モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第146話 一世一代の大直訴 彼を想う恋姫達の決断

 意識を取り戻したクリュウはシルフィード達と共に侍女に連れられて大広間へと通された。大理石のタイルが敷き詰められ、絢爛豪華な装飾が施された大きな部屋。中央には長テーブルが部屋の左右を分断し、そこにはすでに数人の侍女と執事らしき男が控えている。テーブルの上にはお茶会の用意がすでに整われていた。

 四人は侍女に案内されるままに席に座る。程なくしてルーデルを連れてフィーリアもやって来て、とりあえず未成年組は全員揃った訳だ。

 席順は左側にフィーリア、クリュウ、サクラの三人が。右側にルーデル、エレナ、シルフィードの三人がそれぞれ腰掛けている。

 クリュウから斜め前に位置するルーデルは先程からクリュウに一切目を向けようとはせず、クリュウは困ったように頬を掻く。そしてそんなクリュウを見て呆れる女子陣。何とも複雑な構成だ。

 ちなみにそれぞれの衣装を説明するとフィーリアは白を基調に黒で装飾された、所謂ゴシックロリータ調のドレスを身に纏っている。スカートが膨らんだ白いワンピースの胸元には赤い紐が網のように結ばれ、胸元でかわいくリボン結びにされている。そのワンピースの上から黒いオシャレ上着を纏い、白の清楚さに黒いかわいさを加える。白いスカートの左右と後ろの上部分が黒に隠れ、半袖の袖部分も黒い。最後に腰で大きな黒いリボンで固定している。

 フィーリアのかわいさを見事に引き出したデザインのドレスだ。それに合わせるようにいつもは下ろしている髪をツインテールに結っているのもまたかわいらしい。

 エレナは赤系を基調とした服を着ている。白いシャツに赤いチェック柄のスカート。腰は前を編み上げた黒い革地のコルセットで締め、足には黒いレース状のレギンスと長い茶色の革ブーツ。最後に胸元には赤い紐ネクタイでかわいらしさを出した、フィーリアとはまた違ったかわいらしいデザインの衣装。

 どちらもレヴェリ家で用意された衣装であり、これを買い揃えたのはレヴェリ公爵だそうだ。道理でフィーリア好みのかわいらしい衣装な訳だ。エレナは「私には合わないわよ」と頬を赤らめていたが、フィーリアは「すごくお似合いですよッ」と心の底から賞賛する。すると、「そ、そう?」と実はエレナも満更でもない様子。

 一方、シルフィードとサクラはクリュウと同じ持ち込みの衣装だ。

 シルフィードは以前アシュアに無理やり着させられ、クリュウに大絶賛されたあのドレス。

 纏うのは美しい湖をイメージさせる薄い水色のドレス。胸元を強調するように首と胸で服全体を支えるホルターネックと言われる形のドレスだ。胸元には濃い水色のリボンが結びさりげなく可憐さも残し、純白の付け袖の袖先が濃い青色の紐でリボン結びにされている所もまたかわいらしい。

 全体的にセクシーな感じだが、だからと言って大人な雰囲気を全面に押し出すのではなくあくまで健全な色気を基調としたデザインのドレス。だからこそ、純情な娘であるシルフィードに良く似合っている。ドレスに合わせていつもは結ってポニーテールにしている髪も下ろし、紫色の花を集めた花束をイメージした簪(かんざし)や銀色のチェーンにマカライト鉱石の欠片をはめ込んだネックレスなどのアクセサリーも素敵だ。

 人前で苦手なドレス姿になっているシルフィードは終始頬を赤らめたままうつむいている。彼女らしくなく、緊張しているらしい。まぁ、慣れないドレス姿というのは彼女にしてみればかなり気力のいる状態なのだろう。いくらフィーリアや侍女達に「きれい」とか「かわいい」とか言われてもそれは彼女を追い詰めるだけでしかない。

 隣に座る、程度は違うが同じような状況に置かれているエレナがそっと彼女の背中を叩く。それだけが、今のシルフィードにとっては心の支えであった。

 一方、同じ持ち込みの衣装でも威風堂々としているのはサクラだ。彼女も以前クリュウが買ってくれたあの赤いワンピースに身を包んでいる。

 全体的に大人な雰囲気の赤いワンピース。だが決して過剰ではなく適度に飾り付けられたフリルがかわいらしさも忘れない。下地は黒なので彼女のイメージカラーとも言うべき赤と黒が組み合わさっている。上生地の赤い部分は大きく少し大胆に開いているが、黒い下生地がフリルのように胸元を優しく隠すという少し凝ったデザイン。彼女の流れるような細いスタイルだからこそ成せる芸術だ。

 サクラに良く似合っており、尚且つクリュウに買ってもらったというある意味ここにいる全員の服の中で最強のアドバンテージを持つ一品。いつも村で着ているような和服ではなくわざわざこれを選んだのはクリュウが選んだ服はここにいる誰にも負けないという自信と、これこそ自分がクリュウに愛されている証拠だと言いたげな強調の表れ。服装からしてすでにケンカを売っているようだが、悔しい事にすごく似合っている。

 そんなそれぞれの勝負服とも言える女子陣の武装。すでに一通りクリュウはそれらの服を賞賛している。というか感想を述べるよう迫られたのだが。

 ようやく女子陣の衣装褒めが終わった所で、今度はフィーリアがクリュウの服装を賞賛する。

「クリュウ様もよくお似合いですよ。かっこいいですぅッ」

「そっかな? ありがとう」

 フィーリアの絶賛にクリュウは照れたように頬を赤らめながら笑う。フィーリアに同調するようにようやく慣れたというか諦めがついたシルフィードも話題の中に入ってきた。

「君がそんな服を持っていたとは意外だったな」

「まぁ、最後に着たのは訓練学校の卒業式以来だからね。みんなが知らないのは当然だよ」

 クリュウの説明にフィーリア達は納得したようにうなずく。なるほど、そういう事情なら自分達が彼のその格好を知らないのも納得できる。

「よく似合っているぞ」

「ありがと」」

 シルフィードにも褒められ、クリュウは少し照れながらも嬉しそうに微笑む。そんな彼の横から、そっとテーブルの下で引っ張る手。振り向くと、ジッとこちらを見詰めているサクラと目が合った。

「サクラ?」

「……かっこいいわ、クリュウ」

「あ、ありがとう」

 口元に小さな微笑を浮かべて言うサクラの言葉に一瞬驚くも、すぐに微笑むクリュウ。そんな彼を正面から見詰めるエレナはプイッとそっぽを向いて唇を尖らせる。

「フン、何いい気になってんのよ。せっかくのかっこいい服もあんたが着ると情け無さが滲み出して見るに絶えないわよ」

「あははは……」

 エレナの酷評にクリュウはちょっぴりショックを受けながら苦笑を浮かべる。すかさず珍しくフィーリアとサクラがタッグを組んでエレナに反論し、エレナはバツの悪そうな顔でそっぽを向いて逃げる。

 シルフィードは呆れたようにため息を零し、同じような表情を浮かべているルーデルと視線が合うと、互いに苦笑を浮かべ合った。

 そんないつものノリを見事に展開するクリュウ達だったが、しばらくするとフィーリアの父シュバルツ、母ヴァネッサ、そしてセレスティーナが三人揃って大広間へと入ってきた。

 六人は一斉に立ち上がって三人を迎えるが、セレスティーナが優しく「座ってていいわよ」と促し、六人は静かに席に腰掛ける。

 長テーブルの上座にシュバルツが座り、その横でシルフィード達の側にヴァネッサが、その対面でフィーリアの隣にセレスティーナがそれぞれ腰掛ける。

 面子が揃い、侍女は執事達が動き始め、いよいよお茶会が開始される――クリュウの、戦いもまた。

 

 お茶会が開始されて五分が経ったが、すでに場の空気は限界に達しつつあった。

 お茶会とは名ばかりに、楽しい談笑もなければ優雅な笑顔も一切無い。あるのは気まずい沈黙と、フィーリアの両親の鉄のような無表情と何とか会話を成り立たせようとがんばる娘二人の万策尽きたと言いたげな苦笑、そしてクリュウ達の何とも気まずそうな表情だけ。

 直談判するはずだったクリュウも、あまりの気まずさに小鳥のさえずり程の声を出す事もできず、ずっと無言でお茶を飲む。きっと高級でおいしいお茶なのだろうが、極度の緊張状態のせいでほとんど味がわからない。

 そんな不気味な沈黙が限界に達した頃、カチャンと一際大きな音を立ててカップを置いた者がいた。音を立てないという礼儀作法をまるで無視した者に、全員の視線が集中する。そんな暴挙をやってのけたのは、ある意味礼儀とか作法とは最も縁遠く、なおかつこの気まずい雰囲気の中で一切表情を崩さずに無表情を貫き続ける猛者――サクラ。

 ずっと閉じられていた隻眼が、ゆっくりと、鋭く、不気味に、開かれる。

「……招かれざる客というなら、私は帰るわ」

 変化球無しの直球的な物言い。それはここにいる皆が思っていても、決して口には出さなかった核心。あ然とする一同の視線など何のその。氷の無表情を貫くサクラは冷徹にフィーリアの両親を睨みつける。

「……フィーリアの両親だか貴族だか知らないけど、ずいぶんと臆病なのね。言いたい事があるならハッキリ言えばいい。私達平民は、腹を割って話す覚悟などとうにできている」

 サクラは椅子から立ち上がり、憮然とした表情で仁王立ちしながらレヴェリ公爵夫妻を睨みつける。煌く瞳に宿るのは本気の光。

 冷戦状態からいきなりの宣戦布告。クリュウは慌ててサクラを止めようと腕を伸ばすが、サクラはそれをさらりと回避する。そして、さらに驚くべき発言を繰り返す。

「……私はね、貴族が嫌いなのよ。何の努力もしないで莫大な富を得て、下々から金を巻きあげて優雅に暮らす。何ともいいご身分ね」

 空気が凍りつく音がした。

 サクラのあまりにも無茶苦茶な発言の数々に、一同は開いた口が閉じられない様子。しかし、レヴェリ夫妻はそれでも一切の表情を崩さない。その余裕な態度が、サクラの静かなる怒りを燃え上がらせる。

「……私は、一度地獄を経験してる。だから、金持ちとか努力をしない奴が一番嫌い。正直、同じ空気を吸っている今は、苦行以外の何ものでもないわ」

 もはや会合どころかお茶会すらも粉砕する勢いで言葉を吐き出すサクラ。クリュウやシルフィード、エレナはサクラの容赦がなさ過ぎる発言の連続に顔を真っ青にし、セレスティーナも困惑している。

 サクラはしかし、静かに続ける。

「――でも、あなた達は私の親友の家族なのよ」

 サクラのものすごい貴族罵声に貴族出身のフィーリアはそりゃあもう今にも泣き出しそうな勢いだったが、その言葉に伏せていた顔を上げる。そこには、いつもの無表情とは違う、小さな笑みを浮かべた友が立っていた。

「……迷惑なくらいお節介で、バカみたいに優しくて、いつも頭の中がお花畑いっぱいの万年小春日和娘だけど――私にとっては、たった一人しかいない親友よ。その親友を悲しませるような事をするなら、私は例えその両親であろうが、貴族であろうが容赦はしない――特に、私とフィーリアが共通に悲しむ事をすれば、その時は一切の容赦なく」

 サクラは本気の瞳を輝かせ、スカートの下からどこに入れていたのかとツッコミを入れるのを忘れる程優雅に、そして自然に飛竜刀【翠】を引き抜く。

 瞳と同じように不気味に輝く刀身。サクラはいつでも斬りかかれる必殺の構えを取る。

「――斬る」

 突然のサクラの武装にいよいよ事態は混沌としていく。何も知らない侍女達は壁際で怯え、クリュウ達はすっかり呆気に取られている。その中で、フィーリアはほろほろと涙を流していた。

 ずっと一緒にいて、初めて言われた。

 ……私の親友。

 ずっと、心の中で自分が思っていた事。でも、きっと向こうは自分の事をそんな風には考えていないと思っていた。

 だけど、彼女も自分の事をそう想ってくれていた。

 サクラが、自分の事を親友だと言ってくれた……

 きっと、クリュウに好きだと言われる次くらいに嬉しい言葉。フィーリアは嬉しくて嬉しくて、笑いながらボロボロと涙を流す。

「あ、ありがとうございますッ」

 フィーリアの泣きながらのお礼に、サクラは「フンッ」と鼻を鳴らして刀をしまい、そっぽを向く。その頬は心なしか赤らんでいるように見える。

 ――優しく、拍手の音が鳴り響いた。

 全員が視線を向けたのはこの長テーブルの上座にして、この家、さらにはこのレヴェリ領全体を治める長――シュバルツ・レヴェリ公爵。

 先程までの冷徹な無表情は消え、静かに微笑むその姿は良き父と言った具合か。呆気に取られるサクラを一瞥し、嬉し泣きしている娘を、優しく見詰める。

「フィーリア」

 父に名を呼ばれ、フィーリアは慌てて涙をぐしぐしと拭い父シュバルツに向き合う。緊張する娘を見詰め、シュバルツは優しく微笑む。

「――良い友を得たな」

 フィーリアは止まらない涙をボロボロと流しながら、満面の笑みを受かべて「はいッ」とうなずく。そんな彼女を、姉のセレスティーナも優しげに見守る。

 その時、それまでずっと沈黙していたフィーリアの母、ヴァネッサがゆっくりと音を立てずにティーカップを置いた。ゆっくりと閉じていた瞳を開くと、サクラに勝るとも劣らない鋭い眼光で彼女を射ぬく。

「目上の者に対するものとは思えない無礼極まりない発言に加え、自分の置かれている状況を理解せずに感情に任せて武器を抜く。まったく、礼儀や常識をまるで知らない根っからの平民の小娘ね」

 表情を幾らか和らげたシュバルツも妻の冷徹な発言に表情をまた険しくさせる。それに対しフィーリアとセレスティーナの表情もまた暗くなる。二人の様子を見るに、どうやら父シュバルツよりも母ヴァネッサの方が理解を得るのは難しいらしい。

 全身から周りを威圧するような迫力が滲み出ている。権力を持つ者としての威厳に満ち溢れた姿だ。かっこ良くもあり、恐ろしい。

 しかしサクラはそんなヴァネッサの視線を受けても一貫して無表情を貫く。彼女の鋼の心もまた筋金入りだ。ふざけた事をぬかせば斬り殺す。そう言いたげな迫力は今も周囲に振りまいている。

 しばしの沈黙が続いた。すると、それまで険しい表情を浮かべていたヴァネッサの口元にほんの少しだけ笑み浮かんだ。その変化に、この場にいた全員が驚愕の表情を浮かべる。

「礼儀や常識を知らず、感情的に動き回り、どんな苦難にもめげずに立ち向かうバカ――そういうの、嫌いじゃないわ。何せ、私はそんな世間知らずな平民の出ですからね」

 それだけ言うと、ヴァネッサは再び表情を引き締めて無言でお茶を飲む。あまりの変化の早さに呆然としていたクリュウ達だったが、次第次第に状況を理解し始める。

 ――気まずかった状況が、幾分か好転していた。

 嵐のように暴れ終えたサクラは静かに席に戻る。呆然と彼女を見詰めていると、サクラはこちらに向いて小さく微笑んだ。それを見て、クリュウは理解する。

「サクラ……」

 あれは彼女なりの根回しのつもりだったのだろう。やり方は無茶苦茶だが、実に彼女らしい強引だが真っ直ぐな方法。おかげで事実気まずい状況は幾分か和らいだ。

 クリュウがサクラに小声で「ありがと」と言うと、サクラは無言で小さく首を横に振った。彼女なりの大した事じゃない、気にするなという表現だ。そして、サクラはまるで抜刀した刀を再び鞘に戻すように、鋭かった瞳をゆっくりと閉じる。

 クリュウは心の中で彼女にもう一度感謝の言葉を述べると、覚悟を決めて声を上げる。

「あの、レヴェリ公爵。今回ここへ来たのは、ある目的の為なのです」

 勇気を出してそう切り出した。シュバルツは静かにクリュウの方へ視線を向ける。片目に掛けられたモノクルが不気味に輝き、しっかりと彼を見詰める。その迫力にクリュウは思わず黙ってしまいそうになったが、それを乗り越えて言葉を紡ぐ。

「目的? それは、君がわざわざ遠方の村から出向くだけの価値があるのだな」

 シュバルツの問い掛けにクリュウはしっかりとうなずく。そんな彼の覚悟をしている瞳を見詰めたまま、シュバルツは「述べてみよ」と話を促す。

 クリュウは一瞬ルーデルの方を見た。すると、ルーデルは瞳で「言うべきタイミングだと思うなら、言いなさい」と後押ししてくれる。クリュウはうなずき、今回の遠征の目的を話した。

 それは証拠もなければ有力な情報もないバクチにすらならない作戦だった。彼がわざわざ村を出た理由は、あまりにも巨大で、あまりにも具体性がなくて、あまりにも無茶苦茶だ。

 普通に聞けば時間の無駄もいい所な内容だが、その中身の無さを彼は必死の訴えで補う。

 母の事が知りたい。母の故郷に行きたい。親を想う子の気持ちを、必死になって訴える。

 クリュウが訴えている間、フィーリア達は皆黙ってそれを待つ。本当は何か手助けをしてやりたい気持ちはあるのだが、その方法がなければ彼の熱意に入る隙もない為、黙って静観を続ける他ない。

 必死になって状況の説明をし終えたクリュウは、いよいよ核心に触れる。一度大きく深呼吸して興奮を抑えながら、静かに、しかし明確な決意と共に進言する。

「――僕はアルトリアへ行きたい。その為に、レヴェリ公爵にはエルバーフェルド政府に働きかけてほしいのです。どうか、アルトリアへ行く道を作ってください」

 クリュウはそう願い、頭を下げた。深く頭を下げる彼を、辛そうにフィーリアが見詰める。本当はそんな事させたくはないが、末娘の自分にできる事は限られている。自分が許可を出す事も、政府に訴える事もできない。それができるのは、父だけだ。

「勝手なお願いだという事は重々承知しております。しかし、僕には他に方法がないのです。どうか、お願いします……ッ」

 そして、クリュウは膝を折り、地面に頭を着ける。

 彼の必死な土下座での願いを見て、シルフィードは苦しげに唇を噛んだ。そして、静かに立ち上がる。

「彼の願いは、そちらに何の利益もない一方的なお願いです。この願いを棄却するのは容易で、もちろんそちらの自由です」

 シルフィードの発言にサクラの瞳が鋭くなる。だがシルフィードは「焦るな」と瞳で言うと、「しかし……」と言葉を繋げる。

「今こうして一人の少年が、長旅を経てここへ来て、必死に願いを訴え、協力をしてもらいやく頭を下げております。勝手な願いだというのは我々も重々承知の上です。ですが、彼の必死さは伝わっているだろうと思われます。その必死さを見て、貴殿はどうお考えになるか。どうか……お力添えをいただきたく」

 シルフィードも静かに膝を折り、彼の横に並んで頭を下げる。二人揃っての土下座にクリュウが話始めてからずっと目を閉じていたヴァネッサがゆっくりと瞳を開いた。

 その視線の先では、いつの間にかサクラまでクリュウの隣で頭を下げていた。クリュウ以外には絶対に頭を下げないサクラが、彼の為にプライドをかなぐり捨てて頭を下げている。その光景に、フィーリアは泣きそうになった。彼女を知っているからこそ、今の彼女の姿からその覚悟がわかる。

 エレナも無言でサクラの隣で頭を下げた。彼女もまたプライドというか負けず嫌いな子だ。当然、人に頭を下げるという行為は嫌で嫌で仕方が無いだろう。でも、そのプライドを捨ててでも、クリュウの力になると彼女は決めていた。

 幼なじみの母親で、自分も大好きだった人の事を知りたい。その気持ちは、本物だ。何より、クリュウの為だからこそ、こうして必死になって頭を下げているのだ。

 一緒になって土下座してくれる仲間を見て、クリュウは泣きそうになる。でも、まだここでは泣かない。涙を堪え、皆の気持ちを無駄にしない為に、必死になって頭を下げ続ける。

「当主様、私からもお願いいたします。ルーデル・シュトゥーカ、我が生涯一度切りのお願いでございます」

 土下座する四人の横で、ルーデルも静かに頭を下げた。四人のように土下座はしないが、それでも深々と頭を下げてのお願い。今まで、レヴェリ家には忠誠を誓いどんな命令でも従ってきたルーデルの最初で最後のお願い。それは、自分の為でも大好きな親友フィーリアの為でもなく――もう一人の親友と心から想う、クリュウの為だった。

 彼は自分の身の上を知った上で、フィーリアのように変わらずに自分と接してくれた。

 忌々しい過去の傷跡を見ても、不快さを一切見せずに、優しく接してくれた。その優しさに、どれだけ救われた事か――だから、今度は自分が彼を救う番。そう、心から信じて疑わない。

 皆が、必死になって父に訴えている。それを見て泣きそうになるフィーリアはシュバルツの傍へ行って――土下座した。

「お父様ッ。お願いいたしますッ」

 実の父親に対しての必死の土下座だ。これには冷静に事を見守っていたセレスティーナとシュバルツは目を見張る。

「ふぃ、フィーリア……」

「……私も覚悟は決めております、お父様」

 フィーリアはゆっくりと顔を上げると、渋る父に向かって自分の持つ最後の切札を使う。

「聞き入れてもらえなければ――私はレヴェリの名を捨てる覚悟です」

 これにはこの場にいた全員が驚く。皆、フィーリアの必死の形相を見て、彼女の本気を悟る。

 レヴェリの名を捨てる。それはつまり、家族と縁を切るという意味だ。大好きな家族と縁を切る、そんな覚悟を以て彼女は必死に父に頼み込む。

 部屋の中で、若者五人が土下座をし、一人が深々と頭を下げている。しかもそのうちの一人は実の娘で、家族と縁を切る覚悟までしている。これにはさすがのシュバルツも表情を険しくさせる。

 クリュウはもっと強く願おうともう一度声を発しようと頭を上げた時、今までずっと黙っていたヴァネッサが静かに夫を見る。

「……あなた、いつまでも結論を出し渋るのは大人気ないですわよ。とうに結論が出ているのなら、さっさと言ってくださいまし」

 冷徹な無表情の中に、一瞬優しげな笑みが浮かんだような気がした。

 ヴァネッサの言葉に、シュバルツは静かに頷く。そして、頭を下げているクリュウ達を見詰め、「顔を上げよ少年」と重々しく口を開く。

 ゆっくりと顔を上げると、シュバルツは真剣な表情のまま静かにため息を零す。

「……侍従長、グローセ総統閣下に一報を送ってくれ。レヴェリ家はアルトリアへ私情で特使を派遣したい。早急の返答を求む、とな」

 クリュウは我が耳を疑った。今、シュバルツは何と言ったのか。

 呆然とした表情のまま自分を見詰めるクリュウ達の視線を一瞥し、シュバルツは今も自分の横で跪いている愛娘を悲しげな表情で見やる。

「……私の大切なフィーリアよ。お前は私の何だ?」

「娘です。レヴェリ家三女、フィーリア・レヴェリ」

 静かに答えるフィーリアの頭を、シュバルツはそっと優しく撫でた。

「娘なら、父親に頭を下げる必要などない。ただ、頼めばいい。父は、本気の覚悟をしている娘を止められる程、非情な生き物ではない。お前は私の大切な娘だ。そのお前が決めた事なら、私は全力で応援する――例え、それがレヴェリの名に相応しくない道でも、父親として、娘の幸せは応援するさ」

 その言葉に、フィーリアはずっと堪えていた涙が決壊する。ボロボロと泣きながら、フィーリアは父シュバルツの腕の中に飛び込んだ。

 それは、自分がハンターの道へ進みたいと願った時。散々反対されて生まれて始めて家族と大ゲンカをした、今の自分の原点。必死の説得を続けて、最後には許してもらえたあの時。ため息混じりに父が言っていた言葉と同じ。

 ――レヴェリの名に相応しくない道でも、父親として、娘の幸せは応援するさ。

 あの言葉が後押ししてくれたからこそ、自分はハンターの世界でどんな壁にぶち当たっても乗り越えられてきた。

 それと同じ言葉を、こうしてまた言ってくれた。自分の選んだ道を、父親はちゃんと応援してくれる。その事実が、嬉しくて嬉しくて仕方がない。

 腕の中で泣き崩れる娘を、シュバルツは愛おしげに慈しむ。その姿を、ヴァネッサが口元に小さな笑を浮かべ、セレスティーナが満面の笑みで見詰める。

 愛娘の頭を撫でながら、シュバルツはクリュウ達の方へ向き直る。

「娘の友人の願いだ。それに、子供だと思っていた娘がこうして必死の覚悟を以て父の前で頭を下げた。それをするだけの価値が、君達に――君にあるのだな」

 口元に小さな笑みを浮かべて言うシュバルツの言葉に、クリュウはようやく自分の願いが聞き入れてもらえたという現実を理解した。

「あ、ありがとうございますッ!」

 不安から一転して歓喜に変わった。満面の笑顔で礼を言うクリュウを見て、シュバルツの表情が険しくなる。

「勘違いするでない。私は貴様の願いを聞き入れた訳ではない。私はあくまで、娘の願いを聞き入れたに過ぎない」

「まぁ、素直でなくて」

「う、うるさい」

 からかうように言うヴァネッサの言葉に、シュバルツは不機嫌そうに鼻を鳴らす。心なしか、その頬は赤らんで見える。そんな父を見て、「お父様、大好きですッ」とフィーリアはシュバルツの頬に接吻する。その瞬間、厳格なレヴェリ家当主の顔が崩れる。

「私も大好きだぞ、我が愛しの娘フィーリアよッ」

 抱き合う仲の良い親子の姿を、微笑ましげに見詰める一同。そんな中でクリュウはほっと胸を撫で下ろしていた。そんな彼の背中を、誰かがそっと叩く。振り返ると、口元に微笑を浮かべたサクラがジッと隻眼で自分を見詰めていた。

「ありがとう、サクラ」

 クリュウのお礼の言葉に、サクラは無言で首を横に振る。それが彼女なりの照れ隠しだという事は知っている。クリュウはもう一度「ありがとう」と述べ、立ち上がる。

 もう一方の隣で無言で立つシルフィードと目が合った。

「シルフィもありがとう。やっぱりシルフィは頼りになるよ」

「……私は大した事はしてないさ。その言葉は他の奴らに言えばいいさ」

「もちろんみんなにも言うよ。だから、シルフィにもね。ありがとう」

「う、うむ」

 胸が軋むような重い心配事の一つが解決した事で、ようやく彼の顔に本当の笑顔が浮かんだ。その純真無垢で真っ直ぐ過ぎる屈託の無い笑みに、シルフィードがピクリと身を震わし、彼に静かに背を向ける。

「エレナもルーデルも、ありがとう」

 笑顔でお礼を言うクリュウに対し、「フンッ」と鼻を鳴らして赤らんだ頬を隠すようにそっぽを向くエレナと呆れたような表情を浮かべるルーデル。

「べ、別にあんたの為じゃないわよ。あくまで私個人としてアメリアさんの事が知りたいだけ」

「そもそもやっと出発点に辿り着いたってだけなのに、何をそんなバカ喜びしてる訳? そんな楽観主義でどうするのよ」

「シュトゥーカの言う通りよ。まだまだこれからよ」

「あ、私の事はルーデルでいいわよ。その代わり、私もあんたの事はエレナって呼ぶから」

「え? あ、そうね」

 まるで一瞬前までクリュウに呆れていたのがウソのように態度を変えてフレンドリーに接してくるルーデルに、エレナは困惑しながらも笑顔で答える。何となく自分と似ているルーデルとは気が合いそう、そんな予感がしていた。

 名前で呼び合う仲になったツンデレ二人組を嬉しそうに見詰めるクリュウ。すると、そんな彼の背後に近づく者がいた。振り返ると、そこにはもじもじと胸の前で指をいじりながらうつむくフィーリアが。

「フィーリア……」

 フィーリアは顔を一瞬もたげて上目遣いでクリュウを見て口を開きかけては恥ずかしそうに目を落とし、口を閉じる。それを何度か繰り返す。そんな彼女の様子を見たクリュウは何かを悟ると、優しげな笑みを浮かべた。

「ありがとうフィーリア」

 その言葉を待っていたのだろう。フィーリアはそれを聞くと嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。その無邪気な笑顔には、彼に感謝された事が心から嬉しくて仕方がないと書いてある。

 クリュウ達の空気がようやく朗らかになった一方で、満面の笑みを浮かべるフィーリアと彼女と対峙するクリュウをジッと見詰めるシュバルツ。心なしか、その表情が険しい。そんな彼の様子を見て、ヴァネッサとセレスティーナはこっそりとため息を零す。

「……問題はここからなのよね、がんばってねクー君」

 セレスティーナの言葉通り、クリュウの本当の戦いはここからであった。

 

「君は娘とはどんな関係だ?」

 クリュウ達が席に戻り、お茶会が再開された一発目のシュバルツの言葉がそれだった。

 父の突然の質問にフィーリアは顔を真っ赤にして慌てふためき、問い掛けられたクリュウはきょとんとしている。突然過ぎる展開に他の一同も同じような反応だ。そんな中でシュバルツだけは真剣な、どこか恐ろしい剣幕を秘めた表情のままクリュウを睨むように見詰めている。

 シュバルツの鋭い眼光にクリュウは表情を強ばらせながら「ど、どんな関係と申されましても……」と困ったように、頼るようにシルフィードを見るが、シルフィードはクリュウと目を合わせるのを避けるように逸らす。こればっかりはシルフィードも助けようがない。

 クリュウは困ったように少し考え、「な、仲間です。大切な、かけがえの無い戦友です」と答える。その言葉にフィーリアは複雑そうな表情を浮かべた。彼女としては《仲間》という扱いでは寂しいが、《大切な》《かけがえの無い》という嬉しい言葉も入っており、どんな表情を浮かべていいか困っているようだ。

 一方、そんな娘の反応を見てシュバルツの表情がさらに険しくなる。

「君は娘と一緒の屋根の下で暮らしているらしいが、娘に妙な事はしていないだろうな?」

 威圧するような視線での問い掛けに、クリュウはすぐに否定はできなかった。恐怖と共に思い出されたのは、まぁ事故だ。そりゃ一緒に暮らしているのだから事故は時たまある。フィーリアの裸も一瞬ではあれ見た事もあるし。

 そんな事を考えていた為に否定が少し遅れてしまったクリュウ。そしてそんな彼を見て同じくそのシーンを思い出したのか顔を真っ赤にしたフィーリアが慌てて「そ、そんな事ないですよお父様ッ! 本当ですッ!」と否定するが、時既に遅し。むしろその必死さが立証となってしまうという不のスパイラル。

 シュバルツの表情がいよいよ険しさも限界に達する。もはやキレる一歩手前くらい。そんな彼を見て呆れるのは妻ヴァネッサと長女セレスティーナ。シュバルツの親バカっぷりをよぉく知っている二人ならではのため息だ。

 シュバルツは静かに燃え上がる怒りの炎を瞳に輝かせ、クリュウを射抜く。その姿はさながら怒り狂うディアブロスのような気迫だ。クリュウは恐怖のあまり、顔を真っ青にして硬直する。

「ルナリーフ君と言ったか。一つ忠告しておくぞ」

 不気味に、シュバルツの瞳が煌く。

「――娘に妙な真似をしたら、その時は我が隷下のレヴェリ軍が国境を越えて貴様の首を討つ。ゆめゆめ疑う事なきように」

 シュバルツの本気の忠告と言う名の脅迫に、クリュウは顔を真っ青にしながら何度も激しく首を縦に振った。

 一方、先程までは顔を真っ赤にしていたフィーリアも父の発言に顔を真っ青にして愕然としている。クリュウの方を見ると一瞬目が合ったが、すぐに彼の方が逸らしてしまう。どうやら、必要以上に効いてしまったらしい。目を避けられた事に、フィーリアは泣きそうになる。

 そんな二人と父の姿を見て、セレスティーナは困ったようにため息を零すのであった。

 その後もクリュウに対する尋問(?)は小一時間程続き、ようやくお茶会が終わる頃にはクリュウはすっかりシュバルツを恐怖の対象として怯えてしまうのであった。


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