の話なのか、この献立の中でいつどこでそんなことを口にしたのか思い出せない。

 潜る。頭の中にあるはずのその記憶を掴もうとする。

 そもそもこんな普通の家族団欒の場面などあっただろうか?

 

「…ッ」

 

 ズキリと突然頭に痛みが走る。顔を顰めてしまう。

 

「え?」

 

 突然頭がクリアになり疑問がフッと湧く。私はこの光景を見てきたのか?と。

 家族みんなで食卓を囲む朝。

 父も母もそして兄がみんなで笑顔で囲んでいる食卓。

 気負いのない家族での会話。

 本当にこの日常が酒寄彩葉の知っている酒寄家の当たり前なのかと。

 そこでピンポーン!とその思考を遮るようにインターホンが鳴る。

 

「あら?」

 

 紅葉はこんな朝に訪ねて来る人がいるなんて珍しいなと立ち上がりモニターを見にいく。

 モニターに映っていたのは高校の制服に身を纏った月見ヤチヨその人だった。

 

「ヤチヨさんじゃない」

『彩葉を迎えに来ました!』

 

 紅葉は相手を見て玄関へと迎えに行く。

 そしてドタドタと騒がしさを運ぶ足音が響き渡り、そしてリビングと廊下を繋ぐ扉が勢いよく開けられる。

 

「彩葉―!!」

 

 落ち着いた朝のリビングの雰囲気など吹き飛ばす程の声量でヤチヨが中へと飛び込んでくる。

 

「早くしないと遅刻するよ!」

 

 チラリと時計を確認するがまだ十分なだけの時間はあった。遅刻で催促される程に切迫した状況ではない。

 

「まだ時間あるでしょ。それに朝ごはんも着替えてもないし」

「無いよ!」

 

 ヤチヨはずいっと踏み込んで彩葉に迫る。どこか必死めいた焦っているような雰囲気を纏わせて。

 

「あるでしょ」

 

 そんな相手の態度を見ても特段気にもせずにさらりと言い放つ。

 

「無いよ!ほら急いで!」

「あ!ちょっと!それ私の!」

 

 ヤチヨにあわや朝食を取られそうになる彩葉。

 そうやってわちゃわちゃとしながらも家を出る事になる。

 そしているうちに感じていた違和感は消えていた。

 

 

「でねー、そこでヤッチョは言ってやったわけよ!」

「あはは」

 

 ヤチヨと彩葉は他愛のない会話をしながら学校へと向かっていた。

 いつもの日常、いつもの通学路、そしていつも目にする校舎が見えてくる。

 

「はら?」

 

 ヤチヨは宙に視線を向けながらボソリと呟く。

 

「どうしたの?」

「いやねー…彩葉と話してるとあっという間に時間が過ぎちゃうね」

「なにそれー」

 

 彩葉は苦笑いを浮かべながらもそんな返しをする。

 

「おーい彩葉、ヤチヨ」

「おはよう彩葉とヤチヨ」

 

 そんな二人に話しかけてくるのは校門前でたまたま顔を合わせた真実と芦花だった。

 

「やあやあ、いつも熱々ですな」

 

 芦花は二人一緒に登校する姿を見て弄り気味にそう表現した。

 

「そうなの!」

 

 ヤチヨは彩葉の腕をぐいっと抱き寄せる。

 

「彩葉とは永遠の仲なのです!」

 

 彩葉に対して抱きつきながらそう宣言する。

 少しだけ必死さのあるその態度に対して三人は苦笑いする他ない。

 

(ヤチヨは昔から…)

 

 前からヤチヨのそんな言動に振り回される三人という構図が出来上がっている。

 

(真実も芦花も昔からよく付き合ってくれ…)

 

 ここで彩葉はピタリと固まった。

 何か重大な見落としをしている様な気がしたのだ。

 

「彩葉?」

 

 ヤチヨがそんな態度を見て不審そうに覗き込むが彼女にそんな余裕はない。

 真実と芦花は高校進学から仲。彼女は上京して関東の高校に進学してそこで出会った。

 

「私…なんで家から出て…あ、れ…?」

 

 先程彩葉は実家から登校したはずだった。

 そもそも彼女の実家は関西で、何故そこから東京の学校に通学出来るのだろうか?

 

「彩葉…?」

 

 不安そうに、そして心配そうに彩葉の顔を覗き込むヤチヨ。

 

「ヤチヨ…」

 

 相手のその心配そうにしてくれる表情だけで胸が温かくなる。

 いつも自分を心配してくれるヤチヨ、いつだってそばにいて寄り添おうとしてくれるそんな相手。

 

(あ…)

 

 いつもとはいつからだろうか?とそんな疑問にぶつかる。

 思い出そうにもヤチヨと初めて会った日が思い出せない、それどころかいつからの付き合いなのかすら思い出せないのだ。

 小学生の頃?それより前の幼稚園?いや、中学からか。彩葉はヤチヨといつ出会ったのか不思議と記憶がなかった。

 

(いや、違う…)

 

 思い出せないのではなく、そもそも存在しないかの様な。

 

「ね、ねぇ!」

「おわっ」

 

 ヤチヨは何かに焦ったのか大きめの声を出して彩葉に対して呼びかける。

 

「そう言えばヤッチョ宿題忘れちゃった!」

「ええ?」

 

 まるで今思いついたかの様な言い分に驚く。

 

「助けて彩葉!」

 

 ヤチヨは彩葉の両手を包み込む様に握りながら瞳を潤ませて頼み込む。

 真実と芦花はそれを見て呆れた様な態度を取る。

 

「いや、ダメだよ」

「えー」

「ほら手伝ってあげるから教室行くよ!」

 

 彩葉はヤチヨを連れて教室に向かう。すっかり頭に浮かんでいた疑問など忘れてしまって。

 

 

 三限目の授業が終わり、皆があと一時間の辛抱だと思っていた。

 

「……」

 

 彩葉はぼんやりと今日の授業について反芻していた。

 日本史、古典、現代文と文系のオンパレードをサボることなく緊張感を持って臨んだ。

 しかし何か変な棘のような、気持ち悪い感覚が頭から振り払う事が出来ないのだ。

 

「あれっ?」

 

 ふと教室の壁に張り出している時間割を眺める。

 日本史、古典、現代文、英語、世界史と並んでいる光景に途方もない違和感がある。

 

「私…文系だっけ…?」

 

 その瞬間、ドクリと心臓が跳ねるような感覚が襲ってくる。

 彩葉は慌てて自分の鞄の中に手を突っ込み教科書やノートを取り出していく。

 

「え?」

 

 その中に一冊の教科書が目に止まった。

表紙には「数学III」と書かれている。

 彩葉は弁護士である母親を追いかける形で文系の道を進んでいたはずだった。数学IIIは本来不要であるはずの系統のはずなのだ。

 

「わかる、見覚えが…」

 

 パラパラと教科書をめくると複素数平面、微積分、関数極限を勉強した記憶が確かにある。

 それらは理系の難関校を狙うのに必要な学問で、法学部志望のはずの彩葉には必要のないはずだった。

 

「じゃあ、なんで」

 

 彩葉は震えながらも決定的な一言を発する。

 

「私は文系のクラスにいるの?」

 

 やはり教科書を読んでも勉強をしたという記憶はある。

 しかしいつ何処でしたのかが抜け落ちている。

 そもそも受験は?志望校は?模試は?担任との面談は?進路調査表は?

 

「…うっ」

 

 ズキリ!と何度か襲ってくる頭の痛みに顔をしかめる。

 

(私は…そうだ…理系だった)

 

 この感覚だった。

 何かを思い出そうとするような、重い扉をこじ開けようとするような感覚。

 

「彩葉熱心だね」

 

 突然隣から声がかけられる。

 

「え?」

 

 思考の沼にハマっていた彩葉に話しかけたのはヤチヨだった。

 

「ね、ねっしん?」

 

 いったい何を言っているのだろうと聞き返す。

 

「うん、だって授業終わったのにもう復習してる」

「え?あ…」

 

 そう言われて黒板を見るとそこには現代文の内容ではなく、数IIIの積分の例題が書かれていた。

 周りを見るとクラスメイトたちは数学の教科書や問題集を開いていた。

 

「え?」

 

 いつから数字が並んだ?先程まで現代文が並んでいたはずなのに。

 彩葉はなんとか違和感を掘り下げようとする。この気持ちの悪いものをハッキリさせようとする。

 

「いやー、毎日数字ばかりで嫌になっちゃうね!」

 

 そんな思考の霧を晴らすかのようにヤチヨは明るくそう言った。

 

「え?」

 

 毎日という言葉に反応する。

 

「彩葉…大丈夫?」

 

 ヤチヨが心配そうに相手の顔を覗き込む。

 心配そうな顔、優しい声。それを認識すると不思議と頭に響く痛みが和らいでいく。

 

「ありがとうヤチヨ、大丈夫だよ」

 

 彩葉は少しだけ疲れはあったが明るい笑みで返した。

 

「いやー、受験疲れって言うの?大変だね、ヤチヨは真似出来ないや」

「受験…?」

 

 ヤチヨの何気ない言葉、受験という単語は理解出来る。

 理系、数学、受験。その全てが理解出来る。

 そして先程までの文系の記憶がまるで鍵をかけられたように、そしてそれを疑問に思う気持ちが霧でも晴れるように霧散して消えていく。

 

 

「ちょっと寄りたい本屋がある」

「じゃあヤッチョもお供する!」

 

 彩葉とヤチヨは帰り道の本屋へと足を向ける。

 変哲もない書店で穴場スポットでもなければ、繁盛して人で埋め尽くされてもいない塩梅の店。

 

「あったあった」

 

 目当ての単行本を見つけて満足する彩葉。

 その時、ふとなんとなくだがあまり足を踏み入れない場所に行こうかと思った。

 

「懐かしー…絵本のコーナーだ。こんなところにあったんだ」

 

 子供用の書籍が並ぶ場所を見つけた。

 懐かしいと呼ぶには小さい頃の絵本を読んだ記憶など人は保持していないものだが、とにかく絵本というのはそういう感情を想起させるアイテムではある。

 

「ん…?」

 

 彼女の目に留まったのは「かぐや姫」というタイトルの本だった。

 

「かぐや…」

 

 ドクンと心臓が跳ねる。

 泣きたくなるようなその響きに胸が苦しくて、痛み始める。

 何かとても大切なもののはずなのに、後少しのところで出てこない。

 

「…あ」

 

 脳裏に過るのは金色の髪、笑顔、涙、嗚咽、そして優しい声。

 

「か…ぐ…」

 

 頭の中にある重く閉ざされた扉が後少しで開こうとしていた。

 あと少し、あとほんの少しでその扉に手をかけて開く事が出来る。

 ここでズキリ!!と頭から最大級の激痛が走る。

 

「うっ…!」

 

 彩葉は頭を手で押さえて必死に争う。

 しかし考えることはやめない。

 

(知りたい…!)

 

 かぐやは誰?

 あの優しい金色の思い出はいったい何なのか?

 そして切なくて苦しい涙は何故?

 

「彩葉?」

「え?」

 

 しかしここで割り込んで来たのはヤチヨだった。

 

 

「へ?ヤチヨ?」

「どうしたのかな?」

 

 ヤチヨは何やら考え込んでいる彩葉に対して話しかけてくる。

 

「え、いやこの本…」

「その本がどうしたの?」

 

 彩葉は絵本を手に取るとヤチヨに見せるが相手は不思議そうに見ていた。

 

「え?」

 

 彩葉が手に取っていた本は真っ白だった。

 表紙の絵も、文字も、中身も全て真っ白の紙の束だった。

 

「どうしたの?そんな紙持ってさ」

「いや、でもさっきまで…」

 

 さっきまで何があったのか、彩葉すでに思い出せなかった。

 何を考えていたのだろうか、何かに引っ掛かって手を止めたはずなのにそれが思い出せない。

 

「変な彩葉」

 

 ヤチヨはくすくすと笑いながらそう言った。

 

「白い本買うの?」

「買わないよ」

「そういうアートだったり?」

「違うし」

 

 彩葉も不思議と笑っていた。

 そしてその笑いと一緒に違和感も流されるように消えていく。

 

「帰ろうよ」

「うん」

 

 そう言って白い本を本棚に戻してしまう。

 何を見たのか、何が気にかかったのか、何を思い出しかけたのか。

 その本を手放した瞬間、そのことすら彩葉は忘れてしまった。

 

 

 二人は夕日に染まった道を歩く。

 他愛のない会話をしてから二人は別れの挨拶をして駅でそれぞれの帰宅の道につく。

 

「…間に合った」

 

 ヤチヨは駅のホームへと消えていく彩葉の背中を見ながら、震える声で安堵の息を吐いた。

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