超かぐや姫私的解釈短編集【完結済】   作:白臼

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※R17.9程度の描写があります。


小望月に憩う

 

 

 

「彩葉、ぎゅってして。ねぇ、ぎゅって……」

 

 吐息混じりに囁くようなおねだりの声。

 どんな公式ASMRでも聞いたことのないような、甘い声。

 それはまるで蜜を一雫垂らした清水のように耳に染み渡り、思わず背筋が粟立つ。漣のような淡い痺れが産毛を逆立たせて意識ががじりじりする。

 

「うん、もちろん。何度だって、何度だって、ぎゅってしてあげるよ」

「彩葉、彩葉……。大好き、大好きだよ。世界で一番大好き……」

「私も……。世界で一番愛してる、私のお姫様」

 

 求められるままにヤチヨの体を抱きしめる。最初はそっと、少しずつぎゅっと。

 腕の中に感じる少しひんやりとした体温、ほっそりとした華奢な体躯。微かな身じろぎと耳にかかる甘い吐息。

 五感再現パッチはまだ発展途上、本来ならもっと淡い感覚になるはずなのだが既に頭が焼けつくほど温まった私の脳が勝手にあらゆる情報を補完して生身と遜色ないものを感じさせる。

 嗚呼、私の神経の配線は彼女を過学習してしまったのかもしれない。

 ヤチヨ色に染まってしまった自分が自分で誇らしい。

 

「今日のヤチヨは少し甘えん坊さんかな?」

「んっ……♡」

 

 指先で細い(おとがい)を少し上向かせて、唇の上にキスを落とす。

 微かなリップ音が夜の部屋に静かに響く。残響にも耳を澄ませたくなる、そんな気分。

 口付け一つで私の愛しのお姫様は頬を真っ赤に染めていた。こういう関係になってもう十年経つのに相変わらず初々しい。

 でもそんなところが愛おしくて、私はもう幾度かキスをする。

 頬、鼻先、額、耳元、首筋。腕の中でぴくんと震える細い体。

 はらりと彼女の頬を涙が一滴伝い、月明かりに瞬いた。

 

「ん、っ♡ ぁっ♡ ゃっ♡」

「声、抑えなくてもいいよ。ヤチヨの可愛い声、もっと聞かせて 」

「で、でも、恥ずかしい……んっ、 んぅっ♡♡」

「大丈夫だよ、私しか見てないんだから」

「だいじょうぶじゃない、だいじょうぶじゃないよ♡ いろはぁ……♡♡」

 

 ここはツクヨミ内の中枢にして最上層、管理人ヤチヨの私室(プライベートルーム)。立ち入れるのは特別な許可を持った人間だけで、つまりまぁ、私しかいない。

 比喩ではなく幾千、幾百万の人々を今も魅了しつづける電子の歌姫、月見ヤチヨのあられもないこのような姿を見ることができるのはこの世界にただ一人、私だけの特権と言うわけだ。

 いちファンでしかなかった時分では向こうからボディタッチしてもらうだけで「ファンサエグい神すぎヤバい」と限界になっていたものだが、今や懐かしい。

 彼女を独り占めできてしまうなんてあまりにも自分に都合が良すぎて幻覚を観ているんじゃないかと、この十年何度思ったか数知れない。

 

「ぁ……っっ♡♡」

 

 布団の上に彼女をそっと押し倒すと艶かしい吐息が溢れた。

 二つに結った銀髪が水のように流れて乱れる。

 長い睫毛に縁取られた瞼の奥、上目遣いの瞳が何かを乞うように私を見上げている。涙が滲ませる虹彩の色はまるで万華鏡。

 息を呑むほどの色気で喉が干上がる。ごくりと生唾を飲んだ音に気付かれなかったか不安だ。

 体の芯が酷く熱い。大動脈と脊髄が赤熱した針金になったみたい。

 心臓が高鳴って、心地よいほどにむず痒い。

 

「美人は三日で飽きるとかいう奴がいるけど嘘だね……。私、ヤチヨに毎秒毎フレーム惚れ直してる……」

「んふふふっ……♡ 彩葉にそこまで言ってもらえるなんて、ヤチヨは宇宙一の果報者かな……」

「……ヤチヨはどう?私、がっかりさせてない?」

「ううん……八千年夢に見てたどんな彩葉より、今触れ合う彩葉が一番好き……っ♡」

 

 私は堪らない気持ちになってヤチヨの上に覆い被さった。

 しどけなく投げ出された白魚のような指先にこちらの指を絡めながら、体全部で彼女を抱きしめる。

 ほっそりとした首筋、華奢な鎖骨に唇を当てて痕を残す。うなじに絡む後毛まで愛おしい。

 芳しい髪の香り、潮っぽい汗の味。全部まだ未完成の感覚なのに、こんなにも私の脳を焼き焦がす。

 

「彩葉、私いつも幸せすぎて涙が止まらないの……。 こんなに嬉しいことって夢じゃないのかな?私壊れちゃったんじゃないのかなって……」

「私もおんなじ……。だから、何度でも確かめたくなるんだ。お互いちゃんとここにいるよって……」

「うん、うん……っ♡」

 

 極上の微笑みを零しながらヤチヨはぽろぽろと涙を溢れさせる。あまりにも美しいそれを私は自分の唇と舌で掬い取った。

 ああ、貴女は月の美の化身。涙は真珠。頬の紅は珊瑚の赤。その笑みはまるで静かの海。

 水面(地上)の月なんて本当は触れられるはずもないのに、ここに居るだなんて、なんて奇跡。

 だからそれをもっと確かなものにしたくなる。何度でも触れて確かめて、明日に繋いでいけるように。

 

「ねえ、ヤチヨ。今夜はどんな曲を歌いたい?」

「……ぃ、彩葉のリクエストだったら、なんでも聞いてあげるよ……?」

「だーめ、ヤチヨの口から聞きたいの。どんな風に歌わせて(・・・・)ほしいのかなって……」

「いろは、いじわる……っ♡」

 

 瞳を潤ませてしな(・・)を作るその仕草がどうしようもなく婀娜っぽくて、私は脳の重要な回路がぶちぶちと焼き切れていく音を聞いていた。

 いつスマコンが警告(アラート)吐いてもおかしくない。CT受けたほうがいい感じ?

 

「…………はげしくして♡」

 

 歌姫様からのリクエストは爆速で受理された。

 任せてほしい、いろPは今や押しも押されぬツクヨミのトップ音楽プロデューサー。

 この十年で培ったあらゆる技術を動員した渾身の指遣いで伴奏を掻き鳴らす。

 激しく爪弾けばヤチヨの歌声が華やかに艶やかに、二人の寝室を彩った。

 私たちのセッションは情熱的なハードロックナンバーになって夜空を震わせた。

 

 

******

 

 

 

「もう……恥ずかしい。私ったら……本当はもうおばあちゃんなのに、あんなにはしたない声で……」

「こんなに可愛いおばあちゃんなんて他にいないよ」

「彩葉ってば、いつの間にそんなに口が達者になったのかな……」

 

 一曲歌い終わって一段落ついて小休止(インターバル)のお時間。

 私の腕を枕にして横たわるヤチヨがふいっと頬を膨らませて目を逸らす。

 煌めく銀糸と滑らかな絹糸のような髪を指先で梳りながら、そんな拗ねたような表情も可愛いなぁ、なんて私は思っていた。

 からかっている訳でもなく、混じり気のない本心なのに。

 

「いっそのこともっと歳取ったモデルも作ってみようかなぁ。そうしたらきっと彩葉も少しは……少しは、年相応の扱いをしてくれるかも」

「どうかな、試してみる?きっと80歳モデルのヤチヨでも可愛いんだろうなぁ、キスしたくなるくらいに」

「〜〜〜……っ♡」

 

 そう言うとただでさえ赤い顔を更に赤くして照れてしまった。

 ヤチヨは自分がかつてのかぐやから大きく変わってしまったという負い目があるからか、時々こちらから距離を取るような、突き放すような態度になるときがある。

 かぐやが月に行ってしまった直後のことだってそう、多分私が正体に気付いて直接訊かなければ自分から明かすことは絶対にしなかっただろう。その上で記憶を消してあげてもいい、だなんて保険もかけていたし。

 

 まぁ、そういうときには躊躇うことなくこっちから踏み込んであげることにしている。

 そういう臆病や弱気もヤチヨの可愛げだ。健気でいじらしくて、抱きしめたくなってしまう。

 八千年分の苦労を重ねてきたんだ。その分愛してあげないと損だろう。思う存分幸せになる権利が彼女にはある。

 そして、そうしてあげる責任が私にはある。つまりは役得なんだが。

 

「ヤチヨ、可愛いよ。綺麗だよ、愛してるよ」

 

 愛の言葉は何度口にしても足りない、飽きない。

 ヤチヨの微笑みは完璧な造作(つくり)なのにどこか哀愁があって、その陰影が艶やかで目が離せなくなる。

 八千年の旅路を共有してからは尚更のこと、その裏にあるものを思い起こしてしまって目頭が熱くなる。

 一時期はその笑顔を見るたびに涙腺が限界になって情緒がぶっ壊れて、オタ公さんに真顔で心配されるレベルだったっけ。

 

「……ねぇ、彩葉」

「うん、なぁに」

「大丈夫?」

「大丈夫だよ、ヤチヨの顔見てたらまた泣きそうだけどまだ大丈夫」

「うふふっ、泣き虫さん♡ ……でもそのことじゃなくて、明日のこと。まだ寝なくて大丈夫?」

「んー、あー……そっか」

 

 裸同士でイチャイチャしながら明日の話を振られて少し我に帰る。

 明日。そう明日は私達の大願がいよいよ形になる日だった。

 

「そうだね。明日には……かぐやを起こすんだもんね」

 

 情報知性体が現実空間で活動するため義体(アバターボディ)、私達二人の十年に渡る研究の成果。それをもってかぐやを現実に連れてくるのが私達の目的だ。

 既に精神はサーバールームに、筐体は研究室に存在しておりあとは実際の可動を確かめるだけという段階にまでこぎつけた。

 

「ようやく……ようやくここまで来れたよ。私達の夢、エンディングの向こう側、彩葉が連れてきてくれたんだよ」

「でも十年なんてあっという間だよ。それにヤチヨの助けが無かったらここまで来れなかった。本当にありがとう」

 

 実際この計画(プロジェクト)、始めたはいいがヤチヨの助けがなければ何倍も時間を取られていたであろうことは想像に難くない。

 私なんてFUSHI経由で月人文明技術をインストールするというずるっこ(チート)で下駄履かせて貰ってたしね。

 脳に焼き付けた異界技術を現代人に使えるレベルに翻訳して限定的に再現するのに十年もかかってしまった。

 

「十分すぎるくらい偉業だよ?彩葉は昔から変なところで自己評価が低いなぁ」

「そうかなぁ、ヤチヨに比べれば私なんてまだまだ」

 

 ヤチヨが指先でちょんちょんと頬を突いてくる、その仕草に相好を崩しながらも私は首を傾げた。

 かぐやの精神……人格モデルの再現を担当したヤチヨの方が大変だったと私は思う。

 八千年分の記憶と経験、それに伴う人格アルゴリズムの変容を全て洗い出して逐一初期化していく。

 そんな地道で手間のかかる作業の果てに抽出されたのが、明日起きる予定のかぐやだ。

 八千年前の自分自身を掘り返して再現すると言うのはさながらワインから葡萄を抽出して元に戻すような、そんな難題だったに違いない。

 それを彼女はやり遂げた。本当に私の女神様は凄いとしか言えない。

 

「えへへっ、お腹を痛めて産んだ我が子です。……なんちゃって」

「我が子、我が子かぁ……本当に、うん……。言われてみれば、そうなのかぁ……」

「彩葉?」

 

 何気なく言われたその言葉を反芻すると、狂おしい気持ちが胸の奥から溢れ出してきた。

 心臓がじんわりと温かいもので溺れていくような、甘い糸で締め付けられるような心地良い息苦しさ。

 

 子供。そう、かぐやに初めて出会った時は赤ん坊だった。

 触れれば壊れてしまいそうな、握れば潰れてしまいそうな、小さな命。

 並んで歩いて肩に触れて、いつのまにかそんなに大きくなったことに困惑すら覚えたっけ。

 目を閉じれば瞼の裏にあの子の笑顔が、過ごした眩い日々が蘇って溢れかえる。

 

 ーー彩葉、大好き。

 

 今も耳に残る別れの言葉と、手渡された胸いっぱいの愛。

 たった二ヶ月の黄金の青春、それが今でも私の背中を押し続けている。

 

「かぐや、かぐやっ、かぐや……っ。やっと、やっと会えるよ私達……!」

 

 愛おしさが溢れて止まらない。

 堪らず私は目の前のヤチヨを抱きすくめていた。

 かぐや、かぐや、と何度もその名前を口にする。その名の響きだけでも幸せが胸を内側から突き上げる。

 いつしか涙を流していた私の背中をヤチヨの手が優しくさすってくれた。

 

「うん、うん……。嬉しいよね、彩葉、私も。本当にかぐやに会えるのが嬉しくて楽しみ……っ」

「ヤチヨも、そう?」

「もちろんっ」

 

 そう答える彼女の笑みは慈愛に満ち満ちていた。

 要はかぐやとは昔のヤチヨ自身だ。自分だったらどうだろう、素直に喜べるだろうか。

 昔の自分が目の前にいたら拳骨か説教か……うん、ちょっとお母さんの気持ちがわかったかも……。

 

あの頃(・・・)の私が救われるんだもの、嬉しくないはずがないじゃない」

「あぁ……それなら納得だ」

 

 私もその記憶を見ている。宇宙船が事故って海に落ちて、触れられるものもなく助けもなく、孤独と絶望で震えていたあの時のかぐや。

 小さな船の中で実体も作れず、今がいつのどこかもわからず、どれだけ心細かっただろうか。

 

「かぐやが起きたら、強く強くぎゅっとしてあげて。ずっと会いたかったよ、これからも傍にいるよって言ってあげて。それが、あの頃も今も変わらない、私の心からの願いだから」

「ヤチヨ……」

 

 そうか……明日の私は、あのかぐやを抱きしめてあげることができるのか……。あの孤独を、時間を超えて救ってあげることができるのか。

 そう思うとまた一雫、目の端から熱い涙が溢れるのを感じた。

 

「……ねぇ、ヤチヨ」

「なぁに、彩葉」

「やっぱり……もう一曲歌わない?」

「……いいの?そろそろ夜更かしじゃない?」

「いいの、このままじゃむしろ眠れないから」

 

 もう間も無くやってくる明日への希望が止まらない。

 高鳴る心音がばくばくと、期待に逸ってどうしようもない。

 無理に寝るよりもむしろ、それを今目の前にいる最愛の人と分かち合いたかった。

 

「それじゃあ、次は彩葉が歌って。私、久しぶりに聴きたいな、彩葉の歌」

「……そんなに得意じゃないから気恥ずかしいけど」

「大丈夫。彩葉の歌なら何千年でも鬼リピ確定だからっ」

 

 満面の笑みでそんなことを言われたら、もう断れない。

 私の上になって身を起こすヤチヨは本当に綺麗だった。

 裸身は大理石の白、色めく肌は桜の紅、月光に透けて煌めく髪はまるで夜の虹。

 私のお姫様のご所望は優しく響くバラードナンバー。

 激しい熱が穏やかな微睡みに溶けていくまで、私達は小望月の夜空に互いの声を重ね合わせるのだった。

 

 

 

 

 

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