超かぐや姫私的解釈短編集【完結済】   作:白臼

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完全なるアホの回です。
※下ネタ、キャラ崩壊にご注意ください。


ストレス解消担当分身・ヤチヨ8168号と秘密の部屋

 

 

 

 

  ツクヨミ管理人にして歌って踊れるAIライバーでついでに八千歳という触れ込み、月見ヤチヨは自らの特技の一つとして「分身」をあげている。

 既に万人単位でユーザーがいるお悩み相談チャットサービス、ライブ会場でのファン交流、場合によっては配信時パフォーマンスの一貫として彼女は様々な場所に同時に偏在する。 

 これは仮想空間ツクヨミ及び彼女自身を支えるメインサーバー……月人宇宙船こと『もと光る竹』の演算能力を駆使した一種の並列処理(マルチタスク)である。

 

 人間であれば例えば雑談しながら手元でノートに書き物をしたりといったことをした経験もあるだろう。

 楽器でいえばドラムなどは両手足で別々の拍子を取って複雑なリズムを演奏するものだし、ピアノの演奏も左右の手で全く別の指遣いをするが、いずれも慣れればさしたる負担にはならないものだ。

 そういった技能の延長線上にあると考えればヤチヨの分身も少しはわかりやすいかもしれない。

 故に彼女が増えている段にあたり、本物と複製といった分類はあまり意味がないと言える。

 ピアノを演奏中に右手と左手のどっちが主人格かと問われているようなものだ。利き手の優劣はあるだろうがそこに真贋の区別はない。

 

 そう……真贋の区別はない、ただ優劣はある。

 人間の思考整理に近いだろう。闇雲に考えることとやるべきことを増やしてもこんがらがるだけ、なので意識をある程度区分けする。

 相談用ヤチヨ、握手会用ヤチヨ、パフォーマンス用ヤチヨなどは『ファン交流ヤチヨ部門』という括りで統括。防火壁(ファイアウォール)用ヤチヨ、バグチェック用ヤチヨ、アカウント監視用ヤチヨなどは『セキュリティ部門』に統合という具合だ。

 そうやって分身を整理・統合、系統立てて運用する様はさながら一つの会社に似ている。法律上組織を権利主体として扱うときに法()という言い方をするが、分身を多数動かしている時のヤチヨは総体としてまさに組織にして人として振る舞う。

 数千に及ぶ分身を丸ごと含む総体の意識がヤチヨの本体というのが適切かもしれない。

 故に、分身に真贋はないーーーーただし指揮系統に応じた優劣は存在するのである。

 

「そういうわけで分身ヤッチョ8168号に指令を与えます!」

「ありをりはべりのかしこまりでーす、ヤッチョ1号(社長)!」

 

 ツクヨミ中央塔最上階、ヤチヨ私室(プライベートルーム)に威勢の良い声が響く。

 相対するのはヤチヨとヤチヨ。ヤチヨ尽くしでファン感涙必死の絵面だが残念ながら他に人はいない、基本部外者立ち入り禁止だ。

 全てのヤチヨを統括する、いわば社長ポジションにあたるヤチヨはつい先ほど新しく生成した分身をビシッと指差した。

 

「あなたの役割はストレス解消!大事なお役目だからしっかりね!」

「イエッサー!どこまでやってよろしいでしょうか!」

全武装使用許可(オールウェポンズフリー)!!」

「パーリトゥードー!!」

 

 脊髄だけで意思疎通を終えた二人。

 8168号は両手を振り上げて歓喜のポーズを取ると、月見ヤチヨのトレードマークである和風ドレスから、もう丸一日誰にも会わないことを前提とした休日のOLめいたTシャツ一張羅に変身。

 そしてプライベートルーム内にシークレットルーム……つまりは心の故郷こと懐かしのボロアパートを再現した扉を開くと中へ飛び込んでいった。

 その様をヤチヨ1号は期待の眼差しを込めて見送るのだった。

 

 分身も数あれば特殊な役割のものも生まれる。唯一指揮系統から完全に独立したオーダーメイド人格である『かぐや』ほどでもないが、この度創造されたストレス解消用分身もまた特殊且つ、重要な役割を持つ個体だった。

 情報知性体であるヤチヨにとってストレスとは負荷によって発生するバグの一種として知覚される。

 バグチェッカーや人格分裂防止プログラムによって対策を取っているが、減らせるならば減らせるに越したことはないーー溜まり過ぎれば重篤なイレギュラーになる危険があるからだ。

 例えば人体でも、通常の細胞分裂のたびに常に一定の割合で癌細胞が発生している。普段は自己免疫で対処できているので問題にはならないのだが、そのバランスが崩れれば腫瘍化して命を脅かすことになるのだ。

 ヤチヨ総体の中のストレスとバグも同じだ。小さな異常が蓄積していった結果として分身に異常が発生して全体を損なうリスクは避けねばならない。

 最悪、分身の中からヤチヨにそっくりの姿をしているがヤチヨと真逆の信念を持つダークヤチヨが生まれてツクヨミを飲み込む……などという事態も起こり得るのだ。

 

「しっかりね、8168号(ヤチヨ)……!」

 

 下位の分身(ヤチヨ)達から上がってくる報告を捌きながらヤチヨ1号(社長)8168号(ヤチヨ)の活躍に期待を寄せる。

 ここしばらく自分(ヤチヨ)の中のストレス値が増大している自覚があり、早急に対策を取る必要があったからだ。

 原因はわかっている。現実サイドにある彼女のためのYC型義体がアップデートとそのついでのメンテナンスで数日利用できなくなっているからだ。

 情報知性体である月人は肉体を伴う快楽に脆弱性がある。これは昔の自分(かぐや)が地球に来て早々、食事と料理にドはまりした経験でよくわかっている。

 その上でヤチヨは一旦八千年のお預けを食らっている。その状態で改めて得た、実際の肉体を扱う感覚というのはさながら禁酒明けに飲むキンキンに冷えたビールにも似た快感があったのだ。

 だがその上でやむを得ぬ事情とは言え再度肉体を取り上げられてお預けされるのは猛烈な不快感を伴うものだった。

 禁酒明けビールを心置きなくがぶ飲みしている途中で止められたようなもんである。実に辛い。

 何より彩葉も作業に参加するということで会えないという始末。真に辛い!

 もう一秒だって待てない!と駄々を捏ねたいところだが、そうやって地団駄を踏めるほど若くはない自覚があった。

 なお実際に地団駄を踏んでいたかぐやはケロッと意識を切り替えてツクヨミで辻ライブを敢行してはしゃぎ倒している。

 ヤチヨも分身を彼女に同伴させて遊びでストレス解消を試みていたが、もうそれでも追いつかないレベルで自身のうちにフラストレーションが溜まっているのを理解していた。

 義体のアプデ終了まで三日、その間に分身が癌化しそうな勢いだった。

 

「デデデデッデッ、デデデッデー、デーデーデーデデデー〜 」

 

 そんなわけで全ヤチヨの期待を背負ったストレス解消担当ヤチヨ8168号。

 彼女は懐かしい手狭なアパートを再現した一室で『Remember』ハードロックアレンジバージョン(未収録・即興)を口ずさみながら、飲み物の用意をしていた。

 ちちんぷいぷいと指を振ればあら不思議、管理者権限によってコーラとラム酒と塩バターピーナッツ……の再現データが現れたではありませんか。

 コーラを一口飲んでボトル内にスペースを開けたヤチヨは、徐にラム酒とピーナッツを中に流し込んだ。

 これぞピーナッツラムコーク。アメリカ伝来のジャンク飲料ピーナッツコークの酒カス仕様カスタムである。

 

「デーデーデーデー、デッデッデーデー 」

 

 アルコールのほのかな苦味にラムとコーラの甘みとピーナッツの塩味が一体となって雑なハーモニーを奏でる。そもそも酒の中に酒のつまみをぶち込んでいるのだから合わない理由がない。

 それにいちいち指を動かさなくても酒とつまみを一緒に味わえるのは手軽で良い。これにはサンドイッチ伯爵も大喜び。

 とはいっても流石にリアルで飲んだ時とは若干味わいが劣化しているのは否めない、とヤチヨは心中で独りごちた。

 ツクヨミで実装された五感パッチもまだまだ試作版。流石に混ぜ物ジャンクフードの再現には元となるデータが不足しているようだった。

 コーラにぶっ込んで半端にふやけたピーナッツの食感とか早々再現できるもんでもないのである。

 

「どーれーにしーよっかなー♪ 今日はやっぱりこれにしよっかなー♪」

 

 ジャンク飲料を片手に座布団に座り、卓袱台の上に投影したウィンドウを操作する。

 いくつもの動画のサムネイルが並ぶ中で彼女が選んだのはーー『ray』のMVだった。

 以前に行ったかぐや復活記念ライブのビデオに同梱された撮り下ろし映像。

 背景にツクヨミのチュートリアルでもお馴染み『月夜見』の鳥居……を敢えて晴天仕様にアレンジした特別ステージ『天照須』。

 ダンサーとして芦花と真美を招聘し、パフォーマンスにブラックオニキスの協力を取り付けた。

 そして何より、今まで10年の配信キャリアの中で演奏者に徹してきた彩葉(いろP)がお馴染みのキーボードを放り出して歌と踊りを披露したという点でも話題を攫った一本である。

 

「あぁ^〜〜〜、かーわーいーいー!!い゛ろはがかわいいよ゛ぉ〜!!」

 

 映像と音楽を堪能しながらヤチヨが悶える。

 ツクヨミのトップライバー、電子の歌姫としてあるまじき……否、むしろ女として余人に見られてはお嫁に行けぬレベルのでろでろに蕩け切った締まりのない表情であった。

 彼女が今視聴しているのは世に出回っているのとは違うバージョン、管理人特権を濫用して密かに撮影・編集したいろP重点版MVである。もちろんその存在は彩葉はもちろん、かぐや(自分)にすら明かしていない。

 上から下までみっちり麗しの彼女にフォーカスした一本をお酒片手に眺め回してヤチヨはご満悦であった。

 

「いやしかしねぇ、もちろん愛いだけじゃないっすよ。間違いなく……セクスィー……!ここ最近の彩葉がげに色っぽくて困る、いや、困らないけどいとヤバしなのは間違いないっていうかぁ、ヤッチョ毎秒毎フレーム惚れ直しちゃうっていうかぁ♡」

 

 いやーんヤッチョってばみんなの歌姫なのにぃ♡いろP専属歌唱ソフトにされて調教(チューニング)されちゃうー♡などと論理構造を一切考慮していない色ボケテキストを口から吐き散らしながらヤチヨが身悶える。

 だってしょうがない。彩葉が色っぽすぎるのが悪い。

 

 十年前の学生彩葉も大好きだ。かぐや(ヤチヨ)はあの細い背中で運命を見据えるその凜とした表情(かお)に恋をした。

 まるで強い風の中、それでも一本の茎で立ち続ける野の白百合のよう。八千年の間、幾度再生しても擦り切れない鮮烈な美しさ。

 だが八千と一年から先、かぐや(ヤチヨ)も知らない未知の領域(ゾーン)に踏み込むたびに彩葉は更なる魅力を発揮し始めた。八千年の間にしゃぶり尽くしたと思ったところに新解釈、彩葉道は奥が深い。

 たった一つこれと見定めた夢……(ヤチヨ)への愛のために邁進する迷いのない横顔の凛々しさはどういうことだ。

 自身を擦り減らす無駄な労力を削いだことで生まれた余裕は笑みを増やし、少しずつ積み上げた自己肯定感が言動に確かな自信を与えている。

 運命を見据える覚悟ではなく、運命を踏み越える決意は少女を大人に変えた。今や儚くも凜とした一輪の花ではなく、艶やかに咲き誇る大輪の花束の様相。

 もう彩葉に笑いかけられるだけでヤチヨの乙女回路はフルバーストしてショート寸前である。

 

「デュフフフフwwwいかん、よだれが♡」

 

 経済面が改善されたのも好条件だった。密かに彩葉の美容状態を管理することに余念のない芦花は現在の彼女の懐事情も鑑みてアドバイス内容も考えていたのである。

 高校生の頃は彩葉が貧乏苦学生やっていたこともあってそれに収まる美容品やコーディネートを勧めていたようだが、今やその枷も外れた。

 彩葉本人は「もうアラサーだし若い子には勝てないよ」などと無自覚発言を繰り返しているが、芦花によって刷り込まれた美容意識で自分がどれだけ恵まれた容姿になっているものかわかっていない。

 この前発刊された国際的科学雑誌の表紙を飾ったときにどこのモデルだと出版社に問い合わせが山ほど届いたのを知らないのだ。

 ヤチヨは芦花に感謝を込めて匿名でふじゅ〜をバカほど投げ銭した。

 

「ヒョヒョヒョ〜、やっぱこの衣装善哉(よきかな)〜♡ お酒がすすむ〜♡」

 

 『ray』のMV用に用意した衣装は結構露出が多かった。明るいステージと演出で誤魔化されがちだがこれも結構セクスィーな部類に入る。

 ひらめいて躍動感を演出する付け振袖は可愛いものだが、着物モチーフのビキニトップスに透け素材ミニスカートとホットパンツの組み合わせはかなり大胆と言えるだろう。

 この豪快なヘソだし衣装には彩葉も当初は戸惑っていたが「絶対似合う、超似合う」「アラサーとか関係ない彩葉はすっごくスタイルいいんだから」「不安だったらVRなんだしモデルちょっと弄ればいいよ」「年齢とか言い出したらヤッチョは八千歳のおばあちゃん」「芦花と真美も着てくれるって言ってた(事後承諾)」などと怒涛の説得攻勢を行った。

 なおトドメはかぐやの「いろはとお揃いの衣装で踊りたいな……ダメ?(上目遣い)」だったのは業腹だが、ここにミッションは達成された。

 ていうか学生時代の彩葉は細っこかったけど今はいい感じに肉付いてるんだから露出増やした方が良いんだよ、わかったらさっさと脱げ!とまで口から出かかっていたのは内緒である。

 

 今まではどのステージでも伴奏だった彩葉が一緒に踊ってくれたのは感無量だった。あれほど楽しかった収録はそうそうない。

 当初は渋々だったはずなのに本番収録ではテンションの上がり切った彼女のパフォーマンスの素晴らしさはもう一目でわかるだろう。

 片手をガッツポーズのように上に突き上げる予定だった振り付けで、両手を上げてバンザイしているところなんていと愛らしくてたまらない。

 

「腰つきがいいよね……」

 

 無論、忘れてはならないのが腰を振るダンスである。

 衣装で映える腰のくびれを強調するような振り付けのパートをコマ単位で再生しながらヤチヨは鼻の下を伸ばした。えっちすぎる。

 VRだから誤魔化しが効くとはいえ、MV時に使用していたいろPのモデルは現実サイドのプロポーションをほぼそのまま反映している。

 スタイル良すぎだぜ……と呟きながら画面の上に指先を這わせるヤチヨ。ねっとりと舐め回すように画像を撫でるその手つきはセクハラと言われても仕方がない。

 

 だが半身(FUSHI)が見てもドン引き必死の醜態で欲望を満たしていることもあり、ヤチヨ総体の潜在的ストレス値は順調に目減りしていった。

 8168号の感じる幸福はネットワークの流れに乗って全てのヤチヨに伝播していくのだ。

 なおその影響で活動中の全ヤチヨ分身の微笑みの輝度と柔らかさが15%向上。花が色付くようなその笑みを向けられたユーザーが千人単位でガチ恋勢に堕ちたがやむを得ない犠牲(コラテラルダメージ)である。

 

「はぁはぁ……もう辛抱たまらん……!」

 

 ぐびぃ、と勢いよく残りのジャンク飲料(ナッツラムコーク)を飲み干してヤチヨが吠える。

 指揮棒が如く白木細工の指先を踊らせ、幾重もの封印の中から秘められし宝物を召喚する。

 要するに厳重にロックをかけておいた秘匿データ……彩葉のパジャマを呼び出した。

 目にも優しい薄緑色の寝巻きを手に取ったヤチヨはしばらくそれを矯めつ眇めつしていたがーーーー徐にそこに顔を突っ込んだ。

 

「ッ、スゥゥゥーーーーーーーーー♡」

 

 うっとりと目を閉じ恍惚の表情でパジャマの襟元の香りを吸引する。

 彩葉臭を堪能するヤチヨの頬は見る見るうちに薔薇色に染まっていく。興奮である。

 目を閉じてうっとりと愛おしい人の香りに包まれて恍惚に身を委ねる姿はいじらしくも見えるが、今彼女が喫しているパジャマは彩葉の自宅にあったものを無断でスキャンした代物であり、経緯を考えれば盗品を愛でて興奮するヤベーやつと言われても致し方ないところであった。

 

「吸うゥゥゥゥゥゥーーーーーーーっ♡♡」

 

 ツクヨミは仮想空間であり、ヤチヨは実体なき情報知性体。肺活量などという小賢しい肉体限界に縛られず、延々と吸引を続けて服の臭いデータを記憶野に焼き付け続ける。

 マタタビを皿いっぱいに盛られた猫もかくやと言わんばかりの決まり(トリップ)ぶりであった。

 

 それこれも彩葉が良い匂いをさせているのが悪い、とヤチヨは開き直った。

 成長して大人らしくなった彩葉の香りは学生時代とは趣きは変わっているが、それでもかぐや(ヤチヨ)がこよなく愛したあの温もりと香りの面影を十分に感じさせる。

 安心感を感じさせる懐かしさの中に成長とともに培われた成熟した女性的な艶やかさが加わり、ヤチヨは無いはずの心臓がドキドキと早鐘を打つのを感じていた。

 これに加えて芦花のプロデュースによる上質なシャンプーやコンディショナー、果ては香水の香りまでもが渾然一体となっている。

 特に服の襟元などうなじと首筋のフェロモンが染みっ染みであり、その芳しさは格別なものがあった。

 嗅覚野が焼けつくように刺激的で、それでいて意識が飛びそうなほどの安らぎを感じて電子の歌姫はファンどころか自分でも鏡で見たくはないレベルでふやけきった笑みを浮かべた。

 

「いろはぁ♡ いろは、しゅきぃ……♡」

 

 譫言のように蕩けた口調で「いろは、いろは」と呟く。

 その名前だけでもなんという甘露。八千年幾億回と唱え続けたそれは呪文となって思考アルゴリズムを酩酊させる。

 パジャマを抱えたまま千鳥足でふらふらと立ち上がり、ヤチヨが再び指を振る。

 アパートの床の上に再現されたのは彩葉の布団と毛布だった。

 

「Foooooooo〜〜〜〜〜〜↑↑↑♡♡♡」

 

 麻薬(ヤク)でも摂取(キメ)てんのかと言いたくなるような(ハイ)好調(テンション)でヤチヨは布団にダイブした。

 そのまま掛け布団と毛布で自らを包み、枕に顔を埋めてゴロゴロと転がる。

 全身を隈なく彩葉臭に包み込まれる幸福で意識が吹っ飛ぶ。

 物理実体では鼻の奥の嗅覚受容器に刺激を与える必要があるが、純粋に情報のみの仮想空間では全身を使って臭いのデータを受信することが可能。

 いわばこの状態のヤチヨは体が隈なく鼻粘膜。人ならざる情報知性体にのみ到達可能な喫し方であった。

 

「はぁはぁ、いろは、いろはぁ……っ♡♡ いろはでヤチヨがいっぱいになっちゃういとヤバしっ♡♡ バグっちゃう、ヤチヨバグっちゃう♡♡ やぁん、いろはぁ♡ これ以上はヤッチョをバグらせたららめぇっ、アルゴリズムがハッピーエンドしちゃうぅっ♡♡♡」

 

 ここでメインディッシュにされている布団は冬布団一式である。

 冬は気温が寒く寝汗をかくことが少ない、つまり積極的に洗おうという意識が夏場より低くなる。

 ましてやいまだに若干の貧乏性が残っている彩葉のこと、住んでいるタワマン上層階からクリーニング屋に持っていく費用と手間というハードルを考えると尚更洗う機会は減る。

 結果として数ヶ月分の熟成を経た毛布や枕の芳醇な彩葉成分は極上の葡萄酒めいてヤチヨを酩酊せしむるのである。

 

「ーーーっ゛♡♡♡ 〜〜〜〜〜〜ーーーーーーーっっっ゛♡♡♡」

 

 ただでさえ香り立つ髪と頭皮の臭いが染み付いた枕に、齧り付かんばかりに顔を埋めて声にならない声をあげるヤチヨ。

 ついには枕を抱え込んだまま毛布の中に全身で潜り込んでもぞもぞし始めた。

 いや、もぞもぞなどという可愛いものではなく、びったんびったんと跳ね回り始めた。その激しさたるや陸に打ち上げられた鯉もかくやという勢いであった。

 その布団の下でどのようなセルフめでたしが行われているのかについては彼女の名誉のために秘するべきであろう。

 

 しかしその甲斐あってヤチヨ総体の持つストレスは加速度的に多幸感によって塗り替えていった。やはり彩葉成分(イロハニウム)はヤッチョの01最小単位(ビット)に素早く届き、癌にも効く。

 この作用が伝播した結果、ツクヨミ全体で活動している全ての分身ヤチヨの微笑みに色気が30%加算され、哀れなるガチ恋勢を万人程生み出したが仕方がないことであった。ダーウィン賞待ったなし!

 

「はぁ、はぁ……♡ 向こう側(シンギュラリティ)見えそう……!」

 

 ややあってセルフめでたしに小休止を迎えたヤチヨがのっそりと布団から身を起こした。

 長い銀糸の髪は解れ、汗の浮いた額に乱れながら張り付いている。

 真珠色の潤んだ瞳、珊瑚色に色づいた頬と濡れた唇。

 見るものが見れば腰砕けになる凄絶な色香であるが、やっていたのは勝手にコピーした恋人の枕と布団を嗅いで絶頂(キマ)っていただけである。

 もう美人が台無しというか壊滅であった。

 八千年の別離と寂寥が彼女の愛をここまで育てた。ついでに変な方向に拗らせた。

 

 そして一瞬の逡巡を(この期に及んで)見せた後、更なる『喫』の境地を求めて禁忌に手を伸ばす。

 ヤチヨが呼び出したる次のデータは……彩葉の下着だった。ブラジャーである。

 全年齢でお楽しみいただける仮想空間ツクヨミではアダルト描写に対して検閲が入るが、ことここシークレットルームにおいてはそれは機能しない。まさに治外法権である。

 

「ふーっ、ふーっ……♡♡ ふぅーっ……!!」

 

 ーーただいま。今日は暑かったぁ〜、冬服着ていって後悔したよ〜。汗かいちゃったから夕ご飯の前にお風呂行ってくるね。

 ーーおかえり、彩葉。それじゃあ脱いだ服は籠に入れといちゃって!洗濯機回しちゃうから!

 

 下着のデータを手に入れた日のことが記憶野に鮮やかに蘇る。

 家に帰ってくるなり徐にブラウスのボタンを外し始めた恋人を見て(この博士、スケベすぎる……!)と口に出しそうになったのをよく覚えている。

 再現されたこのブラジャーにもその日の彩葉の状態が記録されている。

 胸元に溜まる汗、そこに閉じ込められていたムッワァァアとした色気そのものの空気が……!

 

 これを使う(・・)という判断に一瞬だがヤチヨに迷いが生じる。

 だが彼女はストレス解消担当分身ヤチヨ8168号。至上命題はヤチヨ総体のストレス解消であり、そのための手段は全武装使用許可(オールウェポンズフリー)とヤチヨ1号からの正式な許可が出ているのだ。

 そう全てはヤチヨのために……己の目的を果たせねばならぬという大義名分がアクセルを踏み抜いた。

 

「うぉぉぉーーッ!ヤッチョは月人(るなんちゅ)をやめるぞ、彩葉ーーッ!」

 

 そう叫んでブラカップに顔を突っ込もうとしたその瞬間ーー、

 

 

「へぇ、立派に地球人やってくれるみたいでなにより。体作ったもんとしても鼻が高いわぁ」

 

 

 ーーと、ここにあってはならないはずの声がした。

 それは背中から心臓を一突きにされたかのような衝撃だった。

 氷柱の如き冷ややかな殺意が胸を貫いた瞬間、全ての思考が凍結(フリーズ)した。

 信じられない。そう思いながら、壊れたブリキ人形めいた緩慢な動きで振り向くと……部屋の中空に四角い(ウィンドウ)が浮いており、そこに愛しの彩葉その人が写り込んでいた。

 千年の恋も冷めますが……?と言わんばかりのその絶対零度の視線を認識したヤチヨは一時、己が死を持たぬ知性体であることを忘れた。

 

「い、ろは……な、なんで……?」

「さっきかぐやがライブ終えたんやけどな、ヤチヨのテンションがなんや妙やった……というかヤチヨ全体に変な数値(パラメータ)が混入しとるって言うとってな。心配しよってん」

「……どうやって、ここに……?」

「FUSHIが裏口(バックドア)開けてくれたで。なんやコソコソしとる分身がおったでー、言うてな……」

「Oh…」

 

 ーーメーデー!メーデー!こちら8168号、ヤチヨ1号至急救援求む!

 ーー(ネガティブ)。救援は出せない。8168号がヤチヨとして名誉ある責務を全うすることを期待するものである。

 

 救援信号は爆速で切り捨てられた。これが真贋はないが優劣はあるという関係の真理であった。まさにトカゲの尻尾切り。

 だが結局8168号もヤチヨであることには変わりないので、切り捨てても抜本的解決には一切寄与しない。

 要するにヤチヨは全力で事態から目を逸らそうとしているだけである。

 

「なんや笑うてはるけど、おもろいことでもあったんかいなぁ?」

「これが……ヤチヨだから……」

「はんッ、笑うて(へつら)ったらなんでも許して貰える思うとるんやろか。えぇご身分どすなぁ?」

「ひぃん……っ」

 

 わぁ、彩葉はお母さん似なんだねぇなどと現実逃避用の思考が頭のうちを駆け巡る。

 表情プリセット集から選んだ「哀愁漂う笑顔」で乗り切ろうとしたが全くの無意味だった。

 ウィンドウを隔てた彩葉の笑みはその柔和で美しい造形と裏腹に冷水で研がれていく刃を連想させた。

 カタカタと体に震えが走るのを自覚しながらヤチヨは、いつぞやのコラボライブで月人の迎えの先触れがやってきた時のことを思い出していた。

 運命ならば受け入れるしかない……そういうことである。

 

「ゅ、ゆるしてぇ……」

有罪(ギルティ)極刑(お仕置き)

 

 運命、というか自業自得である。

 

 

******

 

 

 後日

 

「んん〜〜〜っ♡ ご飯が美味しいっ!!なにこれーっ、普段の三割増くらいご飯が美味しく感じるよ〜っ!!」

「ふふっ、喜んでくれてなにより。今回のアプデは人工胃の試作型なんだけどね、増やしただけでそんなになるなら作った甲斐があったかなぁ」

「なんかねぇ、匂い嗅いだ瞬間にどるるんどるるん、てお腹が動く感じがしてねぇ!それで実際に食べるとガーって胃液が出てきて消化する感じがわかるっ!生きてるって感じがするっ!オムライスめーっちゃ美味い!生きてるって最高ーっ!」

「いっぱい食べてね、かぐや。動作テストも兼ねてるから」

「食べる食べる、超食べる!あ、もちろんお腹壊さない程度に、だけどね!…………ところで、なんだけど」

「どうかした?」

「そっちのヤチヨどうしたの?目から眼球レンズ洗浄液(なみだ)が垂れ流しになってるけど。早速不具合出た?」

「う、うぅうう……全然美味しくない……お米と卵のぬっちゃぬっちゃした舌触りだけで違和感がすごい……」

「味覚・嗅覚没収刑。刑期1週間」

「む、むごい……」

「許して彩葉〜〜〜、このままじゃストレス値でツクヨミの運営にも支障が出るレベルだよ〜〜〜!もう二度としないからぁ〜〜〜」

「……可愛い声出してもダメ。ここでなぁなぁにしたらお仕置きになんないでしょ。それに……」

「それに〜?」

「……それに、本人がいるのに、身の回り品の、それも再現データでどうこうするのは……その、勿体無いんじゃないんですかー……みたいな……」

「「……」」

「な、なによ2人ともそんなニヤニヤして」

「「い・ろ・は〜〜〜っ♡」」

「あぁもう!いいからご飯食べなさい!それが今日の仕事なんだからね!」

「「は〜い♡」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、彩葉はご飯サンドイッチでいいの?一緒にオムライス食べよーよ」

「あー、ごめん。見ての通りなるべく急ぎの書類片付けたいから、簡単なのでいいやって……」

「彩葉も大変だねぇ。それ、今回のアプデ関係?」

「あー……まぁ、そんな感じ?アプデと一緒にやったメンテの内容で色々とあってね……なんでレポートというか、始末書というか、みんなへの言い訳というか……」

「?」

「また今度話すわ……。かぐやと関係大アリだし……」

 

 

 

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