―あくる日、もあくる日も、あくる日も
『もう…何年くらい経った…?』
かぐやは既に日にちと時間の感覚を喪失していた。
彼女が人間であればとっくに干からびてミイラになっていてもおかしくないだけの時間は経過している。
それなのに死ねない理由は単純で月人は寿命による死の概念が存在しないからだ。
『救援は…来ない』
月人が助けにここに来る可能性は限りなくゼロに近い。
そもそも迎えに来ない様にアレやコレやと手を回したのだ。
現在のかぐやは「もと光る竹」と呼んでいるタイムマシンが破損して外部への脱出が不可能になっており、肉体を喪失して動く事すら出来なくなっている。
―退屈で寂しくって悲しくって
『彩葉…ここに居ないの…?ヤチヨ…八千年生きてるんじゃないの…?』
体を動かす事も出来ず、海の流れやただ雲が動くのを眺めるしか出来ることがない。
誰とも話す事が出来ない。
―泣きまくって叫びまくり
『あああああああぁぁぁ!!!誰かぁ!?たすけてぇぇぇ!!!』
存在しない体の頭を抱えて、もう何度行ったのかすら分からない程に回数を重ねた発狂を繰り返す。
―八つ当たって
『ああ!!そうだよ!!彩葉がっ…!』
彩葉が歌なんか作って自分に聞かせて地球に戻りたいなんて思わせたから。
かぐやはそう言おうとした。
『っ…!ふっ…!ぐっぅ!!』
しかし言えなかった。
それだけは言えなかった。
それを口にした瞬間、もう何もかも失ってどこにも帰れなくなる様なそんな気がした。
彩葉と一緒にいた二ヶ月の輝いていた思い出だけは絶対に守りたかった。
―それも飽きて死にたくって
『誰か殺してよ…』
今のかぐやには自死を選ぶことすらできない。
こうしてかぐやの一日は過ぎ去っていく。
昨日も今日も明日も同じ日が続いていく。
『…この一瞬を…最高のパーティーに…しよう…』
何度呟いたのかすら忘れるほどに擦り切れた歌詞を口ずさみながら。
◎
「かぐっ!」
彩葉は布団から飛び起きる様に起きた。
体はぐっしょりと濡れて額からもとめどなく汗が流れている。
そしてお腹の底から何かが込み上げてくる。
「うっ…!」
手で口元を押さえて立ち上がり慌てて洗面台の方へと走る。
いつもの彼女からは考えられないドタドタとした忙しない足捌きで。
「うぇぇっ……」
そして流し台へと頭を突っ込むとそのまま吐いてしまう。
一度吐いても気持ち悪さは抜けず、流し台に一分ほど顔を突っ込み続ける。
「うっぐぅ…」
お腹の中のものを全部吐き出すとその場にへたり込む、彩葉の瞳に涙が滲む。
頭にかぐやの八千年の記憶を写してから何度か起きるフラッシュバック。
死にたくても死ねない体を持ち、そして情報生命体の月人であるからこそ蓄積してしまった記憶。
「はぁっ…んはぁっ…!」
なんとか立ち上がり口の中を濯ぐ。
しかし口の中に広がる酸っぱい不快感は消えない。
(もう何も口つけられない…)
そうは思ったがパンの一枚でも口にしないと容体は悪化の一途を辿る為、彼女は仕方なく重い足取りでキッチンへと向かう。
朝から早々に出目の悪い一日が始まった。
◎
運良く朝の電車の席に座る事に成功する。
彩葉は体調こそ最悪だったが最近の勉強面ではむしろ充実していた。
これまではバイトを含めて様々な雑事も全部こなそうと無理矢理なスケジュールをこなしていた。
しかし今は勉強一本に専念出来るどころか友人二人と遊びに行ったり、ヤチヨのライブの打ち合わせの時間すら捻出出来ている。
精神的な余裕のおかげなのか、学校での授業も集中出来るし、結果として家での自主勉強そのものの時間は増えていないのに成績はむしろ右肩上がりの好調だった。
(お母さんの言ってた事は本当だった)
かつて彩葉は母からエリートは遊びも疎かにしないと言われた事があった。
少し前までは遊ぶ時間を無理矢理作って実行していたが、今ならその解釈と行動は大いなる間違いだったと分かる。
(勉強だけに全て捧げないと出来ない目標なんて長続きするわけない)
人の出来る努力の上限を百として、その努力値の百ギリギリで受かる学校を目指したとして、結果運良く入学しても次は努力値百二十を要求される。
それをしても最後はパンクするだけだ。
事実として彩葉は金銭面やかぐや周りの件があったとはいえ一年と少しで体を壊した。
遊びとはその次のステップに進む時の余裕を確保する行為なのだ。
そんな遊びのために他の部分で無理を通すなど本末転倒である。
「……」
ふと携帯に着信が入る。
もしかしたら母親かと身構えるが通知にはヤチヨから「おはヤチ〜!」というおはようのメールだった。
「ふふっ…」
色々と悩むのもバカらしくなってしまう。彩葉は相手に対して「おはいろ」と返信をする。
朝から続いていた気分の悪さが紛れていく様なそんな気がしていた。
◎
「ねぇ彩葉」
真実は食系のインフルエンサーとして大好きな昼食時だったが、そんな事などお構いなしに尋ねるべきが悩んだ末に切り出す事にする。
「どうしたの?」
「……」
友人が何やら言いにくそうにしているのを見て何だろうと疑問符を。
芦花は真実からついに切り出すのかと思っていた。
「何その食事?」
「これは…」
彩葉の前に置いてあるのはコンビニで売っている六本入りのスティックパンだった。
美味しいわけでもない、コストの割に量が多いくらいしか取り柄のない菓子パン。そしてその横にそっと添えられたゼリー飲料。
スティックパンを選んだ理由は単純で仮に三本しか食べられなくても残りを保存出来るからだ。
「お腹が全く空かなくて…」
それは彼女が今抱えている軽めの拒食症状だけではない。
夢で見たかぐやの八千年前の絶望のフラッシュバックが彩葉の中の食欲全てを奪い去ってしまったのだ。
「「……」」
真実と芦花の二人は顔を合わせる。
彩葉の態度を見て二人はある程度相手の身に何が起きたのか察した。
二人はある程度の事情は話しているため黙る必要はないのだが、今はタイミングが悪かった。
「視線が…」
周りの生徒たちに万が一でも聞かれる危険があった。
いろPである事はバレてしまったがそれは目立つだけで問題はあまりない。
最重要機密である月人やヤチヨの正体だけは知られるわけにはいかない。
「放課後になったら話すから」
彩葉はそう言ってからゼリー飲料を言葉と共に飲み込んだ。
◎
「ヤチヨの夢を見て…ね」
芦花はつぶやいた。
駅まで続く帰り道がら彩葉は二人に朝の出来事を話した。
絶望的な状況で我を忘れて発狂するかぐやを何も出来ずにひたすら見続ける地獄。
そんなものを見てしまったら食欲なんて一瞬で霧散してしまうに決まっていた。
「かぐやの記憶ってそんなに凄いものなの?」
過去のトラウマで現実の自分に影響を受けた事のない真実はつい不躾な質問をしてしまう。
彼女は口にしてからハッとして慌てて口を閉じるが発した言葉は訂正する事は出来ない。
対する彩葉は特段不快そうな表情をする事無くうーんと考え込む。
「死ねたら幸せなのにって思うくらいには」
なんとか言葉を絞り出して表現できたのはその一文だった。
「……」
そう表現されても二人にとってはまるで異世界の様な話で実感など湧くはずがない。
死ぬと言う概念自体がうっすらとした恐怖程度にしか捉えられない二人からすれば理解し難い。
「ねぇ彩葉今日空いてる?」
「へ?まぁバイト無くなったから少しは」
彩葉は前とは違いかなり時間的な余裕は出来ている。
遊びにでも誘われる流れかな?と思い身構える。
「なら…」
真実は相手の確認を取るとある提案をする。
◎
「じゃーん!」
彩葉の前には真実特製のうどんとお粥が置かれていた。
いつもの三人組は真実の家に集まっていた。
「え?なに?これは?」
リビングテーブルに置かれた食事を前に目を点にする彩葉。
それはまるで食べて下さいと言わんばかりだった。
まるでと言うよりそのまま手料理が振る舞われているのだが。
「うどんとお粥なら食べやすいでしょ?味付けは薄めにしてるからお腹の負担にならないよ」
真実にそう言われてうどんを見てみるとダシは透き通って底まで見える。
彩葉の体調に合わせてそうしているのも当然ある。
「彩葉って関西出身でしょ?関西のうどんって基本は薄味だからこっちの方が口に合うと思って」
「確かに…」
初めて上京してから食べたうどんはかなり塩っ気が強かった記憶が蘇る。
「お粥なら今の彩葉でもするっと食べれちゃうんじゃない?パン食べるよりは楽だと思うよ」
芦花も彩葉の隣に座りかなり塩分を抑えた雑煮を眺めながら言う。
美味しいかと言われればかなり微妙だが味が薄ければ胃腸の負担にはならない。
二人の視線が相手に向かう。つまりどうぞ召し上がれということだ。
「…いただきます」
箸を手に取るとうどんを一口啜る。
「おいしい…」
彩葉から自然と感想が口をついて出た。
いつも賄いかエナドリのような砂糖やら塩をぶちまけた様な食生活で、彼女は味覚そのものが上手く機能していないはずなのに薄味であるうどんのダシが自然と舌を喜ばせる。
「こっちも」
お粥にはうっすらと卵の黄身が混ぜられている。
一口分をスプーンを掬い口に含むと米の甘みと卵と塩の味が程よくする。
「おいしい、本当に…おいしいよ」
お粥の入ったお椀を左手で取って口の中へと一心不乱に入れていく。
(食事を楽しいと思ったのなんていつぶりだろう…)
かぐやが月に帰ってからはまるで世界から色が消えた様で、そしてヤチヨとの再会は嬉しかったし少しは気持ちを取り戻せた。
そしてヤチヨが苦しんだ記憶をみて自分はこの再会のために傷を負っていない罪悪感、そして相手に少しでも早く体と五感を取り戻させたいと必死になっていた。
そして再び体を壊した。
「彩葉?」
「え、どうしたの?」
二人の困惑した声が耳に入ってくる。
「?どうしたの二人とも」
彩葉が二人の顔を見て何があったのか理解出来なかった。
すると口の中に塩とは別のしょっぱい感触が入ってくる。
「え?」
何事だろうと口に触れるとそれは頬から流れ出たものが口に入っているのだ。
「私…なんで…泣いて」
今の彩葉は泣きながらお粥を頬張っているのだ。
それはあまりにも歪んだ光景だった。
「うっ…ぐぅっ」
涙を認識してしまうともう止められなかった。
そして視界が歪むが二人が自身を心配してくれている事はハッキリと分かる。
その事実に心が温かくなる。
「そうか…そうだったんだ…」
二人の優しさを噛み締めながらも気がついた。
かぐやに対して簡単に心を開いたのに、真実と芦花に対しては何故かいまだに心の壁の様なものがある。
かぐやは赤ん坊として出会ったせいか彩葉から率先して関わった。
あの場で警察を呼んで対応してもらう選択肢もあったのに、当時は気が動転してなし崩し的に三日を過ごしてしまった。
彩葉には自ら関わった責任があった。
だからこそ自然とトラブルメーカーのかぐやを懐深くに入れてしまったのだ。
「違うの…おいしくて」
彩葉は心配させまいと何とか言葉を振り絞った。
真実と芦花は付き合いも悪く、愛想笑いしかしない彩葉のそばにずっと居続けてくれた。
友人であり続けるために常に声をかけてくれたのだ。
しかしその関係性は相手から受けるだけの一方的なもの。
仮に二人が彩葉に興味を失ったら簡単に途切れてしまう危ういものでしかない。
友人である努力を彩葉からは出来ていない。
関係が途切れるターニングポイントは進級、進学、そして就職といくらでも訪れてくる。
(そんなの嫌だ…)
ここで初めて彩葉は真実と芦花とのこの関係を失いたくないと思った。
話しかけてくれて当たり前、友人でいてくれて当たり前、一緒に居てくれて当たり前ではない。
かぐやとのあの別れでそんな事は嫌というほど思い知ったはずだった。
ヤチヨとして再会出来たのは奇跡なだけだ。
「ありがとう…二人とも本当にありがとう…」
感謝をひたすらに述べながら、彩葉は振る舞われた手料理を食べ続けた。
泣き笑いながら美味しそうに食べる姿を見て、二人は顔を合わせて微笑んでいた。