あのライブの次の日、彩葉はいつもの通りに学校へと通っていた。
「えー今日は修学旅行について話をします」
担任のその宣言から教室が浮き足立った空気になる。
それは高校二年生にとって最大と言っていいイベント。
「言っとくけど修学旅行も一応授業扱いだからなー、ちゃんと課題はあるぞ?」
その言葉にクラスの全員から軽めの愛のあるブーイングが飛ぶ。
先生はそんな生徒達に対して思わず苦笑いをしつつも話を進める。
「課題と言っても二日目の京都の回る際のしおり…つまり予定表の作成だな」
それを聞いて教室内は活気だった。
旅行の準備が授業なんて楽しみで仕方ないだろう。
「あ、でも酒寄さんって京都出身だよね?修学旅行つまんなかったり?」
「ん?」
ふとクラスメイトの一人が気になって話しかけてくる。
ここは東京の高校である為、関西方面に馴染みのある人は少ない。
彩葉に対して「お寺ってどんな感じ?」「大仏って大きいの?」「外国の人多いの?」など様々な質問が飛んでくる。
彩葉は浮き足立ったクラスメイト達に対して少しだけ億劫に感じる。
「うーん、そうだね。東京生まれ育ちの人がスカイツリーとか浅草の雷門を見ても特別を感じないみたいな、そんなもの」
彩葉はニッコリ笑顔でこれまたバッサリとした意見を述べた。
午前の授業を乗り越えていつもの三人組で昼食を摂る。
「芦花、真実、放課後空いてたらしおり作ろ」
彩葉からの何気ない誘い文句。
「「……」」
しかし二人はそれを聞いた途端、ピタッと食事を取る手が止まり互いの顔を見やる。
「どうしたの?」
彩葉は何かまずい事でも言ったかな?と疑問符を浮かべる。
まさかもう二人は彩葉を無視してグループを作ってしまったのかと焦る。
「え?まさか私修学旅行でハブられてる…?」
ガーンという効果音が見えるほどに落ち込む彩葉。
先日の懸念がこんなにも早く顕在化するとは思っていなかったのだ。
「「いやいや、違う違う」」
二人は慌ててフォローをする。
芦花と真実は当然彩葉と京都を回ろうと考えていたし、二人の方からしおり作りを提案するつもりだった。
「いや、彩葉の方からお誘いが来るって思わなかったから…」
「あ、あー…」
芦花の疑問に対して彩葉は確かにその通りだなと思う。
いつも誘われ待ちの人間から提案が来たら彩葉とて同じ疑問を感じる。
「うーん…」
その疑問に対して答えるのは簡単だった。
要は友達でいたいから、三人の輪を守りたいから自分から誘った。
(いや無理無理)
本当にそれだけの話なのだがさすがに小っ恥ずかしくて素面で言えたものではない。
「彩葉もしかして…」
真実はここで何かに気がついた様でハッとした雰囲気を醸し出す。
「な、なに…?」
まさか心を読まれたのかと顔が強張る。
「そんなに寂しかったの…?」
「あーうん、そうだね」
当たらずと言えども遠からずな回答に対し、彼女は取り敢えずそうですよみたいな反応をする。
放課後、三人は図書室の一角で情報の整理を始める。
「やっぱり予定は大事、無策で京都は回れない」
彩葉は大張り切りだった。
地元民として京都観光を実りのあるものにする為、そして芦花と真実に楽しんで貰いたいと思う。
「私は清水寺行きたーい」
「金閣寺見たいなー」
芦花と真実はそれぞれの意見を口にする。
二人の意見を聞いた彩葉うんうんと考える。
「なら最後に回るのを清水寺にしたプランを立てないとね」
「え?なんで?」
芦花はその考えになったのか気になる為尋ねる。
「清水寺はお土産を買う所がお寺の中だと充実してるから」
彩葉はごく単純な意見を口にする。
清水寺まで道のりは買い食いの屋台やお土産のお店がぎっしりと並んでいるのだ。
「え?そうなの?でもだからってなんで清水寺が最後になるの?」
「午前中にお土産買っちゃうと重たいバック背負って京都観光する事になるから。だからお土産を買うのは最後の方がいいよ」
「「あー…」」
二人は納得と感嘆のため息を吐く。
仮に色々と買って二、三キロも加重された鞄を背負っていたらその疲労はとんでもないものになる。
「私たちが一日目と二日目に泊まる宿が清水寺から少し南の所だから反時計回りにぐるりと回るのが一番効率よく回れると思う」
「あー確かに」
二人はなるほどと頷く。
「あとは行きたいスポットをあらかた決めて、余裕があったら当日に時間を見て追加してけばいいと思う。お寺は回るのに五分程度のやつから三十分以上かかるものもあるから予めお寺の大きさは調べとこうかな」
「思ったより広かったら確かに予定が押して焦っちゃうかも…」
「意外とフィーリングで回ると焦っちゃうんだよね」
彩葉はあははと苦笑いする。体験談だろうか?
「路上駐車してるタクシーはお寺の周りに山ほどあるし割り勘ならそこまで負担は大きくないから、お金は気にせずにいっぱい使って回った方がいいと思う」
因みに彩葉の学校の修学旅行は一日目は朝から新幹線移動からの軽めに奈良観光をして京都の宿で一泊。
そして二日目でメインの京都市自由観光からのもう一度宿に戻り二泊目。
三日目は朝チェックアウトから自由時間で正午過ぎには京都駅集合から帰宅の流れになっている。
「さすが京都博士!」
「よっ京都府民!」
二人はパチパチと手を叩きながら煽てる。
「なにも出ないよ〜」
そう言いながらも満更でもない様子の彩葉。
「でもちょっと意外かも」
「なにが?」
「彩葉がこんなに前のめりで行事参加するのが」
彩葉は芦花からの指摘に成程と思う。
三ヶ月前の彩葉なら京都に来ても観光せずに宿で勉強をしていたかもしれなかった。
そう考えると随分と肩の力が抜けたものだと彼女は思う。
「私は二人が楽しんでくれたら嬉しいだけだから」
二人に対して彩葉は微笑みながらそう言った。
◎
人の一生は儚く短すぎる。
そんな事は八千年の生の中で分かりきっていたはずだった。
八千年待った先で酒寄彩葉と一緒にいられる時間は五十年そこそこしかない。
それは苦しみを耐えた先にある報酬としてはあまりにも酷だった。
『……』
ヤチヨは倒れ込んでいる彩葉のそばに寄り添いながらかつてのようにその頭を撫でる。
場所はツクヨミの女王が住む天守閣。そこにヤチヨと彩葉はいた。
『連絡は大丈夫っと…』
コンソールをいじりメールを送る。送信先は彼女の兄にあたる朝日。
ざっくりとした事情を説明するとともに、彩葉が起きて正常にログアウトした際に性急かつ危険な行動を取らないように住んでいる部屋に向かってもらうように頼む。
それと同時に母親に当たる紅葉はログインを控えた方がいい事も伝言してもらうように伝える。
『早く目を…』
覚まして欲しいのだろうか?
ヤチヨはここでふと湧いた懸念に思考が止まってしまう。
目を覚ましたとして親との確執が消えるわけではない。
体に負った障害が消えて無くなるわけでもない。
過去に起きた事は消えないし、変えられないし、無くならない。
『だったらここで…』
酒寄彩葉というヤチヨが八千年待ち続けた大切な宝石。
それを守るのならば風も光も通さない分厚い宝石箱の中で大事に大切に守ればいいのでは?という思考が彼女を埋め尽くす。
かつてのかぐやでありヤチヨは輪廻や過去を変えなかったし、変えられなかった。
しかし今は違う、未来を知らないし縛られる事は無い。自分で考えて行動を起こして望む未来を掴む事が出来るのだ。
彩葉に触れている優しいはずの手が何故か毒手のように妖しく見えて。
『う、ううん…?』
『…っ!』
そこで彩葉が目を覚ましてしまい、慌てて撫でていた手を離してしまう。
『あれぇ…?ヤチヨ?』
上体だけを起こして周りを見渡す彩葉。
場所がいつもの天守閣である事とヤチヨが目の前にいる事からこの場所がツクヨミである事を把握する。
『……』
目を覚ましてもヤチヨの顔に安堵はない。いつものおどけた挨拶をする余裕もない。
(どっちなの?)
目の前にいるのは彩葉なのか、それとも大量の記憶によって塗りつぶされたかぐやなのか。
『え?どうしたのかぐ…ヤチ…』
彩葉は少しずつだが目が覚めて来た。
母親の紅葉を見た途端に意識が落ちて何かに飲み込まれ弾かれるように手放してしまった事。
まるで浮遊する様に俯瞰して見ていると自身のアバターが動き出し朝日を蹴り飛ばし、紅葉を真っ二つにしようとして、そしてヤチヨと戦う事に。
そしてヤチヨを切り裂いて、のしかかり、踏みつけてそして。
『あ、あ…』
その時の記憶が鮮明に蘇ってくる。
濁流の様に襲いかかる罪の意識。
『うっぐううっっ…!』
彩葉は頭を抱えて激しく掻きむしる。
もしこれがアバターではなく現実の肉体であれば爪で皮膚を切り裂いて血だらけにしてもおかしくない圧力で。
『落ち着いて!!』
慌てて掻きむしっている手を握り抑えようとする。
その仕草を見てヤチヨは自意識が彩葉に戻っている事を確信したのと、激しい罪の意識で潰れかけているのを察した。
『彩葉は悪くない!これは…これはヤチヨの…』
あの時の彩葉は正気ではなく、かぐやとヤチヨの八千年の記憶によって暴走しただけ。
『違う…』
しかし相手とてそんな事は分かっている。
ただ家族を傷つけただけが苦しい理由ではなかった。
『あの時…ざまぁみろって思った…』
『…え?』
彩葉はヤチヨに掴まれていた腕をゆっくりと振り解いてから項垂れつつポツリと話し始める。
『―――』
兄の朝日に対して思っていた事を。
『―――』
母の紅葉に対して思っていた事を。
『―――』
そして自身に対して思っていた事を。
その告白の内容はヤチヨとて予想外で途中で何も挟めなくなり、最後まで聞き入ってしまった。
『だから私は強くて凛とした綺麗な人なんかじゃないよ…ヤチヨが沢山見て来た醜い人達と同じ…』
彩葉はヤチヨに失望されたと思った。
しかし口先だけで誤魔化したくはなかった。己の行動と結果は全て自分でケツを拭かなくてはいけない。
相手から飛び出すであろう失望の言葉を体を小さくしながらも待つ。
『じゃあこれで私も追いついたね』
しかし相手から出た言葉はそれだった。
『…お、いついた?』
その想定外の言葉に俯く事を忘れて顔を上げる。
目の前にいる相手の表情は想像をしていた失望ではなく、予想外の表情の安堵だった。
『だって彩葉だけ勝手にヤッチョの記憶覗いたの不公平だもん。やっと彩葉も出してくれた。すごく嬉しい』
そう言いながら相手の手を取る。
その手からは体温を感じないが温もりが流れてくる様なそんな気がした。
『嬉しい、嬉しい』
いつもの貼り付けた様なライバーとしての笑顔とは違う気負いのない微笑みを向ける。
ヤチヨのファンだからこそ、それが皆に公平に向けるものではなく、一個人に向けたものだと分かる。
『ありがとう』
目に熱くなるじんわりとしたものを感じながらそう言った。
『もっといっぱい彩葉と話したいけどもう遅いね…だから続きは今度ね』
既に時間はてっぺんを越えていた。
彩葉も時間を確認して頷く。二人で話す時間は今後いくらでもあるし作れる、今焦って歩みを進めなくてもいい。
『彩葉にしわしわのおばあちゃんから何点かアドバイスだよ!』
『八千歳』
『ぐは』
『ごめんごめん、アドバイスって何?』
ヤチヨはこほんと一息入れてから話し始める。
『かぐやは大好きな彩葉でいて欲しい!だから彩葉はもっと自信を持って!たとえヤッチョやかぐやの記憶があっても彩葉は彩葉だから!ー』
『それは…』
『だって彩葉はヤチヨもかぐやも認めて愛してくれてるから!それと同じ気持ちだよ!』
苦しくても二面性があろうとも何があってもヤチヨでありかぐやは彩葉の味方なのだと。
『さっき言ってた本音をお兄ちゃんやお母さんにぶつけよう!』
『…そんな事出来るはずが』
『元々お母さんと仲良くないじゃん!』
『ば、ばっさりと…』
なんとも身も蓋もない事を言われてしまう。
言われてみればこれ以上関係が悪化する事は無い。
『今更嫌われた所で親子の溝が子供用のプールから二十五メートルプールになるだけ!』
ヤチヨは「それに」と付け加える。
『お母さんに好かれてないと彩葉はダメなの?あれだけ散々愛想振り撒いて、擦り寄って、頑張っても口で褒めないならもういっそボロクソのクソミソにしちゃえ!押してダメなら引いてみろだよ!彩葉を突っぱねた事を後悔させるくらい!それくらいやんないとダメ!!』
無茶苦茶な主張だというのに何故か彼女の中に勇気が溢れてくる。
彩葉はその言葉を受けた日から、かぐやとヤチヨの記憶を見て飛び起きる事が少しずつ無くなっていった。