雨ですっかり泥道になったイージス村のメインストリート。そこではいつにも増して人々が右へ左へと慌しく動き回っていた。ただの賑わいとは違うその慌しさに、帰って来たばかりのシルフィードとサクラは首を傾げる。
「あ、二人ともお帰り。ってか、あんた達一緒の依頼だったっけ?」
入口で呆然と立っている二人に声を掛けたのは握り飯やサンドイッチなどを満載したトレイを両手に持ったエレナであった。
「いや、偶然ドンドルマで会ったのでな。一緒に帰って来たのだ」
「ふぅん、そうなんだ」
「しかし、一体何の騒ぎだこれは?」
その時、シャベルやピッケルを持った村の男達が同じ方向へ走って行った。それを見て、エレナは「あぁ」と納得したようにうなずくと困ったような笑みを浮かべた。
「それが、昨日の大雨で村の一角が土砂崩れしちゃったのよ」
「なるほど。被害は?」
「村外れだから家も人もなくて犠牲者はないわね。でも湖から引いている生活用水川がこの土砂崩れで一部決壊しちゃってね。今は水を止めて土砂撤去と決壊修復をしてる所。たぶん夕方には直るとは思うけど、それまではちょっと水はさっき大タルに汲んだ分がとりあえずの生活水ね。村長の家にあるから、使うんだったら分けてもらいなさい」
「結構甚大な被害なんだな」
「他の村と違ってこの村は水道整備が整っているからね。それが壊れたとなると当然被害は大きくなるわ。まぁ、普通に生活している分には他の村なんかよりずっと住み心地はいいんだけどね」
イージス村は村長が逐一村の整備や規模を拡大している為、近隣の同規模の村及びちょっとした都市よりも様々な面で機能が充実している。村の中央部に生活用水用の川を作ったのもその偉業の一つだ。今回はそれが壊れたので、他の村以上に二次災害が大きくなってしまったのだ。
「それで、君の持っているそれは?」
「あぁ、作業している人達用の昼食よ。あんた達も食べる?」
「いや、遠慮しておこう。それより、クリュウはどこだ? その作業に参加しているのか?」
シルフィードはそう言って辺りを見回してみるが、どこにも彼の姿はなかった。すると、エレナは「クリュウなら今村にはいないわよ」と答えた。
「村にいない? どうしてまた」
「フィーリアとツバメって子と一緒にセレス密林に現れたゲリョス二頭を討伐に向かっているわよ」
「……ツバメが」
そこで初めて今まで黙っていたサクラがつぶやいた。
「ツバメ・アオゾラ。あんたの知り合いなんでしょ?」
「……えぇ」
「一緒に行ったという事は、ハンターなのか?」
「……双剣使いよ」
「双剣……、それはまた癖のある武器を使うのだな」
シルフィードは感心したようにうなずくと、「引き止めてしまってすまなかった。何か私で手伝える事があれば手伝うが」と自ら言い出す。エレナは「ありがと。でも大丈夫よ」と笑顔で答えた。
「力仕事は男達に任せておけばいいし。それより疲れてるんでしょ? ゆっくり休みなって」
「問題ない。力仕事でも料理でも何でも構わんぞ」
「シルフィード、あなたも一応女の子なんだから力仕事は男達に任せておきなさいって。それと、あなたが料理をすると兵器しか生み出さない事はわかってるでしょ?」
「……生物兵器」
「……わかってはいるが、そうストレートに言わなくても」
料理下手というレベルではなく食材で兵器を生み出す能力を持つシルフィード。自分の料理の破壊力のすさまじさは自覚しているが、これでもがんばっている方なのだ。そこを根本から否定されるとさすがに落ち込む。
そんな会話をしていると、一人入口の方を見詰めていたサクラが何かに気づいた。そして、フッと口元に小さな笑みを浮かべる。
「……帰って来た」
その言葉に二人が振り返ると、クリュウとフィーリア、そしてツバメの三人が入口に現れた。全員防具は泥まみれで戦いの壮絶さを物語っていた。だが、その表情はどれも晴れ晴れをしている。
「あ、シルフィにサクラ。帰って来てたんだ」
先頭に立つクリュウは二人の姿を見ると嬉しそうに笑みを浮かべた。その無事な姿を見て、三人は内心ほっとしていた。すると、ツバメがそんなクリュウの前に飛び出した。その視線はジッとサクラに注がれている。
「久しいのサクラ。元気にしておったか? まぁ、見る限り元気そうじゃがのぉ」
サクラは無言で駆け出した。迫り来るサクラにツバメは嬉しそうに笑いながら手を広げる。そして――サクラはツバメの横を素通りした。
「うぬ?」
「さ、サクラッ!? うわぁッ!」
振り返ると、サクラがクリュウに抱きついて彼を押し倒すのが見えた。地面に倒れたクリュウに抱きついたまま、サクラは嬉しそうに彼の胸に頬ずりしている。当然、このサクラの暴挙にフィーリアが顔を真っ赤にして激怒し、二人はいつものように戦闘態勢に入った。
そんなサクラを見て、ツバメはがっくりと肩を落とした。
「久しい友人よりも近しい想い人。寂しいのぉ……」
「悪気はないのだ。それは君自身が一番良く知っているのではないか?」
その問い掛けにツバメが顔を上げると、そこにはシルフィードが立っていた。
「お主は……」
「私はシルフィード・エア。名目上はクリュウ達のチームの隊長(リーダー)になるな」
「おぉ、お初にお目にかかる。ワシの名はツバメ・アオゾラじゃ。よろしく頼むぞ」
「よろしく頼む、とは?」
困惑するシルフィードに、ようやくサクラを引き剥がしたクリュウが説明に入った。と言っても、ツバメがこの村に腰を据える事にしたという話程度だが。
クリュウの説明に、シルフィードは納得したようにうなずいた。
「なるほど。村の常駐ハンターは多ければ多いほど好ましい。こちらこそよろしく頼む」
「うむ。大船に乗った気で安心するが良い」
ツバメは嬉しそうに笑みを浮かべ、自信満々に胸を反らす。シルフィードは新たな仲間の登場に心底喜んでいた。まぁ、クールな表情からその内心を察するのはかなり難しいが。
一方、ツバメとは子供の頃からの付き合いであるサクラは……
「……帰れ」
「な、何じゃと?」
サクラの思いも寄らぬ言葉にツバメは驚きを隠せない。他の者も驚いたような表情を浮かべてサクラを凝視している。それらの視線に対し、サクラは無表情を貫き通す。
「さ、サクラ。何でそんな事言うのさ、ツバメは友達なんでしょ?」
クリュウの問いに、サクラは「……ただの腐れ縁」とあっさり切り捨てた。クリュウは背後で「ぐはぁッ!」というツバメの叫び声と何かが倒れる音を聞いたが、とりあえず今は聞かなかった事にする。
クリュウの視線に対し、サクラはフゥと小さくため息を吐いた。
「……村常駐のハンターはすでに四人。ギルド規定の最大メンバーもまた四人。ツバメが入る場所なんてない」
「サクラッ!」
「……これは事実。古龍級でなければこの絶対条件は決して破ってはならない。これは大陸中の大小の村や街全てに共通する事」
サクラは間違った事は言っていない。ただ極論であり言い方が悪いだけなのだ。
ハンターチームは最大で四人までしか組む事はできない。これはココット村の英雄が五人で戦いを行った際に彼の婚約者が死亡した事により、以降四人以上では死者が出るというジンクスと英雄に対しての敬意から決まった暗黙の絶対ルール。これを破る事はハンターを愚弄する事と同じだ。
イージス村にいるハンターはクリュウ、フィーリア、サクラ、シルフィードの四人。そして四人はすでにチームを組んでいる。ここにツバメが加わるとすれば、誰かが弾き出される事になる。サクラはそう言っているのだ。
何だかんだ言っても、彼女だってこのチームの事が好きなのだ。ここから、誰か一人でも欠ける事を嫌がっている。先程の発言はそこから来る想いが込められた彼女の本心の表れであった。
サクラの言葉に、クリュウだけでなくフィーリアとシルフィードも黙ってしまった。ハンターではないがイージス村のギルド支部のような事を行っているエレナもまた安易な発言はできないと黙っている。
そんな中、ツバメは「何じゃそんな事か」と軽く笑い飛ばした。その反応に、サクラの隻眼が鋭くなる。
「……ツバメ、これは笑い事じゃない」
「すまんすまん。じゃが、気にするでない。ワシは基本的にお主らのチームに入ろうなどろは考えておらんよ」
その言葉に五人は一斉に首を傾げた。そんな皆の反応に、ツバメは苦笑しながら答える。
「ワシはソロでこの村に腰を据えるつもりじゃ。例えばサクラが単独依頼で留守の時、チームの補充として参加する事はあっても、四人が常駐している時には加わるつもりはない。お主達の絆を壊したくはないからのぉ」
「ツバメ……」
「それに、ワシにはラミィ達と組んでいた期間以外では常に背を預けていた相棒がおるしの」
「相棒?」
「――主殿ぉッ!」
突然の声に振り返ると、マフモフシリーズを纏った若葉色のアイルーが大量の握り飯やサンドイッチが載った大きなトレイを掲げながらトテトテと走って来た。それを見て、ツバメが「おぉ」と声を漏らす。
「アイルー?」
「まったくッ! オイラのいない間にどこに行ってたニャッ!」
「すまんすまん。ちょっとクリュウ達と一緒にゲリョス退治をな」
「ニャッ!? だ、大丈夫かニャッ!? 怪我はないニャッ!?」
「平気じゃ。ゲリョス如きワシの敵ではないぞ」
かなり苦戦していた事実は、今ここでは言わない方が良さそうだ。そう結論付け、クリュウは苦笑を浮かべた。
アイルーは「本当かニャ~?」と疑うような視線でツバメを下から上までじっくり観察。そして怪我はないと結論付けると納得したようにうなずいた。
「無事で何よりニャ。だけど、今度はオイラを連れてってほしいのニャッ! 主殿の背中はオイラしか守れないのニャッ!」
「すまんすまん。あとでマタタビ一個あげるから勘弁じゃ」
「オイラは純粋に主殿の身を案じてるのニャッ! その純情を物で買収するなんてひどいニャッ!」
「マタタビ三個でどうじゃ?」
「……オイラは主殿の忠実な僕(しもべ)なのニャ。主殿の命令は絶対ニャ」
マタタビ三個、金額にして42zで買収されたアイルー。ツバメは呆れたようにため息を吐きながらすでにマタタビをものすごく楽しみにしてスキップしているアイルーを見詰める。
「紹介が遅れたの。ワシのオトモアイルーのオリガミじゃ。サクラとクリュウには以前話した事があったと思うが」
そういえば、以前アルフレアに行った時にそんな話をした。あの時言っていた生物兵器を生み出したと言われるアイルーはどうやらこの子らしい――シルフィードとどちらが兵器を生み出す腕を持っているのか気になったのは内緒だ。
「お初にお目にかかるニャ。オイラはオリガミ。主殿に命を救われ、それ以来忠義を尽くす義に生きるアイルーニャ」
「命を救われた?」
「気にするでない。いつもの誇張した発言じゃ」
「誇張なんかじゃないニャ! 主殿はオイラが子供の頃に荒れる川に流された時に命懸けで助けてくれた命の恩人ニャッ!」
オリガミは本当に嬉しそうな笑みを浮かべながらウキウキと自分とツバメの絆を話しまくる。クリュウ達はその話に感動しながら聞き入っているが、ツバメは顔を真っ赤にして「公共の往来でワシを羞恥死させる気かッ!」と激怒する。
「それより、お主も何か仕事中ではないのか?」
とにかく話題を変えようとを顔を赤らめたまま言うツバメの言葉に、オリガミは思い出したようにピンッとヒゲを伸ばした。
「そうだったニャッ! 急ぎましょう姉御!」
「誰が姉御よ! とにかく、私とオリガミは急いでるからここで。じゃあね」
そう言い残し「ほらさっさと走るッ!」と怒鳴りながら先を走るエレナの言葉に「はいニャ~ッ!」と答えながらオリガミは必死になって追いかける。そんな二人を見て、ツバメは心底驚いたような顔を浮かべていた。
「一体何がどうなっておるんじゃ? ワシがいない間に何かあったのじゃろうか」
ツバメやフィーリアが去って行くエレナとオリガミの背中を見詰めている中、クリュウはシルフィードから簡単に事の経緯を聞いていた。
「川が壊れた?」
「そうだ。村の生活用水は全てあの丘の上にある湖から供給されているだろ? その水を流す川が決壊したそうだ。今はその修復作業が急ピッチで行われているらしい」
「僕達も手伝った方がいいかな?」
「いや、村の事は村人に任せるべきだろう。それより君達もゲリョス相手とはいえ二頭同時討伐だ。疲れただろ? 早く家に帰ってゆっくりしよう」
「その前に今回の狩りの報告を村長にしなくちゃね。ゲリョスは討伐、ゲリョス亜種は捕獲ってね」
「捕獲? ではもうギルドに引き渡したのか?」
「うん。セレス密林管轄のアイルーが近くのギルド支部に捕獲引取り要請をしてくれてね。その引渡しなんかで帰るがの遅くなったんだ。本当なら昼前には帰って来れたはずなんだけどね」
「そうか。ならばさっさと用事を済ませて家で休むといい。昨日の雨で体力も激しく消耗しているだろうしな」
「そうだね。ちょっと疲れちゃったし……って、サクラ? 何してるの?」
サクラはクリュウの左腕をくんくんと匂いを嗅いでいる。そして何かに気づいたような表情を浮かべると、責めているような、心配しているような何とも言えない瞳でジッとクリュウを見詰める。
「な、何?」
「……クリュウ、怪我してる」
「何? そうなのか?」
サクラの発言に驚くシルフィード。一方のクリュウは「べ、別に怪我なんてしてないよぉ~」と笑って誤魔化すが、サクラの隻眼は真剣。一切の冗談は通じなかった。
「……まぁ、大した事じゃないんだけどね」
「怪我しているなら尚更早く家に戻って休め」
「う、うん。そうする。でもサクラよくわかったね」
「……微かにだけど、薬草の匂いがする」
「……サクラにバレないようにわざわざ薬草を剥がした上に念には念を入れて水で洗い流したのになぁ」
「……無駄な努力。私の鼻は例え消臭玉を使っても薬草の匂いを嗅ぎ分ける事ができる」
「もはやそれは人間業じゃないよね? それ」
やっぱりサクラ相手ではどんな常識も通用しないのだを改めて理解し、クリュウは苦笑した。
サクラは「……手当てしてあげる。来て」と言ってクリュウの右腕にしがみ付くとグイグイと引っ張り始める。もちろん、そんな横暴に対してフィーリアは黙っていない。
「クリュウ様は怪我されているんですよ!? 迷惑を掛けないでください!」
「……怪我を未然に防げなかった貴様に言われる筋合いはない」
その一撃で、フィーリアは押し黙ってしまった。それを言われちゃ返す言葉もないのだ。悔しげにサクラを睨み、申し訳なさそうな瞳でクリュウを見詰める。それを何度か繰り返すと、しょんぼりと落ち込んでしまった。
「べ、別にフィーリアの責任じゃないよ。これは僕のミスなんだからさ」
そう言ってクリュウはサクラから離れるとフィーリアに駆け寄って必死に彼女を励ますが、クリュウが怪我を負った事実は変わらない。しかし、彼の言葉にフィーリアは少しずつ元気を取り戻していった。
一方、クリュウに見捨てられる形になったサクラは不機嫌になっていた。こっちはクリュウと会うのは一週間近くぶりなのだ。なのに自分よりも長い時間、それも一緒に狩りをしていたフィーリアに対して嫉妬心を抱くのは当然の事だ。そして、自分なら決してクリュウにそんな無理をさせない。そんな強い想いもあった。
ぶすっとしていると、そんな彼女の頭の上にポンと手が乗っけられた。視線を上げると、そこには小さく苦笑を浮かべたシルフィードが立っていた。
「そうふて腐れるな。今焦らなくてもこれから時間はたっぷりある。ゆっくりと甘えればいいだろう?」
シルフィードの言葉に、サクラはプイッとそっぽを向ける。そんな子供っぽい仕草をするサクラに、シルフィードは苦笑しながら優しくその頭を撫でる。
「まったく、君は大人なんだか子供なんだからわからないな」
「……うるさい、黙れ着痩せ女」
「しばくぞ」
珍しくバチバチと火花を散らし出すシルフィードとサクラ。クリュウはそんな二人の仲裁にも入ったりと右へ左への大騒ぎ。そんなある意味幸せな苦労をしているクリュウを見て、ツバメは「大変じゃのぉ」と小さく苦笑を浮かべた。
その夜、村では川の修復作業終了、ゲリョス討伐、ツバメの歓迎を含んだ宴が催された。様々な祝いが混ざってはいるが、一番はやはり新しく村の仲間に加わる事になったツバメの歓迎祝いだ。
その外見の良さと真面目な性格からすぐに村人とも打ち解けられたツバメ。村の子供達にもすっかり懐かれてしまい、今は子供達と一緒にテーブルゲームに勤しんでいる。
そんなツバメを遠くから一瞥し、クリュウはフゥとため息を漏らした。
「どうされましたクリュウ様?」
隣に立つフィーリアが笑顔で訊いて来た。今は二人とも私服に戻っており、クリュウはTシャツにズボンというラフな格好。フィーリアもまたTシャツの上にケルビの皮でできた着心地が良くて保温性も優れたジャケットを羽織り、あまり短過ぎないスカートという出で立ちだ。
「いや、ツバメもすっかり村の住人になったなぁと思ってさ」
「そうですね。ツバメ様は本当に社交性豊かな方ですからね。少しはサクラ様に分けてあげたいくらいです」
「……余計なお世話」
突然の声にフィーリアはビクッと体を震わせた。振り返ると、そこにはサクラが立っていた。以前までは適当な服を着ていたのだが、とある出来事からオシャレに目覚めた彼女は私服姿を一変させた。様々な服を着るようになったが、比較的良く着るのはこのような異国の服であった。彼女曰く自分の出身の大陸での民族衣装。上下一体化しており、ボタンで留めるのではなく腰の帯で全体を引き締めるように留めるデザインで、純白の生地には彼女の名前を同じ桜の花が柄として描かれている。髪型も服装に合わせて長い黒髪をポニーテールで結っており、白いうなじが眩しい。
「うわぁ、かわいい服ですねぇ~」
フィーリアは感動したようにパァっと笑顔を華やかせ、キラキラとした瞳でサクラの着ている服――着物を見詰める。その視線に対し、サクラは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「……この前ドンドルマの市場で仕入れた新作」
「すごいかわいいです! いいなぁ~」
「……絶対に貸さないから」
「わ、わかってますよ~……」
落ち込むフィーリアに、サクラは完全勝利という感じの表情を浮かべる。
サクラは何着かこのような着物を持っているが、決して誰にも貸そうとはしなかった。厳重に保管しており、彼女曰く「……勝手に開けたら爆発するから」だそうだ。そもそも帯びの巻き方とか着方とか普通の服とは桁違いに難しいのだ。サクラは簡単にそれをするが、他の人間なら大変な事になるだろう。
「……クリュウ、どう?」
頬を赤らめ、何かを期待するように訴えるサクラの瞳に、クリュウは頬を赤らめながら半歩引いた。今まで何着か彼女の着物姿は見せてもらった事はあったが、今回のそれはその中でも一、二を争うくらいに、かわいかった。
「う、うん。似合ってると思うよ」
「……良かった。クリュウに喜んでもらえて」
「サクラ……」
「……押し倒したくなった?」
「するかッ!」
クリュウのツッコミに対し、サクラは至極不満そうな表情を浮かべる。何というか、彼女は本当に目指す方向が間違っているとしか言いようがないほどぶっ飛んでいる。天才と何とやらは紙一重と言うが、彼女にはその言葉がすごく当てはまると思う。
「まったく、君達は一体何をしているんだ……」
その呆れたような声に振り返ると、そこには声と同じく呆れたような表情を浮かべたシルフィードが立っていた。クリュウと同じくTシャツにズボンというラフな出で立ちだが、着痩せするタイプの彼女の胸は鎧と言う圧迫から解放されてその大きさを存分に周りに放っていた。
「うん? 皆、なぜ私の胸を見ているのだ……?」
不思議そうに首を傾げるシルフィードを、フィーリアとサクラはまるで親の仇を見るような目で睨みつけていた――主にその巨大な胸を。
「わ、私だって寄せてあげれば……ッ!」
「……胸なんて脂肪の塊。騙されてはダメ」
「何の話だッ!?」
シルフィードは顔を真っ赤にすると慌てて胸を隠す。彼女からしてみれば肩が凝るし鎧を作る時に特注しないといけないし、何よりハンターという職業には無縁のもの、むしろ邪魔な存在だ。だが、それは胸の大きな者の贅沢な悩みであるという事に変わりはない。その逆の勢力から見れば激怒するような内容だ。
ギャーギャーと騒ぐ乙女三人に対し、クリュウは疲れたように大きなため息を吐いた。だが、二人に責め立てられて激怒しているシルフィードの胸をチラリと見ては、顔を真っ赤にしている。この点に関しては彼だって歳相応の男の子なのだ。
「……胸なんて脂肪の塊。騙されてはダメ」
「うわぁッ!?」
完全に油断していた瞬間に突然背後から声を掛けられ、クリュウは心臓が飛び出すかと思うくらい驚いた。バッと振り向くと、そこにはかな~り不機嫌そうな表情を浮かべたサクラが立っていた。
「さ、サクラ……ッ!?」
「……でも、クリュウはそんな脂肪が満載な胸の方が好みなの?」
「べ、別に僕は……ッ」
「そうなんですかクリュウ様ッ!?」
「ふぃ、フィーリアまで……ッ。別にそんな事ないって! 胸は小さい方が――」
――なぜだか、その先は言ってはいけないような気がした。遠くからじっとシルフィードがとても悲しげな瞳で見詰めているのを目にし、クリュウは硬直する。
「ち、小さい方が好みなんですかッ!?」
「……クリュウ?」
改めて言っておくが、クリュウは女性を胸の大きさで判断するような人間ではない。そりゃ大きい方が興味を引くし、気になるのは男として当然の反応だろう。でも彼は人を外見では判断しない。内面をしっかりと見極める人間なのだ。
そんな彼に対して、乙女達の要求はかなり酷なものと言えよう。三人の必死の視線の集中砲火を浴びるクリュウ。もう何が何だかわからなくなり、パニックに陥りながら叫んだ。
「か、完全なペッタンコがいいッ!」
『……』
クリュウ、死す。色々な意味で。
「お主は一体何を叫んでおるんじゃ?」
そこに現れたのはようやく村人の包囲網から脱出できたツバメ。サクラと同じような着物姿だ。一応着物には男物と女物があるのだが、彼の場合どっちにしろ着物美人に見えてしまうから不思議だ。
クリュウの爆弾発言に対し大きい胸を持つシルフィードと、決して小さくはないがペッタンコという程ではないフィーリアとサクラは茫然自失のままそんなツバメを見た――特に、その平原のようにペッタンコな胸を。
「そ、そんな……」
「ぺ、ペッタンコだと……ッ」
「……クリュウは、ツバメが好みって事?」
「一体何の話じゃ?」
全く話が見えないツバメは首を傾げながらクリュウに問う、だがクリュウもまたパニック状態とはいえ叫んでしまった大失言に対し顔を真っ赤にして慌てまくっているのでそれどころではない。
「クリュウ? 何を赤くなって騒いでおるんじゃ?」
「ち、違うんだッ! 別に僕はツバメみたいな胸の子が好きって訳じゃなくて……ッ」
そこまで言ってクリュウはツバメに振り返った。そして硬直する。その視線は着物姿のツバメのペッタンコな胸一点に注がれていた。そして、
「あ、うぅ……」
「待てぇッ! 今お主はワシの胸を見て顔を赤らめたじゃろッ!? どういう意味じゃそれはッ!」
「ひ、ひどいですツバメ様ッ! メインキャラでもないのにクリュウ様の心を鷲掴みにするなんて!」
「どういう意味じゃそれはッ!? あと今の発言さりげなくひどいぞッ!」
「……ツバメ、許さない」
「落ち着けサクラッ! お主はまず落ち着くのが最優先事項じゃッ! 太刀を一体どこから出したかなど無粋な事は問わぬから、まずはその太刀で一体何をしようとしておるのかだけ訊かせてくれッ!」
「ツバメ、と言ったか? ちょっと話があるから人目に付かない場所まで来てくれないか? なぁに心配するな。痛いのは一瞬だけだから」
「何をする気じゃッ!? ワシを悲鳴すらも届かない林の奥深くにまで連れて行って一体何をするつもりなのじゃッ!?」
狭まる嫉妬に狂う恋姫三人の包囲網に、ツバメは頭を抱えた。せっかく平穏を求めてこのイージス村まで来たのに、これではまるで逆の展開だ。
「うぬぅ、この村に来たのは間違いだったのかぁ……?」
苦悩するツバメ。そんな彼の肩に、ポンと手が置かれた。顔を上げると、そこにはクリュウが立っていた。口元に小さな笑みを浮かべているが、その瞳はどこか悲しげだ。
「居場所ってのは誰かに決められるものじゃない。自分が安堵できる場所を、自分で選んでこそ居場所になる。ここがツバメにとって本当の居場所なのかはわからない。でも、僕はツバメにずっとここにいてほしいと思うし、ここが君の居場所だって信じてる」
「クリュウ……」
「だから、間違いだったなんて悲しい事言わないでよ」
「す、すまん……」
クリュウの言葉にツバメは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。彼や村人皆は自分の為にこんなにも盛大に歓迎してくれている。その気持ちに反する行いなど、決してしてはいけないのだ。
落ち込むツバメの手を、クリュウはそっと握り締めた。驚いて下げていた顔を上げると、そこには優しげな微笑を浮かべたクリュウがいた。
「クリュウ……」
「僕はツバメが一緒にいてくれた方が嬉しいよ」
「う、うむ。ワシも同じ気持ちじゃ」
「だったらさ――」
一呼吸置いて、クリュウは無邪気な、そして慈愛たっぷりな満面の笑みを浮かべた。
「――ずっと僕の傍にいてよ」
「……クリュウ」
互いの瞳に互いの姿を映すように、クリュウとツバメは頬を赤らめながらじっと見詰め合う。周りの喧騒などを無視して、心臓の音が聞こえてしまうのではないかというくらい、二人の鼓動は高鳴る。
美しい星々が煌く夜空の下、二人の距離はグッと縮まる。それはまさに互いの息が届いてしまう程の……
「何してんのよバカクリュウッ!」
ある意味間一髪という所で月をバックにしてエレナが放ったドロップキックがクリュウの顔面にクリーンヒット。クリュウは「ぼべらぁッ!?」と奇妙な悲鳴を上げて吹き飛んだ――だが、飛んで行った彼を追う恋姫は誰一人いなかった。
「く、クリュウッ!?」
慌ててツバメが駆け寄ろうとすると、その前にサクラが立ち塞がった。邪魔をされ文句を言おうと彼女の瞳を見た時、ツバメの顔からサァッと血の気が消え失せた――サクラの隻眼が、戦闘時のように鋭くなっていた。
「さ、サクラ?」
「……友人としてのせめてもの情け。遺言は聞いてあげる」
「おかしいじゃろッ!? なぜ情けを掛けられても死ぬ事が前提なのじゃッ!?」
「情けなんて無用ですよ~。生まれて来た事を来世でも後悔するくらい徹底的にやりましょ~」
「理不尽にも程があるじゃろうがッ! ワシが一体何をしたと言うのじゃッ!? それとお主キャラ何か変わっておらんかッ!?」
「まったく、公共の往来で騒ぐなといつも言っているだろう。ここは場所が悪い、ちょっと話があるから人目に付かない場所まで来てくれないか? なぁに心配するな。一瞬で片がつくから」
「じゃからお主は何をする気なのじゃッ!? ワシをそれこそ人一人埋めても気づかれないような林の奥深くにまで連れて行って一体何をするつもりなのじゃッ!?」
完全に正気の沙汰を失っている恋姫達。無表情、笑顔、平静とそれぞれ表情こそはいつもと全く変わらないが、全員瞳が怒り狂う火竜リオレウスも尻尾を巻いて逃げ出すのではないかというくらいに血走っている。
そんな中、表情も瞳も激怒一色のエレナは三人のまどろっこしいやり方にもブチギレていた。
「もう面倒よッ! とりあえずこいつをぶっ殺してから話を聞きましょうッ!」
「無理じゃッ! 死んでは何も話す事はできんッ! 死人に口なしじゃぁッ!」
四人の怒り狂う恋姫達の猛攻に、ツバメはもはや完全に包囲された。頼みの綱はクリュウだけ、一縷の望みを掛けて彼の方へ振り返る。そこに広がっていたのは――
「お兄ちゃんは私だけのお兄ちゃんだからね。フフフフフフフフフフ………」
淡い桃色のツインテールをした小さな女の子がこれまた血走った目で気絶しているクリュウの襟首を掴んで引きずっていく瞬間であった。
この瞬間、全ての希望を失ったツバメはこう思った。
――あ、ワシ死んだな――
刹那、イージス村に珍しくクリュウ以外の悲鳴が轟いたのであった。
その後、満身創痍のツバメはクリュウの家に招き入れられる事になった。ハンターは一ヶ所に集中していた方が何かと便利という村長の計らいだったのだが、これが新たな火種となる事になる。
フィーリア達女子の部屋が密集する二階にツバメの部屋を用意したら、ツバメが「ワシは男じゃッ! クリュウの隣の部屋が空いておろうッ! そこが良いッ!」などと叫び、フィーリア達と大ゲンカ。結局はツバメが最後まで初志貫徹した為に彼の部屋はクリュウの隣の部屋となった。
だが、しばらくの間はツバメとフィーリア達の間にものすご~く気まずい雰囲気が流れ、クリュウは心休まるはずの家で心労を重ねた。それが原因の一つになったのかは不明だが、ゲリョス討伐を終えた二日後、彼はひどい風邪で寝込んでしまうのであった。