モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第100話 桜舞う卒業式 少女の想いは風となりて未来へ翔る

 出会いがあれば別れがある。

 ドンドルマに植林された東方大陸原産の桜と呼ばれる木が美しい花々を咲き誇らせる季節。街の人々はその美しさに目を奪われ、そして新たに旅立つ若き荒鷲達の門出(かどで)を祝う。

 周りを桜の木で覆われた生徒会館では、今まさに厳(おごそ)かな雰囲気を纏って卒業式が行われていた。

 主役は会場の中心に整然と並んだ第6学年の生徒達。その後ろには有志で集まった在校生が先輩達の最後の晴れ舞台をこの目に焼き付けようと真剣な表情で居並んでいる。中には先輩との思い出が過ぎったのだろう、泣き出す生徒までいる。それは6年生も同じで、長く苦しかった学園生活もこれで終わり。そう思うと口やかましかった教官でさえ思い出すと泣けてしまう。見守る教官達でさえ、ほとんど関わりのなかった他学年の教官さえも感動を感じずにはいられない。

 卒業式とは、そんな不思議な空間だ。

 整然と並ぶ6年生の生徒達の中、クリュウもまた他の生徒達と同様にステージの上で祝辞を読み上げる校長をじっと見詰めている。

 纏うのは卒業記念パーティーでも着ていたスーツ。胸のポケットには卒業生の証である桜の木の枝が挿されている。咲き誇る桜の花は新たな季節の訪れを象徴し、それは自分達にとって新たな進むべき道を指し示すものだ。

 隣にはクードが相変わらずな笑みを浮かべながら立っている。何と言うか、やはり長身の彼はスーツがよく似合う美青年という感じだ。それに対して自分は小柄な体格と中性的か若干女の子風な顔立ちのせいでどうしても男装をしている少女に見えなくもない。比較対象がずば抜けすぎているというのを差し引いても、若干ダメージを受ける。

 一度新たな自分へのステップの為にこの長めの髪を短髪にしようと考えた時、ルフィールとシャルル、なぜかクードにアリアまでもが大反対し、一時期友好関係に亀裂が入った事もあった。おかげで今もなお彼は長めの髪をこれ以上は切れずにいるが、確実にこの長い髪が女の子風に見える大きな原因の一つだ。

 校長の長くて退屈な話を無視してそんな事を考えていると、そういう思い出もまた懐かしく感じてしまう。みんなで笑った事、楽しかった事、怒った事、悲しんだ事。様々な思い出が、今では全部いい思い出だ――それは背中の傷も同じだ。

 あれから傷は完全に治ったが、結局やはり傷跡は残ってしまった。それも、背中全体を覆うような大きなものだ。しかもこれが原因でルフィールはあれからもこの傷を気にしてか、以前よりも遠慮がちになってしまった気がする。あの事件の後、ルフィールは夜にベッドに忍び込む事も、自分から進んで二人っきりになろうとするのも止めている。やはり、責任感の強い彼女は、どうしても自分を責めてしまうのだろう。それで、自分との距離を一定に保っている。

 最初こそ悲しかったが、今ではそれにもすっかり慣れた。それに、自分はもうすぐ卒業してこの学校から、この都市から去ってしまう身。いつまでも彼女の支えを自分一人で行い続けるのはやめたかった。

 良い仲間達に囲まれ、クリスティナやシグマの努力の甲斐あって今ではルフィールを迫害する生徒はかなり減っている。彼女自身も、以前はどうしてもイビルアイのせいで他人を突き放すような行動や言動が多かったが、それも落ち着いていた。おかげで今ではユンカース姉妹とも打ち解けて、よく一緒に昼食を食べたり街に買い物に行ったりしている。

 この一年で、ルフィールを囲む環境は一変した。

 そしてそれは、クリュウ自身も同じ事であった。

 この一年は、今までの学園生活で最も充実してて、本当に楽しかったと思える期間であった。良き仲間達と出会い、共に死闘を生き残り、勉学に励み、遊んだ。何もかもが、本当に満載であった。

 そして、ついに卒業を迎えた。この自分を育ててくれた学校とも、多くの事を教えてくれた教官達とも、共に切磋琢磨し合った友人とも、お別れだ。

 卒業証書授与。生徒が一人ひとりステージに上がって校長から直接卒業証書を受け取る。証書には学校の印とハンターズギルド長官の印、ドンドルマ市長の印など様々な関係者の印が押されている。そしてそれは同時に、彼らに自分達がハンターに認められた証拠であった。

 卒業証書を受け取った瞬間、生徒達は新米ハンターとなってギルド本部から《ルーキー》の称号を得る。そして、それは新しいスタートの瞬間であった。

 最初にドンドルマハンター養成学校の生徒達代表にして普通の教官以上の権限を持ち続けていた生徒会会長――いや、もう前生徒会会長と言う方が正しいか――氷の女神ことクリスティナ・エセックスが卒業証書を恭しく受け取った。そんな彼女を見守るのは彼女の後任にして先日新生徒会会長に就任した前生徒会副会長にして前総務部部長を兼任していた桃髪ツインテールに勝気な瞳の少女。いつもは鋭い瞳は柔らかくカーブを描き、涙を浮かべて先輩の晴れ舞台に感動していた。

 Bクラスに入りBクラス委員長にして雷の女神と呼ばれているアリア・ヴィクトリアが証書を受け取る。その姿を、在校生の中からユンカース姉妹が涙を流しながら見守っていた。

 その他C~Eクラスまでも感動の渦の中に終わり、ついにFクラスの番。名前を呼ぶ教官もFクラス担任のフリードに変わり、まず最初に呼ばれたのはFクラス委員長にして炎の女神と呼ばれたシグマ・デアフリンガー。いつもは大雑把な彼女も、今回はしっかりとした正装(スーツ)姿で壇上に上がると、校長から卒業証書を受け取った。その瞬間、クリスティナやアリアに負けないくらいの拍手が鳴り響いた。在校生の中から号泣しているエルが「せんぱぁいッ!」と叫ぶ。それに対しシグマはグッと親指を突き出した。その男らしい態度に、会場の拍手は更に大きく広がる。

 その後Fクラスの他の6年生が次々に証書を受け取って行く。再び場の空気が変わったのは水の女神と呼ばれているフェニス・レキシントンが壇上に上がった時だ。美しいドレスを纏った彼女は校長から証書を受け取ると恭しく一礼。そして教官達に一礼し、さらに見守ってくれていた生徒達にも一礼した。その優雅で律儀な態度に会場の拍手は鳴り止まない。ふと、フェニスは在校生の方に目を向けた。そこには拍手で自分を見送ってくれるシルトの姿があった。フェニスはそんな彼に一度微笑むと、壇上を降りた。

 続いて壇上に上がったのは乙女心を射抜く微笑みを浮かべた美少年、クード・ランカスター。証書を受け取った際の拍手は主に女子からが圧倒的だった。「ランカスター先輩ッ!」「おめでとうございまぁすッ!」と少女達の泣きながらの声援に対し、クードは優しく微笑む。腹の底は知れないが、本当に紳士的な奴だ。

 ――そして、ついにその時が来た。

「クリュウ・ルナリーフ」

 フリードに名を呼ばれたクリュウは「はいッ」と大きな返事で答えるとゆっくりとした足取りで壇上に上がった。剣と銃が交差した紋様の校旗に一礼し、教官達にも一礼。そして、校長の前に立って一礼した。校長もしっかりと答礼し、卒業証書を構えるとその文面を読み上げる。

「卒業証書。クリュウ・ルナリーフ。右の者は我が校の課程を卒業した事を証する。ドンドルマハンター養成訓練学校校長、オリバー・リュッツオウ」

 ――一瞬、校長の名前を「そういえばそんな名前だったな」と若干忘れていた事は内緒だ。

「おめでとう」

 校長から証書を受け取り、クリュウは最後の一礼をする。その瞬間、拍手が響いた。だがもちろんクリスティナやシグマに比べたらずっと小さい拍手だ。でも、それが自分のこの学校での評価であった。目立つ事もせず、普通の学生として過ごしていた自分にはこれくらいが丁度いい。

 そして何事もなくリハーサルの通りに壇上から降りようと生徒達の方を向いた際――それは起きた。

「クリュウ先輩ッ! おめでとうございますッ!」

 そんな声が会場中に響き、クリュウだけでなく生徒や教官達が一斉にその声の主を見た。皆の視線を集めたのは、在校生の隅っこの方にいたルフィールであった。イビルアイに一杯の涙を溜め、泣きながら拍手をしている。その姿を見て、クリュウの平常心が急にバランスを崩した。

「ルフィール……」

 イビルアイのせいでたださえ目立つので、あまり目立ちたくないといつも愚痴っていた彼女が、こんな目立ちまくりな事をするなんて。それも、自分の為に。

 ここ最近彼女との仲があまり良くなかったのもあって、その姿を見て目頭が熱くなった。

 ――しかも、これだけでは終わらなかった。

「兄者ぁッ! おめでとうっすぅッ!」

 ルフィールの肩を抱きながらブンブンと手を振っているのはシャルル。彼女もまた目には一杯の涙を溜めていた。

「シャルル……」

 次第に、止まっていた拍手が再び少しずつ鳴り響きだす。

「おめでとう、ルナリーフッ!」

「おめでとうですわッ!」

 同じ卒業生のはずなのに、シグマとアリアまでもが全力拍手。二人の女神の拍手に、場を満たす拍手はさらに膨れ上がる。

「おめでとう」

「みんなで一緒に卒業ね」

 クリスティナとフェニスもまたその拍手に参加する。

 四大女神の拍手は、その場にいる全員の盛大な拍手の先駆け。いつの間にか、クリュウを包む拍手の大きさはクリスティナやシグマをも超えていた。

 彼は知らない。仲間を救う為に大怪我を負い、その結果一生残ってしまう傷跡を誇りと言い切った彼の存在は、いつの間にか生徒達の目標であり誇りになっていた事を――彼が、自分達ハンター訓練生の鑑(かがみ)だと。

 教官達も拍手し、あの不仲であったユンカース姉妹も拍手をしてくれている。クードもまた笑みを浮かべながら拍手をしているが、その笑顔はどこかいつもとは少し違うような気がした。

 皆に盛大に祝われ、ついにクリュウは感極まってしまったのか涙を流した。だがそれはさらなる拍手の起爆剤となって会場を感動で満たした。

 スタンディングオベーション。皆が席を立ち、盛大な拍手で彼の卒業を祝った。

 そんな中、ルフィールは頬を流れる涙をグシグシとドレスの袖で拭いながら、大好きな先輩の勇姿をしっかりと目に焼き付けていた。そして、ある決意を胸に秘め……

 

 卒業式はその後は予定通り進行し、無事に終わった。卒業式終了後、すぐに総合得点によるクラス順位が発表された。

 B及びFクラスは同点で2位となった。クラス委員長として共に表彰状を受け取る際アリアとシグマは互いの顔を見合うと小さく笑みを浮かべ合い、皆が見守る中しっかりとした握手を交わした。その時の拍手は、彼らの人生の中で最高レベルのものであっただろう。

 そして、優勝は大方の予想通りAクラスとなった。しかしまさか、B・Fクラスの点を足してもまだお釣りが出るような点数を叩き出されるとは思ってもみなかった。何というか、ここまで完敗するとある意味清々しいくらいだ。

 クリスティナは副委員長と共に優勝旗と表彰状、トロフィーを受け取り、皆の温かい拍手に祝われた。

 結局、シグマとアリアが豪語していたクラス優勝は失敗し、さらに最低限の目標であった互いのクラスには勝つというのも失敗。だが、不思議と悔しくはなかった。

 表彰式も終わり、卒業生は各々のクラスに戻るとそこで後輩達との最後の別れをする。後輩の中には泣いてしまう生徒も多く、その涙に影響されて卒業生達も泣いてしまうという、悲しくも嬉しさが混じった雰囲気が場に流れる。

 Bクラスではユンカース姉妹がアリアに抱きついて号泣するという事態が発生し、Fクラスでもシグマにエルが泣きながら抱きつき、シグマが対応に困るという事態が起きていた。

 後輩皆がそれぞれ先輩達との最後の別れを惜しんでいる中、クリュウは一人で窓から天を見上げていた。桜の花が輝くに相応しい快晴が、そこには一杯に広がっている。

「先輩」

 その声に振り向くと、そこにはルフィールが立っていた。クリスティナにもらった創立記念のやり直し会で着ていたあの純白のドレス姿だ。その姿を見て、クリュウは小さく微笑む。

「さっきのはびっくりしたよ」

 そう言うと、ルフィールは恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「あ、あれはちょっと頭のネジが何本かぶっ飛んだボクの人生最大の失態です」

「あははは――でもさ、すっごく嬉しかったよ」

 笑みを浮かべながら言ったクリュウの言葉に、ルフィールはまだ若干恥ずかしいのか頬を赤らめたまま、でも嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は、本当に年相応の少女の笑みであった。

 ルフィールはクリュウの隣に並ぶと、先程までの彼と同じように快晴の空を見上げた。吹き込む風は心地良く、彼女の紺色の髪をサラサラと吹き流す。創立記念の時とは違い、髪型はザザミ結びのままでイビルアイと並ぶトレードマークの細メガネもしっかりと掛けられている。

「いい天気ですね」

「そうだね」

「絶好の卒業日和じゃないですか」

「うん。こんないい天気の日に新たな旅立ちができるなんて、僕は幸せ者だよ」

「……新たな旅立ち、ですか」

 そう繰り返し、ルフィールはうつむいた。ずっと現実から目を背けていたが、もう逃げられない。

 ――今日で、クリュウは卒業してしまった。午後には、校内にいる6年生は全員それぞれの道に向かって出発する。もちろん、クリュウもその一人だ。彼は多くの生徒達同様、自分の故郷の村に帰るらしい。彼自身長い事村を離れているので、村の友人や幼なじみとやっと会えると喜んでいた――そのいつもと変わらない笑顔が、今日は見ててとても悲しかった。

 クリュウとこうして一緒にいられるのもあと少し。彼のおかげで、本当にこの半年間は幸せだった。彼のおかげで友人も増えた。皆が自分をクラスメイトと認めてくれた。今までにない幸せを感じられた。しかし、やはり一番大きな幸せは彼と一緒にいられた事。その彼が、卒業し、自分の前からいなくなる。その現実が、本当に悲しかった。

「……ダメですねボクは。先輩の卒業を祝わないといけないって頭ではわかってるのに――やっぱり、先輩とずっと一緒にいたいと願ってしまいます」

 それはルフィールの葛藤の末にやはりどうしても受け入れられない本心であった。彼と過ごした日々は、本当に幸せだった。そして、ずっと彼と一緒にいたい。そう心から願っていたのに、その想いは結局夢と終わってしまった。

 自分は無事に来期から第5学年に進級し、シャルルも合格点ギリギリで第6学年になった。そして、クリュウは卒業生として自分の進むべき道に向かって歩き出す。

 頭ではわかっているのに、やっぱり心は理解を拒む。自分はどうやら、自分が思っていた以上にまだまだ子供だったらしい。

 うつむきながら、目頭が熱くなるのを感じた。泣いちゃダメなのに、自分は何て弱い人間なんだ……

 ポン、と優しく暖かな手が頭に載せられた。顔を上げると、クリュウは空を見上げていた。

「出会いがあれば別れがある。それが一期一会って事でしょ?」

「……先輩」

「でもさ、別に一生の別れって訳じゃないんだからさ。またきっとどこかで会えるよ。僕は故郷のイージス村に拠点を置くつもりでいる。だって元々、僕は父さんが守り抜いて来たあの村を守りたくてハンターを目指したんだから」

 イージス村。それが彼の生まれ故郷であり、これからも彼が居続ける村の名前。片道ドンドルマから港まで竜車で一日、船で四日。往復で十日掛かる辺境の小さな村だと彼から聞いていた。行く気があれば行く事も可能だが、学生の身としてはそれはなかなか難しい距離と日数だ。

「――最低で一年」

「え?」

「もしも君が二期連続で進級したら、一年後には僕と同じ本物のハンターになれる。そうすれば、自分の思った通りに時間が作れるでしょ? そしたら、イージス村まで来てよ。そうすればまた会えるよ」

 二期連続で進級。口で言うのは簡単だが、それは恐ろしく難しい事だ。低学年の頃なら習う事も基礎だけなのでまだいい。その基礎を使った応用科目を中心とした高学年の5、6年生を二期連続進級なんて相当な努力が必要とされる。

 普通なら無理と断言するに違いないこの難問。だが、ルフィールは違った。

「……何を当たり前な事を言っているんですか。ボクは校内首席ですよ? そんなの当然の目標、決定事項に決まっているじゃないですか」

 そう言って、ルフィールは自信満々な笑みを浮かべた。

 ルフィール・ケーニッヒはこのドンドルマハンター養成訓練学校の首席であり、努力の天才だ。あのクリュウでさえ6年生は何とか半年でクリアしたのだ。ルフィールにとっては当然の道筋だ。

「一年で卒業し、また先輩を会うのは決定事項です。ボクが不満を言っているのは、その一年間が長過ぎるというその一点に尽きます」

「一年くらいあっという間だよ」

「口で言うのは簡単ですが、一年は三六五日あります。その三六五日は時間に換算すると八七六〇時間となり、その八七六〇時間を分に換算すると五二万五六〇〇分となり、この五二万五六〇〇分を秒に換算すると三一五三万六〇〇〇秒となり、この三一五三万六〇〇〇を――」

「もういいッ! 桁がでか過ぎて頭が痛くなって来たぁッ!」

「それくらい途方もないほどの年月だと言っているんです、一年と言うのは」

 普通に生活している分には絶対に使わないであろう桁での数字に悶絶するクリュウを、ルフィールは若干呆れ気味の視線で見詰める。だがその視線は、次第に熱いものに変わっていく。

「――その途方もない年月を、先輩と離れ離れになるのが寂しいんですよ」

「え?」

 クリュウが顔を上げると、すぐさまルフィールはプイッとそっぽを向いた。だが完全には背ける事はできず、熟れたシモフリトマトのようにその横顔は真っ赤に染まっていた――そんな彼女の姿は、とてもかわいらしく見えた。

「――僕だって寂しいよ」

 そう言って、クリュウはポンと彼女の頭の上に手を載せる。ルフィールはそんな彼の手を拒む事はせず、されるがままになっている。だが、じっとこっちを見詰めて来る視線から察するに、やめてほしくはないらしい。

「この半年、ルフィールとはずっと一緒にいたからね。それが突然一緒じゃなくなるのは、僕だって寂しい。でも、その悲しみを乗り越えた先に、また出会えた時の感動が増す。そう考えれば、少しは楽になると思うよ」

 そう言うクリュウの表情は真剣であった。ウソも間違った事も言っていない、正論中の正論。だが、ルフィールはその正論を頭では理解していても、やはり心は拒む。

「……先輩は、大人ですね」

「そんな事ないよ。誰だって、別れは悲しいものだからね。でもさ、さっきも言ったけど別に一生の別れになる訳じゃない。最低一年耐えれば、また会えるんだからさ」

「先輩が狩りで命を落とせば、今生の別れになりますが?」

「……怖い事をさらっと言わないでよね」

それが冗談では済まないのだから恐ろしい。何せ熟練ハンターが強力なモンスターとの戦闘で命を落とすよりも、学生上がりの新米ハンターがドスランポスやイャンクックなどとの戦いで命を落とす方がずっと多いのだ。クリュウは今まさに、その一番危険な時期にいるといってもおかしくはない。

 だが、苦笑する彼の姿を見ながらルフィールは確信していた――クリュウならそんな事はないだろうと。

 彼は普通に見えればどこにでもいそうなごく平凡な新米ハンターだ。でも、その内に秘める心の強さと、将来を思わせる片鱗など。彼はいずれ英雄クラスのハンターになれる。そう確信している。

 彼は今、その為の第一歩を踏み出そうとしている。同時にそれは、自分との一時期の別れに直結する。

 本当は別れたくない。ずっと一緒にいたい。そう思っている。

 でも、本当に彼の事を想っているなら、ここで止めてはいけない。本当に彼の為を想うなら、彼の足手纏いにだけは絶対になってはならない。

 今の自分のできる事、それは――

「……わかりました」

「ルフィール?」

 振り返ったクリュウが見たのは、さっきまでのどこか悲しげな雰囲気を纏ったルフィールではなかった。何かを決意し、それに向かって強く進もうとしている、天性の負けず嫌いの校内首席、ルフィール・ケーニッヒの姿であった。

「一年です」

「え?」

「ボクは必ず一年で卒業してみせます。そして、今度こそ先輩の片腕になれるような立派なハンターになって、また先輩の前に現れます。その時は、また一緒に狩りに行きましょう」

 その強く美しい瞳に、クリュウは笑みを浮かべながらうなずいた。そのうなずきに対し、ルフィールはやっと素直になれた気がした。そして、優しげな笑みを浮かべる。

「今ならハッキリと、心を込めて言えます――卒業、おめでとうございます」

 

 窓際で二人向かい合いながら笑い合っているクリュウとルフィール。そんな二人の姿をバカ騒ぎする群衆の中からシャルルとクードが見詰めていた。

「いやはや、あの二人は焼いてしまうくらいにお似合いですね」

「ふ、フン。そんな事ないっすよ。シャルの方が兄者とベストカップル賞受賞ものっす」

「焼いているのですか?」

「そ、そんなんじゃないっすよッ!」

 顔を真っ赤にして怒るシャルルを見てクードは心底楽しそうに笑う。本当に人をからかうのが楽しくて仕方がないという厄介人物なのだ彼は。

「まったく、これだからランカスター先輩は――って、あのバカッ! どさくさに紛れて何してるっすかッ!」

 ルフィールがクリュウの手を握り締めたのを一瞬にして見抜き、シャルルは激怒しながら二人の方へ駆けて行った。すぐにキレまくるシャルルと冷静沈着なルフィールのケンカが勃発。そんな二人に挟まれたクリュウは必死になってケンカを止めようとするが、原因がいくらがんばっても火に油を注ぐだけだ。

 そんな感じで目立つくらいに騒ぐ三人はクラス中の注目を浴びていた。シャルルとルフィール、どちらが勝つかと賭け事が始まったり、二人を応援する声なども響く。二人のケンカは、いつの間にかFクラス全体を巻き込む恒例行事となっていたのだ。

 シャルルがルフィールに飛び掛って彼女の頬を引っ張ると、ルフィールも反撃とばかりにシャルルのチャームポイントであるツインテールの片側を掴んで引っ張る。そしてすぐに取っ組み合いのケンカに発展し、クラス中が大騒ぎになった。

 結局、そのバカ騒ぎはフリードがやって来て怒られるまで続いたのであった。

 

 ――そして、ついにその時がやって来た。

 

 校門が開き、多くの在校生に見送られながら卒業生が出て行く。この門を潜ったその瞬間から、彼らはハンター訓練生から本物のハンターとなる。緊張や嬉しさ、寂しさや怖さを感じながら、卒業生は次々に出て行く。在校生達はそんな先輩の姿を見ながら、いつか自分達もと想いながら見送る。

「じゃあ、俺達は先に行くぞ」

 そう言うシグマの両隣にはアリアとフェニスが並ぶ。この三人は同郷という事もあって一緒に帰るらしい。何だかんだ言っても実は仲がいいのだシグマとアリアは。

「じゃあ、みんな元気でね」

 微笑むフェニスの笑顔は、どこかいつもと違って悲しみが感じられた。やはり、別れと言うのは辛いものだとその笑顔を見て改めて感じる。クリュウも「元気でね」とどこか悲しげな笑顔で返す。

「クリュウ」

 視線を向けると、アリアがじっとこちらを見詰めていた。彼女もまた、どこか悲しそうな笑みを浮かべている。それを見て本当にお別れなんだなぁと改めて気づかされた。

「アリアも元気でね」

「えぇ。あなたもお元気で。もしよろしければ、いつか私達の国にも来てほしいですわ。小さな国ですけど、良き君主が統治するとても平和で、すばらしい国ですわよ」

「うん。いつか機会があったら行ってみるよ」

 クリュウの返答に対し、アリアはこの日初めて心から嬉しそうな笑みを浮かべた。そんな彼女の背中を、シグマとフェニスが小さく笑みを浮かべながら見守る。

「じゃあ、行くぞ」

 そう言ってシグマが歩き出すと、フェニス、アリアと続いて三人も歩き出す。クリュウ達の他にユンカース姉妹、エル、シルトに見送られ、三人は門を潜って故郷の街へ帰って行った。そんな先輩達の姿を、四人はしっかりとその目に焼き付けた。

 クリスティナは見送りに来てくれたフリードに一礼すると、在校生達の割れんばかりの声を受けながら門を潜る。だがその寸前で突然彼女は踵を返すと、小走りでフリードの前まで戻って来た。そして――背伸びをし、一瞬の隙を突いてフリードの頬に口付けを炸裂させた。

 歓声は消え、不気味な沈黙だけがそこに残る。

 突然の事に驚き過ぎて固まるフリードに、頬を赤らめながらクリスティナは微笑むと、戻って来た時と同じように小走りで門を駆け抜けて行った。

 残されたのは残っていた卒業生や在校生、教官達の恐ろしい視線。その後フリードは校長や教官主任、教官委員会の面々を相手に辛いお説教を受ける事になった。

 フリードが連行された後も卒業生達は次々に出発していく。しかもクリスティナの影響を受けたのか、時々卒業生と在校生のカップルが別れ際のキスを炸裂させる光景が見られるようになった。

 その光景に頬を赤らめながら苦笑するのはクリュウ。昇降口の前に立つ彼を見送ろうと、彼の前にはルフィールとシャルルが立っている。

「な、何なんすかッ。さっきからイチャイチャしやがってッ」

「……公然わいせつですね」

「ま、まぁ気持ちはわかるけどね。少しは自重してほしいかな」

 三人とも頬を赤らめながら互いに向き直り苦笑し合う。だがすぐにお別れムードが戻り、三人ともどこか寂しげな表情を浮かべてしまう。特にルフィールとシャルルの表情はどちらも暗い。そんな二人に、クリュウは優しく微笑みながら両手でそれぞれの頭を撫でた。

「そんな顔しないでよ。せっかくの新たなスタートだっていうのに、暗くなっちゃうじゃないか」

「ご、ごめんっす……」

「申し訳ありません……」

 どちらも、やっぱりいつもの元気がない。そんな二人に苦笑しながら、クリュウはそっと二人を抱き締めた。突然の事に驚きを隠せないでいる二人を両腕で包みながら、クリュウはそっとささやく。

「今までありがとう。二人の事は、絶対に忘れないからね」

 そんなクリュウの言葉に、二人はついに我慢の限界になったのか泣き出してしまった。シャルルは声を上げて号泣し、第三者がいる前ではクールを装っているはずのルフィールもさめざめと泣いてしまっている。そんな二人に、クリュウは苦笑いする。

「もう、別れ際の顔って結構覚えるものなんだよ? お願いだから泣き顔だけは勘弁して。できれば笑って見送ってもらいたいな」

 クリュウのそんな願いに対し、二人は律儀に涙をグシグシと拭き取ると、それぞれ笑みを浮かべた。若干無理しているのはバレバレだが、それでも泣き顔に比べたらずっとマシだ。クリュウも安心したように小さな笑みを浮かべる。

「卒業したら、僕の村に遊びに来てね。そうすれば、また会えるからさ」

 クリュウの言葉に、二人はしっかりとうなずいた。その瞳は涙に濡れてはいるが、頬にはもう流れていない。

 そっと二人を離すと、クリュウは荷物を持つ。すでに大方の荷物は事前に港の方に送ってある。それと一緒に、船に乗って村へ帰る予定だった。事前に手紙を出しておければ良かったのだが、色々と忙しくてすっかり忘れていた。

 まぁ、手紙なしでも別に問題はないだろうとクリュウは楽観視していた。ちなみにそのせいで到着早々に幼なじみの飛び蹴りを受けて悶絶する事になるのを、彼は予想すらしていなかった。

「じゃあね。二人とも、元気でがんばって」

 そう言って、クリュウは二人に背を向けて歩き出した。そんな彼の背中に向かって、ルフィールとシャルルが声を掛ける。

「先輩ッ! お元気でぇッ!」

「兄者ぁッ! 卒業したら、絶対に会いに行くっすからねッ!」

 そんな二人の声に対し、クリュウは手を振って応える。

 歩みを進めると、近づいてくるのはアーチ状の校門。これを潜って外へ出れば、もう一人前とはいかなくても半人前のハンターにはなれる。そう思うと、自然と緊張してしまう。

 だが、意を決して歩みを進め校門の直下。そのまま、外に向かって一歩を踏み出した。気がつくと、校門を越えていた。振り返ると、ルフィールとシャルルが必死になって手を振って見送ってくれている。せっかく涙を拭いたはずなのに、ボロボロと涙を流している二人。クリュウはそんな二人に向かって笑みを浮かべると、最後に大きく手を振って前に向き直る。

 振り向きたくなる衝動を堪え、前だけを意識して進み続ける。気がついた時には、もうドンドルマハンター養成訓練学校の校舎はずいぶんと小さくなっていた……

 

 自分が乗る予定であった竜車が落盤事故で道を塞がれてしまって到着が遅れている事を知ったのは竜車のターミナルに着いてからの事であった。その為、予定よりも出発の時間が一時間ほど遅れてしまう事になった。

 別に急いでいる旅ではないので、クリュウは別段気にした様子もなく時間つぶしにとドンドルマの街の端にある公園へ向かった。そこは桜の木が数本植えてあったので、今はちょうど見ごろな満開模様。公園はさほど広くないしこの時間はあまり人もいなかった。

 ベンチに腰を掛けて、ぼぉーっと空を見上げている。そんな時間をずいぶんと過ごす。

 しばらくして街の中心部にある時計塔の鐘が鳴った。まだ余裕はあるが、そろそろ戻ろうかと立ち上がった時の事だった。

「先輩ッ!」

 突然のこんな所にいるはずがない声に驚いて振り返ると、そこには肩を上下させて荒い息を漏らすルフィールが立っていた。どうやらここまで全力疾走して来たらしい。

「る、ルフィールッ!? 何でこんな所に……」

「先輩が乗るはずだった竜車が遅れていると知ったので、もしかしたらまだいるんじゃないか思ってとターミナルに行ったらこの公園に来ていると聞いたので」

 そう荒い息混じりで言いながら、ルフィールは駆け寄って来た。そしてそのまま、クリュウの胸に飛び込む。

「る、ルフィールッ!? ちょ、ちょっと――」

「少しだけッ! 少しだけこうさせてくださいッ!」

 悲鳴のように言うルフィールの言葉に、クリュウは黙ってしまった。抱きつく彼女の肩が震えているのが見えたのはそのすぐ後。それを見てしまうと、何と声を掛けたらいいかわからなくなってしまった。

「ほんの少しだけ、最後に先輩の温もりを覚えておきたいんです……ッ」

「ルフィール……」

 そんなルフィールの姿に、クリュウはそっと彼女の体を抱き締めた。

 そうして、しばらくの間二人はそうして抱き合い続ける。すると、次第にルフィールも落ち着いたのか、しがみ付いて来るルフィールはとても安心したというような表情を浮かべていた。

「ルフィール」

「……もう、大丈夫ですよ」

 そう言って、ルフィールはそっとクリュウから離れた。

 向かい合い、互いを見詰め合う二人。まるで最後の姿を目に焼き付け合うように、二人はどちらも小さな笑みを浮かべていた。

「これで最後です。今度こそ、さようならですね」

「そうだね」

「最後に、ボクから先輩へ無病息災健闘不敗を祈るおまじないをしてあげますね」

「おまじない?」

 何かなとクリュウが不思議そうに首を傾げた瞬間、ルフィールは突然再びクリュウの腕の中に飛び込んで来た。首に両手を回し、グッと強く引き寄せられ、眼前に彼女の真っ赤に染まった顔が現れる。

 ――刹那、クリュウの唇に柔らかいものが押し付けられた。

 目の前には今だかつてないほどに近い彼女の真っ赤な顔があり、唇には熱いくらいの温度とマシュマロのように柔らかいものが当たっている。

 長いようで、本当は一瞬。彼女が離れると同時に、唇を押さえつけていた熱も消える。

 何が起こったかわからず呆然としていると、ルフィールは今だかつてないほどに顔を真っ赤にさせていた。本当に頭から湯気が出てもおかしくないほど、彼女の顔、そして体は熱くなっていた。

「さ、さようなら!」

 逃げるようにしてルフィールは踵を返して公園から出て行き、すぐにその小さな背中は街角に消えた。

 呆然とその場に残されたクリュウは、ふと熱があった分風に触れてやけに寒く感じる自らの唇に指を当てた。あの熱と柔らかさは、まだしっかりと唇に残っている。

 ――それがキスだとようやく理解できた時、クリュウはボンッと顔を真っ赤にさせた。

 

 それからすぐ、クリュウは竜車に乗ってドンドルマを後にした。

 翌日、港に到着するとすでに着いていた荷物を持って船に乗り込み、故郷のイージス村に向かった。

 そして、彼の本当の物語が始まったのであった……

 

「――あれからもう一年。今頃、ルフィールときっとシャルルも卒業してそれぞれの道に向かって突き進んでると思う。そしていつか、約束通りこの村にも来てくれるかもしれない。その時は、おめでとうって言ってあげたいと思ってる」

 そう締めると、クリュウはジョッキに注がれた好物のハチミツ入りミルクを飲み干した。そんな彼が座るテーブルの正面にはフィーリア、サクラ、シルフィードの三人の他にエレナの姿もあった。

 ここはイージス村。それもエレナの酒場であった。

 村へ帰る途中、やっぱり恥ずかしくて簡単に説明を終えたクリュウだったが、三人は納得しなかった。村についてからはエレナまで加勢に加わり、こうしてハチミツ入りミルク一杯を報酬にクリュウは自らの過去を根掘り葉掘り説明させられていた。

「――なるほど、訓練生時代には今の我々に引けを取らないような良い仲間達がいたのだな」

 シルフィードは口元に小さく笑みを浮かべながら、自らが注文していたブドウジュースを飲む。そんな大人な反応を見せるシルフィードに対し、フィーリアはムスッとした表情を浮かべながらリンゴジュースを飲んでいた。

「……ずるいです。そんなにクリュウ様に大切にされているなんて、不公平です」

「それ、どういう意味?」

 苦笑しながらもクリュウはほっと胸を撫で下ろしていた。どうやら命の危機は脱したらしい。何せありのままを話すにはやっぱり恥ずかしいし、何より女の子が関係する話になると四人が全員表情を険しくして不機嫌になっていくので必要最低限の説明をしつつ四人が納得できるような内容に調節するのには苦労した。特にルフィール関係の話は地雷だらけ。とてもじゃないがキスやら一緒に寝たやらは絶対に言えない。言ったら最後、崖から突き落とされるかもしれない。

 話し疲れたというだけではないのどの渇きを潤し、何で昔話をしただけでこんなに苦労するのかと思いクリュウは苦笑した。そんな彼を、じっと見詰める二人の少女。

「クリュウ、本当にそれが全部なの?」

 ジト目で見詰めながら疑ってくるエレナに対し、クリュウは「ほ、本当だよ。これで全部さ」と笑って誤魔化す。だが、その隣にも疑い深い少女が座っている。

「……話の途中途中を省略した感じがする。むしろ、私はその省略していた話に興味がある」

「そ、そんなものはないってばぁッ!」

 完全に疑いの目を向けて来るサクラ。彼女の洞察力や推理力は人並み外れているのは知っていたが、改めて彼女の危険性を再認識させられた。

「と、とにかく僕の話はここまでッ! ほ、ほら早く荷物を片付けちゃおうッ!」

 そう言って無理やり話を終わらせ、クリュウは家に戻っていないので椅子の横に置いてある荷物を手に取ると、逃げるように店を出て行った。

「あ、コラ待ちなさいッ! まだ話は終わってないのよッ!」

「ま、待ってくださいッ! 私もやっぱり納得できませんッ!」

「……女絡みな気がする。許さない」

「だあああぁぁぁッ! ほんとにもう何も話す事はないってばあああぁぁぁッ!」

 追い掛けてくる美少女達(バーサーカー)から逃げるようにクリュウは家に向かって全力疾走。そんな彼を追い掛けるようにフィーリア達も全力で走る。

 土煙を上げながら小さくなって行く四人を見詰め、シルフィードは小さく口元に笑みを浮かべると全員分の勘定をテーブルの上に置いてからゆったりとした足取りで皆の後を追った。

 他の幼き少女達とは違い例え怪しくても彼が言いたくない事は追求しない。皆よりも年上で数々の場数を踏んで来ただけあって、シルフィードは大人でありクールであった。

「……逃げるのが得意なクリュウの事だ。きっと四人を巻く為に村長の家の方を隠れながら回るに違いない。先回りしてみるか」

 ――前言撤回。彼女もものすごぉく気になっていたらしい。

 

 雪が降り積もる冬の真っただ中である北の辺境にある小さな村から、少年の悲鳴が轟いたのはそれからすぐの事であった。

 

 桜咲き誇る春、大陸最大の都市であるドンドルマから西へ竜車で数日。シルクォーレの森とシルトン丘陵からなるこの地方は『温厚な心』という意味を持つアルコリスと名づけられている。名の由来の通り、ここはとても穏やかで草食竜が平和に暮らしており、のどかな時間が流れている。

 この地方はどの国にも属さずに独立しているドンドルマと、西シュレイド王国の南端にあり国から自治権を認められている大規模都市であるミナガルデと狩場を共有している。この穏やかな地方は資源も豊富な上に新米ハンターを育成するにはとても適しており、お互いにハンター中心の街な為に昔はその領有権を求めて争った経緯があるが、現在では共同領有という形で一応決着はしていた。

 その為、このアルコリス地方はドンドルマのハンターだけではなく、ミナガルデのハンターにとっても親しみ深い狩場なのであった。

 ――そんなアルコリス地方の狩場、森丘では一つの戦いが終わろうとしていた。

 

「クワアアアァァァッ!」

 特徴的な鳴き声を放ちながら突進して来る桃色の鱗や甲殻に身を包んだ飛竜。巨大なクチバシとレーダーのような耳を持つそれは正確には飛竜ではなくドスランポスなどと同じ鳥竜種に分類されるのだが、事実上の飛竜として扱われているモンスター。

 新米ハンターの登竜門、怪鳥イャンクックだ。

 イャンクックは《敵》に向かって必殺の体当たりを決める。だが、その小さな《敵》は華麗な動きでそれを回避。イャンクックの巨体は何も踏み潰す事はできず、勢い余って前のめりに倒れて地面を滑走する。

 ゆっくりと起き上がるイャンクック。だがその姿はすでに満身創痍という状態であった。クチバシは砕け、耳は破れ、様々な部分で鱗や甲殻が飛び散ってしまって血を流している。破れた耳が畳まれているという事は、体力ももうほとんど残っていないのだろう。

 何より、一番痛々しいのは体中に突き刺さっている無数の矢。特に関節部に密集して突き刺さっており、動くたびに激痛が走るのであろう、イャンクックはそのたびに苦しげな唸り声を上げている。

 だが、その瞳に宿るのはすさまじい殺気と憎しみ。自分をここまで追い込み、傷つけたのは自分よりもずっと小さな生き物。圧倒的に有利のはずの自分が、こんな非力な存在に敗北するなど――絶対に許してはならない。

「クワアアアアアァァァァァッ!」

 怒り狂うイャンクック。その殺気を全身に浴びるのは彼とは比べ物にならないほど小さな体をした紺色の髪を流した少女。

 身を包むのは着心地が良くて耐久力もあるケルビの皮をメインに使った緑色の防具、バトルシリーズ。武器は基本的な形をしたハンターボウ3。初心者の武器としては十分攻撃力がある武器だ。何より、ずっと使っていた武器の強化型だけあって扱いやすい。

 バトルキャップの下には太陽の光を受けて煌く知的なメガネ。少女はイャンクックの殺気など気にした様子もなくクール。動き回ってズレたメガネを、片手でクイッと直す――その瞬間、メガネの奥で二色の瞳が輝いた。

 もはや戦略も戦術もない苦し紛れの突進攻撃。少女は迫り来るイャンクックとの彼我の距離を冷静に見極め、奴の巨体の大きさを計算し、ギリギリの間合いで最低限の動きだけで回避する。その見事な動きは、ただの新米ハンターとは明らかに違う。

 焦らず、常に余裕を保ち、冷静に状況分析をしながら戦う。それが彼女の戦い方であった。

 ゆっくりとした動作で矢筒から矢を引き抜き、弦に番えた。そして、イャンクックがこちらへ向き直る瞬間に矢を放つ。放たれた矢は吸い込まれるようにイャンクックの頭に突き刺さった。

「クワクワアアアァァァッ!」

 激怒するイャンクックはその場で地団駄を踏む。その間に少女は新たな矢を構えながら横へ移動する。イャンクックはその動きを追うように巨体自体をゆっくりと移動させる。そして、先回りするかのように口から火炎液を放った。だが少女はその攻撃すらもしっかりと見切っていた。これまでの戦闘で、すでに奴の動きは全て見切った。もはや、不意の一撃は受けない。余裕で火炎液を回避すると、お返しに矢を三本放つ。どれも見事に頭に命中し、イャンクックは仰け反る。

 その隙を、少女は見逃さない。すぐさま腰の道具袋(ポーチ)から音爆弾を取り出すと、こちらに向き直ろうとしているイャンクックに向かって投擲。直後に甲高い音が炸裂。人間の耳には何ともない音だが、イャンクックのような音に敏感なモンスターにとってはとてつもない衝撃となって襲い掛かる。その結果、イャンクックは天を仰いでフラフラとしながらその場に立ち尽くす。その間に、少女は矢から三本の矢を抜いて弦に番え、ギリギリと軋むほどに引き絞る。そして、限界まで引いた弦を一気に解放。矢は高速で撃ち放たれ、空気の壁を貫いてイャンクックに命中。腹、翼、脚を見事に貫く。

「クワアアアァァァッ!」

 火炎液を口から漏らしながら怒り狂うイャンクック。一本の矢を番えたまま動かない少女を見てチャンスとばかりに渾身の突進を仕掛ける。だが、迫り来るイャンクックに対し少女は無表情のままギリギリと矢を引き絞り続ける。

 ――勝った。

 イャンクックが自分の勝利を確信した時だった――突然、足元が崩れた。

「クワァッ!?」

 突進は強制的に止められ、さらには崩れた地面に下半身が吸い込まれた。そしてそのまま、粘着するネットが体中にへばり付き、完全に動きを封じられた。イャンクックは必死になってもがくが、脱する事はできない。

 そして、イャンクックの目と少女の目が合う。

 蒼と金。二色の瞳が細められた瞬間、放たれた矢がイャンクックの頭を貫いた。その一撃で、イャンクックは倒れた。

 落とし穴に体の半分を埋めて死したイャンクック。少女は武器をしまってから近づくと、完全に死んだ事を確認。そして――そっと手を合わせ、瞳を閉じて自分と死闘を繰り広げた彼の冥福を祈る。

 しばしの沈黙の後、スッと瞳が開かれた。碧眼と金眼。メガネの奥に煌く双方で異なる色の瞳は、大陸に伝わる伝説の化け物、邪眼姫(イビルアイ)と同じイビルアイ。人々から忌み嫌われる、異形の存在。

 確かに、今でもこの瞳を見て知らない人からは不気味がられたり遠ざけられたりもする。だが、昔のようにそんな自分の運命を諦めてなどはいない。

 かつて、この瞳を含めた自分を認めてくれた人がいた。この瞳を、きれいと言ってくれた人がいた。

 その人は自分よりも先に自分の夢を目指して旅立ってしまった。

 少女は、その人を自分の失態のせいで命の危機に晒し、一生残る大怪我をさせてしまった。その人は気にしていないと言ったが、少女はやはり激しく後悔し、もう二度と同じような過ちは犯さないと心に誓い、努力に努力を重ねて自分を磨いて来た。

 そして今日、ついにハンターの登竜門であるイャンクックを討伐した。

 本当なら大喜びしてもいいはずだ。でも、自分が目指すはのもっともっと上。この程度の事で喜んでなどいられない。きっとあの人は、もっと自分よりも上にいる。その人と並ぶだけの実力をつけるまでは、止まる事はできないのだ。

 雲ひとつない快晴の空を、柔らかな風が吹き抜く。少女はふと空を見上げ、その眩しい太陽を手をかざしながら見詰める。温かくて明るい太陽は、まるで彼のようだ。

「……待っててください先輩。ボク、もっともっと強くなりますから」

 その瞬間、少女に今日初めての笑みが浮かんだ。優しく、柔らかいその笑顔は年相応の少女がするかわいらしいもの。そのイビルアイが見詰める先に、彼女の目指すものがあるのだろうか。

 ルフィール・ケーニッヒ。後に《光眼姫(シャインアイ)》という名で大陸中に知れ渡る伝説のハンターとなる少女の、第一歩の瞬間であった……


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