モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第131話 太陽のように明るく 月のように儚くて

 拠点(ベースキャンプ)に隣接するエリア4。先程ルーデルが散々ヤオザミを片付けていたおかげで、今ここにはクリュウ達と彼女しか存在しない。そこに、彼女はまるで待ち構えるようにしてこちらを向きながら威風堂々と君臨している。

 こちらが向こうの動きがわかっているように、彼女もまたこちらの動きをお見通しという訳だ。そして、自身の体力の限界が近い事もわかっているのだろう。ここで決着をつける。そんな気迫が彼女から感じられる。

 すでに爆弾を満載した荷車をエリアの端の岩壁に置いたクリュウ。ここに来るまでの間に適当に拾った枝や葉で軽くカモフラージュし終える頃には、戦いの火蓋が切って落とされていた。

「グギャアアアアアァァァァァッ!」

 激しい殺気と共に撃ち出された怒号がエリア全体に轟くと共に、ルーデルとフィーリアが動く。左右に分かれてリオレイアとの距離を詰める。

 接近してくる敵に対し、リオレイアは三連ブレスで拒む。二人それぞれの針路を塞ぐようにして着弾するブレスに、ルーデルとフィーリアの足が止まる。その隙を突いてリオレイアが一番接近していたフィーリアに向かって必殺の突進を仕掛ける。

 猛烈な勢いで迫るリオレイアを正面に見据え、フィーリアは一瞬で判断して動く。接近していた為に横へ逃げる事もできない状態で、フィーリアはあえて前進する。そして、リオレイアの顔が視界いっぱいに広がった瞬間、彼女は迫るリオレイアの唯一の空白地帯、顎の下へと飛び込んだ。砂の上に倒れ、その上をリオレイアが猛烈な勢いで通り過ぎる。彼女の小柄な体はリオレイアの脚の間を見事に突破したのだ。

 突然消えた敵に対して戸惑いつつも、今更急停止する事もできずリオレイアは倒れ込むようにして巨体を止める。そこにはちょうど荷車から離れたクリュウが立っていた。

 クリュウは倒れたリオレイアの右側面から接近し、起き上がる動作中のがら空きの懐に入り込むと、目の前にある脚に向かってデスパライズを叩き込む。迸る麻痺毒と返り血で視界を遮られながらも、ただ一点を狙って剣を叩き込み続ける。

 リオレイアが完全に立ち上がると、それ以上の深追いはせずにすぐさまその場を離れる。しかしリオレイアは逃げるクリュウに向き直ると単発のブレスを撃ち放った。直線上で回避行動中だったクリュウはそれを避ける事ができず、迫り来る凶悪な炎の塊に恐怖しつつ反射的に盾を構える。直後に着弾。猛烈な爆風と爆炎に身を包まれ、クリュウは盾で直撃こそ避けたが衝撃で吹き飛ばされ、湖の浅瀬に飛び込んでしまう。

 吹き飛ばされたクリュウを見てルーデルが動く。ブレスを撃った直後で体が固まっていて動けないでいるリオレイアの側面から突っ込む。彼我の距離から頭には間に合わないと一瞬で判断し、ルーデルは勇ましい掛け声を上げながらリオレイアの太い脚に向かってブラットフルートを横薙ぎに振り抜く。その一撃はまだ力が入り切っていないリオレイアの脚を吹き飛ばす。バランスを失ったリオレイアは悲鳴を上げてその場に横倒しになった。

 倒れたリオレイアの横を通り抜けるようにルーデルは姿勢を低くして腰にブラットフルートを預けながら突進。無防備に横になっている頭に向かって強烈な一撃を叩き込む。

 中距離からフィーリアもこれまでの戦いで節約しながら使っていて、残りわずかとなった電撃弾を装填して最後の攻勢に出る。まるで嵐のように吹き荒れる電撃弾の雨にリオレイアは体を次々に貫かれ、焼け焦げる。ルーデルの執拗な総攻撃も甲殻や鱗を弾き飛ばす。

 そして――クリュウは地面を蹴った。

 宙に飛んだクリュウはジャンプの際の勢いを回転に変え、空中から重力をも力に変換して回転斬りを叩き込む。翼膜が引き裂かれ、血が飛び散り、麻痺毒が迸る。

 リオレイアの背中に飛び乗ったクリュウは剣を両手で持ち、逆手に構える。

「喰らえッ!」

 体全体をしならせるようにして剣を構え、一気に振り落とす。その一撃はリオレイアの背中の甲殻を弾き飛ばし、中の柔らかな肉を切り裂き、血を飛び散らせて中の神経を寸断する。耐え難い苦痛にリオレイアは顔をしかめる。クリュウは容赦なく深々と突き刺さった剣を今度は逆向きに引っ張り、引っこ抜いた。その途端、まるで噴水のように真っ赤な血が噴き出し、彼の赤色の鎧を不気味に上塗りする。

「ギャアアアアアァァァァァッ!」

 死に等しい激痛にリオレイアが狂ったように悲鳴を上げて悶える。しかしクリュウは一切の手加減なく、何度も何度も執拗に剣を叩き込み続ける。暴れるリオレイアの背中という不安定な足場でも、彼は寸分の狂い無く狙った場所に剣を叩き込み、突き刺し、貫く。

 そして、リオレイアが起き上がろうとした瞬間に放った何度目かわからぬ一撃が加わった刹那、それまで蓄積させていた麻痺毒が再び彼女の自由を奪う。突然痙攣を始めたリオレイアの上でバランスを崩したクリュウは地面に落ちた。落ちた際にぶつけて痛む肩に顔をしかめながら、慌てて自分の方へ駆け寄って来ようとするフィーリアを見る。

「フィーリアッ!」

 その声でフィーリアは彼の想いを悟った。足を止めてはっきりとうなずくと、その場にしゃがみ込んで作業を開始する。それを一瞥し、クリュウは再び立ち上がると走り出す。リオレイアに背を向けて。

「ルーデルッ! ここは任せたよッ!」

「言われなくてもやってるわよバカッ!」

 罵声を浴びせつつも、ルーデルは爽やかな笑みを浮かべてクリュウに向かってウインク。しかしすぐさま戦乙女の顔となってブラットフルートを構える。

「ここは、私の独壇場……誰にも邪魔させないわッ! 攻撃開始(アングライフェン)ッ!」

 背後で再びルーデルの猛攻撃の気配を感じながら、クリュウはフィーリアを追い抜いて隠してあった荷車を引っ張り出し、危険とわかっていながらもそのまま前線へと舞い戻る。向かう先にはこちらに向かって大きく手を振るフィーリアが立っている。

「クリュウ様ッ! こちらの準備は整いましたッ!」

「わかったッ! ルーデルッ!」

「うっさいわねッ! 今行くから待ってなさいよッ!」

 最後の一撃まで容赦しない。それがルーデル・シュトゥーカという狩人(ハンター)だ。しっかりと強烈な一撃を叩き込み、急いで最前線から離脱する。直後、リオレイアは麻痺から解放されて爆音のような怒号を辺り一帯に響き鳴らす。

「さぁ、来いッ!」

「クリュウ様ッ!?」

「ちょッ!? あんたバカッ!?」

 クリュウは二人の前に出て盾を構える。彼らが狙うのはただ一つ。リオレイアがこちらに向かって突進して来る事。その一点に尽きる。だが相手はこちらも思う通りに動くとは限らない。彼女は遠距離の敵に対しては突進だけではなくブレスという武装も持っている。クリュウはもしもリオレイアがブレスを撃って来たらそれを盾で防ぐ気でいた。

 無茶だって事はわかってる。でも、自分の背中には二人の少女がいる。男なら、女の子を守る為に命懸けになれ、そう幼なじみに教え込まれている。だから、絶対に守ると決めている。自分の夢は、みんなを守る事だから……

 ――まぁ、もう一つ理由を上げればここでガードしないと背後に置いてある荷車に着弾。積んでいる大タル爆弾G六発が一斉に大爆発。爆死しかねないという現実問題があるのだが、この際は無視しよう。

 一瞬の沈黙。クリュウはリオレイアと睨み合う。殺気に満ちた瞳と相対するのは恐怖以外の何ものでもない。しかし、だからと言って屈服する気など毛頭ない。恐怖など、乗り越えてみせる。

 ――そして、動く。

「グオオオォォォッ!」

 リオレイアは勇ましい怒号を上げながら一撃必殺の突進でクリュウ達に挑みかかる。その瞬間、クリュウはレウスヘルムの中で小さく笑みを浮かべた。すぐさま武器をしまって後退し、荷車に積んである大タル爆弾Gに手を掛ける。その背後から、リオレイアが襲い掛かった――が、その寸前でリオレイアの脚元が崩落。彼女は悲鳴を上げながら下半身を地面に没した。フィーリアが仕掛けていた落とし穴――つまり、クリュウ達の策に見事にハマったのだ。

「今だッ! 爆弾用意ッ!」

 クリュウの掛け声を合図に二人も一声に動く。クリュウが二発、フィーリアとルーデルも同じように各自二発ずつ大タル爆弾Gを手に取って暴れるリオレイアの周りに次々に設置する。全員が設置を終えて安全圏にまで撤退した事を確認し、フィーリアが起爆の為に銃を構える。スコープでしっかりと大タル爆弾Gに狙いを定める。

爆破します(シュプレンゲン)ッ!」

 フィーリアは引き金を引いた。

 銃声と共に撃ち出された弾丸は寸分違わず大タル爆弾Gに吸い込まれ、命中。刹那、着弾の際の火花が火種となり、大タル爆弾Gは起爆。その一撃は他五発にも誘爆し、次々に爆破。リオレイアは一瞬にして火炎と黒煙と粉塵の中に消え、強烈な爆風がクリュウ達に襲い掛かる。

 クリュウは盾を構え、フィーリアは姿勢を低くして、ルーデルは重いハンマーを錨のようにしてそれぞれ爆風に耐える。

 爆風が過ぎ、まるでやまびこのように辺りに爆音が反響しながら小さくなっていくのを耳にしながら、クリュウはゆっくりと盾を下ろす。目の前の、先程までリオレイアがいた場所は今も黒煙と土煙が入り交じった不気味な煙が立ち込めている。

 フィーリアとルーデルもその不気味な煙柱を呆然と見詰めている。

「やった……の? あれだけの爆発なら……」

 つぶやくようにしてルーデルは言う。クリュウもその意見に少なからず賛成していた。確かに、あれだけの爆発を、これまでの長く苦しい戦闘を経たあのボロボロな体で耐え切るなど考えられない。普通に考えれば、彼女は爆死した――はずだ。

 でも、クリュウはそう確信しなかった。無言で、再びデスパライズを構える。

 ――そして、それは現実となって目の前に現れる。

 煙の中から、ゆっくりとリオレイアが姿を現した。不気味な煙を纏いながら、ゆっくりとこちらに前進して来るリオレイア。爆発の威力のすさまじさが、彼女の見るも無残に砕け、歪み、血に染まった体が物語っている。その不気味で、非現実的な姿はまるで死神。《死龍》と呼ぶに相応しい、恐怖の塊となって彼らの前に姿を現す。

 血を垂らしながら、ボロボロな体でゆっくりと地面を踏みしめてクリュウ達に迫る。その不気味で、でも気高くて、誇り高い女王の姿にクリュウは言葉を失ってその場に立ち尽くす。

 もう、彼には策は残されていない。構えたデスパライズはとうに刃こぼれして役に立たないし、体力だってもう残されていない。それはルーデルも同じで、彼女もまたリオレイアの生命力の強さと圧倒的な気迫に呑まれて硬直してしまっている。

 そして、リオレイアは最後の力を振り絞って必殺の突進。その動きはそれまでのような速さも威力もない。だが、死を覚悟したからこその気迫はこれまで以上であった。

 迫り来るリオレイアに、クリュウとルーデルは為す術も無く立ち尽くす。

 万事休す――かと思われたその時、リオレイアが地面のある一点を踏み抜いた瞬間、そこに仕掛けてあったトラップが作動。リオレイアはクリュウのデスパライズよりも強力で即効性の高い麻痺毒を受けて体の自由を奪われる――シビレ罠だ。

「――これで終わりです。何もかも……だから――おやすみなさい」

 風に乗り、聞こえてきた声にクリュウがハッとなって振り返ると、フィーリアが銃を構えて立っていた。風が吹き、彼女の美しく長い金髪が優雅に揺れる。そして、その表情は慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。

 ――刹那、密林に銃声が轟いた。

 

 拠点(ベースキャンプ)に戻ったクリュウ達はそこでこの狩場を管轄するアイルーに狩猟の達成を報告し、事後処理を頼んだ。

 アイルーが去って行くのを見送ると、クリュウは力尽きたように砂浜にガクリと腰を落とし、ずっと被っていたレウスヘルムを脱ぎ捨てる。

「お、終わったぁ……」

 解放された彼の顔には汗が浮かび、きれいな若葉色の髪もまた汗ですっかりベト付いてしまっていた。見えていないが、鎧の中も汗でびっしょりとなっている。

「だらしないわねぇ、男ならシャキッとしなさいよ」

 そう言うルーデルもまた小舟の上で腰を落としている。彼女もまた顔は汗に濡れ、砂場で戦闘をした為に頬には砂が付いている。何とも情けない格好だ。愛用のブラットフルートもお役御免とばかりに砂場に転がっている。

 二人のハンターが疲労困憊でぐったりしている中、フィーリアは小舟に残しておいた荷物の中からタオルを取り出すと、クリュウに駆け寄る。

「お疲れ様ですクリュウ様。これ、お使いください」

 そう笑顔で言ってクリュウにタオルを差し出す。クリュウは「あ、ありがと」と礼を言いながら受け取ると、それで顔の汗を拭きとる。その間にフィーリアはルーデルにもタオルを渡し、自身の分で自分も汗を拭う。そんないつもと変わらない様子のフィーリアを見て、クリュウは苦笑しながら小さくつぶやいた。

「やっぱり、敵わないなぁ……」

 リオレイアは――捕獲された。

 フィーリアは一枚上手であった。もしもの時に備えて独断でシビレ罠を自分達の前に設置し、弾倉にはすでに捕獲用麻酔弾を装填していた。そして、フィーリアは呆然としている自分達とは違って気迫に満ちた最後の特攻をするリオレイアを、捕獲した。

 その鮮やかな手つきには、もはや脱帽ものだ。

 目の前の事しか考えていなかった自分とは違い、フィーリアはその一手先を呼んで行動していた。経験の差か、ハンターとしての素質の差か、フィーリアには一歩及ばなかったのだ。

 それでもまぁ、いいと思う自分がいた。

 これが、自分達のチーム。お互いがお互いを助け合う、そんな絆で結ばれたチームなのだから。

 とにかく今は、命懸けで掴み取った勝利をしっかりと味わう時だ。反省や後悔は後に回せばいい。そんな事を思いながら、いつの間にか夕暮れに染まる空を見上げ、夕日の暖かさに小さく微笑む。

「すっかり日が暮れちゃったね」

「そうですね。この湖を夜に脱するのは危険を伴いますので、出発は明日の夜明けにしましょう」

「それが無難ね。せっかく依頼を達成しても帰路の途中でお陀仏なんてごめんよ」

「それじゃ、準備しないとね。僕は薪でも拾って来るよ」

 早々に自分の役目を決めて立ち上がるクリュウ。しかしそれを見てフィーリアが慌てた様子で駆け寄って来た。

「それは私がやりますッ!」

「え? で、でも……」

「ダメです。クリュウ様はお見受けする限り相当お疲れのご様子。彼女相手に接近戦で戦うのは様々な疲労もあるでしょう。今しばらくお休みください」

「大丈夫だって。それに力仕事はやっぱり僕が……」

「ダメと言ったらダメです。クリュウ様とルーは拠点(ベースキャンプ)内での準備をお願いします」

 そう言い残し、フィーリアはクリュウが動く前に拠点(ベースキャンプ)から出て行ってしまった。彼女の消えてしまった背中に呆然としていると、ルーデルが「それじゃ、お言葉に甘えさせてもわうわ」と気にした様子もなくその場に横になった。

「い、いいのかな……」

「いいんじゃない? 私ほどじゃないだろうけど、あんたも疲れてるんでしょ? 今はあの子の優しさに甘えておきなさい。あの子もその方が喜ぶわよ」

「そ、そうなの?」

「そうよ。あの子は誰かに喜んでもらえる事が自分の幸福っていう変わった子だから。っていうかあんた、少なからず一緒にいるってのに、気づいてなかった訳?」

「……気づいてたよ。本当にいい子だよね」

「ふふん、当然でしょ。何たって、私の嫁だもの」

「あははは……」

 自信満々に断言するルーデルに苦笑を浮かべつつ、クリュウは徐々に沈んでいく夕日を見詰める。

「……すごくのどかだね。さっきまで、リオレイア相手に命懸けの戦いを繰り広げていたとは思えないよ」

「そうね……まぁ、私やあんたと違ってフィーリアは終始余裕を持って立ち回ってたみたいだけど」

「あははは、やっぱり敵わないなぁ」

「バ~カ、フィーリア相手にリオレイアで敵おうなんて無茶なのよ」

「そうだね……」

 何というか、本当に平和だった。

 さっきまでの死闘があったからこそ、何気ないゆっくりと流れる時間が平和に感じられる。

 ──でもそれ以上に、ルーデルとこういう風に普通に話せている事に内心少し驚いている。何しろ、ドンドルマ出立時はフィーリアを賭けて対立していた者同士なのに。それが今では本当のチームメイトとして接している。

 まだ決着はついていないが、今はこのままでもいいと思ってしまう。

 今はただ、戦友として同じ勝利の余韻に浸っていたい……

 そのまま特に何をするでもなく時間を潰し、ようやく疲労が幾分か回復した所で二人はキャンプの準備を始めた。

 フィーリアが薪や野草や果物まで採取して戻って来たのは、すっかり空が暗くなった頃であった。

 

 夕食は三人がそれぞれ分担して調理した。クリュウとフィーリアは言うまでもないが、驚いた事にルーデルも料理の腕はかなりのものだった。本人曰く「一人身の悲しい才能よ」と皮肉ったが、料理のできる女子というのはポイントは高い──まぁ、それを無意味にさせるほどに彼女の二重人格は破壊力は絶大だが。

 密林は動植物が豊富な為、比較的豪華な夕食となった。これが砂漠や火山、雪山だったら持ち込んだこんがり肉や干し肉くらいのすごく質素なものになるのだから上等だ。

 夕食を食べ終え、三人はそれぞれくつろぐ。

 満腹感と疲労が絡み合い、クリュウは強烈に睡魔に襲われた。いつもならまだ起きている頃であっても、クリュウは睡魔に負けて一足先に床についた。

 一人簡易布団で眠り始めたクリュウを見てフィーリアは優しい笑みを浮かべ、ルーデルは呆れつつもどこか朗らかな笑みを浮かべていた。

 

 夜中、クリュウは目覚めた。

 思いっ切り寝た為か、寝起きはすごく良かった。

 起き上がると、元々船に備え付けられている大きなベッド(今回は女子用)でフィーリアがすやすやと気持ち良さそうな寝息を立てていた。その寝顔はとてもかわいらしく、手に握っているものがぬいぐるみだったら威力絶大だっただろう──残念ながら、彼女が手に持っているのは雌火竜の逆鱗であった。先程の食材採取の際にちゃっかり切断した尻尾から剥ぎ取ったものだ。

「えへへ……もう……戦えましぇん……」

 よだれを垂らしながら、一体どんな夢を見ているのか気にならない訳ではないが、何となく知りたくなかった。

 そこで気づく。本来ならフィーリアの隣で寝ているはずのルーデルがいなかった。

 だがそこはハンターの端くれ。クリュウはすぐに彼女が見張り役を担っているのだと気づいた。拠点(ベースキャンプ)とはいえ絶対安全という訳ではない。狩場では常に最低限の警戒は怠ってはいけないのだ。

 だとしたら、分担もクソもなく勝手に一人で寝てしまった自分はサボりに等しい。クリュウは慌ててルーデルと交代しようと彼女を捜し始めた。

 船から降り、クリュウは前方に聳える崖を見上げた。見張り台としては頂上は最高の立地だ。長いツタの葉を上らないといけないが、おそらく彼女はあそこにいるだろう。

 クリュウは早速上ろうとツタの葉に手をかける。

 

 パチャン……

 

 昼間とは違って夜は夜で生命の営みが行われている密林では虫の声や波の音、風の音が絶えず響く。そんな中、そのわずかな雫音はなぜかハッキリと聞き取れた。

「何だろ……」

 クリュウはツタから離れると、音のした湖の方へと向かう。小舟を迂回するように右回りで行くと、遠くに見える大瀑布と静かに夜を照らす月が輝く幻想的な光景が広がっている。

 月の淡い光は水面(みなも)に映り、風で揺れる水面の月はゆらゆらと揺れる。そんな湖に、光輝く妖精の姿があった。

 白っぽい金色の肩ほどまでの髪は水に濡れて真っ直ぐ伸び、彼女の白い肌に付いている水滴と同じように月光を浴びてキラキラと煌めく。まるで、彼女自体が輝いている、そんな錯覚に陥る。

 幻想的な景色と、美しい妖精の姿が映る光景に、クリュウは時が経つのも忘れて見惚れてしまう。

 まるで雪のように白い肌の妖精。だがその肌に一ヶ所、不可思議な場所があった。右肩に記された黒い刺青。剣に絡まる蛇の形をしたその刺青は、彼女の白い肌にはあまりにも不釣合で、禍々しい。

 クリュウの視線は自然とその刺青に注がれていた。その時、今まで月を見上げていた彼女がゆっくりとこちらに振り返った――視線が、重なる。

「「あ……」」

 どちらからとなく、声が漏れる。

 少女――ルーデルは突然の事に驚愕に満ちた表情を浮かべていたが、見る見るうちに真っ赤に染まっていき、体が小刻みに震え出す。

 先に動いたのはクリュウだった。

「ご、ごめんッ!」

 クリュウもまた顔を真っ赤にして慌てて踵を返し、逃げようとする。だが、

「ま、待ってッ!」

 逃げようとしたクリュウを止めたのはルーデルの声であった。その声にクリュウは足を止める。でも振り返る訳にもいかず、どうしようかと困惑していると「ちょっと待ってて……」とルーデルは言って背後で何かゴソゴソと動いている。

 少しの間の後、「いいわよ。こっち向いて」という彼女の声に従い、クリュウはゆっくりと振り返る。彼のすぐ目の前に、ルーデルは立っていた。一枚のタオルを巻いただけの格好だが、先程までの裸身に比べたら全然マシだ。当然髪を拭く余裕もなく、彼女の髪の先からは雫が垂れ落ちる。

 こちらをジッと見詰めて来る彼女に視線を合わせられず、クリュウは目を伏せる。

「ご、ごめん……」

「……見たの?」

「いや、その……」

「見たの?」

 有無を言わせぬ迫力にクリュウは「ちょ、ちょっと……」と情けないセリフを搾り出す。その返答を聞いて、ルーデルは特に怒る事もなく「そう……」とつぶやく。

 気まずい雰囲気の中、クリュウは何となく違和感を感じていた。いつものルーデルならこういう時はエレナほどではないだろうが暴力も振るいかねない。もしくは罵詈雑言の嵐になるだろう。なのに、今のルーデルは不気味なくらい静かだった。それが、彼女らしくない。

 頭の片隅に浮かんだ疑問にクリュウはゆっくりと顔を上げる。するとそこには今までの破天荒な少女の姿はなく、どこか物哀しそうな表情を浮かべた月下美人の姿があった。

 その時、クリュウは気づいた。ルーデルが胸よりも優先して左腕で肩の刺青を隠している事を……

「シュトゥーカ。それって……」

「うるわいわね。ジロジロ見てんじゃないわよ……」

 一瞬いつものルーデルの鋭い眼光が戻り、クリュウは安堵する。でもすぐにそれは再び悲しげな表情に変わる。そうなってしまうとクリュウはどう声をかければいいのかわからず、黙ってしまう。ルーデルも何も言わないので、二人の間には再び気まずい沈黙のカーテンが降りる。

 しばしそうして沈黙に支配される二人。だがそれは、突然砕かれる。

「……見たでしょ、私の肩の刺青」

 口火を開いたのはルーデルの方だった。クリュウはそんな彼女の問い掛けに対し、こくりとうなずく。それを一瞥し、ルーデルはそっと瞳を陰らせる。昼間の時のような明るい少女の姿とは掛け離れた、暗い瞳。

「これは奴隷の印よ」

「え?」

「――私は、元奴隷なのよ」

 

 ルーデルは、静かに自分の過去を語り始めた。

 彼女の生まれ故郷はエルバーフェルド帝国の辺境。お世辞にも裕福とは言えない家に生まれた。

 当時のエルバーフェルドは百年に一度と言われた《ローレライの悲劇》から復興の最中であった。エルバーフェルドの火山地帯が一斉に噴火を始め、国土の六割が灰に染まり、作物や家畜は全滅。都市機能も麻痺した上に噴火の際の地震で多くの家屋が倒壊。大国と言われたエルバーフェルドはその大災害で一気に国力を失った。

 他国も少なからず被害を受けてい他、様々な要因もあってエルバーフェルドへの支援は行われなかった。この事が昨今のエルバーフェルドと周辺国との摩擦の原因とされ、今でもエルバーフェルド国民の多くが尊皇攘夷を掲げ、他国を嫌っている。エルバーフェルドが軍事国家へと発展してしまったのは、ある意味仕方がない事かもしれない。

 つい数年前までエルバーフェルドはローレライの悲劇を脱する事ができず貧しい国であった。しかし現在は総統と呼ばれる指導者のおかげ急速に国力を回復させている。その速度は空前絶後であり、他国はエルバーフェルドの復讐を強く恐れ、西竜洋諸国の緊張は増している。

 話が逸れたが、そんなローレライの悲劇から復興の最中、貧しい家庭に生まれたルーデル。当時全国的に働ける男子は重宝され、働けない役立たずの女子は生きる為に人身売買される事が多々あった。ルーデルもまた、五歳の頃に実の親に売り飛ばされてしまった。場合によっては殺されてしまう事もある時代だったのだから、ある意味彼女は不幸中の幸いだったのだろう。

 彼女が売られた先が、奴隷商人であった。彼女の肩の刺青は、その際に焼印された奴隷の証。もちろん、麻酔なんてものはなく、地獄の苦痛だった。

 だが、本当の地獄はここからであった。

 奴隷商人にとって子供は使い捨ての労働力としか見なされていなかった。幼いルーデルはわずかな食料で過酷な仕事という名の地獄を毎日のようにこなすしかなかった。一人、また一人と家族のように助け合っていた自分と同じくらいの子供が事故や病死、餓死などしていく地獄を、彼女は必死に生きた。親友と呼べる存在を何人も失いながら、彼女は道端のわずかな雑草を食べてでも生き続けた。

 しかし、そんな生活も限界に達しつつあった。まともな食料もなく、過酷な作業ばかりやらされたルーデルはすっかり衰弱し、いつ死んでもおかしくない状態になってしまう。

 そんな状態で奴隷商人は子供を竜車に積み込んで別の地域へと旅をしていた。奴隷商人の商隊が辿り着いたのは王家に忠誠を誓う譜代諸侯、レヴェリ家が統治するレヴェリ領。そこで、運命の転機が訪れる。

 レヴェリ家は奴隷制度を禁止し、奴隷商人を有無を言わずに逮捕するよう領全体に行き渡らせていた。結果、奴隷商人は逮捕され、ルーデルやその他の子供はレヴェリ家に保護された。

 レヴェリ家はエルバーフェルドの中で数少ないローレライの悲劇を受けなかった土地にあった為、他の貴族の統治領に比べて裕福であった。レヴェリ家は奴隷の子供達に里親を探したり、施設に預けたりして子供達を解放した。

 ルーデルもまた一度病院に入れられて何とか生き長らえる事ができた。その後は施設に預けられ、平穏な日々を送る事ができるようになったが、すでに奴隷になってから三年の月日が流れており、彼女の心はすっかり壊れてしまっていた。

 毎日、他の子供達と遊ぶ事もなく、孤独だった。

 そんな彼女のもう一度転機が訪れた。

 ある日、レヴェリ家の当主とそのご令嬢が施設に訪れた。当主は子供達にとっては命の恩人であり、共通の《父親》のような存在だった為、多くの子供達が歓迎する中、いつものようにルーデルは一人部屋の片隅で小さくなって座っていた。

 何もかもどうでもいい。そんな風に考えていた時、そっと目の前に真っ白な手が差し伸べられた。

 顔を上げると、そこにはまるで天使のような微笑みを浮かべた少女が立っていた。元奴隷である汚らわしい自分とは違う、比喩ではなく本当に世界の汚い部分に触れずに育ったのではないかというくらいに真っ直ぐで、きれいで、澄んだ瞳をした女の子。柔らかな金髪が、そっとルーデルの鼻をくすぐった。

 視界の片隅では、レヴェリ家の長女と次女が子供達と楽しそうに遊んでいるのが見える。レヴェリ家には三姉妹の令嬢がいるというのはこの領では常識。つまり、今自分の目の前にいるのはその末娘の三女となる。

 少女は微笑みながら、絶望の淵にいたルーデルを救う、たった一言だけど、心から嬉しかった言葉を放つ。

 

「――私と、お友達になりませんか?」

 

「それから、私はレヴェリ家にフィーちゃん専用の使用人として引き取られた。使用人と言っても、正確にはフィーちゃんの遊び相手って事。私の生活は、本当に一変した。毎日が幸せ過ぎて、涙が出た。こんな、汚らしい元奴隷という身分の私が、こんな幸せを手に入れる事ができたなんて、今でも信じられない。それでも、私はフィーちゃんに助けられた」

 自分の肩に刻まれた悲しい傷跡、奴隷の証をギュッと握り締めながら語るルーデルの瞳には、薄らと涙が浮かんでいた。

「フィーちゃんは、私が元奴隷だという身分にもかかわらず、対等に扱ってくれた。学校にも行けず、学のない私に一から勉強を教えてくれた。長い月日を経て、私達はお互いを親友と思える存在になった。今じゃ、この刺青なんてフィーちゃんは気にしないわ──だけどね、この刺青と同じように、私が元奴隷だったって事実は変わらない。恥ずかしくて、醜い過去」

 表情を暗くし、ルーデルは吐き捨てるように言う。悔しさと苦痛に耐えるように唇を噛み締め、握り締めた拳は白く染まる。

「私が普通の人間として生きていくには、普通の生き方じゃダメだった。元奴隷でも、対等に生きていける環境が必要だった」

 悲痛な表情を浮かべ、悔しそうに話すルーデル。クリュウはそんな彼女の姿を前にも見たような気がした──違う、彼女と同じように一生消える事のない《異質》に苦しみ続けた彼女の姿と、重なる。

 自分の異質さを呪い、苦しみ、悲しみ、抵い、そして諦めていた、あの頃の彼女のよう……

 彼女と同じように、ルーデルも自分の異質さに苦しんでいる。性格はまるで違うし、容姿だって似ていない。だけど、二人には人には理解できない闇を抱え、理不尽な運命を呪い、生きてきた。

 今のルーデルは、もう一年近く会っていない大切な後輩──ルフィールに似ていた。

 ──だから、自然と手が伸びていた。

「……え?」

 驚くルーデルの姿もまた、あの頃の彼女と同じ反応だ。

 クリュウは優しく微笑みながら、ルフィールにやっていたようにそっとルーデルの頭を撫でる。

「だから、ハンターを目指したんだ」

 ルフィールも力こそが正義とされる実力主義のハンターの世界に希望を抱いて、ハンターを志した。結局、ハンターの世界でも彼女の異質さは完全な平等にはできなかったが、それでも彼女はその世界で自分の居場所を求めて戦った。

 ルーデルもまた、同じなのだろう。

「……そうよ。ハンターの世界は傭兵あがりや祖国から亡命した人、私のような奴隷出身や、前科持ちでも力さえあれば自分の居場所を得られる。だから、私はハンターを目指した」

 やっぱりか……

 クリュウは言葉には出さなかったが、心の中でそうつぶやいていた。ハンターの世界で生きる者の中には彼女のように人とは違う異質さから逃れるためにハンターになったという人間は珍しくはない。ハンターの世界自体が異質だからだ。

「──わかってる。いくらお姉さんの影響があったって、あの優しいフィーちゃんが突然ハンターになりたいって言い出したのも、私がハンターを目指すと決意したからだって」

 実に、フィーリアらしい。かっこいい姉への憧れはきっかけに過ぎず、本当は親友を守りたいという気持ちからハンターを目指した──何となく、そうじゃないかとは気づいていた。

「ハンターの世界は私にとっては天国みたいな所だった。この刺青だって、私だけじゃなかった。私は普通でいられたの……まぁ、狩場での二重人格っぷりにはさすがに引かれてたけどね」

「あれはまぁ、そういうのとは別問題だしね」

「……私はこの世界では普通でいられる。だから、私はこの世界が好き。だってここは、私にとっては目に見えない故郷みたいなものだから。私を、優しく受け入れてくれる──でもね、やっぱり時々思ってしまう。この刺青は人とは違う自分の証。やっぱり自分は周りとは違って、普通じゃない。実際、これを見て私を汚らしい物を見る目で見る連中だって少なからずいる」

 ハンターの世界は本当に多種多様だ。彼女のような訳ありな子もいれば自分のように比較的普通の家に生まれる者もいれば、フィーリアやアリアのように貴族出身の者もいる。だから、誰もが皆同じではない。

 彼女の身の上を知った上で対等に接する者もいれば、蔑む相手もいる。そんな事、一年以上前に散々経験した。

 そして、自分の立ち位置はあの頃から何ら変わっていない……

 クリュウはそっと彼女の頭の上に置いていた手を離す。だが、ルーデルはそんな彼の手を取った。驚く彼を、真剣な、だけど縋(すが)るような目で見詰める。

「──あんたは、どっち側の人間な訳?」

「どっち側って……」

「私の醜い過去の印を見て、私の過去を知って、あんたはどう思った訳?」

 ルーデルは真剣に訊いている。自分の過去を知って、自分をどう思うのか。親友の親友(初恋相手)がどういう人間なのか、彼女は知りたがっている。そして同時に、答えを待っている。

 だから、クリュウは答える。難しい事じゃない──あの時と同じだ。

「──僕は出身が他と違うからって、その人をそんなくだらない理由で差別なんかしないよ」

 それは昔、ルフィールに言った言葉と同じ。彼女も自分の瞳が人と違う事に苦しみ、クリュウはそんな彼女に手を伸ばした。あの時と、同じ。

 クリュウの言葉に、ルーデルの瞳が大きく見開かれる。

「くだ、らないってあんた……」

「くだらない事でしょ? 元奴隷が何だって言うのさ。そんなのを気にする連中はクズ中のクズ。そんな人間の底辺の連中の戯れ言をいちいち聞いててもキリがないだけさ。君はフィーリアと何ら変わらない、《普通の女の子》さ」

 そう断言するクリュウの言葉に、ルーデルは驚きのあまりしばし呆然とする──そして、彼女はフッと笑った。

「意外ね。あんたがクズなんて言葉使うなんて」

「よく言われるけど、僕だって男だからね。汚い言葉を使う時だってあるさ。特に、こういう問題に関してはね」

「どういう事?」

「……昔ね、君みたいに人と違う事で周りから蔑まれていた友達がいたのさ。その関係でね」

「ふぅん……あんた、変わってるわね」

「よく言われるよ」

 クリュウが苦笑しながら答えると、ルーデルも小さく笑った。心なしか、その表情が明るくなったように見える。

「ほんと、バカがつくくらいにお人好しなのねあんたは」

「それもよく言われる」

「でもまぁ、私はそういうの嫌いじゃないわよ」

 どこか嬉しそうに笑うルーデルの笑顔にクリュウはほっと一安心する。そんな彼を見て、ルーデルは何か納得したような表情を浮かべた。

「……フィーちゃんが惚れるのも、わかる気がするわね」

「何か言った?」

「うるさい、何でもないわよ」

 首を傾げるクリュウにプイッとそっぽを向けると、ルーデルは一人歩き出す。その先には湖があり、彼女はそのまま膝くらいまで湖に浸かる。

「シュトゥーカ?」

「──ルーデルでいいわよ」

「え?」

「だ、だから……ッ、ルーデルでいいって言ってんのよッ」

 振り返って怒鳴るルーデルの顔は月明かりの下でよく見えないが、心なしか頬が赤く染まっているように見える。

「ど、どうして……」

「っていうかあんた、さっき私に無断で勝手に呼んでたじゃない」

「そ、そうだっけ?」

 全く記憶にないクリュウ。完全に素で言っていたのだろう。そんな彼の姿に苦笑しつつ、ルーデルはツンとする。

「別に深い意味はないわよ。私の名字って呼びづらいって定評もあるし。その方が私も気楽だからよ。その代わり、私もあんたをクリュウって呼ぶわよ。いいわね?」

「そりゃ構わないけど……何か恥ずかしいね」

「はぁ? バカじゃないの?」

「あははは……」

 容赦のないルーデルの物言いに、何となく懐かしさを感じる。たぶんそれは、今頃村で自分の帰りをイライラしながら待っているであろう幼なじみに似ているからだろう。

 そんなクリュウを、ルーデルは無言で手招きする。何事かと思って彼女と同じように膝くらいまで水に浸かりながら彼女と対峙する。

「今回の狩りで、あんたが情けない奴じゃないって事はわかったわ。気に入らないけど、フィーちゃんはあんたと一緒にいたいと願ってる──不本意だけど、今回は諦めるわ」

 それは、今回の狩りの根幹。互いにフィーリアを想っている者同士、負けられない目に見えない戦い。それを、ルーデルは辞退した。

 ──負けたのではない。そもそもこの戦いに勝ち負けなどない。互いに、フィーリアを想っている者同士だからわかる、フィーリアの気持ちを最優先にした、妥協だ。

 あれほど喰ってかかってきたルーデルがあまりにあっさりと諦めた事に、クリュウは少なからず面食らう。

「い、いいの?」

「いい訳ないでしょ。でも、それがあの子の幸せなら仕方ないわ……。言っておくけど、別にあんたにあの子をあげた訳じゃないわよ。いつか絶対に奪い返してみせるんだから、覚悟しておきなさいッ」

 ビシッと力強くクリュウを指差し、不適な笑みを浮かべて略奪宣言をするルーデル。その真っ直ぐで強い輝きに、クリュウは苦笑しながら「肝に銘じておきます」と答える。そんなクリュウの反応に、ルーデルはジト目になる。

「本当にわかってるんでしょうね? もしもフィーちゃんを泣かせるような事したら、マジでブチ殺すわよ」

「……わ、わかりました」

「ふぅん、どうも信用できないわね──良し。あんたがフィーちゃんを本気で守れるように、呪いをかけてげるわ」

「いや、すごく困るから。怖いから」

「うるさいわね。ちょっと面貸しなさい」

 そう言ってルーデルはクリュウの胸倉を掴む。その突然の行動に、クリュウ慌てる。

「ちょ、ちょっとルーデ──ッ!?」

 

 次の瞬間、二人の唇が重なった……

 

 唇に当たる柔らか感触と熱。それがキスだとわかるのに時間は掛からなかった。その瞬間、至近距離にある彼女の顔が一瞬ルフィールと重なる。

 波や風の音が消え、一瞬世界は無音になった。

 時間にしたら一瞬のはずが、何分に感じられた。

 突然唇を重ねられ、そして同じように突然離れる。

 顔を真っ赤にして呆然としているクリュウに、同じく顔を真っ赤にしたルーデルはニッっとイタズラっぽい笑みを浮かべた。

「この私が初キスまで捧げてやったんだから、命懸けでやり遂げなさい──フィーちゃんをお願いね」

 波の音が、ゆっくりと戻ってきた……

 

 数日後、三人は日が落ちて都会らしいイルミネーションに包まれたドンドルマに無事に帰った。ライザに事後報告を済ませ、夕食を終えて一息入れていた時の事。

「それじゃ、私はそろそろ行くわね」

 ルーデルは唐突に言った。あまりにもあっさりとした別れの言葉に、一息入れていた二人は一瞬困惑する。

「え? い、行くって、こんな時間に?」

「悪いねフィーちゃん。ちょっとエムデンの方に用があるから、そろそろ出発しないとまずいのよね」

 彼女の言うエムデンとはエルバーフェルドの帝都。ドンドルマからは陸路で片道一週間ほどかかる場所にある城塞都市で、エルバーフェルドの中枢だ。

「エムデンに? どんな用事なの?」

「詳しくは言えないけど、シュトゥットガルト絡みね。まぁ、セレスティーナさんからの依頼だから、また環境視察の護衛って所かしら?」

「セレス姉様の? それじゃ私も行った方が……」

「いいわよ、私一人で十分足りるだろうし。あんたはあんたで今は帰る場所があるでしょ? 今回は私のせいで長居させちゃったし、早く帰って安心させなさい」

「どちらかと言えば、クリュウ様の帰りを待っている方々の方が多いけどね」

「……どんな状況な訳、それ?」

「ちょっと、込み入った事情があって……」

 複雑な笑みを浮かべるフィーリアに首を傾げながら、ルーデルはクリュウの方に向き直って睨みつける。その意味を重々承知しているクリュウは苦笑しながらうなずく。

 それで納得したのか、「さってと、じゃあ行くわね」と言って立ち上がる。

「元気でねフィーちゃん。おへそ出して寝ないように」

「ね、寝ないわよ。ルーの方こそ好き嫌いしないで野菜もちゃんと食べなさいよね」

「大丈夫よ。私は肉食動物と同じで野菜の栄養を体内で作れる程度の能力は持ってるから」

「またそんな無茶言って……」

「……何か、どっかで聞いた事があるセリフ」

 呆れるフィーリアと苦笑を浮かべるクリュウを一瞥し、ルーデルは懐から小袋を取り出し、テーブルに置く。

「ここは私のおごりって事で。それじゃフィーちゃん、またね」

「うん、元気でね」

 親友の出発を嬉しそうで、でもどこか寂しそうな複雑な笑みを浮かべながら見送るフィーリアに微笑み、ルーデルは背を向ける。

「──っと、クリュウ。悪いんだけど、外まで私の狩猟笛運んでくれる?」

 突然振り返ったルーデルは手を振ったまま困惑するフィーリアにではなく、クリュウに声を掛けた。当然、クリュウは驚く。

「い、いいけど。何でまた」

「うるさいわね。女の子に重い荷物を持たせる訳?」

「……いや、君はその重い武器をブン回して戦ってるんでしょ?」

「うるさいッ。さっさとする」

「はいはい……という訳だから、ちょっとごめんね」

「す、すみませんクリュウ様」

 親友の横暴っぷりに何度も頭を下げるフィーリアを置いて、クリュウはブラットフルートを持ってルーデルに続いて酒場を出る。外は星々が煌めくきれいな夜空が広がっていて、神秘的な月の明かりが幻想的に大地を彩る。まるで、あの時の湖のように。

「それで、ここまで運べばいいの?」

 クリュウはそう言って彼女に背を向けてブラットフルートを酒場の壁に立てかける──と、後ろから抱きつかれた。振り返ると、それはルーデルであった。

「る、ルーデル?」

「……ねぇ、一緒に来てって言ったら、あんたどうする?」

「え?」

 背中に抱きついたまま、突然ルーデルはそう切り出した。クリュウは驚いて振り返るが、彼女の表情は見えず、ただ彼女のきれいな金髪が月明かりを受けてキラキラと輝くだけ。

「一緒に来てって、どういう事……?」

「言葉通りの意味よ。私と一緒に、エムデンに……ううん、それからもずっと」

「ど、どうして……?」

「……私さ、こういう性格だから、友達って少ないのよね。誰かと一緒に狩りをしても、フィーちゃん以外はみんな一見さん止まり。狩猟が終わる頃には、いつも気まずい雰囲気しか残らない……。でもさ、あんたと一緒の狩りはそんな事なかった。フィーちゃんと一緒の時のような、満足感と安心感があった。きっと、私とあんたって案外気が合うのかもしれないわね──だから」

 ギュッと、腰に回した彼女の腕に力が入る。

「あんたと、もっと狩りをしてみたいなって、思っただけよ……こんな無茶苦茶な私でも受け入れてくれる、あんたと一緒に……ずっと……」

 ルーデルのいつになく弱々しい声に、クリュウは黙ってしまう。何か言葉を返さなくてはいけないとはわかっているけど、何を返せばいいのかわからない。下手な言葉で返しても、それは彼女を傷つけるだけにしかならないとわかっているから。

 彼女と一緒にエムデンに行く訳にはいかない。自分には行くべき場所、帰るべき故郷がある。残してきたみんなが、自分の帰りを待っているのだ。

「ごめん、それはできないよ。みんなが待ってるからさ」

 ……答えはなかった。

 ただ、背中に張り付いていたルーデルの温もりがそっと離れただけ。腰に回っていた腕も、外れる。

「ルーデ──」

 プニ……

 振り返ったクリュウの頬に、何かが当たった。視線を向けると、それは指。それを追っていくと、そこにはいつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべるルーデルが立っていた。

「バァカ。冗談に決まってるでしょ? 何本気になってんのよ、キモ」

「お、おい…」

「ちぇッ、あんたさえ落とせば簡単にフィーリアを取り戻せると思ったのになぁ、失敗失敗」

「お、お前なぁ……」

 呆れて怒るに怒れずにいるクリュウに対し、ルーデルはケラケラと笑う。

「ま、一度あんたに預けると言った手前、今更ひっくり返す訳にもいかないしね。私は約束は守る女だから」

「自分で言うかそれ……?」

「うるさいわね──私の大切な親友、任せたわよ」

「う、うん」

 突然真剣な表情になったルーデルの言葉に、クリュウもまた表情を引き締めてうなずいた。そんな彼の返答に納得したのか、ルーデルはニパッと笑う。

「それじゃ、次はあんたの葬式でって事で」

「え、縁起でもない事言わないでよ……」

「あははは、冗談冗談──じゃあね、頼りない騎士さん」

 ルーデルは無邪気に笑いながら手を振り、ブラットフルートを担いで歩き出す。そんな彼女の頼もしいけど、でもどこか寂しげな背中に向かって、クリュウは手を降って見送る。

「今度、イージス村にも来てよ。歓迎するからさ」

 返事はなく、ルーデルは背を向けたまま片手で答えた。

 やがて、夜の闇の中に彼女の真っ赤なフルフルUメイルが静かに消えて行った……

 

 翌日、クリュウとフィーリアはドンドルマを出発。数日後にはイージス村に無事に到着した。

 当然のようにクリュウはエレナの跳び蹴りを受けて悶絶し、フィーリアが慌て、エレナとサクラが睨み合い、ツバメがそれを仲裁し、リリアがさりげなくクリュウに抱きついてまた新たな火種を起こし、シルフィードが疲れたようにため息を零す。

 そうして、イージス村にいつもの光景が戻ったのであった。


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