モンスターハンター ~恋姫狩人物語~   作:黒鉄大和

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第155話 大好きな彼の為に 必勝を誓いし最強の戦姫達

 エリア全体に響く怒号が消え終わる前に、ディアブロスは突進の体勢になる。その狙いはクリュウだ。

「逃げろクリュウッ!」

 シルフィードの叫び声を聞くまでもなくクリュウは全速力で走り出す。横目に見ると、ディアブロスが走り始めていた。その速度はこれまでとは比べ物にならない程早く、その速度で走りながら微妙にコースを曲げて逃げるクリュウを追跡する。

 猛烈な勢いで迫り来るディアブロス相手に、必死になって逃げるクリュウ。全速力で走り痛む足を無理に動かす。そして、最後の一瞬で身を投げ出すように前に突っ込んで回避。倒れたクリュウの足のすぐ後ろを砂塵を巻き上げながらディアブロスが突き抜けた。まさに紙一重の距離とタイミングだ。

 砂煙を噴き上げながら止まるディアブロスに対し、怒涛の勢いで突っ込むサクラ。振り返るディアブロスの顔面目掛けて跳躍すると、振り抜いた刀を閃かせる。

 角を狙って振り下ろされた飛竜刀【翠】は弾かれた。だがサクラはその反動を利用して加速。右側を通り抜けるように翔け、翼に向かって刀を一閃。硬い感触を無視して刃を立て、翼膜をわずかながら斬り裂いた。

 砂の上に降り立ち、反転して再び突っ込むサクラ。その攻撃を遮るように巨大な尻尾が振るわれるが、わずかな隙間に体を捩じ込んで止まらずに回避すると軸となる巨大な脚に刀を叩き込む。

 ディアブロスに怒涛の攻撃の嵐を行うサクラ。クリュウを狙った事で彼女もまた怒り狂っているようだ。ガードができない太刀使いならではの紙一重の回避の連続に彼女の表情にも疲労で苦悶に歪み、頬を汗が流れる。だが、その苦しみをねじ伏せて振るわれる一撃一撃は、着実にヒットしてダメージになる。

 サクラの攻撃など効いていない。そのような様子でディアブロスは援護射撃を行うフィーリアに向き直ると、サクラを吹き飛ばした必殺の突進を仕掛ける。恐ろしい速度で迫るディアブロスにフィーリアは銃をしまって全速力で走るが、距離はあっという間に潰される。そして――フィーリアは吹き飛ばされた。

 悲鳴を上げて砂の上に転がるフィーリア。寸前で正面は何とか避けたようだが、巨大な脚にわずかに触れて跳ね飛ばされてしまった。ほんのちょっと接触しただけで吹き飛ばされ、起き上がった彼女の表情は苦悶に歪む。そんな彼女を一瞥しながら、引き離されたサクラは必死になって砂漠を翔ける。

 一方、フィーリアと程近い場所にいたシルフィードを彼女を狙って近づいてきたディアブロスに向かって怒りを込めてキリサキを叩き込む。まるで岩に向かって斬り込んでいるのに近い硬い感触に腕が痛み、シルフィードの表情が辛そうに歪む。だがその痛みを堪えて気合で跳ね返される刃を前に押し込む。甲殻の一部が削り取れ、隠れていた肉が露になる。

 ようやく生まれた攻撃地点。すぐにシルフィードは剣を大振りに旋回させて構え直し、そこ目掛けて剣を叩き落とす。だがディアブロスはそれを拒むかのように身を翻してしまった。結果、脚の位置が変わり振り下ろされたキリサキは何も無い砂に剣先を埋めてしまう。

「くそ……ッ!」

 すぐにキリサキを引き抜く。が、構え直したと同時にディアブロスは彼女に向かって体当たりを放ってきた。回避はできない距離、シルフィードは構えたキリサキでガードするが、体勢が整い切っていない状態でのガードで彼女の体は簡単に吹き飛ばされてしまった。腰から地面に落ち、そのまま数メートル滑る。

 シルフィードを引き離したディアブロスに、今度は左右からそれぞれクリュウとサクラが迫る。同時に左右から攻撃を仕掛けるつもりだ。しかしディアブロスは突如地面に角を突き刺して砂を巻き上げると、そのままあっという間に砂の中に消えてしまった。

 慌てて足を止めた二人は、回復薬などを飲んで体力の回復を済ませたフィーリアとシルフィードと共に散開してバラバラに走り出す。

 ディアブロスが地中に潜った地点に背を向けて走るクリュウ。道具袋(ポーチ)に手を伸ばすと、そこには音爆弾が収められている。だが音爆弾は怒り状態では通用しない。せっかく奴が地面の中に潜ったというのに、この策は使えない。

「クリュウ様ッ!」

 考えに耽っていたクリュウはフィーリアの悲鳴にハッを顔を上げる。振り返ると、砂煙の壁が背後から自分を追いかけてきていた。その真下には、凶悪な角で獲物を狙うディアブロスが潜んでいる。

 クリュウは慌てて右足で地面を横に蹴って左側へ跳ぶ。直角に針路を変えた上に最後はジャンプして地面に倒れる。直後、彼が一瞬前までいた地面からディアブロスが角を振り上げながら現れた。凶悪な鋭い角は何も貫かずに天を仰ぐ。

 クリュウは背後に現れたディアブロスを見てすぐに立ち上がると反転して攻撃に転ずる。動き回るディアブロス相手では、このわずかな隙も逃してはならない。

 引き抜いたデスパライズを構え、比較的装甲の薄い関節部分を狙って叩き込む。それでもやはり硬い。しかし腕が痛もうが力づくで刃先を捻じ込む。噴き出す麻痺毒がわずかとはいえ体内に入り込むのが見えた瞬間、ヘルムの下で笑みが浮かぶ。少しずつでも前進している事実を目撃し、自分の行いが無駄ではないという感触を確かめられた。

 もう一撃と剣を振るおうと構えた瞬間、ディアブロスは突然向きを変えたと思ったら低い唸り声を上げながら姿勢を低くする。その動作にクリュウは慌てて攻撃をやめてバックステップで距離を取った。

 ディアブロスはクリュウを無視して走り出す。怒涛の勢いで走り抜くその先には、クリュウを援護しようと接近していたサクラがいた。

 迫り来るディアブロスを見て、サクラは舌打ちする。横へ逃げるにしても結構ギリギリの距離だ。どうするか悩んでいる間にも、ディアブロスは迫る。

 サクラの頬に、嫌な汗が流れる。だが、遠くから自分の名前を叫びながら必死になって追い掛けて来る彼の姿を見た瞬間、覚悟は決まった。

 サクラは――突貫した。

 彼女の信じられない行動に驚く三人。だがサクラは砂塵を纏いながら風のような速さで突っ込んで来るディアブロスに真正面から突貫。自分を狙って突き出された角が眼前にまで迫った瞬間、

「……ッ!」

 グッと姿勢を低くしてスライディング。彼女の細い体はディアブロスの突き出た角を避け、その下にあるわずかな隙間に捩じ込まれる。そのまま砂の上を滑り抜け、一瞬でディアブロスの背後に抜ける。

 突然目の前にいた敵が消えて驚きつつ、ディアブロスは滑りながら急停止する。

 彼女の荒業を目撃して呆然としている三人に向き直り、サクラは腰に手を当てて自慢気に口元に不敵な笑みを浮かべる。

「……余裕よ」

 そんな彼女の威風堂々とした姿を見て、シルフィードはフッと口元に笑みを浮かべる。

「まったく、君という奴は……」

 本当に無茶苦茶な子だ。あんな危険な荒技を平然とやってのけ、しかもそれを「余裕」と言い張る度胸。まったくもって──凄腕の狩人(ハンター)だ。

 そう思ったのはシルフィードだけではない。クールな表情で凛と砂漠に立つ彼女の姿を見て、フィーリアもまた悔しいが彼女のすごさを認めていた。

「私だって、負けてられないッ」

 気合いを入れ、ハートヴァルキリー改を握る腕にも力が入る。自分には彼女のように豪快な精神も卓越した身体能力がある訳ではない。でも、自分にはどんな状況でも正確に弾を命中させる集中力と技術力がある。例え目立たないスキルだとしても、チームを支える一角を担っている自負はある。

 振り返るディアブロスを見てすぐに動き出すサクラを一瞥し、フィーリアは遠方にいるディアブロスに向かって引き金を引いた。装填された徹甲榴弾LV2が撃ち出され、一直線に飛翔。ディアブロスのこめかみ付近に命中、爆発。その瞬間、サクラに意識を向けていたディアブロスの敵意に燃える瞳が自分の方に向き直るのを感じた。

 振り返って少し驚いた表情になるサクラの顔を一瞥し、フィーリアは戦場に舞う戦乙女のように美しくも自信に満ち溢れた不敵な笑みを浮かべる。

「私がいる事を忘れられては困ります」

 唸り声を上げてディアブロスはフィーリアに向かって突進する。だが、フィーリアは逃げず迫る魔竜と対峙する。

「……バカッ」

 慌ててサクラは反転すると怒濤の瞬発力で加速。ディアブロスに負けず劣らずの速度で砂塵を巻き上げながら突貫。フィーリアの下を目指すが、間に合わない。

 だが、迫り来るディアブロス相手にフィーリアの余裕の表情は崩れない。冷静に距離を見極め、彼女は構えたハートヴァルキリー改のスコープを覗き、狙いを定める。そして──引き金を引いた。

 響き渡る発砲音と共に撃ち出された弾丸は一直線に迫るディアブロスに向かって飛翔。こめかみ付近に命中すると、一瞬遅れて起爆。ディアブロスの頭が火炎と黒煙に包まれる。

「グオォッ!?」

 炸裂した徹甲榴弾の爆音の中、ディアブロスの悲鳴が響く。すると、確かな足取りで迫っていたディアブロスは突如脚をもつれさせ、横倒しに転倒した。

 砂塵を巻き上げながら横倒しに滑るディアブロス。やがて、その横滑りと地響きが止まる。

 砂の上に倒れ、もがくディアブロス。その眼前に立つフィーリアは、ゆっくりと構えていたハートヴァルキリー改の銃口を向ける。ガチャリと、新たな弾を装填。

「ハンターは何も華々しい剣舞だけじゃありません。こうした地味でも確実な積み重ねも重要なんですよ」

 自信満々に、まるで駆け寄って来たサクラに向けて言ったかのような言葉。足を止めたサクラはそんな彼女を見て無表情を貫く。が、その口元に一瞬笑みが浮かんだ。

「……フン、地味子」

「地味子言うなですぅッ!」

 ムキーッと拳を振り上げて怒るフィーリアを鼻で笑うと、サクラは倒れているディアブロスに向き直る。そして、背負っていた飛竜刀【翠】を引き抜き、構える。

「……でも、貴様らしい」

 そうつぶやくように言い残すと、サクラはフィーリアの生み出した隙を無駄にしないように突貫する。そんな彼女の背中を見て微笑むと、凛々しき表情になってボウガンを構える。

「今のうちに攻撃をッ!」

 射撃と同時に言い放つフィーリアの言葉に、駆け寄っていたクリュウとシルフィードはうなずき、めまいを起こして倒れているディアブロスに殺到する。

 一番最初に到達したサクラは倒れているディアブロスの脚を狙って剣乱舞闘。煌めく剣先は鋭く空気を斬り裂きながらディアブロスの硬い甲殻を弾き飛ばす。押し返される刀を、最も威力が最大になるような角度でひたすら振るい続ける。わずかに抉れた隙間に刃をねじ込み、刃を濡らす強力な毒を奴の体内に流し込む。

 練気を限界まで溜め、刀を振るう腕にさらに力を加える。流れるような一撃一撃は、確実にディアブロスの強靱な鎧を削り取っていく。

「……今ッ!」

 刹那、サクラの動きがさらに鋭く、荒々しくなった。右へ左へ流れるように刀が動く。その刃先は硬いディアブロスの甲殻も物ともせずに砕く。そして、加速に加速を重ねた勢いを殺さずに最後に刀を振り上げ、一気に叩き落とす。

「……チェストオオオォォォッ!」

 一刀両断。強烈な一撃を受けてディアブロスの甲殻が砕け、中の肉が露わになる。サクラはすぐに気刃斬りから通常攻撃に切り替え、攻撃の手を緩めない。

 遅れて到着したシルフィードは頭を狙って溜め斬りの構えを取り、クリュウは尻尾を狙って駆け寄る。

「ここならッ!」

 クリュウは暴れる尻尾に跳ね飛ばされないよう注意しながら尻尾に近づき、引き抜いたデスパライズを叩き込む。すると、やはり硬いには硬いが脚などに比べればずいぶんと柔らかい。しっかりと刃が入る感触に、思わず頬が緩む。

「いけるッ」

 目標が定まると人間というのは強くなる。自分の攻撃が確実に届く場所を見つけた。それはメンタル面で強い心の支えになる。自分の小さな攻撃が、わずかでも相手にダメージを与えられる。それだけで、この苦しい戦いの中にわずかな希望の光が見える。

 クリュウはひたすらに尻尾に向かってデスパライズを振るう。麻痺毒が迸り、血飛沫が舞踊る。

 右から横一閃に剣を閃かせ、返す勢いでもう一撃。最後に右足を軸にして体全体を回転させるように回し斬り。踊り狂う鮮血を物ともしない連続攻撃は確かにディアブロスの尻尾にわずかながら傷を生む。

「うおおおおおぉぉぉぉぉッ!」

 気合裂帛。空気を打ち振るわせながら轟く勇ましい咆哮と共に放たれる強大な一撃。限界まで引き絞られた力を一気に解放し、藻掻くディアブロスの頭にシルフィードは豪快にキリサキの刃先を叩き込む。直撃した瞬間に腕に走る痛みに一瞬顔を顰めるが、構わず剣を前に打ち放つ。

 悲鳴を上げてディアブロスがゆっくりと起き上がった。すぐに剣士三人は離れるが、ディアブロスは最初に視界に捉えたシルフィードに向かって怒号を上げながら突進を仕掛ける。

 武器を構えたままの為に思うように動けないシルフィードは舌打ちしてガードの体勢を取る。そこへディアブロスの凶悪な角が貫いた。

「……くはぁッ?」

 角は何とかキリサキの峰で防ぎ切ったが、衝撃は直撃。人一人の力と体重ではディアブロスの突進の勢いを止める事はできず、シルフィードは吹き飛ばされる。

「シルフィッ!」

 慌てて彼女の方へ走るクリュウを見て、サクラは逆にディアブロスに突っ込む。それを見てフィーリアもすぐに通常弾LV2での速射攻撃を開始する。

 追撃を試みようとしていたディアブロスの動きをフィーリアの放つ銃弾が阻む。そればかりか突貫してきサクラは振り返るディアブロスの眼前に跳躍。太陽を背後の砂塵を纏いながら戦姫が舞う。

「……はぁッ」

 日の光を浴びて煌めく剣先が横一閃に振るわれる。その一撃はディアブロスの額を薄く斬り裂く。突然の出来事にディアブロスは怯む。

 地面に着地したサクラはすぐさま加速。ディアブロスの脚下で暴れ回る。

 二人がディアブロスを引きつけている間に、クリュウは砂の上に倒れているシルフィードに駆け寄る。

「シルフィッ!」

「くぅ……ッ」

 地面の上を何度も転がって倒れたシルフィードは顔を苦悶に歪めながら起き上がる。倒れた際に頭を打ったのか、シルフィードは頭を押さえながら苦しそうな表情を浮かべている。

「シルフィ、大丈夫?」

「あ、あぁ……」

 ゆっくりと立ち上がるシルフィードだが、一瞬足の力が抜けてしまったのか倒れそうになる。慌ててクリュウがそれを抱き止めた。

「す、すまない……」

「本当に大丈夫?」

「あぁ、もう平気だ」

 シルフィードはそう言って彼の腕から離れると、取り零したキリサキを拾い上げ、背負い直す。そして二人掛かりでディアブロスを足止めしている二人を見る。二人とも表情に明らかな疲労の色が見えていた。だがその攻撃はブレる事なく鋭く、正確に放たれている所はさすがだ。

「……そろそろ撤退した方がいいな」

「そうだね。これ以上の戦闘はジリ貧だよ……」

 そう言うクリュウも息が荒い。まるで底なしの体力を持つディアブロス相手にした長期戦では、圧倒的に体力の限界が近い人間の方が不利だ。しかも相手は常にフィールド中を動き回る相手。当然こちらの動きも必要以上に増えてしまい、持久戦という不利な状況に追い込まれる。

 一度ここで休憩を挟まなければ、体力劣るこちら側はさらに苦境に立たされる。そう判断したシルフィードは道具袋(ポーチ)から閃光玉を取り出した。

「私が閃光玉で奴の動きを封じる。そのうちにこのエリアから撤退するぞ」

「方向は?」

「ひとまずエリア3に撤退する。行くぞ」

「うん」

 撤退作戦の方針を決め、すぐに実行に移そうとディアブロスに駆け寄る二人。だが、そこで二人が目にしたのは、

「……がはッ」

 ディアブロスの尻尾の薙払いの直撃を受けたサクラが跳ね飛ばされる瞬間だった。

「さ、サクラッ!」

「クソ……ッ、行くぞクリュウッ」

 地面の上を何度も転がった末、岩壁に背中から叩きつけられて崩れるサクラ。クリュウは急いで彼女に駆け寄る。それを援護するようにフィーリアの通常弾LV2による集中砲火が加速する。撃ち放たれる弾丸の全てを頭に当てて、何とか奴の気を削ごうとしているのだ。

 シルフィードも閃光玉を構えながら走り寄る。まだ有効範囲外の為、閃光玉は投げる事はできない。そのわずかな距離でさえ、今のシルフィードには煩わしかった。

「クソ……ッ、もっと早く……ッ」

 砂を蹴って全速力で翔け抜ける。手に持った閃光玉を握り締める手にも、自然と力が入る。

 だがディアブロスはシルフィードの接近を阻むようにフィーリアからの攻撃を無視して角を地面に突き刺し、勢い良く砂の中に潜ってしまう。

「……チッ、このタイミングでッ」

 シルフィードは憎らしげに砂の中へと消えるディアブロスを睨みつける。そこへ、息を切らせながらフィーリアが駆け寄って来た。

「これ以上の戦闘は厳しいです……ッ」

「わかっている。次に奴が姿を現したらすぐに閃光玉を当てて撤退するぞ」

「わかりましたッ」

 フィーリアに指示を伝え、二人はディアブロスが潜った地点を凝視する。どう動くか、そのわずかな動きも見逃さない。

 一方、岩壁に叩きつけられたサクラはピクリとも動かなかった。慌ててクリュウが駆け寄ると、グッタリと倒れているサクラを抱き起こす。

「サクラッ」

 隻眼を閉じ、力なく倒れている彼女の姿に一瞬嫌な予感が頭を過ぎった。だがその最悪な予想に反して彼女はしっかりと呼吸していた。どうやら気を失っているだけらしい。そうとわかった途端、クリュウの表情が安堵に染まる。だが、依然として状況が悪い事には変わりない。クリュウの表情は再び厳しいものに変わり、彼女を抱き起こして振り返る。

 少し離れた場所ではフィーリアとシルフィードが同じ地点を見詰めていた。二人の様子を察するに、二人が見詰めている先の地点にディアブロスが潜ったのだろう。当然、クリュウの視線もそこに注がれる。

 ……どこから現れる。

 風の音だけが不気味に響く沈黙の中、何も起きないで時間だけが流れていく。

 嫌に長く感じられるようで、本当の所は数秒と経っていないだろう。その不気味な沈黙は、突如破られた。

 地響きが轟き、砂煙が濛々と噴き上がる。それはディアブロスが動き出した証。三人の心臓も一斉に飛び跳ねる。だが、ディアブロスは二人の足下にもクリュウの近くにも向かわなかった。

 砂煙は誰もいないエリアの真ん中を横切るようにして南側へ抜け、そして消える。

 地中に潜んでいるのか。警戒を解かずに最後に砂煙が見えた地点を三人は凝視する。しかし、動きはない。

 そのうち、風が吹いた。そこにわずかに匂うペイントの匂い。その風は明らかにこのエリアから吹いたものではなかった。つまり、奴がエリアを移動したという事だ。

 ディアブロスが去った事が確認できると、三人は一斉に砂の上に座り込んだ。皆一様に疲労の色が見え、息は荒い。かつてない激戦に、すっかり疲労困憊という様子だ。砂漠の暑さも、疲労に拍車をかけている。

 フィーリアは愛武器ハートヴァルキリー改を投げ捨てて水筒を手に取ると、女の子らしさとか気にせずにゴクゴクと喉を鳴らして水を一気に飲み干す。乱れた髪を簡単に整え顔を上げると、額には大粒の汗が噴き出していた。

「……想定していたとはいえ、やっぱりキツイですね」

「あぁ、こんなにも一度の戦いで疲れるのは久しいな」

 シルフィードも疲れたようにそう言うと、水を一気飲みする。彼女の言う通り、これまでこのチームで体験した戦闘の中では最も厳しい戦いだ。いつも幾分か余裕を持っている彼女も今回ばかりはその余裕もない。

 二人とも足を投げ出してぐったりとしている。だが相当疲れていても二人の視線は自然とサクラの方に向けられる。

「どうやら、気を失っているだけのようだな」

「そのようですね……」

 二人はそう言うとゆっくりと立ち上がり、二人の下へ歩み寄る。走り寄れない自分の震える足が、悔しい。

 近寄ると、サクラはクリュウの腕の中でぐったりと気を失っていた。いつも何を考えているかわからない隻眼は閉じられ、彼の腕の中で眠るように気絶しているサクラ。安らかな息のリズムが、彼女が無事である証拠だ。

「とにかく一度、拠点(ベースキャンプ)に戻るぞ」

 シルフィードの言葉に二人はうなずくと、撤退の準備を始める。荷車はシルフィードが担当する事になり、クリュウはそのままサクラを背負う事となった。フィーリアは散弾LV1を装填して小型モンスターからの護衛役。

 役柄を決めた三人は気を失っているサクラを連れて、拠点(ベースキャンプ)まで撤退するのであった。

 

 拠点(ベースキャンプ)に戻ったクリュウ達。クリュウは真っ先に天幕(テント)に向かうと背負っていた気絶しているサクラをベッドに寝かせる。ここに至るまでの間でも彼女は目を覚ます事はなく、彼の背中で意識を失ったままだった。さすがのクリュウも心配になり、寝かせた彼女の横に座り込む。そんな彼を心配そうに見詰めるのはシルフィード。

「クリュウ……」

「サクラ様のご様子は?」

 そこへ拠点(ベースキャンプ)にある井戸から汲み上げた冷たい水で濡らしたタオルを持ったフィーリアが歩み寄って来る。そう言う彼女の表情も暗い。

「まだ意識が戻らないみたいだな」

「……このまま戻らないなんて事は、ないですよね?」

 自信なさげに、頼るような目線で見詰めながら問うフィーリアに、シルフィードはフッと口元に笑みを浮かべる。

「サクラがこんな所で倒れるような奴か? 奴が死ぬ時は、クリュウの膝の上以外ありえないだろう?」

「……そう、ですね」

 シルフィードの言葉に、フィーリアの表情が明るくなる。彼女の言う通り、サクラはこんな所で倒れるような少女ではない。彼女のクリュウに対する野心家は筋金入りだ。クリュウのお嫁さんになるまでは、例え地獄の底からだろうが這い上がって来る──こんな所で倒れるような、そんな柔な恋姫ではない。

「──でも、そのような野望は私が断固阻止しますッ。クリュウ様のお嫁さんになるのは、この私ですッ!」

 力強く拳を握り締めて断言するフィーリアを見て、シルフィードは苦笑を浮かべる。そして小さく「お嫁さん、かぁ……」とつぶやいてみたり。

 そんな二人に対して、ベッドの上で目を覚まさないサクラの傍で無言でいるクリュウ。その表情は暗い。

「サクラ様なら大丈夫ですよ」

 掛けられる声に顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべたフィーリアが立っていた。

「フィーリア……」

「きっとすぐに目を覚まして、クリュウ様に抱きつくという横暴を平気でしでかしますよ。まぁ、その時は私が全力でクリュウ様をお守りますッ」

 拳を握り締めて力強く宣言するフィーリアを見て、クリュウは苦笑を浮かべる。

 少しだけ表情が軟らかくなったクリュウを見て安堵したのか、フィーリアは微笑むとサクラに近づき、彼女の額当てを外して手に持っていた濡れたタオルをそっと置く。

「……んぅ」

 すると、少しだけサクラが反応した。クリュウとフィーリアはお互いに顔を見合わせると、慌てて彼女の顔を覗き込む。

「さ、サクラ……?」

 しかし、サクラは目を覚まさない。閉じられた隻眼は堅く、ピクリとも動かない。

「サクラ……」

 再び表情が暗くなるクリュウ。すると、サクラの両腕がゆっくりと起き上がる。

「え?」

 呆然としているクリュウの首に絡まり、そっと彼の体を引き寄せる。その先には、なぜか頬を赤らめて唇を尖らせるサクラの顔が……

「え? えぇ? えええええぇぇぇぇぇッ!?」

「何してやがるですかあああああぁぁぁぁぁッ!」

 怒号を上げて。フィーリアはどこからか取り出した特大ハリセンでサクラの顔面をブッ叩いた。

「えええええぇぇぇぇぇッ!? ふぃ、フィーリアぁッ!?」

「何人の心配する気持ちに付け入ってるんですかぁッ!」

 顔を真っ赤にして怒るフィーリアに対して、ゆっくりと上半身を起こすサクラ。叩かれた鼻を手で擦りながらサラリと、

「……眠り姫が目を覚ますのは、王子様のキスと決まっている」

「そ、それは間違いじゃありませんが……それを堂々と実行するなんて、恥ずかしくないんですか?」

 フィーリアの問いに対し、サクラはなぜか腕を組み胸を反らし、偉そうに断言する。

「……クリュウの為なら、羞恥心なんて簡単に捨てられるわ」

「少しは大事にしてくださいッ!」

 あっと言う間にいつものようにギャーギャーと言い合う二人。そんな二人の姿、特にさっきまで本当に気絶していたのかと疑ってしまう程にいつも通りなサクラの姿に一人取り残されて困惑するクリュウ。すると、そんな彼の肩がそっと叩かれた。振り返ると、苦笑を浮かべたシルフィードが立っていた。

「どうやら杞憂だったようだな」

「……何だか、ドッと疲れが押し寄せたような」

「ははは、君も大変だな。まぁ、自分で撒いた種だと思って我慢するんだな」

「え? 僕、何かしたっけ?」

「……まったく、少しは察する事を覚えてほしいものだよ」

 意味が分からないという感じに首を傾げるクリュウを見て、シルフィードはため息を零す。ハンターとしては確実な成長が見える彼だが、未だにこっちの方は成長する兆しすら見えないのが現状だ。

「ほら、君達もいつまでも遊んでるな。狩猟中だぞ」

 ギャーギャーと言い合う二人を注意し、ため息を零しながらシルフィードは一人|天幕(テント)を出る。それを追ってクリュウが続き、二人も睨み合いながら天幕(テント)を出る。

「フィーリア、ひとまず昼食にしよう。腹が減った」

 グゥと小さく腹を鳴らし、恥ずかしそうに頬を赤らめながら苦笑するシルフィード。それを聞いて、サクラと無言で睨み合っていたフィーリアが振り返り顔が微笑む。

「そ、そうですね。じゃあお昼にしましょう。材料はある程度持って来ているので。何系がよろしいでしょうか?」

「……キングトリュフと飛竜の卵のかき卵」

「どんだけ無茶な注文なんですかッ!? 高級レストランで扱うような料理ですよッ!?」

「……じゃあ、特産キノコキムチおにぎり。私も手伝うわ」

「却下ですッ! またオンリートウガラシの地獄激辛おにぎりを仕込むつもりですよねッ!?」

「……チッ、覚えてたか」

「一生忘れられませんよあんなトラウマッ!」

「……あぁ、そういえば君達と初めて狩りをした時にそんな事件があったな」

 懐かしいなと思い出し笑いするシルフィードに対し、当の本人達は睨み合う。

 そんな三人を見て苦笑しながら「あのさ、結局どういう系の料理にするかは決まったの?」と止まっていた昼食の話題を進める。

「そ、そうでしたッ。どのような物をお食べになりたいですか?」

「そうだなぁ……、私はガッツリ肉系がいいな」

「僕も同じかな」

 ガッツリ肉系を共通にプッシュするシルフィードとクリュウの二人。フィーリアは大きくうなずく。

「ではこんがり肉をベースにした料理にします。ただし、お二人とも最近野菜をあまり摂られていないので、サラダもお付けします。ちゃんと食べてくださいね」

 そう言い残し、フィーリアは早速準備に取り掛かる。そんな彼女の背中を一瞥し、クリュウとシルフィードは互いに顔を見合わせるとどちらからとなく苦笑を浮かべた。

「まったく、フィーリアはいい嫁になるな」

「そうだね」

「……クリュウ、私は尽くすタイプだから」

「はい?」

 先程までディアブロス相手に激闘を演じていたとは思えない程にほのぼのとした空気。だがあれだけの緊張の連続だったのだから、緊張を解く時も手抜きはしない方が精神的にもいい。

 その後フィーリアを中心にクリュウと何だかんだでサクラも加わり、三人で昼食の準備を進める。言うまでもないがシルフィードは料理場に近づく事すら禁じられている。

「……女として、これほど情けない事はないな」

 力なくシルフィードがつぶやいた事を、三人は知らない。

 ちなみに以前彼女は《女》は捨てたと豪語していたが、最近はほんの少しだけその言葉を撤回していたり。

 昔に比べてフィーリアも結構物怖じをしない子になった。サクラの影響か、謙虚な子ではあるが自分の意見はハッキリ言う子になったし、サクラのボケに対しても最近は容赦がない。クリュウに対するアタックもサクラ程ではないが少しばかり強気になった。

 サクラは……言うまでもないだろう。

 クリュウだけではない。彼の影響で三人もハンターとしてだけではなく、一人の人間として、一人の女の子として確実に成長、変化している。

 リオレウスを相手にしていた時とは違う。今の彼らの絆は、確かなものだ。だからこそ、あれだけの苦戦の後だと言うのに、笑っていられる。

 どんな強敵が相手でも。どんな苦しい戦いだとしても。信頼し合った大切な仲間と一緒なら、きっと乗り越えられる。そして、いつかきっと、この戦いを笑って語れるようになる。そう信じているから、笑える。

 いつしか、クリュウを中心に構成されていたチームは、互いが互いを認め合い、信頼し合う、掛け替えのない狩友同士で結成されたチームに変わっていた。

 誰かの代わりなんていない。この四人だからこそ、最強なのだ。

「──って、何ドサクサに紛れてクリュウ様に抱きついてるですかぁッ!」

「……クリュウ、女体盛りって興味ある?」

「にょたいもり?」

「どぅあああああぁぁぁぁぁッ! クリュウ様の前で何という発言をしてるですかあああぁぁぁッ!?」

「……クリュウ、耳を塞ぐんだ。君の健全な精神を育成するには不要な情報だからな。今の単語も今すぐ忘れるんだ」

 ……まぁ、一見するとそんな風には見えないのが難点ではあるが。

 十数分後、地面の上に敷いたシートの上にはおいしそうな料理が並んだ。

 スライスしたこんがり肉と砲丸レタス、レアオニオンソースで味付けした具をマスターベーグルで挟んだサンドイッチを主食。アプトノスの細切れ肉とまだらネギ、ヤングポテト、根棒ネギ、レアオニオンを具材にしたシモフリトマトスープも付けた豪華なもの。クリュウとシルフィードにはサラダも忘れないなど、さすがフィーリア抜かりがない。

 全体的に野菜が多いのも、仲間の健康を気遣った彼女らしい。こんだけ野菜が多いのに、野菜嫌いでもおいしく食べられてしまうのだから不思議だ。

「さすがフィーリアだな。狩場でこんな豪華な料理を、しかも短時間で作れるとは」

「時間の掛かる料理じゃありませんから。トマトソースも濃縮したソースを持参したので、水で薄めるだけで簡単にスープも作れますし」

 料理が上手なだけではなく、手際も良く調理ができる。エレナによく料理を教わっているだけあって、フィーリアも日々料理の腕を上げている。

「慣れればこの程度なら子供でも作れますよ」

「……もうすぐ十九になるが、相変わらす兵器しか生み出せない私は子供以下か」

 フッと、先程までの凛とした光に満ちた瞳から濁った瞳に変わり、遠くを見詰めるシルフィード。フィーリアが慌ててフォローに入るが、料理ができる人が何を言っても無駄だ。

 料理が上達するフィーリアの一方で、シルフィードは相変わらず食材を生物兵器に変える能力が衰えていない。まぁ、自覚がないよりはマシなのだが、それにしてもたまご焼きですら兵器にしてしまう能力は、もはや才能と言う他はないだろう。

 ちなみにサクラは実はさりげなく料理の実力はフィーリアに匹敵する。彼女曰く娯楽で始めた彼女と生きる術として始めた自分では雲泥の差だそうだ。ただ、彼女は主に東(あずま)料理専門なので、一概には比較できないが。

「ごめんねフィーリア。ほとんど一人でやってもらっちゃって」

 井戸の水で簡単に顔と頭を洗い終えたクリュウがタオル片手に戻ってきた。そんな彼の言葉に「いいえ。好きでやっているのでお構いなく」とフィーリアは天使の笑顔で返す。

 クリュウも定位置に着き、ようやく昼食が開始される。言うまでもなくフィーリアの料理はどれも絶品であり、サンドイッチに自然と手が伸びる。

「うん、すっごくおいしいよッ」

「えへへへ、良かったです」

「……味付けが濃いわね」

「君は姑か」

 そんなやりとりをしつつ食事は進み、サンドイッチの量が半分になった頃。水を飲み干したシルフィードが口火を切った。

「さて、どうだった? ディアブロスを本気で相手にしてみた感想は?」

 シルフィードの問いかけに、それまで和気藹々と楽しいげに会話していた三人が一斉に沈黙する。それを見て、ある意味予想していたシルフィードは苦笑を浮かべた。

「まぁ、君達の気持ちはわかる。戦ってみてわかったと思うが、奴は凶暴極まりないモンスターだ。これまで相手にしてきたどのモンスターよりも強敵で、厄介だ。決して手加減した訳でもないのに、我々が四人束になって挑んでもああして振り回される」

 深刻な表情で彼女が述べているのは、決して過剰に言っている訳でも装飾している訳でもなく、真実だ。だからこそ、彼女の言葉にフィーリアとサクラの表情も厳しくなる。

 クリュウも先程の戦いは正直信じられなかった。

 ──今まで、これほどまでに三人が苦戦している姿を見た事があっただろうか。

 チームで最も動いて暴れ回るサクラはその役柄、しかも武器の特性上どうしても怪我をする事はある。だがこれまで彼女が気を失うような事態は早々起きた事はない。

 常に絶妙な間合いを取る為、最も怪我が少ないはずのフィーリアも今回は危ない場面が多く、ディアブロスの突進で跳ね飛ばされて苦悶に表情を歪めていた。

 そして何より、最前線で相手を引きつける最も危険な役柄を引き受けていながらこれまで大した怪我なく、危険な場面もほとんどなく、勇ましく戦っていたシルフィード。しかし今回は何度もディアブロスに吹き飛ばされ、危ない場面も多々あった。

 これまで、一人くらいがそういう危ない状況になる事はあっても、チーム全員がそのような状況に陥った事はなかった。強いて挙げれば、まだチームとしての連携が未熟だったリオレウス戦の時くらいだが、状況としてはこちらの方がはるかに厳しい。何せ、こちらはあの時とは比べ物にならない程に連携ができているのだから。

「何度も言っているが、私達四人でディアブロスを相手にするのは正直厳しい。その理由がわかっただろ?」

 シルフィードの問い掛けに答える者は誰一人いなかった。だが、その沈黙が答えだ。

 三人の表情からは、出撃した時の自信や希望の色が一切消えていた。あまりにも強敵過ぎる相手に、すっかり戦意が喪失している。シルフィードが最も恐れていた展開だ。

 クリュウは基本的に物事をネガティブに考えがちなので大した事はないのだが、何だかんだで自分の実力を誇りにしているフィーリアや自信過剰なくらいに強気に物事を考えるサクラがこんな状態というのは、ある意味最悪な状態だ。

 自然と、シルフィードの口からため息が漏れる。

「私も、熟練のハンターと共同で狩った事が一度あるだけだからな。奴相手にうまく立ち回れる自信はあまりない。特に、先程は何度も無様に砂の上に倒れた後だしな」

 シルフィードも表情に出していないだけで、その実は相当ショックを受けていた。これまで、これほどまでに自分の無様な姿を彼らに晒した事はなかった。三人の自信の喪失の原因の一つは、そんな自分の姿だろう。だからこそ、シルフィードは人一倍辛い。

 だが、いつまでも落ち込んでいられる程自分達には余裕はない。すぐにでも行動を起こさないと、このままでは本当に戦意を完全に喪失してしまう。

 リーダーとして、仲間達を鼓舞しなくてはならない。

 ──シルフィードは知っている。こういう時、彼らの心に火を灯す方法を。

「──どうする? このまま逃げ帰るか? クリュウの願いを諦めて」

 シルフィードはあえて挑発気味に言ってみた。その言葉にクリュウはショックを受けたようだったが、状況の厳しさを熟知しているからこそ、残念そうに顔をうつむかせる。だが──彼女達は違う。

「……ふざけるな。そんな事をするくらいなら、今ここで切腹した方がマシよ」

 先程までの光を失った瞳とは違う、激しい憤怒の炎が燃え盛る鋭い隻眼で睨みつけてくるサクラ。刃物のように鋭い隻眼は、殺意すら見え隠れする。

 ダンッと引き抜いた飛竜刀【翠】をサクラは地面に突き刺す。いつでも腹を切ってやる、そんな構えだ。

「サクラ様は少々行き過ぎですが、私も同感です。このまま逃げ帰るなんて、断固拒否します」

 そう言ってフィーリアも不機嫌そうな表情で断言した。いつもは優しげな柔らかな瞳が、サクラほどではないが鋭く細まっている。

 二人の空気が豹変した事に気づいたクリュウは困惑していたが、シルフィードは平静を装いつつも口元にわずかな笑みが浮かんでいた。

「まったく、君達は揃いも揃って……」

 だが、決して呆れている訳ではない。二人のクリュウを想う気持ちは筋金入りだ。本気だからこそ、自分の軟弱な意見に対して怒りを露わにしている。

 ──本当に、クリュウの事が好きなんだな。

 微笑ましいくらいに必死に自分の恋心をクリュウに伝えようとがんばっている二人の姿を見ていると、ついつい応援したくなる。

 ……チクリと、胸が痛んだ。

 何事かとうつむき、痛んだ胸に片手を当ててみる。そこは左胸、ちょうど心臓がある位置だ。ドキドキと胸が早めに鼓動を刻んでいる。だが、その胸が時々チクリと痛む。

 意味が分からない。だが、視線はいつの間にか自然とクリュウの方へ向いていた。クリュウは一人地図を見ながら何かを思案しているようだ。その凛々しい横顔を見た途端、胸がドキッと弾む。

 顔が熱くて、頬に手を当てると熱を感じる。

「……熱でもあるのか、情けない」

 ため息を零し、頭を振って気合いを入れ直す。今は少しくらいの体調の悪さを気にしてなどいられない。

 話を戻すとばかりに、自分の挑発がうまくいったのか、瞳に戦意が戻った二人を見てアンドするとシルフィードは口を開く。

「戦ってみてわかったと思うが、奴は常に動き回るモンスターだ。しかもその速度は通常時でさえ我々の全速力よりも早い。この状態の速度に対抗できるのは唯一サクラくらいなものだ」

 シルフィードの説明に、サクラは自慢げに平らな胸を反らしてみる。まぁ、聞きようによってはさりげなく人外扱いされているのだが、同時にそれは彼女の特筆すべき能力とも言える。

「そんな奴をまともに相手すればこちらの体力が持たない。そこで、次からは道具(アイテム)を多用してできるだけ奴の動きを封じながら戦う。閃光玉、シビレ罠、音爆弾を主体にすれば、奴の動きはかなり制限できる。それにクリュウのデスパライズによる麻痺効果もあるからな」

 そう言ってシルフィードはクリュウの方を向き、微笑む。「期待しているぞ」という意味を込めた彼女の笑顔を見て、クリュウはしっかりとうなずいた。

「先程の戦いはあくまで前哨戦、様子見にしか過ぎない。ここからが本番だ。力押しが通じる相手ではないからこそ、私達の戦い方を貫いてこれに勝つ。いいな?」

 シルフィードの問い掛けに、三人はうなずく。彼女の言う通り、ディアブロスは力押しや無策で勝てるような相手ではない。念入りに策を練って、こちらの利点を最大限に利用した戦いに持ち込まないと勝機はない。

 だからこそ、いつもの自分達らしい戦い方を貫く。それが大事なのだ。

「ディアブロスは確かに強敵だ。だが、決して勝てない相手ではない。もし負ける事があったとすれば、それは私達が全力を出し切れなかったから以外にはありえない。勝利したいなら、全力を出し切れ。いいな?」

 シルフィードの言葉に、三人はそれぞれうなずく。

 ディアブロスは強敵に違いない。だが、彼女の言う通り自分達の実力の100パーセントを出せば必ず勝てる。理論的な根拠などない。ただ、そんな確信が四人の胸にはあった。

「食事終了後、順次再出撃準備。準備完了次第ディアブロスとの第二戦に出陣する」


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