※超かぐや姫私的解釈短編集、最終話です。
※同短編集内の『酒寄彩葉博士の展望/ペーパームーンを仰いで』及び『いろかぐヤチin USA/ミレニアムバトンを繋いで』から直接続いている話です。
「ーーーー太陽が沈んで、夜がやってきます」
月見ヤチヨは目を見開いた。眼前には黄昏に染まる鏡のような水面。鳥居と灯籠が並ぶ幻想の海の上。
口にしたのは仮想空間ツクヨミへとログインする人へ向ける初めての言葉。初めての挨拶。
幾度、この言葉を口にしてきただろうかーーーーなんてセンチメンタルな感慨に耽るが彼女の演算能力はその一つ一つを正確にカウントし続けている。
266,865,662回。
それだけの回数、彼女はここで新たな
それはとりもなおさずそれだけの数のユーザー登録がこの仮想空間で行われたことを意味する。
登録者数2億6000万に至る世界……いや、人類史上最大のメタバースと化したツクヨミ。
その創造者にして管理人となる月見ヤチヨは、今や電子の海から世界を制する現人神にも近い存在と言えるだろう。
……だが、それも今日までの話。
「神々のみんなは懐かしいかな?それともついさっき聞いたばかりの人もいるかな?みんなが初めてツクヨミに来てくれたその日のこと、そのどれもがヤチヨとっても忘れられない大切な記憶……。
みんな、改めてありがとう。みんなと出会えたこの世界を……ツクヨミを作ってよかった!本当にありがとう、ヤチヨは果報者です!」
黄昏の世界が切り替わり、世界に夜の帷が降りる。
ヤチヨが両手を包容するように大きく広げた先には満天の星が瞬く夜空が広がっていた。
それらは色とりどりの光を纏いながら小さく……いや、よくよく見れば細かく揺れ動いており、さらに耳をすませば歓声までもが聞こえてくる。
この場を作り上げたヤチヨ自身もあまりの光景に身震いする思いだった。
まさかーーーーあの星の光の一つ一つがここに集まった観客だなどと。
「既に大々的に告知している通りーーーー私、月見ヤチヨはツクヨミ管理人、及びライバーとしての活動を卒業します!!みんな今まで本当にありがとう!!」
そう声を張り上げた瞬間、津波のような声の奔流が電子の世界を駆け抜けた。
海の水面に波が立ち、音声処理だけで並のスパコンが落ちるだろうほど。
「行かないで」「ありがとう」「愛してる」「ヤチヨ」そんな無数の人々の絶叫と言えるほどのコール。
ここに集った人々だけでなく、配信を介して世界中で観ているリスナーのコメントまで含めればどれほどの情報が駆け巡っているのだろうか。
それらが全て自らを中心に渦巻いていることに、ヤチヨは身を震わせた。
それは彼女の30年近い歌姫としての生が紡いだ一つの成果だった。彼女の生きた証だった。
2050年の夏、月見ヤチヨはツクヨミの管理人として、そして
前者はまだ理解できる。それは仕事であり、立場の話だからこそ後継を用意すれば引退することができる。
しかし後者は話が違う。AIであるというのは生まれの話であり、知性体としての種族の話である。
例えるならば犬が犬であることを卒業して別の生き物になるような話だ。
あまりにも荒唐無稽な絵空事……だが、この2050年の時代においては違う。
その不可能事を可能にした技術があり、月見ヤチヨがその開発者と懇意にしていることは既に世界的な周知の事実であったからだ。
故にその発表は別れを惜しむ人々による数多の哀しみと、それに比肩するだけの祝福を持って迎えられた。
「ヤチヨは……みんなと同じ人間になります。みんなと同じ息をして、ものを食べて、嗅いで、触れて、生きて、死ぬ。そんな普通の人間に。
電子の歌姫としてのヤチヨはとっても名残惜しいけど、それでもみんなと同じ一度きりの人生を生きれるようになることが本当に嬉しい!だからいつかどこかの街角で出会ったら、ただ笑顔で手を振ってね!それがなによりもヤチヨにとって嬉しいことだから!」
ヤチヨは全周囲の星々に、観客に向かって笑顔で手を振った。
常に走らせているツクヨミ内の情動探知プログラムは大嵐のような人々の感情の渦を観測している。
月見ヤチヨ卒業公演、ツクヨミ特設ライブ会場の総座席数は実に1500万。それが、満席だった。
無論、仮想空間内とはいえそのような施設を用意することは並大抵のことではない。
故に、この日のためにツクヨミ内の全てのオブジェクトは(バックアップを厳重に取った上で)バックヤードに収容された。
後に残されたのは上辺に鏡の水面を湛えた平たい円錐型の土台。そしてそれを取り巻く無数の客席。
つまり今宵、一つの世界がそのまま一つのライブステージとなる。
「みんなは生きるのどうだった?……ヤチヨはねぇ、良いこともあった。泣きたいこともあった。でもでも、全部大丈夫だった。どんなに辛い道程でも、楽しかったなーって記憶が足元を照らしてくれたから。
ーーーーうん、みんながいてくれたから。ヤチヨの
ヤチヨが手をかざすと同時に、下層から水がせり上がる。
まるで世界が飲み込まれるような大海嘯。分厚い水の層は天蓋から注がれる月明かりさえも覆い隠し、あらゆるものを闇の中へと引きずり込んでいった。
客席から見れば海に飲まれるのか、あるいは水底に沈んでいくのかどちらにとも取れるだろう。
自分は後者だった、とヤチヨは心中で独り言ちる。
始まりは海。そう、自分が乗った『もと光る竹』は事故で海中に不時着した。
自らの体もなく、人もおらず、話すものはなく。気が狂いそうな茫漠の闇。
だが、自分がそれを耐えられたのはたくさんの思い出があったからだ。
かぐやとして過ごした、輝ける黄金の2ヶ月の記憶と愛する人の届けてくれた歌。
それがかつても今も彼女の道行きを照らし続けていた。
「ありがとう。愛おしい
ヤチヨはーーーー八千年、生きていて良かった!!」
パチン、と指を鳴らす音が響き渡る。
次の瞬間、彼女の足元を照らし出したのは輝く珊瑚。
それは燭台のように光を放ちながら、城のように組み上がり、闇に覆われた水底の世界の中心に歌姫のための舞台を作り上げる。
それと同時に闇の彼方から無数の光る魚たちが群れを成して現れる。
普段のツクヨミでもお馴染みの彼らだが、その数は通常の時の比ではない。
まるで流星群のように雪崩をうって舞台の上に流れ込み、ヤチヨの指揮のもとで踊り出す。
一瞬のうちに宵闇に閉ざされた深海が竜宮城もかくやという絢爛豪華な舞台へと塗り替えられる。
ーーーーこれは演出だ、本当の八千年前の水底はここまで美しいものではなかった。もっと暗くて、重くて、何もなくて、退屈で、絶望の月日が流れるばかりだった。
ヤチヨは理性的な部分ではそのことを理解している。
だが、今の彼女はそんな
八千年の長い人生、その旅路は辛いことがたくさんあった……だが、それだけではなかった。
悲しいことがたくさんあった……だけど楽しいことだってあった。
醜いものもたくさん観た……でも美しいものだってたくさん観た。
苦しいことがあった、絶望することがあったーーーーけれど、それだけで確かにあった喜びや希望を、その輝きを否定することはできない。
あの旅路を、孤独の一言で片付けたくなどない。
「ーーーー陽が沈み、夜が来て。星は巡り、月は昇る。
ーーーー静かの海、電子の宙。始りの光を覚えてる」
だから今こそ高らかに謳い、歌うのだ。
悲劇をただ単に悲劇だったと終わらせないために。
これこそは愛と希望の物語だったと語り直すために。
これは「めでたしめでたし」で終わるーーーー八千年のお伽話だったと締めくくるために。
「さぁ、みんな!ペンライト持った?シートベルト締めた?ジェットコースターみたいにガタガタ震えながら夜通しコールする心の準備はオーケー!?
今宵はみんなを
ーーーーLet’s go on a trip!!!!」
太陽でも地球でもなくこの日この夜、このひと時、世界は満月を中心に回る。
人類史上最大の
******
「ーーーーヤチヨ、ヤチヨ。……気分はどう?」
「…………………………ぃろ、は……」
私が声をかけると横たわったヤチヨがうっすらと目を開く。
棺のような筐体の中でゆっくりと身を起こすその姿はさながら眠り姫の目覚めのようだ。
おっとしまった。それなら一声かける前にキスでもすれば良かったかな。演出として最高だったろうに惜しいことをした。
「体、おも……げほっ、ごほっ……!」
「あぁ、大丈夫?吸引はしたけどちょっと喉に残ってたか……!」
「んんっ……!けほっ、平気……心配しないで。それより……ちょっと起きるの手伝って……」
「わかった。ほら捕まって」
半身を起こしたヤチヨへと腕を伸ばして体を担ぎ上げる。
筐体の淵から身を伸ばした体勢の都合上、かなり中腰になるのでちょっとキツイものがあったがなんとか耐え切る。私も40代が見えてきた年だが、まだこの程度で腰を壊したりはしないぞ……!
新型の義体に換装した時は大抵そうだが、感覚に慣れないうちは動きにくい。ヤチヨが体を重く感じるのもそのせいだ。
彼女は羊水にぐっしょりと濡れた裸身を大人しく私に預けて抱き抱えられた。
「卒業ライブお疲れ様、ヤチヨ。……そして、ハッピーバースデイ」
「……うん、ありがとう彩葉。ようやく……ここまで来れたね」
濡らしたタオルと乾いたバスタオルで、羊水のプールから生まれ出たばかりの彼女の体を拭き清める。
この20年の間に幾度も彼女の裸は見てきたし、その体の設計も私が行った。
だが今日この日に生み出された肉体を纏うヤチヨの姿はかの女神の生誕を描いた絵画のように眩しく、美しいものとして私の目には映った。
……いや、今はもう女神とは言うべきでは無いのだろうか。
本当の意味で生まれ変わった、本当の人間としての肉体なのだから。
彼女の新しい体を製造した柩型のこの筐体は、『もと光る竹』の生体精製機能を解析して作り上げた装置だ。
かつて情報知性体だったかぐやがあの電柱の中で人間として受肉したのと同じシステム。
あれを人間の科学と技術で再現することに成功した、私の20年の研究の成果である。
これを用いてヤチヨは今日、完全な人間になった。私達の悲願が今、叶ったのだ。
「体の具合はどう?どこか痛いところとか無い?」
「ん……どうかな、そういうのは無い……けど」
「けど?」
「ちょっと寂しい……かな。今は本当にこの身一つになったんだなぁって」
髪をドライヤーで乾かしながら尋ねるとヤチヨは自分の手元に目を落としながらそう呟いた。寂しそうに、感慨深そうに。
それもそうだろう。彼女はツクヨミの管理人として仮想空間を運営するシステムと直結していたし、多数の分身を用いて膨大なユーザーと交流したりもしていた。
今はそれも無い、完全な身一つだ。今や『もと光る竹』という不壊の筐体と無尽蔵の演算能力を持つオーパーツは彼女の本体ではない。
たった一つの体と、それを動かすための一つの脳。それが今の彼女の限界。
だからこそ、私は改めて彼女をぎゅっと抱きしめた。
「それが人間。人間の体だよ、ヤチヨ。たった一つの一度きりで、不自由でちっぽけで、弱っちくてままならなくて……そんな、みんなと同じ人間だよ」
「…………ヤチヨは、死ねるの?」
「うん、いつか死ぬ。そういう限りある命になった。私がそう造った」
「ーーーーあぁ、良かった。すごく、すごく……嬉しい……!」
抱き返してくるヤチヨの体は温かく柔らかく、生まれたての赤子のような良い香りがした。
骨格、筋肉、神経、皮膚、内臓、内分泌、脳の全て。細胞から遺伝子情報に至るまで全てが人間と変わらない、完全有機合成。
人と同じようにものを飲んで食べて代謝を行い、息を吸って吐いて血を巡らせ、起きて眠って夢を見る。
そして病んで老いて、いつか死ぬ。そういう限りある命へと生まれ変わった。
いつかの日の約束の通り、私と一緒に年を経て終わりを迎えるために。
「体の設定年齢は今ので後悔しない?」
「これでいいよ。彩葉と一緒に歳を取りたいから、彩葉と同い年がいい。……そ、それとももっと若い体の方が好みかな?」
「なーに言ってんの。前にも言ったけど何歳ボディだってヤチヨはいつだって可愛いよ。一緒にお婆ちゃんになるのが楽しみなくらい」
「え、えへへ……そうかな」
照れるヤチヨの容姿は私と同じで30代後半ごろを想定したモデルになっている。
まぁ、心持ち目尻に皺とか見えるような気がするし体の線も緩んでいる気がするが、それでも十分以上に綺麗だ。
むしろ理想的な妙齢の美女と言えるだろう。年齢半分くらいの小娘では真似できない特有の色気を感じて、こうして抱き合っているとすごくドキドキする。
このあと更に細かく精密検査とかもする予定なので患者着を着てもらっているが、今のヤチヨが羽織っているとなんだかムーディなナイトガウンに見えてくる。
私の認知が歪んでいる……いや、ただ色ボケになっているだけかもしれない。
「ヤチヨ、愛してるよ。墓まで行っても離さない」
「彩葉……ダメだよ、後で検査もしないといけないのに……♡」
ほっそりとした
唇は珊瑚の紅、瞳は真珠の彩。化粧もしてないのにこの美しさはなんということだろう。
もっと彼女の美しさに触れたくて、私は自身の唇を寄せた。
悩まし気に断ろうとするその仕草さえいじらしくて婀娜っぽい。
私はじくじくと滲み出す胸の内の衝動に従うように、彼女の顔を引き寄せてーーーー、
「うぃーっ!!おっはよーっす!!あー、ようやくメンテ終わった、クッタクタだよ。新管理人最初のお仕事が前管理人の卒業ライブの後始末ってそれどうよ!?まぁ引き受けたのはかぐやなんだけどさぁ。ところでヤチヨ新ボディはどんな感じ?マークIIIの時みたいに手足の感覚逆さだったりしてない?」
「ーーーーっと、かぐや。私らお邪魔虫っぽいわ、1時間半くらい間空けてまた来ましょう」
「待って待って待って!!違うから!!」
ーーーーと、ちょうどその瞬間に研究室の扉がバーンと開いて出てきたのは
二人は部屋に入って来たと同時に回れ右して帰って行こうとするので私は大声を上げて呼び戻した。
「違うって何が違うのよ!早朝から盛ってんじゃないわよ、いま何時だと思ってんの?っていうかこの後検査するんだからヤチヨの体に変な負担かけんなってわかってんでしょ!?」
「そこまではしないって!ヤッチョが可愛すぎてキスしたくなっただけだし!」
「まーたそんなこと言ってどうせキスだけで歯止めが効かなくなるんだからそもそもするんじゃないっての!なんで
「うっさいわね小娘!こっちは愛の熟成度合いが違うのよ!っていうかそっちもかぐや相手だったら同じでしょうが!」
ぐるるる、と興奮したイヌ科動物めいた唸り声をあげて口論する
かぐやの隣にいるのはもう一人の私自身。眼差しや瞳の細さはツクヨミ側のアバターに近い印象になっているが、概ね20年前……10代後半ごろの私を参考にした体を持っている。
複製に成功したのは30歳くらいの頃だからその時の自分の人格に近いはずなのだが、使っている義体に引っ張られているのか感性や性格は10代のそれに近い。
ちなみに使っている義体のモデルは
こちらの私もあちらの私も、紛れもなく私なのだがなんか顔合わせると必ず一回はこうして口喧嘩している気がする。
同じ私同士なのになんでこうなるのやら。
「かぐや、引き継ぎお疲れ。おかげで助かったよ」
「どぅーいたまして、かぐやちゃんに任せときんしゃい!ヤッチョこそ今までお疲れ!卒業ライブ超〜〜〜盛り上がったね!!めっちゃ楽しかった!!もっかいやりたい!!」
「「いや、流石に勘弁」」
今度は私二人の発言がハモった。それだけ昨夜のヤチヨ卒業ライブはハードだったのだ。
観客席数1500万、同接数は2億に迫り、中継されたテレビ放送なども含めれば更に視聴者数は億人増えるだろう。まさに人類史上最大のライブだった。
ツクヨミの全てを一旦更地にして丸ごと一つのライブステージにするという前代未聞の超スケールの舞台。
演出はヤチヨが辿ってきた八千年、日本の歴史を順繰りに巡るというものになっており、パフォーマンスにはこれまでツクヨミの歴史に名を残してきた名配信者もゲスト出演。
当然私達やかぐやも事前準備からステージパフォーマンスに至るまで全面協力でほぼ出ずっぱり。
ヤチヨの分身やNPCで済ませたくない演出もあったから、
「私、ライブ終わったらその足で精製装置のチェックして起動してモニターしてたからねぇ……。流石にこの歳で徹夜はキッツイわ……」
「体一つしかないと大変ねぇ。こっちは分身も板について来たから負荷減らせてるけど」
「なんか彩葉、人間離れ度合い進んでない?」
私はあくびを噛み殺しながら話しているが、あちらの私はだいぶ元気そうだ。若いってすごいね、というかあっちはどちらというと電脳に軸足を置いているから疲労の捉え方が違うのだろう。
……私は人間の体を脳から内分泌系にゲノムの配列に至るまで仮想空間上でシミュレートし、そこにデータ化した自分の人格アルゴリズムを複製・転写することで電脳体としてのもう一人の私を生み出すことに成功した。
最初のうちは常時染色体の挙動まで全身を演算して維持していたので大変処理が重たかったのだが、近頃は情報知性体として
『もと光る竹』の演算能力を間借りすれば分身も可能になっており、ヤチヨやかぐやと遜色ない領域に近づきつつある。
まぁ、その括りから先ほどヤチヨが外れたばかりだが。
「ヤチヨは本当の意味で人間になって、ツクヨミの管理人も引退。……彩葉、かぐやのことよろしくね」
「うん、今まで本当に本っ当にありがとう、お疲れ様ヤチヨ。ヤチヨのツクヨミは私が次の八千年守り抜いて見せるから」
「あるぇー……?そこは新管理人を襲名したかぐやちゃんが激励をもらう流れでは?」
「あんたは良いとこマスコットキャラでしょ。おっとこれはFUSHIに怒られるか……」
「むきーっ!彩葉のいけず!」
ヤチヨが情報知性体から人間になるということは、かつての本体だった『もと光る竹』から切り離されることでもある。
ツクヨミのメインサーバーである例のタケノコを使えなくなる以上、管理人としての業務を誰かが継承する必要があるわけで……それを任されたのがかぐやだった。
元々かぐや自身ヤチヨの側面の一つでもあるし、引き継ぎはスムーズだった。これから何があるとしてもFUSHIがアドバイザーとして続投してくれるし何よりもう一人の私がいる。
あちらの私はかぐやと次の八千年を共にするために生まれた私だ。
「ーーーーかぐや、あなたはヤチヨの夢。どうかこれから幸せになってね」
「うん、もちろん!
「うん、おねがい。ヤチヨとかぐやの約束ね」
「えへへっ、約束!」
ヤチヨとかぐやの二人はきゅっと小指を結んで交わした。
そう……ヤチヨは自分の八千年を受け入れた。大変なことはたくさんあって、辛くて寂しくて……それでも孤独ではなかった、自分の人生は悲劇ではなかったと高らかに歌い上げた。
そしてその長い旅路の果てのゴールテープを切るところまでやってきた。その道連れとしてこちらの私がいる。
人間として生きて、人間として死ぬ。それが私達二人の願いだ。
けれどヤチヨに一つ心残りというか、夢というものがあるなら……それは過ぎ去ってしまった昔の自分の「もしも」の話。
今の自分を否定する気はもうない。けれど……けれどもしも自分がかつてのかぐやのまま酒寄彩葉と添い遂げる道があったのなら?
八千年前の地球で遭難した過去の自分の絶望を救うことができたのならどれほど良いだろうか。
だからこそ、かぐやはヤチヨの夢なのだ。そして私の夢でもある。
かぐやは私達を導いてくれる眩い陽の光。その光を私はきっと未来永劫曇らせることなく守り抜いてみせる。
「そっちの私はこれからどうする感じ?」
「知ってて聞いてんでしょー。やること山積みよ」
かぐや側の私が水を向けてくるので、私は肩をすくめながら答えた。
この20年の間にやりたい放題やってきたので良い加減に自分でもちゃんと研究を取りまとめて対外的に安全に発表できる感じに仕立て直しておきたい。今までは職員に全部任せていたが、そろそろ私自身の
人間の電脳化による情報知性体への進化、遺伝子レベルで設計された完全有機身体の人工合成技術。
この辺りは特に取り扱いを間違うと危険だが、封印するには惜しすぎると個人的には思う。
どうにか安全な形で人類に広めたいところだ。
「あとはあれだね、ヤチヨに人権付与したい」
知り合いの国会議員を抱き込んで同性婚の合法化は通させたしな。
あとはAIを受肉させた生命体に人権と日本国籍を認める法案を提出させないと。
これが通れば晴れてヤチヨを合法的に私のお嫁さんにすることができる。
結婚式はウェディングドレスも白無垢もどっちも着てもらいたいなぁ……。いかんいかん、想像するだけで涎が。
かぐやと私が呆れた目を向けているが、ヤチヨは同じものを想像してくれているのかぽーっと可愛らしく頬を染めている。相思相愛とはこのことか……。
「なーに、最悪署名活動して数の暴力で国会を殴れば良いのよ。ヤチヨの名前を出せばサクッと数千万は集まるでしょ」
「前にお母さんに相談したら『法律はアンタの玩具ちゃうぞ舐めとんのかワレェ』って怒られたでしょそのアイデア……」
まぁそうなんですけどね。最悪の場合、お母さんと法廷か国会で
今のうちに伝手辿って日弁連と京都弁護士会のお偉いさん抱き込んでおこうかなぁ。
……けれども、私の私欲抜きでもこれは必要な法整備でもある。
CIAの伝手を経由して国連にも話を持ち込んでいるが、与太話と思われているのか反応が鈍い。
このままだと埒があかなそうだし、それならこっちで先に進めちゃおうかな。
「まぁ、私がやることなら好きにすれば良いけどさ。あ、それにも関係してくる話だけど、精製機今度使わせてね。
「おお、そうだね。電脳体経由で増殖した同一人物の複製体の人権ってどうなるのか議論した方がいいよね」
「それも全部彩葉一人でまとめてよくない?っていうか国会議員の人達ついていけそう?一般常識からの飛躍度合い的に」
もう一人の私の提案を聞いてポンと手を打つ。
今は精製機はヤチヨの体を造るための設定になっているが、少し弄れば他の人間にも使える。あくまで超高性能の3Dプリンターみたいなものだからね。
あとは電脳サイドで分身慣れしているあちらの私が人格を一つ入力して三人目の私を
そのことはちょっと前から決めていたことである。
「体一つにつき籍一つあればヤチヨとかぐやだけじゃなくて芦花も嫁入りさせられるんだけどなぁ」
腕を組みながらボヤく。
……私が芦花の自分に対する想いを知ったのはつい最近のこと。有機体精製機の完成目処が立ち、本格的にヤチヨを人間として私の伴侶としてお迎えすることをみんなに伝えた時のことだ。
『……今までずっと大好きだったよ。これでようやく諦められる』と涙ながらに言われた時の衝撃といったらもう後頭部をハンマーでぶん殴られたような重みだった。
そのとき私は、二十年間ひたすらヤチヨとかぐやの未来のために奔走する私を芦花がどんな気持ちで支えてくれていたのかを想像して青くなった。
「ヤッチョ達さぁ、この二十年何回『このクソボケがぁーっ』て酒瓶で殴ろうと思ったかしれないよね……」
「かぐやも。だけど芦花から厳重に口止めされてたからさ」
「「本当に恥ずかしい限りです」」
私たち二人の後悔の声が揃う。
ーーーーだが、悔いるばかりで終わらないのがこの私、酒寄彩葉だ。
ようやく諦められる?バカを言っちゃいけないよ芦花。私が二十年来の親友を泣かせて自分だけ幸せになれるような薄情者に見えたのなら、舐めていると言わざるを得ない。
なので、ヤチヨとかぐやだけでなく、芦花も娶るために
「私の中にあるありったけの芦花への想いを全面的に抽出した
人間の人格構造は画一的なものではなく、状況や対面する人によって様々に切り替わる。
一つの体、一つの脳、一つの人格では同時に前に出せるそれに限界があるが私は私を増やすことができる。
なので『芦花のことが大好きな自分』を抽出して受肉させることも可能だ。
ちなみに人格抽出のやり方はヤチヨがかぐやを切り出したときの
既に運命の相手がいるから諦めるだとか言われても困るんだよなぁ、一つしか選べない運命なら自分を増やして複数選びに行けばいいんだよ。
ヤチヨとかぐやがいるから身を引く、なんてことは絶対に言わせない。芦花の失敗はその想いを墓まで持っていかなかったことだ。
ハッピーエンドから逃げられると思うな、お前もめでたしにしてやる……!!
「やれやれ、なんていうのか。一段落ついたような気分だったけど、これからもみんなそれぞれ忙しくなりそうね」
「うんうん、ヤッチョ達もなんだか老後で引退気分とはいかなさそうなのです。やはり浮世はこうでなくては!なーんてね♡」
「ま、私とかぐやの方はどっちかっていうとツクヨミ側メインでこれからも色々やることあるしなぁ……」
「そうそう!かぐやちゃんの新体制ツクヨミを乞うご期待ってね!」
かぐやがニカっと笑って親指を立てる。
彼女が打ち出す新体制、これからのツクヨミの展望については私達も聞き及んでいる。というか今日までその下準備にも奔走していた。
……そう、あくまで今日まで。
ここで現実を生きる私とヤチヨ、ツクヨミの管理人となる私とかぐや。それぞれの道が分かれる。
その気になればいつでも不死身になれる私達はそれでも定命の人間として生きて死ぬことを選んだ。
惜しむことはない。二十年前の、あの夢のような黄金の夏を永遠にした、もう一組の私達がいてくれるのだから。
「まぁ、情報生命体として生き続けることに飽きたらいつでも受肉して定命ボディに換えなよ。こっちはいつでも歓迎するからさ」
「そっちこそ。死ぬのが怖くなったらさっさと体乗り換えなよ。サーバーの
……とはいっても別に今生の別れでもないし、引き返せない道を行くわけでもない。
死にたくなれば死ねるし、死にたくなくなったら死なないでいい。私の技術の元では生と死はあくまでも命の状態の側面でしかない。
いつでも道は切り替えられる。向こうの道にいる人に何度だって会いに行く。
未来は無限だ。私達はその無限の中から好きなものを選び出せる手を持っているのだから。
「んじゃ、これからの未来を祝してーーーー仲良しのやつ!」
かぐやの号令に揃って、四人で指を出す。
人差し指と中指を突き出してちょん、ちょん、ちょん、と私達のサイン。
みんなで合わせた四人分の二つ指が星のような図を描き出し、私達は笑い合った。
******
「彩葉……ん……っ♡」
かぐや達は朝ご飯の用意してくる、と言って部屋を辞した。我が研究所の給湯室は食道楽のお姫様の趣味によって改装されており、立派な食堂設備を備えるまでになってしまっている。
どうせ午後からはヤチヨの新ボディに何も問題なければ、関係者を集めて打ち上げパーティの予定だし、その仕込みもしてくれるだろう。
そしてあちらの二人の気配が消えると同時、私達は自然と唇を重ねていた。
笑いたくば笑え。私達の願いが完全に叶った日なのだ、歯止めが効かないのも仕方がない。
このあと精密検査このあと精密検査……、と呪文のように脳裏で唱えるが研究者としての倫理と人間として理性はアーク放電に晒される鉄板のようにガリガリと加速度的に焼き切れていく。
腕の中にいるヤチヨからは生まれたての生命そのものというべき赤ん坊のような甘い香りがする。
力を込めてその輪郭を確かめる。柔らかくてしなやかな、それでいて温かく甘やかな、一人の女性の体の感触。
目を閉じれば体の奥にとくんとくん、と心臓の確かな拍動を感じる。
……ああ、生きている。そのことを実感すると私は涙が溢れそうだった。
「ヤチヨ……一つ、いいかな」
「なぁに、彩葉?」
唇を離して正面から向かい合う。視界いっぱいに広がるヤチヨの綺麗な顔。
こちらを覗き込んでくる真珠色の瞳は妙齢の大人の色気を湛えていて思わず胸がときめいてしまう。この年齢設定のヤチヨならではの魅力で早くも私は陥落させられている。
無意識のうちにそっと撫でた頬は珊瑚のような綺麗な紅色。血管の拡張による紅潮、私自身の目の錯覚ではない自然な頬の赤らみがなんて愛おしいことだろう。
どくんどくん、と私の心臓が跳ねている。今目の前の彼女の美しさに魅入られているーーーーだけではない。
これから口にすることは私自身にとってもとても緊張することであったからだ。
「えっとね……今のヤチヨの体は人格構造から逆算する形でゲノム配列まで化学合成してあって、遺伝子とか染色体の挙動まで人間と完全に同じものになってるの」
「うん、知ってる。……月人の技術の再現とはいえよくここまでできたよね……っていうか本当によく解析できたよね」
「うん、頑張った。……で、まぁ、なので……その、そこからiPS細胞用意して任意の形で生殖細胞を用意することも……できます」
「……」
その単語が出てきた段階で意図を察したのかヤチヨは目を見開く。
その人間のiPS細胞を用意すれば、元の持ち主の遺伝子を持つ任意の体細胞を作ることができる。2050年現在の再生医療ではよく使われている技術だ。
……で、これの応用で生殖細胞も作れる。それも任意の性別にはない生殖細胞だってだ。
女性から精子を作ってもいいし、男性から卵子を作ることもできる。
ーーーーまぁ、私が何を言いたいかというとだな。
「ヤチヨに……私の赤ちゃん産んでほしい……」
口にすると同時に、ものすごい恥ずかしいことを言った自覚で顔が熱い。まともに正面を見れない。
有機身体の目処が立って本格的なプロポーズした時だってここまでではなかった。
……まぁ、私が産むという選択肢もあるが今の年齢でお腹に子を抱えるのはちょっと勇気がいることだ。無論、ヤチヨが望んでくれるならその勇気も出すが。
ヤチヨも私と同い年、30代後半の体を望んだことは少しネックではあった。だが、この年齢帯でも危険性を極力減らすことができるように内臓や骨格は丈夫に作ってある。
いや……でもなんというのか、そういった体の事情や技術やリスクというのは実のところ建前にすぎないのではないだろうか、とは考えていることであった。
なんせ。なんせ結局のところ……、
「い、彩葉……」
「ぅ、うん」
「彩葉は……そのヤチヨとの間に赤ちゃん欲しいんだよね?」
「……うん」
「その上で、その、
「……はい」
「…………っ♡」
その質問に嘘をつくことはできなかった。
ちらりと薄目を開けて前を見ると、ヤチヨは頬を珊瑚どころか林檎のように真っ赤にしていた。
この上なく照れ臭そうに目を左右に泳がせながら……その片手は患者着の上から下腹をさすっていた。
それを意識した瞬間、一際強く自分の心臓が跳ねるのを感じた。
肋骨を内側から喧しく突き破りそうな律動ーーーーいや、興奮だった。
「彩葉ってば……目つきがやらしいよ?」
「…………っ」
「じゃあ彩葉は……さ。ヤッチョのお腹を彩葉との子供でおっきくさせたいんだよね……」
「……はい」
「ーーーーヤッチョのこと、孕ませたいんだ……♡」
「はい……っ!」
結局のところ、そういうことだった。
そうだよ!
おっきくなったお腹を抱えたヤチヨと手を繋いで一緒に産婦人科に通ったり、お腹に耳を当てて中の子供の胎動を感じて感慨深くなったり、2人でベビー用品をああでもないこうでもないって言い合って吟味したりとかしたい……っ!
いや、もうそういうのとはさらに別の根源的な欲求として、自分のお嫁さんをお母さんにしたい……!自分の種で孕ませて子供を産ませたい……!
ヤチヨが、ヤチヨこそが私の世界で一番大切で愛してる人なんだって誰の目にも見える形で証明したい!2人の愛の証が欲しい!愛の結晶が欲しい!
「私、ヤチヨのこと孕ませたい……っ!私の赤ちゃんをヤチヨに産んでほしい……!」
「彩葉、いろは……っ♡わ、私、すごくうれしい……っ♡」
あまりにも動物的すぎる私の告白。
みっともないと言って差し支えないそれを、ヤチヨは目を潤ませながら受け止めてくれた。
私の腕の中に可愛い花嫁が、私の奥さんが飛び込んでくる。
ぎゅうっと抱きしめあうと互いの早まった鼓動を感じる。どっどっどっ、と高鳴るそれはエンジンのよう。
興奮と情欲と愛おしさがないまぜになって心臓を掻きむしりたいほどに狂おしい。
「いろは、ヤチヨもいろはとの子供が欲しいっ♡ 赤ちゃん、可愛い赤ちゃん作ろっ♡ 絶対大切にするっ♡ この世界で一番幸せな家族になろうっ♡♡」
「うんっ、うん……!!」
頷くとともに、頬を熱い涙が伝うのを感じた。
そうだ、私達は家族になるんだ。私達2人が結ばれて、その間に子供が産まれて、家族になる。
それはなんて幸せな未来の形なんだろうか。
この世界にありふれている、そして同時にかけがえのない幸福の形の一つ。
幾千年に渡り紡がれてきた、連綿たる人の営みの連なり。
私達もその一部として繋がっていくーーーーそれは他ならぬヤチヨが人間となったことの証であり、祝福だった。
「だからヤチヨのこと、いろはの手で孕ませて……っ♡♡」
ーーーーなので、耳元でそう囁かれた瞬間、私の理性の蓋は焼き切れてしまった。それはもう熱烈な勢いでバッツンと大きな音を立てて。
ここで抱いても種付けできるわけじゃない、みたいな話だとかこの後の検査への影響だとかそう言った正常な判断力は最早脳の彼方であった。
私は喉から火を吹きそうなほどに内側から溢れ出る愛しさに突き動かされるままに、患者着姿のヤチヨを検査用のベッドの上に押し倒した。
「ヤチヨ、愛してる……っ♡♡」
愛を伝える言葉が『愛』しかないことがこんなにももどかしい。文系に進んで詩を学んでおくべきだったかと本気で思った。
だが、それ以上に私には自分の体がある。万の言葉を尽くすより直接的に私の愛を表現するためにーーーー私はヤチヨの体を強く掻き抱いたのだった。
なお、このあと秘書さんに見つかってしこたま怒られた。
******
「かぐやっほー!!毎度お馴染み、月からやってきたかぐやだよー!!今日は新管理人として初めての公式配信!みんなヨロシクな!」
「いろっぴー、毎度お目付役のいろPです。みなさんどうもこんばんは。ツクヨミ公式チャンネルからお届けしています」
「レポーターを務めますは、今日も元気にわんわんお!忠犬オタ公!しっかり職務果たして参ります!
ーーーーそういうわけであちらの方をご覧くださいみなさん!この会場の盛り上がり、この人数!人類史に残る世紀の瞬間をリアタイすべく世界中からリスナーが現地参戦しております!」
「うわぁ……、柵の向こうがすごいことになってる。ドームライブじゃないんだけどね?」
「ってなわけで発表!本日の配信のタイトルはぁ〜どぅるるるるるる〜〜っ!デェェェン!『かぐや、里帰りしてみた!』」
「タイトル過去形になってるけど、これから行きます。あ、アレがロケットです」
「いや〜しかし驚きましたね。まさか本当にかぐやちゃんが月世界人だったとは」
「でもほら、毎回言ってるじゃん?月から来たって」
「流石にマジのガチで宇宙人だったとはみんな思って無かったっすよ……。それで……いろP博士、かぐやちゃんの故郷である『月』に行くのにロケットの発射場所はツクヨミで良いのでしょうか?」
「そうですね。ヤチヨはツクヨミを作る際に『月』の環境を参考にしたので、仮想世界であるこちらの方があちら側……情報宇宙の方に近いんですよ」
「そーそー。それで20年前に一回強制送還くらった時もお迎えはこっちに来たわけだしね。あっ!!でも今回は大丈夫だかんね!!ちゃんと仕事終わらして円満退職した身だから、マジで今回はちょっとした里帰りだからな!!10年も待たせないから安心しろよオタクども!!」
「う゛っ(悶絶)。トラウマを刺激されて少し死にましたが大丈夫ですっ。えー、それでお二人が留守中のツクヨミの運営はどうなるのでしょうか?それと宇宙船の安全性は確保されているのでしょうか?」
「ん、安心しときんしゃい。ちゃんとヤチヨ仕込みの仕事用分身用意してるし、FUSHIはこっち残るから運営は滞りなし。バッチリ!」
「まぁ、かぐやはともかくFUSHIがいてくれるなら大丈夫でしょう」
「酷っ!?」
「宇宙船に関してなんですけれど、実はあちら側の月人達とメッセージ上のやりとりは行っていまして、こちらの船が迷わないようにビーコンを打ってくれています。なので次元の狭間で漂流して消滅するリスクは低いですね。あとは途中で障害物に当たったりして浦島太郎になったりでもしない限りは……」
「いろP博士?失敗した時のリスクが洒落にならないっぽいんですけど?」
「大丈夫です。私からツクヨミに出している信号が途切れるともう一人の私が起動するシステム組んでるので……というのは置いておいてですね。まぁ、現実世界側で飛ばすロケットがいつでも失敗して墜落したりするリスクがあるのと一緒です。最悪の想定はいつでもついて回るのでこればっかりは仕方がない」
「そうだよーっ。辛気臭い話ばっかじゃなくてさ、もっとワクワクする話しよっ!例えばねー、情報宇宙側だと知的生命体の精神活動をデータ化して観測しやすいんだー。かぐやが地球見つけたのだって、そういう『窓』を通してだもんね!」
「えーと、つまり、『月』からは地球はよく見えるとかそういうことになるんですかね?」
「んーん、それだけじゃなくてね。『月』からなら他の惑星や次元の文明圏、要は別の異星人も見つけやすいよって話。月人はみんなそういうの興味なかったから真面目に探してないけどさー、ちゃんとやれば地球以外にもっと見つかると思うんだよね」
「はい、これから地球と『月』との交流が進んであちらの設備も使わせて貰えるようになれば……私達人類は情報宇宙を介してより多くの種類の、地球人とも月人とも違う知性体と出会うチャンスがあると考えています」
「えぇぇぇぇっ!?私達、世界初の異星文明行きロケットの発射を見届けに来たんですけどなんかもっと重大な話聞かされてませんかねコレ!?」
「そそっ。かぐやの里帰り企画なんてまだまだ序の口!ここからが宇宙時代のスタートラインだぜ!」
「そういうわけで……私達はこれから先の未来に向けて、このツクヨミを情報宇宙への玄関口、そして異星文明との交流のためのポータルとして整えて行きたいと思っています」
「これこそかぐやちゃんが運営するツクヨミ新体制の目指す先!地球人類、ちゃんと聞いてたか!?乗り遅れるなこのビッグウェーブに!!ユーザー登録よろしくお願いしますっ!!!!」
「ツクヨミへのアクセスはお手元のスマコンから、URLはこちら!ーーーーっと、現地客席もコメント欄もすごいことになってますね!あの一角なんて月人のコスプレしている方々が泣きながら宇宙を仰いでますよ」
「……アレはうちの職員ですね。そっとしといてください……」
「コメント『国連の討議が追いつかないのでちょっと待ってくれませんかbyワインの人』だってさ。いや〜今は世の中の何もかもが早いんですわ、ご自分の鈍足を恨んでください御愁傷様ってね。
ーーーーなんてったって、かぐやってばうさぎだもん。ぐずぐずしてたら追いてっちゃうよ!全人類全速力でついてきな!」
「あ、そうそうオタ公!」
「はいはい、なんでございましょう?」
「オタ公とも長い付き合いだね。いつも最前列で応援してくれてありがとう!!」
「ーーーーいいえ、お礼なんて。あっしは忠犬のオタ公、好きでやってることですから。
……これからも楽しい姿を見せてください。それだけで来世までお供しますとも」
******
「ところで今更の話なんだけどさ、かぐや」
「お、なんだいなんだい?」
「今『月』に行ったらさ、まだ向こうで仕事してる時間軸のかぐやがいるんじゃないの?
「あー。ヤチヨは輪廻だとか大層なこと言ってたけどさ、かぐや達の時系列は
「ふーん。それじゃあ、『月』のかぐやが地球に飛ぶときに事故らないよう手を貸してあげてもいいわけだ」
「お、いいねえ。そういう世界が一つくらい生えてきても全然ありだ!」
オタ公さんに挨拶をし終えた私達は雑談を交わしながらロケットに乗り込んだ。
今から世紀の大実験、人類史に新しい一歩を刻みに行くというのになんだかいつも通りの気分なのがおかしかった。ちょっとした小旅行で電車に乗り込みに行くような心持ち。
別に緊張してないわけでもない、興奮していないわけでもない。
でもそれは私にとって本当にいつものことでーーーー。
あぁ、そこまで考えて気がついた。
この胸の高鳴りはずっとかぐやが隣にいるからか。
素直な心のまま、若い
私は、いつだってかぐやの眩さに心惹かれている。
その輝きがいつでも私を新しい世界に連れて行ってくれる、ドキドキさせてくれる。
私は、今でもあなたに恋をしている。
「ところで船の中は大丈夫?
「今はなんとか。意味消失しそうになったらかぐやに頼るよ」
「ふふん、そこはかぐやに任せなさい。プロですから」
宇宙船の内部環境は『月』、ひいては情報宇宙の環境に近いものを再現している。
物質宇宙から次元を潜航して突入した時に圧力差でぶっ壊れないようにするための処置だ。
私の視界には2Dドットのコックピットが写っているが、それも私の認識に
元々仮想空間はあちらの宇宙に近いとはいえ、人間である私の電脳体をこっちに馴染ませるのは人体を一旦プレス機にかけてペースト状にするような苦労が伴う。
情報知性体としての在り方にそれなりに馴染んできた私でもこれなので、まだしばらく民間人の情報宇宙旅行は難しいかもしれない。そこらは要発展だ。
ちなみに
そもそも『もと光る竹』の解析を通してこの宇宙船を建造する際に一番役に立ったのはかぐやの見識である。この分野においてはプロを名乗る彼女に甘えさせてもらうとしよう。
……まぁ、途中で隕石にぶち当たらないようにだけは注意しないとね。
「ーーーー思えば、遠くまで来たもんだね。お互い」
「んふふっ、彩葉を連れて里帰りなんて夢にも思わなかったな〜。みんな驚くよ?」
「……でも、まだまだ満足なんてしてないでしょ?」
「もち!もっともっとも〜っと楽しいことやりたいこと、八千年かけてもやりきれないくらいにいっぱいあるんだからね!ーーーー彩葉もちゃーんと付き合ってね!!」
「責任取るよ」
全てがデータとして分解されている視界の中でもかぐやの笑顔だけはそこにある現実のように輝いて見える。
……あぁ、彼女の言う通りだ。今を生きる人間としての幸福はヤチヨとあちらの私が思う存分満喫してくれるだろう。
だからここにいる私たちはもっと楽しく、そして自由に、どこまでも心置きなく飛んでいこうーーーー私の愛するかぐやと一緒に。
「行こうか……発射シークエンス開始!
「
最終安全装置、解除!
ーーーーよっしゃあ!天気晴朗波穏やか也!出航日和だ面舵一杯!仮想次元間弾道宇宙船『ジョルジュ・メリエス』号、発射準備完了!!
10、9、8、とカウントダウンの音が聞こえる。
コクピットの中だけじゃない。私たちの配信を見ている世界中の人たちが一斉に声を上げてその瞬間を待ち侘びている。
重奏の大合唱が、人々の興奮が地響きのようにツクヨミを震わせていた。
まるでライブの開場直前みたいな盛り上がりだな、なんて思う。
それも良い、この一瞬を最高のお祭りにしよう。一瞬を永遠にするように、これからも煌めいて歌い続けるように。
仮想のコックピットの中でかぐやと手を握りあう。
あなたに触れる右手が震えるのはなんでだろう。興奮か、武者震いか……それとも溢れ出るこの胸の高鳴りのせいだろうか。
ただ私は万感の思いを込めて隣の彼女と笑い合った。
「いろは、大好き!これからもずーっと一緒だよ!」
「かぐや、愛してる。どこまでも行こう、二人で!」
******
その晩、空に一筋の光が昇った。それは花火のように、或いは逆回しの流星のように宙を駆ける。
眩い尾を引きながら一直線に、あの満月を目指して。
見上げる幾多の人々の願いを背に受けながらーーーー夜空に、虹を架けたのだった。
Fin, EX-Ever After.