忠犬オタ公の正体についても色々と考察があるようですが、個人的には本当にただのオタクだったら嬉しいなぁという話です。
私は鼻が効く。
おっとここで云う鼻が効くというのは臭いを辿るのが得意、みたいなそういう物理的な話ではなくて、もっとこう直感とかそういう面の話だ。
ちっちゃな頃からドルオタで15で末期と言われたよ、みたいなノリの私は今では忠犬オタ公という名を掲げ
アイドルなり歌手なり配信者なり、それなりの数は見てきた自負があるし、だからこそ相応の目利きができる自信がある。
なので活動始めたての子を見た時「おっ」と来るものがあるなら欠かさず動向をチェックするようにしている。その辺の第一印象は概ね正しいと私は信じているからだ。
……まぁ、必ずしも絶対じゃないけどね。初期から見守ってて推してた子が跳ねないまま引退発表するのはいつでも我が事のように苦しく、顔面土砂崩れになる。
ただそれが怖くて推しを推さない理由にはならないし、なにより自分が楽しく推し活をしている姿が推しへの助けに僅かでもなれているのならこれ以上に幸せなことはないだろう。
後で悔いる可能性にビビって今に狂えないなら、オタ公名乗る甲斐がないってもんよ。そう思っていたから。
さて、そんなこんなで目利き鼻利きに自信のある私は、あのときにあの子を一目見たみた瞬間にビビッと来るものを感じたのを覚えている。
2030年の夏、ヤチヨカップ開催の告知が行われた会場で、
面白いやつがいるぞ!というのがまず真っ先の第一印象だった。
テンション上がりすぎたか思い上がりすぎた厄介ファンだったのか、普通ならそんな感想になるところだったが、あの瞬間見えた瞳のキラキラはそういうのじゃなくて、もっと純粋な、光るものを見つけた子供のような純粋無垢な色合いで……既にそのときから私は彼女の輝きに魅せられていたのかもしれない(後方腕組み面)。
ヤチヨカップは1ヶ月の間に獲得された新規ファン数を競うお祭りだ。
私の記憶にいなかった……つまり完璧に無名だったあの子はゼロから一月でツクヨミの頂点まで駆け上がることを宣言し、そんでもって翌日にはもう配信者活動を始めていた。
判断が早い。
マジで早い。だが、この圧倒的な『早さ』はかぐやという配信者の最大の武器だった。
思いついたらやる。考える前にやる。とにかくやる。圧倒的な好奇心と
最近は何もかもが早いとはよく言われることだが、かぐやの驚異的な更新頻度の早さはその比ではない。
尽きることのない速度でコンテンツを叩き込み続けるというのはこの時代の最適解の一つだ。選べる娯楽が山ほどあるのなら、さっき見ていたものの続きがすぐに更新されてくれたほうが視聴者はありがたいのだから。
当然、粗は出る。最初に投稿された動画なんてもう本当に酷いもんでガタガタな画像のタイトル画面と不協和音のジングル、配信始めました、以上、みたいな虚無い中身。
まぁ、カメラ切り忘れのせいで中の人がリアル美少女だとわかったせいでこれだけでチャンネル登録者が増えたってのは怪我の功名?或いは天の采配だったのかしれないが。
でもその粗さがまた良かった。ペットボトルロケットは飛ばないし、同時視聴で観てた映画は好みのエンドじゃなくて泣くし、ゲームでは詰まって耐久配信になっちゃうし、すんなりうまくいくのを画面に収めるタイプの配信者じゃなかった。
代わりにかぐやはなんにでも全力だった。思いっきり泣いて笑って、思いっきり怒って喜ぶ。はしゃぎたがりの子供が身の回りの全てを遊園地みたいに扱うみたいな、そんな躍動感に溢れていた。
周りを楽しませるにはまず自分が楽しんでいる姿を見せること、というのは私の長年の経験から言える真実だが、その点で言えばまさに彼女は天性のエンターテイナーだったといえる。
うまくかないことさえもエンタメに変えられるのは彼女の大きな武器だが、うまいことだって当然ある。
料理と歌と踊り、これはいずれも天才的な腕前があった。
料理に関するプロ並みの知識と腕は過去の配信動画のサムネを見るだけでわかるが、写真見るだけで涎が出てきそうな出来だ。
家主のいろPは食費が嵩むからあまり凝りすぎても困ると言っているのに毎回美味いものを食わされるので強くは言えない……と言っていた。惚気か?いろPに関してはまた後で尺を取ろう。
かぐやがツクヨミ内で辻ライブを告知したならば私は可能な限り時間を取って現地参戦した。かなりの古参である自負がある。
その古参として腕組みしながら語るのであれば、彼女のライブはかなりアドリブ性が高い。このことはみんなも納得していただけると思う。
きっとかぐやは音感も体幹も良くて、その気になればもっと完全性の高い(それこそヤチヨのような)パフォーマンスをすることもできるのだろうが、敢えてしないのだ。
一度舞台に立つと、歌うこと、踊ることそれ自体の喜びを全身で表現している。歌いながら笑い声が挟まるし、振り付けを無視して踊ってるんだが暴れてるんだがよくわからないボディランゲージをしてたりする。
だがそれがいい。粗さが良さになると先程も述べた通りに、この崩しに崩したライブパフォーマンスが見ていて滅茶苦茶楽しいのだから。
きっと彼女は緊張なんてものを知らないのだろう。だから失敗なんて恐れないし、完璧なものをお客さんに出そうなんて意識とは無縁で……それ故に全身全霊で「自分の楽しさ」に没頭できる。
そしてその楽しさにみんなを巻き込んでしまうことができる。
彼女は天性のエンターテイナーで、アイドルの天才だった(断言)。
そうして獲得ファン数ランキングを駆け上がっていくかぐやが、また跳ねたのはいろPのリア友でもあるという美容系インフルエンサーのROKA及び美食系インフルエンサーのまみまみとコラボを始めた時だろう。
かぐやちゃんはなんとリアルでもド級の美少女、ド美少女なので顔を出してのROKAのメイク動画やまみまみの食事配信なども十分バズるポテンシャルがあり実際跳ねた。この面子が目の前に揃って連れ歩いてたら目ぇ潰れるわマジでリアルってリアリティ無ぇな。
本来ならここにいろPもいるっていうんだからマジで勘弁してほしい。当時のいろPは顔出しNGを貫いていたから映ってないんだが……。いえ、撮影係としても画面外にいるいろPの幻視でドッグフード3杯いけますわんわん。
いい加減にいろPについての話もしないと怒られそうだ。
今となっては2ヶ月弱の活動期間だったかぐやよりもいろPの方が、世間的には音楽系配信者としてのいろPよりも「いろは人間工学研究所」の酒寄彩葉博士の方が有名かもしれない。
古参ファンを自認する私からすれば隔世の感があるが、こうやって振り返ってしみじみとした気分になるのもまた古参の特権だろうか。
いろPは最初、かぐやの配信でジングルを作ってくれた人として紹介され、続いてオリジナル曲担当、更にはライブでの伴奏担当という形で活躍の場を増やして……もといかぐやに引き摺られて増やされていた。自身は乗り気ではなかったしかぐやの裏方に徹するつもりだったっぽいのでこの時期はずっとキツネの着ぐるみだったか、いやぁ、懐かしい。
リアルではかぐやちゃんの家主で同居人らしいというのはわかっている。ただどういう経緯でそういう関係になったのかについてはいまだに不透明な部分が多い。
当のかぐやは月から落ちてきたところを居候させてもらってる、と配信などで言っていた。彼女は月のお姫様という設定なのだった。
この前いろPに聞いた時はなんて言ってたか……えぇと「娘、妹、恋人、家族、そういうの全部をひっくるめた大切な人。生きていく理由そのもの」。……これはただの惚気か。
まぁ、なんにせよかぐやが配信の中でいろPに言及することも多く、同棲しながらリアル配信することでチラチラすることもあったりしてその懐きっぷりと仲の良さはファンの間ではすっかりお馴染みになっていった。
かぐやガチ勢求婚者5人抜き、の一件を覚えている人も多いんじゃないだろうか。
そんなこんなでぶっきらぼうながらも面倒見が良い保護者のいろPと、破天荒でいろPを振り回しながら甘えるかぐやという絵を見たくて配信を追っていた人も多かったように思う。
かくいう私もその一人。2人のいちゃつきを匂わされるたびに手を合わせて「いろかぐてぇてぇ」と拝みながらふじゅ〜をお布施していたものである。
……そういやこの時期のいろPってツンデレだったな……今じゃ信じられないんだけど。
あくまでかぐやちゃんのパートナー、かぐやの裏方というスタンスをとり続けていたいろPだが、明確に彼女自身の人気が跳ねた瞬間といえば……やはりヤチヨカップ集計最終日をおいて他にないだろう。
それはかぐやとプロゲーマーチームである「ブラックオニキス」とのコラボ配信、KASSENでの正面対決の場でだった。
着ぐるみじゃ不利だと悟ったいろPがついに顔出しすると同時に、オニキスのリーダー帝アキラの実妹であると明かされたのである。
あのときの衝撃と各種SNSでの反響具合は筆舌に尽くし難いものがあった。ただでさえ(パフォーマンスだったろうが)
ようだ、と伝聞系なのはこの時の私、実況盛り上がりすぎてちょっと記憶がとんでるからなんだよね。
この大暴露の中でいろPはプロゲーマーの兄にも一歩も引かぬ戦いぶりを見せつけ、ついにはかぐやとのコンビネーションでこれを討ち取った(試合には負けたんだが)。
この時の彼女の勇姿でいろP推しになったファンも相当な数いたのは想像に難くない。っつーかあのハンドサインなんだよ仲良しのやつじゃねーよ公衆の面前でイチャつきやがってマジ眼福ですご馳走様です。
このゲーム配信での伸びがなければ「かぐや いろPチャンネル」のヤチヨカップでの優勝はなかっただろう。
私は実のところこれは帝アキラなりの妹さんへの激励というか、手助けだったんじゃないかと思っていたりする。それに帝がかぐや推し勢なのは公言しているわけだし。
お二人の応援だったんですか?と実際、彼に尋ねたこともあるのだが「お互い盛り上がったし、みんなも楽しかった。それが全てだぜ」とのことだった。彼も彼で生粋のエンターテイナーだ。
なんにせよ、1ヶ月の間に0から100万人以上のファン数を積み上げて「かぐや いろPチャンネル」はヤチヨカップの優勝を果たした。
これに類似する記録を持つ配信者はこれまでの配信文化史の中で数えるほどであるが存在するし、リアタイもした私だがあの一月のお祭り騒ぎ感は何物にも代え難いものだったと言えるだろう。
そして待ちに待ったヤチヨカップの報酬、月見ヤチヨとのコラボライブ!
私は今でもこの時の映像を度々見返すが、見るたびに視線が釘付けになりあの瞬間の興奮が胸に蘇ってくる。
歌詞も振りも無視したアドリブパフォーマンスでステージ上を暴れ周りながらも締めるべきところは締めて全身で舞台の喜びを表現するかぐや。
初めは見るからにガチガチに緊張していたのに(そう、ステージで顔出しするのは初めてなのである!)少しずつそれが解けてからは笑顔で演奏とダンスを見せてくれた初々しくもメロいいろP(「ヘイベイビー」でハートぶち抜かれた人は多いと思う)。
そして主催として二人を導きながら、ステージ上でかぐやに乗ったりいろPを照れさせたりしながらこれまでにない嬉しそうな笑顔でパフォーマンスをする月見ヤチヨ。
月見ヤチヨはAI配信者として観客の目線や注意の方向をリアルタイムで数値化して対応することで完璧な舞台表現ができるという話を聞いたことがある。サーバーどうなってんだ。
つまり一挙手一投足が観客を魅了するために計算し尽くされているということなのだが、あの時の彼女はその辺りの完全性をあえて無視していたように思う。
けらけらと笑いながら歌うなんて見たのは初めてだったはずだ。
……そう、後年のインタビューで知ったことだが月見ヤチヨにとってもあの時は特別なステージだったことが伺える。
それだけ、月見ヤチヨという
コラボライブは最後に多少意味深なアクシデントこそあったものの、大盛況のうちに幕を閉じた。
そしてかぐやはこれからももっと多くの人々を魅了し、伝説的な配信者となるであろう……と私も、この世で数多のオタクたちがそう確信したであろう。
だが、現実はそうもいかない。コラボライブから程なくして、9月中旬でのかぐや卒業が発表された。
アイエエエエ!?ナンデ、ソツギョウナンデ!?!?とはあのとき初報を受けた全ての人が思ったことだろう。私も寝耳にハイドロポンプ状態で一時恐慌状態に陥ってしまった覚えがある。
卒業の事情については当時でも今でもチャンネルでは「やむにやまれぬ事情」とだけ説明されており、関係者各位も口をつぐんでいる。
10年経っても様々な憶測が飛び交っており、それこそ本当にかぐやちゃんは月のお姫様であり本当に月の迎えが来てしまったんだ……と囁くものもいる。
流石に与太だと思うが……私個人としては実のところこの説が一番近いんじゃないかと思っていたりする。状況証拠的に。
だってかぐやはあんなに楽しそうだった。歌うのも踊るのも喋るのもゲームするのも。いろPとだってお前ら早く結婚せぇよみたいなこと言われるくらいだったし、活動が嫌になったとかPとの不仲とか、そういうのは絶対にないって断言できる。
卒業ライブのパフォーマンスだってそう。覚悟を決めたような表情、満面の笑みのはずなのにどこか哀愁を感じる微笑み、高く伸びていくのに微かに震える歌声。
あれは本当に自分ではどうしようもない事情で最後を迎えざるを得なかった人の、名残惜しさと今までの感謝の思いを込めたとき特有のパフォーマンスだった。ドルオタライバーオタの嗅覚がそう言っていた。
ああ、でも、そうだ。胸が張り裂けそうなほどに悲しかった。でもあのライブは同時に胸が焦がれるほどに美しかった。
卒業を「月からのお迎え」に準え、この日のためにヤチヨが作ったと思しきオリジナルNPCの軍勢をKASSENのステージで迎撃するという演出。
姫を守るため死力を尽くして戦ういろP達一行の勇姿、そのバックで全霊で歌い踊るかぐやの姿。あれはまさに現代に再演された竹取物語、ツクヨミに刻まれた新たな神話だった。
そして筋書きの通りかぐやが雲の円盤に乗って月へと消えていったあと、私は実況で喉が枯れ果てリアルでは涙と鼻水が枯れ果てたミイラになりながらまとめ動画を作って死んだ。
……まぁ、ちゃんと生きてはいるんだが、死ぬかと思ったくらいには情緒を滅茶苦茶にされた、そんなライブだった。
余談ではあるのだが、このライブでの演出が先ほども述べた「かぐやちゃんリアル月世界人説」を私の中で後押しする原因の一つでもある。
なにせあの時のいろP率いる防衛チームの気合いはそれだけ鬼気迫る代物だったからだ。
オニキスの面々なんてチートコードを使ってまで粘っていたのだから驚きも驚きである。
プロゲーマーである彼らが公衆の面前で不正プログラムを使うリスクをわかってないとは思えない。別にツクヨミ公式からお咎めはなかったようなので「本気で戦っている」風の演出だったのだと思うのだが……。
そのことも「ツクヨミにやってきた月世界人が本当にかぐやを攫いにきたのを守ろうとした」なーんて考えると筋が通ってしまうのがどうも……という話なのだ。まぁ、結局真相は闇の中だが。
こうしてツクヨミの歴史に火影の顔岩ばりの金字塔をぶち建ててかぐやは去っていった。
狂騒の8月と9月がそうやって終わり、ようやく情緒が落ち着いてきた10月の頃、「かぐや いろPチャンネル」に久しぶりの投稿があった。
それはいろPの視聴者達へのメッセージだった。「かぐやは卒業してしまったけれど、いつか必ず戻ってくる……取り戻してみせる。だからいつかあの子が帰ってくるための場所としてこのチャンネルを残していきます」とそう決意を込めた目で静かに語る彼女の姿に、知らず胸が熱くなったのを覚えている。
それからのことは今の視聴者も詳しいだろう。現在このチャンネルはいろPの作曲風景配信や弾き語り……たまにゲームプレイ動画が投稿される形で維持され続けている。
その活動も今年で実に10年となり、今ではツクヨミの老舗チャンネルの一つだ。
だから今ではチャンネル名を見て「かぐやって誰?」みたいな反応する人の方が多いだろう。
我々古参オタからすれば「あぁ゛?」と凄みたくなること請け合いだが、そこはグッと我慢。じっくり丁寧に布教して沼に沈めるのが流儀ってやつである。
古参オタは名乗れど害悪オタになるなかれ、ニワカ笑うな来た道だ。これ、オタ活の金科玉条な。
そう、ついでに語るならば、チャンネルが派手に炎上しかかったのも同じくこの年の冬のことだったか。
毎年恒例「ツクヨミ年末カウントダウンライブ」の舞台で月見ヤチヨといろPのコラボが発表された件だ。
今では鉄板カプだろJKみたいな扱いをされている二人だが、最初のコラボはヤチヨカップの優勝報酬だったし、これがトロフィーとして機能したのはこれがヤチヨ初の明確なコラボ企画だったというプレミア性あってのこと。
だからそうした競い合いなしにいきなり再度のコラボ相手としていろPが選ばれたのは運営の依怙贔屓というか、ある種の不平等ではないかという意見が紛糾したのである。
そしてこれを鎮火したのはヤチヨ自らが企画した「ヤチヨが振り返るかぐやちゃんの記録」コーナーだった。
これはその名の通り月見ヤチヨの視点でこれまでのかぐやの活動を振り返ってみる、というある種の感想配信だ。
実はヤチヨもヤチヨカップ発表時に大声で叫んで宣戦布告した彼女のことは目にかけており、チャンネル開設当初から期待を寄せていたらしい。まぁ、管理人であり分身上限不明のAIである彼女ならツクヨミ内の全ての配信者をチェックしていてもおかしくはないだろうが……ということでリップサービスの一つと捉える向きもある。
だが動画一つ一つのサムネイルをなぞりながら、宝箱にしまっていた宝石を数え上げていくような慈愛に満ちた眼差しと語りは、ただの社交辞令で片付けるのは野暮に過ぎよう。
途中で何度か涙腺が決壊して放送事故ばりの号泣を晒すいろPを宥める姿は本心からの優しさだったのだと、私はそう思う。
この配信を見てピンと来た同士も多いだろう。つまりいろPとヤチヨはかぐやという
そういうことならしゃあねぇな……と世の厄介連中も納得したのか、火元は冬の間には鎮火していった。
そしてやってきた年末コラボ、その当日に歌われた楽曲は『Reply (Full ver.)』。
あのかぐやの卒業ライブ時には1番しかできていなかったそれを、いろPが万感の思いを込めて完成させた一曲だった。
明確に「かぐやに捧げた」と彼女が語るそれを昇華させるかのように唄い上げるヤチヨの歌声。
涙を滲ませながら目線を合わせてユニゾンを奏でる音と歌の、胸を打つパフォーマンス。
万雷の喝采で締め括られたあのステージを見て文句を言える輩はもういなかった。それだけの剛腕だった。
ちなみに私はラスサビ入ってからお互い向かい合って歌ってる時のあの表情がめちゃくちゃに好きで……年始はあのへんずっとリピートしながらおせち食ってたな……懐かしい……。
それからはご存知の通り、作曲いろP・歌唱ヤチヨの楽曲は幾度かリリースされ、その度にツクヨミのヒットチャートに名を刻んでいる。
この10年で2人が並び立つ姿はもはやすっかりお馴染みとなり、配信でも度々仲睦まじい姿を見せてくれている。
その度に私は柏手を打って礼拝し「ヤチいろてぇてぇ」とふじゅ〜を投げ銭するのであった。
全くの余談だが、この時期のいろPはかぐやちゃんが去ってから情緒不安定だったのかヤチヨの歌を聞くたびに突っ伏して泣くなど、涙腺がガb……涙脆い様子が多々見られたものだった。
振り返り配信企画の時はひとしきり泣き終わってから収録していたので実はあれでもマシだったりする。
私も真顔でカウンセリングを勧めたこともあったほどだが……カウントダウンライブ以降は一区切りついたのか、落ち着いてくれてなによりである。
今では鬼いちゃんの愛称でも知られるようになった帝アキラによると「以前のアイツは人前では絶対泣かない、意地でも涙は見せないってタイプだった。ま、そんな奴がこうも変わったってことは……それだけインパクトのある子に影響されたんだろうさ」とのことだった。
やはり……かぐいろか……!?
そういう感じでいろPの活動は10年続いているのだが、むしろ近年は彼女のリアル側の動向の方が世間一般にとっては重要だろう。改めて隔世の感がある。
いろPも自身のチャンネルで本人のリアル側での近況報告をすることは多々あった。大学では工学分野に進んでいて、サイバネティクスやロボティクス分野の勉強をしていること、院に行ってからはさらに踏み込んで「人工的に人体をどこまで再現できるか」の研究に取り組んでいることなどなど。
そしてそのあたりから視聴者側もいよいよ気付き始めた。「あれ?つまりいろPって酒寄彩葉じゃね?」ってな具合に。
本人もコメント欄で尋ねられたときは少し躊躇する様子を見せたものの、それを肯定したため何ヶ所かでSNSが鯖落ちするくらいの大騒ぎになったものだった。
酒寄彩葉。『視覚・聴覚刺激からの人為的共感覚喚起』、『ナノテクノロジーに基づく人工神経構築』、『深部覚・位置覚スタビライザ』、『ATP駆動式人工筋肉』、『仮想空間内における知性のクォリア』、などなど話題をさらった理論・論文は数知れず。
普通なら夢物語か机上の空論と言われるであろうそれらを、研究室の現場で実際に形を与えて実現し続ける、若干二十代にして現代日本のサイバネ分野を代表する科学者・技術者だ。
私は一介のドルオタ・配信者オタにしかすぎず、彼女の研究者としての凄まじさを理解しきれているとは正直言えない。
だが、ずっと以前から配信者として追っていた人物が見る見るうちに世界の科学史に名を残す業績を積み上げていくというのは筆舌に尽くし難い驚愕であった。
だっていろPとしての音楽活動もマメにこなしてるんだよ?それで本業はそれってヤバくね?二足の草鞋に両方ともターボエンジン積んでんのか?
天は二物を与えず、なんていうけど酒寄博士に関しては別だ。日本を代表する科学者にしてツクヨミ屈指の名作曲家、さらにゲームも上手いし顔も良い。四物だったわ。
そしていろP=酒寄博士という図式が常識のものとなってしばらく……まぁ、皆さんも知っての通り割と最近の話だが、「かぐや いろPチャンネル」に「いろは人間工学研究所・広報室」へのリンクが貼られた。
ツクヨミと研究所の活動はキチンと分けている彼女にしては非常に珍しいこともあるものだ、とその時の私は呑気していた。
リンクタイトルは「研究成果・完全人工義体ついにお披露目!」。これを見て私はピンとくるものがあった。
曰く、ツクヨミのような仮想世界のアバターを現実世界でも扱えるようにしたいというアイデアから生まれた研究とのことだ。
まぁ、仮想世界のアバターはそれを動かしている人間がリアルにいるわけで……さらにアバターを現実側で動かすということは、つまりある種の
実際、医療分野においては閉じ込め症候群患者の社会復帰に使えるとして注目されていてその辺の団体からの支援もあるらしい。
なのでリンクを見た時の私は「へぇー、完成したんだ凄いじゃん」くらいの気持ちだった。門外漢の感想なんてそんなもんだった。リンクを実際に開くまでは。
動画再生し始めたらかぐやちゃんがいた。
アイエエエエエエエ!?カグヤ、カグヤナンデ!?!?
重篤なKRS(かぐやリアリティショック)に晒されて白目を剥いて泡を吹く私を尻目に動画は続く。
ピースするかぐやちゃん、手を振るかぐやちゃん、立って歩いてクルッとターンするかぐやちゃん、酒寄博士の質問にハキハキと答えるかぐやちゃん、「彩葉、彩葉!」とあの頃と変わらない声で大切な人の名前を呼ぶかぐやちゃん、目尻に涙を浮かべて笑ういろP博士、「パンケーキ食べたい!」と高らかに宣言するかぐやちゃん、かぐやちゃんかぐやちゃんかぐやちゃん……。
気が付けば呆然とする私を置いて動画は終わっており、私は何が起きているのかを理解するために無意識のうちにリピートボタンを押して、やはり呆けたまま理解できずまた再生するという行為を10セットほど繰り返す羽目になった。
ようやく現実に理解が追いつき始めたところで、研究所のページにアクセスして公式発表を読み漁る。
人間の手で人工的に人間の体を再現する研究、その集大成。人と変わらない容姿を持ち、人のようにものを見て聞いて触れてなんならご飯だって美味しく食べられる、人間と変わらない動きをしてなんなら歌って踊ってステージにも立てる。
人間と変わらず生きることができる体を人の手でイチから作るーーかぐやちゃんを人間としてこの世界に取り戻すために。
それがいろP、酒寄彩葉博士が成し遂げた研究成果だった。
「パンケーキをまた食べたいって、言われましたから」、酒寄博士はそのように発表文を締め括っていた。
私はそれを読み終わって泣いた。机に突っ伏して大声で泣いた。
人間と同じ体を人の手で作る。言葉にすれば一文で済むそれを成し遂げるために……動画に記録されたかぐやちゃんが見せたあの姿に辿り着くために、一体どれだけの技術が詰め込まれたのだろう?一体どれだけ既存の科学と工学にブレークスルーを必要としたのだろう。
現代の鬼才、サイバネ界の女神、日本の夜明け、東洋のダヴィンチだのと世間は持て囃すーーその全ての才能と努力は他でもないかぐやちゃんに捧げられたものだと私は理解してしまった。
「かぐやは卒業してしまったけれど、いつか必ず戻ってくる……取り戻してみせる」、十年前にチャンネルに上げられた言葉は真実だった。
本当にそれを実現するためにいろPの十年にわたる戦いがあったのだ。
それは愛だ。紛れもなく愛だった。
そして私はそれを理解して改めて泣いた。私は自分に
多分、私はあのいろPの言葉を心の底では信じていなかった。
だってそうだろう?アイドルにせよ配信者にせよ、芸術家にせよ芸能人にせよ、引退するとき卒業するときにみんな「またね」と言い残す。
でもその再会を願う言葉と裏腹に、本当にその人とまた会える可能性なんてどれくらいのものだろう?
いつか帰ってくると信じて待ち続けて、もう音沙汰無くなって影も形もないなんて経験はどれだけしただろう?
私たちは「またね」と言って見送る度に、再会を願う言葉と裏腹にどこか諦めながらそれを口にしている。
しょうがないよ、そういうものだよ、なんて慣れてしまった言葉で自分を慰めながら。
期待しすぎない程度に期待するなんて小賢しい防御技、いつの間に染み付いていたんだろう。
あぁ、忠犬なんて名乗っときながらなんてザマだ。ハチ公に笑われる。
でも、私の臆病な希望は報われた。いろPが報いてくれた。
10年の歳月と、人間の科学史に残るような成果を使って、諦念の壁の向こうから再び私たちの前へとかぐやを連れ出してきてくれた。
研究所のチャンネルには動作テストと称したかぐやちゃんの動画が幾つもアップロードされている。表情豊かに泣き笑い、踊ろうとしてすっ転んであははと笑う。
あのとき見送ったはずの彼女が本当にそこにいることを理解して、その奇跡に感謝して私は拝みながらスパチャを放った。
そしてつい先日、ツクヨミ中央広場であった発表についてはみんなの記憶にも新しいだろう。
現在いろは研究所で勧められている月見ヤチヨ専用の義体開発。
ヤチヨとかぐやの義体調整が終わり次第開催される、かぐや復活ライブ。
それも
思わずこっちの耳が潰れてしまいそうな大歓声と拍手をもってこの発表は迎えられた。
こんなにも多くの人々がかぐやの帰還を祝ってくれている。そのことが私には無性に嬉しかった。
今日確認してみたところ、早くも研究所ではヤチヨ用義体の動作確認ついでのダンスリハーサル動画が上がっていた。
ツクヨミで見るそのままのヤチヨが現実で動き、喋り、歌い、踊っていた。幻覚ではなさそうだった。本当になんてもん作ってしまったんだ博士は。
ヤチヨはリラックスした表情でかぐやちゃん、酒寄博士と談笑しながら体の状態やダンスの振り付けを確認していた。
その様はまるで仲睦まじい姉妹のようで、十年前のあのコラボライブの光景を否応なしに思い起こさせる代物だった。
私は五体投地して「いろかぐヤチてぇてぇ」と唱え、財布を丸ごと賽銭箱に投げ込んだ。
きっと復活ライブはすぐにやってくる。
十年心から待ち続けていた情熱的オタクも、酸っぱい葡萄を見上げる気分だったオタクも、期待が無意味に終わることが怖かったオタクも、みんなが報われる瞬間が間も無くやってくる。
私たちは手放しのハッピーエンドを望んだっていい。世界にそう言って貰えた気がして私はこの上なく嬉しい。
これはエンドロールが終わっても、名残惜しくも席を立てなかった私たちへのこの上ないご褒美だ。
さぁ、みんなで夢の続きを迎えに行こう!