「平気だよ…っと」
彩葉はヤチヨと真実と芦花の三人へメールを送る。
後者の二人は放課後にお見舞いに行きたいという内容だったが、明日の朝には退院する上に一応外傷は無いため断っている。
「さて続き続き」
スマホを手放すと参考書に視線を落とす。
彼女はこれまでの危機迫る雰囲気は薄れて、リラックスして勉強に打ち込めている。
これからはバイトの時間を勉強や睡眠に割く事が出来る。
それだけでなく友人二人に対して自分から遊びに誘ってみるのも良いかもしれないと思う。
上京する際の条件は、基本的な生活費等はバイトで稼ぐ事となっていたためその約束を守るべく必死にやりくりをしていた。
しかしこれからは兄が金銭面で援助する事になり、多少は余裕のある学生生活を送る事になる。
勿論ここまでしてもらって受験に失敗などあってはならないため相応のプレッシャーはある。
「ありがとう」
ボソリと兄へ感謝を述べる。
月人との戦いの時の様に、いつだって味方でいてくれる存在が必ずいる事実は凄く心を軽くしてくれる様な気がしていた。
「ん?」
こうして気合いを入れて勉強を頑張ろうとした矢先にメールの通知音が届く。
いつもなら無視して勉強に打ち込むところだが何故か胸騒ぎがしてついスマホを取ってしまう。
そのメールはヤチヨからで、内容はツクヨミ内での位置情報のリンクだった。
「ヤチヨ?…来てってこと?」
彩葉はリンクそのものを記憶しているわけではない。しかしこの手のメールは何度か送られて来ている。
それはヤチヨが住んでいるツクヨミの住所なのだ。
あの電脳世界で一番高い場所にある天守閣で、誰も到達出来ない不可侵の空間。
これまで多くのユーザーがあの手この手で入ろうとするがネズミの一匹すら入り込む隙間の無い鉄壁の城。
RPGであればラスボスの部屋だがツクヨミはそんなゲームでもコミュニティでも無い。
そしてその数少ない入り口が送られて来たリンクなのだ。
悪用されるのを避けるために毎回使うたびにコードが変わるのと、送られてから五分でメールそのものが消滅する様にプログラムされている。
「やっば…!」
彼女は慌ててスマコンとスマホを持って近くのトイレまで急ぐ。
そして個室を一つ陣取ってから目を瞑り機械を起動する。
◎
彩葉が目を開けると彼女の姿は先程の病院の患者服ではなく狐耳を携えた和風テイストに変わっていた。
普段周りから「いろP」と呼ばれている姿になる。
「あ」
無数の灯籠が部屋うっすらと照らす、それは優しさと居心地の良さを演出すると同時に寂しさも同居している。
そして目の前にはこの世界の主がいる。
「コンヨロ〜」
馴染みのあるような無いような挨拶がかまされる。
その部屋の主人であるヤチヨが彩葉の前に少しだけ距離を空けて立っていた。
「こ、コンヨロ?何それ?」
彩葉はこれまで聞いた事の無い挨拶のタイプにたじろぐ。
ヤチヨの中身がかぐやである事は重々承知している。
中身がというよりは長い時間をかけてヤチヨという一面を獲得したという方が近い。
彼女からすれば同時に長年憧れを向けていた無敵のネットアイドルである為か、それを前についつい緊張してしまうのはもはや生理的現象に近い。
「これはねー最近挨拶がマンネリ化したのでヤッチョはいろいろ考えているのです」
「挨拶は奇を衒う必要はないと思うよ」
最初から奇抜な事をしても白けるだけだろう。
一、 二回だけならやっても面白いかもしれないが。
「あとコンヨロはこんにちはとこんばんはのどっちなのか見分けつかない気がする」
正直配信の大ベテランにこんな事を言うのもどうかと思ったが。
ヤチヨはその指摘に対して「そう?じゃあやめとこ」と呟いており、気を悪くしている風ではない。
「どうしたのヤチヨ?」
彩葉は雑談を切って本題に入る。
相手は現在彩葉が検査とはいえ入院しているのは知っているはずで、スマコンを使って会おうとするのはかなり緊急事態なのではと身構える。
「えっとねー淋しいから会いたくなっちゃった」
コケティッシュさを感じる流し目をしながら彩葉に対して微笑む。
その視線をこんな間近で受けたら男はイチコロだろう。
「そ、そう」
一瞬ぽやーっとしてしまうがヤチヨがそんな理由で入院中の人間を呼び出すはずもない。
「い、いやいや…そんなわけないでしょ」
なんとか気を強く持つ。
ここで変に流されるのは彩葉の美徳と悪い癖だ。
「淋しかったのはホント。だって丸一日も彩葉と話せなかったんだもん」
ヤチヨは八千年の時間を埋めるかの様に彩葉と隙あらば話そうとする。
勿論彩葉の時間をあまり喰わない様に寝る前の十分だけや、寝落ち前提の通話などなどまるで遠距離の恋人の様な。
「体大丈夫だったの?」
相手の気にしているのは当然彩葉の体調についてだ。
病院に運ばれたと聞いた時は生きた心地がしなかったはずだ。
「うん、ちょっと疲れて倒れちゃった。ありがとう、ヤチヨがお兄ちゃんに連絡してくれたおかげだよ」
素直な感謝を伝えると共に事の真相は極力話さない。
「ふぅん…」
しかし何かを感じたのか胡乱げな視線を向けてくる。
「な、何かな?」
その圧にたじろいでしまう。
目つきが鋭くなりゆったりとした口調で話し始める。
「知ってる彩葉?人間の瞳は嘘をつく時と緊張から網膜の表面が乾く性質があるんだよ。だから涙腺から流れる乾燥防止の分泌液を全体にまぶす為に眼球をぐるりと回しちゃうんだよね。いわゆる生理的現象なんだけど」
「えっ嘘」
彩葉はそれを聞いて慌てて目の方を手で抑えてしまう。
「うん嘘、でも彩葉何かまだ隠してるね」
「……」
あまりにも生きて来た年季が違いすぎて泣きそうになる。
「はい、一部黙ってました…」
みっともなく瞬時に白旗を上げた。
「何があったの?」
「味覚と睡眠障害があるって言われた」
「そう…」
その報告を受けたヤチヨは沈痛そうにしていたが驚いてはいなかった。
恐らく無垢だった頃のかぐやの時からどこか彩葉はおかしいなと思っていたのだ。
「なんとなく予想してた?」
その辺りを察して問いかける。
「うん、彩葉は昔から病んでたし一緒に暮らしてた時も変だなって思ってたから」
極力暗く、そして深刻にならない様に言った。
「バイト辞める事になった」
「えっ?」
ヤチヨは今日一番驚いた。
彩葉が学校が命より大事な人間なのは知っていたが、その次にお金を重要視する人なのは知っていた。
その頼みの綱を捨てた事に驚きを。
「でもお金はどうするの?あ、かぐやがあげたやつを切り崩すの?」
「それ…勝手にスマコン代を人の貯金から買った人とは思えない」
「うっ」
二人の脳裏に蘇るあの日の十二万円の散財。
当時のかぐやは分かっていなかったが、いきなり現れた宇宙人にそんな大金を使われて半泣きになって怒りを自己完結させた彩葉は相当に悟りを開いていた。
「生活費はお兄ちゃんが出してくれる事になった」
ヤチヨはそれにも驚いた。
お金を出してくれる事ではなく、彩葉がその条件を受け入れた事実に。
(敵わないなぁ…)
他人に頼った事に嬉しさを感じると共に悔しさもある。
仮にヤチヨが生活費を払うと言ったら断っていたはずだ。彩葉はヤチヨとは対等の関係でいたいからだ。
兄だからこそ妥協させる事が出来たのだ。
タワマンの家賃はかぐや貯金とヤチヨで払っているが、それはいつかはそこに帰りたいという願いを伝えている為妥協させる事が出来た。
「当面は投薬治療で悪化を抑える事になったよ。あとはバイトの時間を睡眠に充てろって」
「そうだね、それがいいとヤッチョも思う」
分かりやすくホッとした相手の表情を見て彩葉も荷が降りた気分になる。
そして同時に罪悪感。
(八千年の記憶を受け入れたから脳機能に障害が残りましたとは言えない)
幸いなのは日常生活を送る分にはさしたる問題は残らない事だ。
相手の安心した顔を見ていると当面は言えやしないなと思う。
「でもちょっと残念だなー」
「残念?」
その残念は当然彩葉の容体についてではない。
「今度ツクヨミ内でライブの予定組んでるんだけど」
「へー」
それは楽しみだなと相槌を打つ。
ヤチヨのライブはかなり競争率が高い。
「彩葉にはね、一番近い特等席を用意してたんだけど」
「え、なに?特等席?」
それは楽しみだが縁故で特等席を用意してもらうのはさすがに一人のファンとしてひける部分はある。
彼女の友人である真実は彩葉の兄がブラックオニキスのメンバーだと知っても、決して会いたいや紹介して欲しいとは言わない。
それは彩葉の事をあくまでも友人でいたいというスタンスや、かぐやの騒動でその余裕が無くなった事もある。
しかし一番の理由はファンとしての推しとの距離感を大事にしているからだ。
彩葉とてかぐやのわがままと頑張りを見ていなければヤチヨカップであそこまで踏ん張らなかった。
「かぐや、ありがとね」
彩葉は自然と感謝の気持ちが口から出た。
「…へ?なにを?」
それを受けたヤチヨは話すのをやめて一瞬だけ間を空けてからなんとか返事をする。
「私を無理矢理でもヤチヨカップに参加させてくれて」
常に巻き込まれて愚痴っていた記憶しかなかったが今なら間違いなく参加して良かったと胸を張って言える。
「でも…今思えば彩葉の大切な時間もお金も使っちゃったなーって…」
「自覚あったんかーい」
つい嘆息してしまう。
「ほんっと大変だったし、勉強は遅れるわ、貯めたお金は無くなるわ…」
ヤチヨの前だというのに自然と愚痴が出て来てしまう。
当然相手は肩身が狭そうにしている。
「でも楽しかった…」
今ならば素直に感謝が出てくる。
赤子を電柱から拾い上げてからの、あの忙しない二ヶ月間は彩葉の灰色の生活の中で一際輝いていた。
「ごめんごめん、話の腰を折ったわね」
元々の話の本筋はヤチヨの言う特等席の話だ。
「悪いけどいくらなんでも他のファンの人に悪いから特等席は断る」
ビシッと手を挙げて宣言する。
普段の付き合いならともかくイベントまで他のファンを押し退けてまで席を取ろうとは思わない。
酒寄彩葉はそこまで傲慢ではない。
「んふっ」
一方のヤチヨはそのリアクションを見て楽しそうに微笑む。
「え、なに?」
彩葉は自身が何か変な事を言っただろうかと思う。
「実はねーヤッチョのライブの伴奏をいろPにして欲しいなって」
「へっ…?」
世界一近い観客席はヤチヨの真隣だった。
彩葉はその提案に当然驚きで表情が崩れる。
「でも…」
ここで朗らかさが無くなり沈痛な表情になる。
「彩葉の病気を考えたら無理はダメだよね」
楽しく一緒にライブをしたい気持ちに嘘はない。
しかし昔のかぐやだった時と違い今のヤチヨはゴリ押す様な真似はしない。
「彩葉は体を休めてさ、良かったら観客席で」
「いいよ、伴奏やる」
彩葉は迷う事なくその申し出を受けた。
「い、いいの?」
「うん、いいよ。楽しそうだし、受験勉強の息抜きでやる分なら」
これまでのゴリ押しで断れずなし崩し的にやるのではない明確な肯定の意思がある。
「そうだ、かぐやの時に歌ってた曲をヤチヨでカバーとかしてみる?」
「いいの!?」
その提案に対して相手はずいっと顔を近づけてくる。
「わっ近い。そもそも持ち歌でしょ」
憧れの顔面が突如近づいてきてつい驚くが、相手のその喜びようを見て提案してみて良かったと思う。
兄の援助のおかげで時間的な余裕は作れる。
受験勉強と並行しながらライブの用意をするのはさほど難しい話ではない。
誰もが羨み憧れを向けるハイパー高校生酒寄彩葉にとって楽勝すぎるミッションだ。
「やったー!」
嬉しそうにぴょんぴょん跳ねているヤチヨを見やりながらライブ当日を楽しみにする。