※同短編集内の『酒寄彩葉博士の展望/ペーパームーンを仰いで』を前提としたお話になります。
「……見つけた」
ツクヨミ中央塔最上階、管理人私室。
小さな声が部屋に響いた。誰に聞かせるわけでもなく、自然と漏れ出たような声だった。
声の主である和風のドレスを身に纏った麗しい女性……ツクヨミの歌姫である月見ヤチヨは、部屋の上座で中空に投影されたウィンドウを指先でなぞりながら神妙な表情を浮かべていた。
彼女の心中を形容するならば、見つけた……というよりは見つけてしまった、とするのが正しいのかもしれない。
探してはいた、探さない理由はなかった。ーーだが同時に会わずに済ませてしまえるのであればそれも良いかもしれないと考える自身もいた。その発想自体が甚だしく不誠実と知りながらも。
長年の生で染み付いてしまった臆病だ、とヤチヨは自身を診断する。長い睫毛に縁取られた瞼をそっと瞑り、表情は憂いに沈む。
別れたときは今生の別れだと、そうお互いに思ったはずだった。だからこそ再会するのは喜ばしいことであると同時にどことなくバツが悪かった。
だが同時に会わずに済ませては悔いが残るだろうと感じる自分もいた。人の生は短い、二度と会えなくなることなどいつでも起こりうるのだと身に染みてよく知っているではないかと。
会えるなら会いたい、会うべきだ。だが一度はこちらが
二つある心の間で板挟みになっている。だからいっそのこと見つからなかった方が諦めがついてしまったのかもしれない。
しかし、最近増設されたサーバーの性能もあって今のヤチヨの指先はこれまで以上に遠くへ届く。
彼女が望むなら地球のオンライン上で手に入らない情報はないだろう。
だからふと思い立って試してみれば見つかったーー見つけてしまった。
会わない理由が潰されていき、諦める言い訳がなくなっていく。
「……はぁ」
珊瑚色の唇を震わせてため息を一つ。このような仕草をしても副交感神経を刺激することはないというのに、八千年前に肉の身を持っていた癖は抜けないものだった。
自身の表情の描画を電子的に制御し、憂いの色を顔から務めて消し去る。
笑みを形作れば、少しだけ怯懦も引っ込む。
月見ヤチヨらしく、月のように笑ってこの話を前に進めよう。
「よーしっ、ヤッチョやったりますか!」
******
「と、いうわけで遠出したいんだけどいいかな?」
「いいけどどこまで?」
「U・S・A♡」
「いいよ」
「やったー♪」
ある日のなんの変哲もない午後のことである。
研究所の所長室で今日もバリバリとお仕事をしていた私はヤチヨからの可愛らしいおねだりを受け、二つ返事で引き受けた。
わーい、と楽しそうに手を上げる彼女の笑顔を見るとこちらも嬉しい。
「彩葉ー、そんなに安請け合いして大丈夫ー?」
「いいわよ、私まだまだ有給休暇残ってるし。むしろたまには消化しないと総務に怒られちゃう」
三時のおやつを何にしようかと棚の中身を物色中だったかぐやが尋ねてくる。
いろは人間工学研究所はホワイト経営が売りだ。基本はみんな定時退社、残業代はきっちり支給し、有休は毎年規定日数消化していただくことになっている。
所長である私が率先してそのあたりを実践することで下の職員にも示しがつくだろう。
最新のマイ研究テーマである電脳化技術も、発掘した
ついつい根を詰めてしまいそうになる日も多かったし、旅行でもしてリフレッシュするにはいい機会かもだ。
「アメリカって一言で言っても広いけど、どこかリクエストある?」
「はいはいっ!かぐやテキサス行きたい!今は南部式BBQが熱い、絶対映える!」
「どうどう。今はヤチヨに聞いてるの」
話を振るとかぐやがびしぃっと元気に手を上げる。
そういやアメリカの焼肉はただ焼くだけじゃないんだよー、とこの前力説していたなぁ。
料理好きのかぐやのことだし、一度現地で本場のBBQやってみたいと思ってたんだろう。
ただ今回のはヤチヨが言い出しっぺなので、話はそっちから先に聞くべきだろう。
そうやって水を向けるとヤチヨは口角を上げて笑みを作った。
「行きたい場所っていうか……実は、会いに行きたい人がいるんだよねー♪」
「ーーーーうん、わかった。詳しく聞かせて」
その微笑みと声のトーンを察して居住まいを正した。
意図的に明るく振る舞っている、と私は直観した。つまり、内心では非常に大きな問題を抱えているということでもある。
ヤチヨの
かぐやのことなら私にわからないことはない。ぐずり方一つでミルクかおしめの違いだってわかるんだからね。
「ーーーーーーと、いうわけなの」
「なるほどねぇ……」
かくかくしかじか、という形でヤチヨから事情を聞く。
……なるほど、複雑な気分になるわけだ。一度は会うべきなのだろうが、本当に会うのがお互いのためになるのか、ちょっと不安というところだろうか。
一通り聞いた私は椅子の背もたれに身を深く沈ませた。
……実のところ、同じく私自身も複雑な気分だ。間接的には私にも恩義のある人だし、礼を言うべきなのだろうが……。
なんかちょっと、モヤモヤするのを感じる自分がいる。
「オッケー、いいじゃん!行こうアメリカ!かぐやも会いにいきたい!お土産持ってこ!」
「「……」」
だが、そんな私達二人の心中をまるで察することはないのがかぐやだった。
複雑な思いがある私達を尻目に彼女はわくわくを剥き出しにして瞳を輝かせていた。
そんな屈託のなさを目の当たりにしてヤチヨは少し目を細めた。眩しいものを見るような眼差しだった。
その気持ちは私もわかる。かぐやはいつだって眩しい、下手すれば気後れしてしまうくらいに。
でもその真っ直ぐさが、いつでも私を自由にしてくれて勇気を与えてくれる。前に進ませてくれる。
「……ヤチヨ、みんなで一緒に行こうか」
「うん……ありがとう彩葉。一緒だとヤッチョも頼もしい!」
かぐやに後押しされるように私はヤチヨの手を取った。
華奢で綺麗な指が、私の手をきゅっと握り返してくる。
今度の笑みは心からものだった。そのことが、私にはこの上なく嬉しいものだった。
******
「ダメです」
「「「う゛ぇーっ!?」」」
三人一緒にのけぞって悲鳴をあげる。引越し先で一人で荷解きやってろと言われた時のようなリアクションがみんなで揃ってしまった。
だがそうも言いたくなるものだろう。
開幕からダメ出ししてきた秘書さんにかぐやが詰め寄る……もとい、媚を売る。
「ねぇ〜、本当に本当にダメなの〜?かぐや、彩葉達と一緒にアメリカ行きたいなぁ〜?」
「いえ、前提の話としてかぐやちゃんとヤチヨさんは戸籍がないのでパスポート作れないじゃないですか」
「「「あっ」」」
秘書さんのマジレスに揃って間抜けな声が出る。
言われてみればそうだった。最近はあまりに自然に二人と暮らしているが、そもそも彼女らは勝手に日本に居着いているだけの宇宙人である。
役所に届け出もない不法移民なのであった!
「物理実体の方は私達の研究所で開発されたものなので……法的には高度AI搭載のアンドロイド、備品といっていいと思います」
「ヨヨヨ……人権がないのは辛いのです……」
「うおぉぉーーっ、宇宙人差別はんたーい!AIとロボットに人権をーっ!」
「落ち着いてください、我々としても意地悪をしたいわけではないのですから」
まぁまぁと騒ぐ面子を秘書が落ち着かせる。
彼女も席について、腰を据えて話し始めた。
「まず前提として、所長が休暇を取られることについては職員一同賛成しています。むしろ一週間か十日くらいどっかに行って貰えると助かるくらいだという意見が多いです」
「え?私もしかして嫌われてる?」
「いえ、尊敬しています。それはそれとして、我々職員の仕事は主に所長の繰り出してくる変態てk……画期的かつ革新的な理論の数々を人間向けに翻訳して形にすることなのですが」
「え?今、変態って言われなかった?」
「いえ、気のせいです。ぶっちゃけると、放り込まれる仕事が我々の
「え?私そこまで独走状態だった?」
「はい。我々凡人が足を引っ張ってて申し訳ない限りなんですけれど……」
「いやいやいや、そこまで言わなくても!」
秘書さんは私の大学からの同期で、結構気の置けない関係というやつだ。気が置けなさすぎて最近はちょっと辛辣な気がしないでもない。
ただ私が突っ走りすぎて職員のみんなを振り落とし気味なのは耳に痛い話だった。
最近も電脳化研究の副産物として人工中枢神経系の基礎理論を纏めたり、箸休め代わりに人工小腸の設計図をアップデートしたりしてたけども……。そんで試作品できたらチェックするから教えてね、って仕事振ったりしてたけども……。
この前職員と雑談でポロッと「運営はホワイトだけど研究内容は
「そういうわけで職員としては文句はないのですが、ヤチヨさんとかぐやちゃんは海外への渡航に関しては多々ハードルがあります」
秘書が指をピッと立てて問題を整理してくれる。
まずヤチヨとかぐやに日本国籍がないのでパスポートを作れないという話。
これに関しては税関を通って乗客として飛行機に乗り降りできないのが問題。
なので、貨物として義体を輸送して現地で組み立てて、改めて人格をダウンロードして起動すれば解決できる。
ただ、懸念はたくさんある。
「まず、お二人の
「乙女の体なので大事にしてくれるとヤッチョも嬉しいかなーって」
「相応の保障がある運送会社と保険会社に話をつけておく必要がありますね」
言われている通り、人工義体は我々研究所の心血を注いで開発したサイバネティクスとロボティクス工学の粋を集めたものだ。世界の最先端技術と言っても過言ではない。
なので同じ重さの純金よりも高額な体であるというのは意識しといてください、とみんなにはよく言われている。
それに何より、他ならぬヤチヨとかぐやの体なのだ。乱暴に扱われてどこか傷ついたりでもしたら、まず私自身がどうなるかわかったものじゃない。
保険をガチガチにかけて信頼のおける輸送手段を確保するのは当然だろう。
「ついでに所長ご自身の安全を確保するために警備会社も雇いましょう」
「え?そこまでする?」
「当たり前です。あなたの頭脳は人類の宝ですよ?万一所長が今亡くなられた場合、人類の科学の発展は100年停滞するでしょう。必要な投資です」
「え?そこまで言う?」
いやぁ、ヤチヨとかぐやは体に実際巨額の資金が投じられているからわかるんだけど、私もぉ……?
そんな疑問を込めて苦笑いしてみたが、うちの秘書の目は全く笑っていなかった。どうやらマジらしい。
ついでに横でヤチヨとかぐやが腕組みしながら頷いている。どうもそうらしい。
「それと滞在先に関しても考えないといけません。義体に何かあった場合のためにメンテナンス用の設備も置いておけるような場所でないと……」
それもそうだ。義体関係の技術はうちの研究所のオーダーメイド品がほとんど。充電ケーブルや接続端子だって独自仕様なくらいだ。
ちょっと壊れたからといってその辺のホームセンターで予備パーツが売ってるわけでもないのだから。
そう考え始めると人格データをダウンロードする回線周りのセキュリティとかもしっかりしているところがいいよね、とかそういうのも考えられる。
うーん、思ってたよりも大事になってきたな。
ふらっとみんなで海外旅行、くらいの気軽な感じにはなかなか行かないようだ。
解決しないといけない課題が随分と多い……こう、ごそっと一気にどうにかできないものか……。
「あ、そうだ。いいこと思いついた」
「おっと、彩葉がなんかピンときたっぽいよ」
「こういうときの所長は大抵碌でもないアイデアを出してきます」
「みんな酷くない?」
ええい、私が親しみやすいからってみんな歯に絹を着せなさすぎでは?
運送・保険・警備・滞在先、これがアメリカ行きにあたって目下の大きな障害だが、これを丸ごと解決できる……かもしれない画期的な案が一つあるのだ。
ふむ、交渉次第では経費も全部
そう内心でほくそ笑んだ私はヤチヨに水を向けた。
「ねぇ、ヤチヨ。例の人に今から連絡とってみない?」
「……えっ」
彼女の笑みがピキッと固まるのが見えた。
だが使えるコネは使い倒すべきだ。きっと向こうも無碍にはしないだろうし。
それにどうせ会いに行くんだし、電話から慣らしておくのも悪くないんじゃないかい、ヤチヨ?
******
後日、私の目論見通りヤチヨのコネクションを使うことで旅行の計画はトントン拍子で進むことになった。
運送会社と保険会社は精密機器の取り扱いに慣れた信頼できる筋のものと契約、警備スタッフは米国政府筋からプロフェッショナルが護衛についてくれることになった。
……そう、政府関係である。映画とか小説の中でしか聞いたことのない組織や肩書きを持つ黒服の方々が研究所まで迎えにきてくれた時には「ちょっと大事にしすぎたかもしれへん」と思って背筋に汗が伝った。
「お気になさらず、我々
「あ、はい。お世話になります……」
バリバリに流暢な日本語でそのように丁重なご挨拶をされては一般的小市民である私は曖昧に頷くことしかできなかった。
なお、かぐや/ヤチヨとうちの職員ズは隣と背後から「こうなるとは薄々と思ってたんですよ」みたいな目で見ている。
私、またなんかやっちゃいました?
「所長の判断は悪くなかったですね。保証という意味では最高品質のサービスが受けられますから、私達としても安心です。ただ、ご自身の
「ひぃぇえ……」
というわけで秘書さんと先方があらかじめ詰めておいた日程表に目を通す。
……なんか大学での特別講義とかレセプションとかあるし!?っていうかライブの予定まで組んであるんだけど!?旅行っていうかなんか半分くらい仕事じゃないこれ!?
横から覗き見たヤチヨとかぐやがゲラゲラ笑っている。 あんたらもこれ付き合うことになってるんですけど!他人事じゃないんですけど!
「今回の旅費、米国政府が経費で落としてくれるそうです。それに比べれば対価としては安いものじゃないですか。そもそも以前から講演やら何やらの依頼は山ほど来ていたのでこれを機に消化してしまいましょうよ」
「くっ……!!」
お金のことを言われたらかつて苦学生やってた身からすれば言葉を飲み込まざるを得ない。
支払いの手段がこういう形であるのは慈悲と思うべきか……。
そんなこんなで渋々と了承した私はちゃちゃっと発表用の資料を作り、数日後には空港に入った。
ライブとかの準備はかぐやとヤチヨに任せよう。現地スタッフとネット経由で会議してくれるらしい。
私は警備の人らと秘書さんをはじめとした数人の職員を伴って空の人となった。
「そういや、私って海外旅行初めてなんだよねぇ。空港ってもっと混んでたりするイメージなんだけど今日は空いてるみたいで助かったなぁ」
「所長、それはファーストクラスだからです」
「Dr、快適な空の旅をお楽しみくださいね」
そっかぁ、これがファーストクラスってやつか。
多分チケット代超高いんだろうなぁ、と思いつつ代金のことは思考の端から全部締め出す。
至れり尽くせり、王様気分である。
『やおよろ〜。彩葉、空の旅はどうかな〜』
「びっくりするくらいに快適。あとはかぐやとヤチヨがいてくれれば言うことないんだけどね」
『いいなぁ〜、かぐやも飛行機乗ってみたかった〜』
「ごめんねぇ、私だけ。そうだ、窓の外見てみる?空が真っ青ですごく綺麗だよ」
『いやはや、絶景かな〜。うーん、海だけじゃなくてたまには空も
まぁ、CAさんには申し訳ない気持ちもあるのだが、私にとって最大の娯楽はやはり機内wi-fiでツクヨミ側にいるかぐや/ヤチヨとおしゃべりすることだった。
ライブ企画の意見を擦り合わせたり、機内食を見せてあげたり、自由日に現地でやりたいことをああでもないこうでもないと言い合ったり。
そうやって話し込んでいると、時折無性に手が寂しくなる。ちゃんと二人と隣り合って、手を握り合いながら話がしたいなぁと切に思う。
『彩葉、もう少し待っててね』
「なに、私寂しそうな顔してた?」
『ヤッチョは彩葉のことならなんでもお見通しなので〜す』
『現地着いたら、なかよしのやつしてしんぜよう!』
「かぐやのハレンチ〜」
『なんでぇ!?』
『なかよしがすっかり隠語になっている……!』
しかしなんというのか、流石に移動時間が長い。今回の行き先はアメリカ東部・バージニア州。経度的には日本から地球の反対側にあたるので仕方のないことではあるのだが。
ちょっと暇になってきたので二人と談笑しつつ講義用資料のブラッシュアップを行う。まずいこと書いてないか、理論に矛盾はないか客観的な意見が欲しいので職員ズに書いたやつを渡すとみんな目が
いい感じの頭の体操になって気分をリフレッシュできたので、私はみんなが査読中にやりかけの研究に手をつけておく。今の私のトレンドは人工中枢神経系と内分泌系を絡めた視床下部の構築で……。セキュリティ考えたらここでツクヨミにアクセスしてシミュレータ使わせてもらうのもどうかな……手動でやるか。
手元のノートにそういう感じで書き物をしていたら、秘書さんに「あんたマジかよ」みたいな目で見られた。なんでぇ?
そんなこんなでようやく、バージニアの州都・リッチモンドに到着する。
流石はアメリカ。日本よりカラッとしているし日差しがダイレクトに当たってくる感じがする。義体用の人工皮膚補修剤、多めに持ってきといてよかったかも。
あらかじめ用意しておいたサングラスをかけて、警備の先導を受けて空港を行くと道行く人から遠巻きに見られているのを感じる。
いやぁ、物々しい行列ですみません。本当はここに来れなかったかぐやとヤチヨのために空港の免税店とか覗いてお土産買いたかったんだけどなぁ、そうもいかないか。
空港の外では数台の護送車とリムジンが待機していた。
私も含めて一同揃って固まっているが、VIPなので当然ですと押し切られて載せられることとなった。
そのまま移動疲れもあるでしょうし、ということでホテルへ直行して今日はここまで。
初めての長距離飛行機と海外ということもあり思いの外気を張っていたのか、私は泥のように眠った。
ベッドは大きく広くてものすごいふかふかで、三人一緒に寝たらすごく気分がいいんだろうなぁと思わされる代物だった。
そして翌日、タブレット越しにかぐや/ヤチヨとおはようのキスをしてから時差ボケでぐわんぐわんする頭を抱えて朝食。
ホテルの食堂はビュッフェ形式で選り取り見取りだが、私はなるべくサラダ中心に無難なメニューで済ませる。
「こちらの食事はお口に合いましたでしょうか」
「ありがとうございます。実はちょっと不安でしたけど、問題なさそうです」
日本からついてきてくれている警備の人に聞くと、セキュリティはもちろんのこと日本人から食事の評価が高いホテルを選んでくれたらしい。
ありがたい、ここなら食事に一家言あるかぐやも喜んでくれるだろう。
それとどうしても食事が合わない場合はマクドナ◯ドがおすすめと教えてもらった。理由はどこの国でも味が変わらないかららしい。アメリカンジョーク……でいいのか?
「イロハ!アメリカへようこそ、今日はよろしくお願いしますね」
「お久しぶりです社長。滞在中はこちらこそお世話になります」
今日の訪問先はホテルからさほど離れていないところにある会社だ。
バージニア州は技術産業が盛んなところであり、うちの研究所と懇意にしている企業もちょうど拠点を構えていた。
ここは医療用サイバネティクスの研究をしていて、私のところの義体技術を流用して義肢開発などを行っている。
ここの社長さんとは直接会うのは1年ぶりくらいになるが、通話越しでしばしばやり取りをしていたため気心のしれた間柄だ。
「さてと、早速ですけどうちの眠り姫達を起こしにいきましょうか」
「丁重におもてなしさせていただきますよ、
うちの技術を使っている提携相手ということで信頼がおけると判断し、かぐやとヤチヨの義体の輸送先としてこの会社が選ばれた。滞在するホテルも元々この会社ありきの選択だ。場所が近いので義体に万一があったとき、ここで修理させてもらうことができる。
研究室の一角にはあらかじめ輸送してあった機器類と、予備部品いくつかが丁寧に整頓されて置いてあり、中央には厳重に梱包された棺のような箱が安置されている。
ここからはうちのスタッフの出番となり、みんな勝手知ったると言わんばかりに手際よく起動準備を進めていく。
「そういえば所長って英語上手いっすよね。英会話の練習はいつされたんすか」
「? 普通に勉強してれば日常会話くらいは身につくでしょ」
学術英語も論文読んでりゃできるようになるしそういうもんじゃない?とかそういう雑談を交えながら厳重な梱包を……本当に厳重だなコイツ……を解いて二人の義体を運び出して椅子に座らせる。
完全に意識の入っていない
そんな感じで回線も繋げて、義体の電源を入れる。
「おはよう。二人とも、調子どう?」
「んん〜……っ!いやぁ、アメリカの電気はパワフルですにゃぁ〜。ヤッチョも漲ってまいりました!」
「変圧器噛ませてあるから変わらないでしょ」
「ふあぁ……あっ……。おはよーいろはぁ……かぐやはちょっと眠いや……。時差ぼけってやつ?」
「あんたギリギリまでツクヨミで遊んでたでしょ。早めに寝てキャッシュクリアしときなさいって言っといたのに」
「うわぁん、寝起きからキツいや……」
変わらぬ調子の二人を見て安堵する。起動は無事成功だ。
寝起きの雑談をしながら二人にそれぞれ指を二本差し出す。ちょん、ちょん、ちょんと仲良しのやつ。
体感で一日二日程度なのに、生身で直接こうして触れ合えるのが無性に嬉しいので頭もついでに撫でてやる。
えへへー、とシンクロして笑う二人を見るとこちらも相好を崩してしまう。
「うっし!そういうわけで早速始めますか!Hey,
「
「いろっぴー。毎度うちの子達がお世話になっております、いろPです。……誰がママやねん。えーと、今回はいろPとしてよりはむしろいろは研究所の所長として出演していますので、酒寄彩葉として行きたいと思います。えー、社長さん、本日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。こうした場は初めてですが、楽しいひと時になるようでしたら幸いです」
そして二人が起きて、体に不具合がないとわかると早速配信が始まった。
うちの研究所のスタッフも手慣れたものでテキパキと準備を終えて秘書がカメラマンを買ってくれるし、レフ板まで持ってくれる人もいる。
先方にもあらかじめ話は通してあったので、配信はつつがなく進行する。
最初はアメリカ渡航の苦労話から入り、荷物扱いでしか入国できない身の上で笑いを取ってから、先方企業の職員・スタッフからの質問に色々と答えるコーナー。
やはり義体技術関連の話が多いので私が代表で応答することになる。それはそれとして、実際に義体で活動する側の感覚の話になるとかぐや/ヤチヨが答えることになるが。
ちなみにかぐやとヤチヨにも英語翻訳機能はインストール済みなので会話に問題はない。情報知性体様様である。日本のリスナーに向けてFUSHIお手製のリアルタイム字幕生成機能も用意してあるので抜かりはない。
人間と遜色ない受け答えと動作で先方のスタッフ達が
最初の部屋から飛び出してカメラを回しながら社内見学のお時間である。
これもあらかじめ話をつけて順路は確認済み、どうしても写せない企業秘密的なものはリアルタイムモザイク処理しつつ、社長さんに案内してもらう。
「うはーっ、すっごい!手だけいっぱい置いてある!なにここ握手会場!?」
「握ってみてもいいですか?はい、いつも応援ありがとうね。ヤッチョに会いにきてくれてありがとう♡」
「いやいや、AI入ってるわけじゃないから挨拶されても困るでしょ、腕も」
「あはは、ご覧の通りこちらのセクションではイロハさんの開発した技術を元にした医療用義手の一般化に向けてーーーー、」
かぐやがボケて、ヤチヨがノって、私が突っ込む。割と三人のいつものノリに社長さんを巻き込みつつ、区切りのいいところで今日は終了。
終わり際にこれから先の配信予定とかもかぐやが告知して締める。そう、色々と予定あるんだよなぁ……。
で、お昼休憩を挟んでからは配信抜きで、より突っ込んだ学術的な意見交換会を行う。
私の研究所の方で行っている義体研究は今のところ内臓の再現にシフトしているのでそのあたりの理論提供。
あちら側は義肢の人体への接続の負担について研究中だそうで、お互いにインスピレーションを与え合う有意義な時間を持てた。
なお、その間かぐやとヤチヨは暇だということで、さっき一本終えたばかりだというのにゲリラ配信しながら街角に繰り出していた。なおカメラマンは警備の人達である、お疲れ様です……。
滞在1日目はそうやって過ぎていった。
ホテルの夕食のクォリティにはかぐやも納得のようで、ベッドのふかふか具合にはヤチヨもご満悦だった。
せっかくの大きいベッドということで三人揃って川の字で寝ると昨日とはまた別の要因でぐっすり眠れた。
滞在2日目のメインイベントは大学での特別講義だ。
空港の時と同じくリムジンで護送されてしばらく、州内のどデカい大学に到着。
案内された講堂は……教室というかなんというか、国会とか国連とかの議事堂と言った方が良いのではないかという規模のところだった。
しかも席はびっちり埋まり尽くして後ろの方では立ち見までしている人もいる始末。
みなさんDr.サカヨリの講義を一目見たいとお集まりです、と警備の人はご満悦である。
かぐやとヤチヨは彩葉ってばモテモテだねぇ、と茶化してくるし、職員ズはこうなるだろうと思ってましたみたいな凪の表情。
面食らってるのは私だけかい。
……まぁ、驚きはしたが緊張するというほどのことでもない。
私だってこの10年で配信者として、或いは演奏者として場数は踏んできた。この規模の聴衆を前にパフォーマンスするくらいのことは月1くらいの頻度である。ヤチヨと一緒のステージならば何をか言わんやという話である。
「本日はお集まりいただきましてありがとうございます。こんなに多くの方々が私の研究に興味を持っていただけていることを大変光栄に思います。それではまず、本日の講義の概要につきましてお手元の資料からーーーー、」
今回の特別講義の受け次第では新しくスポンサーがつくかもしれませんよ、と秘書から言い含められているので時間はあんまりなかったが、可能な限り質の高いものになるように心がけた。講義用プリントも職員が作ってくれたし、あとは私が頑張らないと。
手始めに人工義体技術のあらましと理念、研究を通して得られるリターン、主に医療用サイバネ分野への展望。概要をサクッと済ませてから実際の研究成果とその仕組み、具体的に言うと仮想空間および人工知能への五感適応技術・大脳への視覚と聴覚刺激による他感覚の惹起について、義体を成立させるために開発された人工骨格・人工神経・人工筋肉・人工皮膚について。それらを連動させて人間らしい挙動を再現するための制御技術各種を位置覚・深部覚、感覚・運動神経の人工再現の点から解説。現在研究中の人工消化器系、人工循環器系、人工内分泌系、人工中枢神経系の概論とその実装進捗について。ついでに研究成果のお披露目としてかぐやとヤチヨに登壇してもらって歌唱とダンスのパフォーマンスを一曲分。ちなみに電脳化研究についてはまだ倫理的にマズいということで今回はカット。
ちなみにこの講義は録画されていて、編集を加えた後に研究所のチャンネルから一般公開される予定になっている。配布した資料もHPからダウンロードできるようにするつもりだ。
詰めに詰めて2時間ほどの講義となったが、聴衆は額に汗するくらいに熱を入れて聞き入ってくれたようだ。
よし、講義は大成功だな!
「ドクター、神話においてプロメテウスは天界から盗んだ火を人に与えた咎で磔に処されましたが、このことについては如何お考えでしょうか?」
「私ならバレないようにもっとうまくやりますね」
講義の後に変な質問飛んできたけどなんだ今の?
まぁ、そんなこともあったが講義そのものは無事終了しーーそこからレセプションが始まった。
要は立食パーティも兼ねた交流会のようなもので、当然というかなんというか今回の主賓は私だ。
開始と同時に握手会かというくらいに人がぞろぞろと集まりだす。私がツクヨミのファン対応で慣れてなかったらパニックになっていたかもしれないくらいの人だ。
ただ内容は先の講義に絡めた科学談義が多く、話にも熱が籠る。
私が論文を書くときに引用させてもらった文献の著者などとも顔を合わせることができたり、実りも多い時間だった。
「Dr.サカヨリ、彼女らの声はもしやスピーカーではなく声帯を使っているのですか?」
「はい。ただ人体の声は喉だけでなく口腔、鼻腔、胸腔、腹腔、肺、横隔膜など複数の部位から影響を受けるものですから理想通りの声を出せるようには苦労しましたね。サンプリングした声から逆算して身体のパラメータを算出するのはうちの優秀なスタッフがやってくれましたよ」
「所長、こっちに振らないでください!」
「初めまして、こちらマサチューセッツ工科大学から参りました。当大学の理事会は最大の待遇でイロハ・サカヨリ博士をお迎えする用意がございます。是非ご一考願えないでしょうか?」
「白紙の小切手渡されても困る……!じゃなくて、その辺りはうちの秘書と相談してください!」
「彩葉〜!!大変大変、かぐやが食べ過ぎで
「あっ!コラ、かぐや!あんたまた満腹中枢
「乙女の内臓を見せものにする気だぁ〜!酷い〜!」
「Oh…Japanese Harakiri ritual…」
細かな問題などは多々あったが総じて悪くないイベントだったと言えるだろう。元々は私的な旅行だったのに予定を捩じ込まれたときにはちょっとげんなりしたが、終わってみれば良い思い出だ。
なにより今回の件で出資者になってくれそうな組織や研究に協力してくれる科学者や技術者と人脈が増えたのが嬉しい。
流石に引き抜きに関しては
疲労はあれども興奮でちょっと寝付き辛かったのを、かぐやとヤチヨのセラピーで癒してもらい、すっきりした気分で滞在3日目。
もういい加減に慣れてきたリッチな護送でやってきたのはライブ会場である。
今日のメインは私ではなく、ツクヨミ管理人にして電子の歌姫たる月見ヤチヨその人だ。
アメリカでも相応の認知度を誇る彼女が
一日限り、短時間のミニライブという告知だったのだがその分来場者は気合が入っているのがひしひしと伝わってくる。圧縮された鉄が赤熱している様を幻視する。
「うわ〜を、お客さんもアツアツモリモリ西郷隆盛っていうかバチバチバリバリ天之尾羽張って感じ!リアルの熱気、たまんないねぇ〜!」
「よっしゃあ、一発かましてくよ!最初は不動で仁王立ち1分半!」
「やめんか」
しかし突けば破裂しそうな観客のボルテージなんてヤチヨ&かぐやにはどこ吹く風。
舞台に立つなら、怖気付くより先にどれだけ盛り上げられるか、盛り上げたらどれだけ楽しいかを考えてしまう生粋にして熟練のエンターテイナーがこの二人だ。頼もしいったらありゃしない。
まぁ、一緒に私も演奏するんだけどね。バックミュージックにプロのバンド雇ってるとのことなので埋もれないかだけ少し心配だ。
だが嫁にして推しのステージで無様を晒す気は毛頭ないーーーー私も演奏用に頭を切り替えて、二人に手を引かれて舞台袖から飛び出した。
どれもダンス激しめだが、うちのスタッフの義体調整は完璧だ。最近はセトリ見るだけで必要な
仮想空間にも負けず、いやそれ以上に楽しげに激しく私の歌姫が舞い踊る。
かぐやはパフォーマンスにアドリブを挟みがちだし、ヤチヨもそれに乗っかるしで同じ曲目でも同じステージは一度としてない。
二人の歌とダンスにつられて私の指も羽が生えたかのように鍵盤の上で踊りだす。さながらセッションのように三人で響き合い、高め合う。
高揚感で意識が白熱しながら演奏を研ぎ澄まし、観客の歓声と熱気が連鎖しながら弾けていく。
やっぱりライブは楽しい、かぐやとヤチヨと一緒ならなおのこと最高だ。
四曲終えて、案の定アンコールが出たので締めに『ray』も披露する。この曲は私もキーボードを置いてダンスする必要があるのだが、テンションが上がり切っていたのでやはり楽しかった。
1時間弱くらいのものだった1日限りの訪米ライブはこうして大盛況のうちに幕を閉じた。
アーカイブはヤチヨおよび私たちのチャンネルから後ほど公開予定だ。
ステージが終わった後は昨日と同じくレセプションパーティ。
今日はヤチヨが主賓なので私は比較的ゆっくりめに壁の花にでも……と思っていたら3人セットで写真撮らせてくださいという申し出で前に引き摺り出され、逃げ場がなかった。
私で大丈夫か?ヤチヨとかぐやならわかるんだけど私ってそこまで写真映えするかなぁ?ツクヨミのアバターと違ってリアルは誤魔化し効きづらいからなぁ……。
研究成果が世間的に目立つようになってから撮られる機会も増えたが、ちょっと不安だ。
「ほらほら!彩葉真ん中が良いって、こっち来てー、左右からぎゅー!」
「写真映りのコツは〜、ドヤ顔躊躇わぬことなりけり!ひぃ、ふぅ、みぃ、のゴルゴンゾーラ〜!はい、パシャリ」
「えぇ……私センターなのぉ……?どこ需要?」
「『Nature』と『Science』だって!」
「大御所何やってんの!?」
このあと各種企業から広告モデル依頼やら、音楽会社か配信・販売契約の持ちかけやら、興行会社が全米横断ツアー企画書持ってきたり、リアル側にツクヨミを再現したテーマパークを作るなどという与太(と信じたい)の計画をする人がいたりと大わらわだった。
私はかぐやのプロデューサーだが、ヤチヨのマネージャーではないのでその辺はFUSHIに連絡を繋いでぶん投げた。
八千年あの子の代理を務めていた手腕を信じるとしよう。
そうやって激動の三日間のスケジュールが終了する。
先方から提示された経費分のお仕事は一区切りとなる。
明日からはフリータイムであり……むしろ、私たちにとってはここからが本題だった。
******
「ふぁ〜ぁ、おはよう、ヤチヨ……」
「うん、おはよう彩葉。ヤッチョお手製、お目覚めのコーヒーはいかがかな〜?」
「ありがたくいただきます……」
二日続けての激務というか、初めての土地での疲れもあるのだろうが、寝起きはちょっとしんどかった。
ただそれもヤチヨが淹れてくれたコーヒーとおはようのキスのおかげでだいぶ意識が晴れた。
ヤチヨは昨夜52時間周期のスリープだったが、滞りなく自己メンテナンスは終わったようだ。
ホテルの部屋を見渡すとかぐやだけがいなかった。聞いてみると先に起きてどこかいってしまったらしい。
警備は保証されてるとはいえ異国の地であっちこっちほっつき歩かれても困るんだけどなぁ。それと朝起きて隣にいなかったら寂しいじゃんか。
「かぐや〜、どこ行った〜」
「お、彩葉〜っ、こっちだよ〜。ごめんごめん、おはようのちゅーには間に合うかと思ったんだけど」
「……なにやってたの?」
ホテルの一階に降りると、中庭の方でかぐやを見つけた。
見つけたはいいが、なんか水道のところで脇差みたいなサイズの包丁と盾みたいな俎板を洗っているところだった。
朝のキスをすると唇からほのかにソースの香りがした。
「なに?朝からバーベキューの用意?」
「そうそう!今、ケビンから本格南部式BBQについて教わってたところ!今仕込み終わったんだけどグリルで焼いて燻して半日かかるからね、夕ご飯楽しみにしといてよ!」
「いや、ケビンて誰よ」
かぐやがくいっと親指で後ろの方を指差す。
中庭に備え付けられている共用のグリルセットの前で椅子に座っている恰幅の良いおじさんがいた。
あと配信用のカメラも回っていた。……あれかぐやのやつじゃない?
「グッドモーニング、リスナーの諸君。俺の語るBBQの極意とはアメリカ人の魂であり文化、つまりジョージ・ワシントンの時代より父祖から受け継がれたこの大地の恵みと一体になるある種の『
『ケビン助かる』『ちょうど切らしてた』『今日の夕飯に使う』『実際参考になる』『誰?誰なの怖いよぉ!』『ふふふ、知らんのかニワカめ。俺も知らん』『男匂わせ解釈違いです』『失望しました、鬼いちゃんのファンやめます』『匂ってんのは肉だぜ』『百合に挟まる男はオセロで裏返すべき』『挟まってんのは肉だぜ』
チャンネルはすでに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
朝から頭が痛い。私は眉間を揉んでからスマホを閉じて、何も考えないことを選んだ。
火の番はケビンがやってくれるらしいので、我々は心配することなく出かけても良いようだ。本当誰だよケビン。
そういうわけなので私はかぐやを連れてヤチヨと合流し、朝食のビュッフェに向かった。
「お肉切ってたらお腹空いちゃった〜。カリカリベーコン山盛りしちゃお♡」
「もうお腹壊さないでよね、胃のスペアにも限りがあるんだから」
「うぅ……その節はごめんねぇ……!」
食事を終えたらみんなで出かける用意だ。
今回はようやく、アメリカくんだりまでやってきた本来の目的を果たせる。
……つまり、ヤチヨが会うべき人の元へと訪問する日が来た。
「緊張してる?」
「……たはは〜……。やっぱり彩葉にはお見通しかにゃあ?」
「そりゃあヤチヨのことだからね」
道中の車内、ヤチヨは一見して普段とあまり変わらないように見えたがどことなく張り詰めた空気を纏っていた。
微細な違いではあるが、私がその雰囲気を見間違えることはないだろう。
指摘するとヤチヨは私の手に指を絡めてきた。滑らかな指、少しひんやりとした心地の良い温度が伝わってくる。
そしてわずかな震えも。
「……やっぱり、私も一緒に行こうか?」
「ううん……これはヤチヨが自分一人でいかないと意味がないから……。ただ、着くまで、こうさせてもらっていいかな」
「うん、手握っててあげる」
そう言ってヤチヨは少し目を閉じた。長い睫毛に縁取られた目元に微かな憂いの色。そんな表情さえも綺麗で、私は横顔に見惚れてしまう。
ヤチヨの気持ちはわかる。会いたい、会うべきだと思う……けれど会ったところで何を話すべきか、どんな顔をして合うべきかわからない、そんな相手。
それはきっと、十年前に私が私室を訪ねた時と同じ心地なのだろう。
でもあの時とは違ってヤチヨは自分から訪ねて行くことを選んだ。その小さな勇気と選択を私は尊重したい。
「……それじゃあ、行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい。また後でね」
車が停まったのは閑静な住宅街だった。広い前庭に大きなポスト、白い壁の家々。ドラマや映画とかでよく観る感じのアメリカっぽい街角。
平たくいえばどこにでもありそうななんの変哲もない街の一角、相手はここに一人暮らしをしているらしい。
路肩に停めた車から降りて、ヤチヨが小さく手を振って目的の家の方へと歩いて行くのを私は黙って見送った。
安全に関しては問題ない。すでにこの辺りには私たちとは別口で警備の人たちが目を光らせていてくれている。
……だから、私が感じているざわざわとした胸騒ぎは、そういう心配とは全く違うものだ。
「なにー、彩葉?妬いてんの?」
「……どうなのかな、わかんないや」
「いやぁ、名探偵のかぐやちゃんにはお見通しだよ。それはジェラシーってやつだよワトソンくん」
「流石だねぇ、ホームズ」
今まで後ろの座席で静かにしていたかぐやが身を乗り出してそう囁く。
嫉妬。言われてみればそういうものなのかもしれない。
ヤチヨの八千年の人生はもう過去のもので、私は後からそれを知ることしかできない。手を触れることはできない。
だから私が不在の彼女の時間の中に、私以外の誰かがいるのは仕方のないことだし、どうしようもない。
記録と記憶、知識と経験を同期してその頃の
それでもなんというのか、いやだからこそというのか……私の他にヤチヨが大切に思う人がいて、それが男性で、今二人きりになっていると思うと、かなりモヤモヤした。
うーん……確かにこれは……嫉妬と言う他ないのかもしれない。
「ま、そんなに気にしないでいいっしょ。
「むぅ……かぐやがそう言うならそうなんだろうけどさ」
「そんなことよりもさ、私らはショッピングモール行こっ。食材買わなくちゃ!タコス作りたいんだぁ〜っ!ワカモーレとかサルサとか作ってさぁ、ケビンの肉を細かく刻んで混ぜて具にして食べんの、超美味しそうじゃない!?」
「ケビンを挽肉にするわけじゃないのよね?」
「カニバリズムっ!?」
かぐやと騒いでいると多少は気も紛れる。
私は一つ息を吐くと、運転手に近くのモールまでの案内を頼むのだった。
******
車から降りたヤチヨは髪を手で撫でつけた。
落ち着かなさげに銀糸のような髪を手櫛で整える。実際落ち着いていないのだ、と彼女は自己診断を行う。
緊張で変化するような脈拍や血圧というものは持ち合わせていないーーただ無用な緊張はしているのだろう。
肩と、掌に筋肉の強張りがあるのを感じていた。
或いは自分の表情もそうなっているのだろうか。
仮想空間ではいざ知らず、ヤチヨは現世で活動するためのこの体を完全に掌握しているとは言い難かった。
でも人間なんてそんなものだよ、自律神経に不随意筋、自分の体を本当に思い通りにできる人間なんていやしない、言わんや心そのものなんてーーーーこの体を作った
人の身はなんとも不自由で、ままならない。けれど逆にいえばそのままならなさこそが自分を人間たらしめているのかもしれない……そんな理屈遊びのようなことをヤチヨは頭に巡らせていた。
そして、そんなことを考えている間にその足は玄関にまで辿り着いてしまっていた。
あぁここまで来てしまったーーとそんな他人事で身勝手なことを思ってしまう。
ほんの一瞬の躊躇いが心に過ぎる。だが、一度二度と逡巡するような素振りを見せながらも、その指先は最終的にインターホンを鳴らした。
迷いを断ち切らせたのは先ほどまで握っていた彩葉の手の温度だった。
もう意気地の後押しは十分に貰った。ここで逃げればそれは彩葉のくれた勇気を裏切ることになる……そう思ったのだった。
『はい』
「……来たよ」
扉越しのやりとりは最小限。礼に欠けるとも言われそうなぶっきらぼうな挨拶だが|
……許されるのだろうか、今もまだ。
罪悪感混じりの思考が走る中、その耳は戸の向こうの足音を確かに捉えていた。
「……やぁ、よく来てくれた。久しぶりだね、また会えて本当に嬉しいよ」
「うん……こっちこそ久しぶり。……カーター」
扉を開けて彼女を迎え入れたのは壮年の白人男性だった。
柔和な顔立ちをした彼は眼鏡の奥の瞳を細めて微笑んだ。
カーター、とヤチヨは彼を呼んだが、実のところそれが男の本名である保証はなかった。事実、この家の住所には違う名が登録されている。
ただ初めて会った時はこの名だったし、友人として行動を共にしていた時もこの名で通していた。
彼は身を隠し、身分を偽ることに長けていた。そういう技能が求められる職場にいた人間であったし、退職した後もその身を守るために個人情報の改竄を受けていた。
元CIAの高官、それがカーターだった。
「大体35年ぶりくらいになるのかな。……元気そうで何よりだ、お互いね」
「まぁね、30年やそこらでヘタれるようなやわな宇宙人じゃないからさ」
「うん、君は相変わらずチャーミングだ。改めて会えて嬉しいよ。……今の君のことは、どう呼べばいいかな」
「……ヤチヨって呼んで、今はそっちで通してるから。気さくにヤッチョって呼んでくれてもいいかな?」
ヤチヨがそう答えるとカーターはふっと小さく笑った。昔からの友人に旧姓でなく新しい姓で呼んでほしいと言われたときみたいだな、とあまりにも直球な比喩がヤチヨの脳裏に浮かんだ。
微かな寂しさと、それでも相手の未来を想う慈愛の籠った笑みだった。
彼はかつての
とあるバーで出会ったその男はウミウシ型のアバターしかなかった彼女の言葉を正確に理解し、その素性にも理解を示した挙句、正倉院に保管されていた彼女の本体『もと光る竹』を盗み出しさえした。
CIAという米国政府筋の立場である彼が捕まれば国際的な問題になるだろうことは明らかだったろうに、彼は
「君が
「全然大丈夫、初めての海外がこっちで良かった。また無理言っちゃってごめんね、君には本当無茶振りしてばっかり」
「良いんだ、君のためならお安い御用さ」
そう言ってカーターは小さくウィンクさえして見せた。伊達男と言える仕草だった。
既に年嵩ではあるがモテるだろうな、などとヤチヨは思った。
だが通された居間には彼以外の生活の痕跡はない。独身者だ。
リビングルームには品の良い調度品が揃えられ、大窓のカーテン越しに柔らかい昼の光が差し込んで床とテーブルの上に優しい影を落としていた。
卓上には彼女が訪問する時間を見越して用意して置いおいたのだろう、紅茶がポットの中で湯気を燻らせていた。
ゆっくりと室内を見回していた彼女は棚の一つに目を留めた。
その視線の先に気づいたカーターは気恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「本当はもう少し豪勢に飾りつけるべきだったのかもしれないがね。我が国ではいい年した大人の男がこういったアイテムを集めていると精神病院に収監されてしまうんだ」
「自由の国様様だねえ、君はこれまでに何人そこに人を入れたの?」
「0人、布教はしていないんだ」
「してよ〜、アイドルは広めてもらってなんぼなんだよ?」
視線の先には棚に飾られたヤチヨのCDと、額縁に収められたブロマイドがあった。
あの写真はツクヨミのローンチ初期のものだったとヤチヨは記憶している。
それだけで彼がずっと自分を見守っていてくれたのだと知れて、嬉しくも複雑な気分になる。
「……っていうか、
「ふむ……。未来の話は聞いたけれど、君が将来どういう名を名乗るかまでは聞いてはいなかったね」
「ならどうやって気付いたの?」
「君のことだからね」
カーターはなんてことのないようにそう言った。
彼は彼女のウミウシ時代の最後の友人であり、『ヤチヨ』という
あの頃の
なんだか無性に気恥ずかしくて、誤魔化すようにヤチヨは紅茶を口に含んだ。
「飲めるのかい?」
「ストレートティーも好きだよ……。ってそっちじゃないか」
「あぁ、君と君の体を作った彼女のことならよく聞いているよ」
「……うん、そう。お茶も飲めるし、お菓子も食べられるよ。ありがとう、すごく美味しい」
「そうか……それは良かった。……本当に、良かった」
カーターと行動を共にしていた時期にはそういう話をしたこともあるーー実体化できていない情報知性体である自身は食事をとることができず、温度も感じないのだと。
だが今ここにいるヤチヨは、こうして紅茶の味と香り、その温度を味わうことができている。それもこれも、彼女に義体を与えたかの女性の功績だ。
テーブルの向かいの席に座るカーターは、旧い友人が自身の淹れたお茶に舌鼓を打つ姿を見て目を細めた。
まるで眩いものを見るようにーーーー或いは、羨むように。
「君の
「……うん、彩葉はすごいよ。昔は彩葉に一目会えるだけでいい、それ以外にはもう何も無くていいって思ってたのにね。そんなの謙虚すぎるっていうか……ただ予防線張ってただけなのを改めて気付かされたっていうか……」
そう捲し立てるように口にしてからヤチヨは軽く紅茶を啜った。
つい、彩葉のことになると饒舌になりすぎてしまう。
気分を害してやしないかと心配になった彼女はちらりと対面に座る彼の表情を盗み見る。だが、多くの
一緒に来ないか、と誘われたことがある。
別れ際のことだった。アメリカに帰国するカーターからそう問われて、申し出を断ったのは他ならぬヤチヨ自身だった。
彼の言葉の真意に気づいていないといえば嘘になる。
故に未だ生まれてもいない未来の愛する人のために彼の告白を袖にしたことは今も彼女の心に小さなしこりとして残っている。
当時のカーターには『もと光る竹』を人質にするという手段もあったが、
その誠実さが彼女にとってはこの上なくありがたく、それ故にどう報いるのが正しいのか今だに悩んでいた。
どの面を下げて会いにきたというのか。
今更なんの話をしにきたというのかーーーーあの頃の
そんな弱気と怯懦が思考の奥底から顔を出し始める。
だが、ヤチヨはきゅっと手のひらを握りしめてそんな弱虫に抗った。
この場では皮肉ではあるけれど、今もまだ彩葉の手の温度がくれた勇気が彼女の背を支えてくれていた。
「ーーーーカーター、たくさん話したいことがあるの」
「あぁ、僕もだ。君に聞きたいことがたくさんある。……寝かせたワインの味はどうだったか、とかね」
小さく息を呑み、ヤチヨは意を決して口を開いた。
そう、ウミウシ時代の頃の友人はもうみんな逝ってしまった。人はすぐに身罷って去っていく。
だからこうして人の体で会い、人の言葉で話せるこの幸運を無駄にするわけにはいかないのだ。
全てが終わってしまった後では、悔いすらも伝えることはできないのだから。
「じゃあ、あなたと別れた後くらいの話からしよっか。まず2007年にニ◯ニ◯動画っていうサイトができてねーーーー、」
一度話し始めれば、口は滑らかに動いた。この35年は思いのほか濃密で、案外元々誰かにこういうことを話してみたかったのかもしれないと思ったほど。
そんなヤチヨの言葉に、カーターは紅茶を片手に感慨深く聴き入っていた。
******
「おっ、彩葉ー。出てきたよー」
「わかった、行こうか」
買い物を終えて車内で待つことしばらく、かぐやに声をかけられて外を見るとちょうど家から二人の人影が出てくるところだった。
私たちも結構長く買い物をしていたのだが、あちらも相応に長く話し込んでいたようだ。
私はかぐやと一緒に車を降りて二人を出迎えた。
「はじめまして、Mr.カーター。イロハ・サカヨリです」
「こちらこそ初めまして、お会いできて光栄です。お噂はかねがね」
ヤチヨの紹介を受けて、その隣にいる年嵩の男性と挨拶を交わす。
……以前に
ただ眼鏡越しの柔らかな笑みにしっかりした足取りを見て、素敵な老い方をした人なのだなぁとそんな感想を抱く。
その彼とヤチヨがずっと長く、どういう会話をしていたのか……それを考えると胸の奥が落ち着かなかった。
「今日はヤチヨを連れてきていただいて大変ありがとうございました。古い友人とこうしてまた会えて、僕もとても幸せです」
「いいえ、こちらこそあなたの力添えのおかげで楽しい米国旅行になりました。職員一同と、ヤチヨとかぐやの分までお礼申し上げます」
「光栄です」
その辺はなんとか胸の奥に沈めて、丁寧な挨拶に終始する。
まぁ、それはそうと感謝しているのは本当だ。彼の口添えのおかげで警備・輸送・保険をCIAの保証の元で行うことができた。
我々の米国旅行の功労者であると言える。
……後ろで何やら言いたそうにソワソワしているかぐやがいるが、なるべくそっちに意識は向けないようにして、私はあらかじめ用意していた小さな包みを彼に差し出した。
「こちらは私たちからせめてものお礼の品になります」
「これはなんとご丁寧に……」
「スマートコンタクトです。特別な認証コードが付与されていて……ツクヨミ内にあるヤチヨの私室へ入ることができるようになります」
「…………」
平たく言えばヤチヨが普段居るツクヨミ中央塔最上階の私室への入室許可証である。
ヤチヨの分身には真贋の区別は無いが指揮系統の優劣はある。私室にいるのはその最上位にあるヤチヨであり、他の分身を引っ込める機会があってもそのヤチヨは必ず存在する。
つまりはヤチヨに必ず会いに行ける切符と言っても過言では無い。
私の他には芦花や真実、研究所の一部職員などにしか与えられていない特別な権限である。
カーター氏はヤチヨにとっての大切な旧い友人である。
私としては落ち着かないものがあったが、彼に贈る品としてはこれは確かに適切であると言われたら頷かざるを得なかった。
だが……当の彼は難しい顔をして黙りこくってしまった。
先刻までの柔和な表情に似つかわしく無い、どこか苦い表情で。
「厚意は大変ありがたく思う。けれど、僕には……それを受け取る資格はないと思うんだ」
苦味を隠すように、彼は小さく笑ってそう言った。
それは私がいつかどこかで、或いはかつてはよく見た微笑であるように見えた。
「確かに僕は一時ヤチヨと共にいて、幾らか彼女の手助けをした。けれど、あくまでそれだけだ。僕には……彼女を幸せにすることはできなかった」
「Mr.カーター……」
「これから先の彼女の未来にいるべきは僕ではなく、貴女なんだイロハ・サカヨリ。ーーーーこうして、僕は今一度、彼女と直接出会って言葉を交わすことができた。それだけでもすぎた幸運というものだよ」
その言葉に私は二の句を告げることができないでいた。胸のざわめきが大きく、小さく、不規則に揺らぐのを感じていた。
スマコンの包みを乗せた手のひらが所在なげに揺れている。
彼は身を引こうとしている……身を引いてくれようとしている。
もうここから先は私とヤチヨと関係の話だから、自分が入り込むべき余地はないのだからと。
……ここで私はどうするべきなのか、どうしたいのか、一瞬迷いが生じた。思考が空転する。
私に彼の選択を引き留める資格はあるのか、そもそも引き留めたいと思っているのかーーーー、
「だから、もう十分だ。貴女たちは貴女たちでこれから幸せにーーーー」
「いや、そういうのいいから」
カーター氏の言葉を遮り、かぐやが私の手からスマコンを引ったくって彼のポケットに捩じ込んだ。
シュパっと取ってズボッと行った感じだ。目にも止まらぬ早業であった。
「あのさぁ、スマコンて今でも1000ドルちょいすんのよ?お断りするにはちょいと高価なお土産だなー、もったいないなーとか思わないわけ?」
「あんたがそれ言うんかい」
「第一さぁ、この世界一可愛いかぐやちゃんチョイスのプレゼントを受け取れないってのはどういう了見んっ!?カーターニキはいつからそんなに偉くなったのかなぁ!?」
さっきまで黙っていたかぐやが胸ぐらを引っ掴まん勢いでカーター氏に詰め寄る。
流石の彼も鳩が豆鉄砲を食ったような驚きの表情でのけぞっている。かぐやが詰め寄りすぎである。
そう、ヤチヨの私室へのアクセス権をお土産にしようと発案したのは他ならぬかぐやだった。ヤチヨも私も、そういう発想はなかった。
絶対いるから、と彼女はそう言っていた。
「か、カグヤ……」
「そう、宇宙一可愛いかぐやちゃんだ!あの頃の妙に気障ったらしくて自信満々で彩葉ほどじゃないけどスパダリ属性だった超有能CIAエージェントのお前はどこ行ったのかなぁ!?老けたか!?やっぱヤッチョといい知性体は肉だろうと情報だろうとなんでも老けるとビビりになんのかなぁ!?」
「いや、その臆病風に吹かれたとかそういうのじゃなくて、純粋に僕は君たちの幸福を祈って……」
「人を言い訳にすんな、この鶏野郎!捌いて挽いてバーガーに挟むぞ!それとヤチヨっ!!」
「あっ、はい!?」
ものすごい剣幕でかぐやが捲し立てる。
今まで静かに成り行きを見守っていたヤチヨがいきなり指差されてびっくりする。
びくぅっ、と肩を跳ねさせるその仕草が妙に可愛らしくて私はちょっと吹き出してしまった。
「ヤチヨのことだしどうせさぁ、ここ数十年くらいの他愛のない昔話とかして、お互い話せてよかったね(笑)みたいな無難な感じで終わらせてきたでしょ!」
「え、もうログ共有した……?」
「してなくてもわかる。かぐやはヤチヨでヤチヨはかぐやだもん。まーたヤッチョがなんやかんやで丸い感じにことを納めようとしているタイミングくらいわかるっ!」
「見透かされている、屈辱……!」
「そんなんでなぁなぁに済ませてるとそれに甘えてカーターみたいに曖昧で程々な結論でいい感じに風呂敷畳もうとするやつが出る!」
「つ、つまり……かぐやはどうすれば良いって言ってるのなぁ……?」
「本音はちゃんと言う、みんな!!」
そうかぐやが高らかに宣言した。
飴色の瞳と稲穂のような金髪が陽の光の下でギラギラに輝いているように見えた。
正面から見据えると時々目が眩みそうになるけれど、それでもかぐやは真っ直ぐで鈍らない。
……そう、いつだって貴女の不敵さが私に、みんなに勇気と笑顔を与えてくれる。
そんな貴女だから、私は、みんなは大好きなんだ。
「カーター!」
「は、はいっ」
「僕は幸せにすることはできなかった、とかそういう自分を卑下するっぽいこと言うの禁止。あんたが居たおかげで
「……本当に?」
「そりゃあ、私らの一番は彩葉で、
ーーーーでも、独りじゃなかった。みんなが
「…………」
「だからさ、あんま悲しいこと言わないでよ。……こっちだって傷つくじゃん」
先陣を切るように、かぐやがそう捲し立てた。
ここにいるかぐやはヤチヨから切り出されたもう一つの人格だ。
八千年前のヤチヨの人格を再現するために『体験・記憶』は共有されていないが、意思疎通の齟齬を防ぐために『知識・記録』だけは共有している。
だから
本当はそうではなかったのかも知れない。
なぜなら人格が経験によって変容しているとはいえ二人は同一人物。読んだ記録を介してその時の気持ちを押し測るのは、誰よりも容易だったのかも知れない。
共有はしていなくても、共感はできるのだ。誰よりも深く、他ならぬ自分のこととして。
だからかぐやにはヤチヨのことを語る資格がある……その権利がある。
「私達、友達だったじゃん……。また一回会えたからそれでめでたしめでたし、おしまい、これっきり、なんて寂しいじゃん。また会おうよ、何回だってさ」
かぐやがカーター氏のポケットに突っ込んだスマコンを指さしてそう締め括る。
眦には小さな涙の粒。それでも彼女は笑ってそう言った。
結局のところ彼女が言いたいのはそういうことだった。
友達だから。また会えるならその方がきっと嬉しいから。
……もう会えない友人の方がずっと多いから、今ある縁を大切にしたいから。
「僕は……誇りに思って良いのかな。一時、君の人生の支えになれたことを」
「光栄に思えよ。実体宇宙と情報宇宙合わせた中で一番可愛いかぐやちゃんのお墨付きだぞ」
「
かぐやがぐっと親指を立てる。ついでに私の方に向いてドヤ顔。いやそれは良いから……。
でもありがとう、かぐや。かぐやがそうやって
これで私も彼も、お互い正直になれそうだった。
「イロハ、すまない。正直に言おう……僕はね、ずっと貴女のことが羨ましかったんだ」
カーター氏がそう言って口を開いた。
後ろ暗い話をしている、本来隠したかった本音のことだ。
だが、彼の表情にもう先ほどまでの苦い色はなかった。
どこか清々しそうな笑みを浮かべて彼は言葉を続ける。
「貴女が生まれる前から未来の貴女がどれだけカグヤにとって大切な人だったかを聞いていた。貴女が彼女に人としての体を与えて再びこの世界で生きる喜びを与えた。……さっきまで彼女からしてもらっていたここ数十年の話はね、ほとんど君との惚気話だったよ」
「ヤチヨ……」
「ご、ごめん。彩葉の話になると止まらなくて……」
「お姫様はご覧の通りだ。正直、妬いたよ。彼女を幸せにする権利は僕には無く、君にだけあるというのがね」
そう言いながら彼は私に向けて片手を差し出した。
私はその手を拒まずに、握手を返した。
歳をとった男性の細く、しかしずしりと重い掌だった。
そこに乗せられた多くの想いがその重みを作り出していた。
「ーーーーけれど、今は自分を誇りに思おうと思う。たとえ一時でも僕が彼女の旅路の慰みになれたことを、今でも僕を友と呼んでくれることを。
そして……真に彼女を幸福に導ける君に、こうしてバトンを渡せることを」
ぎゅっと手を握りしめられる。女の私には少し強くて、痛いくらいだ。
でもだからこそ伝わってくる、それは痛切なまでの愛と祈りだった。
多くの人々が
その旅路の全てが私にたどり着くためにあった。八千年のその重みが私の掌の中にあった。
今、確かに私はバトンを受け取った。
なんて重いのだろう。そして、なんて誇らしいのだろう。
もう私の胸の中にあったざわめきは姿を消していた。代わりに気高い熱が暖かく内側を満たしていた。
「私も実は嫉妬していました。私に会うまでに
「イロハ、それはいわゆる高望みというやつさ。ーーーーそれとも、恋敵に対する煽りかね?」
「そのつもりもないのですけれど……今まであの子をありがとうございました。ヤチヨは責任を持って私が世界で一番幸せにしますから」
「ふふふっ、やはり煽りに聞こえるけれど、それも敗者の僻みかな。……
「それなりに」
「いいね、良いワインを見繕っておくよ」
もう蟠りは無かった。私はカーター氏にある種の友情のようなものを感じ始めていた。
それは彼も同じように思ってくれると嬉しいのだが。
もしそうならば一緒に腰を据えて話してみたいと思った。同じ人を愛したもの同士で、きっと話題は絶えないと思うから。
そう、また次に会うときに。
「ヤチヨ。……いや、今だけカグヤと呼んで良いかな」
「うん、良いよ。あの頃みたいに」
最後に彼はヤチヨに向き直った。
今まで静かにしていたヤチヨは優しい笑みを浮かべて彼と向き合った。
私はかぐやといっしょに一歩下がって、それを見守った。
「カグヤ。僕はね君のことが好きだったよ。……今でも君を愛している。君の幸福を心から祈っている」
「私も、カーター。
そう言って二人は抱擁を交わした。どちらからともなく、目尻の端を涙が伝う。
悲しみではなく、ただただそこには喜びがあった。愛があった。
私にはそのことがなんだかとても嬉しかった。
「次はあなたの方からツクヨミに遊びにきてほしいな。ヤチヨの作った世界を、大切なあなたにも見てほしい」
「もちろんだ、また君に会いに行くよ。今度は僕の方からーーーー何度でも」
******
「今日は結局、かぐやにいいところ持ってかれちゃったね」
「まったく、こういう役回りをする人が一人はいないとね。かぐやに感謝してよねー」
「うん、ありがとう。みんなすごく助かった」
「ふふーん」
私の後ろの座席でかぐやがピノキオばりに鼻を高くしている。
私達は賢しくなった分だけ時折臆病になってしまう。相手を傷つけることを避けるために、或いはそれを隠れ蓑に自分が傷つきたくないばかりに。
だからこそ、そこを敢えて踏み越えてくれるかぐやの無鉄砲さが私達には眩しくてありがたかった。本当に感謝している。
ちなみにあの後かぐやはカーター氏を夕食に誘った……が固辞された。
ケビンの肉がどれだけ美味しそうか力説していたが(しかし本当誰だよケビン)、最終的に彼の判断を尊重した形だ。
男には、一人で飲まないといけない夜があるらしい。
私にはいまいちピンとこないけれど、お兄ちゃんにはわかるのかな。今度話してみようか。
「…………」
隣の座席に少し目をやる。
車に乗り込んでからヤチヨは静かに瞼を閉じていた。何かに感じいるように、或いは何かを噛み締めているように。
私は何も言わずに彼女と腕を組んで、指を絡ませて手を握り合っていた。
肩に寄せられた小さな頭の重み、サラサラした髪の質感と微かに薫る香水。
車窓から差し込む陽光となだらかに過ぎ去っていくフリーウェイの景色。
穏やかな時間がゆったりと流れていく中で、やがてヤチヨが小さく口を開いた。
「ねぇ、彩葉」
「うん、どうしたの」
「……あのね、ヤチヨ、彩葉に一つわがままを言いたいの」
「いいよ、なんでも言って」
「……すごいわがままだよ。本当に、一生に一度のわがまま」
「そこまで言われると、尚更聞きたいな。ね、聞かせて?」
私は彼女の髪を梳りながら、耳元で囁くようにそう尋ねた。
ヤチヨのわがままなんて珍しい。かぐやのそれはいつものことだけど、ずっと大人びている……或いは大人ぶっているヤチヨがそう言うことは滅多にない。
だからわざわざ確認と念押ししてまでお願いをしてくることに私は嬉しささえ感じていた。
ヤチヨは甘え下手だから、その分の精一杯のわがままを聞いてあげたい。
「ヤチヨね……
「いいよ、
だが周りはそう思わなかったようだ。真後ろのかぐやも含めて、車内の全員が目を丸くしたのを感じる。
ヤチヨが私の手をぎゅっと握りしめる。心地よい手触り、滑らかで愛おしい熱。
鼻が触れ合うほどの距離で顔を寄せ合う。
長い睫毛に縁取られた真珠色の瞳から、はらはらと美しい涙の粒がこぼれ落ちていた。
悲しみではない、もっと暖かな喜びの涙だった。
「今日、カーターと会って話して……ようやく、ようやく自分の人生を振り返れた気がするの。
……八千年色んなことがあったよ。色んな人と出会って、別れて。色んなものを見て、聞いて……嫌なことも辛いこともあった。苦しかったし、寂しかった。悲しくって、死にたくって。ずっと
「うん、今までよく頑張ったよね。知ってるよ、ヤチヨ」
「そう……そうなの。でも、だからね、今なら言えるよ。
ーーーー今まで生きてて良かったって」
満面の笑みと共に、大粒の涙が一つ頬を伝う。
私はこれほどに綺麗な涙を見たことはなかった。
同期したわけでもないのに、ヤチヨの想いが伝わってくる。
心臓が震えて、胸が潰れてしまうほどの愛おしさが溢れて止まらなかった。
「八千年、長かった……。でもヤチヨにはたくさんの大切な人がいたの。みんなみんな、大切で大好きで……こんなにも愛おしい思い出がいっぱいあるの。みんなキラキラと輝いていて、星のよう……。
だから私も、みんなと同じものになりたい……。ヤチヨも、みんなと同じ人間になって、みんなと同じところに行きたいって、今すごくそう思うの」
走馬灯のように思い出が駆け巡るのが見える。
ーーーー汝は縁起良しとぞ。
ーーーー逢い見ての後の心にくらぶれば。
ーーーー会いたいものがいるのだろう?
ーーーーむかつくからさ、辛くても笑うんだよ!
ーーーー君の活躍する時代を俺も見てみたかった。
ーーーー私には、ここなの。
ーーーー極上のワインは時間が経つほど深まる。
ーーーー悪いことばかりじゃないさ。
「そうだね、悪いことばかりじゃなかった」
「うん、悪いことばかりじゃなかった。だから、今なら言えるよーーーー良い人生だったって。
だからね、
目を閉じれば満天の星。光の全ては人の命だった。
暗闇の道も照らし出す万華鏡のような星屑の宙。
月が星に憧れるなんて、なんてロマンチックな話だろう。
でもあんなにも宙が綺麗だから、自分もその仲間に入れてほしいなんて思うのもわかってしまう。
その道連れに自分を選んで貰えるなら、それはなんて光栄なんだろう。
私の手の中にはバトンがあった。カーター氏から繋がれたバトン、八千年の長きに人から人へと繋がれ続けた祈りそのもの。
そして私がその
胸を張って、ゴールテープを切りに行くために。
「わかったーーーー私が、ヤチヨを殺すよ」
万感の想いを込めて私は愛する人に口付けた。
誓いを込めて、約束の意味で。
「一緒に歳を取ろう。一緒に皺を重ねて、一緒にお婆ちゃんになって、一緒のお墓に入ろう。
……一緒に生きて、一緒に死のう。ヤチヨの命は私のもので、私の命はヤチヨのものだよ」
「うん……ありがとう、彩葉……!嬉しい、今、すごく幸せで、うれしい……!」
私からすればずっと前から決めていたことで、もう当然だとさえ思っていたことだけれどーーーー改めて言葉にすることで新しく覚悟が決まった。
ヤチヨが永遠を望むなら私も永遠を生きるし、ヤチヨが明日にも死ぬことを望むなら私の命も明日まででいい。
私の命はヤチヨに捧げることを決めている。それであなたが喜んでくれるなら、それこそが私の人生の喜びだ。
それを契るように私は、ヤチヨの唇に口を寄せてーーーー、
「ちょっと待ったーっ!!二人の世界に入りすぎ!!かぐや忘れてない!?忘れられちゃうくらいキャラ薄いわけじゃないでしょかぐやって!?
っていうか色々待ってよ!勝手に彩葉の命持ってかないで、心中宣言しないで!!ほらぁ、この前だってかぐやの次の八千年は彩葉と一緒って言ったじゃん!!彩葉だってオーケーしてくれたじゃん!?」
後部座席から壁ドンを喰らう。
その衝撃で私達は額をゴツンとぶつけ合った。
なんとも締まらないがそれも実に
後ろを振り向くと私の座席を興奮したオランウータンのようにガタガタと揺らすかぐやと目があった。
「まぁ、落ち着いてよかぐや。かぐやの約束だって反故にするつもりは毛頭ないんだから」
「いやいや、ヤチヨと一緒に死んだら彩葉いなくなっちゃうじゃん!?かぐやと彩葉の希望の未来はどうすんのー!?かぐやまだヤチヨみたいに人生悟ってないよぉ〜、終活するのはまだ早いよぉ〜!やだやだ彩葉死んじゃやだ〜!!」
「大丈夫だって、なにも無計画で言ってるわけじゃないんだから」
「じゃあ何!?ヤチヨ用とかぐや用に彩葉が分裂でもするわけ!?」
「
「「「「は????」」」」
私がそう言うと車内の全員が一斉に顎を下に落とした。かぐやもヤチヨも、前の方にいるうちの職員や果てはCIAの運転手さんも。
コメディ映画じゃあるまいし、そんなリアクション揃えなくても。
「今研究してる電脳化技術ならそう難しい話じゃないでしょ」
私の目指している電脳化というのは平たく言うと人間を月人のような情報知性体へとシフトさせる研究であり、義体技術とセットにすれば実質科学による不死への到達といっても過言ではない。
手法としては現在、仮想空間内のシミュレーターで人間……この場合は私の脳を完全に再現して、そこに自身の意識の主体を移す方向で進めている。
だが、そこで自分の意識を移すのではなく、人格アルゴリズムを複製して転写する方式にすれば、
要はカットアンドペーストではなく、コピーアンドペーストにするだけだ。そこまで大きな方針の転換ではない。
これで生身の人間の私と、電脳主体の情報知性体としての私、二人でそれぞれヤチヨとかぐやに寄り添うことができるわけだ。
そう解説するとかぐやは引き攣った笑みを浮かべた。
「それっていわゆるスワンプマンってやつじゃない……?彩葉、自己同一性とかそういうの大丈夫?」
「愛を忘れないなら、それは私だよ」
ヤチヨとかぐやも似たような関係だろうに、そこまで心配される謂れはないと思うけど。
世間体がちょっと気になるところだが、倫理は無視する。法律が整備されるより早く逃げ切りを決めるつもりだ。
もう何にも私の道を阻ませたりはしない。運命だとか、摂理だとかに自分たちの望みを左右されるのはもう懲り懲りだ。
生も死も、二者択一だとかいう当然の理でさえも、私はひっくり返して見せよう。
「私は定命の人間としてヤチヨと一緒に年老いて死ぬ。そして不死の命になってかぐやと次の八千年を一緒に生きる。どっちも諦めないから」
「わぁい、欲深怪獣イロハだぁ……」
「ヤッチョたちは恐ろしいものを目覚めさせてしまったのです……」
「がおー、なんてね」
私が指を二本差し出すと、隣のヤチヨと後ろのかぐやも指を先に添えてきた。
三人で作る大きな三角形。ここに多分、遠からず
そんな荒唐無稽で、それでいて面白そうな未来を想像して、私達は揃って笑い合った。