モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第143話 エルバーフェルド帝国

 エルバーフェルド帝国。

 大陸西方、内陸に位置するガリア共和国と西竜洋に面する複数の国家で形成される西竜諸国の一角を担う帝政国家で、ガリア共和国、東シュレイド共和国と国境を面するこの国家は過去の大災害から懸命の復興の最中にある国である。

 約二〇年前、当時エルバフェールド王国の火山地帯が突然一斉に噴火を始め、それを発端とした地震と津波により多くの家屋が損壊。吹き上がった火山灰で広範囲の田畑が深刻なダメージを受けた。これは大陸有史以来最悪の災害と言われ、後にローレライの悲劇と呼ばれる未曾有の大災害となった。この影響でシュレイド王国分裂事件の前まではシュレイド王国の次に大国と言われたエルバーフェルド王国は一気にその国力を失い、国家は壊滅的状態にまで悪化。

 当時国を治めていた王、カイザー3世は全力で復興を指示し、エルバーフェルド国民の多くがカイザー3世の指示の下復興に心血を注いでいた。だが、そのカイザー3世はその後《愚王》という蔑称を与えられる事になった。

 きっかけはローレライの悲劇によって被害を受けたのはエルバーフェルドだけではなかった事。追い打ちを掛けるように他の西竜諸国がエルバーフェルドの火山噴火による被害の賠償金を請求していた。カイザー3世はこれらの請求に対しても考慮しなくてはならなかった。なぜなら、すでに当時最強とも言われたエルバーフェルド軍は壊滅的打撃を受けており、尚且つ軍は復興作業で手一杯であり、抑止力としての戦力が意味を成さなくなっていたからだ。他国の恫喝に対し、エルバーフェルドは屈せざるを得なかった。

 カイザー3世は疲弊し切った国家を抱えながらも他国に対する賠償金を払った。しかしそれらはエルバーフェルドの支払能力を大きく超えており、遅々として進まぬ支払いに業を煮やしたガリア・東シュレイド連合軍は豊富な地下資源があるエルバーフェルドの生命線とも言うべきルール地域を軍事占領。これに対してカイザー3世は義勇軍という国軍ではない民間組織を収集し、これに資金を提供する事でルール地域奪還を行った。これは国軍が他国の国軍に対して攻撃をすると戦争になるとの配慮であった。

 結果的にルール地域の奪還には成功したものの、賠償金や義勇軍への過剰な資金提供を原因としたハイパーインフレにより、エルバーフェルドの通貨はその価値を失い、復興の為の資金は失われた。

 このローレライの悲劇とハイパーインフレの二重苦に国民はついに革命に踏み切り、カイザー3世は国を追われ、エルバーフェルド王国は崩壊。以降議会制民主主義によるエルバーフェルド共和国になった。

 しかし、共和制になっても復興は遅々として進まなかった。ハイパーインフレは当時の首相のデノミネーションによって脱したものの、復興に対しての支援や指揮が滞っており、共和国時代のエルバーフェルドは貧困国家と成り果てていた。

 十数年、ローレライの悲劇に苦しみ続けて疲弊したエルバーフェルド。だが今、そんな祖国を救おうと一人の少女が立ち上がった。

 

「私の後ろに続き、諸君がもう一度世界の頂点に君臨する時が来たッ」

 

「振り返るのは終わりだ。涙を拭い、今こそ前進の時」

 

「祖国が泣いている。なぜだ? 諸君が祖国の想いを裏切っているからだ」

 

「誇りを取り戻せッ! ジーク・ルチア(ルチアに勝利を)ッ!」

 

 絶望の淵にあった多くのエルバーフェルド国民は、その真っ直ぐで力強い言葉に心を揺さぶられた。

 時は共和制の限界が近かったエルバーフェルド共和国首都、エムデンの自由広場。突然現れた少女は瞳に力を失った民衆に向かってコンサートを開いた。

 その心揺さぶる歌詞と歌声、そして少女の神々しいまでに美し過ぎる容姿が人々に希望の光を与えた。それに加え、彼女は演説でもその才能を開花させ、人々を熱狂させていった。

 大衆の心を掴んだ彼女は後に国会議員となり、仲間と共に国家主義民衆党、通称ルチア党を結党した。ルチア党総裁となった少女はその最中も国民を熱狂させ続け、ついには上院総選挙で圧倒的勝利を勝利を収めて第一党に躍進。彼女は弱冠十四歳にして一国の長、エルバーフェルド共和国首相に就任した。

 首相に就任した少女は議会制民主主義によって遅々として進まなかった復興の法案などを議席の数に物言わせて強行採決を連発。野党からは批判を受けるが、すでに国民の多くが少女の味方であり、野党党首が暗殺されるという事態にもなっており、事実上の一党独裁政権となっていた。

 様々な法案を強行採決し、最終的には共和制になった事で分権していた司法、立法、行政、軍事を自身に一本化させる全権移譲法を成立。全ての権限を掌握した少女はエルバーフェルド共和国の滅亡を宣言。新たに自身を皇帝であり国家指導者、《総統》としたエルバーフェルド帝国の樹立を宣言した。ここに、エルバーフェルド帝国が誕生した。

 ただの少女がなぜここまで躍進できたのか。それは彼女が亡命していた前国王カイザー3世とその后の娘であったという事が大きかった。

 国王夫妻はアルトリアへと亡命し、そこでそれまではあまり良好とは言えなかったアルトリア王政府に働きかけてエルバーフェルドを陰ながら支援し、現在の両国の友好の礎を築いた。それを、亡命の最中に生まれた少女は、祖国の復興に心血を注ぐ父と母の背中を見て育ち、いつか自分が父と母が愛した祖国を復興させるという強い想いを抱くようになっていた。

 少女は大陸有史史上最高と謳われる頭脳を持ち、さらにそんな少女に協力しようと集まった多くの有能な仲間と共に、ついには国を掌握した。

 少女は父カイザー3世の陰の努力を国民に話し、共和国時代は国家機密とされていた他国による賠償金や軍事占領の全てを暴露。怒り狂う民衆の心を復興という道へと見事に導いた。

 現在、エルバーフェルド帝国は王国以前のような活気に溢れ、所によっては以前よりも繁栄し、その国力を増大させている。その結果、現在エルバーフェルド帝国と周辺諸国には摩擦が生じている。

 その大きな原因とされているのが徴兵制による強制的全国民軍人化計画や、兵器の大量生産による雇用の確保、自衛という名目での異常なまでの軍事力増大、軍人化させるによっての祖国への忠誠心を育む事など、国民を掌握する為に少女が行う軍事国家化であった。

 現在ではエルバーフェルド帝国の軍事力はローレライの悲劇前よりも増大しており、他国はエルバーフェルドの復讐を恐れ、これが現在の西竜諸国の緊張状態の原因である。

 エルバーフェルド全国民の期待を背負い、総統として日夜祖国復興に励む少女。後にエルバーフェルドの英雄と言われる彼女の名は――フリードリッヒ・デア・グローセ総統。御年十八歳の少女皇帝であった。

 

 エルバーフェルド帝国帝都、エムデン。丘の上に作られたこの街は王国時代は風光明媚な美しい都として栄えたが、現在は復興の最中での雇用の確保と首都城塞化計画で行われた城塞化によって街全体を大きな壁が覆い、街の中にも二重三重に壁を築いたまさに城塞都市。強力な火力を多数有し、エルバーフェルド陸軍の中でも精鋭部隊が駐屯しているこの街は不沈都市とも言われている。

 そんな灰色の壁に覆われた街の中には緑も生い茂、自然との共生をテーマにした街作りが行われており、美しい都市を保っている。

 街の中央部、丘の最上部にあるのがこの国の中枢。王国時代からエルバーフェルドを導いてきた美しい宮殿、エムデン宮殿がそびえ立っている。ここに、エルバーフェルド帝国の司法、立法、行政、軍事の全てが掌握されている。

 豪勢な外見に反してエムデン宮殿の内部はとても質素であった。絨毯もなく、石畳が剥き出しとなり、シャンデリアもなければ花瓶や絵画などの装飾品もない。

 フリードリッヒが指導者である自分が導くべき国民を差し置いて豪勢な暮らしなどできないとして家財の一切を売り払ったからだ。これには王族による国家統治を支持する保守派から王の尊厳を害するとして反発を受けたが、フリードリッヒは聞く耳を持たず売却を決定。それでも反発する者はすでに掌握した警察組織を使って国家転覆罪というエルバーフェルドでは二番目に厳しい罪状で次々に逮捕した。

 保守派には首相になる為に何かと協力を得た、言わば同志とも言える者でさえ、自分のやり方に異議を唱えるのであればフリードリッヒは容赦なく蹴り落とした。

 自分に逆らう者は全て潰す。国民からは英雄と呼ばれ美化されていても、こうした暗黒の一面もなければ指導者というものは務まらない。

 かくして王家の私財は全て売り払い、売却費は全て国家予算に加えた。その結果、エムデン宮殿は一国の長が住まう城にしては、何とも質素な場所になってしまった。

 そして、フリードリッヒが仕事を行う総統室もまた、質素であった。

 部屋は決して広くはなく、むしろ本棚などがあり狭い。その本の多くは国中から集められた資料だ。シャンデリアも絨毯も何も装飾品はなく、部屋の中央にはポツンと簡素なテーブルと椅子が置かれており、もちろんソファなどもない。

 目的はあくまで仕事。そんな部屋であった。一応寝室やシャワー室などが隣接はしているが、そちらも簡素な仕上がりになっている。

 そんな質素な部屋の椅子に腰掛け、テーブルに置かれた書類の山を片付けているのがこの国の長、フリードリッヒ・デア・グローセ総統だ。

 美しい金色の長い髪はボサボサに跳ね、仕事中につけるメガネは微妙に大きさが合わないのかちょくちょくズレてしまい、きれいな碧眼の下には徹夜仕事での疲れで隈が生まれてしまっている。寝不足の為、いつもはマシュマロのように柔らかな肌もすっかり荒れてしまっている。身に纏うのはダサい寝間着。

 まさに仕事一筋。歳相応のオシャレに全く興味がないという彼女の性格を表したかのような出で立ちであった。

 フリードリッヒは確かに天才であった。政治家として様々な制度の実現や国の正常化をする一方で、科学者としての側面もあり多くの発明で祖国を豊かにしてきた。しかし一方で女の子らしい事には一切興味がなく、オシャレなどにまるで興味がない。

 このオシャレに無頓着な少女を、皆の心を癒すアイドルとしての一面もあるエルバーフェルド帝国総統にまで押し上げた影の立役者ががいる。それが……

「フーちゃん、そろそろ第一装甲師団への視察に行くから準備して――あぁッ! またそんな格好してぇッ!」

 ノックもなしに総統室に入って来たのは、黒く艶やかな長い髪に血のように真っ赤な瞳が危ない雰囲気を漂わせる妖艶な女性。身に纏うのはエルバーフェルドの陸軍と海軍を総じた国防軍の黒い制服。短いスカートから伸びる生足もまた麗しい。

 彼女の名はヨーウェン・ゲッペルス宣伝担当大臣。事実上の副総統であり、フリードリッヒの第一同志。そして、オシャレに無頓着なフリードリッヒをここまでのし上げた敏腕マネージャーでもある。

 そんなマネージャーであるヨーウェンは早速フリードリッヒの出で立ちに激怒する。が、元々オシャレに興味のないフリードリッヒは気にした様子もなく顔を上げる。

「……何だ。ヨーウェンじゃないか……そうか、もう視察の時間か。待っててくれ、すぐに支度する」

「待ちなさいッ! あなたまた徹夜で仕事してたのねッ! 一日七時間はちゃんと寝なさいっていつも言ってるでしょッ!? あなたの仕事は何ッ!?」

「……総統として国を平和に統治する事。それ以外に何を求めるのよ?」

「それもそうだけどッ! あなたはアイドルでもあるんだからッ! そんなみんなを幻滅させるような格好しないでッ! あぁもうッ! すぐにお化粧の準備もしなくちゃッ。制服は用意してあるから、あなたはさっさとお風呂に入って汗を流して来なさいッ」

 ヨーウェンは何度も頭を抱えながら部屋の外に待機させていた部下に指示を出し、寝室に備えられている化粧道具を集める。だが、オシャレに無頓着なフリードリッヒの化粧台には書類が山積みになっており、まずはその片付けに奔走する。

 ギャーギャー言いながら片付けるヨーウェンを横目に、フリードリッヒは面倒だと言いたげな眼をしながらシャワー室に入った。

 しばらくしてフリードリッヒがようやくシャワー室から戻って来ると、すぐにヨーウェンは「早く早くッ! 時間がないんだからッ! もうッ」と怒りながら彼女の手を引いて寝室に向かう。

 そこで凄腕メイクとしての実力を遺憾なく発揮してフリードリッヒに化粧を施す。ファンデーションで荒れたと目の下の隈を隠し、彼女の元々の美しさをさらに引き立てる。ヨーウェンの存在が、フリードリッヒを総統にまでのし上げたと言っても過言ではない。

 普通なら数十分から一時間はは掛かるメイクを、ヨーウェンはわずか数分でやり遂げる。これこそ彼女の実力を示しているだろう。

 化粧を終えたフリードリッヒに、すぐにそのダサい寝間着をひっぺがし、用意していた国防軍の制服を着させる。最後に、軍帽を被せて完成だ。

 パリッとした新しいきれな制服は彼女の凛々しさを引き立たせ、その物腰も実に指導者に相応しい。しかしその化粧によってより美しく端整になったかわいらしい顔つきは人々を魅了し、その声は人々を奮い立たせる。

「はい完成ね。それじゃ、いつもの笑顔の練習とボイストレーニングをしましょう」

「またそれか……。国を統治するのにそんな物がなぜ必要なのだ?」

「アイドルがそんな事言わないのッ!」

「……だから、私は国家指導者だ」

 そんないつものやり取りを経て、笑顔の練習やボイストレーニング。ファンサービスなど、こうした日々の努力によってオシャレに無頓着な少女は最強のアイドルを維持している。この維持をそもそも興味がないフリードリッヒに続けさせているヨーウェンの苦労は相当なものだが、彼女自身はむしろここまで無頓着だとやり甲斐を感じているらしい。俗にいうバカな子ほどかわいいと同じ原理だ。

 こうして、影の立役者による努力によって今日もフリードリッヒのアイドルとしての姿が維持されているのであった。

 

 エムデンから十数キロ離れた場所には、アルトリア王政軍国の飛行戦艦と同様に国を象徴する兵器を有する精鋭部隊が集結している。

 エルバーフェルド帝国とアルトリア王政軍国は友好関係を築いている。ローレライの悲劇の際に唯一支援をしてくれたのがアルトリアであり、その後の賠償金減額に尽力してくれたのもアルトリアであった。その為、両国の国交は盛んになっている。

 その友好の表すものとして、エルバーフェルドにはアルトリア以外で唯一蒸気機関車が用いられている。最初こそ輸入だったが、現在ではライセンス契約による国産化が行われており、アルトリアに続く列車大国になっている。

 その鉄道を使っての物資の運搬が、復興では大きな力となった。フリードリッヒはこれに着目して線路の上を自由に動き回れる巨大砲、列車砲を開発。現在では国中を網羅するように線路が敷かれ、有事の際には戦局に合わせて列車砲を自由に配置できるようにしている。これにより、他国からの侵略はもちろん国内で大型モンスターが暴れる際には遠方からの攻撃が可能となり、これの撃破効率も大きく上昇した。

 国外に対する抑止力として、国内でのモンスターに対する迎撃兵器として、列車砲部隊は日々国内中を動き回っている。

 今回はその車両基地に先日辺境でリオレウスの迎撃に成功した部隊が戻って来た為、その激励の為にフリードリッヒが訪れるという事になっていた。

 基地には今回の火竜迎撃戦を成功させた部隊が待機している。兵隊の背後にはエルバーフェルド軍の象徴である巨大な列車砲が控えている。

 長さにして三〇メートルの車体に二〇メートル以上の砲身を背負った形。搭載された二八センチ砲は陸軍最大の移動式大砲である。ちなみにエルバーフェルド軍最大の大砲は海軍の戦艦が有する三〇.五センチ砲であるが、射程距離ではこちらの方が優っている。その理由は列車砲特有の長砲身のおかげであり、大砲は同口径でも砲身が長い方がより破壊力と射程距離が増加する為だ。

 この列車砲には動力はなく、この前に機関車を連結して牽引して移動する。これがエルバーフェルドが誇る最強兵器、レオパルド砲だ。

 レオパルド砲を主軸とした陸軍第一装甲師団の兵達は静かに、その巨砲の前に整然と並び、その時を待つ。

 ――風が吹き、兵達に緊張が走る。その風の中を堂々とした足取りでエルバーフェルド帝国の若き指導者、フリードリッヒと側近であるヨーウェンが歩む。

 漆黒の軍服を身に纏い、美しい金色の髪を風に靡かせながら堂々とした足取りで現れるエルバーフェルド帝国総統、フリードリッヒ・デア・グローセ。その神々しいまでに凛々しく美しい姿に、兵達は見惚れる。

 フリードリッヒはその勇ましい足取りを止めると、カッと踵を鳴らして見事な敬礼をしてみせる。それは軍隊では異例の事であった。軍隊とは常に上下関係の組織であり、下の者が敬礼して上の者が答礼をするのが常識だ。だが、フリードリッヒはその常識を無視し、兵達に向かって自ら敬礼したのだ。

 呆然とする兵達と中、師団長が逸早く冷静さを取り戻し「敬礼ッ」と号令を掛ける。その声にようやく兵達も平静を取り戻し、一矢乱れぬ動きで見事な敬礼をする。その敬礼を見て満足したようにうなずき、フリードリッヒは腕を下ろす。

 フリードリッヒに向かって師団長が一歩前に出る。そして、今回の作戦の戦果を改めて報告する。

「戦果損害報告。目標リオレウス一頭の討伐を確認し、任務は成功しました。しかし、被害は戦死者二名、負傷者十四名、レオパルド砲も一輌が大破使用不能となりました」

 師団長の報告に、フリードリッヒの隣に立つヨーウェンの表情が曇る。対大型モンスター戦で戦死者が出るのは仕方がない。だが、貴重なレオパルド砲を一輌失ったというのが問題だった。

 モンスターの素材の加工技術はハンターズギルドが独占している。ハンターズギルド管轄下の中央工城では毎年ハンターの武具を鍛える鍛冶職人の認定試験が行われ、それに合格した者のみが武具の作成が可能となる。武具はすでに大まかな作成方法がマニュアル化されており、個々の職人の腕にも多少の変化はあるが、基本的には全てが同じ物。ギルドはこのマニュアルを門外不出とし、もしもこれを破った者はギルドに対する反逆行為として鍛冶職人の資格の永久剥奪。場合によってはギルドナイトによって暗殺される事もある。その為、鍛冶職人は皆ハンターズギルドから離れず、その技術が外に漏洩する事もない。

 一方、モンスターの素材の加工技術なら他国の軍隊でもいくらかは可能だが、飛竜クラスの素材は加工には特別な機械や技術が用いられる為に、その加工は難しい。その為、ハンターの身につけるような優れた防具を作る事ができず、軍隊は対大型モンスター戦となると戦死者が毎回のように出てしまうのだ。

 優れた防具を得られぬ各国の軍隊は、遠距離からの攻撃を主軸として大砲などの火砲にその技術力を注いでいるのが一般であり、その進化形態とも言うべきなのがこの列車砲、レオパルド砲だ。

 レオパルド砲は幾多の対モンスター戦で戦果を上げ、次第に大型モンスターに対してもその威力を発揮して来た。

 しかし、兵器という物は一般的に金の掛かる物だ。このレオパルド砲とて一輌の製造費もバカにはならない。この一輌を作る為には国民が必死になって稼いだ多額の税金が使われた。

 国民の希望、そして戦略的価値の大きなレオパルド砲。その貴重な一輌を失うなど、軍隊としては問題だ。

 師団長はもちろん、兵達も叱責される覚悟はできていた。だが、フリードリッヒが語ったのはそんな彼らの予想とはまるで違う言葉だった。

「君達は、怪我はないのか?」

 叱責を受ける覚悟はできていた。だが、フリードリッヒの口から放たれたのは兵達を責める言葉ではなかった。兵達を気遣う、そんな問い掛け。

「は、はッ。我々は全員負傷はしておりませんッ」

 一瞬呆けていた師団長だったが、すぐに声を張りながら答える。その言葉にフリードリッヒは「そうか」とつぶやくとフッと口元に優しげな笑みを浮かべる。

「皆、よく無事に帰って来てくれたわね。ゆっくり休んで、次の戦いでも一層奮励の活躍を期待する。以上」

 フリードリッヒはそう述べると、カッと踵を揃えて見事な敬礼をし、師団長達に背を向けて歩き出す。そんな彼女の背中を見てクスクスと笑いながら、ヨーウェンも後を続く。

 残された兵達はそんな総統の後ろ姿を、呆けながら見詰めている。そして、誰かが言った。

「……俺、一生総統に付いて行くぜ」

 その言葉に、兵達は皆しっかりとうなずいた。

 

「さっすがフーちゃん。人心の心を掴むのがうまいわねぇ。私もちょっぴり惚れちゃった」

 ケラケラ笑いながら言うヨーウェンの言葉に、フリードリッヒは無愛想な表情を浮かべながら静かに答える。

「そんな気は毛頭ないわ。私はただ、泥水をすすりながら戦った彼らの鉄の精神に対して激励を述べたに過ぎない」

「うふふ、その無意識に周りの人の信頼を得られる振る舞い。あなたは本当に指導者の才能に恵まれてるわね」

 褒めるように言うヨーウェンの言葉に、フリードリッヒは「バカな事を言うな。私にはそのようなすごい能力などない」と彼女の発言を否定する。だが、

「……ただ、私には他の無能な指導者にはない者がある――それは、君達のような私の信念に共感し、支えてくれる仲間と。私を期待して応援してくれる、私と同じ鉄の精神を持つ愛しき国民。この二つがある限り、私は前に進む事を諦めるつもりはない」

 そう言い残し、フリードリッヒは進む。その目指す先は今回の戦いで負傷した兵が集められている基地内の軍病院。傷ついた者達にも激励し、きっと心の中では戦死した兵の冥福を祈り続けているのだろう。他国からは冷徹とも言われるエルバーフェルドの総統は、そんな心優しい少女であった。

「……まったく、女の私も惚れちゃうくらいかっこいいんだから」

 くすくすと笑いながら、ヨーウェンはフリードリッヒの後に続く。この若き指導者を支える事こそが、今の自分が神から受けた天命であると信じて疑わない。そして友として、彼女の信念と理想を共に叶えたい。そんな事を想いながら、ヨーウェンはフリードリッヒの手をそっと握り締めた。その手は、一国全てを統括する指導者とは思えない程、小さくて柔らかくて、温かかった。

 

 エムデン宮殿に戻ったフリードリッヒとヨーウェン。フリードリッヒは高貴な血統書付きの白馬に、ヨーウェンも黒馬に跨り、その周りを複数の兵が武装しながら護衛している。彼らは軍人で構成される国防軍ではなく、ルチア党所属の武装組織。要するにフリードリッヒの私兵である親衛隊所属の隊員達だ。

 宮殿に戻った二人を出迎えるように待っていたのは灰色のクセッ毛の強いロン毛に意思の強い黒い瞳の上から掛けた知的なメガネが特徴の青年。一般的な世界共通の敬礼とは違う、ルチア式と呼ばれる天高くに腕を伸ばす独特な敬礼をするのは、彼が親衛隊所属を意味する。事実、国防軍と同じようなデザインの制服にルチア党のシンボルマークである白い稲妻を模した腕章をつけている。これが親衛隊の証だ。

「お待ちしておりました総統陛下。幹部の方々がお待ちです」

 フリードリッヒは「そうか」とだけ答えると、無言のまま青年の横を通り過ぎる。その後ろに続くヨーウェンと並び、青年も歩き出す。

「わざわざ出迎えご苦労様ね。オコーネル親衛隊長」

「好きでやっている事なのでお気になさらず」

 クールな表情のままそう無愛想に答えるのはオコーネル・ゲルトハルト親衛隊隊長。ヨーウェンと同じ頃にフリードリッヒの思想に共感した、彼女の副官の一人だ。知的な姿や立ち振る舞い、貴族出身という気品に溢れた彼には熱狂的な女性ファンも多い。フリードリッヒ体制の中核を担う存在だ。

「つかぬ事伺いますが、今日の総統陛下の色は?」

「うふふ、今日は黒でちょっと攻めてみましたぁ」

「……ごふッ」

 クールな表情のままドバドバと大量の鼻血を流すオコーネル。それを見てヨーウェンはケラケラと笑い、フリードリッヒは人知れずため息を零す。

 エルバーフェルドの貴公子とも言われ、その容姿から多くの女性ファンを持つ有能な幹部オコーネル・ゲルトハルト――だがその本質は、フリードリッヒの正式ファンクラブの会長を兼任する会員番号1番。要するに熱狂的なフリードリッヒのファンなのであった(ちなみにフリードリッヒからは親衛隊長ではなく変態長と呼ばれている)。

 

 統合幕僚本部。ここはフリードリッヒが絶大な信頼を寄せているメンバーのみが入れる特別室だ。フリードリッヒ、ヨーウェン、オコーネルが中に入ると、すでに他のメンバーが揃っていた。皆、それぞれ国防軍式、ルチア党式の敬礼で出迎える。

「総統陛下、我が第一装甲師団へのわざわざの激励ありがとうございました。兵達もきっと喜んでおられる事でしょう。おや、今日もまた一段とお綺麗ですね総統陛下。そのバラのように美しく妖艶で、しかし身を守る為の刺々しさもまた美しい」

 そう真剣にフリードリッヒを褒め称えるのは長めの茶髪に柔らかな鳶色の瞳をし、さらに少し着崩した制服の胸ポケットに白いバラを一輪挿した、ちょっとチャライ感じの青年。国防軍総司令官、ヴィルトラント・カイテル陸軍元帥。軍人としては凡将ではあるが、フリードリッヒに対する忠誠心の高さに加え、この八方美人的な性格からそれぞれ誇りを持つ陸海軍の折衝の緩和や武官と文官の対立、さらには政党内の対立する会派の仲裁など調整役としてその力を振るっている男だ。地味に、フリードリッヒ体制を支える立役者。

「カイテル総司令官、総統陛下の前でそのような軟弱な態度をしないでください。陛下に対しては常に鉄の精神をもって毅然とした態度でいるべきです」

 そんなヴィルトラントを叱りつけるのは知的なメガネに強い鉄の意思を煌かせる鋭い碧眼をしたショートカットの黒髪をした少女。先程からフリードリッヒの前では微動だせずに直立不動で構えている彼女の名は海軍総司令官カレン・デーニッツ海軍元帥。彼女もまたフリードリッヒとは長い付き合いの古参組の同志。両親共に海軍軍人だった生粋の海軍軍人で、フリードリッヒより一つ年下ながらローレライの悲劇の際に起きた津波で多くの軍艦を失ったエルバーフェルド帝国海軍を再建した実力者だ。

「うーん、怒った顔もチャーミングだよカレンちゃん」

「……総統陛下。砲撃命令をいただけないでしょうか? 今すぐにこの愚か者を排除して差し上げましょう」

 軟弱な態度を崩さないヴィルトラントを見てクールな表情のまま青筋を立てるカレン。真面目が服を来て歩いていると言っても過言ではないカレンと適当で軟弱なフラフラ者のヴィルトラントはいつも対立が絶えないのだ。

「いい加減にせんか若造ども。総統陛下を困らせるような言動は慎みたまえ」

 そんな二人を往(い)なしたのは初老の男。若干白髪の入った短めの黒髪の上から国防軍の軍帽を深く被った姿はまさに古参の戦士。彼の名は陸軍総司令官エリック・マンシュタイン陸軍元帥。フリードリッヒに陶酔するあまり暴走しがちな幹部を往なす存在であり、数少ないフリードリッヒのブレーキ役でもある。

 両親を亡くし、祖国復興の為に単身でエルバーフェルドに舞い戻って来たフリードリッヒを匿い、彼女を娘のように可愛がりながらも同志として彼女を真っ直ぐな道へと導く親代わりのような存在だ。

 エリックの言葉に、さすがのヴィルトラントも「おぉ怖い。旦那の雷が落ちないうちに退散退散~」とふざけた口調ながらも慌てて席に戻る。自分の失態を恥じながら、カレンもエリックに一礼して席に戻った。それを見て他の者も席に戻り、オコーネルも席に座り、立っているのはフリードリッヒとその副官であるヨーウェンだけとなった。そこで初めてフリードリッヒはゆっくりと口を開くと、深いため息を零す。

「ヨーウェン、今更だが君を始めとしてなぜ私の周りにいる者は能力は優秀なのに何かと問題児ばかりなのだ?」

「あらあら~、私まで問題児扱いされてるわねぇ~」

「君が一番の問題児なのよ……」

「総統陛下ッ!? わ、私も問題児なのですかッ!?」

 エリックを除けばこの中では一番まともなはずのカレンが心外だとばかりに声を上げる。それを見て「怒ったカレンちゃんもチャーミングだねぇ」とケラケラと笑いながら言うのはヴィルトラント。ちなみにオコーネルは先程からずっとフリードリッヒしか眼中にないのか、彼女を見詰めたまま。時々鼻血を出しているのは見なかった事にしよう。

 またもうるさくなる幹部達を見てフリードリッヒはまたも大きなため息を零す。しかしすぐに「静まれ愚か者ども」と冷静に叱りつけ、黙らせる。

 肩をすくめながら黙るヴィルトラントに対し、敬愛するフリードリッヒに《愚か者》と呼ばれたカレンはかなりのショックを受けたのか、がっくりと肩を落として席に崩れ落ちる。

 ようやく静かになった室内を見回し、フリードリッヒもまた席に腰掛ける。その横を、副官のヨーウェンが静かに立つ。

 そして、静かに単刀直入に言い放つ。

「今日で約束の期日だ。我々は西竜諸国への布告通り、エルバーフェルド王国混乱期に略奪されたズデーデン地域奪還の為、同地域へ攻撃する。エリック、すぐに伝令を飛ばして待機中の攻撃部隊に攻撃開始を下令せよ。オペレーション救いの風(ヒルフェヴィント)発動だ」

 それは、一歩間違えれば戦争に発展しかねない行動であった。しかし、フリードリッヒは一切の躊躇なく、侵撃命令を下した。

 エルバーフェルド軍が、動き出す。

 

 一週間後、エルバーフェルドの大都市ハイデルンに東シュレイド共和国大統領、西シュレイド王国国王、エスパニア王国国王、ガリア共和国大統領、神聖ローマリア法国教皇代理の司教枢機卿を始めとして西竜洋諸国やその周辺の地域や街の君主や有力者が集まった。

 皆、苦々しい表情を浮かべながら用意された巨大なテーブルの周りを囲む中、ただ一人エルバーフェルド帝国皇帝にして総統のフリードリッヒだけは不気味な笑みを浮かべていた――それは、勝利の笑みだ。

 突然電撃的にエルバーフェルド帝国はガリア、東シュレイドが合同で統治していたズデーデン地域へ侵撃を開始。元々この地域はエルバーフェルド王国の領土であったが、ローレライの悲劇の最中に賠償対象として奪われた地域であった。当然、ここには多くのエルバーフェルド人が住んでいる。

 フリードリッヒは首相になる以前からこの地域の奪還を強く主張していた。そして、エルバーフェルド軍が完全復活した事から奪還作戦を実行に移した。

 怒涛の勢いでズデーデン地域に侵撃を開始したエルバーフェルド軍。一歩間違えればガリアや東シュレイドと戦争状態になってもおかしくない状況だったが、フリードリッヒには勝算があった。二国とも国民の多くが戦争を望んではいなかった事だ。どちらも議会制民主主義を掲げる共和制国家の為に世論を無視する事はできない。つまり、反撃はできないと踏んだのだ。そして、彼女の予想通り同地域を支配していたガリア、東シュレイド連合軍はまともな反撃をする事もできずに降伏。ズデーデン地域はエルバーフェルド軍によって占領された。

 このエルバーフェルドの侵略行動に対し、ガリアと東シュレイドは戦争回避の為に宥和(ゆうわ)政策として、これ以上の侵略をしない事と捕虜にした兵の即時解放を求める見返りとして、エルバーフェルドのズデーデン地域併合を認めた。これが、ハイデルン会談である。

 

 ハイデルン会談により、ズデーデン地域を併合したエルバーフェルド帝国。フリードリッヒはこれを宣伝大臣であるヨーウェンを通じてすぐに国民に発表。国民は熱狂した。

 ズデーデン地域のエルバーフェルド人の解放、元々平民出身だった母の故郷であったズデーデン地域の奪還、国民に対しての更なる支持基盤の確立、エルバーフェルド軍の強力さを確認すると同時に他国への威嚇。様々な思惑を持って挑んだエルバーフェルド帝国最初の軍事行動。それは見事成功に終わった。

 今後のズデーデン地域の統治をどのようにするのか。大まかなプランはすでにヨーウェンを通じて閣僚や幹部に伝えてある。後は信頼する臣下がやってくれると信じ、フリードリッヒは特に口を出す事はなかった。彼女からしてみれば、祖国を荒らした蛮族に対して復讐ができた。それで十分だった。

 フリードリッヒは総統室に戻ると、そこでまたいつものように書類を片付けていく。しばらくし、机の上の書類が半分になった頃になってヨーウェンが部屋に入って来た。

「フーちゃん、ちょっと報告する事があるんだけど」

「何よ? 今私は忙しいのだから、くだらない事なら後に回しておけ」

「――ロンメル元帥が辺境視察から帰って来たんだけど」

「ヨーウェン、後は任せた」

 ヨーウェンの報告を聞くやいなやフリードリッヒは急いで部屋から出て行った。そんな彼女の後ろ姿を見て、ヨーウェンは小さく苦笑いする。

「まったく、アイドルに恋愛はご法度なんだけどねぇ……」

 そう言いつつも追いかけたり邪魔をするなどの野暮はせず、ヨーウェンは仕方なくフリードリッヒが放棄した仕事の続きを黙って引き受けるのであった。

 

 エムデン宮殿の中庭にはフリードリッヒが趣味で育てている花が無数に咲き誇っている。今はちょうど春だから、庭は花でいっぱいに包まれている。

 そんな中庭の中に、一人の男が立っていた。国防軍の軍帽と軍服を身につけた短めな銀髪碧眼の壮年の男は、静かに咲き誇る花を見詰めている。

 大急ぎで中庭に駆け込んで来たのはフリードリッヒ。息を切らせながら辺りを見回すと、すぐにその男を見つける。その途端、いつもはクールな表情を崩さないフリードリッヒに少女の笑みが浮かぶ。

「エルディンッ!」

 フリードリッヒの声に、エルディンと呼ばれた男は静かに振り返る。そして、彼女の姿を見ると静かに微笑んだ。

「やぁ嬢ちゃん。元気そうで何よりだ」

 一国の長を《嬢ちゃん》と呼び、敬語も一切使わずにフランクに接する男。彼の名はエルディン・ロンメル元帥。フリードリッヒ直属の対モンスター戦専門の独立軍、特殊師団の師団長を務める、元ハンターという珍しい経歴を持つ男だ。

 フリードリッヒはエルディンに向かって駆け出す。そして、そのままの勢いでエルディンに抱きついた。

「久しぶりだなエルディンッ! 辺境視察と言って勝手に出て行って、今まで何をしていたッ! 心配したんだからッ」

 怒ると共に、やっと会えた事が嬉しくて仕方がないのだろう。嬉しさと怒りが合わさり、複雑な表情を浮かべながら叫ぶフリードリッヒ。しかしその間ずっと彼に抱きついたままだ。そんな彼女を見て、エルディンは苦笑を浮かべる。

「そりゃ悪かった。いや、ちょっと昔の血が騒いでな。ちょちょいとグラビモスを狩って来たんだ」

「また無茶をしたのかッ!? いつもいつも危ない事はするなと何度も言っているでしょッ!」

「危なくなんかねぇって。ったく、嬢ちゃんは心配性だなぁ」

 今日という今日は勘弁ならないとばかりに説教するフリードリッヒだったが、エルディンが「すまんすまん」と苦笑しながら頭を撫でると、フリードリッヒは頬を赤らめて途端に勢いを失ってしまう。

「……ひ、卑怯だぞエルディン」

「弱点を狙うのは戦いの基本だからな。狩りも戦もそこは同じさ」

 あっけらかんと言うエルディンに対し、フリードリッヒは頬を赤らめながら不機嫌そうに唇を尖らせる。だが、その表情は怒っているというよりは拗ねているという感じ。エルディンに頭を撫でられているうちに、その表情は自然と笑みに変わっていく。

「それにしても、どうやら今年もきれいに咲いたみたいだな」

 エルディンはそう言って中庭に咲き誇る花を見詰める。それを聞いてフリードリッヒは自慢気に胸を反らし、自身が育てた花を見回す。

「あぁ、今年も綺麗に咲いたぞ――父様と母様が好きだった、この国の国花のチューリップもな」

 そう言ってフリードリッヒは庭の一角に咲き誇る小さなチューリップ畑を見詰める。父が好きだった青の花、母が好きだった赤の花、そして自身が好きな白の花。その三色が、きれいに咲き誇っている。

「チューリップか。美しくも、その根には人を殺せるだけの毒を持つ花。まるで君を表したかのような花だな」

「それは、私を褒めていると取ってもいいのか?」

「まぁ、そんな所だな」

 あっけらかんと言うエルディンの言葉に、フリードリッヒは「そうか」とだけ小さくつぶやく。その頬はほんのりと赤らんでいた。しばしの無言の後、フリードリッヒはそっと花の前に屈み込むと、そっとそのうちの白い花の一輪を茎から切る。そしてそれをそっとエルディンの胸ポケットに挿した。

「私が必要としているのは、外見に騙されて毒で殺されるような連中ではない。その毒をも認めてくれる、君達のような臣下だ。私は幸せ者ね」

「その言葉、俺なんかよりもカレンに聞かせてやったらどうだ? きっと喜ぶぞ」

「……私は、一番貴様に聞かせたいのよ」

「ん? 何か言ったか?」

「何でもないわ。それより、戻ったのならさっさとヴィルやエリックに顔を見せろ。これから忙しくなるのだからな」

「――聞いたぞ。ズデーデンへ攻撃をしたらしいな」

 先程までの優しげな表情が消え、真剣な表情でそう問うエルディンの言葉にフリードリッヒの表情も険しくなる。無言で、静かにうなずき肯定の意味を表す。

「……お前、やっぱり諦めてないんだな――祖国の復讐を」

「当然だ。父様と母様、そして愛する国民を散々苦しめた西竜諸国を許すなどできない。特に、忌々しいガリアはな」

 吐き捨てるように言うフリードリッヒの顔に浮かぶのは激しい憎しみ。祖国の危機を利用して散々エルバーフェルドの民を苦しめ、父と母の権威を失わせた西竜諸国。その先頭に立ったガリアを、フリードリッヒは許せなかった。

「私はガリアやガリア人を好きだった事はない。そう口にするのを躊躇った事もない――私は敵を絶滅する。根こそぎに、容赦なく、断固として」

 そこに浮かぶのは少女でも、国家指導者でもない。ただひたすらに憎しみに狂い、逆襲を胸に誓う、憎しみに囚われた復讐者の顔。

 フリードリッヒは無言でエルディンから離れると、そのまま何も言わずに中庭を去る。

 残されたエルディンは去って行くフリードリッヒの背中を見詰めながら、小さくため息を零す。そして、胸に挿された純白のチューリップを優しく撫でる。

「復讐に我を忘れ、ただひたすらに殺戮を追う――昔のあいつにそっくりだな」

 そう言い残し、エルディンは顔を隠すように軍帽を深く被り中庭を去る。

 風が吹き、ゆっくりと揺れるチューリップの花。見た目は美しくも、猛毒を持つその花はまさに、美しき容姿をしながら復讐に狂うフリードリッヒを表しているかのようであった……

 

 エルバーフェルド帝国が、静かに不気味に動き出す。


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