※キャラ崩壊にご注意ください。
「ごめん、彩葉。かぐやが
そのメッセージを見た瞬間、絶叫しなかった自分を褒めてやりたい。
代わりに屠殺される瞬間の鶏みたいな掠れた声が喉から漏れて、思わず勢いよく椅子を蹴立てて職員を驚かせてしまいはしたが。
あらゆる最悪の想像が一瞬で脳内を駆け巡り、手足から血の気が失せる感覚がする。
一方で科学者にして技術屋としての脳が想定され得る故障パターンを頭の中で凄まじい勢いで並べ立て、同速で必要な修復手順を列挙する。
大丈夫、これだけ頭が回るならいける。私ならやれる。
安心してかぐや、あなたがどれだけ壊れても必ずあなたを
「…………どうも捻挫っぽくて……」
「ーーーーーーーーあ、うん。そう?そういうことなら……まぁ、
電話越しの私の声で、私が相当に心配(婉曲表現)したことを察したのだろう。
ヤチヨはなんだかひどくバツの悪そうな声でそう言った。
心配のあまりに過剰に入りすぎた気合いが一気に萎んでいくのがわかる。しゅーん……、と空気が抜けていく風船の気分。
……まぁ、最悪のパターンでなくてよかったよ、うん。
こっちは五体バラバラのスクラップになって頭部CPUがオシャカになってるのまで想定しちゃったからね。
そこまでいっても蘇生する自信はあるが、心臓に悪かった……。
私の緊張が伝わったのか息を呑んでこちらを注視している職員たちを宥める。
秘書さんが車出してかぐやとヤチヨを迎えに行ってくれるので、こっちは修理の下準備しながら待機である。
捻挫って言ってたし、人工筋肉の
待つことしばらく。
秘書さんとヤチヨに連れられてやってきたかぐやは苦虫を噛み潰した……というかいつぞやの粉と水だけのパンケーキを一気喰いした時のような面妖な表情を浮かべていた。
パッと見た感じ外から破損は見えないのだが結構キツそうだ。
「かぐや、それで具合はどうなの?」
「クソ痛ぇ……」
可愛い顔が台無しのこの世の終わりのような面のかぐやが左側の首をさすった。
あー、首を捻った感じ?
彼女の横ではヤチヨが沈んだ面持ちで肩を落としている。
「ごめんなさい……ヤッチョの監督不行き届きというか、元凶というか……」
「何があったの?」
「いやぁ、ちょっとライブの参考になるかもと思ってヤチヨにお勧めのアーティストとかいる?って聞いてさ。マイケル・ジャクソンを勧められたんだよねぇ……」
「ははぁ」
で、どうせだしリスナーと一緒に見てあーだこーだ語ろうという案を閃き、マイケル・ジャクソンMV同時視聴配信というのをやってたらしい。
その最中、マイケルのダンスに触発されたかぐやが振り付けの再現を試みたのだが……。
「それでポゥッ!ってやったら首がポゥッ!ってなっちゃって……」
「ポゥッ!ってなっちゃったかー」
まぁ、マイケル・ジャクソンは振り付け激しいし、動きのキレもすごいからな。
常人が真似したら間違いなくどっか痛める。それは最先端技術を満載した私お手製のKG型義体でも例外はなかったようだ。
試しにスマホを弄ってSNSを確認すると、かぐやが事故った瞬間の切り抜き映像が早速流れてきた。
長い髪を靡かせ勢いよく振り向く動作をしたと思ったら床に倒れて悶絶し始めた。
これはだいぶグキっていったな。グキっていうかポゥッ!っていうか。
「首、左右振り向けるー?」
「あ痛ててて……!こっちはちょっといけるけど逆側突っ張る感じ……」
「じゃあ次は左右、次は前後。えーと、次は腕あげて肩上げて……痺れとかない?……ふーん、まぁ普通に筋損傷か」
人間の筋肉はゴムのように伸び縮みして人体の動きを形作る。
ただ急な動きをするとその伸縮自体に繊維が耐えきれずに傷が入る。ギックリ腰とか寝違えとかむちうちなんかは大抵そういう風に起きる。
人工筋肉にせよ動作原理は同じなので同じ原因で損傷が起きるものだ。
まぁ、新陳代謝や細胞の自己修復なんかは起きないので放っておいても良くなることはないというのが人工義体の限界だが。
……限界か。気に入らない言葉だ。今の義体が一段落ついたら細胞単位で義体を作る研究してみるか。元々
「この分だと斜角筋かな。一応、胸鎖乳突筋と僧帽筋上部繊維も診ておいて」
「わかりました。痺れは無さそうなのでヘルニアはないと思いますが、念のため頚椎も診ておきますね」
「助かる。ほーら、筋肉張り替えるからかぐやはログアウト」
「うぅ……悔しいけどあとは任せた……。ばたんきゅー……」
診察椅子に座ったかぐやが目を閉じると、寝息もなく眠りにつく。
寝ているというか義体から意識をログアウトさせた状態だ。今頃ツクヨミ側にいるだろう。
彼女の意思が抜け落ちたまま目を瞑っている体は人形というか死体のようで、私は一抹の寂しさを感じてしまう。直すまでの辛抱だ。
ただ今回はごく単純な筋肉の張り替えなので、わざわざ私が出張るまでもなく職員だけでできてしまう。
私の指示を受けた秘書さんはかぐやの義体を椅子ごと引いて
本当はかぐやの体は始めから終わりまで、隅から隅まで私だけが触れるものでありたいのだが……部下から仕事を取らずにうまく割り振るというのも上司としての器量である。
そのことにもまた小さな寂寥感を抱きつつ、私はそれを宥めるように、二人分のコーヒーを温めた。
「ヤチヨも付き添いお疲れ様」
「いやぁ〜、労ってもらうのも悪いね。元はといえばヤッチョが勧めたのが原因なんだし……」
「あぁ、マイケル・ジャクソン好きなんだって?」
片方のコーヒーカップを渡しながらヤチヨに水を向ける。
多分、八千年の記憶を同期した時に見ているはずなのだが、ぶっちゃけると1900年代後半からは情報量が指数関数的に増えており、覚えている内容に自信がなかった。
正確には、記憶容量の負荷を下げるために脳が意図的に忘れている部分が多い。
なのでこの際に歯抜けになっている記憶を埋めようと話を振ってみたーーのだが。
「そぉぉぉなの!!実はヤッチョ、マイケル大好きでぇ〜〜っ!!」
すると、ヤチヨは真珠色の瞳をパァッと輝かせながら身を乗り出してきた。
うぉっ顔が良い、と推しのご尊顔の輝きに目を焼かれていると彼女は興奮したように語り始めた。
「歌もダンスもキレッキレで、ビシッと決まってて超カッコいいし〜!MVもすっごく独創的で当時の最先端突っ走っててカッコよかったな〜!ダンスしながらあの難しい曲歌い切るのマジですごくってカッコよくて阿国歌舞伎リアタイしたヤッチョもここまでの歌舞伎者は見たことなくってすぐハマっちゃって〜!あとステージにかける情熱自体もすごくカッコいいんだよねめちゃくちゃカッコよくて完璧なステージでみんなを盛り上げたいっていうのがひしひしと伝わってくるというか音楽の力でラブ&ピースを伝えたいっていう理想がカッコよくて超リスペクトしてて〜!」
「お、おぅ……」
息もつかせぬマシンガントーク、というかオタク特有の早口だった。
時々自分もヤチヨ絡みでこんな喋りをしてしまう時があるのでわかってしまう。
つ、つまりアレか、ヤチヨは結構重めのマイケル推しだったわけだ。
っていうか今の一瞬で「かっこいい」って何回言った?五回か?
「でね〜スーパーボウルのハーフタイムショーに出演した時のパフォーマンスがまたカッコよくて〜」
ヤチヨの目がキラッキラだ。気持ちはわかるよ、推しの話をするときほどオタクにとって楽しい時間はない。
だが……だが、なんというのか、ちょっとモヤモヤする自分がいた。
果たして私はヤチヨにここまでの頻度でカッコいいって言われたことあったか?秒数あたりの頻度でいうと既に1カッコいい/秒を超えそうな勢いだ。
トータルの回数でいやこの十年ぶんの私の方が……いや待て、マイケルの現役は何年で、デビューから
大人気ない。実に大人気ないことだが……私はあろうことかマイケル・ジャクソンに嫉妬の念を覚え始めていた。
だってしょうがないだろう!私が普段からどれだけヤチヨのことを想っていることか!
もう人生の半分以上はヤチヨ推しだし、これから先の人生もヤチヨに捧げ尽くすと決めているのに、他の男のカッコよさをそれだけ楽しそうな笑顔で語られてジェラシー感じるなってのが無理な話!
「なるほどねぇー……っ」
「おろっ?どうしたの?」
自分の声が心持低くなっているのを感じる。
既に緩くなり始めたコーヒーカップを机に置いて、徐に立ち上がる。
いきなり席を立った私にヤチヨが怪訝な表情を向ける。
なぁに、目にもの見せてやるとも。
「マイケル・ジャクソンといえば、世間的に有名なのはムーンウォークだよね。えーと……ちょうどこういう感じ」
「えっ、わっ、彩葉すごいっ!?それ結構難しいんだよ!!」
ムーンウォーク。マイケルのステージパフォーマンスとして特に強烈なインパクトのあるものの一つだ。
体の動き自体は前に向かって歩いているはずなのに、実際には後ろに向かって進んでいる。視覚的な矛盾が見るものに強い印象を残す動きだ。
これはダンスというかパントマイムの動きの応用になる。
パントマイムの一種で、その場から動くことなく歩いているように見せかける技術がある。ただの足踏みとは違って、動作自体は通常の歩行と同じだが前には進まないようにするものだ。
えーと、こう片足上げて下ろしながら、もう片方の足を後ろに滑らせて……ここでつま先を前に戻さず地面につけてこれを起点に足を……。
「ひょい、ひょい、ひょい、とこんな感じだね」
「わー、すごいね彩葉!いつの間に練習したの!?」
「義体の駆動系を設計するときにね、人体の動かし方を勉強するついでにパントマイムとかも齧ってみた」
努めてなんてことないように言ってのける。ヤチヨにお褒めの言葉をいただいてニヤつきそうな顔を、頬の内側を噛んで耐えた。
やはりヤチヨに目を向けて貰えるのは気持ちがいい。マイケルから熱視線を強奪することに成功した私は胸がすく思いだった。
「えっとね、ヤッチョも密かに練習してた時期があるんだよ。ダンスのパフォーマンス向上に繋がるなら幾らでも……って、あれれ?」
「わわわっ、危ない危ない」
私に触発されたヤチヨも立ち上がってムーンウォークを試みる。
だが途中で足がこんがらがってうまく動けなくなり、床のカーペットにつま先を取られてバランスを崩す。
倒れ込むすんでのところで私は彼女を抱き留めた。さっきかぐやが義体を壊したこともあり、かなりひやっとしてしまった。
「大丈夫?不具合はない?」
「う、うん……。あぁ〜……恥ずかしい、ツクヨミならマイケル完コピできるのにぃ……」
「ま、その辺りは要アップデートだね」
腕の中でヤチヨがもじもじと恥ずかしそうにそう語る。そんな機能はまだついてないはずなのに心持ち赤面しているように見える。
私の脳がヤチヨ可愛いさのあまりそういう補正をかけてしまっているようだ。
ヤチヨの照れ顔は万病に効くけど幻覚などの副作用の恐れがあります。
今彼女が使っているYC型義体はかぐやのKG型に比べて適合率が低い。最近はリアル側でのライブもする機会が増えてその度に
流石に今のままではマイケル・ジャクソンのパフォーマンスを再現するのは難しいようだが、将来的にはそこまでの完成度を目指したいところだ。目標があるのはいいことだと思う。
「代わりに、ちょっと見といてよ」
「彩葉?」
今思えば、ムーンウォークを褒められたことで気が大きくなっていたのだろう。
ヤチヨを下ろした私はスマホで音楽を検索して、オープンスピーカーで流し始めた。
ついでに椅子や机に当たらないように場所を選んで立ち、一拍息を吐いて呼吸を落ち着ける。
曲はーーーー『Smooth Criminal』。
『あいつが窓から入って来た、その音はクレッシェンド♪アパートに入ってきて、血痕をカーペットの上に残した♪』
マイケルの歌声に合わせて踊り始める。自分でも口ずさみながら。
体幹はブラさず、手足の指先まで意識を緩めない。振るときは大きく、止めるときは微動だにせず、それでいて次の動き出しは間髪入れず。
ここ最近ヤチヨとかぐやと一緒の舞台に立つ時も、演奏だけじゃなくてダンスも披露する機会が増えてきた。ツクヨミでもリアルでも両方ともだ。
私だってもうアラサーで美容にも体力にもちょっと自信がなくなりつつある年齢。しかし、それを言い訳にして二人に見劣りする自分でいたくない。
私が下手なせいでヤチヨとかぐやが下に見られるのは耐えられないし、一緒に並んで誇れる自分でいたい。
なので芦花に頼み込んでボディメイクの相談に乗ってもらっているし、フィットネスだって監修してもらって頑張っている。
私の覚悟を聞いて芦花も快く協力してくれている。やはり持つべきものは心の友である。
ダンスエクササイズついでに課題曲として振り付けが難しそうな曲に挑戦していた経験が生きた。
『アニー、大丈夫?♪ねぇ、アニー大丈夫かい?♪』
サビの部分を自分でも小さく口ずさみながら、連続でターンを決める。白衣の裾が翻って躍動する。おおっと、今の我ながらカッコいいな。
ヤチヨが私のダンスを食い入るように見つめているのを感じる。ゾクゾクする。
観客がたった一人でも人を夢中にさせるのはなんて楽しいのか。それが愛する人なら何をか言わんや。
歌と踊り、リズムと体の律動に合わせて自分のテンションも上がっていくのがわかる。良い心地だ。やっぱりステージに立つのは楽しい。
アァォゥッ‼︎というマイケルのシャウトと共に、曲が終わりを迎える。
本当はワンコーラスで区切るつもりだったのだけど、思いの外気持ちよくて結局一曲分踊り切ってしまった。
息が切れて額に汗をかいているが、なるべく疲労を見せないように私もビシッとポーズを決める。残心までがパフォーマンスです。
しかし一曲でここまで激しいのに、これをライブで数時間ぶっ通しでやるとは想像もつかない。勝手にキング・オブ・ポップの偉大さを噛み締める私であった。
ちらりと、目を開けてヤチヨの方を見る。
拍手の一つでも欲しかったところだが、見てみると彼女は両手をぎゅっと握りしめてわなわなと震えていた。
おっと、私がカッコよすぎて感極まっちゃったかな〜、みたいな感じで調子に乗っていた私だったがーーーーそこで思いもよらぬ声がかけられた。
「くっ、く、くっ、悔しい〜〜〜ーーーーーっ!!!!」
ガバッと顔を上げたヤチヨは開口一番そう叫んだのである。
私はそれに面食らうと同時に、頭の奥の冷静な部分が警報を鳴らすのを感じていた。
ーーーーまさか、
「ひ、人が踊れなくって気を落としてるところにわざわざそんな完璧なパフォーマンス見せつけてくるってことある!?煽ってんの!?彩葉ってば人の心あんの!?そりゃあめっちゃカッコよくってドキドキしたっていうかときめいたっていうか息をするのも忘れたっていうかでもヤッチョは肺呼吸してないんだけど思わず見入っちゃったっていうかね!?!?」
ヤチヨが半泣きで捲し立てる。
いや、その、ちょっと調子に乗っちゃった部分はあるし、マイケルへの嫉妬があったからちょっと意地悪してみよっかなみたいな気持ちも無きにしもあらずなんだけど、泣かすつもりはなかったというか。
あぁ、でも泣き顔のヤチヨも可愛いねっていうかかぐやみたいに癇癪起こすのってレアで可愛いね……じゃなくて自分も気が動転している!
「ヤチヨだってツクヨミだったらもっと上手に踊れるもん!!一人でジャクソンファイブごっこだってできるんだからね!?靴の仕込み無しでゼログラビティもできるんだからね!?」
「あー、うん、ごめん。なんというか、煽るつもりはなかったんだけど、そう思わせたんならごめん……」
「そう思わせたんならぁ!?勘違いしたこっちに責任があるみたいな言い方卑怯じゃないぃ!?
…………もうわかった、ツクヨミの歌姫にして最強AI
一通りキレ散らかしたヤチヨは、一周回って冷静になったかのように不敵な暗い笑みを浮かべた。
私は彼女のプライドを変な方向に刺激しすぎたようだ。下手に触った結果として暴発させている。
彼女はそのほっそりとした指先をこめかみに当ててニヤリと口の端を上げた。実に悪い表情だった。
あの仕草は……もしやツクヨミ側の
「何をしようとしているのか知らないけど、早まらないでヤチヨ!私すごく嫌な予感がするんだけど!」
「早まるな?ヤッチョは漫画の悪役とは違うよーーーーもう実行した」
******
「あ、ヤチヨだ」
「おーい、ヤッチョー」
「管理人いつもありがとー!」
「チケット当選枠増やしてー!」
常夜の仮想空間都市ツクヨミ、ネオンと提灯の明かりが混在する街角で通行人が人影を認めて声を上げる。
二つに結った銀髪に群青の和風ドレスとエプロンのように前にかけたメンダコのぬいぐるみは管理人の月見ヤチヨに相違ない。
ツクヨミの歌姫として万人を虜にする彼女だが、天上人というわけでは決してなく、むしろ
なにせ分身機能があるし、彼女自身が人と話すことを好む性格だ。ふらりと街角に繰り出した分身と出会して立ち話をしたという経験をした人は相応に多い。
その場にいた彼らもいつもの散歩中の分身だろうとそう思って声をかけた。
かけた……のだが。
「ヤチヨ……あれ、おーい、ヤチヨー……?」
当の月見ヤチヨの様子がおかしかった。
常にファンサービスは欠かさず、交流を楽しむ彼女が自らへの呼びかけを無視するというのは(悪意のこもったメッセージでない限り)基本的にない。
だが、そこにいる彼女は人の声など聞こえていないかのようにフラフラと……そう、フラフラと、どこかおぼつかない足取りで道を歩いていた。
まるで酔っ払いの千鳥足のようだ。
何かがおかしい。もしかしてツクヨミにバグが?
そう思った通行人の一人が健気にもヤチヨの方へと駆け寄る。
だが彼はぐるりと突然振り向いた彼女と目があった瞬間に悲鳴をあげて腰を抜かした。
「ヒィィッ!?」
「ゥォー……ゥァァァァ……ッ!!」
そこにいたヤチヨはヤチヨであってヤチヨでなかった。
象牙色の玉の肌は土気色に澱んでくすみ、珊瑚色の唇は無惨に歪んで牙を覗かせる。真珠の瞳は生気と正気の失せた白濁色。麗しい銀糸の髪は汚れに乱れている。
明らかに異常だ。その恐ろしい形相は墓から起き上がってきた死体と言っても過言ではないーーーーいや、動く死体そのものであった。
「う、うわぁぁああっ!!こっちもだ!!」
「囲まれてる!?嘘だろ!?」
「なにこれなにこれ怖っ!!」
「ぎゃああああああヤッチョの御尊顔が見るも無惨に!!」
ーーーーウウウオォォォォ……。
ーーーーアアァァッォォォ……!
周囲で次々に悲鳴が上がり始める。
彼らが見渡せば、既にその路地には多数のヤチヨが集まり始めていた。
いずれもボロボロの衣装に崩れた死体そのものの外見。
動く死体……つまりヤチヨゾンビは
『間も無く深夜、何か邪悪なものが闇の中に潜んでいるぞ♪
月明かりの下で、君は心臓が止まらんばかりの光景を見てしまう♪』
「「「「!?」」」」
その時、更なる異変が彼らを襲う。
突如として周囲に響き渡る軽快な音楽。
おどろおどろしさと明るさを両立したそれが流れ始めると同時、彼らを囲んでいたヤチヨゾンビの群れが踊り始めたのだ。
何体ものゾンビが一糸乱れぬ統率で繰り広げるダンスパフォーマンス。
状況が状況でなければポップコーンでも齧りながら良い気分で視聴したいところであるが、巻き込まれた彼らにそのような余裕はなかった。
「な、なんだこれっ!?」
「体が崩れて……!」
「やばいやばい!勝手に踊り始めてる!アバター乗っ取られてる!」
「勘弁してくれ〜っ!!俺ホラー耐性ないんだよ〜っ!!」
『君は叫ぼうとして、だが恐怖がそれよりも先に襲い来る♪
君は凍りつく、恐怖が君の目を覗き込むほどに♪
君はもう金縛りさ♪』
なんとゾンビ達の踊りの中に巻き込まれた彼らのアバターも姿を変じていき、やがてゾンビになっていくではないか。
そしてそのゾンビはヤチヨソンビと同じく軽快なリズムに乗ってキレのあるダンスを踊り始めた。
戸惑いの声を上げながらも、体だけは人形のように操られながらトップダンサー並みのパフォーマンスを見せてしまう。
そしてこの異変はこの一角だけではなかった。
ツクヨミのあちこちにヤチヨゾンビが出没、ダンスの中に巻き込んだ
それらの群れは今やツクヨミ中に鳴り響いている音楽に乗せて完全な統率の元で踊り始める。
一斉に地面を踏み締めるステップは行進の軍靴が如くその足音を轟かせた。
曲名はーーーー『Thriller』。
『なぜならこれは
そして今にも襲い来るケダモノから君を守るものはいない♪
知ってるだろうそれは
命をかけて戦え、死ぬほどの戦慄と、今宵♪』
「
混乱がツクヨミ中に広がる。
その混沌が多くの人々の間に伝播し、あちこちで悲鳴と絶叫が響く頃になってあちこちの街頭テレビが点灯する。
そこに映し出されたのはヤチヨの相棒でありマスコットキャラとして知られる毛むくじゃらの喋るウミウシ、FUSHIだった。
画面右上には「緊急放送」のテロップが貼られ、踊り狂うゾンビヤチヨの絵が映っている。
FUSHIは血相を変えて街に向けて叫んだ。
「や、ヤチヨが乱心した!!分身に接触した
「ヤーッチョッチョッチョ……!!」
いつになく焦った顔で人々へと警告を放つFUSHI。
だが全てを言い終わる前にその放送はジャックされた。
ぶつりと切れた画面が再び息を吹きかえすと……そこにいたのは、なぜか白いスーツとハットで男装したヤチヨだった。
高価そうなサングラスをかけた彼女はいかにも悪役じみた笑いをあげながら、高らかに宣言した。
「
よしよし、まぁ、何があったとしても関係はなくってね。今夜はヤッチョのダンスに全員付き合ってもらうから覚悟してね♡ ーーーーこの時間を忘れられない思い出にしたいから……どうか、一緒に踊ってくれる?(強制)」
ニッコリと、ツクヨミを照らす女神の微笑み。
だが今日に限ってその笑みにはなんというのか、今までにない凄みがあった。
端的に言えば暴君の気迫である。全ての他者の理解を丸ごと投げ捨てて己の欲望のままに権力を振るう愉悦に溺れた、あんまり人が放出するべきでない感じのオーラだった。
なおヤチヨは人ではなくAIなので、暴走したマザーコンピュータ的な暴君性であるといってもいいかもしれない。
「もう誰にもヤッチョのことをダンスパフォーマンスで煽らせたりはしない……!ヤチヨの演算能力なら人型アバター何万人でもラグ無し同期で一斉に踊らせることもできる!どんなに複雑で難しいダンスだって完璧に!さぁ、みんなでギネス世界記録に挑戦しよう……!!」
『君はドアの閉まる音を聞き、もう逃げ場がないことを知る♪
君は手が冷たくなるのを感じる、もう陽の光を見ることはないのかって♪
君は目を閉じて、全部ただの妄想であってくれと願う♪
でもその間にも、怪物の叫びを背中越しに聞く♪
もう時間切れだ♪』
マイケル・ジャクソンの歌声が仮想空間の街に轟く中で、暴走AIの狂気が世界を侵食する。
ヤチヨゾンビと、彼女らによって操られた一般ゾンビ達が血の気の失せた顔で踊り狂う。
そのステップが地響きとなって未だ生き残る
まさにツクヨミ最後の夜。
女神の理想郷は女神自身の暴走によって終幕を迎えるのかと誰もが絶望したーーーーその時、
『なぜならそれは
「ふんぬぁーーーーっっっっっ!!!!!!!」
その時、一拍の怒号と轟音が夜を粉砕した。
雄叫びと共に、集団の先頭にいたゾンビヤチヨが
誰もが唖然とし、一瞬の静寂が世界に満ちる。
その空気をガン無視して、一人の少女が高らかに声を上げる。
「ヤチヨ、狂ったか!!身内として恥ずかしすぎる限り、介錯仕りだぜ!!」
「かぐや……っ!」
稲穂のような明るい金髪、鮮やかな朱色の着物。そして携えた門松型巨大ハンマー。
そう彼女こそツクヨミに現れた
彼女は逃げ惑う民衆とダンシングゾンビ達の間に割って入り、飴色の瞳に闘志を漲らせてハンマーを肩に担いだ。
その姿を認めたヤチヨは、手元で何らかの操作をしようとして驚愕に顔を歪めた。
「ヤチヨ0290号から0299号が一斉にダウンしている……?これは……スリープモード?」
「準管理者権限と強制
口元に指を添えて
彼女が述べた権限はいずれもかつてFUSHIから万が一ヤチヨが暴走した時用に彩葉に託されたものであり、それがつい先ほど彩葉からかぐやに譲渡されたのだ。
前者は文字通りのヤチヨに準じるツクヨミの管理権限、後者はヤチヨが52時間周期の
両方合わせて叩き込むことでかぐやはヤチヨゾンビを強制的に眠らせた。そしてヤチヨの分身には指揮系統の優劣があるため、上位個体を狙えば下位の個体群も纏めて機能停止させられるのである。
そしてかぐやはヤチヨの半身であるFUSHIと違って独立した一個人として設計されている以上、ヤチヨの指令で無理矢理言うことを聞かされたりはしない。
「でもっ、その権限はコピー不可のはず!かぐやを倒せば問題ない!」
「ーーーー対策してないわけがないっしょ?」
ヤチヨの指示に従い、ゾンビヤチヨの軍勢がかぐやに向かって踊りかかる。
死体とは思えぬ機敏な動き。クラシカルなスタイルのホラーを愛好するものなら眉を顰めるやもしれない敏捷性だが、ヤチヨは全力疾走するタイプのゾンビの存在にも理解があった。
だがそのゾンビ達が襲いかかる中でかぐやはあくまでも平静だった。
次の瞬間、ゾンビの群れが吹き飛ばされる。
金砕棒による打撃が死者を弾いて飛ばし、拳銃の正確無比な射撃が死体を叩き落とす。
かぐやの前に二人の男達が降り立った。
「ーーーーったく、俺のことを小間使い代わりにするたぁ、かぐやちゃんじゃなきゃお仕置きしているところだぜ」
「帝〜、文句言いながらもきっちり来てくれんじゃん。今度、お兄ちゃん♡って呼んであげよっか?」
「ありがてぇが、オフレコで頼むぜ。本当の妹に叱られちまうからな」
一人は赤髪に黒い角の美丈夫。言わずと知れたプロゲーマーグループ、ブラックオニキスのリーダーたる帝アキラその人である。
彼は軽口を叩きながらキザなウィンクをかぐやに向けた。
ちなみにチームメンバーの雷は休暇で旅行中、乃衣は買い物中。リーダーは本日ぼっちで暇を持て余していた。
故に、もう一人の男はオニキスのものではなくーーーー、
「ーーーー極上のワインは時が経つほどに深まる……怪人ワインマスク見参っ!!」
「あんた何やってんの、ってかなんで帝と一緒にいんの……?」
「見ての通りだ、童心に帰っている」
「フリーマッチで知り合った。強いぜ」
「そっかぁ……」
その男は群青色の忍者装束に身を包み、どことなく英語の訛りがある壮年の声をしていた。
なお首から上はワインボトルという異形型のアバターを使っておりインパクト抜群であった。
彼は両手の指先で拳銃を回してヒーローめいた見得を切る。
一瞬で誰だか察したかぐやだが、ネット上で中の人について言及しない程度のリテラシーは(最近になって)身についていた。
「ふーん……。カ……怪人ワインマスクも帝様もヤッチョじゃなくて
「時には厳しく叱るのも友の役目だと思ってね。あと僕は『Beat It』が好きだ」
「悪いけど、俺は人に踊らされるのは嫌いでね。ちなみにマイケルなら一番好きなのは『Billie Jean』」
「もちろん『Thriller』だけじゃなくて全曲やるけど……ダメ?」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ!?」
気の抜けるようなやり取りの中でも再度ゾンビ達の攻勢が始まる。
わらわらと集まってくるゾンビが襲いくる中で三人は迷いなく武器を振るう。
ワインマスクの銃撃は敵の動き出しを見事な早撃ちで捉えて牽制し、そこを狙って帝が金砕棒から引き抜いた仕込み刀で切り伏せる。
その連携が録画され、後に「ブラックオニキスの狙撃手交代なるか!?」という見出しをつけられて拡散されたことで乃衣が面倒くさい拗ね方をするが帝には知る由もないことだった。
ハンマーで叩き込んだ強制
「このまま中央塔を目指す!最上位権限のヤチヨを殴れば全部止まるからね!」
「そこにいるのがダミーだという可能性はあるかね!?」
「無い!キング・オブ・ポップがステージから逃げるなんてないっしょ!!」
「それは間違いないな!!」
「そういうわけだ、聞いたか野郎ども!!」
戦いの最中、威勢のある女性の声が割り込んでくる。
いつの間にか武器を振るう三人を画角に収めるように、中空にカメラを飛ばしながら犬耳に褐色肌の女性が彼らの近くに立っていた。
ツクヨミを代表する名司会者、
「暴走した我らが
我らの希望はかぐやのハンマー!勝利条件はシンプル、かぐやを守り抜いてあの塔まで送り届けろ!
さぁ、『ツクヨミスリラーナイト』開幕だぁーっ!!」
「乗り遅れるなよ子ウサギ共!!祭りは待ってちゃくれないぜ!!」
大ベテラン配信者であるオタ公と帝が即興で息を合わせる。
うまい一手だった。忠犬オタ公がイベントという体裁に落とし込んだことでこの暴走をエンターテイメントへと転換した。
そういう催しだったのか、と認識を改めた
「ええい!!近くば寄って見よ、遠からんものは音にも聞け!!我が名は月見ヤチヨ、歌って踊れるAI
「本音最後のやつだろ……」
『なぜならこれは
その眼の群れを前に二度目の機会はない♪
戦慄、戦慄の夜♪
生き残るために戦え、死ぬほどの戦慄と、今宵♪』
世界に歌声が響き始め、街中のテレビに映るヤチヨが踊り出す。
切れ味鋭いダンスと歌声を背景に、ツクヨミのあちこちで
「ふっ、呆れているようだがなんだか優しい目をしているね、カグヤ」
「まーね。……ほら、ヤチヨがバカみたいな理由で怒って駄々こねて変なことし始めるのって珍しいじゃん?っていうか今まではそういうの『かぐや』の役割だったわけだし。なんかそういうの嬉しくってさ」
「まっ、気持ちはわかるぜ。身内だと面倒なところも可愛く見えちまうよなぁ」
「なるほど、日本語で『あばたもえくぼ』というやつだな。『惚れた弱み』とも言うかもしれないが」
「言えてるー」
三人は軽口を叩き合いながら各々の武器を携え、戦線の先頭に立つ。
眼前には雲霞の如きゾンビの群れ、だが背後には意気軒昂な一般
双方の軍勢が走り出し、市街地の真ん中で衝突して盛大な火花を散らした。
「行くぞぉぉーーーーっ!!かぐや達の
このあと彩葉がサーバールームに物理で凸ってなんとかしてからめちゃくちゃ謝罪会見した。